月は夜に抱かれて

凪瀬夜霧

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2章:王の胎動

8話:海辺の再会(ルーカス編)

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 マリアンヌ港へ到着し、宿を取ってしばらく。部下達はそれらしい旅芸人を探しに人の集まる場所へと行った。幸い嵐があり、二日ほど船は出港できていないらしい。まだこの町にいる可能性が高くなった。

 ルーカスは一人、町を歩いている。旅人の姿で、腰に剣をさして。賑やかな港町は好きだが、今日はあまりそこに混ざる気分ではない。

 月が綺麗だ。柔らかな光を落とし、人々を照らす。当然のように、その心にはリューヌの姿がある。綺麗で清らかな人の姿が。
 静かな場所を求めて港の端の方を散歩していると、不意に風に乗って竪琴の音が聞こえてきた。
 心臓が跳ねる。もしやと思って足を速めると、そこに彼はいた。
 水色の髪を背に流し、薄い詩人の衣服をまとう彼は海を見て音を奏でていた。

「太陽に神あり、月に女神あり
 日に二度顔を合わせたり
 想い募り叶わぬと泣く二人の神に、創造主は言う」

 この詩は知っている。日の出と日の入りに、遠く顔を合わせる二人の神が互いに恋をする神話だ。
 ルーカスは笑みを浮かべ、彼よりも前にその詩の続きを詠んだ。

「日に闇が差したならば、二人を引き合わせようと」

 驚いたように音が止み、リューヌはこちらを振り向く。深いジェードの瞳がルーカスを捕え、次には嬉しそうに緩められた。

「どうやら旅人の神は、俺達二人に加護を与えてくれたらしい。出会えてよかった、リューヌ」
「私も貴方に会えて嬉しく思います、エトワール」

 柔らかな声がそう受け入れてくれると嬉しく思う。招かれるままに隣に座り、ルーカスは彼と同じ海をみつめた。

「なぜ、ここへ?」

 ルーカスは問いかける。特にこれといった他意はない。単純に、会話のきっかけをつかもうとしただけだ。

「海が見たくなったのです」

 そう返すリューヌは、遠く月を見ている。

「奇遇だ。俺も近くを通り、海に誘われたんだ」

 本当は怪しい旅芸人を追い、捕える事が目的だ。だが今はそんな事どうでもいいし、言った所で困惑させるだろう。旅人が何を目的にそんな事をするのか。怪しまれれば真実を語らなければならないし、何よりこの時間が台無しになる。
 何も言わず、ルーカスは他愛ない会話を振る事にした。

「あれから、どのように過ごした?」
「小さな町や村を転々としておりました。貴方は?」
「同じようなものだ。野宿をしながら、町を転々としていた」

 嘘はある。だが、心まで偽ってはいない。いや、むしろ正直だろう。
 それを感じて、ルーカスは苦笑する。

「月を見るたび、君の事を思い出していた」
「え?」

 意外そうにリューヌがこちらを見る。それに、ルーカスは柔らかく笑いかけた。
 気を張っている時や疲れた時に、ふと思い出して人恋しく、そして温かな気持ちになった。こんな事、過去にはなかった。誰かを思うだけで心が癒され、温かく安らげるなんて。

「おかしなものだ。こんな気持ちは、生まれて初めてなんだ。誰かを思い眠る時間を、これほど幸福に思うなんて」

 それは確かにルーカスの本音だ。困惑も多少している。だが、心地よくも感じる。離れていても傍に感じる、そんな相手は初めてだ。
 不意に、リューヌの瞳が悪戯に輝く。前には見ていないその表情は、妖艶にも魅力的にも見えた。

「それは、私を口説いているのですか?」

 そう問われて初めて、ルーカスは気持ちの深さに気づいた。ほんの少し体が熱くなり、鼓動が早くなる。そして、その変化に自分で驚いてしまった。

 リューヌが男である事は一目でわかる。顔立ちからはいまいち自信はないが、詩人の衣服は薄い。体のラインもはっきりとわかる。その彼にこれほど心を奪われているとなると、自分の性癖を疑わざるをえない。
 別に、男同士であることに嫌悪はない。軍人には稀に見るし、ルーカス自身にも性処理の相手として男がいた。だからといって男を恋愛対象に見てはいないが。
 いや、そもそも恋愛など興味がなく、誰かをこれほど心に留める事も今までなかった。

「……分からないんだ。そもそも、俺は今まで恋愛などしたことがないから」
「それは勿体ない。貴方なら、女性が放っておかないでしょうに」

 リューヌは面白そうにクスクスと笑うが、ルーカスは多少複雑な心境だ。どうにもこの問題は自分には不向きだと自覚している。

「前にも言った通り、俺は不粋な男なのだろう。女性はどうしても理解しがたい。突然酔ったふりをしたり、胸を押し当てたり。素知らぬふりをしたり人に任せると、怒りだしたり殴られたりする。彼女たちが何故怒るのか、俺には未だに分からないままだ」

 本当に、どうして突然態度を変えるのか理解しがたい。しなだれかかってこられても困るし、人のいる場で大胆に胸を押し当てられてもどうしたらいいかと思う。そこで人に任せてその場を離れようとすると、突然怒るのだ。

「それは……殴られることを十分にしているように思いますが」
「何か、まずい事をしていたのか?」
「本当に分からないのですか?」

 重ねて問われるが、ルーカスには何の事だか。確かに面倒と思って適当な者に任せようとはした。その心が透けて見え、不親切を叱られたのだと思っている。
 だが、リューヌは困った顔で笑いかけてくる。何か分かるのだろうか。

「その女性達は、貴方を誘惑していたのですよ。酔ったふりをして気を引いたり、身体的な魅力を見せつけて。それなのに貴方がつれないから、殴られたのですよ」
「そうだったのか!」

 なるほど、それには気づかなかった。何せ最初から社交の場としてとらえていたから誘われていたとは思わなかった。誘われたとしても乗る気はなかったが。
 ただ、長年の疑問は晴れた。少しだけすっきりとした気持ちでリューヌを見る。その瞳が、誘惑的な光を帯びて見つめていた。

「では、そんな鈍い殿方がなぜ、男の私にそのような思いを抱くのです? よもや、私を女と間違えてはいませんよね?」

 それは、追い打ちのような言葉だった。ルーカスは困った顔をする。ルーカス自身、この気持ちを突き詰めていくのを恐れていた。そこにあるものを自覚したら最後、手放す事が出来ないような気がしていた。

「エトワール」
「性別は、認識している。だが…なぜだろう。俺にも分からない。分からないからこそ、もう一度会いたいと望んだ。会えば、この胸にあるものが分かるかもしれないと思ったんだ」
「それで、分かったのですか?」

 間髪を入れずにリューヌに問われ、更に追い込まれてしまう。それでも気持ちは穏やかなままだ。この場所に長く留まりたいと願う自分がいる。それは叶わぬと知りながらも。そして、こんな風に思う相手は今までなかった。
 胸の内が熱くなる。傍にいて、眺めて、そして触れてみたい。この気持ちにぴったりとくる言葉を、ルーカスは無意識に封じていた。

「なんと言えば、いいのか……。傍にいて、温かく穏やかな心地になれる。とても安堵して、欲しているのかもしれない。たった一度会っただけの君に、こんな気持ちを抱く理由が俺にはわからない。だが、この想いは消せそうにない」
「どうしてその口説き文句を女性に言ってあげないのですか?」

 恥ずかしそうに顔を赤くして、リューヌは少し視線を外す。なんというか、そういう姿は少し可愛い。肌の色が白いから紅潮がよく分かる。

「本当に初めてなんだ、こんな気持ちは。正直、俺も戸惑っている。君はどうして、そんな意地悪な事を言うんだ?」
「意地悪ですか? 私はこれで正直な人間ですよ」

 おかしそうに、楽しそうに笑うリューヌはやっぱり少し意地悪だ。まるでかけ引きをしているような気分になる。いや、実際かけ引きなのかもしれない。

「そんなに気になるのなら、確かめてみてはいかがですか?」
「ん?」

 不意に鋭い瞳がルーカスを見た。少し危険な色を持つジェードの瞳は艶があるように思える。その瞳に見られて、ルーカスは困惑する。何を言おうとしているのか分からなかった。

「定まらぬ心を考えても、答えなど分からぬものでしょ? それならばいっそ、体に聞いてみてはいかがですか?」
「……何を言っているのか、分かっているのかい?」

 誘われている。と、取っていいのだろうか。戸惑い、そして冷静になる。自然と声が低くなった。

「分かっているつもりですよ」
「男に抱かれる趣味があるのか?」
「いいえ。ただ、貴方なら心地がいいだろうと思いまして。私も貴方と同じ気持ちでいました。貴方の傍は心地よく、交わす言葉に胸が躍る。こんなに誰かを心に留め、反芻して幸せを感じるなど、今までありませんでした。だからこそ、抱かれてみたいと思うのです」

 ルーカスの胸に初めて、暗く熱い炎が宿った。同じ気持ちでいることを知った途端に体が反応したのだ。何とも現金だと苦笑が漏れる。

「これもまた、神の悪戯なのかもしれませんね。不意に出合わせ、人の心を弄ぶ。けれど、踊らされるのもいいかと思っています。貴方は、嫌ですか?」
「……神もまた、とんでもない悪戯をしかけるものだ。本当にいいのか? 俺は、途中で止められる自信はないぞ」
「貴方が私を、恋人のように慈しんでくれるのなら」

 ルーカスは悩んだ。元より乱暴な抱き方などするつもりはない。だが、本当にこれは間違いではないのか? 一時の情事に心を奪われ、その後も囚われてしまわないだろうか。もしそうなれば、自分はどうしても彼が欲しくなってしまう。彼の心も事情も考えず、求めてしまいかねない。

 そうなる事が恐ろしい。

 だが、試しに抱き寄せた肩はすっぽりと腕に納まる。抱きしめた体は細く華奢に思える。胸に宿る炎が誘惑する。彼を抱き寄せ、押し倒し、この形のよい唇に触れればどれ程に心地よいか。
 覗き込むジェードの瞳が真っ直ぐに見つめてくる。その心を読み解くことは難しい。だが、それが余計にルーカスの欲望を煽り立てる。この扉を叩いたらどんな表情の彼が見られるのか。その胸に秘めたモノを、僅かでも見られるだろうか。

「本当に、構わないのか?」
「くどいですよ、エトワール。私は一度言った事を引っ込めたりはしません。後は、貴方の気持ちしだいです」

 挑発的な光を宿す瞳が輝く。ルーカスはそれに惹きつけられるように、滑らかな額に唇を寄せた。
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