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第一章
幕間 議会にて 1
しおりを挟む王都アレクサのディジメンドは【政の城】の名が示す通り、政治機関として存在する。城の内部には大小様々な議事場があり、毎日多くの事柄が決議されてきた。
その多くは貴族階級の選ばれた人間が所属する貴族院の内で決まる。王の助言機関として存在する元老院は、王に請われた場合のみ招集されるのだ。
ただし会議の議長を務めるのは元老院であった為、どの議会にも最低一人の元老院議員の参加がある、という事になる。
音楽の神ルシクの月、数えて八日目。
大議事場に全ての議員を招集したのは、他ならぬ国王リカルド二世陛下である。
扉を入って半円形に広がる室内の、中央奥が国王の席として最上段に位置する。その国王席を境に左が貴族院議席、右側が元老院議席となる。全ての席に座しても数の余る貴族院とは異なり、常時十数名で編成される元老院の席が埋まる事は無い。
国王席の一段低い隣席は宰相席となるが、この日は元老院に所属するゲオルグ殿下が座していた。
ゲオルグの参加は、彼が宰相職を辞した後、初めての事となる。
それだけで会議の重要さは知れようものだった。
緊張感漂う中、議長席に着いたシリウスは、左右に座した書記官に合図した後、ぐるりと室内を見回した。
全席を埋めた貴族院の半ばには、政敵とも言えよう、クラウディ家の親子の姿がある。一方、元老院席にはたったの四名――最も、昨日の今日で召集出来る程、元老院議員は王都付近に暮らしてはいないので、当然ではあるが。
シリウスの動きを追っていた議員達は、その手が彼の顔の位置に上がった瞬間、立ち上がって開始の合図に応えた。衣擦れの音が響き、議院達は一様に、シリウスを真似て掌を持ち上げる。手の甲を正面に見せ、シリウスが腕を下げればそれに続く。そうして全員が再び座してから、シリウスは口を開いた。
「ルシクの八日、十一時七分、リカルド二世陛下の王命に従い、緊急会議を開始致します」
その宣誓を、二人の書記官が文字に残す。
「議題は、一にウージとの不可侵条約について。二に、バルバトス・クラウディが子息、ルーク・クラウディの罪について」
貴族院の中腹が俄かにざわめくが、シリウスはそれを無視した。
「263年前の不可侵条約の締結において、我がグランディア王国はヴェジラ山道を断たれ、エリクーシ鉱山を失い、戦事費用と騎士の損失を防いだ代わりに、国庫の備蓄を激減させるに至りました。
山道を断たれた為ダガートの動向も容易に知れず、『鷹』に要する費用は嵩み、相次ぐ鉱山の閉止に伴い、鉄と銀の採掘量は低下しております。
この事を受けて我らは幾度も条約の撤廃について議論を重ねて参りました」
さざめく貴族院の中、一人の挙手にシリウスは言葉を止めた。シリウスが公爵である男の名を呼べば、男は立ち上がり、一つ咳払いを落とした。
彼の気質のままに尖った声は、年相応にしわがれている。
「再三の否決を忘れたわけではあるまい。ウージごとき蛮族に、垂れる頭は我らに無い。鉄と銀は今まで通り、輸入すればよかろう」
公爵の発言にかかるように賛同の声が、貴族院から上がる。
「クラウディ家の外交手腕に任せておけばよろしいのでは」
しかし、シリウスの裏手でゲオルグ殿下の手が上がると、その声は水を被った焚き火のように、沈静化した。
ただ軽く持ち上げただけの手に、全てが口を閉ざす。
シリウスは恭しく、その名を呼んだ。
ゲオルグは鷹揚に頷き、貴族院に目を走らせる。
「そなたらの申す事は良く分かる。余とて、ただ条約を廃止せよとは申すまい。
しかし、事は動いた」
ふ、と小さく吐き出したゲオルグの呼気が、辺りに響いた。しかしそれだけで、人の意識を巧みに引き寄せるのだ。
「先日、『狼』が変わった情報を拾ってきてな。その真偽を確かめる為に、余は城を空けた」
『鷹』と『狼』はそれぞれ、グランディア王国が擁する諜報機関である。しかし王国そのものに従う『鷹』とは反して、『狼』は王家が抱える直属の部隊だ。その内容が貴族院にも開放される『鷹』とは異なり、『狼』はその人員構成さえ秘匿される。
つまり王家以外に、『狼』の情報の是非は問えないのだ。
「『狼』が言う所には、不可侵条約に叛いて、ある貴族がウージに介入しておるそうな。可笑しな話があろう? ウージとの接触は三代まで罰せられると知らぬ輩でもあるまいに」
楽しそうに語りながらも、ゲオルグの表情は厳しい。そうして鋭く眇められた青味の強い灰色の瞳は、ある一点に注がれていた。
――バルバトス・クラウディをだ。
「しかし、随分な好色漢だとも聞いておる。ウージの女に興味でも沸いたか、」
バルバトスは注がれる数多の視線に、眉根を寄せた。
それが誰を指しているのか、分からぬ者は無知が過ぎよう。
「何にせよ余は、ルーク・クラウディの屋敷で、ナムンの族長と対面する事となる」
「そんなっ!」
たまらず悲鳴を上げたのは、バルバトスの横に座したガリオンだった。彼は父親似の鷲鼻に皺を寄せ、思わず立ち上がった非礼を詫びてから、
「何かの間違いでは」
と続けた。
ゲオルグ殿下は同情を湛えた視線を投げて、気遣わしげに声を掛ける。
「そうであれば良かった。しかしルークとギジム族長との接触は、三月の間に数え切れぬ程あった。ルークはヴェジラを上り、ウージの郷を訪ね、ウージの言葉を倣い、ウージの馬を駆った。そしてその領地には、ナムンの子供の姿があった」
その経緯を省けば、ルークは誰が見てもただの反国者にしか映らない。
「だが今は、その事実は脇に置いておくとしよう。ルークの処罰は、二つ目の議題であろう。まずは条約について、」
ゲオルグは語った。ウージの掟は変移し、彼らは交渉を望んでいる、と。
「ウージは結んだ条約の破棄を願い、交易の再開を交渉しておる。となれば、我がグランディアも鬼では無い。然るべき制度を布いて、交易を再開するべきだと思うが、どうか」
これにまず賛同するのは、元老院だ。
シリウスが異議を求めても、動揺を見せる貴族院は視線を交わすだけ。元より、ゲオルグの言動は決定を促すものでしかないのだ。
数秒待って、口を開いたのはリカルド二世だった。
「グランディアは交渉の座につく。異論は許さぬ」
「それでは、この件は今後、私、シリウス・ハイネル・アンサが取り仕切ります。費用の算出と共に内容の審議は、グラハム公爵以下――」
纏めに入ったシリウスの言葉を、ただ書記官だけが記していく――。
そうして、議題は二つ目に移る。
グランディアでは、罪に対する罰を【エンナ――三罰】と定めている。罰の重さは大きく分けて、三つ。一番軽いものが【一戒】といい、個人に対して罰を与えるもの。二つ目が【二戒】といい、家を含むもの。そして一番重いのが、【三戒】という、家系を含むものだ。個人に対しても、数日の謹慎や罰金、命をもって償う場合、とある。
グランディアの法律で【三戒】に当る罪は、現在においては三つもない。そしてそれ自体が施行される事も、まず無い。
――けれど、なのである。
不可侵条約に反した際の罰は、【三戒】に当る。
当人、その子、孫においては、罪人の烙印を押されるのだ。ルークの場合、子も孫も愚か妻も無い身であるから、受けるべき罰はルークにしかかからない。奪われるべき領地も持たず、彼が牢で一生を終えるだけの事だ。例え金を払い牢での生活を免れようと、或いは恩赦を与えられる事があろうと、一度【三戒】の烙印を与えられた者には、厳しい末路しか待たない。貧民窟へ追いやられる程度であれば、僥倖といえるもの。
そうして罪人を排出した家もまた、被害を蒙るのが常だった。
ルーク・クラウディの名は、良くも悪くも有名である。その名はグランディア王国内だけに留まらず、放蕩者の代名詞として語られる程のものなのだ。
稀有な事ではあるが、クラウディ家はそのルークの名と共に、権力と財力を誇示していた。
その名声は、ルークの罪と共に地に堕ちる。
罪人を排出した家など――それも、三戒を受けた罪人である――誰が、好き好んで関わりを持つというのか。
リカルド二世にとってすれば、バルバトスの牙を抜ける方策は喜ばしい限りだ。しかしそのままクラウディ家が失墜すれば、国にとっての損失でもある。
今はまだ、バルバトスの外交手腕を切り捨てるわけにはいかなかった。
シリウスが【三戒】を改めて諳んじると、議事場は重苦しい程の沈黙に包まれた。
ガリオンも、バルバトスも口を開く事は無い。ガリオンに至っては虚ろな視線を俯けて、脱力しているようだった。
誰もが、ルークの罪を理解している。
だからこその沈黙を、リカルド二世は静かに破る。
「幸いな事に――ウージの掟は変じ、彼らは我々に友好を示している。その期の影響か、ルーク・クラウディの所業はウージとの間に亀裂を生みはしなかったが――それは、あくまでも結果論だ」
ウージの民族は、掟を重んじる。掟を破れば、対価を支払わなければならない。本来ならば、それを、グランディア王国に求めていておかしくない状況なのだ。
そうしてそれは、不可侵条約締結後の僅か三日後、実際に起こった。
ツカサはジェルダイン領に対して『田舎』だと感想を持ったが、かつてのジェルダイン領はそうでは無かった。ヴェジラ山道とエリクーシ鉱山が開いていた頃、領主館のあった村は街として栄えていたし、交易路を結ぶ地として、人の出入りは多く、人口も多い、グランディア有数の都市だった。
領外を一歩、出た程度の事だったと聞く。
その程度の事が発端で、ジェルダイン領は大殺戮の現場となった。無抵抗の民は血の海に埋もれ、家という家が焼き払われた。
結果として残ったのは、領主館と焼け爛れた荒野だけ。
それを復興して、今のジェルダイン領が出来上がったのだ。
一方的に叩き付けた条約であったから、ウージの民の怒りも一塩だった事だろう。
それは、特殊な事件だった。
けれどルークの行動は、一歩間違えばそれだけの危険を呼び起こす。
「余は、グランディアの王として、ルーク・クラウディに罰を与えぬわけにはいかぬ」
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