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なち

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第一章

来たりし者 14

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 俺の運が良いのか、悪いのかは分からない。
 けれど結果的に、その窮地を戻ってきたクリフに救われる事になった。
「お待たせ致しました」
 ノックの後、クリフはトレーを引いたメイドさんを連れて現れた。
 ラシーク王子の視線が俺から外れた瞬間、俺の表情は緩む。
 ラシーク王子は先程までの追及などなかったように、クリフを見て小さく笑った。
「ありがとう」
 メイドさんは王子に酒を注いだグラスを手渡すと、そそくさと部屋を出て行く。そうしてまた、俺達三人プラス兵士一人が取り残された部屋。
 クリフの眉がテーブルの上の飾り紐を見るなり寄った。
「……これは、」
 俺がアッシャーからそれを受け取った際に一緒に居たクリフには、それが誰の持ち物か、すぐに分かったのだろう。そして、それが包まれていた華美な布が誰のものかも。
 瞬時に状況を把握したらしいクリフに、ラシーク王子は肯定の意味で頷いた。
「ブラッド殿が落とされたのを、お預かりしていたのです。今日は、これをお返しに」
「私をお呼びくだされば、何時でも取りに参りましたものを……ご足労おかけ致しまして、大変申し訳ございません」
 主人以上に恐縮して頭を下げるクリフだが、その態度には余裕が見て取れる。
 どうやらクリフは、想定外の事態に陥っても平静を保てる人間らしい。
「構いません。それにどうやら、わたしとユージィンの道中の護符にもなったようですから」
 ラシーク王子が、金色の瞳を細めて笑う。その笑顔は、クリフに向けられたまま。
「ですから、その礼も兼ねてわたしの手でお返ししたかったのです」
 クリフはもう一度頭を下げてから、声を潜めた。
「しかし、王子殿下――どうか、この件はご内密に」
「勿論、心得ています。政治の話はわたしには無縁ですし――お返し出来て、肩の荷もおりました。すぐに、忘れましょう」
 グランディアの人間がヴェジラ山脈の民と接触するのは、法に背く事。それは、王族であるゲオルグ殿下でも例外ではない。
 事実がどうあれ、この事が露見すれば首を締められるのは誰か――なんて事は、この時の俺には想像も出来ていないのだけど。
 口約束を交わすクリフとラシーク王子を眺めながら、クリフはただ一兵で終わるには勿体無い人材だったのかも……なんて事を、俺は考えていた。
 それからクリフは素早い動作で、飾り紐をしまいにかかる。一刻も早く、この件を終わりにしたい、とばかりに。
 ラシーク王子に返却しようとしたハンカチのような布は、「よろしければ、差し上げます」と申し出たラシーク王子の優しさで、俺の手の中。
 どうやらその美しさに俺が目を奪われていた事がバレていたようで、
「お近づきの印に」
と、プレゼントしてくれたのだった。
 触れてみると羽のように軽くて、えも知れない心地だった。こんなに触り心地の良い布があるのか、と感嘆する俺に、ラシーク王子は「グランディア・フェネリには適いませんが」と付け加えたけれど、高値で取引されるグランディアの特産品、グランディア・フェネリという布の類より、これが下、というのは謙遜が過ぎるのでは無いかと思ってしまう。
 まあでも、披露出来る程布業界に詳しくないので、自然口数は少なくなる。
「私にはこれ以上無い、贈り物です。大切に使わせていただきます、王子」
 俺は出来る限り丁寧に、それをアッシャーの額飾りと一緒に、大事に保管するようクリフに頼む。
 手にしたままでいれば、俺の庶民の手が、無意識に乱雑に扱ってしまう気がした。これまた滑らかな手触りの、角についた飾りを弄び続けたり、とか。
 ラシーク王子の突っ込みはちょいちょい鋭いので、その穏やかな瞳で何を見られているか分かったものじゃない。
 ラシーク王子は琥珀色の酒を、夜会の時と同じ様に、美味しそうに飲んでいる。
 日本では二十歳未満の飲酒は法律で禁止されているけれど、この世界にそんな法律は無い。十三歳であるユージィン少年が当然のように飲酒しているように、十五歳だというラシーク王子にとっても当然の事なのだろう。
 王族という立場がそうさせるのか、それとも十歳でもう一端の大人と認められるバアルのお国柄なのか、ラシーク王子には年齢以上の落ち着きがある。
 例え酒を一気飲みしていようとも、所作は一つ一つ優雅。
 ところで、目的を果たした今、ラシーク王子は何時までここに居るつもりだろう。
 クリフに二杯目を注がれている所を見ても、王子に立ち上がる気配は無い。
 どのタイミングで退室頂いていいのか分からない。っていうか、退室を促していいのかも分からない。
 俺としてはボロが出ない内にさっさと退場願いたい。
 そんな事を口にも態度にも出してはいけない事くらい、分かっているつもりだけども。
 黙って座り合っているのもおかしいとしても、会話なんてしたくもないし。
 泳ぎそうな視線を必死に繋ぎ止めて、笑顔を作ろうと努力するものの、今、何か引き攣った気がする。
 それを見られたわけでは無いと思いたい。
 何とも良いタイミングで顔をこちらに向けたラシーク王子が
「ああ」
 と苦笑した。それが俺の不備への指摘かと内心びびったが、どうやらそうではないらしい。
「どうやら長居してしまったようですね」
 ふ、と息を吐いて、飲みかけのグラスがテーブルに置かれる。長い袖がテーブルを滑って、ラシーク王子の膝の上へ移動していった。
 王子の目線は壁にかかった時計に向いていた。
 名残惜しそうに飲み掛けのグラスを見るので、どれだけ酒好きなんだと思ったが、腰を浮かせたラシーク王子を、俺はあえて止めようとは思わない。
 ここで止めて再び座られてしまったら、困るのだ。
 同じようにしてソファから立ち上がりかけた俺に、王子がふわりと微笑みかけてくる。
「お邪魔致しました」
 軽く頭を下げた王子は反転しかけて、小首を傾げた。
 おや、という呟きに、扉が開く音が重なる。
「ラシーク!」
 ノック一つせずに騒々しくやって来たのは、こちらも夜会服のままのユージィン少年だった。走って来たのか、吐く息が荒い。
「ラシーク、ここで何してるのさ!?」
 ユージィン少年は呆気に取られる俺とクリフには目もくれず、ラシーク王子に一直線。 少しばかり背の高い王子の襟ぐりを掴むと、前後に揺すりだした。
「何、って……」
 首に下げた装飾品の類が肌を跳ねてはぶつかり合い耳障りでもあったが、ラシーク王子は何と言う風でもなく、至って平然とその乱暴を享受していた。
「陛下に許可は頂いているけれど」
 揺られながらそう答えるラシーク王子に、俺は驚いてしまう。陛下って、あの陛下だよな。
「わたしだって幾らなんでも、それぐらいの常識は心得て、」
「そうじゃなくって!!」
 客人の身で城内を勝手にウロウロしない、という常識らしいが、許可を取って欲しいのは陛下じゃなくて、この俺にだ!! そこに陛下が関わっている、というだけで、俺の気分が害される。
 思わず寄った眉根は、ラシーク王子に見られてしまう。
「ああ、ほら。あまり騒いではブラッド殿にご迷惑だよ」
 違う風に解釈したらしいけど、子供を諫めるような物言いは逆効果だったらしい。
 ユージィン少年はきゃんきゃん吠える小型犬の如くラシーク王子に噛み付いた。
「何、呑気な事言ってん、」
「ほら、帰るよ」
 さらにエスカレートするユージィン少年の揺さぶりを、そこでやっと首元から引き剥がしたラシーク王子の顔は、やはり涼しい。
 そのままユージィン少年の手を引いて、出入り口へ向かおうとするラシーク王子が、振り向いた。
「では、ブラッド殿。夜分に大変失礼致しました」
 優雅に一礼する姿を俺はポカン、と見つめたまま。
「……はあ」
 と気の抜けた返事を待って、嵐は過ぎ去った。



 ラシークとユージィンが共に廊下に出ると、待機していた衛兵の内一人が、先に立って歩き出す。
 ユージィンに手を解かれながら肩を竦めるラシークが、隣でいきり立つユージィンを見つめて微かに笑った。
 等間隔に設置されるラズライトの灯りのお蔭で、夜の廊下も驚く程明るい。ラングルバートの蝋燭の明かりに慣れた彼らには、ここが留学先では無い、という明確な証拠でもあった。
 だからこそ、誰が見ているとも限らない、という状況は同じでも、二人は王族としての姿勢を無意識にとる。
 聞きたい事が幾つあろうと、それが場に相応しく無いと思えば、二人は口を噤み続けた。

 グランディアの王族であろうと、アレクセス城にあっては、ユージィンも客人である。彼の本拠はアラクサからは離れた領地にあり、王都であれば住処はアラクシス家別邸になる。
 だからこそグランディア城にはラシークの部屋しか用意されていない。
 当然のようにラシークの後を着いてくるユージィンを見れば、その行き先は明らかだろう。
 衛兵は二人をラシークの部屋まで護衛し、そこで部屋付きの兵士に役目を代わると、本来の職務へと戻っていく。
 二人きりの部屋で、口を開くのはラシークが早かった。
「それで、」
 大きく息を吸い込んでいたユージィンは一歩遅かったのだ。
「君は、何を急いで来たんだい?」
 言葉を紡ぎながら、ラシークはターバンを解き、首にかけた装飾品を取り除いた後、上着を脱いだ。
 お気に入りの刺青が目に入れば、不思議とユージィンの気が落ち着くのを知っていた。それだけでは無く、ただ単純に正装が窮屈だった、という事もあるが。
 ラシークは上半身に服を纏う、というのが単純に嫌いだった。
 目論見通り聳やかしていた肩を落としたユージィンは、唇を尖らす。
「……別に。ただラシークが、勝手にブラッドに会いに行ったりするから」
「いけなかったかい?」
「駄目だよ! 僕だって、まだ全然話せてないんだから! ラシークだけずるいよ。抜け駆けだよ!!」
 大きく手を広げて訴えるユージィンの様子に、ラシークは思わず笑った。
「それは、すまなかったね」
そこに純粋な嫉妬心を見て、心から悪かった、そう思ったのは確かだった。
 それでも、その言葉の真意を、ラシークは邪推してしまう。
「本当に、それだけかな?」
「……それだけ、って?」
 大きな瞳を瞬かせる友人には、毛程の疚しさも窺えないけれど。
「いや、良いんだ。ただわたしも、ブラッド殿とはぜひ仲良くなりたいのでね。機会があればわたしも仲間に混ぜてくれ」
 薄らと笑みを佩いて言葉を切ってから、ラシークは思い出したように呼びかけた。
「ユージィン」
 ソファに移動しようとしていた体が、軽やかに振り向く。
「君は、イオネスの古語を知っているかい?」
 愛らしい顔は、すぐに怪訝そうに歪んだ。
「何?」
「イオネスの古語、だよ」
 もう一度ゆっくりと繰り返しながら、ラシークもソファの方へと移動した。けれどそこには座らずに、背凭れの裏に移ると、その触り心地を確かめるように緩く撫でた。
 ユージィンが小さく鼻を鳴らす。
「僕に、そういう話をされても、」
 悪態を付く様に「知るわけないじゃん」と続いた言葉に、ラシークは満足そうに顔を上げた。
 黄金の瞳は、楽しそうに、細められる。
「大丈夫。わたしも、知らないから」




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