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悪評高き騎士・アイヴァン
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『お前達はサディアス殿下のために生きるのだ』
幼い頃から聞き飽きるほどに聞いた父の言葉だ。
その言葉はアイヴァン・ソーンヒルと妹であるフリーダの心に深く刻み込まれている。従わなければ罰を与えられるから。父の与える罰は折檻である。王国騎士団の長を務める父の振るう拳の強さを体験すれば、反抗するなどという選択肢は頭に浮かばなくなる。
フリーダもまた父親の暴力に晒されることもあったが、その度にアイヴァンが身を挺して彼女を守ってきた。兄が虐げられる姿を見続けたフリーダは、兄が更に傷つけられるのを避けるために父の命令に逆らわないようにしていた。
王子に尽くすために厳しい教育を受け、成長したアイヴァンはサディアス王子の近衛騎士になり、フリーダは王子の婚約者になった。
父親が望んだ未来のはずだった。しかし、順風満帆かと言われると決してそのようなことはなかった。
そしてアイヴァンもフリーダも全く幸せではなかった。
+++++
「騎士団長の息子のくせに、見るからにひ弱で役立たずそうじゃないか」
「大方、親の七光りで役職についたが実力も何も無いのだろうな」
「本当に騎士団長は何を考えているんだか。親馬鹿にもほどがあるだろう」
王宮ではアイヴァンの悪評が飛び交っている。
近衛騎士でありながら訓練に参加せず、サディアス王子の執務室に入り浸るアイヴァンは、多くの貴族達から冷ややかな視線を浴びていた。
「慈悲深いサディアス殿下に媚びて情けない……」
先陣を切って悪評を口にするのは、アイヴァンの婚約者であるエセルであった。
彼女は王家に嫁げる身分でありながら、自分に宛がわれたのが伯爵家の嫡男でしかないアイヴァンだったことに不満を持っていた。初対面の時から不機嫌な様子を隠すことはなかった。
婚約当初は品行方正な騎士見習いだったアイヴァンだったため、エセルの両親は婚約の解消を聞き入れることはなかったのだが、サディアス王子の近衛騎士になってからアイヴァンの評価は暴落した。しかし、婚約は継続されている。本人の資質はともかく、アイヴァンの妹であるフリーダが王族に輿入れすることを見越して判断したのだろう。
格下であることすら許せないのに、加えて無能であるとなればエセルにとってこの婚約は屈辱以外の何物でもないはずだ。彼女は周囲に対し、アイヴァンの悪評を嘆き、同情を誘おうとしているようだった。
ある日の夜会でもエセルは友人達に、アイヴァンの不甲斐無さを嘆いて見せていた。アイヴァンはこの場にはいない。本来は婚約者であるアイヴァンを同伴させるものだろうが、エセルは彼は婚約者としても無能なのだと広めようとしているのである。
そしてこの日はアイヴァンの主君であるサディアス王子も参加していたのだった。他者に聞かせるために発せられた彼女の声はよく響く。もちろん王子の耳にも届かないはずがなかった。
サディアス王子はエセルに近づき、穏やかに微笑みかけた。慌てて一礼するエセル。招待客達は二人に注目した。
「エセル嬢、君の心配は理解できる。しかし、アイヴァンなりに努力をしているのだ」
王子の言葉に、エセルは一瞬驚きの表情を浮かべたが、殊勝な様子で語りかけた。
「殿下の優しさに甘えて、あの者はつけ上がるのです。私の言葉など聞き入れず、愚かな真似を続ける彼のことが私は恥ずかしくて仕方がありません」
まるで自分はアイヴァンを更生させようとしたが聞き入れなかったと言わんばかりのエセルの言葉だが、ここ数年はまともに会話もしていない上に、文通すらできていない。
「私への気遣いをありがとう。君は優しいね。美しく優しい婚約者を放っておいてアイヴァンは一体何をやっているんだ」
王子の声は穏やかだったが、その言葉の裏には微かな厳しさが感じられた。
「彼が私をエスコートすることはありません。よほど私を嫌っているのでしょう」
悲しげな微笑みを浮かべるエセル。サディアス王子はエセルの前に手を差し出した。
「では、このダンスは私と一緒に」
王妃譲りの煌めくような美貌のサディアス王子に笑いかけられ、エセルは優雅に微笑んだ。そして王子の手に自分の手を重ねたのだった。優美な二人の様子に、周囲からも歓声が上がる。
「ありがとうございます、殿下」
「いや、美しい人との時間を過ごせて私も嬉しいよ」
今夜の主役は間違いなくサディアス王子と公爵令嬢であるエセルであった。
悪評に塗れたアイヴァンだけでなく、その妹であり、サディアス王子の婚約者であるフリーダも不在だというのに、誰も疑問に思わず、似合いの二人を称賛したのだった。
幼い頃から聞き飽きるほどに聞いた父の言葉だ。
その言葉はアイヴァン・ソーンヒルと妹であるフリーダの心に深く刻み込まれている。従わなければ罰を与えられるから。父の与える罰は折檻である。王国騎士団の長を務める父の振るう拳の強さを体験すれば、反抗するなどという選択肢は頭に浮かばなくなる。
フリーダもまた父親の暴力に晒されることもあったが、その度にアイヴァンが身を挺して彼女を守ってきた。兄が虐げられる姿を見続けたフリーダは、兄が更に傷つけられるのを避けるために父の命令に逆らわないようにしていた。
王子に尽くすために厳しい教育を受け、成長したアイヴァンはサディアス王子の近衛騎士になり、フリーダは王子の婚約者になった。
父親が望んだ未来のはずだった。しかし、順風満帆かと言われると決してそのようなことはなかった。
そしてアイヴァンもフリーダも全く幸せではなかった。
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「騎士団長の息子のくせに、見るからにひ弱で役立たずそうじゃないか」
「大方、親の七光りで役職についたが実力も何も無いのだろうな」
「本当に騎士団長は何を考えているんだか。親馬鹿にもほどがあるだろう」
王宮ではアイヴァンの悪評が飛び交っている。
近衛騎士でありながら訓練に参加せず、サディアス王子の執務室に入り浸るアイヴァンは、多くの貴族達から冷ややかな視線を浴びていた。
「慈悲深いサディアス殿下に媚びて情けない……」
先陣を切って悪評を口にするのは、アイヴァンの婚約者であるエセルであった。
彼女は王家に嫁げる身分でありながら、自分に宛がわれたのが伯爵家の嫡男でしかないアイヴァンだったことに不満を持っていた。初対面の時から不機嫌な様子を隠すことはなかった。
婚約当初は品行方正な騎士見習いだったアイヴァンだったため、エセルの両親は婚約の解消を聞き入れることはなかったのだが、サディアス王子の近衛騎士になってからアイヴァンの評価は暴落した。しかし、婚約は継続されている。本人の資質はともかく、アイヴァンの妹であるフリーダが王族に輿入れすることを見越して判断したのだろう。
格下であることすら許せないのに、加えて無能であるとなればエセルにとってこの婚約は屈辱以外の何物でもないはずだ。彼女は周囲に対し、アイヴァンの悪評を嘆き、同情を誘おうとしているようだった。
ある日の夜会でもエセルは友人達に、アイヴァンの不甲斐無さを嘆いて見せていた。アイヴァンはこの場にはいない。本来は婚約者であるアイヴァンを同伴させるものだろうが、エセルは彼は婚約者としても無能なのだと広めようとしているのである。
そしてこの日はアイヴァンの主君であるサディアス王子も参加していたのだった。他者に聞かせるために発せられた彼女の声はよく響く。もちろん王子の耳にも届かないはずがなかった。
サディアス王子はエセルに近づき、穏やかに微笑みかけた。慌てて一礼するエセル。招待客達は二人に注目した。
「エセル嬢、君の心配は理解できる。しかし、アイヴァンなりに努力をしているのだ」
王子の言葉に、エセルは一瞬驚きの表情を浮かべたが、殊勝な様子で語りかけた。
「殿下の優しさに甘えて、あの者はつけ上がるのです。私の言葉など聞き入れず、愚かな真似を続ける彼のことが私は恥ずかしくて仕方がありません」
まるで自分はアイヴァンを更生させようとしたが聞き入れなかったと言わんばかりのエセルの言葉だが、ここ数年はまともに会話もしていない上に、文通すらできていない。
「私への気遣いをありがとう。君は優しいね。美しく優しい婚約者を放っておいてアイヴァンは一体何をやっているんだ」
王子の声は穏やかだったが、その言葉の裏には微かな厳しさが感じられた。
「彼が私をエスコートすることはありません。よほど私を嫌っているのでしょう」
悲しげな微笑みを浮かべるエセル。サディアス王子はエセルの前に手を差し出した。
「では、このダンスは私と一緒に」
王妃譲りの煌めくような美貌のサディアス王子に笑いかけられ、エセルは優雅に微笑んだ。そして王子の手に自分の手を重ねたのだった。優美な二人の様子に、周囲からも歓声が上がる。
「ありがとうございます、殿下」
「いや、美しい人との時間を過ごせて私も嬉しいよ」
今夜の主役は間違いなくサディアス王子と公爵令嬢であるエセルであった。
悪評に塗れたアイヴァンだけでなく、その妹であり、サディアス王子の婚約者であるフリーダも不在だというのに、誰も疑問に思わず、似合いの二人を称賛したのだった。
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