月は夜に抱かれて

凪瀬夜霧

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2章:王の胎動

22話:初恋

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▼レヴィン

 王都解放の翌日、聖ローレンス砦から王都へと戻ってきたシリルは父王の棺の前で泣き崩れた。その姿を少し遠くに見ていたレヴィンは、言いようのない痛みを感じて声を失った。

 この子は知らないだろう。自分の父親を殺したのが、信頼を寄せているレヴィンだと。
 知らないならば今まで通りでいい。何食わぬ顔で接すればいい。そう思うずるい自分とは別に、どんな顔をして接すればいいか分からない自分もいる。
 考えてみれば、今までがおかしかったのだろう。王子であるシリルと、あんなに親密に話しをしたり接したりするのは。ただ今までは非日常だったから。これからは、日常に戻る。

 レヴィンは泣き声に背を向けて歩き出した。振り向くことはないと、心に決めて。ここからは日常だ、触れ合う事もない。ならばもう、関わらない方がいい。あの子にとっても、自分にとってもこの関係にいいことはない。
 そう思いながらもレヴィンの胸は痛んだ。傷を負うよりもずっと、潰れてしまって息が詰まる程に痛んだ。この痛みが何なのか、レヴィンには分からないままだった。

◆◇◆

▼シリル

 王の葬儀はしめやかに行われた。静かな葬送はユリエルによって執り行われ、滞りなく終わった。
 それから一週間ほど、シリルは忙しいユリエルの補佐として仕事をしている。主に内務だ。
 大混乱の一週間だった。ユリエルは戴冠の儀もそこそこに仕事を始め、早速数人の役人の首を飛ばした。不正が簡単に見つかり、それに関わった人を処分したのだ。
 色んな人が「横暴だ」とか「血の粛清だ」とか言うけれど、確かな証拠があり、それを国民も知った後での処分だったから、シリルには不当とは思えなかった。

「はぁ……」

 溜息の多いシリルは、王の執務室の一角で表情を落とす。それに、ユリエルが顔を上げた。

「どうしました、シリル?」
「あぁ、いいえ」

 笑おうとして、シリルは失敗した。それくらい、気がかりは日に日に大きくなっていく。不安が胸を埋めるようになってきた。もう、一人では対処が難しいくらいに。

「……少し、休憩しましょうか」

 様子を見たユリエルがそう言って立ち上がり、忙しく歩き回る人々に声をかけて人払いをしてくれる。それが済むと扉に鍵をかけて、シリルの傍に腰を下ろした。

「何か、気がかりがあるのですか?」
「……はい」

 すぐに気づいたみたいで、苦笑のままユリエルがそんな事を言う。それに素直に、シリルも頷いた。

「あの、自信はないのですが。好きな人が出来たのかもしれません」

 どう表現していいのか分からず、それでも考えて自分の気持ちを素直に伝えてみた。「信頼している人」「仲のいい人」「お友達」どれもしっくりこない。「好きな人」というのが一番、感情的に合っている気がした。

「それで?」

 とても穏やかな瞳がシリルを見る。それに勇気を貰うように、シリルは話し出した。

「その人はとても強くて、かっこよくて。僕みたいな子供の事も大事にしてくれる人なんです。優しくて、勘違いしてしまいそうです」

 城を脱出した日、辛い事も突きつけられた。けれど、考えるきっかけにはなった。大事な事から目を反らさないようにと言われているような気がした。優しいだけじゃない、見てくれる人。

「その人がいたから、僕は不安な日々も乗り越えられたと思います。甘えではなく、やれることを精一杯やろうと思えたのです。今もそうです。色んな人が僕に何かを言っても、僕は自分の信念を強く持って立っていられます」

 王都に戻り、父王の葬儀を終えた翌日くらいから色んな人が手土産を持ってシリルの所に日参するようになった。それに物凄く違和感があり、同時に拒絶を感じた。明らかに兄を無視し、シリルを王にという言いようなのだ。
 ユリエルの苦労を知った気がした。レヴィンの言葉が分かった。色んな人の思惑や欲望が見えるようになって、それが苦しく思えた。
 それでも頑張れるのは、自分をしっかり持つことができたから。そしてそういう自分になりたいと思わせてくれたのは、誰でもないレヴィンなのだ。

「僕にとって、とても大切な人です。でもその人の様子が、ここ数日おかしくて」
「避けられていますか?」

 その言葉にシリルは頷く。それと同時に、その行動の原因はやはりユリエルなのだと確信した。

「怖いんです、僕。その人に嫌われるのが、とても。怖いから、強く出られません。秘密も多い人です。その秘密を打ち明けて欲しいなんて、言えません。僕は子供で、弱くて、その人の為に何もしてあげられないから」
「そんな事はありませんよ。その人はきっと、貴方に知られたくない事が多いのです。それが、国に関わる事だから」
「分かっています。その人が……人に言えないような事をしているだろうということは。それが、兄上に繋がっている事も」

 シリルの目が鋭さを増す。こんな目でユリエルを見るのは初めてだ。それでも譲れない。今シリルは、必死につかみ取ろうとしているのだから。相手がたとえ兄であっても、手を緩めたら本当に届かなくなってしまう気がした。

「単刀直入に聞きます。兄上は、レヴィンさんに何を命じたのですか」

 逃げを許さない瞳がユリエルを射る。ユリエルもその視線を真っ直ぐに受け止めて、一つ頷いた。

「父の暗殺を、ルルエの仕業に見せかけて行うようにと命じました」
「……」

 シリルはどこかでこの言葉を予想していた。けれど実際ユリエルの口から聞くとそれは苦しかった。
 父がユリエルを冷遇していたのは知っていた。その原因が、自分である事も。約束を反故にし、冷たくあしらい続けた父を恨んでも何ら不思議ではない。そう思うと、飲みこむ事ができた。

「父は国政を家臣や役人に任せきり、その暴走を止める力を失っていました。そうした政治家を名乗る者が多くの金を自らの懐に入れ、本来国民の為に使われるはずだった予算が消えていく。飢えて物乞いをする者や、傷ついて倒れていく者、幼くして体を売る者を見てきました。王としての力を失った者が再び玉座に戻れば、同じことが繰り返される。それだけはできません」

 シリルが知らなかった父の姿を、ユリエルは沢山見てきたのだろう。それはシリルも感じていた。周囲の者の姿も、見てきた。

「……僕は、邪魔ではないのですか? 僕がいれば、兄上の地位は危ないのでしょ? 僕さえいなければ、兄上は堂々と国王として即位できるのに」

 ユリエルは厳密にはまだ即位していない。暫定的に王として振る舞っている。戴冠の儀式は用意していても、本当の意味でそれを喜ぶ重臣は少ないと聞いている。
 ユリエルの表情はとても悲しそうだった。そこに、何か偽りがあるとは思えない。憎しみがあるとは思えない。

「これ以上父を生かしておいては、国が乱れる。けれど、貴方は私にとっても大切なのです。疲れた気持ちを奮い立たせてくれるのが、貴方なのだから」

 苦しそうに、悲しそうに、ユリエルは言って笑う。その姿を見て、シリルは胸に決めた。いつかこの兄の為に力になりたい。その為には、もっと沢山を学ばなければ。もっと強くならなければ。

「僕は、兄上の力になれますか? いつか、レヴィンさんや兄上の隣にいられるようになりますか?」
「貴方が努力すれば。まずはレヴィンの心を叩いてごらん。彼はきっと、貴方とのことを悩んでいるのです。少し強引でも、素直に伝えて御覧なさい」

 シリルは素直に頷いた。ユリエルとこうして話ができたのだから、レヴィンともきっとできると信じている。
 シリルはしっかりと目的を見つけて歩み出そうとしていた。

◆◇◆

▼レヴィン

 シリルとは距離を置く。そう決めたはずなのに、胸の内はすっきりとしない。気持ちを変えようと町に出てみたが、あまり効果はなかった。上辺だけの関係がとても虚しく思えて興が乗らないのだ。

「らしくない」

 与えられた部屋に戻って酒を煽るが、これも美味しくは感じない。胸のどこかに穴が開いたような虚しさがある。この不可思議な感覚に苛々してしまう。
 そもそも、シリルとはそういう関係ではない。子犬のように慕われて、それが少し嬉しかったりしただけだ。とても素直に接してくれるから、どこか癒されただけなのだ。
 それだけのはずだ。

 トントンっと、不意に扉がノックされる。気怠くて、レヴィンは動く気になれずベッドに横になる。けれど次にかけられた声に、体は正直に反応した。

「起きていますか?」
「!」

 思わず上半身を上げて扉を凝視した。その声を間違うわけがない。手が、ほんの僅か伸びて落ちた。
 開けるわけにはいかない。距離を置くのが互いの為だと思ったはずだ。

「僕と話しをしてください。お願いします」
「……」

 息を潜めているのに、その声はここにレヴィンがいると確信しているようだった。
 長い沈黙が支配する。扉の前の気配は消えない。開けるべきか、声をかけるべきか、それとも沈黙を守るか。レヴィンは迷っていた。

「明日の夜、噴水の傍で待っています」

 それだけを残し、気配が遠ざかっていく。そうして完全に消えてしまってから、ようやくレヴィンは息をついた。
 また胸に、例の痛みが走る。純粋な子に穢れた自分が近づいた報いなのだろうか。そんな事を思うようになっていた。

「ふぅ」

 レヴィンの部屋から見下ろすそこに、噴水のある庭がある。この城で噴水のある場所はここだけ。間違えようもない。
 行くわけがない。行って、なんて言えばいい? 言い訳をするか? それとも剣を差しだして、罪の清算を彼に任せるか? それもできないだろう。そんな事、あの子にさせられない。
 レヴィンの心は定まらないまま、夜は静かに更けていった。


 翌日の夜、レヴィンは部屋から外を眺めていた。噴水の周囲を囲うように綺麗にかられた生け垣がある。そこには噴水を眺めるようにベンチも置いてある。シリルはその一つに腰を下ろして、レヴィンがくるのをかれこれ二時間は待っている。

 いい加減、諦めるだろう。窓から眺めていたレヴィンもさすがに無視するのが辛くなってきた。今は気候がいいとは言え夜は冷える。特に水の傍は冷え込みが酷い。薄着では風邪を引いてしまう。
 二時間を過ぎて、三時間近くなってきた。細い体は震えているように見えて、レヴィンはたまらず傍の外套を掴んで駆けだしていた。

 生垣を挟んで、レヴィンは一度立ち止まった。どんな顔をしていいか分からない。でも、諦めてもらうのがいい。いっそ全てを打ち明けて嫌われてしまうのがいいかもしれない。ユリエルが関わった事はどうにか伏せて。
 心が決まった。レヴィンは歩み寄って生垣を挟んだままシリルの頭に外套を投げ込み、見えないように草陰に身を潜めた。

「いつまで待ってるつもりだい? いい加減諦めてくれるとよかったのに」

 恨み言のように言った。だがそれに返ってきたのは、とても嬉しそうで柔らかな声だった。

「待っています。貴方は来てくれると信じていたから」

 揺らぎないその言葉に、揺れるレヴィンの心は余計に不安定に軋む。

「俺は君に合わせる顔がないんだよ」
「貴方が兄に命じられてしたことは、知っています」

 その言葉に、レヴィンは思わず振り向いた。あるのは生垣の緑だけなのに。情けなく、驚いた顔をしていただろう。見られなくてよかった。

「軽蔑するかい? 殺したいなら構わないよ。それだけの事をした自覚はあるから」

 考えていた事はこんな事ばかりだ。自分がこんなに根暗だなんてレヴィンは知らなかった。浮上させることにも失敗し、こんなにも落ち込んでいる。

「軽蔑なんてしていません。貴方は悪くない」
「十分悪いさ。これが知られたらどうなると思う? ユリエル様はきっと処分されるし、俺も死刑確実だよ」
「誰にも知られたりはしません。誰も、兄を裏切らないから」

 揺らぎない言葉は羨ましくも思う。シリルは信じているのだろう。人は善であると。でもレヴィンからすれば、人の根本は悪に思えた。

「……信じる者は裏切られるよ」
「そうだとしても、誰も信じないよりは信じていたい。僕は、貴方を信じています」

 「信じている」その言葉は簡単で重たい。レヴィンはその言葉を信じないようにしてきた。信じれば裏切られるのだから。でも、この真っ直ぐな少年の心は信じられるように感じる。もう一度、希望を見ようとしている。それを感じさせるから困る。

「レヴィンさん、傍に行ってもいいですか?」

 切ない声に問われる。レヴィンは溜息をついて立ち上がり、シリルの隣に腰を下ろした。途端、新緑の瞳が嬉しそうに笑いかけてくる。この笑みがどれだけ綺麗で、苦しく感じるか。

「レヴィンさん、僕では貴方を守るなんて傲慢な事は言えないけれど、傍にいるくらいはしたいです。役に立てるように頑張ります。傍に、いさせてくれませんか?」

 切ない声が、願いが迫る。これに背を向ける事を、理性が訴えてくる。けれど感情は、逆の事を言い続ける。レヴィンは困ったように笑うばかりだった。

「俺はシリルを泣かせるばかりだと思うけれど?」
「強くなります」
「俺の為にそこまでするメリットは?」
「僕の気持ちが穏やかで、温かいからです」

 強い瞳が見上げる。こんな所ばかり兄弟で似るものだ。まるでユリエルを思わせる強い瞳に、レヴィンは困り果てた。
 いや、こうなれば結果は見える。多分どれだけ言い訳をしても、理屈をこねても、レヴィンは負けるんだ。

「僕は、レヴィンさんの事が好きです。傍にいたいと思います。受け入れてほしいなんて言いません。でも……お願いです。傍にいる事まで嫌だなんて言わないでください」

 シリルの言葉は吹き込むように心に入ってくる。幼い子の精一杯の体当たりと切ないくらいの勇気。
 そっと、冷たくなった肩に手を回して引き寄せてみる。素直に腕の中に納まったシリルを抱きしめて、心は不思議と凪いだ。後には温かなものが残っている。
 何かが腑に落ちた。恋情というほどの激しさはないが、この幼い子はいつの間にか失い難い存在になったのだろう。もう逆賊扱いされても、人殺しと言われても何も傷つきはしない。苦しかったのは、この子を泣かせてしまったから。泣き顔が胸に刺さって痛かったから。

「悪い男に捕まったね」
「いいえ。とても素敵な人を捕まえたのです」

 何も疑う事もなく、嬉しそうな笑みを浮かべられると罪悪感がある。思うのは、この子の為に胸を張れるようになろうという気持ちだった。

「傍にいるだけなら、いいよ。でも、泣かれるのは困る。それではダメ?」

 悪戯ないつもの笑みを作って、レヴィンは問いかけた。それに、シリルは嬉しそうに笑い頷いた。

「では、今日はもうお休み。夜更かしして、君の怖いお兄さんに怒られるのは嫌だからね」
「兄上はそんな事しませんよ。それに、そうなったら僕が守ります」
「うーん、意外と強いな。でも、今日は俺も疲れたから。やっと少し長いお休みが貰えるんだから、ゆっくりでいいよ」

 そう言って立ち上がったレヴィンにつれられるように、シリルも立ち上がる。そして二人連れだって、城の中へと戻っていった。
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