47 / 217
6章:死が二人を分かっても
3話:水の都ローベルク(エリオット)
しおりを挟む
翌日早朝、二人で簡単な旅装を整えてそれぞれ馬で出た。
そうして途中で休憩を挟みながらその日の夜、無事にローベルクの町へと到着した。
ローベルクは古い都だ。白い石材の大きな関所を通ると正面に、大きな教会が鎮座する広場がある。ここがメイン広場になるのだ。
家々は統一された白の石材で作られ、橋もそのようなもの。大きな水路が作られた所をゴンドラが進んでいく。水際の家には陸に通じる入口の他に、水路に面した船着場があるくらいだ。
入ってすぐの教会前、メイン広場は何やらランプで飾り付けられ、簡易の椅子やテーブル、ワゴンに飲み物や食べ物を積んだ屋台が出て、色々な人々が集まって楽しげにしていた。
「音楽祭ですね」
アマチュアの音楽家が奏でる音楽に合わせて踊る人々の楽しげな様子を見て、エリオットはニッコリと笑う。その隣ではオスカルが頷いていた。
「賑やかだな、やっぱり。明日には何処かの会場に行ってみる?」
「そうですね」
素敵なお誘いに微笑んで、今日はとりあえず宿に向かう事にした。
予約の宿はメイン広場から陸続きの、一際豪奢な建物だった。元は大貴族の屋敷だった建物は当時の雰囲気を残したまま、ボーイもとても礼儀正しく教育されている。
部屋はスイート。キングサイズのベッドと調度品が飾られ、ウェルカムドリンクや室内浴室も完備されている。
「奮発したかいがあったね!」
「本当に、奮発しましたからね」
ソファーに腰を下ろしたオスカルはご満悦。その後ろからついてきたエリオットは落ち着かない気分で室内を見回してしまう。初めての場所は大抵落ち着かないのだ。
一緒になろうと約束してから、二人で少しずつお金を貯めて。必要なものはそこから出し合って揃えようと言っていた。
けれど実際、必要な衣服はアベルザード家から贈られ、会場は城となり、そこで提供された料理などの費用は近衛府と医療府が「お祝い」として出してくれた。
結局かかった費用は指輪の代金だけだった。
それに加えて約束してから今日まで、予想以上に長い時間がかかっていて、予想以上に積立金額が多くなっていた。
皆はそれで旅行にでも行ってこいと送り出してくれて、こんな立派な宿まで押さえられたのだ。
「この季節は宿を取るのも大変だからね。ここ、この屋敷の主の主寝室だったんだって。窓からさっきの教会、見えるよ」
重厚なカーテンを開けてみると、確かに教会の鐘撞き堂が見える。
「明日は先に、エリオットの師匠に会いに行くんだよね?」
「えぇ」
予定の確認をするオスカルに、エリオットは申し訳なく答えた。
エリオットの師匠ジェームズは、元は宮廷侍医の筆頭だった人物だ。
新制騎士団が発足されて少しで、エリオットは念願だった医療府の立ち上げを申し出た。だがそれにはエリオットが完璧な医学を身につける必要があり、当時最高の腕を持っていたジェームズに弟子入りした。
鬼のような日々だ。知識もそこそこで検死解剖を毎日五人以上やって人体を学んだ。それが頭に入ると今度は生きた人間の手術の助手を死ぬほどやった。正直、この人から座学は教わっていない。ただ医学書を積み上げられて「読んどけ」と言われただけだ。
正直当時、まだ完全には落ち着いていない時代で怪我人は騎士団で山の様に出た。その手当と手術を目が回るほどやった。「死んだらどうしよう」という不安はその時はなく、ひたすら目の前の怪我人に向き合う毎日。夜になって突然、震える事があったほどだ。
そんな無茶な師匠の技術を間近で見て盗み出し、数をこなして学んだ事が今に繋がっている。内科よりも外科が得意なのは、こういう事情からだった。
「ジェームズ先生、今年で六十だっけ? 年だよね」
同じ時期に騎士をして前線に立っていたオスカルも、ジェームズの事を知っている。エリオットは苦笑して頷き、オスカルの隣りに座った。
「結婚報告をしたら、まさかの怪我ですからね。驚きました」
「元気爺さんも、老いには勝てないってことか」
「それでも年齢のわりにお元気ですよ。今回も足を捻って捻挫程度です。下手をすれば年齢的に骨折でもおかしくはありませんからね」
本当に大した事がなくてよかった。そう思う反面、そろそろ落ち着けばいいのにという気持ちもどこかあった。
オスカルとの結婚が本格的に決まりだした頃、エリオットはジェームズに手紙を出した。
早期退職をしてここ、ローベルクに居を構えた後も季節の挨拶などは手紙でしていた。だから当然の報告だったのだ。
そうしたら彼らしい祝いの言葉と一緒に、足を捻って捻挫したという事が書かれていた。
五五歳で早期退職してからも帝国のあちこちに赴き、無医村治療などをしていた人が怪我と聞いて驚いてしまった。
そうしたらオスカルが新婚旅行をローベルクにと言って、ついでにジェームズを訪ねる事にしようと言ってくれたのだ。
「直接会うのは何年ぶり?」
「少なくとも、四年以上は。あちらも帝国のどこにいるのか、分からない事も多かったので」
「じゃあ、久しぶりの師弟の再会か」
「そんな感動的なものではありませんよ」
あの師匠と自分では、どうしたって師弟らしい会話じゃないだろう。思い苦笑すると、オスカルは笑って「それもそうか」と言ってくれる。
なんにしても明日、二人で会いに行こうということになって二人はそのまま眠る事にした。
翌日の昼過ぎ、ゆっくりと起きてお土産を買って赴いた家は、使い勝手の良い小さな二階建ての家だ。
白い壁にオレンジの屋根の家は、現在ジェームズとその奥方の二人が住んでいる。ドアをノックすると中からは女性の声がして、すぐに開けてもらえた。
出て来た女性は小柄で、ふわふわっとした柔らかい白髪が似合うふっくらとした女性だった。優しそうとか、穏やかという言葉を体現したような女性だ。
「お久しぶりです、クレアさん」
「あらあら、エリオットちゃん! 待っていたのよ。オスカルちゃんも来てくれたのね」
嬉しそうにコロコロと笑うこの女性が、エリオットの師ジェームズの奥方のクレアだ。六十という年齢に似合う少しふっくらとした体型の温和な雰囲気の女性だ。
「結婚したんですって? おめでとう」
「有り難うございます。なんだか、恥ずかしいですね」
「あらあら、ふふっ。エリオットちゃんは奥手さんですものね」
コロコロっと笑いながら家の中に入っていくクレアについていくと、リビングのソファーに一人の男性が座って二人を出迎えてくれた。
グレーの髪を撫でつけた、鋭い眼光の人物だ。中肉中背だが筋肉質であり、足腰はしっかりしてみる。顔には皺も多いが、実年齢よりは若く見えた。
「お久しぶりです、師匠」
「おぉ、来たかエリオット。まさかオスカルと結婚とはな」
「お久しぶり、ジェームズ先生。元気そうだね」
「当たり前じゃい。人を年寄り扱いするな」
茶化すようなオスカルの言葉に、ジェームズは難しく眉根を寄せる。おそらく騎士団の古い人間は、この顔こそ見慣れているのではないだろうか。
「あら、私はエリオットちゃんとオスカルちゃん、お似合いだと思いますよ。だって、エリオットちゃんが道を迷っている時、アナタにお願いしに来たのオスカルちゃんじゃない」
「え?」
「ちょ! クレアさん……」
コロコロと笑いながら何やら言うクレアに、オスカルは顔を真っ赤にして慌てている。それを見て、エリオットは少し驚いた。
「あら、秘密だったかしら?」
「もぉ、時効だからいいけどさ」
隠し事がバレたのが恥ずかしいのか、オスカルはそんな事を言いながらそっぽを向く。その様子がなんだか可愛くて、エリオットはクスクスと笑った。
「何にしてもご苦労だったわい。そういえば、リカルドは元気にしておるか?」
物のついでのような聞き方だが、表情は真剣だ。彼なりにリカルドを心配している、そういう感じだ。
「元気にしていますよ。彼はとても優秀で、任せる事が出来て助かっています。それに、最近恋人が出来たようですよ」
「ほぉ! あの偏屈が恋人とは」
「仲が良いようで、そんな話を時々します」
「そりゃ良かった」
不意に表情を緩めたジェームズがリカルドを心配していたのが、これだけで良く分かる感じがした。
「それにしても、捻挫なんて。大丈夫なんですか?」
傍らに杖があるのを見ると、まだ痛むのかもしれない。ジェームズ本人が医者だし、診断を誤ったりはしないだろうが、この人も医者の不養生という言葉がピッタリの人だ。おそらくエリオットよりも酷いだろう。
ジェームズは大きな溜息をついて自分の足を見る。そして、ポンと一つ足をついた。
「まったく、情けない事だわい。ちょっと大きな荷物を持って階段を降りてきたら、一番最後に足首がグキッとな」
「年なんですよ、アナタ」
「まだまだじゃわい!」
クレアが笑いながら言うのに、ジェームズは反発している。これでもクレアはコロコロ笑うのだから、さすがは奥方だ。
「まぁ、この怪我のせいで毎年の楽しみに参加できんのは、残念じゃわい」
「楽しみ?」
「ダンスパーティーなんですよ。今やっていますでしょ?」
オスカルの問いにクレアが答える。ジェームズも頷いた。
「これでも毎年注目を集めるくらいは出来るんじゃぞ。去年は中央ステージに上がったくらいじゃ」
「中央って、教会前の? あそこって、誰でも踊れるんじゃないんだ」
「違うわい。あそこは各会場で審査員が見初めたペアしか踊れん、最高の名誉じゃ。そこで更に認められると教会内の会場で踊れるんじゃぞ」
ジェームズは本当に悔しそうだが、クレアは苦笑している。そしてこっそり、エリオットに言った。
「これの為にダンスの練習をしていたから、余計に悔しいんですよ」
「子供みたいでしょ?」と言われ、エリオットは苦笑するしかない。案外子供っぽいし見栄っ張り。そんな所も変わらないのだ。
「さぁ、パンプティングですよ」
「頂きます」
「クレアさんのプティング、久しぶり!」
嬉しそうなオスカルは早速皿を出し、エリオットも控えめにもらう。そうして四人で、しばし話をした。主に馴れ初めを聞かれて、恥ずかしい限りだったが。
すっかり長居をしてしまい、空は茜から濃紺へと変わりだしている。
宿に戻る前、丁度ランプが灯りだしたステージを見つけた二人は立ち寄る事にした。屋台で夕飯を食べようとなったのだ。
「ホットワインにソーセージ、パンにレモンパイ」
「美味しそうですね」
湯気を上げるホットワインに茹でたてのソーセージ。それをパンに挟んで食べるのが屋台流。ワンピースのレモンパイは表面の照りもいい感じだ。
「オスカルはレモンパイ、食べるんですね」
「うん、これは好き。ベタ甘くない自然な感じがね。さっぱりするし」
追加で焼いた肉や蒸し野菜も追加してテーブルに持ってくる。それらを食べていると楽しい音楽が始まり、老若男女が手を取り合って踊り始めた。
「楽しそうだね!」
「そうですね」
町の人々が楽しげに踊り、声を上げている。流儀よりも楽しく優雅に、そういう感じがした。
「ねぇ、踊らない?」
「え?」
「ほら!」
「あっ、ちょっと!!」
立ち上がったオスカルがエリオットの腕を引き、人々の輪に加わろうとする。
けれどエリオットはあまりダンスが得意ではない。恥ずかしくない程度にしか踊れないし、正直恥ずかしくてたまらない。
「私は踊れない」
「大丈夫、僕がリードする。それに、その他大勢の中の一人さ」
端の方で手を取り合って向かい合い、オスカルのリードに任せるように見よう見まねで踊り出す。硬かった体はそのうちに解れていき、徐々に楽しむだけの余裕が出て来た。
「楽しいでしょ?」
「少し」
「こういうのは参加してなんぼ。コンテストとかじゃないんだから、楽しんだ者勝ちだよ」
機嫌良く笑うオスカルが楽しそうだから、それが嬉しい。彼が楽しければエリオットも楽しいし、良かったと思える。
そのうちに曲は少しムーディーなものに変わった。不意に体を近づけたオスカルがしっかりと腰を抱き込んでくる。密着することに気恥ずかしさがあるが、それも慣れると楽しめる。
「エリオットの腰、細いよね」
「オスカルだって」
「そうかな?」
そんな、なんでもない会話をしていると曲が一度途切れ、割れんばかりの拍手が踊っている全ての人に贈られる。
二人も一礼して、座っていた席に戻って少し冷めたワインを飲んだ。
「楽しかったね!」
「そうですね」
「食べ終わったら、もう一曲踊ろうよ」
それも悪くない。そんな風に思っていた時、不意に横合いから誰かが遠慮がちに話しかけてきた。
「あの」
「はい?」
「私、音楽祭の執行委員をしている者なのですが」
見れば腕に腕章をつけた、三十代とおぼしき女性だった。きっちりとした服装の彼女は二人に名乗ると、用件を話し出した。
「お二人のダンスを見まして、是非明日、中央のステージに立って頂けないかと」
「え?」
「とても優雅で華がありましたわ。何よりとても幸せそうで」
「あの、でも……」
中央のステージは特別だと、さっきジェームズも言っていた。当然沢山の注目を浴びるのだろう。それを思うと尻込みする。注目を浴びることになれていないエリオットは戸惑ってしまう。
けれど横から、オスカルがしっかりと手を握った。
「せっかくだし、出てみない?」
「オスカル?」
「新婚旅行のいい思い出になるんじゃない? 一曲だけ」
確かにこんな経験、なかなか出来るものじゃない。立ちたいと言って立てるものではないのだ。
それにさっき、楽しかった。ダンスなんて普段しないけれど、オスカルに身を任せて躍るのは好きだった。
「分かりました」
「良かった。こちらの招待状をお持ち下さい。係の者が案内いたします」
女性は封蝋のされた封筒を二人に渡し、立ち去っていく。
「さて」
目の前の料理を美味しく平らげたオスカルが、ポンと立ち上がる。そしてエスコートするように、エリオットへと手を差し伸べた。
「shall we dance,Elliot?」
悪く言えばちょっとキザ。でも、これにときめく時点で完全に惚れている。
「Sure」
ニッコリと微笑んで手を取ったエリオットは、再び人々の輪の中に加わるのだった。
そうして途中で休憩を挟みながらその日の夜、無事にローベルクの町へと到着した。
ローベルクは古い都だ。白い石材の大きな関所を通ると正面に、大きな教会が鎮座する広場がある。ここがメイン広場になるのだ。
家々は統一された白の石材で作られ、橋もそのようなもの。大きな水路が作られた所をゴンドラが進んでいく。水際の家には陸に通じる入口の他に、水路に面した船着場があるくらいだ。
入ってすぐの教会前、メイン広場は何やらランプで飾り付けられ、簡易の椅子やテーブル、ワゴンに飲み物や食べ物を積んだ屋台が出て、色々な人々が集まって楽しげにしていた。
「音楽祭ですね」
アマチュアの音楽家が奏でる音楽に合わせて踊る人々の楽しげな様子を見て、エリオットはニッコリと笑う。その隣ではオスカルが頷いていた。
「賑やかだな、やっぱり。明日には何処かの会場に行ってみる?」
「そうですね」
素敵なお誘いに微笑んで、今日はとりあえず宿に向かう事にした。
予約の宿はメイン広場から陸続きの、一際豪奢な建物だった。元は大貴族の屋敷だった建物は当時の雰囲気を残したまま、ボーイもとても礼儀正しく教育されている。
部屋はスイート。キングサイズのベッドと調度品が飾られ、ウェルカムドリンクや室内浴室も完備されている。
「奮発したかいがあったね!」
「本当に、奮発しましたからね」
ソファーに腰を下ろしたオスカルはご満悦。その後ろからついてきたエリオットは落ち着かない気分で室内を見回してしまう。初めての場所は大抵落ち着かないのだ。
一緒になろうと約束してから、二人で少しずつお金を貯めて。必要なものはそこから出し合って揃えようと言っていた。
けれど実際、必要な衣服はアベルザード家から贈られ、会場は城となり、そこで提供された料理などの費用は近衛府と医療府が「お祝い」として出してくれた。
結局かかった費用は指輪の代金だけだった。
それに加えて約束してから今日まで、予想以上に長い時間がかかっていて、予想以上に積立金額が多くなっていた。
皆はそれで旅行にでも行ってこいと送り出してくれて、こんな立派な宿まで押さえられたのだ。
「この季節は宿を取るのも大変だからね。ここ、この屋敷の主の主寝室だったんだって。窓からさっきの教会、見えるよ」
重厚なカーテンを開けてみると、確かに教会の鐘撞き堂が見える。
「明日は先に、エリオットの師匠に会いに行くんだよね?」
「えぇ」
予定の確認をするオスカルに、エリオットは申し訳なく答えた。
エリオットの師匠ジェームズは、元は宮廷侍医の筆頭だった人物だ。
新制騎士団が発足されて少しで、エリオットは念願だった医療府の立ち上げを申し出た。だがそれにはエリオットが完璧な医学を身につける必要があり、当時最高の腕を持っていたジェームズに弟子入りした。
鬼のような日々だ。知識もそこそこで検死解剖を毎日五人以上やって人体を学んだ。それが頭に入ると今度は生きた人間の手術の助手を死ぬほどやった。正直、この人から座学は教わっていない。ただ医学書を積み上げられて「読んどけ」と言われただけだ。
正直当時、まだ完全には落ち着いていない時代で怪我人は騎士団で山の様に出た。その手当と手術を目が回るほどやった。「死んだらどうしよう」という不安はその時はなく、ひたすら目の前の怪我人に向き合う毎日。夜になって突然、震える事があったほどだ。
そんな無茶な師匠の技術を間近で見て盗み出し、数をこなして学んだ事が今に繋がっている。内科よりも外科が得意なのは、こういう事情からだった。
「ジェームズ先生、今年で六十だっけ? 年だよね」
同じ時期に騎士をして前線に立っていたオスカルも、ジェームズの事を知っている。エリオットは苦笑して頷き、オスカルの隣りに座った。
「結婚報告をしたら、まさかの怪我ですからね。驚きました」
「元気爺さんも、老いには勝てないってことか」
「それでも年齢のわりにお元気ですよ。今回も足を捻って捻挫程度です。下手をすれば年齢的に骨折でもおかしくはありませんからね」
本当に大した事がなくてよかった。そう思う反面、そろそろ落ち着けばいいのにという気持ちもどこかあった。
オスカルとの結婚が本格的に決まりだした頃、エリオットはジェームズに手紙を出した。
早期退職をしてここ、ローベルクに居を構えた後も季節の挨拶などは手紙でしていた。だから当然の報告だったのだ。
そうしたら彼らしい祝いの言葉と一緒に、足を捻って捻挫したという事が書かれていた。
五五歳で早期退職してからも帝国のあちこちに赴き、無医村治療などをしていた人が怪我と聞いて驚いてしまった。
そうしたらオスカルが新婚旅行をローベルクにと言って、ついでにジェームズを訪ねる事にしようと言ってくれたのだ。
「直接会うのは何年ぶり?」
「少なくとも、四年以上は。あちらも帝国のどこにいるのか、分からない事も多かったので」
「じゃあ、久しぶりの師弟の再会か」
「そんな感動的なものではありませんよ」
あの師匠と自分では、どうしたって師弟らしい会話じゃないだろう。思い苦笑すると、オスカルは笑って「それもそうか」と言ってくれる。
なんにしても明日、二人で会いに行こうということになって二人はそのまま眠る事にした。
翌日の昼過ぎ、ゆっくりと起きてお土産を買って赴いた家は、使い勝手の良い小さな二階建ての家だ。
白い壁にオレンジの屋根の家は、現在ジェームズとその奥方の二人が住んでいる。ドアをノックすると中からは女性の声がして、すぐに開けてもらえた。
出て来た女性は小柄で、ふわふわっとした柔らかい白髪が似合うふっくらとした女性だった。優しそうとか、穏やかという言葉を体現したような女性だ。
「お久しぶりです、クレアさん」
「あらあら、エリオットちゃん! 待っていたのよ。オスカルちゃんも来てくれたのね」
嬉しそうにコロコロと笑うこの女性が、エリオットの師ジェームズの奥方のクレアだ。六十という年齢に似合う少しふっくらとした体型の温和な雰囲気の女性だ。
「結婚したんですって? おめでとう」
「有り難うございます。なんだか、恥ずかしいですね」
「あらあら、ふふっ。エリオットちゃんは奥手さんですものね」
コロコロっと笑いながら家の中に入っていくクレアについていくと、リビングのソファーに一人の男性が座って二人を出迎えてくれた。
グレーの髪を撫でつけた、鋭い眼光の人物だ。中肉中背だが筋肉質であり、足腰はしっかりしてみる。顔には皺も多いが、実年齢よりは若く見えた。
「お久しぶりです、師匠」
「おぉ、来たかエリオット。まさかオスカルと結婚とはな」
「お久しぶり、ジェームズ先生。元気そうだね」
「当たり前じゃい。人を年寄り扱いするな」
茶化すようなオスカルの言葉に、ジェームズは難しく眉根を寄せる。おそらく騎士団の古い人間は、この顔こそ見慣れているのではないだろうか。
「あら、私はエリオットちゃんとオスカルちゃん、お似合いだと思いますよ。だって、エリオットちゃんが道を迷っている時、アナタにお願いしに来たのオスカルちゃんじゃない」
「え?」
「ちょ! クレアさん……」
コロコロと笑いながら何やら言うクレアに、オスカルは顔を真っ赤にして慌てている。それを見て、エリオットは少し驚いた。
「あら、秘密だったかしら?」
「もぉ、時効だからいいけどさ」
隠し事がバレたのが恥ずかしいのか、オスカルはそんな事を言いながらそっぽを向く。その様子がなんだか可愛くて、エリオットはクスクスと笑った。
「何にしてもご苦労だったわい。そういえば、リカルドは元気にしておるか?」
物のついでのような聞き方だが、表情は真剣だ。彼なりにリカルドを心配している、そういう感じだ。
「元気にしていますよ。彼はとても優秀で、任せる事が出来て助かっています。それに、最近恋人が出来たようですよ」
「ほぉ! あの偏屈が恋人とは」
「仲が良いようで、そんな話を時々します」
「そりゃ良かった」
不意に表情を緩めたジェームズがリカルドを心配していたのが、これだけで良く分かる感じがした。
「それにしても、捻挫なんて。大丈夫なんですか?」
傍らに杖があるのを見ると、まだ痛むのかもしれない。ジェームズ本人が医者だし、診断を誤ったりはしないだろうが、この人も医者の不養生という言葉がピッタリの人だ。おそらくエリオットよりも酷いだろう。
ジェームズは大きな溜息をついて自分の足を見る。そして、ポンと一つ足をついた。
「まったく、情けない事だわい。ちょっと大きな荷物を持って階段を降りてきたら、一番最後に足首がグキッとな」
「年なんですよ、アナタ」
「まだまだじゃわい!」
クレアが笑いながら言うのに、ジェームズは反発している。これでもクレアはコロコロ笑うのだから、さすがは奥方だ。
「まぁ、この怪我のせいで毎年の楽しみに参加できんのは、残念じゃわい」
「楽しみ?」
「ダンスパーティーなんですよ。今やっていますでしょ?」
オスカルの問いにクレアが答える。ジェームズも頷いた。
「これでも毎年注目を集めるくらいは出来るんじゃぞ。去年は中央ステージに上がったくらいじゃ」
「中央って、教会前の? あそこって、誰でも踊れるんじゃないんだ」
「違うわい。あそこは各会場で審査員が見初めたペアしか踊れん、最高の名誉じゃ。そこで更に認められると教会内の会場で踊れるんじゃぞ」
ジェームズは本当に悔しそうだが、クレアは苦笑している。そしてこっそり、エリオットに言った。
「これの為にダンスの練習をしていたから、余計に悔しいんですよ」
「子供みたいでしょ?」と言われ、エリオットは苦笑するしかない。案外子供っぽいし見栄っ張り。そんな所も変わらないのだ。
「さぁ、パンプティングですよ」
「頂きます」
「クレアさんのプティング、久しぶり!」
嬉しそうなオスカルは早速皿を出し、エリオットも控えめにもらう。そうして四人で、しばし話をした。主に馴れ初めを聞かれて、恥ずかしい限りだったが。
すっかり長居をしてしまい、空は茜から濃紺へと変わりだしている。
宿に戻る前、丁度ランプが灯りだしたステージを見つけた二人は立ち寄る事にした。屋台で夕飯を食べようとなったのだ。
「ホットワインにソーセージ、パンにレモンパイ」
「美味しそうですね」
湯気を上げるホットワインに茹でたてのソーセージ。それをパンに挟んで食べるのが屋台流。ワンピースのレモンパイは表面の照りもいい感じだ。
「オスカルはレモンパイ、食べるんですね」
「うん、これは好き。ベタ甘くない自然な感じがね。さっぱりするし」
追加で焼いた肉や蒸し野菜も追加してテーブルに持ってくる。それらを食べていると楽しい音楽が始まり、老若男女が手を取り合って踊り始めた。
「楽しそうだね!」
「そうですね」
町の人々が楽しげに踊り、声を上げている。流儀よりも楽しく優雅に、そういう感じがした。
「ねぇ、踊らない?」
「え?」
「ほら!」
「あっ、ちょっと!!」
立ち上がったオスカルがエリオットの腕を引き、人々の輪に加わろうとする。
けれどエリオットはあまりダンスが得意ではない。恥ずかしくない程度にしか踊れないし、正直恥ずかしくてたまらない。
「私は踊れない」
「大丈夫、僕がリードする。それに、その他大勢の中の一人さ」
端の方で手を取り合って向かい合い、オスカルのリードに任せるように見よう見まねで踊り出す。硬かった体はそのうちに解れていき、徐々に楽しむだけの余裕が出て来た。
「楽しいでしょ?」
「少し」
「こういうのは参加してなんぼ。コンテストとかじゃないんだから、楽しんだ者勝ちだよ」
機嫌良く笑うオスカルが楽しそうだから、それが嬉しい。彼が楽しければエリオットも楽しいし、良かったと思える。
そのうちに曲は少しムーディーなものに変わった。不意に体を近づけたオスカルがしっかりと腰を抱き込んでくる。密着することに気恥ずかしさがあるが、それも慣れると楽しめる。
「エリオットの腰、細いよね」
「オスカルだって」
「そうかな?」
そんな、なんでもない会話をしていると曲が一度途切れ、割れんばかりの拍手が踊っている全ての人に贈られる。
二人も一礼して、座っていた席に戻って少し冷めたワインを飲んだ。
「楽しかったね!」
「そうですね」
「食べ終わったら、もう一曲踊ろうよ」
それも悪くない。そんな風に思っていた時、不意に横合いから誰かが遠慮がちに話しかけてきた。
「あの」
「はい?」
「私、音楽祭の執行委員をしている者なのですが」
見れば腕に腕章をつけた、三十代とおぼしき女性だった。きっちりとした服装の彼女は二人に名乗ると、用件を話し出した。
「お二人のダンスを見まして、是非明日、中央のステージに立って頂けないかと」
「え?」
「とても優雅で華がありましたわ。何よりとても幸せそうで」
「あの、でも……」
中央のステージは特別だと、さっきジェームズも言っていた。当然沢山の注目を浴びるのだろう。それを思うと尻込みする。注目を浴びることになれていないエリオットは戸惑ってしまう。
けれど横から、オスカルがしっかりと手を握った。
「せっかくだし、出てみない?」
「オスカル?」
「新婚旅行のいい思い出になるんじゃない? 一曲だけ」
確かにこんな経験、なかなか出来るものじゃない。立ちたいと言って立てるものではないのだ。
それにさっき、楽しかった。ダンスなんて普段しないけれど、オスカルに身を任せて躍るのは好きだった。
「分かりました」
「良かった。こちらの招待状をお持ち下さい。係の者が案内いたします」
女性は封蝋のされた封筒を二人に渡し、立ち去っていく。
「さて」
目の前の料理を美味しく平らげたオスカルが、ポンと立ち上がる。そしてエスコートするように、エリオットへと手を差し伸べた。
「shall we dance,Elliot?」
悪く言えばちょっとキザ。でも、これにときめく時点で完全に惚れている。
「Sure」
ニッコリと微笑んで手を取ったエリオットは、再び人々の輪の中に加わるのだった。
0
お気に入りに追加
132
あなたにおすすめの小説
侯爵令息セドリックの憂鬱な日
めちゅう
BL
第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける———
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。
期待外れの後妻だったはずですが、なぜか溺愛されています
ぽんちゃん
BL
病弱な義弟がいじめられている現場を目撃したフラヴィオは、カッとなって手を出していた。
謹慎することになったが、なぜかそれから調子が悪くなり、ベッドの住人に……。
五年ほどで体調が回復したものの、その間にとんでもない噂を流されていた。
剣の腕を磨いていた異母弟ミゲルが、学園の剣術大会で優勝。
加えて筋肉隆々のマッチョになっていたことにより、フラヴィオはさらに屈強な大男だと勘違いされていたのだ。
そしてフラヴィオが殴った相手は、ミゲルが一度も勝てたことのない相手。
次期騎士団長として注目を浴びているため、そんな強者を倒したフラヴィオは、手に負えない野蛮な男だと思われていた。
一方、偽りの噂を耳にした強面公爵の母親。
妻に強さを求める息子にぴったりの相手だと、後妻にならないかと持ちかけていた。
我が子に爵位を継いで欲しいフラヴィオの義母は快諾し、冷遇確定の地へと前妻の子を送り出す。
こうして青春を謳歌することもできず、引きこもりになっていたフラヴィオは、国民から恐れられている戦場の鬼神の後妻として嫁ぐことになるのだが――。
同性婚が当たり前の世界。
女性も登場しますが、恋愛には発展しません。
モフモフになった魔術師はエリート騎士の愛に困惑中
risashy
BL
魔術師団の落ちこぼれ魔術師、ローランド。
任務中にひょんなことからモフモフに変幻し、人間に戻れなくなってしまう。そんなところを騎士団の有望株アルヴィンに拾われ、命拾いしていた。
快適なペット生活を満喫する中、実はアルヴィンが自分を好きだと知る。
アルヴィンから語られる自分への愛に、ローランドは戸惑うものの——?
24000字程度の短編です。
※BL(ボーイズラブ)作品です。
この作品は小説家になろうさんでも公開します。
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
【完結】人形と皇子
かずえ
BL
ずっと戦争状態にあった帝国と皇国の最後の戦いの日、帝国の戦闘人形が一体、重症を負って皇国の皇子に拾われた。
戦うことしか教えられていなかった戦闘人形が、人としての名前を貰い、人として扱われて、皇子と幸せに暮らすお話。
性表現がある話には * マークを付けています。苦手な方は飛ばしてください。
第11回BL小説大賞で奨励賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました
タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。
クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。
死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。
「ここは天国ではなく魔界です」
天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。
「至上様、私に接吻を」
「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」
何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?
転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!
音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに!
え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!!
調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる