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なち

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第一章

来たりし者 10

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 ゲオルグ殿下に引き摺られるようにして、ユージィン少年は散々騒いだ後部屋を出て行った。
「説教はしないって言ったのに!!」
「父上の嘘つきっ!」
 怒りを顕にしたゲオルグ殿下に非難を浴びせながら、最後の最後まで、それこそ柱に齧り付く勢いで抵抗を見せていたが、少年の力では全く意味が無かった。
 そんな姿は何時もの事なのか、驚く俺の横でティアはおっとりと微笑み、目を細めてその様子を静観していた。
 部屋を出た後も尾を引くように
「い~や~だ~~~!」
等という叫びが聞こえてきていたが、ティアもハンナさんも頓着しなかった。
 ただハンナさんが、空気を変えるように咳払いしてみせただけ。
 俺に向き直ったハンナさんは、背中に流していた髪の毛をゴムで一纏めにし、表情を引き締める。
 それだけで貴族の娘風であった雰囲気が侍女のそれにシフトした。
「ツカサ様」
「はい」
 ハンナさんに対峙する時は、どうしても敬語が抜けない。臆した気持ちそのままにソファの上で背筋を伸ばして呼びかけに応えると、ハンナさんは何故かにこりと笑った。笑った筈なのに、俺にはそれが舌打したように見えた。
「減点2」
厳しい声音に何のこっちゃと表情筋を緩めたら、更に減点される。
「シゼ・ブラッドであれば、その様な態度はなさいません」
 ――どうやら、ハンナさんの教育は既に始まっているらしかった。
「ツカサ様と呼ばれて、反応なさってもなりません」
 そんな事を突然言われても。思わず唇を突き出せば、減点が嵩む。
 突然始まった講義に戸惑う俺を、ハンナさんは許してくれない。
「よろしいですか、シゼル」
「ごめん!」
「……シゼル?」
「……すみません?」
「……」
 ハンナさんの周りの空気がどんどんと重苦しくなるのは気のせいでは無いだろう。それでも彼女の表情は彼女を取り巻く空気とは反比例して笑みを増していく。
 その満面の笑みが怖い。これ以上無い程の、笑顔が怖い。
「何故疑問系なのです」
 またしても舌打が聞こえてきそうだ。
「ミス一つが命取りだと、先程申し上げましたね? ラシーク殿下を知らない貴方に緊張感を持てと言っても詮無い事ですが、殿下の恐ろしさに気付いてからでは遅いのです。貴方には何時如何なる時も、例え事情を知る私共の前でも、完璧にダ・ブラッドを演じて頂かなければなりません」
 とくに、とハンナさんの言葉は続く。
「言葉遣いと所作は、最たるものです。スザンナ様の教えはどの国でも最高峰のものですから、ユーリ様やローラ様のお力をお借りして、その点を今まで以上に徹底して覚えて頂きます。幸いな事に異世界人の言語能力は優れておいでになるので、会話において貴方が困る事はありませんでしょう。人付き合いにお慣れで無いブラッド様が、会話を巧く紡げなくともし方がない事。この点に関しては、今まで通りたどたどしくとも問題はございません」
 ですから。ハンナさんの話はまだまだ続く。
 もうそろそろ脳の容量をオーバーして、ハンナさんの言っている事が分からなくなりそうだ。
「何時如何なる時も人の目があるものと、お考え下さいまし。今、この時も、貴方様はツカサ様ではなく、シゼ・ブラッドでいらっしゃるのです」
 けれど、ハンナさんの話はそこで沈黙と共に締め括られた。彼女の言葉を反芻しながら見つめてくる視線に促されて、
「分かりました」
と、ブラッドを意識して丁寧に頷くと、ハンナさんが満足そうに目を眇める。
 これは正解だったようだ。
 とにかく、ブラッドとして生活していろ、という事だ。――プラス、何か色々覚えないといけない事が、ある、と。
 そう理解して、ハンナさんのお叱りを受けないよう、表情に気をつける。彼女曰く俺の常の顔はだらしが無い、のだそうだ。
頬に力を入れて、奥歯をかみ締める。そうして、少し口角を引き上げて。この表情を保とうとするのは気力がいるが、こうしていると自然に背筋も伸びて立ち姿まで良く見えるらしい。
「よろしゅうございます。では手始めに、ブラッド様にはダンスを覚えて頂きましょう」
 ――はい?
「夜会は迫っております。さ、こちらへ」

 促されて部屋を出たものの、理解は追いつかなかった。



 長瀬 司、17歳――俺が日本で暮らしていた頃は二月の頭で、召喚されてから五ヶ月が過ぎようとする今、六月が誕生日の俺はもしかしたら18歳かもしれない――日本に生を受けてこの方、ダンスなんてものには縁が無い。
 集団で踊るマイムマイムを、グランディアで言うダンスの枠に入れていいものなら経験がある、と言えるけど。
 夜会では音楽団の生演奏で、ワルツを踊るらしい。
 ワルツ――これもグランディアとあちらの世界で共通する単語だ。
 とはいえ、単語は知っていても内容は知らない。分かるのは男性と女性がペアで踊るって事だけ。スローステップとか、リードとか、言ってる事は分かっても、それが実際どんな風な動きになるのかは分からないのだ。
 場所を鍛錬場に移した後のハンナさんの講義は、色々小難しかった。
 聞いているだけでは分からないので、一度その場を離れたハンナさんが大きな画用紙を持ってきて、そこに色々書き込みながら教えてくれた事は、とりあえず知識として頭に押し込んだ。
 ワルツって色んな種類があるんだって。あちらの世界でも共通なのかは分からないけど、グランディアでは大まかに五つ。それも楽曲毎に差異があり、勿論それを全部覚えるのは至難の技だ。
 本日の夜会で踊るのは、三種類それぞれ四つの楽曲でのワルツ。俺はその内の一曲だけ、ブラッドのお披露目として踊ればいい、とのこと。
 しかも大分ゆっくりとした曲で、三拍子でステップを踏むだけ、女性をくるくると回したり、複雑な動きは必要ないという。
 男性と女性で片手を握り、片手はお互いの背中ないし腰に添えて、会話を楽しみながら、静かにゆっくりと踊るのだ。
 社交場では必ず踊られる、エントウレ。これをティアと踊って引っ込めば良い、というのだから、安心した。
 ハンナさんが男性役でティアと実演して見せてくれた時も、これなら出来そうだと思えた。
 ――のだけれど、実際やってみるとこれが意外に難しかった。
 まず、一歩の感覚がティアとは違うのだ。最初は何とかごまかしが利いても、踊っていくにつれ差異が大きくなり、最後にはティアの足なりドレスの裾を踏んで止ってしまう。足にばかり集中して視線は俯くし、頭の中で拍子を数えているから動き自体も機械的だし、注意されればされる程に身体は強張り、何をどう気をつけていいのか分からなくなってしまう。
 上品さの欠片も無く、螺子を巻いて動いている人形のようだとハンナさんに何度も怒られた。肩、肘、膝が固いと言われても、どうしても力が入ってしまい、彼女が運んできた全面鏡を見せられながら踊った時には、ぎしぎしと音がしてきそうな不恰好な動きをする自分を見る羽目になった。
 あまりにティアの足を踏んでしまうので、途中から練習相手がハンナさんに代わり、逆にハンナさんにリードされて男女役がチェンジしてしまう。
 でもそれが良かったのか、リードされている間は自分の動きに集中しているだけという事もあり、覚束なかった足取りも優雅に動くようになった。
 ハンナさんの先導で覚えた感覚でティアに相手をしてもらって、ようやく一曲を踊りきった頃には、俺は汗だくだった。
 多分俺が慣れた、というより、ティアが慣れたのだと思う。三拍子で四歩刻む所を、ドレスの中で数歩余分に動きながら、間合いを揃えてくれた。密着して踊っているから、外側からはけして見えないティアの努力が伝わり易いのだ。それに俺が曲からずれそうになると、握った手に力を入れて一拍目のタイミングを教えてくれる。
 そうやってどうにかこうにかして形になった時には、窓の外の景色が茜色に染まっていた。
 急かされるようにして鍛錬場を出た俺達はそれぞれ自室に引っ込み、夜会の準備を始める。俺はその前に浴場を借りて、烏の行水ばりの素早さでお湯を被り汗を洗い流し、ブラッドを演じるべく心中で己を鼓舞した。

 俺は、やれば出来る子だ!!




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