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第一章
愚者の挽回 4
しおりを挟む――陛下は唐突過ぎる、と思う。
一体何の言い訳を求められているのか分からず俺が瞬きを繰り返していると、陛下の背後で空気に亀裂が入る様が不思議と見て取れた。
表情の一片も変らない。ため息を吐くでもない。眼差しに感情が灯るわけでもない。
それでも、俺を馬鹿だとか阿呆だとかと思っているのであろう事が、何となく分かる。
そういう人だから、トラウマを突かれて怖気ついてしまう事もあるし、それをも凌駕する程憎らしくも思う。
陛下は俺の感情を、糸も簡単に切り替える。
ふつふつと湧き上がった憤りに、俺は棒読みの問いを返した。
「言い訳するような事は何もありませんが?」
「ほう? 勝手に城を抜け出し、勝手にルークに会いに行った。その弁明は無い、というのか」
「……何か問題が?」
平坦な会話が続く。
「俺は城から出るな、とも、ルークさんに会いに行くな、とも言われた覚えはありませんから? 陛下が俺に望んだ通り、ティアの幸せの為に行動したまでです」
今度は言葉を震わす事無く、全てをきっぱりと言い切った。
真っ直ぐに陛下を見つめれば、遠目ではあるけれど――やっぱりその口元が穏やかに緩んでいるように見えるのは、気のせいだろうか。
変化、という程はっきりしたものではないけれど、不思議と、今の陛下には人間味が窺えるような――。
「貴様のような無鉄砲な人間が、余の臣下でなくて良かったと、しみじみ思う」
――そうでもないような。
大体この人、何時も一言余計なのだ。あと、きさま、という呼び方が気に食わない。
「俺も、陛下の臣下でなくて、本気で嬉しいです」
心からの本音を込めて、にっこり笑顔を浮かべてやったら、今まで静観を決め込んでいたゲオルグ殿下が爆笑し出した。
「良く言った、ツカサ!」
この人の笑いの沸点は低すぎやしないか。
「エディアルドがいらぬ、というなら、ツカサは余が喜んで貰い受けよう」
「……それは、一応ティシアの婚約者だ」
「一応、な。だが、事の次第が分からぬお前ではなかろう?」
またしても話が脱線していく様を呆気に取られて見つめていたら、どこからか大きなため息が聞こえてきた。
おや、と思い顔を巡らせれば、玉座の階段の下で腕を組んだシリウスさんに行き当たった。
ため息一つで全員の視線を射止めたシリウスさんは、苦笑。
「話を纏めさせて頂いてよろしいでしょうか?」
伺う形を取りながら、否を言わせない口調だった。返事を待たず二の句を続けるシリウスさんが、ちらり、俺を見て微笑んだ。
意味深な目配せだったけれど、俺には意味が分からない。
「つまり、ツカサ様は――ロード・ルークこそが王女殿下の幸福に必要、とそうお考えなのでございましょう?」
答えを促され、その通りなので頷く。
「そして、宣言どおりツカサ様には王女殿下とのご結婚の意志は無い」
これまた頷く。
「けれど伝承には、異世界人と召喚者の結婚が平安と幸福を齎すとございます。異世界人が召喚者と結婚なされない、というのは、前例にございません」
殊更ゆっくりと、もったいぶるように話すシリウスさんの真意が、益々もって分からない。この人は、俺が女で、現実的にティアと結婚出来ない事を知っているのでは無かっただろうか。
同じ感想を持ったのであろう、ライドが隣で首を捻った。
「その通りだな」
としたり顔で頷くゲオルグ殿下も、意味分からない。
「前例が無いだけですので、もしかしたら異世界人の存在こそが、その恩恵を齎すのかもしれません。ですから、ロード・ルークと王女殿下のご結婚が、至上の幸福なのかもしれません」
それをお望みなのでしょう、と問われて、三度俺は頷いた。シリウスさんが間に入ってくれたおかげで、やっと結論に行き着いた、と俺はほっと一息。
だけど、「けれど」と続けたシリウスさんの柔らかい口調に、目を見張る。
「私は賛成しかねます」
清々しい程の微笑みを持って、却下。
実際に言葉を交わして、そうと言ってくれたわけでは無かったけれど、シリウスさんは俺の計画に賛同してくれていたのでは無かったのだろうか。
ゲオルグ殿下の口からシリウスさんは協力者だと聞いたから、そう信じて疑わなかったのに。
戸惑い気味にゲオルグ殿下を見つめたけれど、殿下はこちらをちらとも見ず、その視線は何故か冷ややかに、ルークさんに注がれていた。
彼は最初からそうしていたように深く頭を垂れ、床に膝をついたままだ。
「そういう事だ、ツカサ」
玉座の上で、陛下が足を組み変える。
「ルーク・クラウディはティシアの相手に相応しくない」
そうして、何を言う間も無く、陛下の言葉はルークさんに向かう。
「ツカサに何を言われたか知らんが、甘い期待は捨てろ。一年前に降した判決が、全てだ」
頑なに、ルークさんを拒絶する陛下の杞憂は、ここ数日の間に俺にも共感出来る所はあった。家同士の確執や、ルークさんの異質さは、俺の想像じゃ追いつかないくらいの不安要素なのだろうという事は、ちゃんと俺にだって分かっている。
分かってはいるけれど。
それはあまりにも、人の気持ちを無視し過ぎなのではないかと思ってしまう。
「何がいけないんですかっ!!」
だん、と力いっぱい踏んだ床は、思ったよりも足音を響かせた。
けれどそんな事は今はどうでもいい。
激昂した俺は恐らく顔を真っ赤にしながら、怒鳴り散らす。
「好き合ってるんだから、結婚ぐらいさせてあげればいいでしょうが! クラウディ家の人間だから、とか、ルークさんが不思議ちゃんだからとか、それぐらい目を瞑ってあげればいいでしょうが!!」
「……不思議ちゃん?」
小さく呟いたライドの問い掛けは、勿論無視。
「ティアがそんなルークさんがいいって言うんだから、素直に認めてあげろよ! 大体人の恋愛に頭を突っ込んでいる暇があるんだったら、自分の相手を見つければ!?」
「それは確かですね」
「そうでしょう!?」
シリウスさんの同意を受けて俄然やる気を出す俺。シリウスさんは陛下の一睨みを喰らいながらも涼しい顔だ。
陛下の周りの空気が凍りつくように冷ややかになっていくが、そんな無言の主張など無視だ、無視! 自分の言葉で主張も出来ないシャイボーイの怒気なんて、知ったこっちゃない!!
「それに陛下って、グランディアの歴史上稀に見る、すんばらしい王様なんでしょ? だったらあんたのその素晴らしく優秀な頭脳と天才的な手腕を持って、ルークさん込みでティアを守ってあげればいいでしょうが! ルークさんの持つ不安要素ぐらい、あんたの力でぽぽいと拭い去って差し上げたら!?」
ティアの涙と、晴れやかに、幸せそうに笑っていた顔が思い出される。
「どうなるか分からない未来より、俺は今のティアの笑顔を、幸せを願いたい。問題が起こったら都度、みんなで解決すればいいじゃないですかっ!!」
鼻息荒く言い切って、反論があれば言ってみろ、という風に陛下を睨みつけてみたけれど。
「――言いたい事はそれだけか」
俺がどんなに力一杯言っても、陛下は変らない。平坦な声も、感情を乗せない表情も。
「余が貴様のように愚かであったなら、あるいは是と言うかもしれん」
ただ静かに紡がれる言葉は、俺を怒らせるだけ。
「論点が違う以上、余と貴様は分かり合えん」
その瞬間に胸の内に広がるのは、失望だ。別に、何を期待したわけでもないけれど。
何も説明してくれないくせに、論点なんて言われても納得出来ない。まだ何も論じてさえいないのだ。
陛下は俺の話に聞く耳持たず、変りに自分の意見を聞かせてくれる事もない。
ただ駄目だ、の一点張り。
それで誰が納得出来ると言うのか。
けれど再度口を開きかけた俺を止めたのは、ルークさんだった。
俺の腕に手をかけ、振り向かされる。驚きのまま見つめた星月夜の瞳の中は、穏やか。
「ありがとうございます、ツカサ様。けれど、よろしいのです」
「でもっ」
また諦めてしまうのだろうか。そんな気持ちで声を荒げたけれど、ルークさんは控え目に首を振って。
「貴方が下さった可能性を、私は無駄には致しません」
淀み無く言い切ったルークさんの表情が、頼もしく見えた。
それは、間違いでは無かったのだろう。
すっと視線を前に向けたルークさんは、しっかりと陛下を見据えているように思える。
「陛下」
呼びかけに、迷いは無い。脅えも、怯みもしない。
「あの時、私が誓ったティシア様への愛は、今も偽る所はございません。けれど、あの日、私には覚悟がございませんでした。ティシア様の未来を、幸福を、笑顔を守る為に――全てを捨てる覚悟も、牙を持つ覚悟も。薄弱な心を言葉にする事しか知らぬ私は、確かに王女に相応しくない――けれど、」
ひたと、真摯に陛下を見つめるルークさんの様子に、ゲオルグ殿下が満足そうに頷くのが見えた。
「どうか私に、陛下の評価を挽回する機会を与えて下さい」
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