39 / 64
第一章
帰城 4
しおりを挟む異世界人。
その言葉が飲み込めた瞬間が、それだったのだろう。
ガジンの強張っていた表情が、花開くように綻んだ。
「スゲェ!!」
と叫んだガジンはどうやらグランディア共用語をも解すようだが、それがどちらの言葉で紡がれたのかは分からない。
けれど素直なガジンの賞賛は苦く笑うだけのものだった。
グランディアに異世界人が召喚された歴史は、万国共有なのだなぁなんてしみじみと思う。
ギジムさんは猜疑に満ちた視線をよこしていたけれど、ルークさんが是と応える事で納得したようだった。
この二人の間には確かな信頼関係が築かれているようだ。
兎にも角にも一触即発の雰囲気だけは弛緩させられたようで、ルークさんが「お二人とも、おかけになって下さい」と促すと、ギジムさんもゲオルグ殿下も素直にそれに従った。
再び向かい合った二人の表情も、厳しいままではあったがそれは常なのだろう。
「それで、族長殿は余に話があると?」
口火を切ったゲオルグ殿下も冷静に話をするつもりはあるようだ。
「此度の事態に陥った経緯と、ルーク殿の弁護にと参じたが――そちらがゲオルグ殿下であるのなら、丁度いい機会だ。我らウージの意思を、王都に持ち帰って頂きたい」
「そちらの意思?」
「我らウージの民は、ルーク・クラウディを介すなら、グランディアと交渉する用意がある」
「……ほう」
息を飲んだのは、クリフとスチュワートさん。思わず立ち上がったのは、ルークさん。ゲオルグ殿下は呟いて、唇を舐めた。
その声音が喜色を含んだものに変化する。
「これは異なことを聞いた。ウージの鉄の掟が許す筈もない、夢物語にしか聞こえぬが」
一体何なのかな、この展開は。一人状況が飲み込めない俺の目は、発言者を言ったり来たり。
「掟は変ったのだ、殿下」
ギジムさんが隣に座ったガジンの頭を、愛しそうに撫でる。その時だけ、厳しい顔が柔らかくほどけた。
「この子ら、次代の意志と共に」
親子の良く似た灰色の瞳が、微笑み合う。
「それも全て、ルーク殿のお陰。我らウージは、一つとなる」
「……それは、」
ルークさんがやっと腰を落ち着けたと思うと、前傾姿勢でギジムさんに詰め寄る。
「本当なんですね?」
ギジムさんが深く頷けば、伝染したようにルークさんも微笑む。
「……良かった」
――誰か、俺にも状況を説明してください。
切に願っても、誰も彼もが口を噤んでいた。ただ感慨深げなルークさんのため息だけが室内に溶けて、消えた。
やがておもむろに、ギジムさんは事の経緯というものを語った。
それは三月と少し前。
まだルークさんを知らぬナムンの集落で、ガジンが出奔したのが始まりだった。
ウージと一括りにするヴェジラ山脈の山岳民族は、ナムン族のように多くの派閥が存在する。ヴェジラの実りを巡って派閥間では幾度も諍いが起こっており、それぞれの集落で暮らす別個の存在だった。ナムンは古い一派であったので、山裾の一部をナムンの領域として保持しており、概ね平和に暮らしていた。
ウージの民族が共通していた事と言えば、掟でグランディアとの不可侵を絶対としている事だけだろう。
不可侵という程ではないが、民族間の交流が著しく少ないのは、厳しい土地柄だった。
けれどガジンら子供の世代にとっては、そうではなかった。子供達は己らのコミュニティを形成していた。それは派閥の垣根を飛び越え、大人の知らぬ所で膨れていた。
子供達の遊び場はある湖の辺で、子供達のリーダーはナムンの次期族長たるガジンだった。
けれどそれが大人に知れた時、ガジンは激しく糾弾された。
その只中でガジンは、一頭の馬を連れて集落を飛び出たのである。
一日が経ち、二日が経ち――五日が経った頃には、大人の頭も冷え、ガジンの捜索に山中を歩き回ったが、ガジンの姿は何処にも無く、グランディアに入ったのではないかと言われた。
――十日が経った頃、ウージの幾つもの民族の中で、子供達が断食を始めた。
その段になってやっと事態の重大さを悟った族長は集結したが、主張は横滑りをし、何の解決にも繋がらないまま――やがてガジンの失踪から二十四日が過ぎた頃、ナムンの集落にグランディアの男がやって来た。
それが、ルーク・ウラウディだったのだ。
折良くその日、ナムンの集落に族長が集結していた。
ルークはそこで、大怪我を負ったガジンとその馬を保護した事を告げ、完治するまで自分が預かると約束した。
初めは胡散臭い、と信用ならなかったルークを、ギジムは酷く罵ったものだ。何の利にも得にもならぬ行為を、グランディアの人間がする筈もない、と。
それがグランディアがヴェジラから手を引いた理由だったのだから。
グランディアとの交易を失ったウージにとって、当時は打撃もあった。
故に息子は連れ帰ると、ギジムは山を降りてルークの屋敷を訪れた。
しかしガジンの予想以上の痛々しい有様と、手厚い看病を見て、一度は引き下がった。
特例中の特例と、ウージの民は下した。
それから一月の間、ガジンが集落へ戻れるようになるまで、ルークは毎日ナムンの集落を訪れ、その経過を報告した。
初めはグランディア共用語であったそれが、たどたどしいウージの言葉になる頃、集落では少しずつ変化が見られるようになった。
まず、子供がルークに懐いた。そして次に、女達が言葉を交わす様になった。気難しい長老達が、顔を見せるようになった。最後には男達が、共に笑いあう程になった。
彼が何か特別な事をしたようにはギジムには思えなかった。ただ何とも簡単に民の心に入り込み、受け入れられた。
そしてギジムも、そんな彼をそれ程不快に思わない自分を自覚していた。
けれど変化はそれだけではない。ルークが外から持ち込んだ風の故か、子供達の反発は増した。掟と親に従順であった子らは、大人の目を盗んで集まり続けた。共に山に暮らす民、隔たりは要らぬと、訴え続けた。
そしてそれは、ルークの主張になった。
ルークは子供達の声にならぬ叫びを代弁するように、ウージに介入するようになった。
それを疎ましく感じながら拒絶出来ずに、聞き入っている自分達がそこにはいた。
「子供の戯言より、掟が勝る」
そう言った誰かの発言は、全員の総意である筈なのに。
ルークの言葉は胸に響いた。
「子供はあと数年すれば、大人になります。貴方方が老い、衰えていくのに対し、子供はこれから勇みいく。掟は確かに大事でしょう。けれどこれからを生きていく子供の言葉を蔑ろにする、掟に意味はありません」
酷くたどたどしかった。思いの丈の半分も、正しく発音できていなかった。それでもルークがウージの言葉を操り、告げた想い。
「子供は諍いを望んでいません。それでも掟だから争えと、命じるのですか」
それは己らが過去に、子供時代に、感じた事では無かったか。
ルークの思惑が、どこにあるのか。当時はそれが酷く気に掛かった。何を意図しているのか、何故そうも真剣にウージに介入するのか。
それでも、ルークの言葉は真理だった。
ギジムは何度も悩んだし、その度にルークの存在を罵倒した。彼が来なければ、現れなければ、ウージは変らず平和だった。不変的に穏やかだった。子供を力で押さえつけ、彼らは大人になって同じ事をする。その繰り返しが、心と反するとしても。
何故、と聞いた事があった。
ウージはルークを疎みはしても、感謝はするまいと。
「私の自己満足です」
ルークは俯けた顔を上げ、きっぱりと言い放つ。
それがとても心地良く、信じるに値するものだとギジムには思えてならなかった。
そうして一番にナムンは、掟を変えた。
友愛の証にと、ルークに額飾りを贈ったのは、ナムンを代表したギジムとその妻だ。それは形式的なものではなく、感謝の印だった。
受け入れたのは、グランディア王国そのものではなく、ルーク・クラウディ。
けれどグランディアの法がルークと己らを隔たせるのなら、己らはグランディアの法さえも変える。
ウージが一つに纏まった時、彼らはそう決意した。
0
お気に入りに追加
61
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
王命って何ですか?
まるまる⭐️
恋愛
その日、貴族裁判所前には多くの貴族達が傍聴券を求め、所狭しと行列を作っていた。
貴族達にとって注目すべき裁判が開かれるからだ。
現国王の妹王女の嫁ぎ先である建国以来の名門侯爵家が、新興貴族である伯爵家から訴えを起こされたこの裁判。
人々の関心を集めないはずがない。
裁判の冒頭、証言台に立った伯爵家長女は涙ながらに訴えた。
「私には婚約者がいました…。
彼を愛していました。でも、私とその方の婚約は破棄され、私は意に沿わぬ男性の元へと嫁ぎ、侯爵夫人となったのです。
そう…。誰も覆す事の出来ない王命と言う理不尽な制度によって…。
ですが、理不尽な制度には理不尽な扱いが待っていました…」
裁判開始早々、王命を理不尽だと公衆の面前で公言した彼女。裁判での証言でなければ不敬罪に問われても可笑しくはない発言だ。
だが、彼女はそんな事は全て承知の上であえてこの言葉を発した。
彼女はこれより少し前、嫁ぎ先の侯爵家から彼女の有責で離縁されている。原因は彼女の不貞行為だ。彼女はそれを否定し、この裁判に於いて自身の無実を証明しようとしているのだ。
次々に積み重ねられていく証言に次第追い込まれていく侯爵家。明らかになっていく真実に、傍聴席で見守る貴族達は息を飲む。
裁判の最後、彼女は傍聴席に向かって訴えかけた。
「王命って何ですか?」と。
✳︎不定期更新、設定ゆるゆるです。
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
明智さんちの旦那さんたちR
明智 颯茄
恋愛
あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。
奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。
ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。
*BL描写あり
毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。
【完結】辺境伯令嬢は新聞で婚約破棄を知った
五色ひわ
恋愛
辺境伯令嬢としてのんびり領地で暮らしてきたアメリアは、カフェで見せられた新聞で自身の婚約破棄を知った。真実を確かめるため、アメリアは3年ぶりに王都へと旅立った。
※本編34話、番外編『皇太子殿下の苦悩』31+1話、おまけ4話
身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~
椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」
私を脅して、別れを決断させた彼の両親。
彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。
私とは住む世界が違った……
別れを命じられ、私の恋が終わった。
叶わない身分差の恋だったはずが――
※R-15くらいなので※マークはありません。
※視点切り替えあり。
※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。
裏切りの先にあるもの
マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。
結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる