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19章:建国祭ラブステップ
4話:お疲れ様を言いたくて2(トレヴァー×キアラン)
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朝食を食べ、関所で騎士団の馬を二頭借り、ついでに宿舎に行き先を書いた手紙を託して七時間。わずかに鼻や頬が赤くなった頃にようやく目的地が見えてきた。
目の前には温泉の湯気が白く立つ、賑やかな町が見える。小さいがあちこちに日帰りの湯屋や、温泉宿がある田舎町。ここから少し山側へ行った所に、別荘地がある。
「温かそう。早く温泉入りたいですね」
「まったくだ」
通常五時間だが、雪の影響で二時間ほど余計にかかった。体が芯から冷えている感じがして、思わずブルッと震えた。
「先に管理所に行って必要な物受け取るぞ」
先に立ったキアランの後をトレヴァーがついていって、二人は別荘地の入口にある大きな管理用ロッチへと立ち寄った。
ここは貸別荘という形で小さめのロッチを貸し出している。とはいえ案外立派なもので、一階は全部がリビングダイニングキッチン。露天風呂付き。リビングから二階へ階段がついていて、そこを上がると主寝室と客間が三部屋だ。
当然暖炉も立派な物があるし、家具なども備え付けである。
見たことのある管理事務所の山男に声をかけると、彼は黒い毛むくじゃらの顔をこちらへと向けて人懐っこい笑みを浮かべた。
「こりゃ、パラモールさん所の坊ちゃん! いやぁ、久しぶりですな」
「お久しぶりです。今日から二日ほど予定しているのですが」
伝えて預かっている鍵を見せると、山男はニコニコしながら頷いた。
「はいはい、確かに。もし良ければ、もっと町に近い別荘貸しましょうか? パラモールさんの借りてるところは奥だから、何かと行き来が大変でしょうし」
「いいのか?」
「かまいやしませんよ! なんせ毎年のように年契約をしてくれるお得意様ですし、今は空いておりますから。じゃあ、新しい鍵をお渡ししますね」
キアランが出した鍵はそのまま返され、山男は新しい鍵を渡してくれる。それはこの管理事務所の二つ隣の場所で、ここからでも見える位置にあった。
「作りは同じでさぁ」
「助かります」
「なんの! あと、薪はいつもの所に束で置いてあるんで運んでくだせぇ」
言いながらも山男は真新しいシーツをいくつかと、ランプや毛布といった一式を取り出して置いた。結構な荷物だ。
「それじゃ、なんかあったら呼んでくだせぇ」
荷物は当然のようにトレヴァーが持ってくれて、二人は連れだってロッチへと向かった。
ここは母ハリエットが気に入っている貸別荘だ。彼女曰く、「管理がちゃんとされていて清潔で安心」とのことだ。
それはキアランも太鼓判で、今借りたばかりのロッチだというのに中はほこり臭いなんて事はなく、とても清潔にされていた。
「綺麗ですね!」
「管理人がマメなんだよ」
暖炉には灰も落ちていないし、家具には覆いが掛けられて埃がつかないようになっている。キッチンはちゃんと掃除がされている。基本食器や調理器具は必要があれば管理事務所で借りる形になるので、そもそも置かれていない。
二階に上がり主寝室を開けると、大きめのベッドがドンと置いてあるばかりで、他には申し訳程度のクローゼットがあるばかりだ。
ベッドカバーをどけてシーツや布団、枕の類を整えても埃っぽくはないし、シーツもビシッとしている。本当に完璧な人だ。
「寝心地良さそうですね」
「あぁ。とりあえず薪を持ってきて暖を取ろう。部屋を暖めてから、町に出て温泉巡りをしないか?」
「それと、夕飯ですね」
「あぁ、そうだな」
自炊などする気がない。部屋を暖めたら町に行く予定でいる。
トレヴァーが一晩分の薪を運び込み、暖炉に火を入れる。暖かな木の温もりが伝わる室内に、炎の赤さがより染みてぬくもる感じがした。
「キア先輩、どうぞ」
「ん?」
ふわりと肩に掛けられた毛布の暖かさ。その隣に同じように毛布にくるまったトレヴァーが座る。なんだかとてもご機嫌なこいつが、肩にコツンと頭を乗せた。
「おい、動きづらいぞ」
「いいじゃないですか。甘えたいんです」
そう言われると、悪い気はしない。でも素直に喜ぶのは恥ずかしいから、目を逸らして「……なら、許す」とぶっきらぼうに言った。
二人で爆ぜる木をぼんやりと見ている。特に会話もいらない、だが穏やかな時間。まるで眠ってしまいそうな時間に、キアランは緩く笑みを浮かべていた。
「気持ちいいですね」
「そう、だな」
「キア先輩」
「なんだ?」
「ご心配、おかけしました」
大きな体が腕ごと抱きついてくる。心なしか頼りない体を、キアランは黙って受け止めている。
「俺、けっこうしんどかったみたいです」
「だろうな」
「……体の方は、辛いって程じゃなかったんだと思うんです。ただ気持ちが、勝手に自分で追い込んでいて」
ぽつぽつと話す言葉に耳を傾けて、キアランは頷く。余裕のないトレヴァーを、初めて見たように思う数週間だった。
「ウルバス様の期待に応えたいという気持ちが強かったんです。それに先輩達も、笑いながら応援してくれて。俺みたいな若輩が先輩達を飛び越えていきそうなのに、誰も妬んだりしないんですよ」
「それが逆に、プレッシャーになったか?」
「…………っす」
素直に認めて頷いたトレヴァーが、ギュッと抱きしめる腕に力を入れる。相変わらず力加減を間違えているが、今日だけは許してやる事にした。
「こんなに皆応援してくれるのに、出来ないじゃすまないって思ったら……色々悩んじゃって。そこで悩む自分もなんか、情けなくて。出来なかったらとか、引き継いだはいいけれど実力不足だったらとか。戦で負けてしまったらとか。色々考えているうちに頭の中真っ白になってしまったんです」
「考えすぎだな。もう少し進むと記憶が途切れ始めるぞ」
「え!」
「経験者は語るだ。ついでにそこで胃が痛くなったり酒が多くなったり、食べられなくなるとドクターストップがかかる」
「……経験者ですか?」
「胃に穴が開いて入院した奴の言葉だ。重いぞ」
「もう、止めて下さいよ」
とても痛い顔をして心配するトレヴァーに、キアランは笑って手を伸ばす。焦げ茶色の髪を撫でると、くすぐったそうに片眉を下げるこいつが、なんだか可愛いと思えるのだ。
「もうない。今年の健康診断は全部パスした。それに、今年は胃痛で入院する事もなかった」
「本当ですか! よかった……。って、元の状態がダメすぎますよ」
喜んだのに、次には小言だ。だがこれも心配故と分かっていると悪い気はしない。
「……誰もが、そういう恐れを抱いている。多かれ少なかれ」
「ですよね。俺、初めてランバートの根性というか、精神力の強さを感じました」
「団長なんてものをやれる人間は、大抵心臓に剛毛が生えていると俺は思っている。ランバートも同じ類だ。先輩も師団長も飛び越えて補佐などやれる奴の心臓の強さなど俺には想像できない」
「剛毛って……まぁ、今なら分からないではないです」
苦笑したトレヴァーが、次には溜息をついて瞳を閉じる。預けきった体を受け止めたまま、キアランは思っていたことを口にした。
「俺は、お前の相談相手にならなかったか?」
これが、ずっとモヤモヤしていた部分だった。
実践的な悩みなどは相談に乗れない。だが、話を聞くくらいの事は出来た。大きな戦もない一年で、キアランにも多少心の余裕があったのだから。
それとなく出していたサインに、トレヴァーは気づいていないのか、それとも無視していたのか。それは判断がつかなかったが、ずっとモヤモヤしていた。
トレヴァーはしばらく言葉がなかった。ただ、雰囲気は変わったのだ。
「なんか、かっこつけたかったんです」
「はぁ?」
「普段俺、キア先輩に休んでとか、彼氏面してたから。こんな時、頼れなかったというか。かっこ悪くて言えなかったというか……」
「おま…………そんな事でこれか」
疲れたように溜息をついたキアランはがっくりと肩を落とす。そして次には、小さな声で笑った。
「どうして笑うんです」
「いや、バカだなと思ってな」
「どうせバカですよ」
笑いは少しずつ大きくなってくる。特に、隣でふて腐れるトレヴァーを見ると余計にだ。
「若いな」
「え?」
「可愛いところがあるんだな、お前。しっかり者に見せて」
恋人にかっこ悪い姿を見せたくなくて頑張っていたのか。そう思うと、今なら許せた。
微笑んで、頭を撫でる。こいつが今はとても可愛く見える。久しぶりに年上の威厳を取り戻した気分だ。
「お前が普通だ、安心しろ。突然降りかかった事だ、戸惑いも悩みもあっていい。無理に頑張らなくていいんだよ。誰も最初から、ウルバスのような完璧さなど求めない。今は先輩の胸を借りて、泥臭く頑張れ」
「……はい」
力が抜けたようなトレヴァーが甘えて体重を乗せてくる。流石にこれを支えきれる筋力はキアランにはない。当然のように床に倒れたキアランの上に陣取ったトレヴァーが、熱を伝えるようなキスをした。
「んぅっ」
口腔を確かめるようなキスはくすぐったく疼く。その疼きが熱になって体の中を走っていく。強すぎない熱はジワジワ響いて、頭の中を浮き上がらせていく。
「キア先輩」
「はぁ……。バカ、これから出るんだろ。流石に何も食べずにはいられないぞ」
窘め、厚い胸板をググッと押すと、トレヴァーは名残惜しそうな顔をしながらもよけてくれた。
起き上がっても心臓がドキドキする。微かな熱が燻っている。もうずっとお預けを食らっているのだから、些細な事で火がつくのだ。
だが、ここで無様を悟られるのはプライドに響く。キアランは自身の変化などおくびにも出さずトレヴァーの下を抜けると背を向け、さっさと出かける準備を始めるのだった。
◇◆◇
火を小さくした状態で管理人に声をかけ、二人は町へと降りていった。
なだらかな一本道を五分ほど降りていった先にはもう温泉街特有の賑やかな声がある。空は暗くなり始め、薄闇が辺りを覆っている。
「いい匂いがしますね」
「蒸し饅頭というやつだろう。温泉の蒸気と相性がいいと、こういう所ではよく目にする」
「それ、知ってます! 前にランバートがお土産にとくれた事があります。えっと……あんこが入っているんですよね?」
「肉と野菜を細かく刻んで作った餡もあるそうだぞ。肉まんという」
「肉まん! それ、美味しそうですね」
食べる事となると途端に締まりのない顔をするトレヴァーを、キアランは内心では笑う。可愛らしく、素直な一面だ。
そしてこいつの美味しそうに食べる姿を見ると、キアラン自身も食べてみようという気持ちになってくる。実際そうして食べてみて、意外と平気なんだと思えるものもあった。
「まずは温泉に入ろう。体が冷える」
「あっ、はい」
トレヴァーを連れて、キアランは母とよく行く湯屋へと向かった。
家族が贔屓にしている湯屋はこの町の中でもかなり大きいもので、湯船があれこれある。薬草をつけたものや、柑橘をいれた湯船もある。これが意外と温まるし、匂いもいいのだ。
温泉自体は炭酸泉で、血行促進による疲労回復や局所的な疼痛に効果がある。
まずは普通にと温泉に浸かると、冷えた体が温まり直ぐに心地よくなってくる。慣れない七時間の乗馬の疲労も忘れるというものだ。
「気持ちいいですね」
「あぁ、生き返る」
「親父臭いこと言わないでくださいよ」
「お前は親父を相手にしているのか?」
何にしても今は怒りなどの負の方向に思考がいかない。全ては温泉の効能なのかもしれない。
「ここ、よく来られるのですか?」
「あぁ、母の付き添いでな。炭酸泉は疲労回復の他に肩こりや腰痛にも効く。母は針仕事の中でも、婚礼衣装にビーズを縫い止めたり、レースを編んだりを好んでやるんだ。必然的に腰痛と肩こりに年がら年中悩まされてな。一時期ここに引っ越すと言い出した事もあったくらいだ」
「そうなんですか! 厳しい仕事ですね」
「まぁ、本人の趣味が半分以上入っているからな。それに、普通の縫製の仕事もしている。ややこしい服以外もあるんだ」
「儀礼服が多いんですよね?」
「あぁ。お前も毎日着ているだろ?」
「え?」
ぱちくりとトレヴァーが目を瞬かせる。アホみたいに口が開いていて、これはこれで面白いものだ。
「お前が普段着ている制服は、家が請け負っているんだぞ」
「…………えぇぇ!!」
思いのほか大きなリアクションにキアランの方が驚いた。なんというか、隠しているつもりはないのだが。
「城の近くで働く騎士団は、一応格式が必要だ。かつ丈夫さやコストも考えなければならず、大人数の制服を作らなければならない工場などもいる。昔から儀礼服を主に手がけていた家に、白羽の矢が立ったんだ」
「でも、縫製の仕事って他にもやってる家はありますよね?」
「有名なのはアベルザードだが、あちらはもっと一般人向けの仕事をしていて儀礼服はあまり手がけていない。最新のデザインを追いかけるにはいいのだろうが」
「ベルギウス家とか……」
「それこそここ数年の話だし、あそこは全て手縫いの高級服だ。数を作るには至らない。団長達が着る式典用の服装の中で、ランバートの服だけはあいつの友人関係もあって手がけたが、それ以降はないな」
知らなかったのだろう、もの凄く呆けた顔をしている。それを見ると少しだが、してやったりと思ったりもする。
「知りませんでした。うわぁ、迂闊」
「まぁ、知らなくて支障はないからな」
「有り難いですね、ハリエットさんたち」
「まぁ、おかげで家はちゃんとやっていけているからな。持ちつ持たれつだ」
そこまで言って、キアランは立ち上がった。流石に少し温まりすぎたので、露天に移ろうと思ったのだ。
「のぼせましたか?」
「いや、まだそこまでではないが露天に……」
言って、窓の外を見ると雪がふわふわと舞っている。そう沢山降っている訳ではない、どちらかと言えば情緒のあるものだった。
「雪見風呂ですね」
「風流だな」
トレヴァーも立ち上がり、手を伸ばしてくる。それに掴まって二人、雪を見上げる露天へと足を進めたのだった。
その後、湯屋で夕食も頂き、帰り道でロッチで食べる物や酒類も買った。未だに静かな雪が降っていて、温泉で温まった体に薄らと降り積もる。
頭に被った雪を、トレヴァーが優しく払った。
「体、冷えてませんか?」
「大丈夫だ」
コートも着ているし、マフラーもしている。手袋もあるのだから簡単には冷えない。
それでも、見守るような柔らかく、少し心配そうな目は嫌いじゃない。
「……冷えたら、お前が温めろ」
「!」
小さな声で、目もまともに見られないまま、キアランは呟く。こんな小さな声でも、邪魔な音がなければ相手に伝わってしまう。温泉で温まったのとは違う熱が、頬を熱くした。
トレヴァーの大きな手がキアランの手を包む。思い過ごしでなければいつもよりも距離が近い。彼がいる側が熱く感じる位には近いのだ。
言葉はないまま、二人で手を繋いで暗い夜道を帰っていった。
ロッチについて直ぐにそういう雰囲気になるのかと思っていたが、案外そうでもない。トレヴァーがシャンパンを開けたのを見て、少し残念なような、でも安心したような気分になる。
「キア先輩も、飲みますか?」
「少しだけもらう」
借りてきた皿やグラス、カトラリーを出して買った料理をのせる。トレヴァーがグラスに半分ほどシャンパンを注いで、二人だけの乾杯をした。
「飲みやすい」
「でも、炭酸が入っているので酔いが回るのが早いですよ」
「そういうのもか」
皿に並べたスモークチーズを一口。ほんのりとするスモークの香りが好きだ。
生ハムにも手を伸ばしている間に、トレヴァーはずっと食べたがっていた肉まんにかぶりついている。実に幸せそうだ。
「美味しい!!」
子供みたいに目を丸くして輝かせているトレヴァーを見て、思わず笑ってしまう。そうしていると目の前に彼が持っている肉まんが差し出された。
「一口、どうですか?」
やんわりとした笑みと共に勧められて、気持ちが揺らぐ。夕飯を食べた直後で一つを食べきるのは無理と思い買わなかったのだが、食べたい気持ちはあったのだ。
温かい湯気がまだ出ている。遠慮がちにかぶりつくと、もちっとした生地と肉汁と野菜の味わいがじわっと口の中に広がった。
「美味い!」
「ですよね。もう一口、食べます?」
「いいのか!」
「どうぞ」
思わずもう一口。お腹はいっぱいなはずなんだが、これなら一つくらい食べられそうだ。そうなると、買わなかったのがちょっと残念になってくる。
「明日、買いに行きませんか?」
「え?」
「お昼、食べ歩きにしましょう。温泉、他にも入りたいって言っていましたし」
そうか、明日もあるんだ。
そう思うと明日が楽しみになってきて、キアランは頷いた。
お酒を適度に飲み、つまみを適度に食べて少しだけ心地よくなってくる。だからと言って酔って分からなくなるほどじゃない。程よくだ。
「キア先輩、隣……行っていいですか?」
遠慮がちな声がお伺いを立ててくる。酔っていて気も少し強くなっているキアランは少しムッとして眉を寄せた。
「トレヴァー、お前は俺のなんだ」
「恋人……です」
「恋人が隣にくるのに、お伺いを立てる必要はあるのか」
ずっと思ってはいた。トレヴァーはよく、何かをする前にキアランに意見を聞く。付き合い始めたばかりならこれも分かる。だがもう一年だ、そろそろそういう関係から一歩出てもいいはずだ。
それを言えなかったのは、関係が崩れたりギクシャクするのが嫌だったから。
トレヴァーは少しオロオロして、次にはとてもこそこそと近づいて隣に座る。一方キアランは足を組んで腕を組んで、それでいいんだと言わんばかりにふんぞり返った。
「キア先輩」
「ここは宿舎じゃない。俺はお前の先輩じゃない」
これも思っていたので、この勢いに乗っかる事にした。節度は大切だし、騎士団は上下もけっこう厳しい。無礼講の部分もあるが、普通は先輩とつけるのが自然。ここが宿舎で、互いに勤務時間中であればこのままでいい。
だが、今は宿舎ではないし、関係は恋人のはずだ。それなら、先輩などと呼ばれたくない。
「キア」
小さめの声で呼ばれた名に、ドキリとする。その後は胸の奥からこみ上げる感情があって、言葉に詰まった。
「あの」
「もう一度」
「キア、でいいですか?」
「あぁ」
なんだ、このそわそわした落ち着かない、にも関わらず浮き足立つ感じは。なんだかとても恥ずかしい。こんな、生娘みたいな反応をしている事を認めたくない。
「キア、こっちを向いて」
どういう意図かは分かった。だから気持ちを決めてトレヴァーの方へと向いた。濡れた男の顔をしていたと思う。肩に手を置かれて、触れた唇は柔らかくて心地よい。入り込む舌はくすぐったくて疼いてしまう。何度も感じて、その度に何かと押し殺した熱がジワジワと燻った。
「ぅん……ぅ……」
頭の中がぼんやりしてきた。気持ち良く痺れてくる。ぼんやりと見つめると、目尻を指の腹が拭っていった。
「ごめん、なんかもう」
「うわぁ!」
重い体がギュッと抱きしめて押し倒しにかかる。体重も筋力も差がありすぎる。あっという間にソファーに押し倒されたキアランは、首筋に濡れた舌を感じて大焦りで背中を強く叩いた。
「バカかお前は! せめてベッドでしろ!!」
一体、何週間ぶりだとおもうんだ! あまり雰囲気とか言うつもりはないが、ソファーなんて狭苦しい思いはしたくない。
「ダメですか?」
「寝室連れてけ!」
「寝室だったら、いいんですね?」
「……あぁ」
むしろ今日もないと言われたらグレてやる。
寝室についてドアを閉めて直ぐに、後ろから抱きしめる強い腕を感じて足を止めた。首筋に触れる堅めの髪が少しチクチクするが、拒むものではない。撫でてやると、犬みたいな声で鳴いた。
「すいません、俺……なんか今日、収まりつかないような気がします」
「そうだな」
しっかり尻に当たっている。そうとうガチガチだ。
だからといって拒むものでもない。ある程度望んでここにきているのだ。あのまま実家にいたらそれこそキスだけの生殺しを延々と味わう事になるだろうから、ここに誘ったのだ。
「いいんじゃないか。むしろ恋人と言うなら正しい反応だろう」
「痛かったら、ごめんなさい」
「……まぁ、ゆっくりしてくれ」
痛いのは正直嫌だが、加減されるのも嫌だ。溜息をつき、キアランは荷物の中から香油を出して枕の横に置いた。
ギシリと音がして、キアランの上にトレヴァーが陣取る。そしてもう一度、キスからやり直してくれる。こういう部分はとても律儀な奴だ。
舌が口腔をなぞり、ジワジワと疼かせていく。だがずっととろ火だ。これでは足りないんだ。
「トレヴァー、まどろっこしいのはいい」
「え?」
「ちゃんと触ってくれ。もう、何日していないと思う。お前が倒れるまで仕事したから、俺はずっとお預けだ」
恨み言の一つくらいは出るだろう。なにせキアランとしては安息日前日の度に誘っていたつもりだ。床を一緒にしたり、誘うような事を言ってみたり。なのにトレヴァーはまったく聞こえていないのか、その気力もないのか直ぐに寝てしまう。おかげでずっとモヤモヤだ。
申し訳ない顔をするトレヴァーを睨み付けたキアランが、ボタンを自ら外していく。それを見たトレヴァーは慌てて止めて、ボタンを外し始めた。
「俺のなけなしの勇気と誘いを断った代償は大きいぞ」
「すみません」
「悪いと思うなら存分に俺を満足させろ。いいな」
「でも、明日とか辛いと思いますよ?」
「明日はお前が俺の世話をすればいいだろ。それ込みだ」
だから頼む、手加減などしてくれるな。お前がしたいようにしてくれ。今だけは優しさなどいらないから。
トレヴァーは困りながらも頷いて、ボタンを全部外して前を開ける。そして薄っぺらい体を指でツツ……ッと撫でた。
「っ」
「綺麗な肌ですよね。肌理が細かくて、日焼けもしていなくて」
「なまっちょろくて薄くて、とても騎士とは思えない体だが?」
多少は気にしている。鍛えはし始めた。なにせ若い恋人は体力も精力も有り余っている。受け止めたいという気持ちはあるのだから、無理のない程度には体力をつけ始めた。おかげで少しはまともになったのだ。
だがそんなものも、目の前の恋人の体に比べればもやしだ。トレヴァーのチュニックを脱がせれば、目の前には見事な筋肉を纏う体がある。盛り上がった上腕に、厚い胸板、割れた腹筋。母と妹が興奮するのも頷けるものだ。
「お前のようには、どうしてもなれないな」
「俺は俺、キアはキアでいいと思う。それに俺、キアの体好きだよ。こうして吸うと……」
言いながら、トレヴァーがチュッと首筋を吸う。ピクリと反応してしまうが、痛かったりはしない。
「ほら、直ぐに跡がついた。肌が白いから、こういうのが目立ってエロい」
「な! お前な!」
「それに乳首も色が綺麗だし、触り心地いいし、俺からしたら最高だよ」
手が肌の上を撫でて、やわやわと乳首を摘まんだり揉んだりする。薄っぺらいそこはまだ自己主張などしていないが、ムズムズしてしまう。分かっている、これが徐々に変化していくのなんて。
これ以上見ているのはいたたまれない。もとい、恥ずかしい。眼鏡を外せば多少見えなくなると手をかけたが、その手を何故かトレヴァーが止めて、指先にキスをする。もうこんな事にすら、ちょっとゾクッとしてしまう。
「今日はつけたままでいてください」
「な!」
「見ていてください。お願いします」
羞恥で頭がパンクしそうだ。だが……しおらしくお願いされれば仕方が無い。
「わか、た」
「有難うございます」
すわっと、艶っぽく濡れた瞳で笑ったトレヴァーが、そっと体を下へとずらしていく。そして優しく、胸元に唇を寄せた。
「っ」
濡れた舌が敏感になり始めた乳首を柔らかく舐め、吸い付いてくる。もう片方は指が、やはり優しい力加減で触れてくる。ジワジワと気持ち良くなって、微熱でも出したようにクラクラし始めた。
「ほら、ここ。とても綺麗ですよ」
「っ!」
唇が離れ、唾液に濡れた乳首が照り光って見える。赤みを増してぷっくりと大きくなったそこの淫靡さは、視覚的に暴力レベルで恥ずかしい。思わず手で顔を隠すが、その手は優しく取り払われ、キスのおまけまでついた。
「恥ずかしいの、気持ちいいですよね?」
「そんなこと!」
「でも、ほら」
知らしめるように片手が下半身へと伸びて、僅かに硬くなり始めた部分を撫でる。まだ完全ではないが芯を持ち始めた部分から、とろりと透明な液が零れた。
「っ!!」
「俺は嬉しいですよ。キアの気持ちいい顔、とても可愛いと思うから」
「俺はお前よりも年上だぞ!」
「年上でも、俺にとってキアは可愛いです。こういう時は」
年上としての威厳はどこへ行ってしまったのか。だが、こういう時はそれでもいいと思えてしまう自分もいて、実に複雑だ。もう少し酒を飲んでおけば踏ん切りがついたのに。
立ち上がった乳首を舌で転がされ、指で遊ばれて。ジンジンと痺れるように気持ち良くなる頃にはキアランの頭も痺れてきた。明らかに理性よりも欲望に従い始め、それを恥ずかしいとは思えなくなってきている。
「腰、動いてますね。気持ちいいですか?」
「う、るさい……っっ」
気持ちいい。蕩けてしまいそうだ。さっさと衣服全部を脱がされ、トレヴァーも上半身は裸。その逞しい腹筋に敏感な先端が擦れて、ヌルヌルにしてしまっている。
「トレヴァー、お前も脱げ」
下半身はまだ脱いでいないが、それでもしっかり反応しているのは分かっている。
言われて、一度離れたトレヴァーが全部を脱ぎ捨てるとかなり大変な事になっていた。それを見た途端に、少し怖じ気づいて萎えた自分がいる。
「あっ、萎えないでくださいよ!」
「おま! それを俺に挿れるつもりか! 裂ける! 痛い!」
「俺も抜いてないからしかたないじゃないですか!」
だって、ない。カサが大きく張って、根元も太くて、長くて……こんなの挿れられたらきっと切れてしまう。
「無理!」
「もう、仕方が無いですね。それじゃ、一度出します」
困り果てた顔をしながら、とんでもない事をトレヴァーは言った。「はて?」と言葉を理解するよりも前にベッドに腰を下ろしたトレヴァーが、自身の逸物を握りこむ。そしてゆっくりとその手を上下し始めたのに、キアランは驚いて飛び上がった。
「っ……ふぅ……」
「っ……」
思わず見入ったまま動けなくなってしまった。恋人が目の前で自慰をしているという異常事態なのに、悩ましげに寄る眉や、上下される手の動きや、ヌラヌラと先走りで濡れる逸物とか。そういうものがとても淫靡で、目が離せなくなっている。
「そんな、見ないでくださいよ。これでも恥ずかしいんです」
「いや、だが……」
無理だ、見てしまう。そして、興奮してしまう。
互いに身に纏うものがない。キアランからトレヴァーの裸が見えるように、トレヴァーからもキアランの興奮が見える。赤い顔で下半身を凝視したトレヴァーが、そろそろと手を伸ばして先端に触れた。
「んぅぅ!」
「キアも、興奮してる」
「はぁ……あぅっ」
先端の辺りを手の平でクリクリと撫でられて興奮する。ヌチヌチと嫌らしい音がして、恥ずかしいのに興奮する。
「キア、こっち。俺の膝の上に乗って」
首を傾げながらも言われた通りに背を向けて座ったが、「違う」と言われて向かい合わせの状態で座った。そうすると互いの興奮しきったものが触れあう距離に来る。
トレヴァーはそれが目的だったのだろう。二人分の逸物を大きな手で包み込むとリズムをつけて上下し始めた。
腰が抜けてしまいそう。気持ち良くて頭の中が蕩けていく。トレヴァーの肩に額を置いて体を支えているが、そうなると思い切り局部が見えてしまう。手と、トレヴァーのものとが触れて擦れてグズグズに零れている自分のものを眼下にして、知らず後孔がキュッと切なげに反応した。
「キアも、一緒に」
「え? あっ!」
ブラブラしている片手を取られ、トレヴァーの手と重なって、その状態で二人で扱く。手でも、目でも、感覚でも犯されてこみ上げるものを我慢できなかった。ぐずぐずに蕩けた頭ではもう、抑制なんてきかない。「イク」と何度も繰り返し、ギュッと抱きついた状態でキアランは陥落した。
追いかけるようにトレヴァーもたっぷりと吐き出して、室内は二人分の荒い息だけが聞こえる。
イッた余韻に浸るキアランを、トレヴァーは丁寧にベッドに寝かせる。そして手に香油を取り、ヒクヒクしている後孔へと差し込んでいった。
「ひっ! あっ、やめ…………あぁぁ!」
「凄く、締め付けてる。それに吸い付くようで、気持ち良さそう」
そんな実況など求めていない!
頭の中がバカになったままだが、イッた衝撃で少しだが思考力が戻ってくる。ただ、何かのスイッチは入っただろう。素直に快楽を受け入れる状態になっている。
「やっぱり、一度イクと少し解れる。痛くないですか?」
「ないっ」
痛くないから早く挿れてくれ! 腹の奥がずっとウズウズしてたまらない!
一年前までは知らなかった快楽が押し寄せてくる。明らかに普通の男が感じない部分で快楽を貪るようになっている。今疼いているここを突かれたら…………想像だけでまた物欲しげに後ろが締まった。
香油でヌラヌラと照り光るそこに、トレヴァーの熱い楔が触れる。少しずつ力を入れて割りいるそれを、最初こそ痛いと感じていた。だが、内壁を擦る熱く太いものが与える快楽で塗り替えられて、それもいつしか忘れてしまった。
「はっ、あっ、あぁ!」
「食べられそう……キア、もう少し緩めて」
そんな器用な事できるか!
ふるふると涙の浮いた目を向け首を横に振ったキアランに、トレヴァーは辛そうに眉根を寄せる。
膝裏を持ち上げられ、本当に杭でも打ち込むのかという強い力で奥を抉られ、キアランの意識は一瞬飛んだ。快楽が深くてちょっと気持ち悪い。でも、癖になる。
激しく深い交わりにおかしくなりそう……いや、多分もうおかしい。さっきから口をついて出るのは「気持ちいい」「もっと」「イクぅ」という甘えた声ばかりで、他は言葉にならない喘ぎだ。
「キア、ずっとイッてますよね?」
「イッる! 止まらな……っあぁ! またイク! もう無理!」
出してないのにイキッぱなしでおかしくなりそうだ。頭の奥まで痺れて途切れそう。
「もう少し……っ! 俺も、イっ……んぅ!」
「んあぁ! はっ、あぁ!!」
腹を突き破られるんじゃないかと怖くなるくらい逞しい腰つきで攻め立てられて、キアランは二度目を放った。中でトレヴァーが脈打ちながら果てたのを感じる。それが染みてまた、じゅくじゅくと疼いている。
「キア」
気持ちよさに濡れた瞳。触れた唇と、熱い息。グチャグチャに混ざり合うようなキスが気持ち良くて好きだ。互いの愛情を混ぜ合うようで、興奮…………。
「…………おい」
「すみません」
たっぷりと吐き出して力をなくしかけたものが、また中で育つ。ジロリと睨むと、トレヴァーはもの凄く顔を赤くして項垂れた。
「あの、後は自分で!」
「そこに仰向けに寝ろ!」
急いで抜き去ったトレヴァーが逃げようとするのを、キアランは止めた。ビクッとしたトレヴァーを睨み付けると、彼は渋々と言うことを聞いた。
「あの、流石に抜かないと俺、収まりつかないんで」
「お前、俺はお前のなんだ」
「恋人、です」
「目の前に恋人がいるのに、お前は一人でこそこそ抜くのか」
「いえ、だって」
「だってもクソもあるか!」
正直腰が重いし、激しく突かれた奥がジンジンしているし、頭の中もいい具合にぶっ飛んでいる。だがこんな事、ぶっ飛んでいる時しかする勇気がないだろう。
キアランはトレヴァーを跨ぐ。そして堂々と勃っている逸物の上に自らの後孔を宛がうと、そのまま腰を落としていった。
「キア!」
「っ!!」
ゾクゾクと背中を快楽が走る。内壁を擦るこの感覚はいつでも気持ちいい。一緒に前立腺も押しつぶされていく。
既に激しく攻め立てられた部分だ、慣らしなどいらない。しかもトレヴァーが出したものが潤滑油になって滑らかに根元まで入っていく。完全に腰を落とすといつも以上に沈み込んで、普段は激しくされないと届かない最奥にまで達した。
「んぅぅ!」
「キア、気持ちだけでいいから!」
「うるさい! 俺がするから、お前はそこで喘いでろ!」
焦ったトレヴァーが止めても、いい感じにエロくバカになった頭は言うことをきかない。睨み付け、笑ったキアランは手をついて僅かに腰を持ち上げる。腰は根元まで入れた時に抜けた。
「んぅ、ふっ、あっ、はぁぁ」
腕の力と太ももの動きでどうにか小さく動いてみるが、これだけでも十分に気持ちいい。細かく中を擦る太く熱いものが、腰を落とす度に奥を突いてくる。既に腕も太ももも怠くて、腰は痺れているけれど止められない。啖呵切ったくせにプルプルしたままだ。
「キア、ごめん」
何を謝られたのだろうか?
分からないまま腰を掴まれたキアランは自分の体が浮き上がる感じに驚く。そしてそこから一気に落とされる衝撃に吐き気と快楽が混じって呻いてしまった。
「あっ、だめ……あぁぁ!」
「煽ったのそっちなんで、きけません」
「ひぅ! 深い! それ以上入らない!」
持ち上げられ、下からも突き上げられ、更に自重がかかる。コツコツと最奥をノックされる以上の部分に届いてしまいそうな恐怖に、キアランは焦った。だが、もう止まるわけもないのだ。
「――――っっ!!」
グプッと狭い部分を太く熱いものが抜けた瞬間、声にならない声が腹の底から出た。その後はカクンと体に力が入らなくなって、見えているのに訳が分からなくなった。
「っ! キア……っ!」
「あ……ぁ…………」
腹の底が熱い。焼けてしまいそうだ。
引き抜かれ、そこが妙にスースーする。内壁を伝って出されたものがポタポタ落ちてくるのは不快だが、それにすら反応ができなかった。
「ごめん、キア! あっ、えっと…………」
やり過ぎたのだろうな。ぼんやり感じた。正直体の感覚が掴めないから、指一本動かせないのだけれど。
「俺、タオル持ってきます! あっと、その前に水」
コップに水を汲んでくるが、起き上がるどころか動かない。それを見て取ったのか、そっと起き上がらせて自分に寄りかからせ、静かに飲ませてくれる。
そこは、口移しというのが定石ではないのだろうか?
それでも喉は潤った。声は出ないけれど。
「綺麗にするもの持ってきます。先、寝ていていいので」
キアランに布団を被せると、トレヴァーはバタバタいなくなってしまう。
「抱きしめて、キスだろバカが」
掠れて何を言っているのか分からないくらいの声で呟いたキアランは酷い疲れに目眩を感じて、そのまま意識を手放した。
◇◆◇
目が覚めた時、外は既に明るくなっていた。腰は重怠く、あらぬ部分が違和感しかない。声は枯れて咳き込むし、なんだか少し熱っぽい気がする。
見回してもトレヴァーはいない。それがなんだか寂しく、恨み言を言いたい気がする。だが外の様子から既に昼時だろう。こんなに寝坊しては文句も言えない。
それにしても、激しかった。思い出しても恥ずかしいくらい乱れた。いっそ記憶がない方が気楽だったのに、そうではないのが恨めしい。
そして、驚くくらい後悔がない。馬鹿な自分など大嫌いなはずなのに、痛いのも辛いのも大嫌いなはずなのに、今は清々しかった。
とりあえず起きよう。幸い体はとてもさっぱりとしている。トレヴァーが丁寧に拭いてくれたのだろう。腹も壊していない。
とりあえず上半身は起こしたのだが、そこから先が動けない。床に足をつけた途端にプルプルしている。
さて、どうしたものか。考えている間にトントントンと階段を上る音がして、ドアが開いた。少し頬を赤くしたトレヴァーが顔を覗かせ、起きているキアランを見て目を輝かせた。
「起きてましたか、キア」
「あぁ。……なんかお前、冷たい」
近づいてきたトレヴァーの体は冷気に包まれている。首を傾げると、トレヴァーはニコニコ笑った。
「買い物行ってました。キア、お腹の調子とか大丈夫ですか?」
「腰は死んでる。声はこの通りガラガラで、中がもの凄く違和感だが他は平気だ」
「うっ、すみません」
多少棘のある言い方はしたが、言うほど恨んではいない。がっくりと肩を落とすトレヴァーを見て、キアランは苦笑した。
「だが、満たされた」
「! 俺も、満たされました!」
「そう、か」
恥ずかしいが、嬉しい。こういう感情は本当に厄介で、隠したくても隠しきれない。随分と緩んだ顔になったことだろう。
「キア、お腹すいてませんか?」
「あー、そういえば」
もの凄く空腹というわけではないが、小腹は空いている。腹の辺りをさすってみると、トレヴァーがにっこりと笑った。
「買ってきたので、食べませんか?」
「あぁ」
そういえば、今日は食べ歩きと言っていたか。だがこの状態ではとても無理だ。今日休んで明日馬だ。それすらも心配になるが、騎士団の馬なので乗って帰らないわけにはいかない。
少し残念な気持ちもあって項垂れた。トレヴァーが申し訳なさそうに笑って、キアランの肩に毛布をかけてくれた。
「では、行きましょうか」
「だが、足が」
言いかけたところで背中と膝裏にトレヴァーが腕を回す。そしてあっという間に体が浮いた。
「わっ! おっ、下ろせ!!」
「あ、前よりも重いですね。でも大丈夫ですから、ちゃんと掴まっていてください」
お姫様抱っこというやつだ。そしてもの凄く怖い。そのまま部屋を出て階段の前に。落ちたら死ぬ!
「頼む、冷静になれ。俺を抱えて降りるのは危険だ」
「キアはまだ軽いから平気です。ちゃんと掴まってて下さいね」
そう言って一歩踏み出すトレヴァーの首に、キアランは抱きついてギュッと目を瞑った。不安定な体を少しでも安定させ、怖いものは見ないようにしたのだ。
トレヴァーの足取りはまったく問題なく安定している。ふらついたりしない。僅かに目を開けて、信じられず驚いた。
「はい、到着。大丈夫だったでしょ?」
「怖かった」
「信じてくださいよ。何があっても貴方だけは落としませんから」
やんわりとした笑みが近い。吸い込まれるような柔らかな瞳を見て、キアランの心臓は不覚にもドキッと鳴った。
そのままソファーに下ろされたキアランの前に水や皿が置かれる。そしてテーブルの真ん中には、まだ湯気を上げる肉まん、饅頭、焼き鳥、蒸し野菜サラダがある。
「昨日の肉まん!」
「はい。さっ、食べましょう」
わざわざこれを買いに出てくれたのだろう。そうなると昨日以上に美味しい気がする。かぶりついて染み出る肉汁の美味さに、キアランははふはふさせながらかぶりついた。
「蒸し野菜もよかったら。これ、温泉の蒸気で蒸しているらしいですよ」
「蒸してあるなら少し」
生野菜はお腹を壊すが、熱を通してあれば食べられる。味の好き嫌いではないのだ。
色鮮やかなブロッコリーに、にんじんと芋。そこに粉チーズがかかっている。それを少量皿に取り、咀嚼する。野菜の味はそのままだが、確かに熱が通っているらしく柔らかい。芋などホクホクしている。
トレヴァーは次々に食べていくキアランを見て嬉しそうに笑っている。そして、自分はキアランよりも沢山の量を食べだした。
食べ終わったらまたお姫様抱っこで風呂に。湯屋のような大きさはないが広い湯船に後ろから抱えられるような状態で座って浸かっていると、少しずつ体の怠さが取れていくような気がする。
「気持ちいい」
「本当ですね」
体を預けてもまったく問題ないトレヴァーの胸に頭を乗せたまま、キアランは息を吐いた。
「休まったか?」
「はい、とても。キアは?」
「疲れた」
恨み言のように言うと、トレヴァーが「うっ」と詰まる。それを、キアランは笑った。
「だが、よい休みだった。たまにならあんな風に、その……激しいのも、悪くない」
照れながらも本心を伝えると、途端にトレヴァーは目を輝かせる。その顔があまりに嬉しそうだったので、キアランは慌てて補足する事になった。
「たまにだ、たまに! 毎回は無理だからな!」
「分かっていますよ」
あんなおかしくなるほど気持ち良くされたら、きっとずっとバカになってしまう。それは困るので、本当に時々でお願いしたい。
幸せな休日はのんびりと過ぎていくのだった。
目の前には温泉の湯気が白く立つ、賑やかな町が見える。小さいがあちこちに日帰りの湯屋や、温泉宿がある田舎町。ここから少し山側へ行った所に、別荘地がある。
「温かそう。早く温泉入りたいですね」
「まったくだ」
通常五時間だが、雪の影響で二時間ほど余計にかかった。体が芯から冷えている感じがして、思わずブルッと震えた。
「先に管理所に行って必要な物受け取るぞ」
先に立ったキアランの後をトレヴァーがついていって、二人は別荘地の入口にある大きな管理用ロッチへと立ち寄った。
ここは貸別荘という形で小さめのロッチを貸し出している。とはいえ案外立派なもので、一階は全部がリビングダイニングキッチン。露天風呂付き。リビングから二階へ階段がついていて、そこを上がると主寝室と客間が三部屋だ。
当然暖炉も立派な物があるし、家具なども備え付けである。
見たことのある管理事務所の山男に声をかけると、彼は黒い毛むくじゃらの顔をこちらへと向けて人懐っこい笑みを浮かべた。
「こりゃ、パラモールさん所の坊ちゃん! いやぁ、久しぶりですな」
「お久しぶりです。今日から二日ほど予定しているのですが」
伝えて預かっている鍵を見せると、山男はニコニコしながら頷いた。
「はいはい、確かに。もし良ければ、もっと町に近い別荘貸しましょうか? パラモールさんの借りてるところは奥だから、何かと行き来が大変でしょうし」
「いいのか?」
「かまいやしませんよ! なんせ毎年のように年契約をしてくれるお得意様ですし、今は空いておりますから。じゃあ、新しい鍵をお渡ししますね」
キアランが出した鍵はそのまま返され、山男は新しい鍵を渡してくれる。それはこの管理事務所の二つ隣の場所で、ここからでも見える位置にあった。
「作りは同じでさぁ」
「助かります」
「なんの! あと、薪はいつもの所に束で置いてあるんで運んでくだせぇ」
言いながらも山男は真新しいシーツをいくつかと、ランプや毛布といった一式を取り出して置いた。結構な荷物だ。
「それじゃ、なんかあったら呼んでくだせぇ」
荷物は当然のようにトレヴァーが持ってくれて、二人は連れだってロッチへと向かった。
ここは母ハリエットが気に入っている貸別荘だ。彼女曰く、「管理がちゃんとされていて清潔で安心」とのことだ。
それはキアランも太鼓判で、今借りたばかりのロッチだというのに中はほこり臭いなんて事はなく、とても清潔にされていた。
「綺麗ですね!」
「管理人がマメなんだよ」
暖炉には灰も落ちていないし、家具には覆いが掛けられて埃がつかないようになっている。キッチンはちゃんと掃除がされている。基本食器や調理器具は必要があれば管理事務所で借りる形になるので、そもそも置かれていない。
二階に上がり主寝室を開けると、大きめのベッドがドンと置いてあるばかりで、他には申し訳程度のクローゼットがあるばかりだ。
ベッドカバーをどけてシーツや布団、枕の類を整えても埃っぽくはないし、シーツもビシッとしている。本当に完璧な人だ。
「寝心地良さそうですね」
「あぁ。とりあえず薪を持ってきて暖を取ろう。部屋を暖めてから、町に出て温泉巡りをしないか?」
「それと、夕飯ですね」
「あぁ、そうだな」
自炊などする気がない。部屋を暖めたら町に行く予定でいる。
トレヴァーが一晩分の薪を運び込み、暖炉に火を入れる。暖かな木の温もりが伝わる室内に、炎の赤さがより染みてぬくもる感じがした。
「キア先輩、どうぞ」
「ん?」
ふわりと肩に掛けられた毛布の暖かさ。その隣に同じように毛布にくるまったトレヴァーが座る。なんだかとてもご機嫌なこいつが、肩にコツンと頭を乗せた。
「おい、動きづらいぞ」
「いいじゃないですか。甘えたいんです」
そう言われると、悪い気はしない。でも素直に喜ぶのは恥ずかしいから、目を逸らして「……なら、許す」とぶっきらぼうに言った。
二人で爆ぜる木をぼんやりと見ている。特に会話もいらない、だが穏やかな時間。まるで眠ってしまいそうな時間に、キアランは緩く笑みを浮かべていた。
「気持ちいいですね」
「そう、だな」
「キア先輩」
「なんだ?」
「ご心配、おかけしました」
大きな体が腕ごと抱きついてくる。心なしか頼りない体を、キアランは黙って受け止めている。
「俺、けっこうしんどかったみたいです」
「だろうな」
「……体の方は、辛いって程じゃなかったんだと思うんです。ただ気持ちが、勝手に自分で追い込んでいて」
ぽつぽつと話す言葉に耳を傾けて、キアランは頷く。余裕のないトレヴァーを、初めて見たように思う数週間だった。
「ウルバス様の期待に応えたいという気持ちが強かったんです。それに先輩達も、笑いながら応援してくれて。俺みたいな若輩が先輩達を飛び越えていきそうなのに、誰も妬んだりしないんですよ」
「それが逆に、プレッシャーになったか?」
「…………っす」
素直に認めて頷いたトレヴァーが、ギュッと抱きしめる腕に力を入れる。相変わらず力加減を間違えているが、今日だけは許してやる事にした。
「こんなに皆応援してくれるのに、出来ないじゃすまないって思ったら……色々悩んじゃって。そこで悩む自分もなんか、情けなくて。出来なかったらとか、引き継いだはいいけれど実力不足だったらとか。戦で負けてしまったらとか。色々考えているうちに頭の中真っ白になってしまったんです」
「考えすぎだな。もう少し進むと記憶が途切れ始めるぞ」
「え!」
「経験者は語るだ。ついでにそこで胃が痛くなったり酒が多くなったり、食べられなくなるとドクターストップがかかる」
「……経験者ですか?」
「胃に穴が開いて入院した奴の言葉だ。重いぞ」
「もう、止めて下さいよ」
とても痛い顔をして心配するトレヴァーに、キアランは笑って手を伸ばす。焦げ茶色の髪を撫でると、くすぐったそうに片眉を下げるこいつが、なんだか可愛いと思えるのだ。
「もうない。今年の健康診断は全部パスした。それに、今年は胃痛で入院する事もなかった」
「本当ですか! よかった……。って、元の状態がダメすぎますよ」
喜んだのに、次には小言だ。だがこれも心配故と分かっていると悪い気はしない。
「……誰もが、そういう恐れを抱いている。多かれ少なかれ」
「ですよね。俺、初めてランバートの根性というか、精神力の強さを感じました」
「団長なんてものをやれる人間は、大抵心臓に剛毛が生えていると俺は思っている。ランバートも同じ類だ。先輩も師団長も飛び越えて補佐などやれる奴の心臓の強さなど俺には想像できない」
「剛毛って……まぁ、今なら分からないではないです」
苦笑したトレヴァーが、次には溜息をついて瞳を閉じる。預けきった体を受け止めたまま、キアランは思っていたことを口にした。
「俺は、お前の相談相手にならなかったか?」
これが、ずっとモヤモヤしていた部分だった。
実践的な悩みなどは相談に乗れない。だが、話を聞くくらいの事は出来た。大きな戦もない一年で、キアランにも多少心の余裕があったのだから。
それとなく出していたサインに、トレヴァーは気づいていないのか、それとも無視していたのか。それは判断がつかなかったが、ずっとモヤモヤしていた。
トレヴァーはしばらく言葉がなかった。ただ、雰囲気は変わったのだ。
「なんか、かっこつけたかったんです」
「はぁ?」
「普段俺、キア先輩に休んでとか、彼氏面してたから。こんな時、頼れなかったというか。かっこ悪くて言えなかったというか……」
「おま…………そんな事でこれか」
疲れたように溜息をついたキアランはがっくりと肩を落とす。そして次には、小さな声で笑った。
「どうして笑うんです」
「いや、バカだなと思ってな」
「どうせバカですよ」
笑いは少しずつ大きくなってくる。特に、隣でふて腐れるトレヴァーを見ると余計にだ。
「若いな」
「え?」
「可愛いところがあるんだな、お前。しっかり者に見せて」
恋人にかっこ悪い姿を見せたくなくて頑張っていたのか。そう思うと、今なら許せた。
微笑んで、頭を撫でる。こいつが今はとても可愛く見える。久しぶりに年上の威厳を取り戻した気分だ。
「お前が普通だ、安心しろ。突然降りかかった事だ、戸惑いも悩みもあっていい。無理に頑張らなくていいんだよ。誰も最初から、ウルバスのような完璧さなど求めない。今は先輩の胸を借りて、泥臭く頑張れ」
「……はい」
力が抜けたようなトレヴァーが甘えて体重を乗せてくる。流石にこれを支えきれる筋力はキアランにはない。当然のように床に倒れたキアランの上に陣取ったトレヴァーが、熱を伝えるようなキスをした。
「んぅっ」
口腔を確かめるようなキスはくすぐったく疼く。その疼きが熱になって体の中を走っていく。強すぎない熱はジワジワ響いて、頭の中を浮き上がらせていく。
「キア先輩」
「はぁ……。バカ、これから出るんだろ。流石に何も食べずにはいられないぞ」
窘め、厚い胸板をググッと押すと、トレヴァーは名残惜しそうな顔をしながらもよけてくれた。
起き上がっても心臓がドキドキする。微かな熱が燻っている。もうずっとお預けを食らっているのだから、些細な事で火がつくのだ。
だが、ここで無様を悟られるのはプライドに響く。キアランは自身の変化などおくびにも出さずトレヴァーの下を抜けると背を向け、さっさと出かける準備を始めるのだった。
◇◆◇
火を小さくした状態で管理人に声をかけ、二人は町へと降りていった。
なだらかな一本道を五分ほど降りていった先にはもう温泉街特有の賑やかな声がある。空は暗くなり始め、薄闇が辺りを覆っている。
「いい匂いがしますね」
「蒸し饅頭というやつだろう。温泉の蒸気と相性がいいと、こういう所ではよく目にする」
「それ、知ってます! 前にランバートがお土産にとくれた事があります。えっと……あんこが入っているんですよね?」
「肉と野菜を細かく刻んで作った餡もあるそうだぞ。肉まんという」
「肉まん! それ、美味しそうですね」
食べる事となると途端に締まりのない顔をするトレヴァーを、キアランは内心では笑う。可愛らしく、素直な一面だ。
そしてこいつの美味しそうに食べる姿を見ると、キアラン自身も食べてみようという気持ちになってくる。実際そうして食べてみて、意外と平気なんだと思えるものもあった。
「まずは温泉に入ろう。体が冷える」
「あっ、はい」
トレヴァーを連れて、キアランは母とよく行く湯屋へと向かった。
家族が贔屓にしている湯屋はこの町の中でもかなり大きいもので、湯船があれこれある。薬草をつけたものや、柑橘をいれた湯船もある。これが意外と温まるし、匂いもいいのだ。
温泉自体は炭酸泉で、血行促進による疲労回復や局所的な疼痛に効果がある。
まずは普通にと温泉に浸かると、冷えた体が温まり直ぐに心地よくなってくる。慣れない七時間の乗馬の疲労も忘れるというものだ。
「気持ちいいですね」
「あぁ、生き返る」
「親父臭いこと言わないでくださいよ」
「お前は親父を相手にしているのか?」
何にしても今は怒りなどの負の方向に思考がいかない。全ては温泉の効能なのかもしれない。
「ここ、よく来られるのですか?」
「あぁ、母の付き添いでな。炭酸泉は疲労回復の他に肩こりや腰痛にも効く。母は針仕事の中でも、婚礼衣装にビーズを縫い止めたり、レースを編んだりを好んでやるんだ。必然的に腰痛と肩こりに年がら年中悩まされてな。一時期ここに引っ越すと言い出した事もあったくらいだ」
「そうなんですか! 厳しい仕事ですね」
「まぁ、本人の趣味が半分以上入っているからな。それに、普通の縫製の仕事もしている。ややこしい服以外もあるんだ」
「儀礼服が多いんですよね?」
「あぁ。お前も毎日着ているだろ?」
「え?」
ぱちくりとトレヴァーが目を瞬かせる。アホみたいに口が開いていて、これはこれで面白いものだ。
「お前が普段着ている制服は、家が請け負っているんだぞ」
「…………えぇぇ!!」
思いのほか大きなリアクションにキアランの方が驚いた。なんというか、隠しているつもりはないのだが。
「城の近くで働く騎士団は、一応格式が必要だ。かつ丈夫さやコストも考えなければならず、大人数の制服を作らなければならない工場などもいる。昔から儀礼服を主に手がけていた家に、白羽の矢が立ったんだ」
「でも、縫製の仕事って他にもやってる家はありますよね?」
「有名なのはアベルザードだが、あちらはもっと一般人向けの仕事をしていて儀礼服はあまり手がけていない。最新のデザインを追いかけるにはいいのだろうが」
「ベルギウス家とか……」
「それこそここ数年の話だし、あそこは全て手縫いの高級服だ。数を作るには至らない。団長達が着る式典用の服装の中で、ランバートの服だけはあいつの友人関係もあって手がけたが、それ以降はないな」
知らなかったのだろう、もの凄く呆けた顔をしている。それを見ると少しだが、してやったりと思ったりもする。
「知りませんでした。うわぁ、迂闊」
「まぁ、知らなくて支障はないからな」
「有り難いですね、ハリエットさんたち」
「まぁ、おかげで家はちゃんとやっていけているからな。持ちつ持たれつだ」
そこまで言って、キアランは立ち上がった。流石に少し温まりすぎたので、露天に移ろうと思ったのだ。
「のぼせましたか?」
「いや、まだそこまでではないが露天に……」
言って、窓の外を見ると雪がふわふわと舞っている。そう沢山降っている訳ではない、どちらかと言えば情緒のあるものだった。
「雪見風呂ですね」
「風流だな」
トレヴァーも立ち上がり、手を伸ばしてくる。それに掴まって二人、雪を見上げる露天へと足を進めたのだった。
その後、湯屋で夕食も頂き、帰り道でロッチで食べる物や酒類も買った。未だに静かな雪が降っていて、温泉で温まった体に薄らと降り積もる。
頭に被った雪を、トレヴァーが優しく払った。
「体、冷えてませんか?」
「大丈夫だ」
コートも着ているし、マフラーもしている。手袋もあるのだから簡単には冷えない。
それでも、見守るような柔らかく、少し心配そうな目は嫌いじゃない。
「……冷えたら、お前が温めろ」
「!」
小さな声で、目もまともに見られないまま、キアランは呟く。こんな小さな声でも、邪魔な音がなければ相手に伝わってしまう。温泉で温まったのとは違う熱が、頬を熱くした。
トレヴァーの大きな手がキアランの手を包む。思い過ごしでなければいつもよりも距離が近い。彼がいる側が熱く感じる位には近いのだ。
言葉はないまま、二人で手を繋いで暗い夜道を帰っていった。
ロッチについて直ぐにそういう雰囲気になるのかと思っていたが、案外そうでもない。トレヴァーがシャンパンを開けたのを見て、少し残念なような、でも安心したような気分になる。
「キア先輩も、飲みますか?」
「少しだけもらう」
借りてきた皿やグラス、カトラリーを出して買った料理をのせる。トレヴァーがグラスに半分ほどシャンパンを注いで、二人だけの乾杯をした。
「飲みやすい」
「でも、炭酸が入っているので酔いが回るのが早いですよ」
「そういうのもか」
皿に並べたスモークチーズを一口。ほんのりとするスモークの香りが好きだ。
生ハムにも手を伸ばしている間に、トレヴァーはずっと食べたがっていた肉まんにかぶりついている。実に幸せそうだ。
「美味しい!!」
子供みたいに目を丸くして輝かせているトレヴァーを見て、思わず笑ってしまう。そうしていると目の前に彼が持っている肉まんが差し出された。
「一口、どうですか?」
やんわりとした笑みと共に勧められて、気持ちが揺らぐ。夕飯を食べた直後で一つを食べきるのは無理と思い買わなかったのだが、食べたい気持ちはあったのだ。
温かい湯気がまだ出ている。遠慮がちにかぶりつくと、もちっとした生地と肉汁と野菜の味わいがじわっと口の中に広がった。
「美味い!」
「ですよね。もう一口、食べます?」
「いいのか!」
「どうぞ」
思わずもう一口。お腹はいっぱいなはずなんだが、これなら一つくらい食べられそうだ。そうなると、買わなかったのがちょっと残念になってくる。
「明日、買いに行きませんか?」
「え?」
「お昼、食べ歩きにしましょう。温泉、他にも入りたいって言っていましたし」
そうか、明日もあるんだ。
そう思うと明日が楽しみになってきて、キアランは頷いた。
お酒を適度に飲み、つまみを適度に食べて少しだけ心地よくなってくる。だからと言って酔って分からなくなるほどじゃない。程よくだ。
「キア先輩、隣……行っていいですか?」
遠慮がちな声がお伺いを立ててくる。酔っていて気も少し強くなっているキアランは少しムッとして眉を寄せた。
「トレヴァー、お前は俺のなんだ」
「恋人……です」
「恋人が隣にくるのに、お伺いを立てる必要はあるのか」
ずっと思ってはいた。トレヴァーはよく、何かをする前にキアランに意見を聞く。付き合い始めたばかりならこれも分かる。だがもう一年だ、そろそろそういう関係から一歩出てもいいはずだ。
それを言えなかったのは、関係が崩れたりギクシャクするのが嫌だったから。
トレヴァーは少しオロオロして、次にはとてもこそこそと近づいて隣に座る。一方キアランは足を組んで腕を組んで、それでいいんだと言わんばかりにふんぞり返った。
「キア先輩」
「ここは宿舎じゃない。俺はお前の先輩じゃない」
これも思っていたので、この勢いに乗っかる事にした。節度は大切だし、騎士団は上下もけっこう厳しい。無礼講の部分もあるが、普通は先輩とつけるのが自然。ここが宿舎で、互いに勤務時間中であればこのままでいい。
だが、今は宿舎ではないし、関係は恋人のはずだ。それなら、先輩などと呼ばれたくない。
「キア」
小さめの声で呼ばれた名に、ドキリとする。その後は胸の奥からこみ上げる感情があって、言葉に詰まった。
「あの」
「もう一度」
「キア、でいいですか?」
「あぁ」
なんだ、このそわそわした落ち着かない、にも関わらず浮き足立つ感じは。なんだかとても恥ずかしい。こんな、生娘みたいな反応をしている事を認めたくない。
「キア、こっちを向いて」
どういう意図かは分かった。だから気持ちを決めてトレヴァーの方へと向いた。濡れた男の顔をしていたと思う。肩に手を置かれて、触れた唇は柔らかくて心地よい。入り込む舌はくすぐったくて疼いてしまう。何度も感じて、その度に何かと押し殺した熱がジワジワと燻った。
「ぅん……ぅ……」
頭の中がぼんやりしてきた。気持ち良く痺れてくる。ぼんやりと見つめると、目尻を指の腹が拭っていった。
「ごめん、なんかもう」
「うわぁ!」
重い体がギュッと抱きしめて押し倒しにかかる。体重も筋力も差がありすぎる。あっという間にソファーに押し倒されたキアランは、首筋に濡れた舌を感じて大焦りで背中を強く叩いた。
「バカかお前は! せめてベッドでしろ!!」
一体、何週間ぶりだとおもうんだ! あまり雰囲気とか言うつもりはないが、ソファーなんて狭苦しい思いはしたくない。
「ダメですか?」
「寝室連れてけ!」
「寝室だったら、いいんですね?」
「……あぁ」
むしろ今日もないと言われたらグレてやる。
寝室についてドアを閉めて直ぐに、後ろから抱きしめる強い腕を感じて足を止めた。首筋に触れる堅めの髪が少しチクチクするが、拒むものではない。撫でてやると、犬みたいな声で鳴いた。
「すいません、俺……なんか今日、収まりつかないような気がします」
「そうだな」
しっかり尻に当たっている。そうとうガチガチだ。
だからといって拒むものでもない。ある程度望んでここにきているのだ。あのまま実家にいたらそれこそキスだけの生殺しを延々と味わう事になるだろうから、ここに誘ったのだ。
「いいんじゃないか。むしろ恋人と言うなら正しい反応だろう」
「痛かったら、ごめんなさい」
「……まぁ、ゆっくりしてくれ」
痛いのは正直嫌だが、加減されるのも嫌だ。溜息をつき、キアランは荷物の中から香油を出して枕の横に置いた。
ギシリと音がして、キアランの上にトレヴァーが陣取る。そしてもう一度、キスからやり直してくれる。こういう部分はとても律儀な奴だ。
舌が口腔をなぞり、ジワジワと疼かせていく。だがずっととろ火だ。これでは足りないんだ。
「トレヴァー、まどろっこしいのはいい」
「え?」
「ちゃんと触ってくれ。もう、何日していないと思う。お前が倒れるまで仕事したから、俺はずっとお預けだ」
恨み言の一つくらいは出るだろう。なにせキアランとしては安息日前日の度に誘っていたつもりだ。床を一緒にしたり、誘うような事を言ってみたり。なのにトレヴァーはまったく聞こえていないのか、その気力もないのか直ぐに寝てしまう。おかげでずっとモヤモヤだ。
申し訳ない顔をするトレヴァーを睨み付けたキアランが、ボタンを自ら外していく。それを見たトレヴァーは慌てて止めて、ボタンを外し始めた。
「俺のなけなしの勇気と誘いを断った代償は大きいぞ」
「すみません」
「悪いと思うなら存分に俺を満足させろ。いいな」
「でも、明日とか辛いと思いますよ?」
「明日はお前が俺の世話をすればいいだろ。それ込みだ」
だから頼む、手加減などしてくれるな。お前がしたいようにしてくれ。今だけは優しさなどいらないから。
トレヴァーは困りながらも頷いて、ボタンを全部外して前を開ける。そして薄っぺらい体を指でツツ……ッと撫でた。
「っ」
「綺麗な肌ですよね。肌理が細かくて、日焼けもしていなくて」
「なまっちょろくて薄くて、とても騎士とは思えない体だが?」
多少は気にしている。鍛えはし始めた。なにせ若い恋人は体力も精力も有り余っている。受け止めたいという気持ちはあるのだから、無理のない程度には体力をつけ始めた。おかげで少しはまともになったのだ。
だがそんなものも、目の前の恋人の体に比べればもやしだ。トレヴァーのチュニックを脱がせれば、目の前には見事な筋肉を纏う体がある。盛り上がった上腕に、厚い胸板、割れた腹筋。母と妹が興奮するのも頷けるものだ。
「お前のようには、どうしてもなれないな」
「俺は俺、キアはキアでいいと思う。それに俺、キアの体好きだよ。こうして吸うと……」
言いながら、トレヴァーがチュッと首筋を吸う。ピクリと反応してしまうが、痛かったりはしない。
「ほら、直ぐに跡がついた。肌が白いから、こういうのが目立ってエロい」
「な! お前な!」
「それに乳首も色が綺麗だし、触り心地いいし、俺からしたら最高だよ」
手が肌の上を撫でて、やわやわと乳首を摘まんだり揉んだりする。薄っぺらいそこはまだ自己主張などしていないが、ムズムズしてしまう。分かっている、これが徐々に変化していくのなんて。
これ以上見ているのはいたたまれない。もとい、恥ずかしい。眼鏡を外せば多少見えなくなると手をかけたが、その手を何故かトレヴァーが止めて、指先にキスをする。もうこんな事にすら、ちょっとゾクッとしてしまう。
「今日はつけたままでいてください」
「な!」
「見ていてください。お願いします」
羞恥で頭がパンクしそうだ。だが……しおらしくお願いされれば仕方が無い。
「わか、た」
「有難うございます」
すわっと、艶っぽく濡れた瞳で笑ったトレヴァーが、そっと体を下へとずらしていく。そして優しく、胸元に唇を寄せた。
「っ」
濡れた舌が敏感になり始めた乳首を柔らかく舐め、吸い付いてくる。もう片方は指が、やはり優しい力加減で触れてくる。ジワジワと気持ち良くなって、微熱でも出したようにクラクラし始めた。
「ほら、ここ。とても綺麗ですよ」
「っ!」
唇が離れ、唾液に濡れた乳首が照り光って見える。赤みを増してぷっくりと大きくなったそこの淫靡さは、視覚的に暴力レベルで恥ずかしい。思わず手で顔を隠すが、その手は優しく取り払われ、キスのおまけまでついた。
「恥ずかしいの、気持ちいいですよね?」
「そんなこと!」
「でも、ほら」
知らしめるように片手が下半身へと伸びて、僅かに硬くなり始めた部分を撫でる。まだ完全ではないが芯を持ち始めた部分から、とろりと透明な液が零れた。
「っ!!」
「俺は嬉しいですよ。キアの気持ちいい顔、とても可愛いと思うから」
「俺はお前よりも年上だぞ!」
「年上でも、俺にとってキアは可愛いです。こういう時は」
年上としての威厳はどこへ行ってしまったのか。だが、こういう時はそれでもいいと思えてしまう自分もいて、実に複雑だ。もう少し酒を飲んでおけば踏ん切りがついたのに。
立ち上がった乳首を舌で転がされ、指で遊ばれて。ジンジンと痺れるように気持ち良くなる頃にはキアランの頭も痺れてきた。明らかに理性よりも欲望に従い始め、それを恥ずかしいとは思えなくなってきている。
「腰、動いてますね。気持ちいいですか?」
「う、るさい……っっ」
気持ちいい。蕩けてしまいそうだ。さっさと衣服全部を脱がされ、トレヴァーも上半身は裸。その逞しい腹筋に敏感な先端が擦れて、ヌルヌルにしてしまっている。
「トレヴァー、お前も脱げ」
下半身はまだ脱いでいないが、それでもしっかり反応しているのは分かっている。
言われて、一度離れたトレヴァーが全部を脱ぎ捨てるとかなり大変な事になっていた。それを見た途端に、少し怖じ気づいて萎えた自分がいる。
「あっ、萎えないでくださいよ!」
「おま! それを俺に挿れるつもりか! 裂ける! 痛い!」
「俺も抜いてないからしかたないじゃないですか!」
だって、ない。カサが大きく張って、根元も太くて、長くて……こんなの挿れられたらきっと切れてしまう。
「無理!」
「もう、仕方が無いですね。それじゃ、一度出します」
困り果てた顔をしながら、とんでもない事をトレヴァーは言った。「はて?」と言葉を理解するよりも前にベッドに腰を下ろしたトレヴァーが、自身の逸物を握りこむ。そしてゆっくりとその手を上下し始めたのに、キアランは驚いて飛び上がった。
「っ……ふぅ……」
「っ……」
思わず見入ったまま動けなくなってしまった。恋人が目の前で自慰をしているという異常事態なのに、悩ましげに寄る眉や、上下される手の動きや、ヌラヌラと先走りで濡れる逸物とか。そういうものがとても淫靡で、目が離せなくなっている。
「そんな、見ないでくださいよ。これでも恥ずかしいんです」
「いや、だが……」
無理だ、見てしまう。そして、興奮してしまう。
互いに身に纏うものがない。キアランからトレヴァーの裸が見えるように、トレヴァーからもキアランの興奮が見える。赤い顔で下半身を凝視したトレヴァーが、そろそろと手を伸ばして先端に触れた。
「んぅぅ!」
「キアも、興奮してる」
「はぁ……あぅっ」
先端の辺りを手の平でクリクリと撫でられて興奮する。ヌチヌチと嫌らしい音がして、恥ずかしいのに興奮する。
「キア、こっち。俺の膝の上に乗って」
首を傾げながらも言われた通りに背を向けて座ったが、「違う」と言われて向かい合わせの状態で座った。そうすると互いの興奮しきったものが触れあう距離に来る。
トレヴァーはそれが目的だったのだろう。二人分の逸物を大きな手で包み込むとリズムをつけて上下し始めた。
腰が抜けてしまいそう。気持ち良くて頭の中が蕩けていく。トレヴァーの肩に額を置いて体を支えているが、そうなると思い切り局部が見えてしまう。手と、トレヴァーのものとが触れて擦れてグズグズに零れている自分のものを眼下にして、知らず後孔がキュッと切なげに反応した。
「キアも、一緒に」
「え? あっ!」
ブラブラしている片手を取られ、トレヴァーの手と重なって、その状態で二人で扱く。手でも、目でも、感覚でも犯されてこみ上げるものを我慢できなかった。ぐずぐずに蕩けた頭ではもう、抑制なんてきかない。「イク」と何度も繰り返し、ギュッと抱きついた状態でキアランは陥落した。
追いかけるようにトレヴァーもたっぷりと吐き出して、室内は二人分の荒い息だけが聞こえる。
イッた余韻に浸るキアランを、トレヴァーは丁寧にベッドに寝かせる。そして手に香油を取り、ヒクヒクしている後孔へと差し込んでいった。
「ひっ! あっ、やめ…………あぁぁ!」
「凄く、締め付けてる。それに吸い付くようで、気持ち良さそう」
そんな実況など求めていない!
頭の中がバカになったままだが、イッた衝撃で少しだが思考力が戻ってくる。ただ、何かのスイッチは入っただろう。素直に快楽を受け入れる状態になっている。
「やっぱり、一度イクと少し解れる。痛くないですか?」
「ないっ」
痛くないから早く挿れてくれ! 腹の奥がずっとウズウズしてたまらない!
一年前までは知らなかった快楽が押し寄せてくる。明らかに普通の男が感じない部分で快楽を貪るようになっている。今疼いているここを突かれたら…………想像だけでまた物欲しげに後ろが締まった。
香油でヌラヌラと照り光るそこに、トレヴァーの熱い楔が触れる。少しずつ力を入れて割りいるそれを、最初こそ痛いと感じていた。だが、内壁を擦る熱く太いものが与える快楽で塗り替えられて、それもいつしか忘れてしまった。
「はっ、あっ、あぁ!」
「食べられそう……キア、もう少し緩めて」
そんな器用な事できるか!
ふるふると涙の浮いた目を向け首を横に振ったキアランに、トレヴァーは辛そうに眉根を寄せる。
膝裏を持ち上げられ、本当に杭でも打ち込むのかという強い力で奥を抉られ、キアランの意識は一瞬飛んだ。快楽が深くてちょっと気持ち悪い。でも、癖になる。
激しく深い交わりにおかしくなりそう……いや、多分もうおかしい。さっきから口をついて出るのは「気持ちいい」「もっと」「イクぅ」という甘えた声ばかりで、他は言葉にならない喘ぎだ。
「キア、ずっとイッてますよね?」
「イッる! 止まらな……っあぁ! またイク! もう無理!」
出してないのにイキッぱなしでおかしくなりそうだ。頭の奥まで痺れて途切れそう。
「もう少し……っ! 俺も、イっ……んぅ!」
「んあぁ! はっ、あぁ!!」
腹を突き破られるんじゃないかと怖くなるくらい逞しい腰つきで攻め立てられて、キアランは二度目を放った。中でトレヴァーが脈打ちながら果てたのを感じる。それが染みてまた、じゅくじゅくと疼いている。
「キア」
気持ちよさに濡れた瞳。触れた唇と、熱い息。グチャグチャに混ざり合うようなキスが気持ち良くて好きだ。互いの愛情を混ぜ合うようで、興奮…………。
「…………おい」
「すみません」
たっぷりと吐き出して力をなくしかけたものが、また中で育つ。ジロリと睨むと、トレヴァーはもの凄く顔を赤くして項垂れた。
「あの、後は自分で!」
「そこに仰向けに寝ろ!」
急いで抜き去ったトレヴァーが逃げようとするのを、キアランは止めた。ビクッとしたトレヴァーを睨み付けると、彼は渋々と言うことを聞いた。
「あの、流石に抜かないと俺、収まりつかないんで」
「お前、俺はお前のなんだ」
「恋人、です」
「目の前に恋人がいるのに、お前は一人でこそこそ抜くのか」
「いえ、だって」
「だってもクソもあるか!」
正直腰が重いし、激しく突かれた奥がジンジンしているし、頭の中もいい具合にぶっ飛んでいる。だがこんな事、ぶっ飛んでいる時しかする勇気がないだろう。
キアランはトレヴァーを跨ぐ。そして堂々と勃っている逸物の上に自らの後孔を宛がうと、そのまま腰を落としていった。
「キア!」
「っ!!」
ゾクゾクと背中を快楽が走る。内壁を擦るこの感覚はいつでも気持ちいい。一緒に前立腺も押しつぶされていく。
既に激しく攻め立てられた部分だ、慣らしなどいらない。しかもトレヴァーが出したものが潤滑油になって滑らかに根元まで入っていく。完全に腰を落とすといつも以上に沈み込んで、普段は激しくされないと届かない最奥にまで達した。
「んぅぅ!」
「キア、気持ちだけでいいから!」
「うるさい! 俺がするから、お前はそこで喘いでろ!」
焦ったトレヴァーが止めても、いい感じにエロくバカになった頭は言うことをきかない。睨み付け、笑ったキアランは手をついて僅かに腰を持ち上げる。腰は根元まで入れた時に抜けた。
「んぅ、ふっ、あっ、はぁぁ」
腕の力と太ももの動きでどうにか小さく動いてみるが、これだけでも十分に気持ちいい。細かく中を擦る太く熱いものが、腰を落とす度に奥を突いてくる。既に腕も太ももも怠くて、腰は痺れているけれど止められない。啖呵切ったくせにプルプルしたままだ。
「キア、ごめん」
何を謝られたのだろうか?
分からないまま腰を掴まれたキアランは自分の体が浮き上がる感じに驚く。そしてそこから一気に落とされる衝撃に吐き気と快楽が混じって呻いてしまった。
「あっ、だめ……あぁぁ!」
「煽ったのそっちなんで、きけません」
「ひぅ! 深い! それ以上入らない!」
持ち上げられ、下からも突き上げられ、更に自重がかかる。コツコツと最奥をノックされる以上の部分に届いてしまいそうな恐怖に、キアランは焦った。だが、もう止まるわけもないのだ。
「――――っっ!!」
グプッと狭い部分を太く熱いものが抜けた瞬間、声にならない声が腹の底から出た。その後はカクンと体に力が入らなくなって、見えているのに訳が分からなくなった。
「っ! キア……っ!」
「あ……ぁ…………」
腹の底が熱い。焼けてしまいそうだ。
引き抜かれ、そこが妙にスースーする。内壁を伝って出されたものがポタポタ落ちてくるのは不快だが、それにすら反応ができなかった。
「ごめん、キア! あっ、えっと…………」
やり過ぎたのだろうな。ぼんやり感じた。正直体の感覚が掴めないから、指一本動かせないのだけれど。
「俺、タオル持ってきます! あっと、その前に水」
コップに水を汲んでくるが、起き上がるどころか動かない。それを見て取ったのか、そっと起き上がらせて自分に寄りかからせ、静かに飲ませてくれる。
そこは、口移しというのが定石ではないのだろうか?
それでも喉は潤った。声は出ないけれど。
「綺麗にするもの持ってきます。先、寝ていていいので」
キアランに布団を被せると、トレヴァーはバタバタいなくなってしまう。
「抱きしめて、キスだろバカが」
掠れて何を言っているのか分からないくらいの声で呟いたキアランは酷い疲れに目眩を感じて、そのまま意識を手放した。
◇◆◇
目が覚めた時、外は既に明るくなっていた。腰は重怠く、あらぬ部分が違和感しかない。声は枯れて咳き込むし、なんだか少し熱っぽい気がする。
見回してもトレヴァーはいない。それがなんだか寂しく、恨み言を言いたい気がする。だが外の様子から既に昼時だろう。こんなに寝坊しては文句も言えない。
それにしても、激しかった。思い出しても恥ずかしいくらい乱れた。いっそ記憶がない方が気楽だったのに、そうではないのが恨めしい。
そして、驚くくらい後悔がない。馬鹿な自分など大嫌いなはずなのに、痛いのも辛いのも大嫌いなはずなのに、今は清々しかった。
とりあえず起きよう。幸い体はとてもさっぱりとしている。トレヴァーが丁寧に拭いてくれたのだろう。腹も壊していない。
とりあえず上半身は起こしたのだが、そこから先が動けない。床に足をつけた途端にプルプルしている。
さて、どうしたものか。考えている間にトントントンと階段を上る音がして、ドアが開いた。少し頬を赤くしたトレヴァーが顔を覗かせ、起きているキアランを見て目を輝かせた。
「起きてましたか、キア」
「あぁ。……なんかお前、冷たい」
近づいてきたトレヴァーの体は冷気に包まれている。首を傾げると、トレヴァーはニコニコ笑った。
「買い物行ってました。キア、お腹の調子とか大丈夫ですか?」
「腰は死んでる。声はこの通りガラガラで、中がもの凄く違和感だが他は平気だ」
「うっ、すみません」
多少棘のある言い方はしたが、言うほど恨んではいない。がっくりと肩を落とすトレヴァーを見て、キアランは苦笑した。
「だが、満たされた」
「! 俺も、満たされました!」
「そう、か」
恥ずかしいが、嬉しい。こういう感情は本当に厄介で、隠したくても隠しきれない。随分と緩んだ顔になったことだろう。
「キア、お腹すいてませんか?」
「あー、そういえば」
もの凄く空腹というわけではないが、小腹は空いている。腹の辺りをさすってみると、トレヴァーがにっこりと笑った。
「買ってきたので、食べませんか?」
「あぁ」
そういえば、今日は食べ歩きと言っていたか。だがこの状態ではとても無理だ。今日休んで明日馬だ。それすらも心配になるが、騎士団の馬なので乗って帰らないわけにはいかない。
少し残念な気持ちもあって項垂れた。トレヴァーが申し訳なさそうに笑って、キアランの肩に毛布をかけてくれた。
「では、行きましょうか」
「だが、足が」
言いかけたところで背中と膝裏にトレヴァーが腕を回す。そしてあっという間に体が浮いた。
「わっ! おっ、下ろせ!!」
「あ、前よりも重いですね。でも大丈夫ですから、ちゃんと掴まっていてください」
お姫様抱っこというやつだ。そしてもの凄く怖い。そのまま部屋を出て階段の前に。落ちたら死ぬ!
「頼む、冷静になれ。俺を抱えて降りるのは危険だ」
「キアはまだ軽いから平気です。ちゃんと掴まってて下さいね」
そう言って一歩踏み出すトレヴァーの首に、キアランは抱きついてギュッと目を瞑った。不安定な体を少しでも安定させ、怖いものは見ないようにしたのだ。
トレヴァーの足取りはまったく問題なく安定している。ふらついたりしない。僅かに目を開けて、信じられず驚いた。
「はい、到着。大丈夫だったでしょ?」
「怖かった」
「信じてくださいよ。何があっても貴方だけは落としませんから」
やんわりとした笑みが近い。吸い込まれるような柔らかな瞳を見て、キアランの心臓は不覚にもドキッと鳴った。
そのままソファーに下ろされたキアランの前に水や皿が置かれる。そしてテーブルの真ん中には、まだ湯気を上げる肉まん、饅頭、焼き鳥、蒸し野菜サラダがある。
「昨日の肉まん!」
「はい。さっ、食べましょう」
わざわざこれを買いに出てくれたのだろう。そうなると昨日以上に美味しい気がする。かぶりついて染み出る肉汁の美味さに、キアランははふはふさせながらかぶりついた。
「蒸し野菜もよかったら。これ、温泉の蒸気で蒸しているらしいですよ」
「蒸してあるなら少し」
生野菜はお腹を壊すが、熱を通してあれば食べられる。味の好き嫌いではないのだ。
色鮮やかなブロッコリーに、にんじんと芋。そこに粉チーズがかかっている。それを少量皿に取り、咀嚼する。野菜の味はそのままだが、確かに熱が通っているらしく柔らかい。芋などホクホクしている。
トレヴァーは次々に食べていくキアランを見て嬉しそうに笑っている。そして、自分はキアランよりも沢山の量を食べだした。
食べ終わったらまたお姫様抱っこで風呂に。湯屋のような大きさはないが広い湯船に後ろから抱えられるような状態で座って浸かっていると、少しずつ体の怠さが取れていくような気がする。
「気持ちいい」
「本当ですね」
体を預けてもまったく問題ないトレヴァーの胸に頭を乗せたまま、キアランは息を吐いた。
「休まったか?」
「はい、とても。キアは?」
「疲れた」
恨み言のように言うと、トレヴァーが「うっ」と詰まる。それを、キアランは笑った。
「だが、よい休みだった。たまにならあんな風に、その……激しいのも、悪くない」
照れながらも本心を伝えると、途端にトレヴァーは目を輝かせる。その顔があまりに嬉しそうだったので、キアランは慌てて補足する事になった。
「たまにだ、たまに! 毎回は無理だからな!」
「分かっていますよ」
あんなおかしくなるほど気持ち良くされたら、きっとずっとバカになってしまう。それは困るので、本当に時々でお願いしたい。
幸せな休日はのんびりと過ぎていくのだった。
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