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第一章
来たりし者 4
しおりを挟むアレクセス城に戻って、二日目。
何時もの習慣通り朝五時に起きてはみたものの、泣疲れて頭は重く、思考は鈍かった。それでも竹刀もどきの棒剣を持てば、身体は自然に毎日の稽古を始める。
けれど気付けば腕は止まり、今自分が何回を数えたのかも分からなくなる。
慌てて素振りを再開しても、同じ事の繰り返しだった。
こんな事をしても、意味は無い。
そう頭のどこかで声がする。けれどそれを認めてしまえば、絶望感が襲ってくるだけだった。
現実をどうしても受け止められない俺は躍起になって竹刀を振るっていたけれど、身の入らない稽古は鍛錬にもならなければ、気が晴れる様子もなかった。
ふぅと重苦しい息を吐いて、竹刀を放り出す。
鈍い音を立てた竹刀は床を転がって、テーブルの足にぶつかって止まる。
そんな所を父親に見られたなら、神聖な竹刀に何たる事と拳が飛んでくる事間違いなしだったが、ここには咎める父親は居ない。
分かっているのに一瞬、父親の怒声を聞いた気がして肩を聳やかせた自分が笑えた。
ルークさんのように、何かを選ぶ為に家族を捨てる事は、俺には到底出来ない。
剣道を捨て、家族を忘れ、この世界で生きる事が出来るか――そう何度も自問してみたけれど、それは簡単じゃなかった。
柵ばかりの過去を切り捨て、意気揚々と新しい人生を始めよう――そんな風には、思い切れない。
だって、ナガセツカサは――本当の俺は、この世界に望まれているわけじゃない。目的には障らない、何かの間違いで召喚されてしまった存在だ。
ティアを幸福に導く事が俺の役目だ、なんて息巻いていたけれど、あっさりとそれが果たされてしまった今となっては、だ。
ここにいる理由が、分からない。
ここにいる必要が、無い。
だから、帰らなくちゃいけない。
あちらで俺が切り捨てられる前に、忘却される前に、帰らなくちゃいけない。
一刻も、早く。
そろそろ昼食、という時間、外に待機していた衛兵がクリフの来訪を告げた。近衛兵に昇格したクリフは、役所としては俺の護衛兼側近だ。本来常に傍に侍っていて、客室の中、つまり俺の部屋の中にある小姓部屋が彼の居住となるのだが、現実に俺の傍に居て仕事があるわけでもなく、俺と周りの連絡係のようなものだった。
今日もハンナさんとティア、ライドやシリウスさん、それからゲオルグ殿下の所を回ってやって来たらしく、遅い朝の挨拶を交わした後は、努めて事務的だった。
「ゲオルグ殿下より、昼食をご一緒されるよう申し付かりました。本日、ハンナ様、サー・ライディティルのご訪問はありません。昼食の後はご自由にお過ごしになられるよう言い付かりましたが、何かご希望はありますか」
「殿下と、昼食……」
「ご気分が優れないようでしたら、お断り致しますが?」
「いや、殿下の誘いは断われないよ」
殿下と楽しく食事を、という気分になれないのは確かだったが、殿下の前で無様を晒した上、今だに沈んでいるなんて思われたくなかった。
気遣わしげに見つめてくるクリフの視線も、何時心配から失望に変るか知れない。
弱い自分は、見せたくなかった。
「その後は、ネロと遠乗りに行こうかな」
「では、お供します」
「うん」
昼食はアラクシス家別邸で、との事だったので、そのまま遠乗りに出る為の用意をした。それに何故かブラッドとして来い等と言われて、クリフと二人で首を捻ったものの、俺は髪型や服装を“ブラッド”風にして、城を出た。
久し振りに乗るネロは、ルークさんの屋敷を目指した時の馬と違って、お世辞にも安定感があるとは言えない。訓練されてはいるものの、まだ幼いせいか、何か気になるものがあると突然馬首を変えようとする。その度に手綱を繰って前を向かせ、不満げに鳴くネロを撫でて宥めた。
こんなに奔放な子だったかな、と呟いた俺に、「ブラッド様とご一緒で嬉しいのでしょう」とクリフが笑った。
その言葉に、少しだけ、心が救われる。
緩んだ頬を見留められ、更にクリフが笑みを深めた様子は、気恥ずかしかったけど。
思いの外穏やかな気持ちでアラクシス家別邸に辿り着くと、年をとった執事が、家の中ではなく庭の方へ案内してくれた。
花の城と謳われるフィデブラジスタは、その名の示す通り花々に彩られた美しい庭園を持っていたが、別邸の庭は花と呼べるものは一つも無い。濃淡の異なる芝生の所々に、丸く切り揃えられた緑の樹木、隣家との境には背の高い木々が茂り、その奥にあるであろう建物の姿を隠していた。
別邸の屋敷寄の場所に小さな丘があり、庭を眺めていた俺はクリフに名を呼ばれて、前方に視線をやった。
丘の上に用意されたテーブル越しに、主座に座るゲオルグ殿下が手を振っている。
「ブラッド!」
張りのある声に呼ばれて、歩調を速めた。
「殿下、ご招待ありがとうございます」
臣下の礼を返したのは、ゲオルグ殿下の隣に、男性がかけているのが分かったからだ。
面差しがゲオルグ殿下に良く似ていた為、彼の息子の一人なのだろうと納得する。
俺が彼に会釈すると、眼鏡の奥の瞳が優しく瞬いた。
「良く来て下さいました。私は、セルジオ・アラクシスと申します」
そう言って差し出された彼の右手を握り返す。
「お会いできまして光栄です、シゼル」
促されるままにセルジオさんの向かいに座ってから、改めて庭園を見下ろす。
――そう、見下ろすのだ。
小高い丘の上から庭を見て、やっと疑問が解消された。
「美しい。――あれは、鳥、でしょうか?」
庭園の中央に、羽根を広げた鳥のような形をした、濃い緑の芝。ベースは生き生きとした萌黄の芝で、その上を濃い緑が複雑な模様を描く。
「はい、鷹でございます」
左右対称に広がった羽の先、シンメトリーに続く幾何学模様。アラビアの絨毯などに見られるような模様が、二つの色だけで見事に描かれている。そうして非対称に置かれた丸い葉の塊が、繋げてみると文字を浮かばせる。
「“鷹”」
「レスコ式庭園は、作者レスコ・デュバリの代表作で、グランディアでは有名な様式なのですが――ブラッド様はご覧になったのは初めでいらっしゃいますか?」
芝の絨毯!! などと感動していた所に、セルジオさんの含むような問いがかかった。
はっとして彼に視線を投げてみるが、眼鏡の奥の双眸から真意は窺えない。
俺をブラッドと呼ぶからには、ゲオルグ殿下は俺が異世界から召喚された事を息子であるセルジオさんには伝えていないのだろうと思う。
そうすると俺は、セルジオさんの目にはどう見えているだろう。毛色が違うから、グランディアの人間で無い事は悟っているだろうけど――そもそも、そのレスコ式庭園というものは、一体どれ程有名なのだろう。他国にも、一般人にも、分かるようなものなのか――初めて見た、と答えて、差しさわりない事だろうか。
逡巡は一瞬。
「ええ」
それでも、初めてと答える他無いように思った。今更取り繕える技術は無い。
「然様でしたか。そのように感動して頂ければ、邸の庭師も喜びましょう」
けれどセルジオさんは、それ以上突っ込んでくる事は無かった。
それより、と顔をゲオルグ殿下に向けると、
「父上もお人が悪い。愛人などと申されるから、私はどう接したものかと悩んでいたのですが、殿方ではないですか」
非難めいた瞳で殿下を睨む。
「愛人のようなものだ、と言っただけだ」
「同じ事です」
かか、と笑う殿下の腕が伸びてきて、俺の肩を抱き寄せるのを、俺は呆気にとられて見ていた。
愛人。
「余の今一番のお気に入りという意味では、同じようなものだろう」
「……父上、他で吹聴だけはしないで下さいよ」
愛人って、何時かも言ってたな、確か。
呆れたようにため息をつくセルジオさんに、俺の心も同調した。思わず出たため息がセルジオさんのそれと重なって、二人して苦笑してしまう。
そんな俺たちを無視して、殿下が指を鳴らすと、待ってましたとばかりにどこからか使用人が現れて、テーブルの上に料理を並べていった。
バスケットに積まれた焼きたてのパンや、果物の皿。目の前にはコーンスープのようなもの。足の長いグラスに芳醇な薫りのワインが注がれていく。
「さあ、食べよう」
ゲオルグ殿下の宣言で、昼食の時間が始まった。
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