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1章:落日の王都
5話:脱出路
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タニス国は国境線にばかり兵を集中させたことで、王都の守りは甘くなっていた。そこを、ルルエ軍は狙っていたのだ。あえてラインバール平原に注目を集め、撤退と進軍を繰り返して、兵を離れられなくした。
その一方で時間をかけ、タニスの商人を買収して兵を送りこんだ。変装させ、一般人として潜伏させ続けて一カ月以上。今宵、機は熟した。
用意していた攻城兵器により王都の外門を破ってから三時間で城は陥落。抵抗した第二部隊の大半は戦死したが、城にいた人間はほぼ逃げた後。
そして王は、静かに敵の手に捕えられた。
◆◇◆
▼シリル
その頃、難を逃れたシリル達は王都から続く古い地下水道を進んでいた。水道と言っても使われなくなって百年は経つらしい。既に水もなく、細く入り組んだ道がどこまでも続いている。
この水道はユリエルがいる聖ローレンス砦にほど近い廃教会まで続いているという。そこからは山越えになるかもしれないそうだ。
「シリル様、大丈夫ですか?」
先頭をゆくグリフィスが心配そうに声をかけてくれる。ここに入った後、内側から硬く閂をして、更に鉄の錠をかけた。それでも長居したくないと、既に三時間以上歩き通している。
それでも、シリルは笑みを見せた。額には汗が浮かび、その足はくたびれてよろけそうだが、そんな様子は見せなかった。
「僕は大丈夫です。それよりも、父上や城はどうなったのでしょう」
不安がこみ上げて思わず口をついた。
「まぁ、落ちたでしょうね」
何とも簡単な言葉に、シリルの胸は不安に苦しくなる。すぐ傍を歩いているレヴィンがそんな事を言った。途端、グリフィスの眉根に皺が寄る。不穏な空気にシリルは慌てて二人の間を取りなした。
「大丈夫です! 覚悟は、していましたから。それよりもグリフィス将軍、兄上の所まではどのくらいかかりますか?」
「この地下水道だけで一週間程度は。地上に出てからも状況によっては山を越える必要がありますので、更にかかると思います」
「そう、ですか」
それを聞いて、シリルは不安でたまらなかった。予想よりも遠い道行に、果たしてついて行けるのかと心配になったのだ。既に足はだるく、痛くなってきている。
それでも弱音は吐けない。自分一人が足を引っ張っては、全員が立ち往生してしまう。
「ところで、ユリエル殿下ってどんな人だい?」
落ち込んでしまいそうな気持ちを逸らすように、レヴィンが問いかけてくる。軽い雰囲気と口調はこの緊張感のなかでちぐはぐに感じる。けれどそれが、余計な緊張を解いてくれるようだった。
「兄上はとても頭が良くて、武に長けた人です。とても優しいですよ」
「本当に? 怖いって噂だけど」
「優しいのはシリル様にだけだ。あの方は基本、無能な人間に情などかけない。完全な実力主義と言っていいだろう。出来過ぎた方だからな、恐れる人間も多い」
「そんな事は! 兄上はそんな非情な人ではありません。それに、王に相応しい人です」
シリルは必死に否定した。けれど、実際はどうなのか分からなかった。
シリルに対しては優しく穏やかな兄である。けれど、他の人の話を聞くとそればかりではない。潔癖な性格も、強い信念も知っている。それが他人への厳しさになっているのだと思っている。
「実力主義か。それは俺には有難いかもね。ほら、縦社会っていうの苦手だからさ」
考える素振りを見せるレヴィンが、どこか楽しそうな笑みを見せる。なんだか、少し不穏に思えた。
「兄上は僕がいる事で不遇を受けてきました。それでも、僕に優しくしてくれるのです。僕の……唯一の肉親なんです」
母は既に亡い。父も、どうなったのか分からない。今確かに居るのは兄だけになってしまった。そこに甘えてしまうのは、都合がよすぎるかもしれない。自分がいる事で兄の立場が悪くなっているのは確かな事なのだから。
「では、ユリエル殿下はシリル殿下を恨んでいないのかい? 正直に言って、殿下がいなければ自分の地位は盤石なものになるだろ?」
レヴィンのその言葉に、シリルは心臓を掴まれた気分がした。考えないようにしていた事だ。そこを考えてしまったら、誰を信じていいか分からなくなる。優しい兄の全てを、疑わなければならなくなる。
一瞬、グリフィスの気配が尖った気がした。ここでレヴィンとグリフィスの仲が険悪になるのは避けなければ。こんな閉鎖的な状況で喧嘩などになれば、今後良くない事が起こるかもしれない。だから必死に、シリルはグリフィスを抑えた。
そして、レヴィンに向かい動揺を隠そうと必死に笑みを浮かべ、首を横に振ってみせた。
「僕が邪魔なら、兄上はとっくに僕を亡き者にしているでしょう。そうなっていないのなら、僕はまだ兄上にとって必要な存在であると……思いたいです」
言いながら、何かが腑に落ちるのが悲しい。兄が自分に優しい理由は、これなんじゃないかと思えてくる。それなら納得できる。兄にとって何かしらの利用価値があるから、傍に居させてくれるんだ。
不安がこみ上げる。次に顔を合わせた時、自分は兄をまともに見られるのか分からない。どんな顔をして会えばいいか、分からなくなる。兄はどう思っているのだろう。肉親として、弟として、愛されているのだろうか。
「疎まれてはいないと?」
「そう、信じます」
レヴィンが疑いの目を向ける。それに対して咄嗟に出た言葉が全てだ。信じよう。今はそれしかきっとできない。
鋭かったレヴィンの目が、不意にふわりと和らいだ。途端に空気も和らいで、緊張が解けた。泣きそうになってしまう。許されたような、解放されたような、そんな不思議な空気があった。
「そっか。うん、信じる事は大事だよね。まずはそこからだし」
そう言ったレヴィンが申し訳なさそうに笑う。そして、視線をグリフィスへと移した。
「そろそろ一度休憩入れないと、俺達ならいざ知らず殿下は倒れてしまうよ。そうだろ、グリフィス将軍」
「……そうだな。もう少し行ったら、少し開けた場所に出る。そこまでもうしばらく頑張ってくれ」
重く溜息をついたグリフィスが、皆に向かって激を飛ばす。シリルもまた、隣を歩くレヴィンの手に導かれるようにゆっくりと進んで行った。
◆◇◆
▼レヴィン
見通しのいいその場所は、百人程度が余裕で寛げるだけのスペースがあった。しかも侵入者対策用の扉もついている。城側の鉄扉を閉めて閂をかけ、皆ようやく休むことができた。
それでも、快適とは言えない寝床だ。石造りの床は冷たくて硬いし、暖は数か所で焚いている焚き火と毛布だけ。疲労の度合いに対して用意された寝所は最低だった。
レヴィンは周囲を見回して、そんな部屋の隅に蹲るシリルを見つけた。
ほんの少し、後悔している。どうにも王族というものに良い印象を持たないせいか、必要以上に虐めてしまった。思った以上に傷つけてしまったようだ。
仲直り、できるだろうか。そんな思いで、レヴィンはシリルの傍へと寄った。
「眠れないのかな、シリル殿下」
「レヴィンさん」
見上げる瞳は弱く頼りなく揺らぎ、顔には憔悴の色が見える。それでも笑みを浮かべるのだから、健気と言うか意地らしいと言うか。少し痛々しいくらいだ。
「ここ、いいかな?」
「あっ、はい」
慌てたように答え、少し端に寄る。だが、そんな必要はどこにもない。シリルの左右には誰もいないし、これだけスペースがあるのだから座りたい放題だ。
それに気づいたのだろう、シリルの顔が恥ずかしそうに赤く染まった。
「今日は大変だったね。平気?」
「大変なのは僕だけではありませんので。弱音は、吐けません」
「おや、意外と意地らしいんだね」
目に見えて疲れているのに、それでもシリルは笑みを忘れない。その姿は健気だけれど、同時に哀れにも思えた。
「少しでも寝ておかないと、今後が辛いよ」
「寝ようとは思っているのです。でも、上手くいかなくて」
それは分からなくはない。興奮して上手く寝付けないのだろう。それを察していたから、レヴィンはとっておきの物を持ってきていた。
「興奮しているんだね。じゃあ、俺がお手伝いしようかな」
「え?」
驚いたように見開く新緑の瞳が、少しだけ可愛いと思う。年齢以上に中身が幼いように思う。半面、妙に大人びた部分も持つのに。
レヴィンは自分が纏っている外套を折りたたみ、そこに匂い袋を仕込んでシリルの枕にし、荷物の中から小さなリュートを取り出し、爪弾いた。石造りの部屋の中にその音は響く。驚いたように、他の者も顔を上げた。
心地よく音を奏で、眠りへ誘う曲を弾く。ゆったりと歌う声は静寂の中に響いた。シリルは最初戸惑ったようだったけれど、やがてゆるゆると外套を枕に瞳を閉じる。そして、数曲終わると静かな寝息が聞こえるようになった。
沈み込むように眠ったシリルに毛布をかけ、その頬を濡らす涙を手で拭って、レヴィンは申し訳なく笑う。かってが分からずに言いすぎてしまった。辛い思いをした日なのに、余計な心労をかけた事を素直に詫びた。
その場を離れたレヴィンは、感じる視線に顔を上げる。グリフィスが一人、焚き火の傍で苦笑していた。
「上手いな、お前。軍人よりもよほど合っている」
いつの間にかレヴィンの音楽に聞き惚れた他の兵も眠っていて、起きているのはグリフィスだけになっていた。その傍に腰を下ろしたレヴィンは苦笑する。
「俺自身そう思いますけど、世捨て人になるには俗物でして。欲を捨てられないんじゃ、詩人などできませんしね」
「それもそうだな」
そう言って携帯用の食料を少量噛むグリフィスをレヴィンは観察した。
この人も実に面白いと思う。古くから国に仕える騎士の家柄で、若いながらに実力がある。十代で獅子を狩り、二十代で国一番の騎士となったという。まるで軍神だ。
だが、そんな桁の違う相手だというのにこうして実際に話すと近寄りがたさはない。少々堅苦しいとは感じるが、誠実で公平な目を持つ人物だと分かる。そして、随分とお人好しだ。
「お前、シリル様によくよく礼を言っておけ」
言われ、レヴィンは少しだけ首を傾げる。礼も詫びも言うつもりではあるが、改めてこの人から言われるとは思わなかった。
「えぇ、そのつもりですが。何故?」
「シリル様が許さなければ、俺はお前の同行を許さなかった。正直、あまり見えてこない相手だからな」
「なるほど、賢明な判断です」
グリフィスの考えは実に筋が通る。レヴィンだって、こんな奴が突然きて入れてくれと言っても承知しないだろう。
だがそうなると意外だ。グリフィスはシリルを随分信用している事になる。まだ幼く頼りないあの王子様を。
「シリル様を、随分信用しているのですね」
鋭い視線で問いかけるが、グリフィスはまっとうに取り合わないつもりか視線を合わせない。その視線は、離れて眠るシリルを見ていた。
「あの方は人の本質を見抜く才がおありだ。お前が根っから腐っているならば、あの方は怯えたまま隠れていただろう。だが、一歩前に出て同行を願った。ならば、捨てるには惜しい」
「あぁ、そう」
捨てるには惜しい、か。本人に隠しもせずにそう言い捨てるこの人も、意外といい人というだけではないかもしれない。それでも世辞でもなく、隠し事もしないのはある意味で気持ちがいい。こういう人間とは付き合いやすい。
「まぁ、お前も簡単な奴ではなさそうだがな。頼むから、ユリエル様と揉め事を起こすなよ」
「そこが問題なんですけど。そのユリエル様って、どんな人なんです? 正直、顔が色々ありすぎて実体が掴めない感じがしますが」
「そのまま、色々な顔がおありだ。相手に合わせて態度を変える。が、あまりご自分を見せない。それに値する相手と思わなければな。そしてどんな相手にも、弱さは一切見せない」
グリフィスの目が鋭く、厳しく、そしてどこか悲しげに細められた。
「あの方は、シリル様以上に人の本質を見抜く。だが、シリル様のように避けるのではない。悪意も毒も見抜いたうえで、食らうのさ。ご自分の目的や、野心の為に」
「それは……」
少し怖いが、興味深い。毒を毒と知って食らう人なら、相当の覚悟がおありだ。そういう人とはきっと馬が合う。レヴィンもまた、綺麗な生き方などしていない。
「お前は間違いなく、あの方に気に入られる。おそらく目に止まればすぐだろう。だが、覚悟することだ。一度でもあの方に加担したなら、逃れる事は許されない。例え地獄へ向かっていても、途中で抜ける事は許されないぞ」
怖い顔で念押しするグリフィスに肩を含めてみせ、レヴィンは苦笑する。だが、願う所だ。レヴィンもまた、今更天国になんぞ行く気はない。ならば、とことん付き合ってみるまでだ。
意外なのが、そんな危険な相手にこの堅実そうなグリフィスが加担していることだ。しかも、分かっていて。
「将軍は、何故加担しているんです?」
ほんの興味だった。それに、グリフィスは困ったように笑う。そう、笑うのだ。
「あの人を、放っておくことがどうしてもできなくてな」
そう呟いた言葉が妙に、レヴィンの耳に残った。
その一方で時間をかけ、タニスの商人を買収して兵を送りこんだ。変装させ、一般人として潜伏させ続けて一カ月以上。今宵、機は熟した。
用意していた攻城兵器により王都の外門を破ってから三時間で城は陥落。抵抗した第二部隊の大半は戦死したが、城にいた人間はほぼ逃げた後。
そして王は、静かに敵の手に捕えられた。
◆◇◆
▼シリル
その頃、難を逃れたシリル達は王都から続く古い地下水道を進んでいた。水道と言っても使われなくなって百年は経つらしい。既に水もなく、細く入り組んだ道がどこまでも続いている。
この水道はユリエルがいる聖ローレンス砦にほど近い廃教会まで続いているという。そこからは山越えになるかもしれないそうだ。
「シリル様、大丈夫ですか?」
先頭をゆくグリフィスが心配そうに声をかけてくれる。ここに入った後、内側から硬く閂をして、更に鉄の錠をかけた。それでも長居したくないと、既に三時間以上歩き通している。
それでも、シリルは笑みを見せた。額には汗が浮かび、その足はくたびれてよろけそうだが、そんな様子は見せなかった。
「僕は大丈夫です。それよりも、父上や城はどうなったのでしょう」
不安がこみ上げて思わず口をついた。
「まぁ、落ちたでしょうね」
何とも簡単な言葉に、シリルの胸は不安に苦しくなる。すぐ傍を歩いているレヴィンがそんな事を言った。途端、グリフィスの眉根に皺が寄る。不穏な空気にシリルは慌てて二人の間を取りなした。
「大丈夫です! 覚悟は、していましたから。それよりもグリフィス将軍、兄上の所まではどのくらいかかりますか?」
「この地下水道だけで一週間程度は。地上に出てからも状況によっては山を越える必要がありますので、更にかかると思います」
「そう、ですか」
それを聞いて、シリルは不安でたまらなかった。予想よりも遠い道行に、果たしてついて行けるのかと心配になったのだ。既に足はだるく、痛くなってきている。
それでも弱音は吐けない。自分一人が足を引っ張っては、全員が立ち往生してしまう。
「ところで、ユリエル殿下ってどんな人だい?」
落ち込んでしまいそうな気持ちを逸らすように、レヴィンが問いかけてくる。軽い雰囲気と口調はこの緊張感のなかでちぐはぐに感じる。けれどそれが、余計な緊張を解いてくれるようだった。
「兄上はとても頭が良くて、武に長けた人です。とても優しいですよ」
「本当に? 怖いって噂だけど」
「優しいのはシリル様にだけだ。あの方は基本、無能な人間に情などかけない。完全な実力主義と言っていいだろう。出来過ぎた方だからな、恐れる人間も多い」
「そんな事は! 兄上はそんな非情な人ではありません。それに、王に相応しい人です」
シリルは必死に否定した。けれど、実際はどうなのか分からなかった。
シリルに対しては優しく穏やかな兄である。けれど、他の人の話を聞くとそればかりではない。潔癖な性格も、強い信念も知っている。それが他人への厳しさになっているのだと思っている。
「実力主義か。それは俺には有難いかもね。ほら、縦社会っていうの苦手だからさ」
考える素振りを見せるレヴィンが、どこか楽しそうな笑みを見せる。なんだか、少し不穏に思えた。
「兄上は僕がいる事で不遇を受けてきました。それでも、僕に優しくしてくれるのです。僕の……唯一の肉親なんです」
母は既に亡い。父も、どうなったのか分からない。今確かに居るのは兄だけになってしまった。そこに甘えてしまうのは、都合がよすぎるかもしれない。自分がいる事で兄の立場が悪くなっているのは確かな事なのだから。
「では、ユリエル殿下はシリル殿下を恨んでいないのかい? 正直に言って、殿下がいなければ自分の地位は盤石なものになるだろ?」
レヴィンのその言葉に、シリルは心臓を掴まれた気分がした。考えないようにしていた事だ。そこを考えてしまったら、誰を信じていいか分からなくなる。優しい兄の全てを、疑わなければならなくなる。
一瞬、グリフィスの気配が尖った気がした。ここでレヴィンとグリフィスの仲が険悪になるのは避けなければ。こんな閉鎖的な状況で喧嘩などになれば、今後良くない事が起こるかもしれない。だから必死に、シリルはグリフィスを抑えた。
そして、レヴィンに向かい動揺を隠そうと必死に笑みを浮かべ、首を横に振ってみせた。
「僕が邪魔なら、兄上はとっくに僕を亡き者にしているでしょう。そうなっていないのなら、僕はまだ兄上にとって必要な存在であると……思いたいです」
言いながら、何かが腑に落ちるのが悲しい。兄が自分に優しい理由は、これなんじゃないかと思えてくる。それなら納得できる。兄にとって何かしらの利用価値があるから、傍に居させてくれるんだ。
不安がこみ上げる。次に顔を合わせた時、自分は兄をまともに見られるのか分からない。どんな顔をして会えばいいか、分からなくなる。兄はどう思っているのだろう。肉親として、弟として、愛されているのだろうか。
「疎まれてはいないと?」
「そう、信じます」
レヴィンが疑いの目を向ける。それに対して咄嗟に出た言葉が全てだ。信じよう。今はそれしかきっとできない。
鋭かったレヴィンの目が、不意にふわりと和らいだ。途端に空気も和らいで、緊張が解けた。泣きそうになってしまう。許されたような、解放されたような、そんな不思議な空気があった。
「そっか。うん、信じる事は大事だよね。まずはそこからだし」
そう言ったレヴィンが申し訳なさそうに笑う。そして、視線をグリフィスへと移した。
「そろそろ一度休憩入れないと、俺達ならいざ知らず殿下は倒れてしまうよ。そうだろ、グリフィス将軍」
「……そうだな。もう少し行ったら、少し開けた場所に出る。そこまでもうしばらく頑張ってくれ」
重く溜息をついたグリフィスが、皆に向かって激を飛ばす。シリルもまた、隣を歩くレヴィンの手に導かれるようにゆっくりと進んで行った。
◆◇◆
▼レヴィン
見通しのいいその場所は、百人程度が余裕で寛げるだけのスペースがあった。しかも侵入者対策用の扉もついている。城側の鉄扉を閉めて閂をかけ、皆ようやく休むことができた。
それでも、快適とは言えない寝床だ。石造りの床は冷たくて硬いし、暖は数か所で焚いている焚き火と毛布だけ。疲労の度合いに対して用意された寝所は最低だった。
レヴィンは周囲を見回して、そんな部屋の隅に蹲るシリルを見つけた。
ほんの少し、後悔している。どうにも王族というものに良い印象を持たないせいか、必要以上に虐めてしまった。思った以上に傷つけてしまったようだ。
仲直り、できるだろうか。そんな思いで、レヴィンはシリルの傍へと寄った。
「眠れないのかな、シリル殿下」
「レヴィンさん」
見上げる瞳は弱く頼りなく揺らぎ、顔には憔悴の色が見える。それでも笑みを浮かべるのだから、健気と言うか意地らしいと言うか。少し痛々しいくらいだ。
「ここ、いいかな?」
「あっ、はい」
慌てたように答え、少し端に寄る。だが、そんな必要はどこにもない。シリルの左右には誰もいないし、これだけスペースがあるのだから座りたい放題だ。
それに気づいたのだろう、シリルの顔が恥ずかしそうに赤く染まった。
「今日は大変だったね。平気?」
「大変なのは僕だけではありませんので。弱音は、吐けません」
「おや、意外と意地らしいんだね」
目に見えて疲れているのに、それでもシリルは笑みを忘れない。その姿は健気だけれど、同時に哀れにも思えた。
「少しでも寝ておかないと、今後が辛いよ」
「寝ようとは思っているのです。でも、上手くいかなくて」
それは分からなくはない。興奮して上手く寝付けないのだろう。それを察していたから、レヴィンはとっておきの物を持ってきていた。
「興奮しているんだね。じゃあ、俺がお手伝いしようかな」
「え?」
驚いたように見開く新緑の瞳が、少しだけ可愛いと思う。年齢以上に中身が幼いように思う。半面、妙に大人びた部分も持つのに。
レヴィンは自分が纏っている外套を折りたたみ、そこに匂い袋を仕込んでシリルの枕にし、荷物の中から小さなリュートを取り出し、爪弾いた。石造りの部屋の中にその音は響く。驚いたように、他の者も顔を上げた。
心地よく音を奏で、眠りへ誘う曲を弾く。ゆったりと歌う声は静寂の中に響いた。シリルは最初戸惑ったようだったけれど、やがてゆるゆると外套を枕に瞳を閉じる。そして、数曲終わると静かな寝息が聞こえるようになった。
沈み込むように眠ったシリルに毛布をかけ、その頬を濡らす涙を手で拭って、レヴィンは申し訳なく笑う。かってが分からずに言いすぎてしまった。辛い思いをした日なのに、余計な心労をかけた事を素直に詫びた。
その場を離れたレヴィンは、感じる視線に顔を上げる。グリフィスが一人、焚き火の傍で苦笑していた。
「上手いな、お前。軍人よりもよほど合っている」
いつの間にかレヴィンの音楽に聞き惚れた他の兵も眠っていて、起きているのはグリフィスだけになっていた。その傍に腰を下ろしたレヴィンは苦笑する。
「俺自身そう思いますけど、世捨て人になるには俗物でして。欲を捨てられないんじゃ、詩人などできませんしね」
「それもそうだな」
そう言って携帯用の食料を少量噛むグリフィスをレヴィンは観察した。
この人も実に面白いと思う。古くから国に仕える騎士の家柄で、若いながらに実力がある。十代で獅子を狩り、二十代で国一番の騎士となったという。まるで軍神だ。
だが、そんな桁の違う相手だというのにこうして実際に話すと近寄りがたさはない。少々堅苦しいとは感じるが、誠実で公平な目を持つ人物だと分かる。そして、随分とお人好しだ。
「お前、シリル様によくよく礼を言っておけ」
言われ、レヴィンは少しだけ首を傾げる。礼も詫びも言うつもりではあるが、改めてこの人から言われるとは思わなかった。
「えぇ、そのつもりですが。何故?」
「シリル様が許さなければ、俺はお前の同行を許さなかった。正直、あまり見えてこない相手だからな」
「なるほど、賢明な判断です」
グリフィスの考えは実に筋が通る。レヴィンだって、こんな奴が突然きて入れてくれと言っても承知しないだろう。
だがそうなると意外だ。グリフィスはシリルを随分信用している事になる。まだ幼く頼りないあの王子様を。
「シリル様を、随分信用しているのですね」
鋭い視線で問いかけるが、グリフィスはまっとうに取り合わないつもりか視線を合わせない。その視線は、離れて眠るシリルを見ていた。
「あの方は人の本質を見抜く才がおありだ。お前が根っから腐っているならば、あの方は怯えたまま隠れていただろう。だが、一歩前に出て同行を願った。ならば、捨てるには惜しい」
「あぁ、そう」
捨てるには惜しい、か。本人に隠しもせずにそう言い捨てるこの人も、意外といい人というだけではないかもしれない。それでも世辞でもなく、隠し事もしないのはある意味で気持ちがいい。こういう人間とは付き合いやすい。
「まぁ、お前も簡単な奴ではなさそうだがな。頼むから、ユリエル様と揉め事を起こすなよ」
「そこが問題なんですけど。そのユリエル様って、どんな人なんです? 正直、顔が色々ありすぎて実体が掴めない感じがしますが」
「そのまま、色々な顔がおありだ。相手に合わせて態度を変える。が、あまりご自分を見せない。それに値する相手と思わなければな。そしてどんな相手にも、弱さは一切見せない」
グリフィスの目が鋭く、厳しく、そしてどこか悲しげに細められた。
「あの方は、シリル様以上に人の本質を見抜く。だが、シリル様のように避けるのではない。悪意も毒も見抜いたうえで、食らうのさ。ご自分の目的や、野心の為に」
「それは……」
少し怖いが、興味深い。毒を毒と知って食らう人なら、相当の覚悟がおありだ。そういう人とはきっと馬が合う。レヴィンもまた、綺麗な生き方などしていない。
「お前は間違いなく、あの方に気に入られる。おそらく目に止まればすぐだろう。だが、覚悟することだ。一度でもあの方に加担したなら、逃れる事は許されない。例え地獄へ向かっていても、途中で抜ける事は許されないぞ」
怖い顔で念押しするグリフィスに肩を含めてみせ、レヴィンは苦笑する。だが、願う所だ。レヴィンもまた、今更天国になんぞ行く気はない。ならば、とことん付き合ってみるまでだ。
意外なのが、そんな危険な相手にこの堅実そうなグリフィスが加担していることだ。しかも、分かっていて。
「将軍は、何故加担しているんです?」
ほんの興味だった。それに、グリフィスは困ったように笑う。そう、笑うのだ。
「あの人を、放っておくことがどうしてもできなくてな」
そう呟いた言葉が妙に、レヴィンの耳に残った。
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