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20章:サバルド王子暗殺未遂事件

3話:サバルドの宝(ラティーフ)

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 ――アスィームの奴がサバルドの宝を持ち逃げした。

 酒を飲むとよく、父カッハールは苛立たしげにそう言っていた。

 前王アスィームはとても聡明で穏やかな王であったそうだ。不確かな言い方をするのは、父が前王を賞賛するような文献を尽く焼き払ったからである。学者達は一様に「愚かな」と口にした。こんな事をしても人の口は真実を伝える。そして、一度歪められたとしてもその王が賢王であったならば、必ず光りを浴びるのだと。
 ラティーフもそう思う。実際、彼はカッハールの息子であるにも関わらずアスィーム王を穏やかな善王として認識し、父を愚かな人間と思っている。

 アスィームは軍を未開の地へとやり、開拓と開墾を押し進め、子供の教育へと力を入れた。全ては未来の国の為。学を尊ぶ彼らしい政策であった。
 が、これに軍部が不満を持ったのは間違いがない。そしてその軍部を信頼して統括を任せていたのが、実弟カッハールだった。
 人を見る目がなかったのか、それとも本当に信じていたのか。裏切られた彼は深手を負い、彼を支援する者達の手で数ヶ月の争いの後、最愛の妃とその子だけを連れて亡命したという話を最後に話は消えてしまう。

 どこの国に逃れたのか。道中死んだのではないか。生きているのではないか。一緒に消えた妃と子供はどうなったのか。国では不確かなまま、生存を信じる者は未だに信じ、否定する者が今の政権を握っている。

 父カッハールが酔って言うのは、あまりに恐ろしいこの裏切りの真実。

――あいつから、天使(マラーク)を奪い取るつもりでいたのに。

 多くの人を巻き込み、人命を失い、悲しみを生んだ裏切りの革命はただ一つ、この男の『兄の正妃を手に入れるため』という目的の為だったのを、ラティーフは知って戦慄した。

 アスィーム王にはマラークという正妃がいた。過去の王は平均して二十人程の妃をハーレムに入れていたが、アスィーム王はマラーク妃を含めてたったの四人のみ。おそらく王朝史上最小の数であっただろう。
 王は一人一人の妃を大切にしたいからと、多くを持たなかったらしい。大きなハーレムを持つ事が男の度量という国においてこれは恥ずべき事で、カッハールは「度量の小さな貧しき王だった」と嘲笑うが……おそらく、そういう理由ではなかったのだろう。大切に愛する事を尊んだ、その限界数だと思ったのだろう。

 そしてマラーク妃は異例の妃で、元は地方の食事処の娘だった。巡察で訪れたアスィーム王が見初め、足繁く通って口説き落としたと聞いている。
 白い肌に美しい黒髪、大きなルビーの瞳を持つ女性。勤労で、勤勉で、よく笑い王を大切にする妃であったとか。
 そして唯一の王子も、このマラーク妃との間に出来た子だった。
 アリー・サルマーン・アル=ファッターフ・アル=アミール王子。両親譲りの艶めく黒髪に、頑健な体躯。雄々しい顔立ちは整っていたという。そして、まるで満月のような強い金の両眼。次代の王として期待された王子だった。

 カッハールは兄王とアリー王子を殺し、美しいマラークを手に入れる事を目的にして反乱を起こした。が、手に入ったのは玉座だけ。しかもその玉座も尊敬などなく、最初こそ味方であった軍部も疲弊して二分化し、アスィーム王を望む声に苛まれ、苛立ちを紛らわすようにまた争いに興じる。
 しかも美しかったはずの金の瞳はアスィーム王を追いやった後に謎の病で片目が濁りくすんだ。守護の女神が裏切りの王を見放したのだと、誰もが噂していた。

◇◆◇

「……っ」

 割り当てられた部屋に思わず駆け込んだラティーフはそのままベッドの上で蹲っていた。
 リッツの言う事は正しい。父が愚かな裏切りなどしなければ、今頃あの人は国の王であった。それを追いやった側が今更助けて欲しいなんて、言える義理じゃない。どれだけ自分勝手なんだ。
 分かっている。分かっているけれど…………よりにもよって生き残ったのが自分であることが、ラティーフには不安でしかなかった。

 「女のような王子だ」というのは、もう聞き飽きた。「恥ずかしい」と父に罵られ、女の格好で公務に出た事も一度や二度ではない。女性には「貴方には魅力を感じない」と言われて振り向いてもらえず、逆に男から迫られ危うく犯されそうになったことすらあった。
 能力で負けるつもりはない、その為に小さな頃から学んできた。けれど……見た目はどうすることも出来ないじゃないか。
 せめて両の目が女神の祝福を受けた金色であったならば、血の正当性くらいは訴えられただろう。兄達も片目しか金色ではないのだから。けれどそれもない。

 女神は未だにアスィーム王の遺児の上に王冠を置いている。今日見たあの姿は、思わず膝をつきたくなる完璧な姿だった。なんて雄々しいのだろう。なんて、綺麗な金色だろう。あの要素の一つだけでもあれば……。羨ましくてたまらない。

 でもこんなのはコンプレックスでしかない。能力で示していけばいい。女性も……中にはこんなのを望んでくれる人もいるかもしれない。

 気持ちがグチャグチャになっていって、クシャリと髪をかき上げた時、不意にドアがノックされた。

「ラティーフ様」
「ジャ……ミル」

 心配して追ってきてくれたのだろう。でも、今は彼にも会いたくない。彼も自分にはないものを持っている。恵まれた体に、サバルド男性らしい容姿。欲しかったものを持っている人……。

「いや……」
「ラティーフ様」
「お願い、来ないでくれ。今は……お前にも酷い事を言ってしまいそうなんだ。少ししたら落ち着くから、だから」

 ずっと側にいてくれた人。無茶もさせたし、ずっと支えてくれた人。そんな人にこんな姿を見せたくはない。醜い心など見透かされたくない。酷い言葉など、浴びせたくない。

 でも、忠実な従者はこんな時、何かを感じて言うことを聞いてくれない時がある。そして部屋のドアは咄嗟で、鍵をかけていなかった。
 開いたドアを震えて見つめたラティーフは、次にはジャミルの腕の中にいた。高い体温を肌で感じると、知らず我慢していたものが溢れてくる。ここだけは、建前も我慢もいらない場所だから。

「バカジャミル……」
「そのような言葉でよいのですか?」
「どうして入ってきたんだ。こんな……こんな情けない顔を見せたくなかったのに……」
「顔は見えておりませんし、情けないなどと思った事はありません」
「バカ……」

 背を、頭を、まるで幼子にするように撫でられていると心地よくもなる。故郷を離れて二人旅の最中、こうして二人寄り添うように眠った時がとても心地よかったのを思い出す。

「私は女じゃないのに、どうしてこんな……お前にも甘えてこれでは説得力がないじゃないか」
「貴方は頑張っております」
「頑張りだけじゃ!」
「表面ではない本当に優しさと強さを、貴方はお持ちです。俺の神」
「!」

 欲しい言葉をこんなにもくれる。心からと分かる言葉をこんなにも……。
 ずっと、側にいてくれた。奴隷だからと他の者は重用について進言してきたが、誰よりも信じている。ジャミルだけは裏切らない、この心は側にある。信じている。この言葉に嘘はない。

「奴隷として、一生ただの労働力としてこき使われて死ぬはずだった俺の人生を拾い上げて下さった貴方は、あの時よりずっと神です。親すらも殆ど呼ばなかった名をこんなにも呼んで下さる。震える程に、嬉しいのです」
「ジャミル……」

 濡れた顔を、僅かに上げた。その先にはとても穏やかで優しいジャミルがいて、微笑んで涙を拭ってくれる。剣を握る、所々タコのある少しざらついた手が心地よく肌を撫でた。

「誰がどれだけ貴方を貶めようとも、俺は貴方の優しさと偉大さを知っています。俺の偉大なる王。輝きの君。貴方こそがあの国に変革をもたらす幸福の王となれるのです」
「ジャミル……」
「容姿など、お気になさいますな。確かに男らしい容姿ではありませんが、絹糸のような黒髪も真珠のような肌も、まるで女神の如く美しいではありませんか」
「それが……」
「この国にきて、女性達が貴方を見て感嘆の息を漏らすのを何度も見ました。醜美など、所違えば変わるのです。貴方はとても美しい」
「でも、国の者がこれでは!」
「堂々、前に立てばよろしいのです。そして声を発すればいい。『我こそが王である』と」

 それは、理想の姿だった。

 色んな事を話て、少しだけ気持ちが落ち着いてきた。ラティーフはまだ少しヒクつく胸をゆっくりと落ち着けながら、どうにか心の中の整理を始めていた。

「……リッツに、謝らないと」

 最初に浮かんだのはそれだった。あんな必死な顔は、祖国で交易をしたいと熱弁を振るった時以来だった。それと同じ熱量で、彼はアリー王子を想っているということなのだろう。

「それが宜しゅうございます」
「うん。あとは……」

 あの人と、話がしたい……。

 黙ってしまうラティーフを察するように、ジャミルが息をつく。そして静かに進言した。

「死んだことにして、宜しいのではないでしょうか?」
「……うん」

 それが、双方の為なのかもしれない。

 本当は、見つけ出してこちらの現状を訴え、可能なら戻って欲しいと思っていた。今すぐでなくてもいい、いつかラティーフが王位を継ぐことになったときに、正当な血筋に王冠を戻したいと。
 けれどこの思いは、多分自分勝手な事なんだ。革命から十年以上が経過して、あの人にも帝国で過ごした時間があって、生活がある。恵まれていないというならまだしも、今日見たあの姿はとても雄々しく素敵なものだった。

「見るに、騎士団のかなり上の立場かと思います。それに、リッツとは恋仲なのでしょう。余計にこの国を離れはしません」
「恋……仲……」

 そうだ、そんな事も言っていた。それも衝撃的だった。
 ラティーフの知る限り、リッツというのは大商人のような男だ。口が達者で頭の回転が速く、少し情に脆い部分もあり、気心が知れればスルリと相手の内側に潜り込む。部下を大事にし、自らを律し、有事には素早く自らと部下の為に動ける。そんな人間だ。
 けれど先程見た姿は年相応の一人の人間のものだった。適当に話を合わせる事も、上手く言いくるめる事もできただろうに出来なかった……それだけ、真剣な想いなんだろう。

 羨ましくも思う。そんなにも誰かを思える彼が。未だ誰ともそのような想いを交わせていない自分に、彼のあの必死さはとても眩しく思えてしまう。

「……リッツに謝って、私の考えを説明する。その上で可能ならば、一度だけちゃんとお会いして話がしてみたい。国を出られて後、どのように過ごされてきたのか。アスィーム王は、どうなったのか」
「それが、宜しいかと思います」
「うん」

 一度深呼吸をして胸に溜まった色んな思いを吐き出したラティーフは、そっとジャミルへ笑みを返した。

◇◆◇

 夕食の少し前、ジャミルを通してリッツに部屋に来て貰った。彼は……とても落ち込んだ顔で入って来て戸口の所でいきなり「すみませんでした!」と大きな声で謝り頭を下げてきて、ラティーフは慌てて駆け寄り頭を上げさせた。

「こちらこそすみません。事情を知らず貴方を怒鳴りました。窮状を救い、こんなにも良くしてくれているのに」
「ですが、言ってはいけない事も言いました。お詫びいたします」
「……正直、刺さりました。ですがそれは、事実だからです。貴方の言う事は正しい。追いやった側が苦しくなったからと言って、今更彼に助けて貰おうなど虫のいい話です。分かっている事に目を伏せていました。それを指摘されて逃げるなんて……恥ずかしい話です」

 肩に手を触れて顔を上げて貰うと、ラティーフはにっこりと微笑んだ。

「私の話を聞いて欲しいのです。正直にお話すると守護の女神に誓いましょう。そしてそのうえで、貴方の判断を聞きたい」
「……はい、分かりました」

 テーブルセットに彼を招いて、ジャミルがお茶を淹れてくれて。そうして向き合ったラティーフは息を一つ吸って、口を開いた。

「帝国にアリー王子を名乗る者がいると聞いたのは、国を離れる少し前の事でした」

 本当に偶然、それは他国に違法に渡った人買いを取り締まっている中で聞いた話しだった。

「前から、アスィーム王が亡命した先は帝国ではないかという噂はあったのです。交易のあるクシュナートでは目撃例がなく、ジェームダルでもない。そうなれば未だ少ない交易路しか持たない帝国の可能性があると。ただ、道中死んだと言う者もいますし、生き延びているという者もありました。そして、マラーク妃やアリー王子についても同じように意見が二分しており、度々論争の的になりました」

 現王派は死亡説を唱え、旧王権派は生存説を唱える。そして旧王権派はこの生存説を証明しようと必死になっていた。

「そのような中で得た情報。私は既にジャミルと共に国を離れる準備をしておりました。ならば帝国に渡り、噂の真偽を確かめようと思っていたのです」
「……生きていたら、どうしようとお思いでしたか?」

 リッツの静かな声に、ラティーフはしばし言葉がなかった。けれど、守護の女神に誓って真実を話すと言ったのだ。違えれば罰せられてしまうだろう。

「可能ならば祖国に連れて帰りたいと思っておりました」
「……旧王権派がその人を柱に勢いづき、内戦が更に激化する可能性を考えて?」
「今すぐではなく、私が王位を継ぐ事になったとき。その時に、王冠をお返ししたいと考えていたのです」
「何故そこまで? 王になりたくはないのですか?」

 商人リッツを前に、ラティーフは苦笑する。やりづらいったらない。今彼の中では色んな考えが浮かんでいることだろう。冷静な目をしている時のリッツはこちらを見透かすようだ。

「……少しお恥ずかしい話をしてもよろしいでしょうか?」
「恥ずかしい?」
「……怖いのです、民の前に立つのが」

 正直な心の内を語ると、リッツは途端に私人の顔に戻って目を丸くしている。ラティーフは苦笑して、渇き始めた口をお茶で湿らせた。

「私はこの容姿に劣等感があります。女のようだと周囲にも言われ、女装で公務に参加させられ大変恥ずかしい思いもしました。兄達に性的な嫌がらせを受けた事もありますし、言い寄る男も多くおりました」
「あっ、いや、その!」
「故に、人前が怖いのです。領民ならば怖くはないのに、もっと多くの民の前に出るのが怖い。貴族連中の前に出るのが怖い。否定の言葉を浴びせかけられ、このような王は認められないと言われることが震える程に……怖いのです」

 想像するだけで叫びそうになる。戴冠の挨拶のためバルコニーに出ると、集まった民衆は声高に「ひ弱な王などいらない!」と石を投げ、集まった臣には「王ではなく王妃ではないのか?」と笑われ。
 それを考えるといられない。逃げたくなる。ギュッと膝の上で手を握ったラティーフは、それでも頑張って顔を上げた。

「だからといって押しつけるのは、間違いですよね。分かっているつもりなのですが……克服が難しくて」
「そんなことは! 貴方は立派な王になれるはずです! 貴方の領ほどよく治められた場所はありません。人買いを取り締まり、貧しい者に学問の場を与え、仕事を与え。貴方は民を考える良き領主です!」
「有り難う、そう言ってもらえると嬉しいです」

 賞賛の言葉がくすぐったい。でも、素直に嬉しいとも思うから、ラティーフは笑って受けた。

「認められないなら、認められる王を立てようと思ったのです。私はそれを支えていければそれでいいと。でも……アリー王子にも過ごした時間があり、こちらでの生活があることを失念……いえ、見ないふりをした考えはあまりに横暴でした。反省しています」

 そう言って、ラティーフは素直にリッツに頭を下げた。

「すみません、リッツ。貴方にも不安な思いをさせてしまっていたのですね。それなのに声を荒げるなんて」
「俺こそ!」

 互いに頭を下げて、なかなか上げられなくて……ジャミルの咳払いでようやく頭を上げたとき、二人とも同時だった。

「もう、良いのではないでしょうか? お互いに悪かったということで、両成敗で」
「ジャミル」
「いつまでも謝ってばかりでは話が進みません。ラティーフ様、まだお話の続きがあるのでは?」

 ジャミルに促され、ラティーフはハッとして頷いた。そして改めてリッツに向き直り、真剣な目をした。

「リッツ、ここまで話したうえで、お願いがあります。どうかあの方と、正式に一度お話がしたいのです」
「え……と……」
「……連れて行くことはもう、考えていません。死んだ事にしようと思います。ですが知りたいのです。どのように過ごしてこられたのか。アスィーム王のその後はどうなったのか。マラーク妃は、どうなったのか」

 立場ある人物だ。カールも存在を知りながら隠したということは、引き渡す気はないのだろう。名も、グリフィスと呼ばれていた。既に帝国に帰化した後だ。騎士団にいるということは、貴族の子息なんだろう。
 それでも知りたいと思うのは、祖国に関わる事件だから。そして間接的ではあるが、関係者なのだから。

 リッツはとても考えて……やがて頷いてくれた。ただしこれには騎士団の許可もいるとのこと。納得して、頷いて、大人しく待つ事を約束して、リッツもしっかりと頷いてくれた。


▼リッツ

 正直、安心したような困ったような状況になった。
 ラティーフが自身の容姿に強いコンプレックスがあるのは知っていたが……まさか女装で公務に出されたなんてトラウマまでは知らなかった。
 どうりで逞しい男に憧れがあるわけだ。騎士団に迎えに行った時、彼はとても羨ましそうに周囲を見ていた。自分にないものを見ていたに違いない。
 思えばラティーフの宮殿に仕える男性従者はみなジャミルのように逞しい体躯の者が多かった。サバルド男性は大抵がこんな感じだからかと思ったが……コンプレックス故だったのかもしれない。
 最初お仲間かと思ったんだが、そうではなさそうで言わなかった事を思いだした。

 さて、困ったのはグリフィスと会わせて欲しいという要求だ。
 夕飯を諦めて急ぎ向かった騎士団宿舎では、状況を知ったのかランバートが待っていた。

「来ると思った」
「ごめん、俺の不注意で」
「誰も事故は予測できないし、まさか王子様が下町辺りをフラフラしているとも思わないよ」
「ごめん」
「とにかく入りなよ。陛下も報告受けて悩んでた。お前からの話が欲しいそうだ」
「もしかして、こっちから出頭要請とか出てた?」
「出頭って……お前犯罪者じゃないだろ。明日には一度顔を出して欲しいという手紙を出すつもりだったけど、お前の性格なら今日の夜には来ると踏んでいた。他の人にも時間空けてもらえるようにお願いしてあるから」
「はは、流石親友」

 リッツのせっかちな部分もよく理解されていて助かる。そうして招かれた騎士団の会議室にはグリフィスだけがいて、バツが悪そうに迎えてくれた。

「俺は他の人にも声をかけてくるから」
「あぁ、うん」
「……十五分くらいなら、時間作るか?」
「いや、だめ。その気になる前に早くお願い。俺、今欲求底なしだから」
「五分我慢しろよ」
「うん」

 見た瞬間からスイッチ入りそうだったのは、流石に隠した。

 ランバートが出て行って、グリフィスと二人きり。戸口で固まったままのリッツに近づいたグリフィスが、重く溜息をついた。

「んな顔するな。お前のせいじゃないだろ?」
「ん。でも……迷惑かけたら、ごめん」
「俺こそ悪いな。デカい事故で、手が空いてて手っ取り早く捕まるのが俺しかいなくてな」
「グリフィスは仕事してただけなんだから、悪くないし。俺が、もう少し配慮すればよかったんだ」

 こんな事を言っていてもどうしようもないのに言ってしまう。今日はこんな事が多いな。

「……あいつ、なんて言ってた?」

 それが一番気になっていたのだろう。珍しく不安そうに問いかける彼に、リッツはそのままを伝えた。

「一度会って話をしたいけれど、国に戻って欲しいわけじゃないって。グリフィスが今までどう過ごしてきたのかとか、両親の事を知りたいって言ってた」
「そうか」

 明らかにホッとした顔をするグリフィスに、リッツもようやくホッとしたのかもしれない。

 程なく人が集まって、カールの名代としてシウスがいて、リッツは今回の経緯を丁寧に伝えた。

「――それでは、グリフィスの身柄を引き渡せという要求はなさそうなんだな?」

 ファウストの固い声にリッツは頷く。これに、多少場の空気は和らいだ。

「国には、帝国にそのような人物はいなかったとするか、既に亡くなっているという報告をするそうです」
「約束が違えられる可能性は?」
「ラティーフ様の性格を考えると、そのような事はないかと。女神に誓ってと言っていましたから」
「サバルドの守護の女神か。かの女神に嘘をつくと罰が下されるのであったな」
「はい。その為、サバルドの人間は誠実を訴えるときには女神に誓います。結婚の儀式も女神の像の前で行われるくらいです。建国の王とその伴侶であった女神の神話は根強いものですから」

 シウスの問いかけにリッツは頷く。たかが神話と侮るなかれ、これは王族ですら信じている。
 建国の王は彼の女神を伴侶として国を発展させた。その証とされるのが王族にだけ現れる金の瞳。これは女神の瞳だと言われている。
 そしてこの女神に立てた誓いを反故にすると必ず罰が下される。今の王朝が民に不人気なのもこれが根底にあるとされている。兄王を裏切った弟が王の座についてから、彼の国では災いが起っている。病の流行、飢饉、そして王の蛮行。現王の片目が濁った事も民は不吉の表れと思っている。
 それも、旧王権派が根強く存在している一因でもあるのだ。

「グリフィスは、どうしたい?」

 ファウストからの問いかけに、グリフィスは揺らぐことなく首を横に振った。

「俺は帝国の人間です。とっくに捨てた国に今更何を思う事もありません。ここに、いさせてもらいたいです」
「そうか。俺もお前がいてくれると心強いし、第五の荒くれ者達を纏められる技量はお前にしかないと思っている」
「嬉しい事を言ってくれますね、大将。俺も、アンタみたいな人の下につけて嬉しいっすよ」

 思ったよりも安心したようにニッカと笑うグリフィスの不安の度合いが伝わるようで、リッツもファウストも僅かに眉を寄せる。でも……これで、終わりにしてやろう。

「あちらの要求を、可能ならベルギウス本邸で行いたいのですが、その許可はおりるでしょうか?」

 拒んでもラティーフは無理を言わないだろう。けれど、きっとしこりは残る。思い切ったリッツの言葉にファウストとシウスは多少悩んだが、答えはグリフィスから出てきた。

「俺は構いません。話だけなら」
「だが……」
「これで先方が納得するというなら、終わらせてしまったほうがいいかと思います。既に存在を知られているのです、今更ですよ」
「……そうさの。これで納得するというならば、それも良いかもしれぬな」

 しばし考えたらしいシウスが頷き、ファウストへと目配せをする。ファウストは腕を組んだまま、やがて静かに頷いた。

「いいだろう。セッティングできたら伝えてくれ」
「分かりました」

 リッツが頷いて、グリフィスにも目配せをする。おそらくそんなに手間もかからずセッティングは出来るだろう。
 こうしてこの日の会談は良い方向へと無事に済み、リッツはくる時とは反対に穏やかな気持ちで帰路についたのだった。
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