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6章:死が二人を分かっても

6話:嵐の正体(オスカル)

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 目が覚めると、朝から幸せな拷問が待っている。
 綺麗な体を無防備に晒す愛しい人の寝姿は凄艶としか言えず、かといって手を出そうものならば甘い時間は途端に説教になってしまう。
 眺めるだけ……少しだけ昨夜の情事を思い出してもみてニヤけるのが精々だ。

 そうしているとゆるゆると目が開いて、綺麗な緑に明るい黄色を混ぜたような瞳がぼんやりとこちらを見る。寝ぼけ眼がトロッと笑みを浮かべるのなんて、思わずキスしたくなる表情だ。

「おはよう、エリオット。体、大丈夫?」
「おはようございます、オスカル。大丈夫ですよ」

 ほんの少し掠れた声と、ふわふわっとまだ寝ぼけたままの緩い笑み。
 今日から毎日この甘い地獄を味わうのかと思うと、五回に一回くらいはお叱りを受けても襲ってしまいそうで心配なオスカルだった。


 ローベルクの街を出たのが朝食後すぐ。
 そうして二人で馬を並べて王都へ戻る道中、ふと昨日の二人組を思いだした。

 奇妙な感じがどうしても拭えない。普段からカールの側について貴族やなんだを見ていると、どうしても気になる違和感のある二人組だった。

「そういえば、昨日の二人も王都に向かっているのですよね?」

 エリオットも同じ事を思いだしたのか、ふとそんな事を口にする。チラリと視線を向けたオスカルは頷いた。

「みたいだね」
「道中、お会いするかもしれませんね」

 確かに王都に向かう街道は同じだから、会ってもおかしくはない。休憩所だってある程度限られるだろうし。
 でも、出来れば会いたくない。どうしてかと言われると困るが、直感的にあの二人には会いたくないのだ。
 それでも、遅かれ早かれ会うような気がしている。新しい嵐の予感がするのだ。

「会いたいの?」
「ラティーフさんの足、大丈夫かと。あまり痛そうにはしていませんでしたが、長い道のりの間ではわかりませんし」
「あぁ、そっちなんだ」

 騎士団を離れてもエリオットはやっぱり医者なんだ。あんな、ちょっと関わっただけの相手を心配している。
 自分が偶然治療しただけの相手を案じて憂い顔をするエリオットの優しさや使命感を誇らしく思うと同時に、二人でいる時はそんな事を思わなくてもという醜い嫉妬も僅かにある。どうしても彼に関しては小量になってしまう自分がいて、オスカルは反省気味だ。

 そろそろ昼食をどうしようかを話し始めた頃、突如街道の横から一頭の馬が走り込んできた。すぐにエリオットが馬を追い、手綱を引いて止める。オスカルは馬が出てきた脇の林を睨んだ。

「馬具がついたまま、旅装も積んでいます」
「何かあったかな」

 関わると帰りが遅くなるが、行かないという選択肢はほぼない。馬を木の枝に軽く結わえたエリオットが頷き、二人は林の中へと馬を走らせた。
 先を行くエリオットの馬術はいつ見ても惚れ惚れする。足場の悪い木々の合間をものともせず走り抜けていく。騎兵府副長の実力は今も健在なんだろう。本人は否定するのだろうけれど。

「誰か! 誰か助けてください!」
「!」

 遠く、僅かに少年っぽい声が助けを呼んでいる。その声に覚えがあった。

「エリオット、昨日の」
「急ぎますよ!」

 馬の腹を蹴ったエリオットが更に加速して、オスカルもそれを追う。グングンと木々を抜けた先で、二人は五人ほどの男に囲まれている旅人二人を見つけた。
 側には五人の男が倒れている。襲われ、逃げ込んで、抵抗したのが分かる。
 剣を構えたジャミルの後ろで、必死に声を上げているラティーフがこちらを見て涙を流した。

 違和感は、やっぱり正しかったんだ。

 走り込んだエリオットが騎乗したままレイピアを抜き、気付いた男の首を躊躇いなく串刺しにして払い除ける。オスカルも剣を抜いて側の男を切り伏せた。
 戦況が悪くなった事を瞬時に悟ったのか、残る三人は散り散りに逃げて行ったが追わなかった。今はそんな場合ではないだろう。

「ジャミルさん!」

 馬を降りたエリオットが駆け寄ると、ギリギリ立って剣を構えていたのだろうジャミルの体が崩れて地面に倒れ込む。小柄なラティーフがそれを支えようとしても容易ではなく、逆に押し倒される感じだった。

 傷は深そうだし、出血がかなり多い。腕は勿論、胸元や脇腹、背中までダガーによる傷が生々しくいくつもついている。
 ジャミル自身も体力を使い果たしたのか、意識はあっても息は整わないまま動けもしなかった。

「すぐに何処かの街に向かいましょう。出血だけでも止めないと」

 特に酷い胸を斜めに裂いた傷と、肩口の傷を布で縛りあげたエリオットがオスカルへと視線を向ける。
 だが、エリオットを止めたのは他でもないジャミルだった。

「王都、に……」
「そんな悠長な! ここから王都まではあと半日は馬を走らせなければならないんですよ? 貴方の体力が持つか……」
「俺はいい……王都に」

 息が切れて脂汗の滲む状態でも、ジャミルの目は強い光がある。そして頑なだ。

「ジャミル様、どこか休みましょう! こんなんじゃ……」
「お前はいいから従え!」

 涙を流しながら言い募るラティーフを一蹴するように声を張ったジャミルは、意見を変えないようだった。
 溜息が出る。あまりに必死で、見ていられない。

「エリオット、急げば間に合うよ。王都に行こう」
「何言ってるんですかオスカル! そんなの危険……」
「行こう」

 オスカルの凪いだ目を見たのエリオットが言葉を詰まらせる。オスカルは近づいて、ジャミルの体を支えてエリオットの馬に乗せた。

「ラティーフは僕が運ぶ。エリオットはとにかく急いで王都まで行って。関所とか、僕がちゃんとしておくから」
「……分かりました。ついてきてくださいね」

 不安そうではあるがテキパキと動き出すエリオットが、ジャミルの体を自分に固定する。オスカルも不安そうなラティーフを立たせ、自分の馬に乗せた。

「あの……」
「助けるから、安心して。僕達はプロだからね」

 エリオットが馬首を返し、こちらを見て一つ頷く。オスカルもそれに頷き返すと、互いに馬を走らせた。

 足場も視界も悪い中を、風を切るような早さでエリオットが走り抜けていく。オスカルも全力で走らせているが、どうしたって追いつけない。それどころか気を抜けばあっという間に置いて行かれる。今でもかなり離されている。
 騎兵府副長だったエリオットの馬術は、今でも十分に通用する。昔はファウストと並んで戦場を走っていたのだ。本気で走らせたらオスカル程度では追いつけない。
 本当に、見惚れるくらい勇ましくて美しい伴侶だ。ゾクゾクするくらい素敵な人だ。

 二頭はそのまま王都へ、驚くような早さで駆け抜けていった。


 暗くなり始めた王都宿舎。手術用の部屋の前でオスカルはラティーフと共に座っている。
 王都に到着したのは僅かに空が茜色になる頃。通常よりも二時間は短縮できただろう。
 一番王城に近い西側砦を突破する勢いで走り抜けたエリオットに、関所警備の者達は呆然としていたが、後からきたオスカルが事情を説明すると納得してくれた。まぁ、彼らも騎手がエリオットであることは認識していたわけだし、騒ぎにはならないけれど。

 その後、あれこれと場を整えて現在に至る。

 隣りにいるラティーフは、とても不安そうに俯いて自らを抱いている。
 サバルド王国の従者の格好。首に首輪をつけているから奴隷上がり。尊大な態度をとるジャミルと控えめなラティーフ。表面上、二人の関係は明確に見える。
 だが、オスカルの目には違うものが見えている。

「ラティーフ」
「はい」
「君が、ジャミルの主だね?」
「!」

 静かに問いかけたオスカルに、ラティーフは驚いたように顔を上げた。丸く少し大きな翡翠の瞳が、動揺に揺れている。

「なんの、事でしょう?」
「あのね、僕はこれでも陛下の護衛をしているんだ。守る側、守られる側の違いは分かるんだよ」

 静かに見据えたオスカルだったが、ラティーフはそれでも口を割ろうとはしなかった。

「君が彼の従者であるならば、君はジャミルを庇って死んでいたっておかしくない。従者、しかも奴隷上がりならそのように教育されているはずだ。
けれど実際傷を負って倒れたのはジャミルだ。彼は君を自分の背後に庇って、自ら剣を抜いて戦っていた。王族はまず、自分が戦うという選択を奥の手にしておく」
「それは、私が戦力にならないくらい弱いから……」
「戦力にならなくても、盾にはできる」

 ピシャリと言えば、それっきりラティーフは言葉を詰まらせて俯いた。

「それに、主導権はずっと君にあった。昨日会った時から、違和感はあったんだ。主であるジャミルではなく、君が行動の主導権を握って会話をしていた。普通主の意志を確認せずに従者がそんな態度を取れば、不敬だとして殴られてもおかしくない。特にジャミルは尊大な態度を取っているしね。なのに、黙っていた。両者のパワーバランスは、明らかに君に傾いている」

 それを感じたからこそ、何かあると思った。そんな訳ありな二人が王都を目指していると聞いて、オスカルは嵐の予感がしたのだ。

 ラティーフは暫く黙った後で息を吐き、そっと右目の眼帯を外し、目を開けた。そこには、金に強く光る瞳があった。

「帝国近衛府の方を、甘く見ておりました。事情があるとはいえ、無礼な振る舞いを致しましたことをお許しください」

 静かで、凛と通る声はこれまでのラティーフではなかった。表情すらも違っている。上に立つ人間の揺らがない強さを感じるものだった。

「サバルド王国、カッハール王が子で、ラティーフと申します。この度は従者ジャミル共々命を救って頂いた事、感謝いたします」
「近衛府団長、オスカル・アベルザードです、王子」

 改めて名を名乗ったオスカルに、ラティーフは緩く笑って頷いた。

「王子、何用でこの国へ参られました」

 僅かだが、不安がある。ジャミルを見た時、とても似た印象を受ける相手を瞬時に思いだした。つい最近も面倒を収めたばかりの、帝国とは違う雰囲気のある男だ。

 ラティーフは苦笑した後で、やや考える。だがすぐに知れると思ったのだろう。表情を引き締め、真っ直ぐにオスカルを見た。

「私を、匿って頂きたいのです」
「匿う? 何からですか?」
「我が国の、旧王朝派から」

 嫌な予感は大体当たる。新たな嵐の目は、帝国の中に落ちて来てしまった。

「現在サバルド王国は、内戦の只中にあります。旧王朝派は勢いを取りもどし、現王家を脅かしております。一番上の兄は流行病で、二番目の兄は旧王朝派の手にかかって死にました。私まで死ねば、王家が潰えます。故に、逃れてきたのです」

 ラティーフの金の目が、オスカルを見る。そして丁寧に頭を下げた。

「ようやく落ち着いたこの国に争いの芽を持ち込んだ事を、申し訳無く思います。ですが帝国しか、もはや頼るところがないのです。どうか、よろしくお願いします」

 さて、どうしたものか。オスカルは軽く頭痛がするのを感じながら、それでも彼を放り出す事もできず、ただ息をつくのだった。
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