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14章:春色アラカルト

10話:お疲れ様を言いたくて(ハリー)

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「お帰り、コンラッド」

 新人が入って一週間あまり、ハリーの恋人は疲れている。

「ただいま、ハリー」

 そう言って笑う顔に力がない。そういう彼を迎えるのは、あまり嬉しくないのだが。

 現在、ゼロスはクラウルの部屋で謹慎している。もう半分住んでいるようなものだと思うから、いっそ結婚して同室になってくれるとこの空いた部屋にハリーが引っ越しの申請を出せるのだが、あいにくとまだだった。
 いっそのことハリーとコンラッドが結婚すれば同室になれるのだが、コンラッドの中ではまだそこまで話が進んでいない。それは確かめるまでもなく察せられる。

「大丈夫?」
「え?」
「なんか、くたびれてるんだけど。新人の研修とか大変?」

 ベッドにだらしなくうつ伏せに寝転がったまま足をパタパタさせて問いかけると、コンラッドは苦笑してみせた。

「ごめん、そんなに疲れてるか?」
「ものすっごく。クラウル様の刺傷事件や、ゼロスの失踪事件でも休みなく働いてたしさ。それが終わったら新人研修の補助だろ? 体、大丈夫?」

 思わずそう聞いてしまうくらいには、コンラッドは多忙だった。

 新年早々にあったクラウルの刺傷事件で、ゼロスは精神的にかなり追い込まれていた。この状態を幼馴染みのコンラッドが放置できないのは理解できる。
 そして三月の終わりにあったゼロスの失踪事件。こっちだって親友で幼馴染みのゼロスの為に、コンラッドは精神的にもすり減らして頑張っていた。
 なのに四月に入って新人が入り、その研修の補助をしている。師団長のアシュレーは新人研修ばかりに時間を割いてはいられない。だから優秀な人物にも補助を求める。
 ハリーだって第四師団の主に殿として、武についての補助をしている。今年もなまっちょろいのが結構いる。
 そしてコンラッドは少し働き過ぎだ。

 だが、一番の問題は当人に無理をしているという自覚が全くないことなのだろう。

「あぁ、大丈夫だよ。食べてるし、寝てるから」

 これだ。へらへらっと力なく笑って、少しふらふらしながらベッドに横になる。そして着替える間もなく爆睡している。これが最近のお決まりスタイルだ。

 立ち上がったハリーはコンラッドをしっかりベッドに寝かせ、胸元を少し緩めて布団を掛けてやる。多少やつれていると思うんだけれど、本人が「そんなことない」と言い張るのでどうしようもない状況だ。

「何が大丈夫だよ、まったく」

 全然大丈夫ではないコンラッドの髪を軽く撫で、ハリーはそこにキスをする。倒れるような事がないようにと、願いながらだ。


 第四師団にも新人は入ってきた。まぁ、補充人数は少ないけれど。

 剣の訓練をハリーは受け持っている。十人くらいを相手にしているが、他の隊に比べると入ってくる隊員も小柄な者が多い気がする。そして、初期値がめちゃくちゃ低い。
 今も一人を剣で押し返したハリーは、厳しい目を新人くんに向けていた。

「敵を相手に腰が引けてちゃ勝てないだろ。力入れて打ち込んでこないと。言っとくけど、実践だったら今頃死んでるからね」
「はい、すみません!」
「もう一回並んで。はい、次!」

 順番に並ばせた新人くん達を一人ずつ相手して、負けたら後ろに並ぶようにしている。本当は勝つまで頑張れなんだろうけれど、彼らはまだそんな体力もない。並んでいる間が、休む時間だ。
 そうして午前中の訓練を終えて食堂へ行こうとすると、そのタイミングでランバートが近づいてきた。

「あれ? どうしたのさ、ランバート」
「ハリー、コンラッドが倒れた」
「え?」

 思わず目が点になり、次には焦りが押し寄せた。やっぱり無理をし続けていたんだと思ったら落ち着かない。

「あの、どういう状況?」
「基本的には過労。それで目眩起こして倒れたんだけど、その場所が悪くて」
「もしかして、大怪我!」

 階段でふらついてそのまま落ちたとか、訓練の最中で場所が悪かったとか。色々考えたら心臓が痛くなってきた。
 けれどランバートは苦笑して、首を横に振った。

「足下の悪い所で、足を挫いたのと少し額を打ったくらい。足の方は一週間もすれば問題ないから休めって、エリオット様が」
「そう、か……よかったぁ」
「過労の方が問題かな。しばらくは訓練も研修も休んでのんびりするようにって言われてる」

 ホッとしたような苦笑を浮かべるランバートに、ハリーも力が抜けた。とりあえず大変な事にはならなかったと思えば落ち着く事もできる。

「あいつ、なんだかんだでずっと忙しかったからな」
「昨日も疲れた顔をして帰ってきた」

 行き先を食堂から病室へと変更して向かう間、ハリーはランバートの隣に並んだ。色んな人と行き過ぎる中、ハリーは徐々に気持ちが落ち込む感じがあってうつむいた。

「俺がもう少し、コンラッドの事見ててやれば倒れる前にどうにかしてやれたのかな」

 思わず出てしまった弱気な言葉に、ランバートはこちらを見る。そして穏やかに首を横に振った。

「ハリーが責任を感じるような事じゃないよ」
「でもさ!」
「コンラッドの性分もある! ゼロスが謹慎中で、第一の中でも上になって下を見なきゃならない立場になって、力加減を間違ったんだ。本人も申し訳ないって言ってたよ」

 責任感が強い。努力家で、周囲をよく見ている。だからこそ気づく事も多くて、優しいから落ち込む新人とかを見ると放っておけない。それが、コンラッドのいい所。でも同時に頑張りすぎて、気を遣いすぎるからハリーにすら平気な顔をする。全然、できていないのに。

「……俺も、有給使おうかな」
「ん?」
「コンラッドの側にいたいなって。頑張ってるから、こんな時はねぎらいたいし」
「んー」

 この場所で休養というのは、逆に気を遣う気がする。周囲が働いているのに自分は動かないとなると気が休まらない。コンラッドはそういう奴だ。
 ランバートは何やら考えている。そして、ハリーを病室に案内するとどこかへ行ってしまった。

 ノックをすると声が返ってくる。ドアを開けると彼は上半身を起こしていて、申し訳なさそうに弱い笑みをうかべていた。

「ごめん、心配かけて」
「そんなのいいんだって。足、大丈夫か?」
「全く問題ないよ。ちょっと違和感があるくらい」

 ベッドの側に椅子をもってきたハリーに足を見せてくれた。固定はされていても添え木などはなく、本当に軽い怪我なんだと分かる。額も一カ所ガーゼを当てられていたが、逆に言えばガーゼ固定でいいレベルの怪我なんだ。

「情けないよな。ハリーにまでこんな心配かけて」
「俺についてはいいんだって。コンラッドが大丈夫なら俺に気を遣う事なんてないから」

 言っても、コンラッドはやっぱり困った顔のままだ。
 申し訳ないなんて、思わなくていい。疲れているのに気を遣わなくていい。

「ハリー、今昼時だろ? 食事は?」
「今はここにいたい」
「駄目だって、食べないと。午後だって訓練とか研修……」
「いいの! 今は、コンラッドの側にいたいんだよ」

 布団の上にあるコンラッドの手に触れて、ハリーは動かない。コンラッドもまた諦めたのか溜息をついて、柔らかく頭を撫でた。

「心配かけてごめん。本当に、大した事はないんだからな」
「うん」
「訓練は行けよ」
「分かってるよ」
「ご飯」
「しつこいな。いいの」

 ハリーはそのまま昼の時間が終わるまでずっと、コンラッドの側にただただ居続けたのだった。


 午後の訓練が滞りなく終わり、オリヴァーへの報告を丁度終えた。そのはずなのに、何故かハリーはその場に残されている。

「あの……俺、何かヘマしましたか?」

 普段だったらそんなことないと言い切れるが、今日は時々心ここにあらずだった。だからその間に何かしでかしたかと不安になったのだ。
 オリヴァーは綺麗な瞳をこちらへと向けて、柔らかく微笑み首を横に振る。新人は誰もがこの笑みに一度は惚れ、後に恐ろしさを知る。それもまた通過儀礼のようなものだ。

「ハリー、これをどうぞ」
「へ?」

 出されたのは三つ折りに畳まれた紙。多分何かの書類だ。だが、こんな物を貰う理由が分からない。過去に出した書類などは全て受理されているはずだ。
 恐る恐る受け取って中を確かめて、ハリーは目を丸くしてもう一度最初から読み直した。
 それは明日から七日間の、有給許可証だった。

「あの、これ!」
「コンラッドが倒れて、七日ほど休むのでしょ? その間、貴方も休んでいいですよ」
「でも俺、こんなの出してない……」
「いりませんか?」
「欲しいです!」

 チラリとランバートにこんなことをこぼしたけれど、有給許可はそうポンポンと出るものではない。今日出して明日なんて、よほど上のほうでなければ……
 そこまで考えて、ハリーは申請者の欄を見て納得した。

「ランバート」
「貴方が落ち込んでいるのを見て、午後からあちこち調整してくれたようですよ」
「いい奴」
「まったく、甘いですよね。でもまぁ、彼は皆に甘くて自分に辛いですよね。本人はほぼ働きづめですよ」
「大丈夫なのか?」
「顔色もいいですし、毎日精力的ですからね」

 書類はばっちり申請者のランバートの名前、ハリーの上官であるオリヴァーのサイン、そしてファウストとシウスの署名もあった。明日から七日間、有給だ。

「コンラッド、自室に戻っているようですよ。言って、明日からどうするかを話してごらんなさい」
「オリヴァー様。有難うございます!」
「有意義な休日を。ですが、帝国騎士団としての振る舞いも忘れずにいるのですよ」
「はい!」

 明るく返事をしたハリーは浮かれ気分でコンラッドの部屋へと戻っていく。
 だが部屋で待っていたのは、難しい顔をしたコンラッドだった。

「コンラッド、どうしたの?」
「あぁ、ハリー。あの……なんと言えばいいか」
「?」

 首を傾げてコンラッドへと近づいていく。彼も何やら封筒と紙、そして鍵を持っている。一体、何事だろうか。

「どしたのその鍵?」
「ランバートからなんだが……」
「ランバート?」

 こっちもランバートか。何やら企んでいるのだろうか?

 コンラッドは無言で手紙をハリーへと渡す。その書面には王都近郊ののどかな場所に小さな家をヒッテルスバッハが持っていて、現在使用者はなく通いのお手伝いさんが掃除等をしてくれている事。そこを使っていいということ。詳しい地図があり、休日をそこで過ごしてはどうかという提案が書かれていた。

「うわぁ、さすが公爵家」
「ハリーもと書いてあったんだけれど、仕事」
「それなんだけどさ、ランバートが有給もぎ取ってくれたみたいで」
「え!」

 目を丸くするコンラッドに苦笑したハリーが、今度は有給許可証を見せる。それを見て、コンラッドはがっくりと肩を落とした。

「あいつ、気を遣いすぎ」
「ははっ」

 まぁ、確かにそうだとは思う。
 けれど同時に、今は有り難い。正直休みを貰っても宿舎だけでは時間を持て余すし、何よりコンラッドが休めない。きっと動けない事を不甲斐ないと思って落ち込むだろう。それを思えば旅行でも何でも理由をつけて宿舎を離れたいのだが、生憎行く場所の確保がこれだけ急だとできないのだ。

 眉間に皺を寄せそうなコンラッドに、ハリーは笑って手紙を読み直す。日中はこの通いのお手伝いさんがいて、夕食の手配までしてくれるし、風呂の支度もしてくれる。夜には自宅に帰るが近所なので、何かあれば頼る事。家の中の物は好きに使っていいという事が書いてあった。

「楽しみだな」

 思わず呟くと、コンラッドがこちらを見て苦笑する。その困った唇を指でちょんとつついて、ハリーは蠱惑的な瞳を向けた。

「こら、そんな顔しないでよ。せっかくの好意は有り難く受けようよ」
「でも」
「コンラッド。これで断ったらここまでお膳立てしてくれたランバートの顔を潰すよ。折角だし、それに……最近忙しくて、恋人の時間持てなかったしさ」

 少しあざとく上目遣い。そうすると、コンラッドは顔を赤くする。付き合いだしてけっこう経つのに、未だにこんな顔をしてくれる初心な彼だ。

「いいだろ、コンラッド?」
「う、ん」
「よっしゃ! じゃ、荷物まとめてくるね。あっ、コンラッドのは俺がまとめるから。馬車は乗り合い使おうか。確かこの場所までは馬車で二時間くらいだし」

 なんだかとても楽しくなってきた。ハリーはルンルン気分で部屋へと戻って荷造りをして、コンラッドの荷物もまとめた。
 そうして明日を楽しみに夕飯を食べ、彼の腕の中で早々と眠りに落ちたのだった。

◇◆◇

 翌日、ハリーはコンラッドと一緒にランバートにお礼を言って乗り合い馬車に乗った。旅路はとてもゆっくりと、途中何度か乗り合い所に寄ったりもしながら、常に数人の乗客と話したりして順調に田舎道を進んでいく。
 だが二人はこの先で、ランバートという人物がやはり公爵家の人間なんだと実感させられることになった。

 王都近郊とはいえ、割と平凡で長閑な田舎であるこの地方でもその家は大きい。立派な門があり、前庭がある。ランバートが言っていた通り平屋でこざっぱりはしているが、想像していたリビングとキッチンとダイニング一体型に寝室一間というごく一般的な家の間取りとは違っていた。

「……なぁ、コンラッド。ランバート、あまり広くないって言ってたよな? 使用人の休暇とかに使用してもらってるって」
「あぁ」
「何部屋あんの、ここ?」
「窓の数を数えるだけで、多分八つ以上あるな」
「俺たちだけだよ! 使い切れないよ!」

 彼の言う狭いは、もしや本邸基準なのか? だとしたら納得できる。

「とりあえず、中に入ろうか。確か使用人さんがもういるはずだし」
「うん」

 コンラッドの分も荷物を持って門を抜けてドアを叩く。すると中からバタバタという重そうな音がして、ドアが勢いよく開いた。

「おわぁ!」

 あまりに突然だったもので驚いたハリーを庇うようにコンラッドが前に出る。そうして出迎えてくれたのは、随分と恰幅のいい女性だった。

 横幅はハリーの二倍、身長はコンラッドと変わらない。縮れた金髪をきっちりと後ろに束ねた彼女の腕はボンレスハムのような逞しさだ。頭は比較的小さめで、目がつぶらな感じがする。
 彼女は二人を見てつぶらな瞳を丸くして、とても人好きのする笑みを浮かべた。

「あんれまぁ、驚かせてしまったかぁ? すまんことをしたねぇ」

 訛りの強い言葉にハリー達の目が点になる。だがそれもお構いなく、彼女はニコニコと笑っていた。

「ランバート様から話は聞いてますですよぉ。ようこそおいでくださいましたぁ」
「あぁ、うん。えっと……よろしくお願いします」
「はいはい、こちらこそよろしくお願いしますね。荷物預かりますよぉ」

 ハリーが荷物を二つ彼女に差し出すと、彼女は腕一本でそれを軽々と持ち上げて中へと二人を招いてくれる。
 コンラッドと二人顔を見合わせたハリーは、そろそろと中へ入っていった。

 家の中はとても綺麗で、空気もとても澄んでいる。華美な装飾や調度品は一切なく、使い勝手のいい年代物の家具が置いてある。
 使用人の彼女はすぐに主寝室へと二人を案内し、そこに荷物を置くとリビングへと誘ってくれた。廊下の半分ちょっとを占領するずんぐりとした体を揺すりながらも、彼女の動きは機敏でまったく危なげがない。

 そうして案内されたリビングは、ホッとする暖かさのある場所だった。

「お疲れでしょう。ソファーにでも座って待っててくださいな。お茶の支度をしますからねぇ」
「あの、お構いなく」
「そうは行きませんよぉ。ランバート様からのお手紙じゃぁ、コンラッドさん? は足を怪我してるそうですし。悪くなってはいけませんからねぇ」

 こんな時でも気遣いのコンラッドが声をかけるが、彼女はテキパキと動いて笑う。リビングとキッチン、そしてダイニングが一間になっている構造は一般の家にも見られる形で馴染みがある。普通の一般宅はこんな感じだ。

 年代物っぽいソファーはくたびれてなんてなく、とても座り心地がいい。目の前にある洒落たローテーブルも大事に使われているのだろう。木が長年の色んなものを吸収して飴色になって、木目が綺麗に浮き出ている。
 彼女は手早くお茶の準備をして二人の前にカップを出して、少し離れてお辞儀をした。

「自己紹介が遅れてしまって、申し訳ありません。私ここの管理を仰せつかっております、イザドラと申します。お二人がここにおります間、身の回りのお手伝いをさせていただきますのでどうぞよろしくお願いします」
「ご丁寧に有難うございます。俺はコンラッド。こちらはハリーです。滞在中、お世話になります」
「あらあら、ご丁寧に有難うございます。ランバート様のご友人と聞いて緊張しておりましたが、良い方で安心しました」

 ニコニコと笑うイザドラにコンラッドも穏やかに笑う。ハリーも同じようににこりと笑った。なんだか彼女の空気感はこちらも明るい気持ちにしてくれて、かつ邪魔にならない。居心地のいい感じがした。

「さて、では早いですが夕食の準備をしませんとねぇ。何か食べたいものはありますかぁ? この辺は川魚がよく捕れますし、野菜も美味しいですよぉ。奥には酪農をやってる家もあって、美味しい肉も手に入るんですよぉ」
「うわぁ、凄い! 何がいいかな?」
「確かに凄いな。俺は魚が食べたいけれど」
「いいね!」
「はいはい、かまいませんよぉ。では私は買い物に行ってきますので、少し席を外しますねぇ。あと、この家の鍵は全部屋開いておりますんで、お好きに見て回ってくださいねぇ」

 大きな体をのっそりと動かしたイザドラが、やはり機敏な動きでリビングから出て行く。その背中を見送って、ハリーはどっかりとソファーに背を預けた。

「凄い迫力。驚いたなぁ」
「確かに、凄いな」
「しかもただ者じゃない! 体格のいい第五と同じくらい機敏だよ。あれだけ横に大きいのに」
「こらハリー、女性に対して失礼だろ」
「でも、事実じゃん」
「事実ほど残酷な事はないんだぞ」
「コンラッド、逆に酷い」

 こんな事を話して、最終的には笑う。そうして二人でソファーの上、だらりとしながら明日の話を始めた。

「農場があるのか。気になるね」
「川があって魚が捕れるなら、釣りもいいかもな」
「足、大丈夫なのか?」
「問題ないよ。今朝は違和感もほとんどないし、エリオット様は訓練みたいに足を酷使しなければ問題ないと仰っていた」

 それなら少しくらい散策してもいいのだろう。そう思うとここはかなり楽しめそうだ。

「後でイザドラさんに、いい場所ないか聞いてみようか」
「そうだな」

 互いに穏やかに笑って、コンラッドの方からそっと手を握ってくる。触れる体温の暖かさが心地よく、ハリーは彼の肩に頭を預けて目を閉じる。こんなにゆっくりした時間は、本当に久しぶりな気がした。

 夕飯は川魚の塩焼きに新鮮野菜のグリル、野菜とベーコンのスープに、取れたての苺だった。
 どれも素朴で美味しくて、苺なんて粒が大きくてピカピカの宝石みたいだ。大きな口で頬張ると、程よい酸味と甘みに幸せな気分だった。

「美味い!」
「あれぇ、それはよかった。うちの旦那も喜ぶねぇ」
「旦那さん?」

 ハリーが問いかけると、イザドラはコクンと頷いた。

「農家をやっててねぇ、この時期は苺が旬なんだよ」
「それって、収穫体験とかできますか?」
「できるけれど……やりたいのかい?」
「やりたい!」

 ハリーが元気よく手を上げると、イザドラは豪快に笑い快諾してくれる。
 食事を食べて次はお風呂。脱衣所を抜けた先に現れた風呂はやはり大きい。洗い場も広く、湯船はコンラッドとハリーが二人で入って十分ゆったりできる大きさだ。

「極楽~」
「おっさんくさいよ、ハリー」
「いいじゃん、気持ちいいんだし」

 湯船に肩まで浸かってじろりとコンラッドを睨む。コンラッドは苦笑して、頭を撫でた。

「子供じゃない」
「分かってるよ」
「頭撫でようとした」
「可愛かったから」
「かわ! ……」

 突然出てきた「可愛い」の言葉にカッと体が熱くなる。恥ずかしいのが大半だが、ほんの少し嬉しくもある。
 言ったコンラッドはまったく意識せずにこんな言葉が飛び出したのだろう。どうしたのかと首を傾げている。

「タラシ」
「えぇ!」
「もう、コンラッドは本当に」

 慌てているコンラッドの顔に手で水鉄砲を作ったハリーの攻撃に、コンラッドは手でそれを防ぐ。そうして結果的には二人して水の掛け合いになって、なんだか子供っぽくて最後は恥ずかしくなって上がった。

 上がるとイザドラさんがレモン水を出してくれる。棚にあるお酒も、お菓子も食べていいそうだ。
 そんな話をして、明日九時にここに来る事を打ち合わせした時、ノッカーが鳴った。

「こんな時間に?」
「誰?」
「旦那ですねぇ。夜は物騒だからって、迎えに来てくれるんですよぉ」
「ほぉ」

 ほんのりと乙女の顔をするイザドラに、ハリーは興味津々の顔をする。そしてコンラッドに「挨拶しておこう」と口実を作って玄関へと一緒に行くことにした。

 ドアを開けたイザドラの後ろから、ハリーとコンラッドもついていく。そうしてすっかり暗くなった外に、大きな男性が一人立っていた。

 ぼさっと硬そうな黒髪にひげを生やした男はいっそのこと巨人のような風貌だった。がたいがよくて肩幅が広く、腕や足は丸太のようだ。
 だが目は丸く小さくて、とてもかわいらしくも見える。イザドラとよく似ている気がした。

「迎えにきたよ、イザドラ」
「有難う、旦那様。紹介するわ、こちらがランバート様のご友人の、ハリーさんとコンラッドさんよ。アンタにご挨拶がしたいんだって」

 イザドラの紹介で前に出た二人に、イザドラの旦那はニコッと大きな口を笑みの形にする。そして大きな手を差し伸べてきた。

「そら、わざわざどうもです。イザドラの夫でランドンです」
「初めまして、コンラッドです。夕飯に頂いた苺、とても美味しかったです。有難うございます」
「気に入ってくれたんですかい! いやぁ、嬉しいですなぁ」

 芋虫のような太い指でガシガシ照れて頭をかくランドンは、コンラッドの脇に立つハリーにもにっこり笑顔を向ける。頭を下げたハリーにも握手を求めるランドンに応じて、今度はハリーが口を開いた。

「取れたての苺、とても美味しかったです。収穫のお手伝いなどは、体験できますか?」
「そんなことしなくても取れたてをイザドラに渡しますよ?」
「いえ! 直接取って食べてみたいなって……駄目ですよね?」
「なんだ、そんなことですかい! どうぞどうぞ、お好きなだけ食べて行ってくださいな」
「本当に!」

 パッと目を輝かせるハリーに、ランドンは人好きのする笑みで何度も頷いた。

 彼と後日苺や畑の収穫体験を約束したハリー達は、戸締まりをしっかりして寝室へと入った。そして早々にベッドへと寝転んだ。

「疲れたね」
「でも、有意義だったな」
「明日は何する? 釣り? 農業体験?」
「うーん、釣りかな」
「いいね」

 明日も明日で楽しみができた。二人で体温を分け合うように抱き合ったまま、二人は眠りに落ちていった。

◇◆◇

 翌日は日差しはあるが春らしい暖かさ。イザドラに釣りをしてみたいと伝えると、奥の納戸から釣り道具を一式出してくれた。しかも何やら箱に入った物も。
 案内されたのは家の裏手にある林を抜けたその先。散策路っぽい小道が開けたその先は、せせらぎが心地いい小川だった。

「お昼はこちらにお持ちしますかねぇ?」
「お願いします!」
「んじゃ、サンドイッチとかがいいですかねぇ。魚は期待してますよぉ」
「はーい!」

 イザドラが屋敷に戻り、ハリーは早速準備をする。川岸にある平らな石が調度良さそうでそこに荷物を持っていくと、ハリーは箱の蓋を開けた。

「うわぁぁ!」

 中を覗き込んだコンラッドが顔を青くしてのけぞる。中には生き餌が入っていて、蠢いていた。

「あははっ、コンラッドびびりすぎ!」
「お前は平気なのかよ」

 悔しそうな顔をするコンラッドの目の前で、ハリーは指で生き餌を一つ摘まんで針に刺した。

「平気。そりゃ、何の理由もなく掴むのは嫌だけど」
「意外と図太い」
「田舎暮らしが長いだけだって」

 笑って言いながらコンラッドの針にも餌をつけて、二人は釣り糸を垂れる。後は穏やかな時間が続くのだ。

「案外駄目だよね、コンラッド。前にランバートが鹿捌いてる時も駄目だったし」
「どうも苦手なんだよ。こう……内蔵とか生々しいというか」
「そんなこと考えた事もなかったな。第一、ちょっと違うけれど俺たちの腹の中にも詰まってるし」
「それはそうなんだが……」

 コンラッドは困った顔をしてしまう。よくよく考えると、コンラッドは騎士をする前は料理人修行してなかったか? こんなのに触れる機会は多いと思うのだが。

「調理師修行していた時は、平気だったの?」
「厨房に到着するときの食材は既に肉の状態なの。そっちは普通に美味しそうだ」
「内臓があるなしの違い?」
「うーん……内臓も扱うけれどそれは平気だったな。多分、生々しいんだよ色々。今まさに死んだばかりの臓器の色とか、ぬくもりとか」

 そういうものなのか。これでも一応第四のハリーはそうした感覚も麻痺しているのか、軽く首を傾げた。

「ねぇ、それならどうして騎士してるの? 騎士なんて命の奪い合いとか、削りあいだろ? そういうのは平気なの?」

 疑問に思って問いかけたら、コンラッドは意外と痛そうな顔で笑った。こういう顔を見ると、言わなければよかったと思ってしまう。

「あの、嫌な事なら言わなくてもいいから。ただ、何でかなって思っただけだから」
「あぁ、いや……。平気とは思わないし、怖いと思う時もある。自分の事じゃなく、仲間……特にハリーが命知らずな行動に出るといつも怖いよ。俺じゃ、守ってやれないかもしれないって」
「ごめん! あの……気をつける」
「うん」

 コンラッドの視線がハリーから外れて、水面を揺れる浮きへと注がれる。その横顔を、ハリーはじっと見ていた。

「正直、行き詰まっていたんだよ」
「え?」
「料理人」

 呟くような声で話をするコンラッドを見つめたままだったハリーは、彼と同じように視線を自分の浮きへと向けた。なんとなく、見られたくないんじゃないかなと思ったのだ。

「騎士になりたいと両親や兄姉に伝えたら、反対された。そうして流されて料理人を始めたけれど、ずっとモヤモヤはしていたんだ。俺の進む道はこれでいいんだろうかって、ふと冷静になると思うんだ」
「反対されたのは、危険だから?」
「それもあると思うけれど、それ以上に疎遠になるのが嫌だって。ほら、宿舎暮らしだし、独特の世界があるから家族とは疎遠になりやすいだろ? 俺の家はみんな仲が良くて、そういうの嫌だって」
「そっか」

 ハリーには、あまり家族の記憶がない。本当の家族は五歳の時に亡くした。それも、つい数年前に思い出した。忘れていた本当の家族の顔を思い出した時、ハリーは唯一の肉親を失ってしまった。
 だから思う。もしも両親が生きていたら、こんな風に心配してくれただろうか。どんな風に育ったのだろう。今のハリーに、なっただろうか。

「モヤモヤしていた時に、店のオーナーからもっと大きな店で修行してみないかって言われて、悩んだ。その頃にゼロスから、騎士団に入らないかって誘われたんだ。迷って……でもやっぱり小さな頃からの憧れを捨てられなかった」
「剣の道?」
「そう。小さな頃からページがすり切れるほど読んだ騎士物語が、やっぱり俺の願いなんだって思った。血とかあまり得意じゃないけれど、俺はその道に行きたいと思った。だから、勘当覚悟でこの道にきたんだ」

 そこでもしっかり頭角を現しているコンラッドは凄い。努力の人は昔から、色々頑張って、我慢もして、努力して、しっかりつかみ取っているんだ。

「血とか怪我はおかげで慣れたんだけど……内蔵出てるのはまだ慣れない」
「……俺がそんなんなったら、どうする?」
「え?」

 目を丸くして驚くコンラッドがこちらを見る。そして、嫌な顔をした。

「そんなことにはしない」
「わかんないじゃん」
「……もしそうなったとしても、それは怖くない。ハリーを助けるのに必死だと思う。万が一になったら…………それでも、怖くない。そんな事を考える気持ちは、多分残っていないよ」

 痛くて辛い顔をする。眉根が難しく寄って、泣いてしまいそうな目をしている。
 ハリーは竿を石の隙間に挟み込んで、思い切り抱きついた。驚いた声を上げるコンラッドに抱きついたまま、ぎゅうぎゅうに締め付けていた。

「ごめん、俺もそんなの嫌だ。コンラッドを置いていくのも、おいて行かれるのも嫌だ。だから、ごめん。嫌な思いさせてごめん」
「ハリー。……うん、平気。大丈夫だよ」

 穏やかに、優しく微笑むコンラッドが片腕で抱き返してくれて、落ち着く。自分で言っておきながら沈んだ気持ちが、浮上した。

 その時、コンラッドの浮きが水面に一瞬沈んだ。

「コンラッド、引いてる!」
「え? うわぁ!」

 竿がしなるような反応に驚いたコンラッドが竿を引く。そうして五分ほど格闘した結果、見事なヤマメが釣れた。

「いい形だな」
「だね」

 すぐさまナイフでエラに切れ込みを入れて血を抜き、腹を裂いて腸を出す。それを川の水で洗ったコンラッドはすぐさま串に刺した。

「それは平気なんだね」
「ん?」
「あぁ、うん。なんでもないよ」

 動物の腸は駄目でも、魚は平気なんだ。その違いはいかに?
 思ったが、あえてハリーは言わなかった。

◇◆◇

 休暇はとても楽しく進んだ。釣りをして、いちご狩りもして、収穫も手伝って。
 色んな事を気にしなくていい時間が過ぎて、遊んで、食べて、疲れたら休んで。そうして過ごす時間が有意義だったのは確かだ。
 けれど、これは休暇だからいいんだってのも、実感していた。

「コンラッド」
「なに?」
「予定早いけれど、帰らない?」

 休暇四日目、ハリーは夜に提案した。休みは後三日残っている。けれど、このままここにいられない気がしたのだ。
 うつむき気味に伝えたハリーの居心地の悪さ。折角ゆっくり過ごせるのに、それを切り上げようなんて。コンラッドがまだ居たいと思っているなら、申し訳なくなる。
 けれどふわりと微笑んだコンラッドは、頷いてくれた。

「剣、握りたいかな」
「いい、の?」
「うん。明日イザドラさんに話して、明後日帰ろうか」
「でも、まだ休日残ってるよ? コンラッド、過労だっただろ?」
「さすがに休み過ぎな気がしてるよ。体が鈍っちゃってる気がする。過労は、もう大丈夫。ゆっくりしすぎて働くの嫌になるのも困るしね」

 あぁ、同じ感覚だ。ハリーは思って、安心してふにゃりと笑った。

「良かった。俺、コンラッドに休んで欲しかったのに結局遊んじゃって、なのにこんなこと言い出すなんて、嫌な奴だなって思ってたんだ」

 コンラッドに休んで欲しかった。何かしてあげたかった。でも、何もできていない。それを思ったら、ちょっと胸が痛んだ。
 コンラッドは驚いたように目を丸くして、次には笑った。穏やかに、優しく。そして頭をポンポンと撫でるのだ。

「そんなこと思ってたのか? いいんだよ、気を遣わなくて。それに今回十分、俺は休めたし楽しかった。また来たいなと思うくらいだよ」
「でも俺はしたいんだ。何か…………あっ」

 思いついた。

「明日俺、コンラッドに色々したい! マッサージは今でもできるし。イザドラさんにもお願いして、なんかしたい」
「えー」
「したいの!」

 いつも優しくフォローしてくれるコンラッドに、今度はハリーが何かしたい。小さな事でもいいから。
 思い立ったが吉日。ハリーはベッドにコンラッドをうつ伏せに寝かせると、腰や足をマッサージした。

「どう?」
「気持ちいいよ。さすが第四」
「当たり前じゃん」

 第四は後方支援や現場での医療も仕事。簡単な止血や薬の塗布、応急処置はお手のもの。そして疲弊した隊員の疲労回復マッサージもやっている。こういうことが苦手とはいえ、それでもこう長くやっていれば慣れてくる。

 服の上から太ももの裏側をマッサージしていく。張り詰めた筋肉がしっかりと感じられて、また逞しくなったのを知った。それだけじゃない、腰も締まったし、背中も綺麗なラインだ。そして……

「コンラッドって、美尻だよね」

 小ぶりでキュッと持ち上がっていて、形がとても綺麗だ。しっかり筋肉がついているのに足が細くてしなやかで長いから余計に、尻が綺麗に見える。
 思わず尻たぷを手で揉むと、コンラッドから変な声がした。

「尻はやめろよ」
「えー、綺麗だから触りたい」
「……危機感が拭えない」

 ぽつりと呟かれた言葉を聞いて、ハリーはポカンとする。そして次には堪えきれない笑いが湧いて、ぷくくっと吹き出した。

「まさか、未だに尻の危険を感じてるわけ?」
「そりゃ、絶対はないだろ」
「ないけどさ」
「ないんだな……」

 確かに絶対なんて言わない。言わないけれど、ハリーにはその気はない。なぜならもう、彼に犯される快楽にどっぷりで、今更男としてとか考えていないから。

「心配するなよ、コンラッド。俺、突っ込むよりも突っ込まれる方が気持ちいいって思ってるから。コンラッドの尻は安泰だって」

 軽くパンと尻を叩いて、またマッサージを続ける。そうして程よく体がほぐれて温まった頃合いで隣に寝転んだ。
 抱きしめてくれる腕の逞しさが嬉しくて、ハリーは目を閉じる。落ちてくる眠気に従ったハリーは、明日どんな方法でコンラッドをねぎらおうか、そればかりを考えていた。

◇◆◇

 翌日、来てくれたイザドラに明日帰る事を伝えると、彼女はとても残念がってくれた。
 そうして現在、ハリーは朝食を作るべくイザドラと並んでキッチンにいる。第四で培った僅かな料理スキルを駆使している。作っているのはサラダとサンドイッチ、そしてスープだ。

「あんれまぁ、ナイフの使い方が上手ですねぇ」
「慣れてるからね」

 綺麗に野菜をカットして、それを盛り付ける。けっこう上手くできたと思う。
 最後にゆで卵のスライスをサラダの上に飾ってテーブルの上に。出来た事を伝えようとソファーにいるコンラッドを見て、ハリーは首を傾げた。
 本を読んでいる、その顔がなんだかつまらなそうに見えた。あまり、面白くなさそうな。

「コンラッド?」
「あぁ。出来たのかい?」
「あぁ、うん。食べよう」

 久しぶりに笑顔を作った。普段はそんなことをしなくても笑っていられるのに。
 本を閉じてゆっくりと近づいてきたコンラッドと一緒に食べている。その間、ハリーは何でもない話をそれとなくしている。この後の時間をどうしようかとか、そういうこと。けれどコンラッドは上の空なのか、反応が適当だった。

「あの、コンラッド?」
「……ハリー、この後散歩にいかないか?」
「え? あぁ、うん。勿論だよ」

 案外聞いていたらしい。コンラッドの提案にハリーは勿論頷いた。
 善は急げと食事を終えて外に出た。そうして小川に向かう小道を散歩しているけれど、不思議と会話はないまま。居心地の悪さを感じて隣のコンラッドを見るけれど、何やら考え込んでいるのか無言だった。
 そうして小川に到着して、二人で川に足を浸す。ひやりとした水の感触が心地よく感じて、ハリーはパチャンと水を跳ね上げた。

「コンラッド、何か怒ってる?」

 上目遣いに聞いてみる。隣の彼は少し遠くに視線を向けたまましばらく黙っていた。そして、突然と溜息をついたのだ。

「ごめん、違うんだ。なんていうか……自分の知らなかった一面を目の当たりにして困惑しているというか……呆れているというか」
「え? え?? どういうこと?」

 上半身を捻ってコンラッドの方へと向いたハリーを、コンラッドが困ったように見つめる。そして、不意に包むように抱き寄せてきた。

「俺を労うとか、そういうのはいいから側に居てほしい。ハリーが料理を作ってくれるのは嬉しいけれど、隣は俺がいい。楽しそうに君が笑うのに、そこに俺がいないのは嫌なんだ。そういう、嫉妬をしている自分を知って……落ち込んでいるというか」

 言いながら気まずそうに視線が斜め下へと外れていき、耳が僅かに赤くなっていく。そんなコンラッドを見ているハリーもまた、ドキドキと心臓が音を立て始めていた。
 だって、嬉しいんだ。嫉妬されるくらい、好きでいてくれることが。これがまったく気のない相手だったら嫌だけれど、恋人からの嫉妬。しかもそれを自分で反省しているとか。

 思ったら、ハリーはコンラッドに抱きついていた。

「全然嫌じゃないから! ごめん、気づかなくて。俺、コンラッドに喜んで欲しいと思ってたんだけど、間違ったんだね」
「違うよ、俺がちょっと狭量だっただけで、ハリーの気持ちは嬉しいから!」
「それでもコンラッドが寂しいとか、嫌だって思ったなら意味ないよ。だから、ごめん」

 互いに謝ったりしながら伝え合って、最後は笑った。

「じゃあ、夕飯は一緒に作ろう? 俺、コンラッドのご飯食べたい」
「そうだな。イザドラさんにご馳走しようか。お礼を兼ねて」
「いいね、それ!」

 コンラッドと一緒に厨房に立つなんて、想像もしていなかった。なんだか今から興奮する。ハリーはそのままの勢いでコンラッドに問いかけた。

「ねぇ、コンラッドは何が食べたい?」

 勿論夕飯のメニューという意味だ。というか、この流れではそれしかなかったと思う。けれどコンラッドは少し戸惑いながら、想像の斜め上の答えを返してきた。

「ハリー」
「へ?」

 聞き間違いだと思った。思ったけれど、あまりにはっきりだった。そう感じると次は顔が熱くてたまらなくなって、恥ずかしくて見て居られなくなった。

「あの、食べたいもの」
「うん、分かってる」
「……俺、なの?」
「駄目?」
「駄目じゃないけど……恥ずかしい」
「うん、俺も恥ずかしい。でも、折角こんな所まできたんだから……恋人の夜を過ごしたいと思う」

 確かにここに来てからエッチな事はしていない。それというのも毎日充実していて、夜になると眠くなってそのまま寝てしまうのだ。
 でも確かに、恋人の夜は欲しい。それでなくてもしばらく、コンラッドもハリーも忙しくてしていないのだから。

「あ…………美味しく調理してね?」
「勿論」

 チュッと額にキスをするコンラッドが今日は男らしくよりかっこよく見えるのは、ハリーの欲目なんだろうか?


 その夜はコンラッドと並んで料理を作り、お世話になったイザドラにご馳走した。とても喜んでくれて、そしてハリーも楽しかった。
 先にコンラッドにお風呂に入って貰い、イザドラに大丈夫と伝えて帰ってもらった。そうして風呂を終えたハリーは、なんだかとてもドキドキしていた。
 バスローブだけで何もつけていない肌が、妙に敏感になっている。期待しているとも言う。とりあえず体は中も外も入念に洗っておいた。

 主寝室ではコンラッドが、やっぱり本を読んで待っていた。同じようにバスローブのままで。

「遅かったね」
「まぁ、色々準備が……」
「あ……」

 察したのか、コンラッドが言葉に詰まり僅かに赤くなる。本を閉じ、そっと近づいてきて……優しく抱き寄せて髪にキスをした。

「俺がやるのに」
「手間だからさ」
「それも全部、俺がやりたいって思うんだけど」
「……恥ずかしいし」
「今更だと思うけれど」

 確かにその通りなのだが。それでもかなり間抜けな格好だと思うから、あまり見せたくない。理性がふやけてどうでも良くなったら話は別だけれど。

 手を引かれて、主寝室の大きなベッドに腰を下ろしたハリーを甘やかすように、コンラッドはキスをしてくれる。その度に、大事って言われているようでくすぐったい。照れてしまって、微妙に逃げ道を探してしまうことがある。

「ハリー、今日は俺がしてもいい?」

 少し低くて色香のある声がそんなことを言う。ドキリとして、ハリーはコンラッドを見た。
 今まで、ハリーはなんだかんだとコンラッドにこちらのイニシアティブを渡していない。勿論自主的に動いてくれるけれど、大抵はハリーが色々して欲しい事を言ったり、積極的に動いたり。
 これは当初、コンラッドがあまりにこちらの知識に疎く初心だったからで、そのままの流れが今まで続いてきたとも言える。

 でも……いいのかもしれない。コンラッドはハリーの嫌がる事なんてしない。それに、もう何度も肌を合わせているのだから慣れてきた。無茶もしない。少しドキドキはするけれど、これもいい流れだと思う。
 それに……

「それなら、俺からのお願い。コンラッドが満足するまで、して」
「え?」
「分かってるよ、コンラッドが優しいのは。俺に無理がないようにって、いつも気遣ってくれる。俺がイッたら後は無理しないだろ」
「そんなこと……」
「ないなんて言わせない。コンラッドはそれで納得出来てるかもしれないけれど、でも俺は嫌なんだ。コンラッドも十分満足してくれたほうが、俺は嬉しいよ」

 翌日の事とか、ハリーの調子とかをコンラッドはいつも考慮してくれる。それには優しさを感じるが、物足りなさや寂しさもある。少しくらい無茶をされたって簡単にどうにかなる体じゃないんだ。

 コンラッドは困った顔をしているけれど、ハリーが再度お願いすると了承してくれた。

 改めて唇に、首筋にキスが降る。くすぐったさと燻る熱に息を吐いた。敏感になっている肌に、唇と指の感触が心地よく感じる。
 指が確かめるように体を滑る、その微かな感覚がくすぐったい。指先だけで触れられるとピクピクと反応してしまう。脇から腹の方へ、探るようにするのはコンラッドの癖だ。

「もう、そんな触り方しなくても気持ちいいよ? もっと、ちゃんと触って」
「今日、敏感だから辛くないか?」
「そういうこと気づくんだったらそこを攻めてよ。俺、もっと気持ちよくなりたい」

 気づかれていた。いや、もう何度も体を重ねているのだから当然と言えば当然だけれど。

 コンラッドの動きが徐々に大胆になっていく。指先で触れていた部分が手のひら全部になって、体を確かめていく。腹筋の辺りとか、脇腹とか。そしてもっと敏感な乳首を、ペロリと舌が押しつぶした。

「っ」

 すっかり性感帯になった部分が気持ちいい。ゆっくり舌で舐められると、ゾクゾクする。そして、もっと舐めてと言わんばかりにぷっくりと尖って硬くなってしまう。
 コンラッドは丁寧にそこを刺激してくれた。周囲も舌で刺激して、美味しそうに色付いた所を口腔に納めて吸い付かれる。ヒクンと腰が浮いた。とてもやんわりと、快楽に飲まれていく感じがする。

「コンラッド、もっと強くしてよぉ。俺、これおかしくなりそう」

 ぬるま湯に浸されて、心地よく受け入れて、気づいた時には出られない。体も心もコンラッドに支配されてしまいそうで怖い。自分も気づかないうちに緩やかに理性を失っていくのだ。

「もっ、こっちも柔らかいから。入れてよ」

 強い刺激で一気に理性を奪われた方が恥ずかしくない。そんな気がしてハリーは自分の片足を掴んで開いた。誘った……のは、成功した。ただ、思わぬ感じだった。

「さすがにそれはできない。俺も、その……けっこう興奮してるから」
「あぁ、うん……」

 コンラッドのそれは少し長さがある。ただ太さはごく一般的だし、コンラッドは無理をさせないから加減をしてくれる。気持ちいい場所だけを擦ってくれてあっという間に上り詰めてしまうこともしばしばだ。
 けれどそれが好きなんだ。いや、今日はもっとちゃんと、深く何度も繋がっていたい。

「コンラッド、そのままでいいから……駄目なの?」
「辛くなるだろ?」
「でも、俺ね、そういうコンラッドの男の部分が好きだよ」

 優しいばかりじゃない男のコンラッドが好き。頼りがいもあって、安心して寄り添っていられるのもいいけれど、少し強引な彼も見てみたい。
 見上げるコンラッドの瞳は、理性と色気が入り交じって少し辛そう。だからこそ、そっとキスをした。

「俺で、気持ちよくなってよ。俺、全部受け止めるからさ」
「でも……」
「お願い。駄目なんて言わないでよね」

 チュッと唇にキス。返ってくるのはもっと深いもので、舌も全部が熱くなっている。知ってる、いつも理性はギリギリだって。そういう顔を見るたびに思うんだ。優しい大人の仮面を、剥がしてしまいたいって。

 「顔が見たい」というハリーの我が儘を聞いて、コンラッドはオイルで濡らした指を後孔へと宛がう。ゆっくりと入り込んだ指は長くて繊細で、触れるのもソフト。けれど今日は慣らしてきたから、指一本じゃ足りない。

「んっ、指二本でいいよ」
「みたいだね」
「んあぁ! あっ、そこ気持ちいい」

 指二本で広げられ、浅い部分を擦りあげられる。弱い部分をコンラッドの指で擦りあげられると、ゾクゾクッとした快楽が背を伝って頭まで駆け上がってくる。

「ここ、好きだよね」
「んぁ! あぅ、好きだよ」
「ここやると、いつもよく締まるしイクから」
「分かっててそこばかり攻めるの止めろよぉ」

 ヌチッニチッとオイルを掻き回す音がいやらしく響いて恥ずかしい。カッと熱くなるのと一緒に、気持ちよくて中が締まる。コンラッドはずっと弱い場所を刺激していて、腰が蕩けそうになる。
 これだけで余裕はほぼないのに、今日のコンラッドは普段してくれない事をしてくれる。自らハリーの昂ぶりを手にすると、深く口腔へと納めてしまった。

「やぁ! あぁぁ!」

 不意打ちで、一気に気持ちよくなって出てしまった。中がキュゥゥと締まって、コンラッドの指を締め付けている。そこを指を広げるようにしてこじ開けられて、ハリーは目がチカチカした。

「やっ、駄目、イッてる」
「うん。でも、気持ちいいだろ?」
「はぁんっ!」

 腰骨がビリビリする。気持ちよくてたまらない。容赦なく指が三本になって、中を更に広げてくる。足されたオイルが掻き混ぜられて奥で泡だっている音がする。
 こんなの、いつものコンラッドではない。けれど、それがいい。彼の瞳を見て、もっと犯されたいと思ってしまった。鋭くて、色っぽくて、余裕のない顔。

「ごめん、ハリー……もらって、いい?」

 ギラギラした目がこちらを見ている。こういう目に、ゾクゾクと感じてしまう。

「勿論、いいよ。早くきて」

 両手を広げて迎え入れて、後孔に熱い楔が当たる。抱きついて、抱きしめられたままゆっくりと入ってくるそれを深く受け止めたハリーは、それだけで満たされていくように感じた。
 ぴったりとかみ合うように馴染む楔が、深く腹の奥まで入っている。苦しいけれど、この苦しさが好きだ。絡め合うようにキスをしながらゆっくりと抜ける楔が、内壁をズルズルと擦りつけていく。

「んぁあ!」

 抜けた物が一気に奥まで突き込まれる。圧迫感に声が押し出されるように出る。逃がさないようにと抱きしめてくれるコンラッドの腕の中で、ハリーは震えながら全てを享受している。

「いい?」
「もち、ろん。コンラッド、気持ちいいよ」

 汗で濡れた髪を大きな手が撫でてくれる。それが気持ちいい。突き込まれ、その度に奥が締まる。気持ちよくてふわふわ浮いている感じがした。それが、心地よかったりする。

「あっ、あぁ、んぅ、イッ……っ!」

 浅い部分を重点に突かれて、こみ上げる波が押し寄せる。
 察したコンラッドが前を軽く扱くだけで、ハリーは堪えきれず出してしまった。
 普段ならここでコンラッドは抜いてくれて、甲斐甲斐しく世話をしてくれる。
 けれど今日はそんな気遣いはいらない。コンラッドに抱きついて、更に彼の腰に足を絡ませて、ハリーは「もっと」と繰り返した。

「っ! 知らないからな」

 切迫した声と同時に強く打ち込まれた楔が腹の底を打つ。これまでにない強引な腰使いに涙と嗚咽がこみ上げた。奥の閉じた部分をコンコンされ、強く早いピストンに翻弄されて腹の中が熱い。
 同時にピンと立ち上がった乳首を舐められ、吸い上げられて中だけで達した。キュウキュウに締め上げたまま、お構いなしに犯されている。しっとりと汗をかくコンラッドの背中に僅かに爪を立てても、ハリーの足はコンラッドをホールドしたまま。

「ひぐぅ、あっ、イッ、もっ、イキっぱなしっ」
「ごめん、止まれない。もう、出すからっ!」

 中で育って大きくなる熱源が、より深くを求めてくる。苦しくてクラクラするのに好きって、妙な中毒のようだ。
 この妙な感覚に犯され続けたら頭の中も真っ白になるんだろうか。

「あっ、く……る? あぁ、やっ、怖い! コンラッドぉ!」
「くっ!」

 腹の深い底からこみ上げる感覚は覚えがなかった。這うように上り詰める感覚にゾクゾクして、これが爆発したらどうなるんだろうと、恐怖と期待が入り交じる。
 そこを、コンラッドが激しく責め立てて最奥を何度も抉りだしていく。ハリーの中で得たいの知れない快楽が顔をのぞかせた瞬間、感じた事のない深い部分に楔が僅かにめり込んだ。

 瞬間、狂ったように嬌声を上げたハリーは達した。頭の中は真っ白で、イッている感覚がなかなか引けなくて不規則な痙攣をしている。心臓が壊れそうで、怖い。
 けれど確かにとても深い部分が熱くなっていく。コンラッドの色っぽい表情が、とても男らしくて好きだ。
 爆発した熱い滴りはやけに長く中へと注ぎ込まれていく。中で大きく吐き出されるたびに、ハリーは小さくイッている。
 だらんと力が入らない足を投げ出したまま、涙と涎とで顔はぐちゃぐちゃだけれど、とても幸せそうに笑っていた。

「っ! ごめん、ハリー……もっ、少しっ!」
「いいよぉ、もっと出して」
「大丈夫か?」
「駄目かも~」
「ごめん!」
「へへっ、嬉しいから許す。……眠いね」

 押し寄せる強い眠気で瞼が落ちそうだ。もう少し色々感じて、話をしたいんだけれど。
 コンラッドが額にキスをしてくれる。優しい行為は好きだ。でも今は色んな事が億劫で、腕を上げるのも嫌だ。

「寝ていいよ」
「ん……」
「ハリー、愛してる」
「知ってるよ……」

 それを返すのが精々で、緩やかな眠りに誘われる。すよすよと眠ったハリーの顔は、とても幸せそうだった。
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