5 / 27
プロローグ
ニア(2)
しおりを挟む今はまだ、家に帰ることはできない。
帰れば、あの男の後妻にされてしまう。
とある伯爵家の高齢の男。
妻をことごとく虐待死させてきた男。
お金だけはあるから、不審な死をいくらでも握り潰してきた。
また、亡くなった女性たちも、泣き寝入りするしかないような出自の人達ばかりだった。
オスカーとエリアナが結婚しなければ、今頃はあの男にエリアナが嫁がされていた。
膨れ上がった侯爵家の借金のために、両親はきっと、可愛がって大切に育ててきたエリアナすら犠牲にしたことだろう。
結局、自分が一番可愛い人達だったから。
もしかしたら最初からエリアナを利用するつもりで、何も教えず、何も考えさせずに、ただただ優しい世界の中に生かしていたのかもしれない。
自分達を何一つ疑わない、可愛らしいお人形として。
『ああ、可哀想なエリアナ。薄情な妹のせいで、幸せな結婚を逃してしまうことになるだなんて』
あの婚約式の前に、私を殴りながらそう言って脅してきた両親の目は本気だった。
私はまだ、戦場に逃げる事ができたけど、甘やかされて育ったエリアナは、どこにも逃げられずにあの男の所に送られてしまう。
私が帰還するまで、オスカーとアレックスが守ってくれると約束してくれた。
もしもの時は、アレックスがエリアナを兄の所に逃してくれる手筈になっているけど、まさかシニストラ伯爵夫人を誘拐してまであの男に差し出したりはしないはず。
あの両親は何をするかわからないから怖い。
あんな男ではなく、せめて女性を尊重してくれる相手だったら良かったのに、よりにもよって、両親はお金のために私達を売り飛ばして、苦しんで死ねと宣告してきたようなものだ。
あんな人の所に嫁いだら、きっと私は相手を殺してしまう。
金蔓の男を殺した私を、両親は許しはしない。
私に報復しようとする両親から、自分の身を守れるのかはわからない。
幼少期から刷り込まれてきたものからは、簡単には抜け出せない。
それならせめて、戦場で、自分の意思で戦って、命を散らしたかった。
死と隣り合わせの戦場で、遠く離れた地にいるオスカーとエリアナが穏やかに過ごせているのならと、それだけが心の支えだった。
オスカーの、伯爵家の支援を受けて、お兄様が一生懸命に侯爵家の借金を返済してくれている。
借金を返済してしまえば、あの男に嫁がなくて済む。
だから、もう少しだけ辛抱してくれと、お兄様が謝ってこられたのは、私も心苦しかった。
お兄様だって、考え無しの両親に代わって、一生懸命にされているのに。
だから、私もここで国を守って、そして凱旋できた時はたくさんの報奨金がもらえるから、エリアナに最初で最後のお願いをしてみるつもりだ。
オスカーと一緒になれる未来を考えたい。
まだ、諦めたくない。
あれだけエリアナに、“貴女の幸せを願っています”と言っておきながら、自分はどれだけ酷い人間なのだと思うけど……
憎らしくて、愛しい。
私がエリアナに抱く感情は、複雑だ。
オスカーとエリアナが住む地が平和であるように戦うこと。
それが、今、私がしなければならない事。
エリアナと、誰よりもオスカーの幸せを願って。
考え事から抜け出して顔を上げると、その人影に気付いた。
いけない。
ここは戦場で今は偵察の最中なのに、集中しないと。
でも、警戒よりもすぐに別の感情を抱かなければならなかった。
私の視線の先には、足枷がはめられた姉妹と思われる二人が抱き合ってうずくまっていた。
「あなた達、こんな所でどうしたの?」
捕虜なのか奴隷なのか、どちらにしても、どこかから逃げてきたのかもしれない。
姉の方は10歳くらいにはなっていそうだけど、妹の方はそれよりも幼いのは確実だ。
「お願いします。せめて、妹だけは助けてください。私はどうなっても構いません。妹だけは助けてください」
ガタガタと恐怖で震えながらも、姉の方が私に訴えてきた。
腕に残る、火傷の痕のようなものが痛々しい。
手を取り合って、ここまで逃げてきたのだろうけど、妹の方がより幼い様子だから、もう体力が限界なのだ。
足枷を外してあげた。
「大丈夫。私は、あなた達を助けたい」
離れたくないと、お互いがお互いを大切にしている様子が見てとれた。
たった二人の姉妹なのかもしれない。
私とエリアナの姿が重なる。
手元にあったお水を差し出すと、姉の方は、まず妹に飲ませてあげていた。
妹を一生懸命に守ろうとする姉。
生まれる前から一緒だった私達なのに、どうして協力し合う事ができなかったのか。
私は、私から全てを奪っていくエリアナを信用していなかったし、エリアナは自分の思う通りになる事が当たり前だった。
だから、ずっと、オスカーへの想いを打ち明けられなかった。
私がオスカーの事を好きだと伝えたら、エリアナは絶対にオスカーに興味を持ったはずだから。
いつからあんな関係になってしまっていたのか。
「少し落ち着いたかな?ここはまだ緩衝地帯だけど、いつ戦場になるかわからない。今から貴女達を後方の部隊に引き渡すから、そこまで頑張れる?」
こくんと頷いたのを確認して、立ち上がる。
ふと、姉妹が来た方向を見ると、木々の合間に黒い影のようなものが動いているのが見えた。
それは、敵影のものだったのだ。
こんな所まで入り込んで来たの?
どうして、ここは、中立国を含めた三ヶ国の国境が接する場所で緩衝地帯となっているのに……まさか、同盟が組まれた……?
見る限り、斥候なのではなく、作戦が遂行可能な数部隊はいる。
「行って。走って。この先に野営地がある。そこに行けば、貴女達は自由になれる」
追い立てるように姉妹を後方に走らせると、信号弾を上げた。
緊急事態を示す黒煙が空で広がる。
信号弾を放った瞬間から私は標的となり、敵意が向けられていた。
命を刈り取ろうとする攻撃が、容赦無く降り注がれ、それらを避けながら、応戦してもいいべきなのか迷っていた。
一人で対処できるのかと。
撤退って言葉が頭をよぎる。
緩衝地帯で相手を刺激しないために、単独で偵察にあたっていたのが仇になった。
ああ、でもダメだ。この先にはシニストラ伯爵領がある。
ここのラインを守らなければ、もしこのまま進軍されたらあの領地が戦場になる。
下がりかけた足を踏み留まらせる。
怖くても、不利な状況でも、私はここにいなければならない。
せめて、味方がここに来るまでは。
そう覚悟していたのに、なんの前触れもなく、氷でできた刃が胸を貫く。
私よりもはるかに高純度の魔力の放出が、瞬時に行われていた。
胸部から肺、喉、口と凍りつきすぐに呼吸はままならなくなる。
苦しい……痛い……怖い…………
死を前にして、ボロボロと涙が溢れる。
私はここで、呆気なく死んでしまうのか。
死にたくない……
帰りたい
帰りたい
お兄ちゃん
エリアナ
オスカー
21
お気に入りに追加
1,366
あなたにおすすめの小説
「君を愛することはない」の言葉通り、王子は生涯妻だけを愛し抜く。
長岡更紗
恋愛
子どもができない王子と王子妃に、側室が迎えられた話。
*1話目王子妃視点、2話目王子視点、3話目側室視点、4話王視点です。
*不妊の表現があります。許容できない方はブラウザバックをお願いします。
*他サイトにも投稿していまし。
「股ゆる令嬢」の幸せな白い結婚
ウサギテイマーTK
恋愛
公爵令嬢のフェミニム・インテラは、保持する特異能力のために、第一王子のアージノスと婚約していた。だが王子はフェミニムの行動を誤解し、別の少女と付き合うようになり、最終的にフェミニムとの婚約を破棄する。そしてフェミニムを、子どもを作ることが出来ない男性の元へと嫁がせるのである。それが王子とその周囲の者たちの、破滅への序章となることも知らずに。
※タイトルは下品ですが、R15範囲だと思います。完結保証。
婚約破棄を受け入れたはずなのに
おこめ
恋愛
王子から告げられた婚約破棄。
私に落ち度はないと言われ、他に好きな方が出来たのかと受け入れると……
※うりぼう名義の「悪役令嬢婚約破棄諸々」に掲載していたものと同じものです。
私を運命の相手とプロポーズしておきながら、可哀そうな幼馴染の方が大切なのですね! 幼馴染と幸せにお過ごしください
迷い人
恋愛
王国の特殊爵位『フラワーズ』を頂いたその日。
アシャール王国でも美貌と名高いディディエ・オラール様から婚姻の申し込みを受けた。
断るに断れない状況での婚姻の申し込み。
仕事の邪魔はしないと言う約束のもと、私はその婚姻の申し出を承諾する。
優しい人。
貞節と名高い人。
一目惚れだと、運命の相手だと、彼は言った。
細やかな気遣いと、距離を保った愛情表現。
私も愛しております。
そう告げようとした日、彼は私にこうつげたのです。
「子を事故で亡くした幼馴染が、心をすり減らして戻ってきたんだ。 私はしばらく彼女についていてあげたい」
そう言って私の物を、つぎつぎ幼馴染に与えていく。
優しかったアナタは幻ですか?
どうぞ、幼馴染とお幸せに、請求書はそちらに回しておきます。
妻の私は旦那様の愛人の一人だった
アズやっこ
恋愛
政略結婚は家と家との繋がり、そこに愛は必要ない。
そんな事、分かっているわ。私も貴族、恋愛結婚ばかりじゃない事くらい分かってる…。
貴方は酷い人よ。
羊の皮を被った狼。優しい人だと、誠実な人だと、婚約中の貴方は例え政略でも私と向き合ってくれた。
私は生きる屍。
貴方は悪魔よ!
一人の女性を護る為だけに私と結婚したなんて…。
❈ 作者独自の世界観です。
❈ 設定ゆるいです。
(完結)戦死したはずの愛しい婚約者が妻子を連れて戻って来ました。
青空一夏
恋愛
私は侯爵家の嫡男と婚約していた。でもこれは私が望んだことではなく、彼の方からの猛アタックだった。それでも私は彼と一緒にいるうちに彼を深く愛するようになった。
彼は戦地に赴きそこで戦死の通知が届き・・・・・・
これは死んだはずの婚約者が妻子を連れて戻って来たというお話。記憶喪失もの。ざまぁ、異世界中世ヨーロッパ風、ところどころ現代的表現ありのゆるふわ設定物語です。
おそらく5話程度のショートショートになる予定です。→すみません、短編に変更。5話で終われなさそうです。
理想の女性を見つけた時には、運命の人を愛人にして白い結婚を宣言していました
ぺきぺき
恋愛
王家の次男として生まれたヨーゼフには幼い頃から決められていた婚約者がいた。兄の補佐として育てられ、兄の息子が立太子した後には臣籍降下し大公になるよていだった。
このヨーゼフ、優秀な頭脳を持ち、立派な大公となることが期待されていたが、幼い頃に見た絵本のお姫様を理想の女性として探し続けているという残念なところがあった。
そしてついに貴族学園で絵本のお姫様とそっくりな令嬢に出会う。
ーーーー
若気の至りでやらかしたことに苦しめられる主人公が最後になんとか幸せになる話。
作者別作品『二人のエリーと遅れてあらわれるヒーローたち』のスピンオフになっていますが、単体でも読めます。
完結まで執筆済み。毎日四話更新で4/24に完結予定。
第一章 無計画な婚約破棄
第二章 無計画な白い結婚
第三章 無計画な告白
第四章 無計画なプロポーズ
第五章 無計画な真実の愛
エピローグ
私のことが大嫌いな婚約者~捨ててから誤解だったと言われても困ります。私は今幸せなので放っておいてください~
由良
恋愛
伯爵令嬢リネット・メイディスは希代の悪女である。
貴族でありながら魔力量が低く、それでいて自尊心だけは高い。
気に入らない相手を陥れるのは朝飯前で、粗相を働いた使用人を鞭で打つことすらあった。
そんな希代の悪女と婚約することになったのは、侯爵家の次期当主エイベル・アンローズ。誰もがとんだ災難だと同情を彼に寄せる。だがエイベルにとっては災難ばかりではなかった。
異母妹に虐げられるアメリアと出会えたからだ。慎ましく儚げな彼女との間に愛を見出した彼は、悪女に立ち向かい、みごと真実の愛を手にした。
愛をもって悪を打倒した美談に、誰もが涙し、ふたりを祝福した。
――そうして役立たずと罵られ、すべての悪事を押し付けられていた少女は、あっけなく婚約者に捨てられた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる