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なち

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第一章

帰城 6

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 腹を括ってからのルークさんは、目に見えて人が変わった。今までは他人の流れに身を任せていた風なのに、言葉や行動にはっきりと意志を示すようになったのだ。
 彼がティアに抱く愛情は変わらない。ただその気持ちを押し通す為に、必要な事は何かと考えるようになった――というのは、ルークさんに高評価を下したゲオルグ殿下の意見だ。
 王族としての立場がそうさせるのか、宰相という激務をこなしていた能力によるものなのか、姪っ子を想う叔父の気遣いなのかは知らないが、殿下はルークさんという人を、驚く程深く理解していた。
 とうの昔に現役を退き、隠居中の身の上のゲオルグ殿下は、社交界から遠のいて久しい。公の場のほとんどを後継者であるセルジオさんに任せている彼が、それでも世間の情勢に明るいのは彼の情報収集能力の素晴らしさを物語る。ルークさんの人となりも立場も、彼とは初対面といっていい関係ながらも、既に把握しているようだった。
 ゲオルグ殿下の話は、俺がルークさんに抱いた違和感の正体を、はっきりさせた。
 ルーク・クラウディをゲオルグ殿下に語らせると、こういう人になる。
 ルークさんの生母は、クラウディ家当主バルバトス――つまり、ルークさんの父親の、囲われ者だった。正妻公認の愛人だったが側室としての身分は無く、彼女が亡くなるまでの間、ルークさんは母方の姓を名乗っていた。母親の死後クラウディ家に引き取られはしたものの、既に生まれていた異母兄弟やその母親との仲はあまり芳しくないものだった。そんな中で巧く生活していく為に見につけたのが、彼特有の社交性だった。常に人の顔色を窺い、相手の好む言動行動を心がけ、自分を殺して生きていく。
 注意深く周りを観察しながら、巧く立ち回ることだけを考えた。泥を被る事を厭わず、努力を惜しまず、謙虚に、控え目に――その甲斐は、あった。
 けれどそれが長所として語られるようになる頃、ルークさんは悟る。
 非の打ち所の無い人格者であるだけでは、駄目なのだ。
 ルークさんが完璧であろうとすれば、異母兄弟の未熟さが浮き彫りになる。比較された兄弟の不満は、ルークさんの立場を悪化させるだけだった。
 クラウディ家を貶める存在であってはならない。けれども、兄弟よりも優れてはならない。馬鹿ではいけない。愚かでもいけない。けれども、突出してはならなかった。
 その均衡を保つ為に作り出されたのが、今のルークさんだ。
 クラウディ家の駒の一つである事を良く理解した上で、ルークさんは生きてきた。
 たった一つの誤算は、ルークさんがティアを愛してしまったこと。
 バルバトスの策略でティアをクラウディ家の手駒にする筈が、ミイラ取りがミイラになった。
 しかし愛を取ればクラウディ家を裏切り、家を取ればティアを裏切る。
 結局はどちらも選べないまま国王陛下と対峙する事になったルークさんは、その胸の内を見抜かれ、辺境に追いやられた。
「覚悟が無いから、駄目なのだ」
 全てを語った後、ゲオルグ殿下はにべも無くそう言った。
「幾らルークでも、エディアルドとクラウディ家の間を巧く立ち回ることは出来まい。穏便に生きる事を全てとしてきたルークにとっては、究極の選択ではあっただろうな」
 それはつまり、ティアを取ればクラウディ家の敵になり、クラウディ家を取れば、王国の敵になる、という事らしい。ティアの夫となるという事は、クラウディ家を捨てる事と同義なのだそうだ。
 俺が馬鹿馬鹿しい、と眉根を寄せれば、ゲオルグ殿下は真面目な顔で言う。
「ティシアの夫は、王国に――すなわちエディアルドに、忠実でなければ務まらぬ。それが出来ぬような人間は、要らんのだ。ティシアの為に、今までの全てを捨てるくらいの覚悟がなければ、ルークはティシアを幸せになど出来ぬ。ルークが迷えば、傷つくのはティシアだ」
 ただの商家であった筈の末席貴族が、たったの二代でのし上がり、貴族院を掌握する程の力を示した。
 それがどれだけの問題かお前には分からないだろうが。重苦しい口調の殿下に、頷くことしか俺には出来ない。
「排除できぬ危険分子に更に力をくれてやるわけにはいかぬ」
 だからこそルークさんは、クラウディ家と縁を切らなければならない。

 同じ様な状況で生きてきた俺には、その決断がどれ程のものなのか理解できた。
 どんなに険悪な関係でも、容易く切れない。
 むしろ繋がっていたい。
 ――俺には、自分から手を離す事だけは出来ないだろう。



 ルークさんの屋敷を旅立ったのは、予定通り、ゲオルグ殿下の来訪の翌日だった。
 ついていく、と言い張る老齢の執事夫婦とその息子は、ルークさんが王都に住んでいた頃よりの従僕だった。けれど彼らはクラウディ家に仕える人間で、ルークさんがこれから切り捨てるべき“もの”に含まれる。その所為か彼らの申し出を断るルークさんは、何時になくきっぱりと拒否した。
 そんなルークさんに何事かを感じたのか、三人も強固に訴え続けた。
「私ども一家は、何時如何なる時もルーク様の僕でございます。どうしてもと仰るのであれば、今ここで、切り捨てて下さいませ」
 頑なな一家に、ルークさんは狼狽していた。これが永遠の別れでもあるかのように、時期を見て呼び戻すとルークさんが言っても聞かなかった。まるでルークさんの覚悟の全てを、知っているかのような言動だったと後に俺も思う。
「そちらの気持ちは分かったが、こちらは先を急ぐ身。少しでも身軽でありたいのだが」
 最終的にはゲオルグ殿下の助け舟で、彼らは黙った。
「そちらの主人は、余が責任を持って預かろう。そのかわりに事が落着するまで、屋敷はそちらに責任を持って守ってもらう――それで良いな?」
 威圧感が半端無いので、否なんて言えるわけもなし。
 蚊帳の外の俺は最後尾でクリフと並びながら、小さくため息を吐いた。
 そりゃあ自分たちの主人が一晩で変貌していたら、何かあったなとか思うよな。
 一家に同情しながら、ルークさんの背中を見つめる。
 褪せた色の外套の下は、俺たちと同様乗馬服だろうが――外套から見えるジョッキーブーツのように、飾り気のない簡素なものなのだろう。今までの洒落っ気のない地味な服装は目立たない為とはいえ、今の彼にはルークさんたる要素が一つもない。
 洗練された都会っ子な貴族のイメージが、完全に覆されている。
 軽やかにウェーブしていた長い髪も、何故か五分に刈って形の良い後頭部を顕にしているし、クリフ達と比べるとひょろっとしているけれど、見た目には兵士や農夫のようにしか見えない。正面から見れば穏やかな笑顔も星月夜の瞳も健在なのだけど、背後から見たら誰だか分からない。
 昨夜、家を捨てるとか捨てないとか、覚悟がどうたらとやたら固い会話が成された折、ちょっと空気を和らげようと「まずは形からじゃない?」なんて口を挟んだのが間違いだった。
 俺の言動の所為で、覚悟の程を外見にも示してくれたルークさん。
 今朝顔を合わせた時はイメージチェンジ所の話じゃなくて、本当にびっくりしたのだ。
 見つめる先の、太陽に透けるルークさんの蜂蜜色の髪の毛は、昔市内の祭りで金魚釣り代わりに売られていたヒヨコみたい。
 その頭が不意に振り返って、びくりとする。
「参りましょう」
 どうやら、話は纏まったようだ。
 深く頭を下げる屋敷の従業員達を背にして、俺達は馬に跨った。
「さあ、帰ろうか」
 隣に並んだゲオルグ殿下が、快活に言う。
 それに頷いて、頷いた自分をおかしく思う。

 ――帰る。

 果たして、自分の帰るべき場所はどこだろう。

 馳せた記憶の中で、ティアと高志が交互に笑っていた。




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