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17章:シュトライザー家のお家騒動

8話:遠い記憶(ファウスト)

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 朝から母が嬉しそうにしている日は、父がここに来る日だった。

 朝から母はキッチンにたって、嬉しそうに料理をしている。黒い瞳をキラキラさせて、いつもより少しオシャレをして。

「母様、父様がくるの?」

 幼いファウストはそんな母の隣に立って、同じように嬉しそうに問いかける。

「えぇ、そうよ。今回は少し長いお休みだから、色んな事が出来るわよ」
「ほんと! やった!」

 何をしよう。この前きてくれたのは二週間くらい前。その時は剣を見てもらって、夜は天体観測をした。
 長くって、どのくらいだろう? 三日? 一週間? もっと長いといいな。
 ウキウキと沸き立つ気持ちで落ち着かないファウストを、母マリアは面白そうに笑った。

 その時、外で馬の鳴き声がした。ファウストは待っていられなくて駆け出し、ドアを開けて馬屋の方へと駆け出した。

「父様!」

 大きく手を振って走るファウストの目には、馬を丁寧にブラッシングして、水やご飯をあげているアーサーが見えていた。

「ファウスト」

 飛び込むように駆け込んだファウストを、アーサーは幸せそうな笑顔で抱き上げてくれる。穏やかで優しい目がファウストを見つめて緩まった。

「待っていて良かったんだぞ?」
「待てないよ! ねぇ、父様。次はどのくらいいられるの?」
「そうだな……予定では一ヶ月だが」
「一ヶ月! そんなに!」
「仕事を頑張ったからな。その分、長い休みがとれたんだ」

 嬉しい、そんなに長くいてくれる。何をしよう。何をしたらいいんだろう? そんなに長いお休み、何に使ったらいいんだろう?
 考えているファウストを地面に下ろしたアーサーが、大きな手で頭を撫でてくれる。そして、可笑しそうに笑いながら問いかけた。

「ファウスト、何がしたい?」
「うっ、ん……剣を教えて!」
「またか?」

 呆れたように言われたけれど、ファウストは大きく頷く。黒い瞳をキラキラと輝かせて。

「父様みたいに強くなりたい!」
「私よりも祖父様の方が強いだろ?」
「えー! 祖父様痛いんだもん。痣だらけになるんだ」
「そう、か……あの祖父様も加減がきかないからな」

 困った顔をしたアーサーにファウストは頷く。そしてまずは二人で、馬のお世話を始めるのだった。

◇◆◇

 翌日、ファウストはアーサーと二人で遠乗りへと出かけた。
 馬の扱いは大分上手くなったとはいえ、前を行くアーサーにはなかなか追いつけない。堂々とした背中を見つめながら、早く追いつきたいと気持ちは焦っている。そんな、十歳の複雑な気持ちが最近増えたような気がする。

 程なくして気持ちのいい草原へと出たファウストは、腰にしていた剣を抜いてアーサーに稽古を付けてもらう。こちらもまだ、何一つ敵わない。
 ファウストの剣は大ぶりで、力も子供。一方アーサーの剣は正確で真っ直ぐだ。

「もう! 父様に勝てない!」

 音を上げたファウストに、アーサーは楽しげな笑い声を上げた。

「流石に十歳のお前に負けるわけにもいかないさ。親の沽券というやつだ」
「いつか絶対に勝つ!」
「あぁ、お前なら可能だよ。筋はいいんだ、しっかりと励め」

 笑い、水を飲んで持ってきた弁当を食べる。涼しい風が汗ばんだ肌を撫でて、ほんの少し寒く思えた。
 そんなファウストの肩に、アーサーが膝掛けをかけてくれる。見上げる父の瞳の穏やかさに安心して、ファウストは体を預けた。

「父様は騎士なの?」
「ん? どうしてだ?」

 ファウストの質問に、アーサーは疑問そうな顔をする。視線だけで見上げて、ファウストは先日祖父のリーヴァイに聞いた話しをした。

「祖父様が言っていたんだ。シュトライザーは元々、国を守る剣だったんだって。建国の王を守った腹心の騎士だったんだぞって」
「あぁ……」

 呟いたアーサーの声から、なんとなく違うのだろうとは察した。

「違うの?」
「あぁ、残念ながらな」
「どうして?」
「……物事は時が経つにつれて、変化していく。良い方向だったり、悪い方向だったり。父様の家も元は騎士だったが、今は騎士はしていない。国を守るのは騎士団の役目になっているんだ」
「そうなんだ……」

 なんだか少し寂しくて、悲しく思えた。
 けれど直ぐに気を取り直したファウストは立ち上がり、父を前で黒い瞳を輝かせた。

「それなら、俺が騎士になる!」
「お前がか?」

 驚いたように目を丸くするアーサーに、ファウストは力強く頷いた。

「もっと強くなって、もっと立派になって、一番の騎士になるよ! 父様が自慢できるようになる!」
「だが……」
「大丈夫! 祖父様にも筋がいいって言われてるんだ!」

 それは心からの言葉であり、願いであり、目標だった。父に近づきたい子供の、輝かしい未来への目標だったのだ。

 アーサーの目が柔らかく緩まり、手が伸びて抱き寄せてくる。背を撫でる手の優しさに、ファウストはニコニコと嬉しく笑った。

「では、私もお前に約束をしよう。いつかお前が立派な騎士になったら、私からお前に馬を贈ろう」
「本当!」
「あぁ。立派な騎士には立派な馬が必要だからな」

 確かに頷いてくれるアーサーを嬉しく見つめたファウストは、ふと思い立って声を上げた。

「父様、その馬の名前は俺がつけたい」
「? 勿論お前が付けていいが。何か、付けたい名前があるのか?」
「うん! あのね、フリムファクシがいい!」

 家の書庫で読んだ神話の本に出てくる夜の馬。漆黒の馬体を持つ雄々しい馬を見て、父が乗る馬を思い出した。その時から、自分が馬を持つならこの名前だと思っていたのだ。

「フリムファクシか……そうだな。その名に恥じぬ、強く早い馬をお前に贈ろう」
「やった!」

 嬉しくて抱きついて、何度も「大好き」を口にした。そんなファウストを、アーサーもしっかりと抱き留めていてくれた。

◇◆◇

 それは、秋の風が吹くようになった日の事だった。
 この日の夜、アーサーがきてくれる事になっていて皆が楽しみにしていた。

 そんな穏やかなお昼時、複数の馬蹄が近づいてくるのを耳が捕らえた。

「父様、早いね」

 父だと思って疑わなかった。何せここには父のアーサーと、その友人のジョシュア、シルヴィア、コーネリウス、アラステア。そして祖父のリーヴァイしか来たことがない。
 だがマリアは真剣な表情をしたまま窓の外を見て、突然ファウストの肩を掴んだ。

「ファウスト、よく聞きなさい。ルカとアリアを連れて子供部屋に行って」
「え?」
「早く!」
「うっ、うん!」

 母の見たこともない怖い顔に不安になりながら、ファウストは二階にいるルカを連れ、アリアを背負って一階の子供部屋へと向かった。
 廊下に出て、ふと玄関が目に入る。そこを誰かが強い力で叩いた。

 父じゃない。そう確信して怖くなって、怯えるように駆け出したファウストは子供部屋へと入る。玄関では今にもドアをぶち破りそうな音がしていた。

「ファウスト!」
「母様!」

 駆け込んだファウストを、マリアが強く呼ぶ。子供部屋の壁の一角がドアのように開いていた。

「アリアとルカをここへ!」
「うん」

 アリアを背負ったまま壁のドアをくぐると、下へと続く階段があった。そこを下りきるとまたドアがあって、中は暗い小さな部屋だった。
 おままごとの家のようで、食べ物や飲み物の入った袋と毛布があると子供三人でも少し窮屈に思える。

「母様」

 不安に声を上げると、マリアは下の二人にここにいるよう言い伝えてファウストを連れて上へと誘った。
 息が詰まりそうな小部屋から抜けると、部屋の前のドアが玄関と同じように激しく叩かれている。マリアの横顔にも恐怖が見えた。

「に……逃げよう母様! さっきの部屋に行こう!」

 たまらずファウストは腕を引いて訴えた。狭いけれど無理をすれば入れる。そう訴えた。
 けれどマリアは首を縦に振ってくれない。ファウストの肩を掴むと、とても真剣な顔で話し出した。

「いい、ファウスト。父様が来るまで絶対に、声を出してはだめよ」
「母様……」
「いい?」
「でも母様が!」
「私は大丈夫! これでも強いのよ。だって、あの祖父様の娘ですもの」

 笑みを浮かべるマリアを見ても、ファウストの不安は消えなかった。ぽろぽろと涙がこぼれて、腕を掴んだまま離れようとはしなかった。

「嫌だ……母様も一緒……」
「……ファウスト、聞いて。貴方はお兄ちゃんなのよ? 貴方が、ルカとアリアを守るのよ」
「でも!」

 それでも、嫌なんだ。離れてしまったらもう二度と会えない気がして怖いんだ。

 泣きじゃくりながら訴えるファウストを、マリアはそっと抱き寄せて頭を撫でてくれた。

「泣かないで、ファウスト」
「母様ぁ……」
「私の自慢の息子。貴方が生まれてきてくれて、母様はとても幸せだったわ。ルカとアリアが生まれてくれて、父様がいて、本当に幸せだった」
「そんな、こと……ぅ……言わない、でぇ」
「愛しているわ、ファウスト。後をお願いね」

 そう言ったマリアは今までにない強い力でファウストの腕を掴むと、引きずるようにドアの奥へと押し込んでしまう。慌てて外に出ようとするファウストの目の前でスライド式のドアが閉まり、ガチャンと鍵のかかる音がした。

「母様!」

 ドアを何度も叩いた。名を呼んだ。けれど直ぐに凄い音がして、沢山の足音が聞こえてきた。
 僅かに明かりが漏れている。本当に小さなそこは、多分鍵穴なんだろう。そこにかじりつくように目を近づけると、ほんの少し外の景色が見えた。

「誰です。ここには何もありません!」

 マリアの声が聞こえ、壁に背を向けているのが分かる。その向こうから、男の声が聞こえた。

「別にアンタに恨みはないが、アンタを邪魔だと言う人がいてね」

 そんな……母は決して恨みを買うような人ではない。とても優しくて、明るくて、怒ると怖いけれど同じくらい愛してくれて……

「恨むならアンタの旦那を恨むんだな!」

……父様を、恨む?

 悲鳴が聞こえ、倒れた母の背中で視界が一杯になる。ファウストは声を上げそうになって、必死に飲み込んだ。
 声を出してはいけないと言われた。母の、命令だった。

 母は何度か悲鳴を上げて、その後は苦しそうな声がして……やがて声が聞こえなくなった。
 呆然として地に手をついたその手に、暖かなものが触れる。暗い中、それが血だと気づいたのは充満する臭いからだった。

◇◆◇

 目が覚めた時、父アーサーが辛そうに眉根を寄せて見下ろしていた。
 懐かしい。熱を出すとこんな顔をして見ていてくれた。心配そうな父の傍らで、母が「大げさよ」と笑っていた。

「父様……」

 今ならこの呼び名がしっくりとくる。思い出した幼い思い出が、胸に染みてくる。

「ファウスト?」
「……騎士の祝いを、覚えていたんだな」
「!」

 驚いたように目を見張るアーサーに、ファウストは笑う。一度目を閉じ息を吐いて……まだ混乱する頭を振った。

「ファウスト、お前……」
「忘れていたんだ、ずっと。どうしてこんな大事な事を、俺は忘れてしまったのだろうか」

 暖かな気持ちが戻ってくる。同時に、どうしてあんなに憎み抜いたのかが今度は分からなくなった。まだ何かあるんだろう。思い出せていない、何かが。

「……私がお前を、守ってやれなかったからだ」

 ふとした声にそちらを向けば、アーサーはクシャリと目元に皺を寄せる。それを見ると、老いたのだと思い知る。それもそうだ、ファウストも三十なのだから。

「母様の事?」
「ちがう、その後だ。私は……お前を守れなかった」
「……母様、生きていた。父様、さっきの話には続きがあるんだろ? 父様と母様は、どうなったんだ? シュトライザーの正妻というあの女は、どうなったんだ」

 知りたい……
 純粋に、ファウストはそれを願った。知らなければいけない、そんな衝動に駆られていたのだ。


▼アーサー

 監禁事件から一週間くらいが経ち、回復したアーサーは郊外へとこっそり連れ出された。
 そうして辿り着いたのは、何故かベルギウス家が所有する小さな家だった。

「ジョシュア、ここは……!」

 どこかを問いただすアーサーの前で、ジョシュアは家のドアを開ける。庶民的な小さな家のその奥には、死んだはずのマリアが驚いた顔で立っていた。

「マ……リア?」
「アーサー様!」

 あぁ、マリアの声だ。間違いなく、彼女だ。
 少し足を痛そうにしながらも近づいてくるマリアが胸元に飛び込んでくる。確かに感触と熱があって、これが幻や願望ではないと思えた。

「よかった、ご病気をされたと聞いて心配で。でも、私……」
「マリア、お前……無事だったのか?」
「はい。ジョシュア様が助けて下さいました」

 その言葉に、後ろでドアを閉めて鍵をかけた友人をアーサーは睨み付けた。

「ジョシュア」
「そんな顔をするんじゃないよ、親友。色々とあるんだよ」

 足を痛そうにするマリアを支え、ジョシュアに招かれるまま椅子に座る。そして、あの事件現場で何があったのかを教えてくれた。

「あの日、アーサー様の義母様に言われて……悩んでいた思いが限界で、一度家に戻ろうと思ったのです」

 マリアがとても申し訳ない顔で言う。ギュッと握ったスカートが皺になるくらい、強い力で。

「色々、自信がなくなってしまったのです。貴方の未来の為には私などが側にいてはいけないんじゃないか。家の格が違うのは確かですし、私などよりよほど相応しい女性がいるんじゃないかと」
「そんな事はない! 君はとても素晴らしい女性だよ、マリア」
「アーサー様」
「許してくれ、マリア。私は不甲斐なく、君を守れなかった」
「そんな事……私こそ許してください。貴方を裏切り、悲しませてしまいました。貴方を信じ切れなかった弱い私を、許してください」

 黒い瞳に涙を溜めたマリアに頷き、互いに手を取って額を合わせた。許す事なんてない。彼女は何も許しを請うような事をしていないのだ。

「あー、コホン!」
「!」
「話を進めようか。日が暮れてしまうよ」
「はい!」

 白い肌を真っ赤にしたマリアが姿勢を正す。そして、あの日何があったのか、その続きを話し始めた。

「家へ帰る道の途中、あの崖道で突然、複数の男に襲われて。驚いた馬が暴れて、馬車ごと下に落ちてしまったのです」
「では、あの事故は本当に!」

 心臓が痛い思いで問いかけると、マリアは静かに頷いた。

「そこからは私が引き継ごう。私とアーサーが駆けつけたときは、事故からそう時間がたっていなかった。幸い馬車が落ちたのは低木などもある柔らかい場所でね、馬車の中にいたマリアと、運の良かった御者は怪我をしながらも生きていた」
「だが、ちまたでは誰も助からなかったと。それに、あの血のついた布!」
「全部私が謀ったんだ。馬車の周りには盗賊まがいの奴らがいてね、そいつらに金を渡して生存者はいないと伝えるように言ったんだ。違う事を伝えたときには貴族の全力で全員死刑にするとも伝えた」

 とてもいい笑顔をしたジョシュアに、マリアもプルプル震える。知っている顔ではあるが、困ったものでもある。

「どうして私にまで嘘をついたんだ」
「お前を一番に騙さなければ、マリアの安全が担保されないからね。シュトライザー家を騙さなければ同じ事が繰り返される。敵を欺くならばまず味方からだろ?」

 だからって、あんなに絶望したんだ。恨みがましい気持ちも多少はある。
 だが全てはマリアを守るために動いてくれたのだ。アーサーを気遣って、してくれたことだった。

「マリアが動けるようになって、色んな支度が調ったらお前に伝えようと思っていたのにあの監禁事件だ。実際は自殺未遂事件だけれど」
「アーサー様! そんな事になっていたのですか?」

 驚いたマリアが非難するような顔をする。双方共に言い訳ができず、アーサーは小さくなって平謝りするばかりだ。

「マリアの回復とお前の回復、両方を待って今日ようやく、引き合わせたというわけだよ」
「……と、言うことは?」

 疑問そうに首を傾げると、バンッと音がしてドアが開く。襲撃かと思い剣に手をかけたアーサーの前には、コーネリウスとアラステアがいた。

「感動の再会は果たせたかね、アーサー!」
「コーネリウス」
「まったく、手間がかかるよお前。私が利益度外視で身銭を切るなんて、これっきりだ」
「おやアラステア? 資金はジョシュアが出してくれたではないか。私もカンパしたぞ?」
「だぁー!! 手配には色々かかるんだよ!」

 コントのような二人の様子に呆然とするアーサーの手を、ジョシュアが引いて外へと連れ出す。そこには立派な馬車と、執事らしい男が一人、メイドが一人、従者が三人立っていた。

「このままマクファーレンへ行けるように手配した」
「ジョシュア」
「いけ、アーサー。書類上の事はどうする事もできないが、体は自由だ」

 ジンと胸が熱くなる。親友達がニヤニヤしながらこちらを見ている。隣にはマリアがいる。

「……マリア」
「はい」
「私は一つ、君に謝らなければならない事がある」
「……はい」
「……両親の策にはまり、見知らぬ女性と婚姻の届けを出されてしまった。重婚が認められないこの国では……」

 離婚の届けを出すことは可能だ。だがそうなれば居場所を知られるし、抵抗されれば裁判となって顔を合わせる。今はそれをする事はできない。

 マリアは複雑な顔を一瞬した。けれど直ぐに、穏やかな笑みを見せた。

「構いません」
「マリア」
「本物の貴方がここにいるのですから」

 申し訳なくて辛くて、幸せで苦しい。抱きしめたマリアを離さないと、アーサーは神に誓った。

「さぁ、行くんだよアーサー。そこにいる五人は私が選んだ者で、執事のアダムとメイドのバーサは夫婦で、家に仕えてくれていた。従者の三人は護衛だが、勿論従者としての教育もしている」
「ジョシュア、有難う。こんなにも沢山……」

 伝えると、ジョシュアはとても寂しげに笑い、グッとアーサーを抱き寄せてくる。驚いたが、アーサーも静かにその背を叩いた。

「私がもらったものに比べれば、安いよ」
「私は何もお前にしていないが」
「してもらったんだ。こんな後ろ暗い家で、私自身も人に言えない事をしている。お前はそれを知っているだろ?」
「あぁ」
「それでも、変わらず側にいてくれた。友人のままでいてくれた。それが私にとってどれほどに救いだったか、お前は知らないんだろう。けれど私はとても感謝している」

 伝えられる言葉を、アーサーは静かに飲み込んだ。器用すぎて臆病な親友が何をしているのかは知っている。けれどアーサーはそれを恐れはしなかった。ジョシュアという人間を知っているから。

「十数年分の感謝を、今返しているにすぎない」
「バカだな、こんなの。親友だろ、疎遠になったりはしない」
「……お前のそういう部分、私は本当にかっこいいと思うよ」

 ジョシュアが離れ、コーネリウスとアラステアの側へと行く。アーサーはマリアを連れて馬車に乗り込んだ。

「……マリア」
「はい」
「いつか必ず、君と結婚する。愛人になどしない」
「でも、それは……」
「君の安全が確保され、君の父上に認めてもらったら、戦う。私の妻はあの女ではなく、君だマリア」

 逃げる事もできる。けれど、戦うと決めた。卑劣な罠に屈したままも嫌だ。あんな女が自分の妻として我が物顔でいるのも嫌だ。

「大丈夫、信頼出来る者を側につけ、実家から離れているから」

 ジョシュアはこれが今生の別れという顔をしていた。それもできない。必ず地位を回復させる。友人達の前に堂々と立てるようにならなければ。
 その為には強くならなければ。誰よりも強く、ならなければ。


 それからは、忙しく幸せで、あっという間だった。
 マリアと一緒にマクファーレン領へと行ったアーサーは、ボッコボコに殴られた。「家の可愛い娘を愛人にするな!」「わしより弱い男など認めるか!」というものだ。
 最終的にマリアが「お父様なんて大嫌い!」の一言で、リーヴァイは折れる事となった。

 そこからはひたすら、リーヴァイに扱かれた。老いたとはいえ獅子と呼ばれた猛将は強かった。最初はまったく勝てず、毎日筋肉痛に生傷を作り、それでもしがみついた。
 そのうち、根性は認めてもらえるようになった。
 そうして一年が過ぎると、アーサーは見違えるほどになった。身長がグンと伸び、体中に綺麗な筋肉がつき、体術も剣術もにわかではないものが身についた。
 そこから更に数年が経ち、ジョシュアが両親の手紙を持ってきた。高慢だった父が書いたとは思えないほどに弱い「帰ってきて欲しい」という言葉に、アーサーは寂しさを感じた。
 ジョシュアの話では、昨年母は亡くなったのだと言う。

 マリアのすすめもあり、アーサーは一度王都へと戻った。そうして再会した父は、とても痩せて弱っていた。そして、仕事を手伝って欲しいと言うのだ。
 迷った。だが、隠れ家までついてきたマリアに相談すると彼女はその申し出を受けることを勧めてくれた。自分を襲った悪人だというのに。
 こうして初めて、アーサーはひっそりとマリアを父と会わせ、本邸では仕事をしない事と、マリアへ危害を加えない事を条件にシュトライザーの仕事を手伝う事を了承し、マリアと郊外の屋敷に引っ越すことにした。

 このままあの女と離婚して、マリアを本妻にする。その思いを強くしたアーサーだったが、事はそれほど簡単には行かなかった。
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