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6章:死が二人を分かっても

4話:嵐の予感(エリオット)

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 翌日は午後の時間にオペラを見て、夜は中央会場へと向かう事にした。少し気は引けるのだが、オスカルが手を引いてくれるので安心できる。
 夕暮れの中、受付に昨日の手紙を出すと雰囲気のいい女性がニッコリと笑って案内してくれた。

「やっぱり、緊張しますね」

 側には数組がいる。楽しそうにしている人もいれば、エリオットと同じように緊張した面持ちの人もいる。それが少し救いのように思えた。やはり、緊張するものなんだと。
 一方のオスカルは余裕の様子だ。まぁ、当然と言えるだろう。彼は普段王都の貴族を前に堂々と振るまい、ダンスも音楽も一流なのだから。

「不安そうだね」
「慣れていないので」
「大丈夫、僕を信じて僕だけを見ていて」

 手を握ってニッコリと言ったオスカルを直視していると、ドキドキと違う鼓動を感じてしまう。
 こんな事、言われなくても彼だけを見ている。周囲を気にするのも本当に最初だけで、最終的には目の前の彼しか見えなくなっている。触れる手の温かさや、香る匂いすらも感じている。

「まぁ、言わなくてもエリオットは僕を見てるよね」
「それは!」
「嬉しいって事だよ」

 少し子供っぽい笑みを浮かべるオスカルが、素早く体を寄せて頬にキスをする。呆然と受け入れて、でも冷静になると恥ずかしくて赤面したエリオットに、オスカルは楽しそうに声を上げて笑った。

「ちょっと、オスカル!」
「あははっ、可愛い。力抜けたでしょ?」
「もう……」

 本当に困った人。思いながらもそんなに怒っていないのは、これもオスカルなりの気遣いだと分かったから。

 やがて音楽が奏でられ、案内されるままにステージに立った。沢山の人が見ている事に緊張したのは、最初だけ。案外早い音楽とステップに気を取られ、リードするオスカルに身を委ね、そのうちにやっぱり彼だけを見てしまう。

「エリオット、とても綺麗だよ」
「え?」
「惚れ直してくれた?」

 ステップを踏んで、音楽に体を合わせながらそんな事を聞いてくる。思わず固まってしまいそうだった。

「なんですか、突然。その……恥ずかしいです」
「えー、今更?」
「今更だからですよ」

 いつもいつも惚れ直す。けれどそんな事を普段言わない。愛情が薄れたんじゃなくて、何となく恥ずかしいからだ。

「今だけ、言ってよ」
「もう、オスカル」
「僕はね、いつもエリオットに恋してる。医者の顔も、騎士の顔も、プライベートも。いつもドキドキさせられてるかな」
「ちょっと、オスカル」

 どうしたのだろう、突然こんな。
 心臓がドキドキして落ち着かない。顔が一気に熱を帯びている。音楽でこんな小さな声は消されてしまうのだろうけれど、二人だけの間では確かに交わされているのだ。

「エリオット」
「……好き……いえ、愛しています。いつも、貴方にドキドキさせられる。私の一番深い所に、貴方はいます」

 声が震えないように気を付けながら口にした。けれど顔は見られない。どんな顔をしていいか分からないからだ。
 音楽が止まって、二人もピッタリと動きを止める。その途端、オスカルは腕を伸ばしてエリオットの首に抱きつき、唐突にキスをした。

「!」
「きゃぁぁっ」

 何やら黄色い悲鳴が響き、中に太い声で「おぉ!」というのも混じる。一方のエリオットはあまりに突然の出来事に固まったままだ。そしてオスカルは嬉しそうに幼く笑い、誇らしげにしている。

「君と結婚出来てよかった!」
「ちょ! 声!」
「最高の新婚旅行だね!」

 声も抑えないで言うものだから、見ている人にまで伝わってしまう。ザワザワしているが、嫌な気配はしない。どこからか拍手まで上がって、固まるエリオットを尻目にオスカルはニコニコして手を振って、舞台の袖までエリオットを引っ張っていった。



「……ごめん」
「許しません」

 一種のハイ状態から戻ってきたらしいオスカルは、現在平謝り中である。椅子に座るエリオットの足元にぺたんと座ったままで、余計に悪目立ちしている。

「だって、エリオットが可愛い事言うからつい、テンション上がっちゃって」
「だからって人前で!」
「事実じゃん」
「事実ですけれど」

 だからって公共の場でなんて事をしてくれたんだ!

 腕を組んで怒るエリオットにひたすら謝るオスカルを、チラリと見た。本当に反省しているのは分かるし、エリオットも過ぎた事をあれこれ言っても仕方がないと理解している。
 一度大きく深呼吸をして、次に思いきり溜息をついて。そうして顔を上げたエリオットは、困ったように笑った。

「甘い物、食べたいですね」
「! 買ってくる!」

 これで機嫌を直す。それを理解しているオスカルがそそくさと場を離れていく。
 中央会場の端のほうに座っているエリオットは小さく笑い、甘い物と一緒にしょんぼりしたオスカルが帰ってくるのを楽しみにしていた。

 その背後から、スッと影が差したのは丁度オスカルが見えなくなったくらいだった。

「おい、あんた」
「え?」

 声をかけられて振り向いたその先にいたのは、何とも強烈な印象を与える人物だった。

 背中の中くらいまである癖の強い黒髪に、立派な体躯の美丈夫だ。彫りが深く、瞳は青く獣的な印象を与える。大柄であるのにしなやかな男は、肉感的な唇を僅かに舐めた。

「あんた、さっき踊ってた人だろ」
「え? えぇ」
「美人だな」
「え?」
「ハーレムに入れたらさぞ、見栄えがいいだろうな」

 ニッと笑った男の逞しい腕がエリオットへと伸びる。あまりに突然で、そして動きに無駄がなくて、呆気に取られるままに動けなかったエリオットの肩を抱いた男は耳元に小さく囁きかけた。

「俺のハーレムに入らないか?」
「!」

 男の色気を振りまくような声音に、背がゾゾッと粟立つ。そして次には男の体を押し返そうとするが、男の体は重く、そしてしっかりと抱き込まれていた。

「別に嫌がる事はないだろ? なんならこの国の王都までだって構わない。不自由にはさせないぞ」
「結構です!」
「そんなに連れの男がいいのか? 随分お坊ちゃんに見えたが」
「大きなお世話ですよ!」

 そうして再び押し返そうとした、その肩口を青い光が通り抜けて男の鼻先に伸びる。背後からは冷気のような殺気が漂っている。

「僕のフィアンセに、何してるわけ?」

 突如剣を突きつけられた男の方も、僅かに焦っている。それが分かる表情が間近なのだ。

 祭りの会場で突如始まりそうな乱闘の予感に、周囲もザワついている。それに気付いたエリオットの方が焦った。

「オスカル、私は何でもありませんから!」
「返答次第じゃ決闘を申し込む。新婚旅行で相手攫おうなんて、許せると思う?」
「私には貴方だけですから! 本当に何にもありません!」

 ちょっとキレ気味のオスカルの方を宥めなければこのままここで決闘だ。楽しいはずの場所で喧嘩どころか血を見ることになる。

「貴方も何呆けているんですか! この人やるって言ったらやる人なんですから!」
「受けようか?」
「挑発しないでください!」

 男の方もシレッと何か言った! 火に油を注ぐような状態に緊張が一気に増していく。

 だがそんな場面に突如、少年の声が響き渡った。

「駄目です、ジャミル様! 他国で問題を! おっ、わぁぁ!」
「ラティーフ!」

 遠くから駆けてくる少年もまた、綺麗な黒髪の少年だった。色は白磁のように白く、とても美しい中性的な顔立ちをしている。だがその右目は眼帯で隠され、左目は綺麗な翡翠色をしている。
 慌てたのだろうか、それとも履き慣れない物でもあったのか、思いきりずっこけた少年はたたらを踏んだ後で顔面から盛大に転ぶ。石畳の床だ、コントのような転びっぷりでは思いきり顔面を擦りむいただろう。

「何やってんだお前は!」
「うわぁ、ごめんなさいぃ」

 予想通り鼻の頭やついた手の平がずるむけている。泣いているが痛いのか怒られたからか分からない。
 そんな少年の元に慌てた駆け寄った男の目には、明らかな動揺と心配が見て取れた。

「オスカル」
「……ごめん、冷めた」

 この状況に冷静さを取りもどしたらしいオスカルが剣を収めると、場の緊張も緩む。
 エリオットは溜息をついて二人へと近づき、少年へと声をかけた。

「そこの椅子に座ってください。まずは傷を綺麗に洗わないと」
「え? あの……」
「これでも医者ですので、心配しないで。ね?」

 安心させるようにニッコリと微笑んだエリオットに、涙目の少年もまた素直にコクリと頷いた。

 膝などは衣服があって無事だったが、両の手の平とは皮がめくれて痛々しいし、鼻の頭も赤くなっている。そして右足は軽く捻っていた。
 会場の係から薬や綺麗な布、包帯を借りたエリオットは傷を消毒し、薬を塗って布を当てて包帯を巻く。そして足首も簡易の固定具を当てて包帯で強めに締めた。

「これでよし。手の平は痛むでしょうが、清潔にしてください。足首は出来れば数日動かさないようにしてください。痛みが強かったり、腫れが酷くなるようでしたらここの住所を尋ねてみてください。口は煩いけれど腕のいい医者がいます」

 手早くメモにジェームズの住所を書いたエリオットがラティーフと呼ばれた少年へと手渡す。彼はとても申し訳ない様子で大きめの瞳を下げた。

「本当に、有り難うございます。お手数をお掛けしてしまって」
「医者として当然ですよ。気にしないで」

 そんなラティーフの斜め後ろで、ジャミルは腕を組んだまま黙ってエリオットの治療の様子を見ている。とても感心した様子だ。

「美人で医学の心得もあるとは、ますます魅力的だ。やはり俺のハーレムに加えたい」
「ねぇ、喧嘩売ってる?」

 エリオットの後ろに控えているオスカルが睨み付けても、ジャミルの方はまったく動じもしない。それどころか野性的な青い瞳をオスカルへも向けた。

「お前の剣の腕も確かだ。ハーレムは無理だが、俺の護衛に雇ってもいいぞ」
「生憎仕事に困ってないから結構だ」
「ジャミル様、お二人とも困っていますのでその辺で。あの、私がしっかり努めさせて頂きますので」

 困った様子で眉を下げるラティーフを一瞥したジャミルは、フッと息を吐いた。

「お前では伽の相手は出来ても護衛は無理だろ。しかも怪我まで」
「あの、申し訳ありません」

 途端俯いたラティーフを見るジャミルの目は、言葉ほど酷いものではない。とても気遣わしいものだ。

「エリオットさんと、オスカルさんも申し訳ありませんでした。この方の無礼、お許しください」
「別に、もういいけどさ。王族ならその態度も仕方がないけど、以後気を付けてよ。絶対にトラブルになるから」

 そう口にしたオスカルを見る二人の目が、一瞬険しくなる。ラティーフは恐れを、ジャミルは警戒を向けていた。

「あの、どうして……」
「ん? そっちの彼、サバルドの特徴まんまだし。それに尊大な物言いとハーレムって言葉。この周辺じゃハーレム文化を持ってる国ってないからね。そういう言葉が当然のように出てくるわけがない。予想だけど、サバルドの王族筋か大貴族かな」

 これは全てオスカルの予想だったのだろう。けれど二人の反応が、正解だと伝えている。
 ジャミルの警戒心は更に引き上がったのか睨み付けるような様子になっている。だが反面、ラティーフからは力が抜けていった。

「はい、私達はサバルド王国からきたものです」
「おい、ラティーフ!」
「ちょっとお忍びなのですが。以後は気を付けます」

 ふわっと笑う彼の様子に、エリオットはどこか違和感を感じた。その表情がまるで、かけひきに慣れたものに思えたのだ。

「私達は明日にはここを発って、王都へ行くつもりです。お二人は、新婚旅行なのですか?」
「そう。僕達も明日にはここを発って王都へと帰るよ」
「では、道中またお会いするかもしれませんね。その時にはまた、お話させてください」

 ニッコリと笑うラティーフを見るオスカルもまた、何かを感じたのかもしれない。素直にこちらの日程を口にしたことに、エリオットは驚いていた。

「それでは、お騒がせしてしまって申し訳ありませんでした。素敵な旅行になる事を祈っています」

 丁寧な様子で頭を下げたラティーフの側で、ジャミルはこちらを見るばかりだ。

「あの二人、何か隠してる」
「はい」

 去って行く二人の様子を見ながら「また、嵐かも」と呟いたオスカルの言葉を、エリオットも否定仕切れないのだった。
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