月は夜に抱かれて

凪瀬夜霧

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4章:国賊の巣

20話:突然の嵐

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 トイン領を出て既に半月以上が経った。旅は驚くほどに順調だった。それというのも、ブラムの手紙とオールドブラッドの力だった。

 これを機に、一気にオールドブラッドを引き込む。そう言い出したのはアデルだった。この時道は二通り。現宰相の息のかかる者達の所に急ぐか、オールドブラッドを回るか。アデルは迷わず、オールドブラッドを攻め落とす事を提案した。

「オールドブラッドは領地に籠もり、力を蓄えております。私兵も育っておりますし、周囲の領地にも間者を忍ばせています。ですので、彼らの力を借りれば小悪党領主などはすぐに証拠を掴み、首を飛ばす事ができましょう」
「そんなに、上手く行くのでしょうか?」

 ブノワ一人を蹴落とすのにさえ、シリルはとても大変だった。決定的な証拠を掴めなかったのだ。
 だが、アデルの鋭い笑みは変わらない。父ブラムの側を離れた彼は、それこそ活き活きとした顔をする。

「甘く見られては困ります、殿下。まぁ、小さな仕事を任せると思ってやってみてください」

 シリルは隣のレヴィンと顔を見合わせる。確かにこれができれば表の仕事は片付くのだ。
 そういうことで、オールドブラッドの領地を巡り、歓迎を受けてブラムの手紙を渡すと、彼らは腕を組みながらも話を聞いてくれた。そこにアデルが父さながらの物言いで畳みかけ、協力を取り付けられた。
 二つ領地を巡ったのだが、それぞれに息子が一人ずついた。やはり現領主を引っ張り出す事は難しかったが、そういうことならばと息子達が国政に手を貸す事を約束してくれ、早速ユリエルの元へと走っている。あちらの方が大変だろうと。
 そして結果は覿面だった。オールドブラッドの治める領地の周辺領主がことごとく、税の着服や管理能力のなさ、領民に対する圧政で摘発された。流石に数が多くてアビーでは手が足りず、離れた聖ローレンス砦から兵を出したほどだった。
 彼らの能力には本当に驚かされた。だが、こうして力を貸してくれた旧臣達もまたホクホクと若返ったかのような顔をしていたのを思い出す。随分と楽しそうだった。

 そういうことで旅は順調すぎるほどに順調で、トイン領とジュゼット領で費やした時間を埋めてもおつりがくるくらいになっている。
 そして、もう一つ心強い事があった。

「おーい、殿下ー!」
「ファルハードさん!」

 先頭から馬を返して馬車と並走するシャスタ族のファルハードが、ニッと大きな口元を笑みにしている。

「この先に休めそうな水場がある。そこで一旦休憩するか?」
「お願いします」
「おうよ」

 にっこりと笑い、日に焼けた小麦の肌を躍動させて馬を繰る彼は他の兵にもそのように伝えるとまた先頭へと駆けていく。荒馬を意のままに操る彼の手綱さばきは、皆からも賞賛されるものだ。
 トイン領に一度戻った時に、彼らシャスタ族も一緒に来てくれる事になった。元々、ユリエルに頼まれて遅れてついてはきていたらしい。ただ、国の兵ではないからと様子をみていたのだと。
 そんな彼らは荒れてしまったドラール村の復興などに力を貸してくれていたのだが、それも大体終わったらしく引き続き随行を申し出てくれた。有り難くそれを受けたシリルだが、離れるのではなく側にと願った。
 最初戸惑ったものの、その方が素早く手が出せると言って受けてくれた彼らは今、人を半分に割いている。ファルハードを中心とした先発隊は先に立って休憩場所の確保や危険がないかを見てくれる。そして後ろはアルクースが中心で、後方からの危険に警戒してくれている。
 こんなにも沢山の心強い味方ができた。何の力もなく、ただ城の中に籠もっていたシリルはあの頃とは違う。手にしている沢山の応援と、何よりも大切な人を胸に堂々と、前を向いて進んでいた。

 木陰と水場のある場所で休憩を取っている。隣にはレヴィンが、その周囲にはファルハードとアルクース、そしてアデルがいる。これもようやく見慣れた光景だ。

「リジン領までは十日ほどで到着すると思います。このまま直線距離でいきましょう」

 簡易地図を広げ、アデルが道を確認する。シリル達は今、他の領地にはあまり寄らずに野営を繰り返して進んでいる。下手な領地に行って足止めやトラブルを避ける為だった。
 これもアデルの提案だ。他の領地を捨て置いても、元凶であるロムレットを叩く方が先決だと。
 オールドブラッドが動き出した事でニューブラッドの領地も騒がしくなっているらしい。そのことから、シリル達を警戒しはじめるだろうと。このままではそもそも尻尾を出さない可能性がある。だからこそ、細かな事は置いてこれ以上警戒を強める前にロムレットの所に乗り込む事にしたのだ。

「ロムレット郷には色々と、黒い噂が付きまとっている。かの人物を抑えれば、あるいは他のニューブラッドの悪事も表に出るかもしれない」
「黒い噂、ですか?」

 色々としているとは聞いている。だが大半は、賄賂や脱税だ。
 だがアデルが沈んだ目をして、レヴィンを見た。

「暗殺の噂だ」
「暗殺」

 シリルも思わずレヴィンを見てしまう。彼が暗殺者であるのはここにいる皆が知っている。レヴィンもまた、表情を険しくした。

「ロムレット郷と、その周辺の大臣や領主が邪魔な人物を暗殺したり、あり得ない罪を着せられる事案がある。どうにもおかしいと思って調べてみたが、証拠が全く掴めない。だが、明らかに何かしらの陰謀がある」

 アデルの視線は明らかにレヴィンを見ている。何かしらの関係はないかと問いたいのだろう。レヴィンはそれに、一つ頷いた。

「俺の知り合いかもな」
「率直に聞きたい。レヴィン将軍、貴方の仲間は何人残っている。その実力はいかほどか」

 こういう時、アデルは父と同じで遠慮がない。シリルもアルクースもレヴィンの気持ちを配慮してあまり強く言えないというのに。
 だがレヴィンも何か吹っ切れたのか、それほど苦もなく口を開いた。

「俺を含めて三人だ。全員、大天使」
「大天使……」
「うち一人は俺が既に話をつけてユリエル陛下の側に行くように頼んだ」
「……は?」

 アデルが目をぱちくりとし、シリルも首を傾げる。アルクースもファルハードも口をあんぐりだ。

「え……いつ?」
「ドラールの一件が解決した時だな。ずっといたぞ」
「あの、どこにですか?」
「ヒューイの屋敷にも、ブノワの屋敷にも。でも俺も、日中あいつが誰に化けてるのか分からないんだよ。あっちからそれっぽい気配出してくれないと自信ない。ほら、ドラール村の危険を知らせる手紙をドアに貼り付けたのがそれだ」
「あれですか!」

 言われないと分からなかった。でも確かに、ドラール村の危険を知らせる手紙はあった。

「危険な人ではありませんよね?」

 アデルの視線が険しい。これから仕えようという王の近辺は、それなりに気になるのだろう。

「諜報のプロだ。多分今は殺しはやってない。俺はしばらくかかりそうだし、ユリエル陛下にも目や耳が必要だからな。あいつなら、存分に能力ふるってくれる」
「つまり、危険人物じゃないということですか」
「勿論。あいつはまともだ」

 ニヤリと笑い、レヴィンは頷く。だがその表情はすぐに厳しいものに変わってしまう。思案する……というよりは、どこか恐れたような表情だ。

「多分そっちについてるのは、もう一人の奴だ」
「どんな相手ですか?」
「飛針を使う奴で、名前はグランヴィル。当時の実力は俺のが上だったが、俺はこの世界から離れた期間が長い。その間もあいつが変わらず動いてたなら、今は俺より強いだろうよ」

 表情が複雑なものになっていく。どこか頼りないものに。
 思わず隣で手を握ると、レヴィンは顔を上げてにっこりと笑った。

「まぁ、頑張るからさ」
「一人では」
「分かってる。勿論、ここにいる奴らにも助けてもらうさ。シリルは安全な場所にいること。これが一番の助けだよ」

 そう言われ、頭を撫でられるのが少し悔しい。でも、仕方がない。邪魔にならずに安全な場所にいることが一番の助けなのも分かる。そうじゃないと、この人が思う存分戦えないから。

◆◇◆

 夜がきて、朝がきて、また夜がくる。
 野営も少しずつ慣れた。今日は森の中に身を隠しながら過ごす。これもシャスタの皆がいてくれるからできることだ。彼らが交代で見張りをして、何かあったときでも全滅を避けられるようにと少人数ずつグループを作って離れて寝る事を提案してくれた。旅の知恵らしい。
 シリルはいつもレヴィンと一緒だった。彼の腕の中で眠るのは心地いい。温かな体に包まれている間が、とても幸せだ。

「どうしたんですか?」
「……ちょっと」
「話してください」
「……ここから少し行った場所なんだよ」
「何がですか?」
「天使の家」

 その言葉に、シリルは目を見張って体を起こす。困ったように笑うレヴィンは、少し痛そうだった。

「大丈夫ですか?」
「ん、平気。でも少し、感傷的にもなる」
「コース、少しだけ変えましょうか?」

 見なくていいならそれがいいと思う。心の傷はまだ痛いだろうと思うから。負ったものはあまりに深い傷に見えたから。
 だが、柔らかく頭を撫でられて、そのまま引き寄せられて甘くキスをされると、そうした思考は浮いてしまう。軽く絡めた舌が、情事を思い出させて体を熱くする。

「平気。そういえばって、思いだしただけ」
「痛そうです」
「大分ましだよ。もっと辛いと思っていたし、意図的に考えないようにしてた。それが今では、考える事ができるようにまでなった。痛むけれど、乗り越えようとしている証に思えるよ」

 フワフワと頭を撫でられ、逞しい腕の中で甘える。この時間が愛しいなんて言ったら、困らせてしまうだろうか。
 だが急に、抱き込んだ腕の力が増した。そう思ったのに次の瞬間には、シリルは思い切り脇に放り投げられていた。そして、金属が交差する音がした。
 驚いて見れば、レヴィンは知らない人と対峙している。顎のラインで切りそろえた鳶色の髪をした人は、スラリとしなやかに地を蹴っている。

「もう少し呆けていてくれたら、苦しまなかったんだが」
「グラン」

 レヴィンの紫色の瞳が僅かに見開かれる。だが直ぐに標的を見る鋭さを見せた。

「あぁ、その目だ。なんだ、忘れてないじゃないか」

 楽しそうな暗殺者が、ペロリと唇を舐めて笑う。そして不意に、シリルを見た。

「あんたに用があるが、その前に旧友と遊びたい。逃げたいなら構わないが、どうせ捕まるんだ。愛しい男の最後を見てからにしろ。別れの時間くらいはとってやる」

 ニヤリと笑う暗殺者のそこに、不可視に近いワイヤーが飛ぶ。だが分かっているように、それは黒々とした太い針に止められた。

「させるか!」
「ほぉ、随分と熱が上がっているらしいが。さて、こいよレヴィン」

 レヴィンが腕を使い、指を使っている。ワイヤーを使う時の独特の動きなのは分かっている。これに捕らわれない人は今までいなかった。見る事が大変なくらいのそれをすり抜ける事が難しいからだ。
 でもグランヴィルはそれを的確にさける。手にした二十センチほどもある、両端の尖った黒い針で絡め、時に飛ばしている。足元や腕を狙って飛ぶそれをレヴィンも避けながら、二人は対峙している。

「離れてたからチョロいかと思えば、流石一番の暗殺者だ」

 楽しそうに言うグランヴィルとは違い、レヴィンは言葉数が少ない。額には僅かに汗があるし、ずっとシリルを気にしている。

 離れて、誰か呼ばないと……。

 せめて誰かに守ってもらわないと。でも、おかしい。これだけ音がしているのに、音が聞こえないほど離れているわけじゃないのに、誰も……。

「まさか!」
「ほぉ、王子様が先に気づいたか」

 ニヤリと笑うその笑みに、心臓が痛くなる。まさか、全員既に。

「殺されてないから安心しろ、シリル」

 はっきりとした声が聞こえて、最悪を消してくれる。恐る恐る見ると、レヴィンは確信するように頷いてくれた。

「眠り薬を風に流したんだろ。俺達は標的以外を殺さない。無駄に多くを殺すと面倒だ」
「流石だレヴィン。お前はそういうことも考えてここに陣取ったんだろ? 少しだけ高く、風上に」

 ハッとして、周囲を見回す。確かにシリル達は一番端にいるし、少し高くなっている。アルクースは危ないからもっと中心にと言っていたけれど、レヴィンは「大丈夫」と言っていた。こういうことも考えていたのか。

「つまり、助けはこない」

 ギンッと、嫌な音がする。レヴィンは剣を抜いて、不意に迫ったグランヴィルを受け止めている。だが、力では押されているようだった。

「体力落ちたか?」
「これでもそこそこだっての」
「限界まで体使えばやれるだろ。その分、おかしくなるが」

 ニヤリと笑ったグランヴィルの動きは、明らかにおかしい。まず速さが桁違いになっている。レヴィンは素早いほうだし、体力がないわけじゃない。それでも翻弄されているなんて、見た事がない。
 ヒュンと風を切る音がする。するとレヴィンの服が僅かに切れて血を流す。音がするたび、腕、足、体とあちこちに小さな傷を作っている。

「くっ」
「レヴィンさん!」
「くるな!」

 思わず駆け寄りたい気持ちを踏み留めて、それでも側を離れられない。剣の柄に手をかけ続けているけれど、意味がないのも分かっている。

「どうした、臆病になったか!」
「っ!」
「化け物の顔を隠して生き続けたお前やフェリスを見ていると、腹が立つ!」
「くっ!」

 深く腕に針がめり込む。どこから飛んだか分からないそれは、明確にレヴィンの腕を貫いた。

「レヴィンさん!」

 これ以上はダメだった。走るその目の前で黒い筋が二つ、更に光っている。

「うっ!」

 両方の足を縫い止めるように貫いた黒い針に、レヴィンは溜まらずに膝をついている。それでも戦う気持ちが強いのは分かった。紫の目は死んでいない。でもこれ以上はダメだ。これ以上は!
 黒い針を持ったグランヴィルが、それをレヴィンに振り上げる。レヴィンもそれに応じるように手元を繰る。けれど、シリルはその二人の間に割って入った。

「っ!」
「シリル!」

 レヴィンの手は止まった。だが、グランヴィルのそれは止まらない。鋭い針が右の腕を上から貫く痛みに、シリルは頭の中が揺れた。
 それでも避けなかった。両手を広げてレヴィンを背に立った。

「ほぉ」
「僕を……連れて行くのでしょ? 応じる、だから」
「そいつを見逃せと?」

 冷や汗がドッと吹き出してくるが、それでもシリルは頷いた。痛みに震えてしまっている。それでも倒れられない。

「シリル!」
「このまま連れて行けばいい! この人に、手を出さないで」

 グランヴィルは髪と同じ鳶色の瞳をしばし瞬かせると、口元を緩く上げた。まるで、泣き笑うかのように。

「いいだろう」
「グラン!」
「レヴィン、三日時間をやる。そう離れていない場所で待っている。そんなに大事ならこい。俺を殺せたら、好きにしろ」
「グランヴィル!」

 腕を、足を貫く針は深く刺さっていて抜けない。シリルは意識が朦朧となりながらも、抱え上げられた事は分かった。
 遠ざかる泣き叫ぶような声が聞こえている。意識はまだ少しあるけれど、徐々に分からなくなる。

「お前は、あの男に惚れているんだな」

 溢すような言葉は、どこか寂しく悲しげに聞こえる。それが最後の声だった。
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