夢見客人飛翔剣

解田明

文字の大きさ
上 下
27 / 59
魔宴の響き

秘技閂破り

しおりを挟む
 関ヶ原の合戦以来、徳川幕府は諸大名に対して厳封、改易を中心とした廃絶政策を取ってきた。
 厳しい幕法で締め上げ、違反すればそれを口実としたお取り潰しの他、末期養子を禁じたために無嗣断絶となって領地の召し上げて天領とした。そのため、この頃には、外様、譜代、親藩合わせて百家以上の大名家が改易の対象となっている。
 大名たちは参勤交代によって国許から江戸を行き来し、正室と世継ぎは江戸に住まわせなければならない。
 この際に江戸に居住する江戸屋敷は、藩からの出向機関でもあり、千人以上の人員が生活する広大な敷地を持っていた。
 しかし、お取り潰しの憂き目に合えば、住まう者を失い、空屋敷となってしまう。
 幕府から土地を与えられた拝領屋敷は屋敷改の支配となるが、大名たちが買い上げた土地に建てた抱屋敷となると人手に渡るまで放置されることは多かった。旗本御家人の屋敷も同上である。
 さて、夢見客人が様子を窺っているのは、紀州尾張両大納言の下屋敷のある清水坂からさらに西に行って四谷のあたりにある空き屋敷だ。
 江戸城登城のための上屋敷と違い、このあたりにある下屋敷は敷地も広いが空屋敷となったら荒れるに任される例も珍しくない。

「探ってみたが、なにやら気配が感じられるようじゃ」

 客人に語ったのは瞳鬼の声であった。
 彼女の役目は、客人の佩刀お世継ぎ殺し村正の監視であるが、今は暇人長屋の面々と呉越同舟にある。
 この屋敷は、潔斎祈祷した晴満が式占と式神を使って当たりをつけたものだ。

「さて、どうする? 乗り込むかい、夢さん」

 客人に同行した天次郎が訊く。
 他に、無縁亭想庵もやってきている。
 お縫と刃洲は容態が安定しつつある美鈴を見守っており、晴満はその守りの役目に残していた。

「まずは様子を見よう。逆卍党の狙いは千鶴姫の身柄にあるはず。わざわざ拐かしたというのであれば、尚更だ」
「そうだな。もしお姫さんを手にかけるって気があるなら、わざわざさらいはしねえからな」
「然り。逆卍党の狙いは、千鶴姫のその身に宿る秘密にあろう」

 千鶴は藩主の落し胤であり、お家騒動の種となる背景があるが、逆卍党の目的はその事情に乗じて攫うことであった。
 始末することが目的であるなら、いつでもできたはずである。
 何かしら千鶴の身に用がある、ゆえに攫ったのだ。
 なればこそ、いたずらに危害を加えることはないと踏んだ。
 とはいえ、何が目的なのかは杳として知れぬのだから、油断はできない。

「む、待て。誰ぞ来る――」

 瞳鬼が何かに気づいた。
 客人たちも、身を隠せるところに潜む。
 しばらくすると、行者姿の一団が寂れた門を潜って中に入っていく。

「なんでえ、あいつらは?」
「富士の行者に見えるが、化けておるのか……」

 富士行者とは、霊峰富士を信仰対象とする山岳信仰の修行者をいう。
 戦国の頃、富士の人欠ひとあなにこもって天下静謐てんかせいひつを願うべく苦行を成した長谷川角行はせがわ かくぎょうという行者があった。
 二代将軍秀忠の代に江戸で疫病が流行ると、この角行が関東を中心として平癒祈願の祈祷を行なった。
 当初は、不審な宗教者として幕府からの弾圧を受けて入牢することになるが、後に赦免されると角行の教えが広まり、やがて富士講が組織されることになる。
 幕府による甲州街道の整備が始まると、高井戸宿から甲府大月宿を経由して、吉田口から富士山頂に登拝する巡礼が行われるようになる。
 この講の行者たちは御師おしと呼ばれ、信者たちの旅を案内する先達、宿泊などの世話をした。
 また、忍者の変装術に七方出というものがある。これは、虚無僧、出家、山伏、商人、放下師、猿楽師、常の形の七種に化ける術であるが、山伏……つまり修験者の行者の行者姿は小道具も隠せ、旅中にあっても怪しまれないという隠形の術でもあるのだ。

「廃れた屋敷に入っていく行者一行とは面妖だな」
「ともすると、姫を富士の麓まで連れ出すつもりやもしれん」
「何、富士の麓に?」
「富士の風穴は知られておろう。江戸から離れて人目を避けるにはうってつけだ」
「……そうか。もうしばらく様子を探るつもりであったが、うかうかしておれんな」
「おう、そっちのほうが話が早えぜ」

 にっと太い笑みを浮かべた天次郎は嬉しそうである。
 背負った大剣に手をかけ、すでに大立ち回りをする気でいる。

「天さん、頼めるか?」
「任せておけ、これしきは何でもねえぜ」
「待て……! お前たち、まさか――」

 瞳鬼がさすがに慌てている。
 客人と天次郎は、堂々と屋敷に乗り込む覚悟を決めたようだ。
 気取られることもお構いなしという発想は、伊賀の忍びである瞳鬼からするとありえないものだ。
 しかし、忍んだところで相手は名うての忍者集団である。察知されずに乗り込むことはまずできない。
 となれば、真正面から入ってしまおうというのである。
 寂れたといえど、武家屋敷の門構えというものは、もしもに備えて頑丈に造らているものだ。
 しかし、天次郎は大剣を構えて、門扉を力任せに叩き斬った。
 いや、斬ったというより打ち壊したと言ったほうがいい。
 派手な音がして、かんぬきがへし折れてばたんと門が開く。

「相変わらずの剛剣だな、天さん」

 その技に、客人も感心するばかりである。
 天次郎の並外れた膂力と、大剣あってこそなせる技だ。
 一方で、開いた口が塞がらぬのは動機であった。

「穀蔵院一刀流閂破りってな。ざっとこんなもんよ。さあて、またひと暴れだ」
「なんという男じゃ、おぬしは……」
「ちょいと喧嘩が好きな暇人さ。まだるっこしいのは性に合わねえ」
「ふん、バカなやつ!」

 瞳鬼は短く言い捨てると、現れる敵に備える。
 客人と天次郎は、もう屋敷の中に乗り込んでいた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

独り剣客 山辺久弥 おやこ見習い帖

笹目いく子
歴史・時代
旧題:調べ、かき鳴らせ 第8回歴史·時代小説大賞、大賞受賞作品。本所松坂町の三味線師匠である岡安久弥は、三味線名手として名を馳せる一方で、一刀流の使い手でもある謎めいた浪人だった。 文政の己丑火事の最中、とある大名家の内紛の助太刀を頼まれた久弥は、神田で焼け出された少年を拾う。 出自に秘密を抱え、孤独に生きてきた久弥は、青馬と名付けた少年を育てはじめ、やがて彼に天賦の三味線の才能があることに気付く。 青馬に三味線を教え、密かに思いを寄せる柳橋芸者の真澄や、友人の医師橋倉らと青馬の成長を見守りながら、久弥は幸福な日々を過ごすのだが…… ある日その平穏な生活は暗転する。生家に政変が生じ、久弥は青馬や真澄から引き離され、後嗣争いの渦へと巻き込まれていく。彼は愛する人々の元へ戻れるのだろうか?(性描写はありませんが、暴力場面あり)

三賢人の日本史

高鉢 健太
歴史・時代
とある世界線の日本の歴史。 その日本は首都は京都、政庁は江戸。幕末を迎えた日本は幕府が勝利し、中央集権化に成功する。薩摩?長州?負け組ですね。 なぜそうなったのだろうか。 ※小説家になろうで掲載した作品です。

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。 慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。 しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。 目指すは徳川家康の首級ただ一つ。 しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。 その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。

令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました

フルーツパフェ
大衆娯楽
 とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。  曰く、全校生徒はパンツを履くこと。  生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?  史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

両国悲喜こもごも

沢藤南湘
歴史・時代
はるよの家は、父親の又吉の怪我で家は困窮状態に陥る。 そこで、はるよは、大奥に奉公するが、大奥の人員削減で長屋に戻る。そして、 古着屋の長介と結婚するが、夫は、店の金を酒と女に 費やし、店をつぶす。借金がはるよに残された。一方、はるよが、長屋にい たころから、はるよに恋心を抱いていた野菜売りの正助は、表店の主になり、 はるよの借金返済に金を貸した。その後、正助の妻と次女を失い、酒におぼれ 、店がつぶれた。山越屋を立て直したはるよが、正助を雇った。実力を発揮し た正助を店主にし、はるよは、正助の妻になり、店はますます繁盛した。

処理中です...