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15章:憧れを胸に
4話:ジェイソンの悩み?
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その夜は反省部屋で寝て、翌日は朝から反省文を書かされた。入団試験の時以来の真面目な文章と切実な反省に気落ちしながらもどうにか書き終え、ランバートに提出すると思い切り笑われ「真面目だな」と言われてしまった。
キョトッとしていると、ランバートはまるで悪戯をする少年のような笑みを浮かべて「俺が昔に書いた反省文を教えようか?」と言って、紙にたった二行「すみませんでした。でも俺は間違ったとは思いません」と書いた。
驚いて怒られなかったかを聞いたら、「ファウスト様から大目玉食らった」と大笑いしていた。
こんな凄い人でも反省文を、しかもこんな内容で書いていたのかと思ったら、少しだけ気持ちが軽くなった気がした。
午後からは通常通りでいいということなので、昼食は食堂へ。そこに行くと不安そうな仲間達の顔があって、ジェイソンを見ると一斉に近づいてきた。
「ジェイソン、大丈夫なのかい?」
「え? 何が?」
「何がって……お前が暴力沙汰起こしてピンチだって聞いたんだぞ!」
「あー」
まぁ、ピンチではないけれど暴力沙汰は起こした。頭をかいていると、俯いたままのユーインが今にも泣き出しそうな様子で出てきた。
「ごめん、ジェイソン。僕が知らせたの」
「ユーイン」
「ごめん。ごめんね。僕……」
「どうしてお前が謝るんだよ。むしろあれで良かった。おかげで助かったんだ」
「ジェイソン……」
「暴力については怒られたけれど、おかげでアーリンを助けられた。有難うな」
ニッカと笑ったジェイソンを呆然と見上げたユーインは、大きな目に浮いた涙を拭って笑ってくれた。
「そのアーリンがさ、やっぱいないんだよな」
コリーが食堂を見回す。それについてはジェイソンも気になっていたが、見つけられないだけだと思っていた。
だがやはり、いないのか。
「今朝、ブランドン達が馬車に詰め込まれて出て行ったのは見かけたから、それじゃないと思うんだけどさ」
「ブランドンが?」
コリーは素直に頷く。実はランバートからブランドン達の事は聞いていなかったのだ。
「宿舎に戻って色々聞かれるらしい。もしかしたら辞めるかもね」
「……そっか」
ランバートが少しだけ言っていた。「入団三ヶ月までが、一番人が減る」と。もしかしたらブランドンはもう、騎士団から去るのかもしれない。
結局昼食の時間ギリギリにきたアーリンは、味もへったくれもなく昼食をかき込むとまた出て行った。確かにランバートが作った料理に比べれば味も雑なのかもしれないが、第四が頑張って作ってくれた料理は美味しく思えるのに。
「彼は余裕がないのだよ」
出て行ったアーリンを見つめていたジェイソンに、スペンサーが食後のお茶を飲み込みながら縁側のジジイみたいな調子で言った。
「心に余裕がない。常に追われ、常に緊張し、警戒している。きっと、食事の味も分からないのだろうね」
「スペンサー」
「可哀想な生き方だとは思わないかい?」
「……うん」
思い出したのは昨夜の話。ルースの従兄弟として、さらし者にされて色んなものを失っていったアーリン。きっと、苦しかっただろう。絶望も沢山した。叫んでも助ける人はいなかったのかもしれない。
けれど、ジェイソンは手を差し伸べ続けたい。その手を拒まれても、彼が取ってくれるまで。
「俺は、アーリンのこと放っておけないんだ」
味方になる。部屋も一緒だ。それにここでジェイソンが手を引っ込めたら、アーリンはこの場所で一人になってしまう。そんなの、悲しいだろう。
「おや、ジェイソンはアーリンにほの字なのかな?」
「ほの字?」
「スペンサー、既に死語みたいなもんだぞ」
「おや? そうかな?」
ユーインもコリーも、当然ジェイソンも首を傾げる。だがリーだけは何を言いたいのか分かったのか、額に手を当てて頭を振った。
「つまり、ジェイソンはアーリンに惚れてるのかって聞いてるんだよ」
「惚れてる?」
呆れたリーの言葉を正面から受け止めたジェイソンは少し考えた。けれど答えは、分からないだった。
放っておけない。多分好意はある。嫌な相手じゃないんだから。寂しそうにしていたら抱きしめたいし、困ってるなら力になりたい。けれどこれは、惚れていると言えるのだろうか。
「分かんないや。俺、恋愛とかしたことないし」
「な!」
「ほぉ」
「そうなのか!」
リーが驚き、スペンサーがしげしげと見つめ、コリーが声を上げる。
ジェイソンはそんな彼らを見て、何度もコクコクと頷いた。
「いや、恋愛よりも楽しい事沢山あるだろ? 剣とか、馬とかさ」
「ガキかお前は!」
「恋人いなかったのかな?」
「社交界は苦手でさ。行くと色々五月蠅くて。だからまず、出会いがなかった」
「ジェイソンらしい、です」
ユーインにまでそんなことを言われ、ジェイソンはふてくされた顔をする。
そして改めて考えるのだ。アーリンへ向けるこの感情は、なんなのだろうかと。
午後はそれぞれ部隊の中で分かれて動くことになった。
施設の掃除か、森での狩りか。スペンサーは掃除を選び、ジェイソンとリーは体力に余裕があるということで狩りに出た。
そうしてそれぞれ分かれて森の中を歩いていると、ふと目の前をアーリンが通った。
「アーリン!」
声をかけて、確かにこちらを見たと思う。けれどアーリンは立ち止まる事もなく森の奥へと向かっていく。道もない、より鬱蒼とした方へだ。
「え? おい、アーリン!」
避けられている。逃げられている。分かっていてもジェイソンは追いかけた。話がしたかった。昨日は結局一方的に聞くばかりで、話せなかったと思ったから。
「アーリン、どこ行くんだよ」
「お前のいないところだ」
「ちょっと話がしたいんだよ」
「ついてくるな!」
強い拒絶を口にするわりに、引き離すような動きはない。だから追いつこうと思えば追いつける。だがこれ以上近づいていいのかが分からなくなってしまった。
「あんまり離れると危ないって」
「そう思うならお前は戻れ」
「アーリンを一人にできないよ」
「一人で十分だ!」
もう狩りなんて頭になく、大きな声で互いに話しをしている。獲物は勿論逃げていくだろう。それでもこの追いかけっこは終わらない。
「どうして逃げるんだよ」
「お前が嫌いだからだ!」
「俺はアーリンの事好きだよ」
「す! 何言って……俺をからかって遊ぶな!」
「なんで? からかってないって。俺はアーリンと仲良くなりたい」
「迷惑だ!」
素直な気持ちを伝えているはずなのに、アーリンは逃げるばかりだ。伝え方が悪いのかと思っていると、木々の密集率が緩くなった。
「アーリン止まろう! なんか森の様子が変だ」
「お前が追わなければっ!」
こちらを振り向いたアーリンの体が、僅かに斜めになる。小石が崩れる音と、水音が聞こえた。
「アーリン!!」
本気で走るとこんなに簡単に追いつける。ジェイソンは確かに寸前でアーリンを捕まえた。だがそこから引き戻す力は足りなく、足場は思った以上に脆かった。
「う……わぁぁぁぁ!」
落下していく視界には木の枝が見えるが、その下は水だ。どうにかアーリンの頭を庇って下になったジェイソンの背や体に枝がバシバシ当たる。そして背中から思い切り、水面にたたきつけられた。
一瞬息が止まるかと思った。だが泉は案外深さがあった。何より落ちたのはそう高い場所からではない。二メートルと少しだろうか。
二人で水面に顔を出すと、肩の辺りまで水がある。逆に言うと足がつく。
「大丈夫か、アーリン!」
「お前こそ大丈夫か!」
互いに安否を確認し、とりあえず重い溜息が出た。安堵したのだ。
「とりあえず出よう。体、大丈夫か?」
「平気だ。ジェイソン、お前こそ大丈夫なのか?」
「ん? うーん、多分」
とりあえず今は痛みを感じていない。
アーリンが手を引いてくれて、泉からどうにか上がる。全身びしょ濡れだ。流石に五月ではまだ寒い。思わず自分を抱いてブルッと震えると、左手がヌルッと滑った。
「ジェイソン!」
「ありゃぁ、やっちゃったか」
見れば右腕から派手に出血している。多分岩場から出ていた枝にひっかけたのだろう。見事に裂けてしまっていた。
「やっちゃった……もっと焦れ!」
「や、大丈夫だって。動くし、ちゃんと痛い」
「お前はどれだけ脳天気なんだ!」
怒りながらもアーリンはポケットからハンカチを出して細く裂き、それを傷に巻いて縛ってくれる。圧迫される感じが慣れないけれど、なんとなく嬉しくもあって笑った。
「何笑ってるんだ」
「え? いや、嬉しいなって」
「こんな怪我までして、何が嬉しいんだ」
気落ちしたように目の前で項垂れるアーリンは震えていた。寒いのかと思って手を出したら、それは拒むように払いのけるのだ。
「俺に関わるとろくな事が無い。お前も分かっただろ。これ以上関わらないでくれ」
「何も分からないって。どうしてそうなるんだ? 誰かがそんなこと言ったのか?」
「見れば分かるだろ! 俺は! ……俺は、側にいる者を傷つける。こんな……どうしようもない人間だ」
萎んでいく声は震えている。体は震えている。そのどちらも悲しくて、ジェイソンは両手でしっかりとアーリンを抱きしめていた。腕は痛んだが、心は満たされるように温かく感じた。
「ジェイソン!」
「俺はアーリンが、そんな疫病神みたいな奴だなんて思わない。アーリンは真面目で、努力家で、とても強い。俺はそんなアーリンを尊敬する」
「ジェイソン……」
ふと、アーリンの体から力が抜けたように思えた。寄りかかるように任された心地よさにドキドキする。初めて彼が見せてくれた弱さに思えた。
「お前、本当にバカだ。俺の事知ってるのに……国の裏切り者の一族なんだぞ」
「? それはアーリンじゃないだろ? それなら何も関係ないよ」
「それがバカだって言ってるんだ。皆、俺の事を知ったら石を投げて罵ったんだぞ」
「そいつらが間違ってると俺は思う」
強い声で伝えたら、アーリンは服の前を握って顔を押しつけるようにしてくる。泣いているのかもしれない。何か言葉をと思ったけれど、ふとオスカルの「黙って受け止めるのもいい男」というウインク混じりの言葉を思い出した。
ただ背中に腕を回して、抱きしめてみる。静かな時間に言葉はなかったけれど、不思議と心地よいように思えた。
どのくらいそうしていたのだろう。流石に体が冷えて、夕刻の風にブルッと震えた。それに気づいたのだろうアーリンが慌てて胸を押して体を離し、ほんの少しばつの悪い顔をした。
「すまない、その……有難う。戻ろう、風邪をひく」
「あぁ、うん」
アーリンが居なくなった腕の中がぽっかりと空いて、寂しくて寒く感じる。それが少し不思議にも思えるけれど、差し伸べられた手を取るとまた温もりが戻ってくる感じがする。
「なんだお前、ニヤニヤして」
「え?」
腕を引かれながら上へ向かう道を探して歩いていると、アーリンがこちらを睨んでくる。けれどジェイソンは嬉しい気持ちもあって笑っていた。どうしてこんなに嬉しかったりするのかは不思議だけれど。
「嬉しいから、かな?」
「はぁ?」
「アーリンが手を繋いでくれるから、俺嬉しいなって思って」
「っ! バカか!」
「かも?」
確かにバカな事かもしれないけれど、小さな事で幸せを感じるなら嫌な事じゃない。単純ってよく言われるけれど、ダメな事ばかりじゃない。
アーリンは一瞬驚いたように目を丸くして顔を赤くしたけれど、その後はこちらを振り向く事はなく黙々と道を探して前を歩いてくれた。
結局、ずぶ濡れで施設に戻ってきたのはすっかり夕日が沈んだ後。ちょうど捜索隊が組まれた頃だった。当然のように大目玉だが、その前に風呂と治療ということで医務室にぶち込まれ、服を剥ぎ取られ、ジェイソンは傷を診てもらった。
案外深かったみたいだった。実際戻った時もまだ出血は止まらなくてアーリンが心配していた。リカルドが診察をして、すぐにクリフが呼ばれ何かを話し合った後、縫うことになった。しかも十針も。ちょっと驚いた。
アーリンはその間お風呂に放り込まれていたから、医務室にきて縫われているのを見て顔色を悪くした。
少し遅れてジェイソンも風呂に入り、ランバートにこってりと説教をされ、今日は二人で説教部屋で謹慎を言い渡された。そしてジェイソンの傷が癒え次第、二人そろって罰があると言われてしまった。
アーリンは怒られた事に少ししょんぼりしていたけれど、ジェイソンはちょっとだけ嬉しかった。アーリンが一緒なら、罰だって悪くないと思ったから。
キョトッとしていると、ランバートはまるで悪戯をする少年のような笑みを浮かべて「俺が昔に書いた反省文を教えようか?」と言って、紙にたった二行「すみませんでした。でも俺は間違ったとは思いません」と書いた。
驚いて怒られなかったかを聞いたら、「ファウスト様から大目玉食らった」と大笑いしていた。
こんな凄い人でも反省文を、しかもこんな内容で書いていたのかと思ったら、少しだけ気持ちが軽くなった気がした。
午後からは通常通りでいいということなので、昼食は食堂へ。そこに行くと不安そうな仲間達の顔があって、ジェイソンを見ると一斉に近づいてきた。
「ジェイソン、大丈夫なのかい?」
「え? 何が?」
「何がって……お前が暴力沙汰起こしてピンチだって聞いたんだぞ!」
「あー」
まぁ、ピンチではないけれど暴力沙汰は起こした。頭をかいていると、俯いたままのユーインが今にも泣き出しそうな様子で出てきた。
「ごめん、ジェイソン。僕が知らせたの」
「ユーイン」
「ごめん。ごめんね。僕……」
「どうしてお前が謝るんだよ。むしろあれで良かった。おかげで助かったんだ」
「ジェイソン……」
「暴力については怒られたけれど、おかげでアーリンを助けられた。有難うな」
ニッカと笑ったジェイソンを呆然と見上げたユーインは、大きな目に浮いた涙を拭って笑ってくれた。
「そのアーリンがさ、やっぱいないんだよな」
コリーが食堂を見回す。それについてはジェイソンも気になっていたが、見つけられないだけだと思っていた。
だがやはり、いないのか。
「今朝、ブランドン達が馬車に詰め込まれて出て行ったのは見かけたから、それじゃないと思うんだけどさ」
「ブランドンが?」
コリーは素直に頷く。実はランバートからブランドン達の事は聞いていなかったのだ。
「宿舎に戻って色々聞かれるらしい。もしかしたら辞めるかもね」
「……そっか」
ランバートが少しだけ言っていた。「入団三ヶ月までが、一番人が減る」と。もしかしたらブランドンはもう、騎士団から去るのかもしれない。
結局昼食の時間ギリギリにきたアーリンは、味もへったくれもなく昼食をかき込むとまた出て行った。確かにランバートが作った料理に比べれば味も雑なのかもしれないが、第四が頑張って作ってくれた料理は美味しく思えるのに。
「彼は余裕がないのだよ」
出て行ったアーリンを見つめていたジェイソンに、スペンサーが食後のお茶を飲み込みながら縁側のジジイみたいな調子で言った。
「心に余裕がない。常に追われ、常に緊張し、警戒している。きっと、食事の味も分からないのだろうね」
「スペンサー」
「可哀想な生き方だとは思わないかい?」
「……うん」
思い出したのは昨夜の話。ルースの従兄弟として、さらし者にされて色んなものを失っていったアーリン。きっと、苦しかっただろう。絶望も沢山した。叫んでも助ける人はいなかったのかもしれない。
けれど、ジェイソンは手を差し伸べ続けたい。その手を拒まれても、彼が取ってくれるまで。
「俺は、アーリンのこと放っておけないんだ」
味方になる。部屋も一緒だ。それにここでジェイソンが手を引っ込めたら、アーリンはこの場所で一人になってしまう。そんなの、悲しいだろう。
「おや、ジェイソンはアーリンにほの字なのかな?」
「ほの字?」
「スペンサー、既に死語みたいなもんだぞ」
「おや? そうかな?」
ユーインもコリーも、当然ジェイソンも首を傾げる。だがリーだけは何を言いたいのか分かったのか、額に手を当てて頭を振った。
「つまり、ジェイソンはアーリンに惚れてるのかって聞いてるんだよ」
「惚れてる?」
呆れたリーの言葉を正面から受け止めたジェイソンは少し考えた。けれど答えは、分からないだった。
放っておけない。多分好意はある。嫌な相手じゃないんだから。寂しそうにしていたら抱きしめたいし、困ってるなら力になりたい。けれどこれは、惚れていると言えるのだろうか。
「分かんないや。俺、恋愛とかしたことないし」
「な!」
「ほぉ」
「そうなのか!」
リーが驚き、スペンサーがしげしげと見つめ、コリーが声を上げる。
ジェイソンはそんな彼らを見て、何度もコクコクと頷いた。
「いや、恋愛よりも楽しい事沢山あるだろ? 剣とか、馬とかさ」
「ガキかお前は!」
「恋人いなかったのかな?」
「社交界は苦手でさ。行くと色々五月蠅くて。だからまず、出会いがなかった」
「ジェイソンらしい、です」
ユーインにまでそんなことを言われ、ジェイソンはふてくされた顔をする。
そして改めて考えるのだ。アーリンへ向けるこの感情は、なんなのだろうかと。
午後はそれぞれ部隊の中で分かれて動くことになった。
施設の掃除か、森での狩りか。スペンサーは掃除を選び、ジェイソンとリーは体力に余裕があるということで狩りに出た。
そうしてそれぞれ分かれて森の中を歩いていると、ふと目の前をアーリンが通った。
「アーリン!」
声をかけて、確かにこちらを見たと思う。けれどアーリンは立ち止まる事もなく森の奥へと向かっていく。道もない、より鬱蒼とした方へだ。
「え? おい、アーリン!」
避けられている。逃げられている。分かっていてもジェイソンは追いかけた。話がしたかった。昨日は結局一方的に聞くばかりで、話せなかったと思ったから。
「アーリン、どこ行くんだよ」
「お前のいないところだ」
「ちょっと話がしたいんだよ」
「ついてくるな!」
強い拒絶を口にするわりに、引き離すような動きはない。だから追いつこうと思えば追いつける。だがこれ以上近づいていいのかが分からなくなってしまった。
「あんまり離れると危ないって」
「そう思うならお前は戻れ」
「アーリンを一人にできないよ」
「一人で十分だ!」
もう狩りなんて頭になく、大きな声で互いに話しをしている。獲物は勿論逃げていくだろう。それでもこの追いかけっこは終わらない。
「どうして逃げるんだよ」
「お前が嫌いだからだ!」
「俺はアーリンの事好きだよ」
「す! 何言って……俺をからかって遊ぶな!」
「なんで? からかってないって。俺はアーリンと仲良くなりたい」
「迷惑だ!」
素直な気持ちを伝えているはずなのに、アーリンは逃げるばかりだ。伝え方が悪いのかと思っていると、木々の密集率が緩くなった。
「アーリン止まろう! なんか森の様子が変だ」
「お前が追わなければっ!」
こちらを振り向いたアーリンの体が、僅かに斜めになる。小石が崩れる音と、水音が聞こえた。
「アーリン!!」
本気で走るとこんなに簡単に追いつける。ジェイソンは確かに寸前でアーリンを捕まえた。だがそこから引き戻す力は足りなく、足場は思った以上に脆かった。
「う……わぁぁぁぁ!」
落下していく視界には木の枝が見えるが、その下は水だ。どうにかアーリンの頭を庇って下になったジェイソンの背や体に枝がバシバシ当たる。そして背中から思い切り、水面にたたきつけられた。
一瞬息が止まるかと思った。だが泉は案外深さがあった。何より落ちたのはそう高い場所からではない。二メートルと少しだろうか。
二人で水面に顔を出すと、肩の辺りまで水がある。逆に言うと足がつく。
「大丈夫か、アーリン!」
「お前こそ大丈夫か!」
互いに安否を確認し、とりあえず重い溜息が出た。安堵したのだ。
「とりあえず出よう。体、大丈夫か?」
「平気だ。ジェイソン、お前こそ大丈夫なのか?」
「ん? うーん、多分」
とりあえず今は痛みを感じていない。
アーリンが手を引いてくれて、泉からどうにか上がる。全身びしょ濡れだ。流石に五月ではまだ寒い。思わず自分を抱いてブルッと震えると、左手がヌルッと滑った。
「ジェイソン!」
「ありゃぁ、やっちゃったか」
見れば右腕から派手に出血している。多分岩場から出ていた枝にひっかけたのだろう。見事に裂けてしまっていた。
「やっちゃった……もっと焦れ!」
「や、大丈夫だって。動くし、ちゃんと痛い」
「お前はどれだけ脳天気なんだ!」
怒りながらもアーリンはポケットからハンカチを出して細く裂き、それを傷に巻いて縛ってくれる。圧迫される感じが慣れないけれど、なんとなく嬉しくもあって笑った。
「何笑ってるんだ」
「え? いや、嬉しいなって」
「こんな怪我までして、何が嬉しいんだ」
気落ちしたように目の前で項垂れるアーリンは震えていた。寒いのかと思って手を出したら、それは拒むように払いのけるのだ。
「俺に関わるとろくな事が無い。お前も分かっただろ。これ以上関わらないでくれ」
「何も分からないって。どうしてそうなるんだ? 誰かがそんなこと言ったのか?」
「見れば分かるだろ! 俺は! ……俺は、側にいる者を傷つける。こんな……どうしようもない人間だ」
萎んでいく声は震えている。体は震えている。そのどちらも悲しくて、ジェイソンは両手でしっかりとアーリンを抱きしめていた。腕は痛んだが、心は満たされるように温かく感じた。
「ジェイソン!」
「俺はアーリンが、そんな疫病神みたいな奴だなんて思わない。アーリンは真面目で、努力家で、とても強い。俺はそんなアーリンを尊敬する」
「ジェイソン……」
ふと、アーリンの体から力が抜けたように思えた。寄りかかるように任された心地よさにドキドキする。初めて彼が見せてくれた弱さに思えた。
「お前、本当にバカだ。俺の事知ってるのに……国の裏切り者の一族なんだぞ」
「? それはアーリンじゃないだろ? それなら何も関係ないよ」
「それがバカだって言ってるんだ。皆、俺の事を知ったら石を投げて罵ったんだぞ」
「そいつらが間違ってると俺は思う」
強い声で伝えたら、アーリンは服の前を握って顔を押しつけるようにしてくる。泣いているのかもしれない。何か言葉をと思ったけれど、ふとオスカルの「黙って受け止めるのもいい男」というウインク混じりの言葉を思い出した。
ただ背中に腕を回して、抱きしめてみる。静かな時間に言葉はなかったけれど、不思議と心地よいように思えた。
どのくらいそうしていたのだろう。流石に体が冷えて、夕刻の風にブルッと震えた。それに気づいたのだろうアーリンが慌てて胸を押して体を離し、ほんの少しばつの悪い顔をした。
「すまない、その……有難う。戻ろう、風邪をひく」
「あぁ、うん」
アーリンが居なくなった腕の中がぽっかりと空いて、寂しくて寒く感じる。それが少し不思議にも思えるけれど、差し伸べられた手を取るとまた温もりが戻ってくる感じがする。
「なんだお前、ニヤニヤして」
「え?」
腕を引かれながら上へ向かう道を探して歩いていると、アーリンがこちらを睨んでくる。けれどジェイソンは嬉しい気持ちもあって笑っていた。どうしてこんなに嬉しかったりするのかは不思議だけれど。
「嬉しいから、かな?」
「はぁ?」
「アーリンが手を繋いでくれるから、俺嬉しいなって思って」
「っ! バカか!」
「かも?」
確かにバカな事かもしれないけれど、小さな事で幸せを感じるなら嫌な事じゃない。単純ってよく言われるけれど、ダメな事ばかりじゃない。
アーリンは一瞬驚いたように目を丸くして顔を赤くしたけれど、その後はこちらを振り向く事はなく黙々と道を探して前を歩いてくれた。
結局、ずぶ濡れで施設に戻ってきたのはすっかり夕日が沈んだ後。ちょうど捜索隊が組まれた頃だった。当然のように大目玉だが、その前に風呂と治療ということで医務室にぶち込まれ、服を剥ぎ取られ、ジェイソンは傷を診てもらった。
案外深かったみたいだった。実際戻った時もまだ出血は止まらなくてアーリンが心配していた。リカルドが診察をして、すぐにクリフが呼ばれ何かを話し合った後、縫うことになった。しかも十針も。ちょっと驚いた。
アーリンはその間お風呂に放り込まれていたから、医務室にきて縫われているのを見て顔色を悪くした。
少し遅れてジェイソンも風呂に入り、ランバートにこってりと説教をされ、今日は二人で説教部屋で謹慎を言い渡された。そしてジェイソンの傷が癒え次第、二人そろって罰があると言われてしまった。
アーリンは怒られた事に少ししょんぼりしていたけれど、ジェイソンはちょっとだけ嬉しかった。アーリンが一緒なら、罰だって悪くないと思ったから。
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