1 / 1
終わらない恋
しおりを挟む突然だが私には幼馴染がいる。
短髪で明るくて可愛い――誰もが羨む幼馴染がいる。
昼休み、少し遅れて食堂に行くと携帯をいじる女子の姿が目に入る。彼女はこちらを向くと、笑顔で手を振ってくる。
元気はつらつな姿に周囲から視線が集まる。次には彼女に視線をたどって多くの生徒が私を見る。
恥ずかしいからやめてくれ。
私は照れ隠しするように苦笑い。平静を装いゆっくりと歩いて奥のテーブルに向かう。
テーブルの上には布に包まれた二つの弁当がある。
一つは花柄の子柄。もう一つは黑一色の大柄な物。
彼女が二人分食べるという可能性は捨てきれないが、それを見た人間は間違いなく、私のだと思うだろう。
正解だ。
美紀は数ヶ月ほど前から急に弁当を作り始めた。
私の漢焼き肉弁当を見て、今まで何も言わなかったのに急に栄養バランスが悪い、野菜を、魚を食えと言うようになり、気づけば「私がナルのお弁当も作る!」と豪語し始めた。
勿論最初は断った。
内心は女子高校生の手作り弁当など、その日の夜にベッドで悶えるくらい嬉しかった。しかしそれを何の躊躇もなく受け入れるのは、人としてどうかと思った。
だから社交辞令として2回は断った。しかし彼女が折れることはなく、最終的には「私にあんたの弁当作らせなさいよ! 何かイヤなことでもあるの!?」と半ギレ気味に言われた。
手作り弁当だけでも、訳が分からない彼女だったが、それより訳が分からないことが弁当制作開始、一週間後に起こった。
「あんた私に嘘ついたわね」
「え?」
放課後、私の部屋で、私のベッドに制服のまま一人足を伸ばし、漫画を読んでいる彼女が前触れもなく口を開いた。
なんのことが分からず口をポカンッと開けている私を彼女は睨む。
「お弁当」
「あっ」
たった4文字で理解してしまった。
弁解する前に彼女が続ける。
「友達にクソ不味いって言われた」
あの弁当を友達に食わせたのか……。どうやら私以外の被害者が出てしまったようだ。
彼女の弁当は凄く不味い。ご飯は水気が多くて味がしないし、野菜は食えない部分は入っていることも。卵焼きは無糖。ソーセージに関しては生焼けで食えたもんじゃない。
オエッと一瞬体が拒否をするような味だが、それでも彼女が私のために誠心誠意作ってくれたという事実だけで十分に私は食えた。
だから何も言わなかったが……。
しかしどうやらそれじゃあ彼女は納得しないらしい。
ムスッとした表情をする彼女に私は言葉をつまらせながら謝罪した。
「えっ……と…………ごめん」
他に何を言えば分からず、少しの間静寂が部屋を包み込む。
どれくらい時間が経ったか分からないなか、ペラリと漫画のページをめくりながら彼女はため息交じりに言った。
「……いつも感想聞いてるんだから、素直に言ってよ。そうじゃなかったら、作ってる意味がないんだから」
少し困った声色。
罪悪感にかられ彼女の顔が見れずゲーム画面で視界を潰す。
「わかった」
短い返事。
彼女はそれ以上何も言わなかった。横目でチラリと顔を見ると、その頬は少し染まっていた。
それから数カ月後の今、彼女は毎日私の弁当を作り続けて、料理の腕は思わず「美味しい」と口から出るほどにまで成長した。
家庭科の授業でもその努力の成果を発揮し、先生に絶賛されるほどだ。
「ナルさっき職員室に行っていたけどどうしたの?」
「昨日夜中までゲームやってて宿題忘れた」
「バッカでー。言えばこの学年35位の美紀様のノートを見せてあげたのに」
「やだよ。美紀に頼むくらいだった死んだ方がマシだね。そして順位がビミョー」
「ヒドい!」
私は馴れた手付きで布をほどき弁当箱を開ける。
いつも通りの弁当だ。
のり弁にミニハンバーグとポテサラにタコさんウインナー。ミニトマトとヒジキと黒豆。それと卵焼き。
冷凍食品は一切ない。すべて手作りだ。
パクパクと口に運ぶと美紀が笑顔で「おいしい?」と聞いてくる。
私は「ああ」と短く答え、最後に卵焼きの甘みを口全体で堪能するように食べ、お茶を飲み、弁当箱を片付けた。
「今日の卵焼き最高」
「でしょ? でしょ?」
自信満々に言う彼女の顔に、私は数カ月後前、料理に苦悩する彼女を思い出し思わず笑ってしまう。
その後私達は昼休みぎりぎりまで食堂でくつろいでいた。
「じゃあ、今週のお料理審査会は終了~。来週もよろしくね、ナル」
「あいよ」
高校にあがった当初はずっと美紀と昼休みを過ごしていたが、彼女が弁当を作るようになってから、彼女との食事は少しずつ減っていき、最終的に週一となった。
美紀は基本的には女友達と食べており、よく教室でワーワー騒いでいる。
私と食べるときだけ、食堂に行くのは謎だ。クラスの人たちからからかわれるのが嫌なのだろうか。
===
「そういえば再来月テストだね」
放課後、自室にて。
私の視界にLOSEとゲーム画面に映るなか、彼女がポロリと呟いた。
コントローラーをゴトッと床に置く音に私の肩が跳ねる。
「もういっ――」
「勉強しよっか、ナル」
もはや私に逃げ道などは存在していなかった。
彼女は鞄の中から教科書、ノート、筆箱を素早く取り出し、テーブルに並べる。
いつもスッカラカンの鞄の中には沢山の異物が見えた。どうやら初めからその気だったらしい。
「美紀、期末までまだ二ヶ月あるよ? だから大丈夫だよ?」
「二ヶ月なんてあっという間だよ? それに私が大丈夫でもナルが大丈夫じゃないでしょ」
何も言い返せない。
自慢じゃないが私はあまり成績が良い方ではない。彼女も中学の時は私以上に頭が悪かったのに、いつから逆転してしまったのやら。
「中学じゃあ俺が教える側だったのに……」
中学では学年上位に入っていた私。二週間前になると美紀が毎回私に泣きついてきていた。次赤点とったらお小遣いを減らされると口癖のように言っていた。
私は、点数は良かったが決して頭が良かったわけではない。授業中に先生が「ここテストに出るぞ」と、ポロリと言う言葉を聞き逃さなかっただけだ。
それだけ聞いていれば80点は余裕だ。
そんなかんじで私は高校でも自習をしていなかったら、美紀と並んで平均50点という沼に入った。
美紀は初めそんな私を見て、目を見開いていた。
高校の厳しさを二人で笑ったものである。
しかし高校1年の冬の中間考査。美紀は急に勉強をし始めた。それも私を巻き込んで。
「じゃあ私達の家庭教師を紹介します!」
外が真っ暗になった放課後。
二人だけど教室で美紀に一人の女子を紹介された。
「なんと学年一位のマイちゃんで~す」
ショートの美紀とは対象的に背中まで伸びた長い髪。
私はこの女子生徒を知っている。私の友人を振った女子だ。
振られた時に罵詈雑言を浴びせられ、友人が酷く落ち込んでいた。
苦手なタイプかもしれない。
それでも時間をさいて勉強を教えてくれるのだ。好意的に接するべきだろう。
「えっと……」
「江黒舞よ。あなたが美紀を騙して、私を殺そうとした犯人ね」
突然の殺人犯扱い。
私は驚きのあまり言葉が出なかった。
彼女とは初対面だ。騙したことも、騙そうと考えたこともない。
「だから、ごめんって!」
「どういうこと?」
私をよそに両手を合わせて必死に謝る美紀の姿に私は思わず尋ねた。
「貴方が、美味しい、しか言わないから私が感想を頼まれたのよ」
その言葉ですべてを察してしまった。
どうやら彼女は禁忌弁当の被害者らしい。あのゲロ不味い料理を体内に取り込んだ被験者。
「すみませんでした」
私は素直に謝った。
===
勉強会が始まった。
来る日も来る日も、私たちは3人で教室に残り勉強会を開催した。
江黒さんは私に対して、「なんでこんな簡単な問題もできないのよ」と文句言いながら、懇切丁寧に私が理解出来るようになるまで何度も教えてくれた。
気づけば最終下校時刻を過ぎている、なんてことはざらにあった。しかし江黒さんは時にはファミレスで、時にはファストフード店で夜の10時くらいまで教えてくれた。面倒見がいい人なのかもしれない。
因みに美紀は最終下校時刻後、家に真っ直ぐ帰るため、それ以降の勉強はいつも二人きりだった。
しかし何か起きることはなかった。
無言でペンを動かし分からないことがあったら聞く。それだけだ。彼女は高圧的な態度が多く、少し苦手な部分もあったが、それでも感謝している。
なぜなら彼女のおかげで私はテスト二週間前にしてほぼ完璧な状態だった。
テスト範囲の勉強は全て終わらせあとは、忘れないように繰り返し勉強するだけ。
しかし、そんな時に事件は起きた。
「ちょっと、うるさいわよ。勉強しないなら帰ってもらえるかしら?」
俺と美紀がテスト範囲の復習が終わり駄弁っていると、舞が目を細めて言った。
ここ最近寝不足なのか目の下には濃い隈がある。
「悪い」
「ごめん」
江黒さんの一言で盛り上がっていた会話は一気に熱を冷ました。
私と美紀は無言でアイコンタクトし、教科書をバッグにしまおうと手を伸ばす。
その時、視界の端に分厚い教科書を広げ、ブツブツと何か言っている江黒さんの姿が、目に入った。
会話で全然気づかなかったが、どうやら彼女は歴史の暗記をしているらしい。その横には経済の教科書も置いてある。
「あれ、舞まだ暗記できてないの?」
私の視線につられた美紀が、悪気が一切ない言葉を発した。
「ええ、そうよ。貴方と違って私は地頭が悪いから」
皮肉が籠もった強い口調。
美紀はその言葉に一瞬「は?」と真顔を見せた。
「まあまぁ、取り敢えず帰ろうぜ」
テスト勉強でストレスが溜まっている状況の険悪ムード。
最悪絶交すると思い私は慌てて仲裁に入り、美紀と無理矢理帰路についた。
「なに舞のあの態度。テスト勉強でイライラしてるのはわかるけど、八つ当たりは良くないでしょ!」
駅までの道のり、愚痴を零す美紀に私は美紀の誤りを言ったが、彼女はどこか納得していない様子だった。
電車に乗り最寄り駅まで来たときに私は学校に忘れ物をしたことに気づいた。
「ごめん、俺学校に忘れ物したから取りに戻らなきゃ」
「何忘れたの?」
「家の鍵」
「ドンマイ。行ってら」
私は電車を乗り換え、一人学校に戻った。
教室に行くとまだ明かりがついていた。
「ただいま」
「なに?」
ガラガラと扉を開けると、怪訝そうな顔で江黒さんが見てきた。
「まだ、やってるの?」
「ええ、そうよ。悪い?」
「いや、悪くはないけど……」
「じゃあ、何よ!? さっきのことに文句を言いに来たの!? ごめんなさいねぇ! 八つ当りして! これで満足!?」
クールなイメージがある彼女がこんな怒鳴るなんて相当溜まっているらしい。
「もうテスト二週間前だっていうのに、歴史も経済も生物も終わってないのよ! 少しくらい怒ったってしょうがないじゃない!!」
吐き出すように怒鳴ったあと彼女は目を擦りながらもう一度、今度は酷く弱々しく鳴いた。
「しょうがないじゃない……」
彼女の勉強スケジュールが狂ったのは私達の――主に私のせいだろう。私が夜遅くまで勉強を見てもらったせいで、彼女の睡眠時間を減らし、勉強の効率を悪くした。
ならその責任は私が取るべきだと思う。
私は江黒さんが泣いたことに困惑しつつも、椅子に座りポケットから邪魔な鍵が入った財布を机の上に置き、続けて鞄から紙束を取り出した。
彼女が泣き止むのをしばらく待ってから口を開く。
何か言葉をかけるべきだったかかもしれないが、なんて言っていいか分からなかったから、無言を貫いた。
「江黒さん、これ使って」
「これは……何かしら?」
私が彼女に渡したのはハンカチ――などではなく、端をホッチキスで止めてある3つの紙束。
「教科書のコピー。ほら、重要語句は黒で塗りつぶしてある」
芋虫のような黒い塗り潰しが所々にある紙束。
「美紀は、教科書読むだけで暗記出来るけど俺はできないから」
これは私が昔から使っている勉強法だ。
教科書をコピーし、重要語句を塗りつぶす。いわゆる虫食い問題である。
テスト範囲全て印刷するので、あまりコスパはよくないが、確実だ。
今の江黒さんは教科書を朗読しているだけなので、それよりはましだろう。
「いいの?」
「うん、俺は全部覚えたから」
江黒さんがキッと私のことを睨んでくる。
別に煽っているつもりはないんだけどな。
「さっきはごめん」
「なにが?」
冷たい声色。
どうやらまだ怒っているらしい。
「美紀のこと。あと勉強会なのに遊んでて。でもあいつも悪気があって言ったわけじゃないんだ。えっと……だから……その……」
「わかってるわよ。大丈夫」
私がしどろもどろしていると、彼女は口に手をあて、クスリと笑う。
江黒さんが笑う所を見たのは初めてかもしれない。
それから私達は最終下校時刻まで勉強した。
二人だけの帰り道、妙に気まずかった。
特に話すことがない。加えて二人だけの下校は初めて。気恥ずかしい気持ちで一杯だ。
耳が痛くなるほどの気不味い空気のなか、私はなんとか話題を探そうと脳を必死に動かす。
すると彼女が小さく呟いた。
「今日も徹夜かしら」
私はほぼ条件反射で答えた。
傍から見ると餌に食いつく鯉のように見えたかもしれない。
「テスト前の徹夜は意味がないから止めた方がいいよ」
「そうなの?」
「生活リズムが崩れて、体調崩す上に女性ホルモンが分泌されない」
私は何を言っているのだろうか?
内心焦りすぎて、知っていることをポポンッと口に出してしまった。
江黒さんは私の言葉に、控えめな自分の胸を一瞥したあと、呆れたよう言った。
「貴方も、そういうことを言うのね」
「い、いや……」
これは失言だった。
女子が胸の大きさを気にするはどうやら本当らしい。
場合によっては大きさでマウントを取ることもある。
クラスの男子も大きさでワーワー言っているが、私にとって女性の価値はそこで決まらないので、よくわからない。
大切なのは全体のバランスだ。お尻だろうが胸だろうが大きければいいという話ではない。
大きればいいなんて言っている奴は二次元に取り込まれた、異常者共だ。
「美紀がいるから――そういうものには飽きていると思っていたわ」
「別に」
私はこれ以上失言しないように短く答える。
「それと、一説によると大きさは15歳で決まるらしいから今頃言われてもなんとも思わないわ」
どうやら彼女はそっちの話に対して免疫があるらしい。意外だ。
「私がこんな話するのがそんなに意外?」
どうやら顔に出てしまったらしい。
「男子は女子に対して夢見すぎよ。女子だって毛は生えるし、暴言も悪口も――足だって組むわよ。それに女子からしたら男子はみんな子供。卑猥な言葉を発するだけで、何があんなに楽しいのかしら? わからないわ」
「箸を転がして笑う年頃なんだよ」
「そう。あと、男子より女子の方がよっぽど闇深いわよ。痴漢されたことを自慢気にいう子もいれば、憧れの先輩に抱かれたって言いふらす子もいるし。意中の人が被るとイジメが発生するし。女子なんて泥沼の中で生きているのよ」
彼女は言い切ると、一息つく。そして小さく「あっ」と漏らした。
「ごめんなさい。少し疲れているようだわ」
私以上の失言をした彼女は頬を赤くし、それを首に巻いているマフラーで隠した。
その姿に思わず私が笑うと彼女は、ムッと睨んできた。
==
翌日。
無事に美紀と江黒さんは仲直りした。
と言うよりは、二人共何事もなかったように接していた。
そしてテストも良好な結果が出た。
「次もみんなで勉強会したいね」
美紀の言葉に江黒さんは「ええ、そうね」と言った。その手にはボロボロになった虫食い問題があった。
しかし。
次のテスト勉強会に江黒さんの姿はなかった。
私は当然いるものだと考えていたが、美紀いわく忙しいらしい。
ならば仕方ないと私は勉強をしたが、前回のような点数は取れなかった。
特に数学が壊滅的。
前回は江黒さんが理解するまで教えてくれたが、今回はそうはいかなかった。
美紀に教えを乞うても彼女の説明は理解できなかった。先生にも聞いたが、それでも分からない。
困り果てた私は他クラスにいる江黒さんは頼ろうとした。しかし勉強会を断った相手の所に足を運ぶのはどうかと思い、教室の前で踏みとどまった。
そして私は勉強のやる気がなくなってしまった。
と言っても、やる気がなくなったのは数学だけなのでそれ以外はそこそこ点数がとれた。
==
高校二年生の夏に美紀が突然運動をし始めた。勿論私を巻き込んで。その前はゲームをやっていた彼女が急に運動だ。訳が分からない。
因みにゲームのいろはは私が教えたが、今ではすっかり彼女の方が上手い。
「じゃあ、運動するわよ!」
「お手柔らかにね」
休日。
ジャージ姿の彼女と私はバドミントンをした。なぜバドミントンかはわからない。
しかしこのスポーツ。
私が思っていたより結構ハードなスポーツだ。腰を低くし、打球を待ち素早く打ち返す。たまにジャンプしながら打つこともあるため、握力や足腰の負担が半端ない。
真夏にこんなことをするなんて、狂っていると私は思ったが、二人で汗を流すのは楽しかった。
運動を始めたと同じタイミングで彼女はオシャレをし始めた。
別に今までしていなかったわけではないが、私をよく買い物に連れ出した。 ショッピングモールで時には数時間ほど彼女は服と格闘。
試着室に入り「これどう?」と耳にタコができるほど聞いてくる。
正直、どれも可愛かったが、彼女はその感想では納得いかない。
ので、私は自分好みの清楚系の服を着せて、絶賛した。
私が太鼓判を押すと彼女は迷わず購入した。
しかし彼女が私と出かけるとき、それらの服装で来ることは一度たりともなかった。
二年生の夏休みが終わり、体育祭が始まった。
運動が得意ではない私にとっては憂鬱な時間だと思ったが、美紀との運動に知らぬ間に体力がついていたことを知った。
毎日数キロ走らされて筋トレなどを強制されたおかげだ。夏休み前から始めた運動は数ヶ月で私の肉体を作り上げ――知らぬ間に腹筋も割れていた。
全体競技で足を引っ張ることもなく、またなぜか勝手に男女混合のクラス対抗200メートルリレーにエントリーさせられていた。
男女3人ずつのリレー。
どうして運動部に入っていない私が走者になっているんだ。私より足が速い人は他に沢山いるだろうに。
走者には美紀もいた。おそらく彼女の仕業だろう。
「これ一位とったら逆転だから頑張ろ!」
文句の一つでも言ってやろうと思ったが、スコアボードを指差す彼女の姿に私は「おお!」と答えるしかなかった。
結果は一位だった。
私の足が速かったのか、まわりが遅かったのかは分からない。
次走者にバトンを渡し終えて後ろを見たら2位と30メートルほど差をつけていた。
バトンを貰うタイミングは同じはずだったのに、いつの間にこんなに差が開いたのか。
「陸上部のエース相手によくあそこまで引き離したな」
「あれがエースとかうちの陸上部もオワコンだな」
「一応関東出場してるんだけどな」
ならきっと、靴紐が解けていたんだろう。それか体調不良か。
私の予想があたっていたのか、その後保険室でうずくまっている彼の姿を見た人が多数いた。
クラスメイトの多くはエースに勝った私に驚いていたが、私は美紀の姿に驚愕していた。
美紀は一走者目で周囲が速い人ばかりなのに一位で私にバトンを渡してきたのだ。
中学の時はビリッ尻だったのに、いつの間にそんなに速くなっていたのか。
「てか、そもそもなんで二走者目にエースを入れてるんだ? 普通アンカーだろ」
私が素朴な疑問を投げかけると友人は「それな」と返してきた。
体育祭の総合順位は2位で幕を閉じた。
敗因は3年生がリレーで最下位だったからしい。クラスの人たちが愚痴っていた。
私にはどうでも良い話である。
全ての種目が終わったあと美紀に呼び出され、空き教室へ足を進める。
そろそろ帰りのHRが始まる。
体育祭が終わり浮いた気持ちのなか呼び出された私は少しだけ期待していた。
「それでなに?」
「えっと」
頬を染め、体をくねらせ、視線を合わせようとしない。
そんな落ち着かない姿に私は催促する。
鼓動速度が急激に上昇していくのが分かる。
変な汗を首筋にかきながらも、私は平静を装う。
期待と緊張が心を揺らすなか美紀が口にした言葉は私が予想していないものだった。
――わたしね、好きな人ができたんだ。協力してほしいの――
ハ?
ナンテ?
スキナヒト?
私はハンマーで後頭部を殴られたような衝撃に襲われた。
その言葉のあと、言葉を交わしたか記憶がない。
私は気づけば自分の部屋のベッドに倒れ込んでいた。
時刻は20時を過ぎている。
朝から何も食べていないはずなのに食欲が全くわかない。
失恋でもしたような気分だ。いや、失恋をしたのだ。
まごうことなく私は敗北したのだ。
その時。
ピコーンと携帯の着信音がした。
手に取り確認すると美紀からのラインだった。
【振られたら慰めておくれ!】
そんなメッセージに私は思わず笑みを零す。
男なら好きな女の幸せを願うべきだろう。
仕方ない。告白しなかったのが悪い。今の関係が壊れることに怯えて、手を出さなかった私が悪いのだ。
私は記憶をたどるように画面を上にスクロールし、メッセージの履歴を見る。
そこには送った覚え、送られた覚えのないメッセージが沢山あった。
無意識化なのに会話が成立していることに驚く。
そこには協力すると私が送ったメッセージもある。
無意識でこんなものを送っているなら、きっとこれが本心なのだろう。
「慰めてほしいのはこっちだよ」
冗談交じりの悪態をつきながら、私は「まかせな」と返信し、一階におりた。
夕飯をすませ、風呂に入りさっぱりした。
気持ちもさっぱり洗い落とせたら良かったが、そうもいかないのが現実だ。
しかしそれでも多少はましになった。
入浴という日本の文化に感謝しながら私は携帯を再び手にする。
どうやら美紀が惚れたのは同じ学年のバドミントン部の部長らしい。
私が知る限りでもかなり女子から人気がある男子だ。イケメンで性格がいい。その上、黒い噂が一切ない。
この男なら問題ないだろう。
ダメ男に引っかかってないか心配だったが、無用な心配だった。
文化祭まであと一週間。私は昼休み美紀と会合を開いていた。
「俺は何をすればいいんだ? 紹介役? 仲介人?」
「違う、違う。もう、タクミとは普通に仲がいいから」
「あ、そうなの」
どうやら私が知らない間に彼女はタクミくんと親交を深めていたらしい。何人かで遊びに行ったこともあるとか。
「文化祭の時にコクりたいから、二人きりの時間を作って欲しいの」
私とタクミくんだけの時間かい?
いいとも。私もぜひ彼とは友達になりたい。
勿論嫉妬からではない。
彼は普通に優しそうで、私が仲良くなれそうな男子なのだ。
「いつ告白するの?」
「だから文化祭だって」
「そうじゃなくても、時間の話。朝か昼か。はたまた放課後か」
私の質問に美紀はしばらく「う~ん」と考え込んでいた。
どうやら細かいことは決めていなかったらしい。私としては最終日の放課後が一番良い。翌日が休日だからだ。来週の月曜日まで顔を合わすことがない。
別に振られることを願っているわけではない。ただ、最悪の状況の時のことを考えるべきだと私は思う。
「初日の朝かな。朝の準備時間」
「それ、本気?」
「だって……付き合えたら、その日から一緒に周りたいじゃん」
「……」
照れくさそうに言う美紀。
私は思わず妬いてしまった。
美紀にこんな顔をさせる彼が羨ましい。彼女に想われる彼が羨ましい。
「それだったら、最終日の朝の方がいいんじゃない? そっちの方が気持ちが浮ついて成功率が高いと思うよ」
「ううん。ダメ。絶対初日告白する」
乙女顔をする美紀に私は「わかった」としか返せなかった。
それから一週間後――文化祭当日の朝。
準備時間に私は彼を呼び出した。
「おはよう、ナル。そっちはどう?」
気軽に話す姿は傍から見たら、昔から友達のように見えたかもしれない。
しかし私の趣味が偶然彼と一致したのだ。
そのため文化祭までの数日間であっという間に仲良くなった。
ゲームやアニメ。スポーツや勉強。あと経済や社会情勢など。
外部的要因により、ここ一年半ほどで身につけた趣味や知識が偶然にも役に立った。
いや、もしかしたら……。
「……どうしたの?」
「……いいや」
こんな考えはよそう。
そう、これは偶然なんだ。決して必然じゃない。
遠くへ行ってしまったあの人の顔を浮かべるが、私は心のなかで顔を横に振った。
そして凄く近くでタクミのことを待っている彼女の元へ、彼を誘導した。
「じゃあ、この空き教室入って。中で待ってる人がいるから」
「おいおい、なんだそりゃあ。もしかして俺の誕生日のサプライズパーティーか?」
浮き浮きした顔を見せるタクミ。
そうか、今日は君の誕生日だったのか。私は知らなかったよ。
だから彼女は……。
これが私だったらどんなに嬉しいことか。
きっと一生の思い出になる。
「ああ、そうだ。誕生日おめでとう」
私は祝福の言葉を送り、教室の前から立ち去った。
そして「おめでとう」というメッセージが書かれている板チョコを取り出し、タクミの机の上――クラスメイトからもらってあろう誕生日プレゼントのお菓子が沢山積まれているところにひっそりと置いていった。
その数時間後、文化祭が始まった。
廊下を友人と歩いていると、美紀とタクミが並んで歩いている姿が目に入った。
私は声をかけようと手を伸ばしたが、その背中はすぐに人混みに混じれてどこかに消えて行った。
今年の文化祭は去年に比べると異様に長く感じる。
度々視界に入る二つの背中に、私は置き去りにされた気分になった。
長い、長い三日間の文化祭はあっという間に終わりを迎えた。
帰りのHRが終わり多くの人間が帰路につくなか、私は一人ポツンと教室に残る。
家に帰る気になれない。
私は長い、とても長いため息をつき現実から逃げるように文化祭実行委員が行っている後片付けの現場へ足を進めた。
文化祭で出たゴミは学校のゴミ置き場へ持っていく。
そのゴミを分別したりチェックしたり、トラックに詰め込むのが実行委員の最後の仕事だ。私は実行委員ではないが、別に誰も文句を言わないだろう。
先生を含めた多くの人がしゃべりながら片付けをするなか私は一人もくもくと作業を進める。
そんな時。
ふと背中から声を掛けられた。
「久しぶりね」
「江黒さん?」
本当に久しい。
一年の冬の勉強会以来だ。
出会った当時に背中まであった髪は今や足の間から見えるほどまで伸びている。
伸ばし過ぎではないだろうか。
「どうしたの? そんな落ち込んだ顔して」
「なに、今年の文化祭はいまいちだなって思って」
「そうかしら?」
「うん。同じようなものばっかで花が足りないよ」
「花を自ら手放した人がそれを言うのかしら?」
「それは耳が痛い話だね」
「バカね。どうせ今頃気づいたんでしょ。彼女の突発的な行動の――」
「それ以上は言わないで」
「ごめんなさい。失言だったわ」
いいさ、しょうがない。
「それにしてもどうして貴方が片付けをしているの? 委員会の仕事よ?」
「たまにはボランティア活動もいいと思ってね」
「そう……。負け犬の遠吠え。いえ、逃避ね」
「泣きっ面に蜂だよ」
彼女の辛辣な意見に私も思わず諺を言ってしまった。
「……そういえば勉強はどう? 捗っているかしら?」
「そんな心配をするなら勉強会に顔を出してほしかったくらい、ダメダメだよ。特に数学が」
「何言ってるの? 顔を出さなかったのは――いいえ、ごめんなさい。忙しくて。でも、もう大丈夫よ。面倒くさいものは片付いたから」
「それは良かった」
「そういえば体育祭、あなた走っていたわね」
「え? ああ、うん」
「あんなに足が速いなんて知らなかったわ」
「俺も」
「久々にあったのだし、帰りどこか寄って行きましょう」
ゴミの片付けが全て終わったのか生徒が校舎に戻っていく。
時間切れの合図だ。
それを理解した上での江黒さんの提案。
急速に孤独感に襲われた私はそれを受け入れた。
「美紀、佐々木くんと付き合ったのね」
マックでジュース片手にポツリと呟いた江黒さん。
その言葉に肩がビクリと震える。
「知ってるんだ」
「当たり前よ。文化祭終始一緒にいたら話題にもなるわよ。二人ともモテているから」
二クラスでは人気者の二人。顔が広い二人。なら、話題ならないという方が難しいか。
「まぁ、俺は結果を聞いてなかったから、無事付き合えたなら何より」
文化祭開始当時の早朝のライン以降、美紀からの連絡は一切ない。
私のトーク画面は三日前の日付で止まっている。
しかしその代わり知らない人から「美紀とタクミが付き合ってるって本当?」とメッセージが沢山来ている。
ふと携帯をとると通知が十件ほど。
その中に美紀からのものはない。
「そうね。私も祝福しといたわ。文句言われたけれどね」
「えっ? どうして??」
祝福した相手に対して文句を言うなんてどういうことだ?
これは場合によっては注意する必要があるぞ。
美紀はたまに自分本位のところがあるから、たくみ君のためにも早めにそういうところは直した方がいい。
「それは秘密よ」
「教えてくれ」
「ダメ」
「どうしても?」
「ええ、どうしても」
「なんで?」
「う~ん、なんででも」
「この通り! お願い!」
両手を顔の前で合わせてみるが彼女はそれを一蹴した。
「ダメ。しつこいと、嫌われるわよ」
「それでも!」
しかし私が折れることがないと思ったのか。
「じゃあ、あれ奢ってくれたら考えるわ」
と、店内につるされているプラスチック板を指さした。
「ナゲット20ピースとポテトのL二つセット?」
「そう。期間限定だからね。食べておきたいのよ」
「完全家族用メニューだけど?」
「あなた、私が独り身だと思っているの?」
「いや……。でも」
「私の気が変わらないうちに早く買ってきなさい」
「なぜ、命令口調」
私は席を立ちレジに並ぶ。
お会計千円ちょい。地味に痛い出費だ。
お持ち帰りで頼み、袋を彼女に渡す。
「トレイは?」
「え? 家族で食べるんじゃないの?」
「何言っているのアナタ。ここで食べるに決まっているじゃない」
「え、でもさっき家族で、て」
「そんなこと言ってないわよ」
思い返してみると確かに言ってない。言ってないけど、勘違いするような言葉を発していた気がする。
「これ、あげるわ」
「えっ? ナゲット? なんで? いいよ、別に」
二箱私に渡す江黒さん。
私はそれを返す。
「じゃあ、貰って。私ナゲット好きじゃないから」
「じゃあなんで買った!」
「こっちの方がポテト二つ買うより単価が安いのよ」
「俺が金だしたんだけど」
「良かったわね。セット代――百二十円、得したわよ」
「俺は四百円近く損したよ」
私はため息をつきながらナゲットの箱を開け、モグモグと食べる。
初めて食べたけど、ナゲット美味しいじゃないか。
「それでさっきの教えてくれよ」
「う~ん……やっぱり無理ね」
「契約違反だ」
私は素早くポテトを没収する。
「いいえ、私は考えると言っただけよ。早くポテトを解放しなさい」
「……グッ! そんなもん知るか。こいつポテトの命が惜しければ全て吐け!」
「そ、そんなことできるわけないでしょう! 私に国を売れって言うの? さぁ、早くポテジチを開放しなさい。あなたに逃げ場はないわ」
「うるせぇ! 言う事を聞かないなら……」
私は一本摘まみ、口元まで運ぶ。
「は、早まらないで! 彼はまだ子供よ!」
「大人も子供もしったことか!」
私は短いポテトを口に放り込んだ。
「ポテ子ォォォォォ!! ……これ、いつまで続ければいいのかしら?」
「お前が始めたんだろ」
私はため息をつきながら、ポテトを開放し、大人しくナゲットを口に入れた。
「ていうか、お前もけっこうガッツリしたもん食べるんだな」
「……? 何を勘違いしているか知らないけど、女子ってそういう生き物よ? お弁当箱が小さくてよく勘違いする男子がいるけれど、基本的に女は大食いよ。ただ、それを男子に悟られないように休み時間ごとに何かしら口にいれてるのよ」
「一度に大量摂取するんじゃなくて、少しずつ摂取しているのか……。なんか女子の闇を聞いた気がする」
「それを闇と表現するあたり、ダメダメね。本当に美紀の隣にいた・・のかしら?」
「……」
「あ、ごめんなさい。悪気はないの」
「いや、いいよ。別に気にしてないし」
「そう……。じゃあ、お詫びに勉強教えてあげるわ。来月の修学旅行が終わったらまたテストがあるから」
「……お願いしようかな」
江黒さんとの会合が終わり家に帰ると、美紀が私の部屋でくつろいでいた。
数日前と何一つ変わらない様子で、ベッド上で漫画を読みくつろいでいる。
私はその姿を見るなり複雑な想いに襲われた。
「あ、おかえり~」
「た、ただいま」
「遅かったね。何してたの?」
「文化祭の片付け」
「あれ、委員だっけ?」
「いいや。ボランティアだよ」
「ふ~ん」
何だろうか。
浮気して帰ってきて、妻に疑われているような気分だ。胃がキリキリと痛む。
美紀には既に私以外の特定の人がいるというのに。
「てか、なんでいるの?」
「いちゃ、悪い?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
「じゃあ、いいじゃん」
そういうことを言いたいんじゃない。
「不味くない? タクミと付き合ってるんでしょ? 男の部屋にあがって……怒られるんじゃない?」
「別に幼馴染だし」
「じゃあ、タクミが幼馴染の女子の部屋にいても問題ないの?」
「いや、それとこれとは別でしょ? だって私は女。男じゃない」
なんだ、そのわけのわからない理論は。
「いや、とにかく帰れよ。タクミが怒るぞ」
「大丈夫よ。あんたは幼馴染。別にやましいことはないわ」
言い切る美紀。
付き合う前は恋愛ドラマを見て、女が他の男の部屋で遊んでいる姿に「クズ女」とか呟いていたのが嘘に思える。
「なに? あんたは帰ってほしいの? 彼女でもできたの?」
やたらと不機嫌そうに高圧的な態度をとる美紀。
なぜそんなに機嫌が悪いのは私にはわからない。
「いいや」
「じゃあいいじゃない」
美紀は漫画に視線を戻す。
私はそれ以上何も言わなかった。
きっと私が何を言おうと美紀は聞かないだろう。
嫌な静寂が部屋を包み込む。
この構図をタクミくんが見たらどう思うだろうか。
きっと勘違いするに違いない。
私はタクミくんの一友人として、どう行動するのがベストだろうか。
考えれば考えるほど美紀を部屋から追い出すべきだという考えが脳内を回る。しかし美紀が私の部屋か出て行くことはない。
ならこの構図を正当化する何らかの言い訳が必要だ。
「タクミくんとはどう? 文化祭どこ周ったの?」
私の投げかけに美紀は漫画を置き、笑顔で三日間のことを語り始めた。
私は笑顔でそれに頷く。
内心はジェラシーの嵐。正直聞いたことを後悔するほど。
それから一時間ほど。
惚気を聞いた。
美紀は出し切ったような満足気な笑顔で私の部屋から出て行く。
「来週からタクミと登下校するから、よろしくね!」
「あいよ」
翌週の月曜日。
私は一人で登校した。
静かな通学路に違和感を覚えながら、朝早く学校に向かう。
そして逃げるように空き教室に行き、ノートにペンを走らせた。
HR十分ほど前に教室に戻ると、美紀が友人と話していた。その姿にホッと胸を撫でおろし、自分の席につく。
授業中、私はしきりに美紀のことを見ていた。いや、無意識だった。黒板を見て、ノートに写し、彼女を見る。
気づけば何回も周回している。
おかげで授業がちっとも頭の中に入ってこなかった。
昼休み。
私は弁当を忘れたことに気づいた。
いつも美紀が作ってくれているため、作るのを忘れたのだ。
しかし美紀が弁当箱を二つ持ち教室を出る姿を目撃した、私は胸を撫でおろしながら食堂へ向かう。
食堂では私ではなくタクミが美紀の弁当を美味しそうに食していた。
楽しげに会話をしながら肩を並べて食べる二人を一瞥したあと、私は食堂で適当に注文し二人から離れたところで静かに麺をすすった。
食堂の不味さに、思わず目から涙がこぼれる。
放課後になり、私は江黒さんがいる教室へと足を進めた。
勉強を教えてもらうためだ。
「学校では色々と都合が悪いから、ファミレスでも行きましょう」
「腹減ってるの?」
純粋な疑問をぶつけたらなぜか腹パンされた。
痛い。
彼女は私が思っていたより暴力的なのかもしれない。
「とりあえず、テストは修学旅行のあとだからみんな勉強をしていないはず。おそらく30位くらいを狙えるわよ」
ファミレス。私のおごり(授業料)でモグモグとパフェを頬張る彼女。
テーブルには歴史の教科書虫食い問題がある。
まだテストまで一ヶ月近くあるため、私は作っていないが既に彼女は制覇してしまったらしい。
私が黙々と問題を解いているとき、暇そうに虫食い教科書をめくる彼女。
他にやることはないのだろうか。
それとも既に全教科の勉強が終わってしまったのか。
なんやかんやで、気づけば七時を回っており、今日の勉強会はお開きとなった。
家に帰ると、私の部屋にまたしても美紀がいた。
「遅かったね。何してたの?」
ササッとテレビゲーム機を起動させ、私にコントローラーを渡してくる。
「勉強だよ。来週の修学旅行が終わったらあっという間に期末? 中間? だから」
私はコントローラーを受け取りベッドに腰かける。
美紀は「ふ~ん」と、つまらなそうにコントローラーをいじりキャラを決める。
「ねぇ、明日遊び行こう!」
するとパッと打って変わったように笑顔で、言う美紀。
この数秒でいったいどんな心境の変化があったのか。
「いや、俺明日から勉強漬けだよ。タクミは?」
「今日の放課後遊んできた。流石に明日も遊ぶわけにはいかないし」
何がいけないんだろうか? 部活だろうか。それとも金銭面か。
「ねぇ、いいでしょう!」
「ダメ」
そう言いながらも私の心は揺れていた。
先に江黒さんと約束したのでそっちを優先するべきだと合理的な私は言うが、感情の私は久々に美紀と遊べる! と歓喜している。
「じゃあ、この勝負で私が勝ったら明日あそぼ!」
「えっ! それずるくな――」
「はい、私の勝ちぃぃぃ!!」
気づけば私のキャラは画面外に飛ばされていた。
この結果を嬉しく思う自分がいるのに、嫌気をさしながらも私はそれを受け入れた。
翌日、江黒さんに謝りに行くと彼女は、「今日だけよ。今度約束破ったら一切勉強を見ないから」と眉を吊り上げた。
彼女の教えは私の生命線なので、次は断ろうと決意する。
しかし話はそれでは終わらなかった。
「あなたには宿題を出しておくわ」
「え?」
「これ、全部暗記」
と彼女は昨日のファミレスで眺めていた歴史教科書虫食い用紙を渡して来た。
十枚近くある用紙。ペラペラとめくると私の以上に黒虫が沢山存在している。これを今日中に暗記とはいささか無理があるのではないだろうか。
私は宿題の削減を願うように口を開いた。
「まじ?」
「ええ。既に勉強が遅れている状況で遊びに行こうと考えるのだから――このくらいは余裕よね?」
ニッコリと言う彼女。その笑顔の裏は何か私に対する憎悪や嫌悪が見えた気がする。
彼女の笑顔の圧力に私は渋々折れ、紙を片手に教室を後にした。
その日の放課後私は、カラオケやランドワンなどに行くのかと思えば私の家でゲームをすることになった。最初は美紀に家へ招待されたが、流石に彼氏持ちの女の部屋にあがるのはどうかと思い、私の家まで食い下がってもらった。
美紀がいるいつも通りの放課後。
誘われた時は嬉しかったが、こうして実際遊ぶと私の心の中は喜より罪悪感が強かった。
今までは美紀が勝手に私の家に上がっているため、仕方ない部分があったが、今回は妥協案だといえ私から家に誘ったのだ。
彼女は何一つ気にしない様子で満喫しているが。
そして何気ない、今までと決して変わらない日々のように彼女との数時間は過ぎて行った。唯一違うと言えれば惚気をひたすら聞かされたくらいだろう。
楽しそうに話す彼女に私は複雑な想いを抱き、それをいつも通り顔に出さず相槌を打ち続けた。
気づけば二十二時を過ぎており、彼女は夕飯も風呂もうちで済ませていった。
小さい頃からの付き合いで親仲も良い。しかしいくらなんでも図々しいのではないのか。
そんなことがあり勉強は一切進まず翌日、江黒さんにため息をつかれたのは別の話である。
―――
放課後にとあるスイーツ店にて、隣で私の奢り(授業料)でスイーツを頬張る江黒さんと十九時まで勉強する。
帰宅後、まるで忠犬ハチ公のように部屋にいる美紀の惚気話を二十一時近く聞く。
この周期を繰り返し気づけば修学旅行当日。
私の班には美紀がいる。
これは嬉しかったが美紀は新幹線のなかずっとタクミくんのことを話し私の話には耳を傾けてくれない。私はそのことを嘆くこと許されない。
新幹線に揺られるなか私は彼氏ができたことで少し変わった美紀に小さなため息をつくのだった。
現地に到着し様々な観光名所を回るなかでも美紀は口を開けばタクミくんの話をする。私は嫉妬以上の感情を心中で殺しながら、その話を聞き続けた。
だが、彼女の話は毎回違うものではなく先日聞いた話だった。
タクミくんが奢ってくれた。プレゼントくれた。私のお弁当褒めてくれた。
そんな耳にタコができるほど聞いた話を彼女は私の横で延々とし続ける。その姿は一種の狂気にも見える。私が「その話は聞いたよ」と言っても彼女は聞く耳を持たない。
彼氏ができて頭お花畑の幼馴染を悲しく思いながら、私は首を縦に振り続けた。
その日の夜、風呂上りに売店に行くと多くの生徒がいた。そこには笑顔で話す一組の男女。美紀とタクミだ。私は二人の視界に入らぬように、お店を物色する。
するとクラスの女子が数人で話しかけてきた。よく美紀と仲良くしている女子だ。
「あんた、よく黙って聞いていられるわね」
「え?」
「あいつのことよ。ずっと彼氏の話しているじゃない」
どうやら私の他に被害者がいたらしい。
「アハハ。うんまぁ……」
「あんた、あいつのこと好きなんでしょ? 辛くないの?」
「……」
「ハァ……顔に出てるから。周知の事実だから。知らないのは男子とあんただけだから」
なんというか、非常に恥ずかしい。
どうやら私の恋心にプライバシーや個人情報保護が適用されないらしい。
呆れたように言う橘さんに私は苦笑いで返すしかなかった。
「それにしても棚倉くんも可哀相だよね」
「なんで?」
「だって、美紀がタクミを落とすために利用されたんだよ」
「……」
「バドミントン、勉強、お弁当、運動、ファッション。全部美紀がタクミを落とすために、あんたを使ってあげたステイタス。人の恋心利用して、何様って感じだよ」
どうして彼女がそれを知っているのだろうか。
美紀が……私に連日連夜タクミ君のことを話していることを考えたら十分にありそうだ。
「ま、まぁね。でも橘さんも大変じゃない? 学校じゃあ、美紀の惚気聞いてるんでしょ?」
「いや。そんなことない」
「そうなの?」
「前はそうだったんだけど。うざいって言ったら話しかけてこなくなった。それに最近美紀と一緒にいないし。あの子ずっと、彼氏といるよ。で、彼氏がいないと、その代わりみたいに私たちの所にくる」
その後、美紀への悪口が始まった。
どうやら美紀は彼氏にぞっこんで友人関係を疎かにしていたらしい。タクミが部活や委員会なので忙しい時だけ友達の所へ行き、ずっと惚気話をしている。
橘さんたちから見たらそれは、自分たちと帰りたくて一緒にいるのではなく、彼氏の代役として選ばれている――なんとも言えないものなのだ。
これは後で注意しておく必要がある。
翌日、私は観光名所を周りながら注意した。
本当ならそれとなく、と付け加えたいところだが、口下手な私には無理な話だ。
班には橘さんたちもいるため、二人きりの状況まで持ち込む。
流石に美紀も、真正面から「ナルにこう言われたんだけど!」と文句は言わないだろう。
「なぁ、美紀」
「なに?」
「最近、橘さんたちと絡んでないんだって?」
「なに、急に」
嫌なことでもあるのか、美紀は怪訝そうにこちらを見る。
「いや、寂しがってたぞ。彼氏と遊ぶのは良いけど、友達関係も疎かにするべきじゃないと俺は思うぞ?」
「は?」
私の言いたいことが分からないのか、キッと睨んでくる。
私は頭をかきながらハッキリと言った。
「だから、友達を大事にしろって!」
「別に私が誰と一緒にいようが良くない? ナルに指図される覚えはないんだけど」
「いや、そうだけどな」
「じゃあ、いいじゃん」
勝ち誇ったような顔をする美紀。
彼女は勘違いしている。
「でも、彼氏とは別れる可能性があるだろう? もし別れたらお前はどうするんだよ。そういうときに慰めてくれるのが友達だろう。それに、彼氏にべったりだと世間体も良くない」
「いや、私とタクミが幸せならそれでいいじゃん? 何がダメなの? それにタクミは私のこと大好きだから、絶対別れないし!」
その自信はいったいどこから出てくるのだろうか。
「だいたい急になに? 偉そうなこと言って。あんた別れてほしいわけ?」
「そうじゃない。ただ、俺はお前のこと思って――」
「キモ」
「え?」
「きもい。うざい。幼馴染だからって、一々口出ししないで」
彼女はそれだけ言うと、その場から去っていった。
残りの二日間。私達は一言も言葉を交わさなかった。
修学旅行が終わり次はテストだ。私は放課後毎日江黒さんに勉強を教えてもらい、どうにか一週間前には準備万端の状態に持ってこられた。
今回は数学に加えて英語も壊滅的だったので、その不安を取り除けたのはとても素晴らしい功績(江黒さんの)だ。
テスト一週間前になり、みんなが必死で勉強する中私は一人のんびりしているのは非常に気持ちが良かった。
ちなみにクラスの人に教えようとしたが、どうやら私は教えるのはあまり得意ではないらしく、私の説明を理解できる人は誰一人存在しなかった。
===
ふと、あくびをすれば既にテストは終了しており順位も張り出されていた。
江黒は当然一位。私と言えば二十位だった。
今までにとったことない順位に私の気持ちは大爆発を起こし、その日の放課後江黒の両手をブンブン振りながらお礼を言った。
彼女は若干引いていたがしょうがない。
小学生がカケッコで高校生に勝ったようなものである。
喜びが体から漏れ出ない方がおかしい。
==
テスト明けの日曜日。私は昼前からボウリング場で卓球をしていた。
江黒さんに誘われたのだ。彼女曰く、「頑張ったご褒美会」らしい。
卓球は学校の授業以外で初めてやり、やはり難しい。
球を打つのではなく当てるという感覚がよくわからずラリーが全く続かなかったが、江黒さんが懇切丁寧に教えてくれたおかげで、最後の十分ほどはまともに打てるようになっていた。
その後は昼食を取り、カラオケへ行った。
「あなた、歌うまかったのね。意外だわ」
「まぁ、練習する機会があったからね」
目を見開き本気で驚いた様子を見せる江黒さんに私は空笑いする。
彼女は私の言葉に少し不満そうな顔したあと歌い始める。
「あなたは今どこで何をしていますか♪」
透き通った声。
その声に私の耳は釘付けになる。
耳には歌声しか入らない。
音が耳から伝わり心臓と脳を揺らす。
私は歌うまで一度たりとも目が離せなかった。
そんな私に歌い終わったあと彼女は顔を赤くし「見すぎ」と呟く。
「ごめん。そのあまりにも上手かったから――びっくりを超えて、なんというか思考が吹き飛ぶような衝撃を受けた」
「そ、そう」
「綺麗だ」
「えっ!? いや、その……」
「歌声。凄い透き通ってて、プロの歌手みたい」
「あ、ありがとう」
真っ赤になった顔を逃げるよう逸らす彼女の姿に私は、自分がなんかこっぱずかしい褒め方をしたことに気づいた。
私も慌てて顔をそらすと、カラオケだというのに部屋の中は静寂が包む。この気まずい空気をどうにかするべく、直ぐに機械を取り、曲を入れ歌い始める。
みんなが知っているノリのいい曲だ。
私が歌い始めても江黒さんはなんだか恥ずかしそうにしていたので、彼女にもう一個のマイクを渡す。
その行動に少し戸惑いを見せた彼女だか、その表情は一変。
自身に満ちたものになり、鼻で小さく笑うとマイクを受け取った。
そして数時間。私たちは勉強のストレスを吐き出すかのように歌い続けた。
久々に私は本当の意味で遊んだ気がした。
美紀に付き合い遊ぶことは沢山あったが、二人で協力するようなことはしなかった。いつも競い合い私が負けていた。
そして、帰り。
私は江黒さんに告白された。
そして、私はそれを受け入れた。
理由は色々あるが一番大きかったのは、今日が凄く楽しかったからだ。
夜の二十時ころまで遊び倒し、帰宅すると部屋には眉を吊り上げた美紀がいた。
「聞いてよ! タクミがね――」
文字だけ見れば出だしはいつも惚気と一緒だったが、声色は酷く怒ったもの。
遊び帰りで気分が良かった私はいつも以上にその話を聞いてみると、タクミくんへの罵詈雑言がマシンガンのように出てきた。
タクミと美紀が付き合って一ヶ月くらい。
倦怠期は早すぎるのではないだろうか。
事の発端はタクミくんが昼食を毎日一緒に食べるのを止めようと言ったところから始まったらしい。
美紀としてはこれが受け入れなく、文句を垂れた。しかし彼氏の頼みだと仕方なく折れた。
すると、途端にタクミくんは我儘を覚えた子供のように注文を付け始めたそうだ。
毎日一緒に登下校するのもやだ。
毎日弁当も持ってこなくていい。
遊ぶのは最高でも月一。
携帯を勝手に見るのもダメ。
人前では過度なイチャイチャはしない。
SNSのアイコンを全てツーショットに強制するのもやめてほしい。
「ありえなくない! じゃあなんで恋人やってるの? 意味わからないし!」
「うん……まぁ」
正直、私は当たり前のことを言っているように思える。
「それにあげくの果てには、私が友達と喧嘩した時、あいつ橘の味方したんだよ? 彼氏なら普通彼女の味方するもんでしょ!」
喧嘩の内容は……。
どうやら美紀が橘さんからボールペンを借りた時に、壊してしまったらしい。そのボールペンはアイドルのイベントの限定販売のグッズらしく、お気に入りのボールペン。
弁償しろと橘さんが言ったら美紀は「わざとじゃない」とそれを断ったらしい。
因みにペンはネットで数万円ほどで転売されているものがある。
「いや、でもそれなら美紀が悪いでしょ。なら、タクミが美紀の味方をしないのはしょうがないよ」
「はぁ!? 良い悪いの話をしてるんじゃないの! 彼氏のくせに彼女の味方をしないのがおかしいって言ってるの!!」
噴火する勢いで文句を言い続ける美紀に私はため息を吐きながら携帯を見ると、タクミからメッセージが来ていた。
内容は美紀を説得してほしいというもの。
そこに美紀の悪口は一つもなく、ただただ事実が淡々と書かれており、同時に自分がどうしてそのように注文しているかも説明されていた。
美紀の悪口を書かれていないことに驚き、私は思わず聞いてしまった。
『美紀のこと好きなの?』
『好きだけど、少し重い』
『大変だな』
『いいや。悪いな、こんなこと頼んで。美紀にも謝っといて』
……彼はなんていい人なんだろうか。
「ねぇ、ちょっと! これどういうこと!!」
私がしみじみとタクミくんに心の中で感謝していると、美紀が携帯の画面を見せてきた。
そこにはSNSに挙げた、私と江黒さんが付き合った記念に撮ったプリクラ画像があった。
「ああ俺、江黒さんに告白されたんだよ」
「は? あんた私のこと好きだったんじゃないの?」
本気で意味がわからないのか、美紀はポカンと間抜け面を見せる。
「いや、好きだったけど……。彼氏できたし、俺も前に進もうと思って」
「ありえない」
吐き捨てるように言うと美紀は私の部屋から出て行った。
それ以降、美紀が私の家に来ることはなく、そして私に話しかけることもなくなった
0
お気に入りに追加
1
この作品の感想を投稿する
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる