38 / 64
第一章
帰城 3
しおりを挟む最初からあれ?と思う事は多々あった。ましてこの国の歴史であるとか階級であるとかを学んでからは、殊更だった。
けれど自分に秘密があるくせに、何故人様の素性を詮索出来るだろう。
例えば階級であれば神官の末席位であるスーカであるジャスティンさんが、スーカ・ジャスティンではなく、エスカ・ジャスティンと呼ばれる事。誰も彼もが、敬意を払っている事。王族であるティアやゲオルグ殿下、宰相であるシリウスさん等、異なる職務、身分の人間とも懇意である事。ティアの部屋で寛いでいる様子。
ジャスティンさんの本名は、ジャスティン・オルド=アラクシス、という。
アラクシス――つまり、王族である。しかもそれが、なんと、ゲオルグ殿下の長男。
国王陛下の幼少期には彼の側近で、アラクシス本家当主の座を継ぐのではなく、オルドの名を与えられ神官となった今でも、国王陛下の従兄弟として遇される。
彼が王位継承権を放棄しなければ、ティアに次ぐ第二位だった。
ゲオルグ殿下といい、ジャスティンさんといい、何て無欲な家系なのだろう。
そんな人の近衛隊長だった人が、身分も、姓すら持たない貧民窟の出身だったというのは、『赤の騎士』などという大袈裟なあだ名がついてもおかしくない事なのだ。
そしてそんなド偉い人に後見してもらっているのが俺なのだ。
改めてことの重大さを知った俺は、衝撃的な事実の数々に頭を抱えてしまった。
「それとな、お前に話しておきたい……というより、謝っておく事があってな」
しかも、そんな俺を驚倒させるような、ゲオルグ殿下の発言。
「お前の不在が、エディアルドに知れた」
あまりに堂々と告げるものだから、すぐには理解できなかったけれど、脳が意味を悟った時には心臓が止まった。
「――はっ!?」
倍速になる動悸と一緒に、脂汗が噴き出る。
「それもお前が城を出た当日にも、な。それでもアレが余の所にまで確認しにくるとは思いもしなかった。遠乗りに出たと誤魔化しはしたんだが、毎日お前の登城を急かすので、こうやって迎えに来たのだ」
「ななんなななな、何で!!?」
「それについては第三者の思惑が招いたとしか言えぬ」
だが、とゲオルグ殿下がため息とともに紡ぐ。
まだ何かあるのかっ、と俺は恐怖以外の感情を浮かべる余地も無く、
「目論見外れて、エディアルドの奴は相当怒り狂っていてな。お前の首、本当に飛ぶかもしらん」
冷静な宣告に、卒倒した。
『お母さん』
そう呼んで伸ばした手を振り払われたのは、遠い昔。思い出す母親はそうやって俺を疎んじるか、父親と喧嘩をするかだった。
『あの子は、女の子なのよ!?』
『だから何だ。ツカサはツカサだろう』
『男の子なら、三人もいるじゃない!!』
当時の俺には、その原因がしっかり分かっていなかった。厳しい父親の鍛錬も、男のナリをする事も、男言葉で話す事も、乱暴な動作も、怪我をこさえる日常も、当然だった。良くやった、と頭を撫でてくれる父親の大きな掌が、何にも変えがたい喜びだった。
同じ様に母親から賞賛されたいと望む、無垢な子供だった。
蔑ろにされる兄弟や両親の喧嘩の理由が、自分にあるなどと思った事も無い。
ただ母親が望むように、女の子の格好をして、人形遊びやピアノのレッスンを好む事は出来なかった。
『どうして言う通りにしてくれないの!!』
そう泣き叫ぶ母親に対して思ったのは、自分が完璧ではないからいけないのだ、という事だけ。
その完璧とは、女の子として、ではなく、男の子として、だった。
もっと逞しくなれば、もっと男らしくなれば、もっと強くなれば――そう思い込んでがむしゃらになればなる程、母親の不興を買っていると気付きもしなかった。
小学校からの帰り、母親が知らない男の車に乗ろうとするのを呼び止めた。鬱陶しそうに、振り払われた手。心の無い、冷たい睥睨。
『お母さん』
震えた声に応えたのは、かつてない程平淡で静かな声。
『あんたなんて知らない』
走り出した車を必死で追いかけたのに、泣き叫んでも、転んでも、母親は振り向いてくれなかった。
それから、その記憶は忘れられないトラウマになった。
過ごした時間も違えば、顔も、声も、似た所なんて一つも無い。
それなのに国王陛下の全てが、母親と重なる。
“―――っ!!”
思いは何時も声にならず、だから誰にも、届かない。
倒れていたのは数分だったのか、それとも数十分だったのか。
騒がしさに目を開ければ、部屋の中にはルークさんの姿があった。ただしルークさんの隣でゲオルグ殿下と睨み合っているのは、浅黒い肌の大男だった。その男の額には誰かを彷彿とさせる紐の装飾、耳には黄金のフープピアス。重たげなでっかい輪。
ぼうっとした視界でクリフが「大丈夫か」と問い掛けてくるのに頷いて応える。
「それより、」
入り口付近で睨み合っている彼らを、ソファに座りなおしながら見つめる。
大男の横には、何故か帰った筈のガジンの姿がある。
「何、これ。どういう事……?」
「それが今しがた、ロード・ルークがお連れになったのです」
クリフの耳打ちに重なるようにして、ゲオルグ殿下の口が開く。
「ナムンの族長がおいでとは、これはどういう事か」
「ルーク殿に無理を言ったのは、こちらだ。そのような視線を向けないでもらおう」
まるで火花を散らすかのように、厳しい顔の二人。
完全に蚊帳の外の俺とクリフ。それを幸いと、クリフが早口で説明をくれる。
「ナムンというのはヴェジラ山脈に住む民族の古い一派です。どうやらあの方は、その族長殿であらせられる様子。農場でゲオルグ殿下が仰いましたが、グランディアでは法律で、ウージの民の間では掟で、双方それぞれ不可侵である関係なのですが……ロードと彼らは顔見知りのよう、ですね」
困惑顔のクリフにつられるようにして、俺も眉を下げた。
つまりガジンもアッシャーも、村の子供ではなく、山岳民族の子供だったのか。額の紐も黄金のピアスもナムン族の証、らしい。
「わたしはナムンが族長、ギジム。それで、そちらは何方か」
「余は、ゲオルグ・アラクシス=グランドだ」
「ほう。身分ある方だとは息子の話から知ってはいたが、かような名のある方とは」
しかも話を聞く限り、ガジンはその族長の息子らしい。
ばちばちっと、火花の勢いが強くなる。
二人には見えて居ないのかもしれないけれど、またガジンが蒼くなってしまっている。
父親に叱られて蒼くなっていた弟を思い出して、居た堪れない気持ちが沸いてきた俺は、
「あのー……」
控え目に、言葉を挟んでいた。
結構小さめな声だったんだけど、二人とも、ぐりっと顔を向けてきた。
「とりあえず、座って話したらどうですか?」
お菓子も一杯あるしね、と付け足したら、ギジムと名乗ったガジンの父親が、眉間の皺を深めた。
「息子の話を聞くに、そちらはブラッド殿かと思われるが……何処で、ナムンの言葉を覚えられた?」
「――は?」
提案に対する答えじゃない、意味の分からない問いかけに首を傾げれば、再度尋ねられる。
「見たところグランディアの人間でもない、異国の者が――何故そこまで流暢に、ナムンの言葉を話す。ルーク殿とて完璧には程遠いというのに、」
「――あの、」
聞かれている意味が分からなくて視線を巡らせても、クリフとスチュワートさんは呆気に取られて固まっているし、ルークさんは嘆いているのか困っているのか判別つかない表情だし、ゲオルグ殿下に至っては、納得顔なのにフォローの一つもくれない。
何がおかしいのか、ちっとも分からないけれど。
「ブラッドは、信用できる人だよ、親父!!」
ガジンの懇願に近い叫びも意味が分からないけれど。
……俺は最初から、日本語しか話してないのだが、グランディアの言葉もナムンの言葉も、勝手に日本語に変換されて聞こえているという事だけは、その時やっと理解した。そして俺の話す言葉も、彼らに通じるように勝手に変換されているのだと。
どうやら今の俺の提案は、ナムンの言葉で紡がれた、らしい。
これは説明してもいいものなのか、と思案顔をゲオルグ殿下に向ければ、殿下が軽く頷いたので、俺は自分の素性を露にする。
「俺は最初から、自分の国の言葉しか喋ってませんし、自分の国の言葉にしか聞こえてません。それで通じるのは、どうやら俺が異世界人だから、で」
「ブラッドは余の身内になる者、とだけ言っておこう」
驚愕に塗れた族長親子に届いたか分からないゲオルグ殿下の付け足しを、俺は心中で否定しておいた。
0
お気に入りに追加
61
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
王命って何ですか?
まるまる⭐️
恋愛
その日、貴族裁判所前には多くの貴族達が傍聴券を求め、所狭しと行列を作っていた。
貴族達にとって注目すべき裁判が開かれるからだ。
現国王の妹王女の嫁ぎ先である建国以来の名門侯爵家が、新興貴族である伯爵家から訴えを起こされたこの裁判。
人々の関心を集めないはずがない。
裁判の冒頭、証言台に立った伯爵家長女は涙ながらに訴えた。
「私には婚約者がいました…。
彼を愛していました。でも、私とその方の婚約は破棄され、私は意に沿わぬ男性の元へと嫁ぎ、侯爵夫人となったのです。
そう…。誰も覆す事の出来ない王命と言う理不尽な制度によって…。
ですが、理不尽な制度には理不尽な扱いが待っていました…」
裁判開始早々、王命を理不尽だと公衆の面前で公言した彼女。裁判での証言でなければ不敬罪に問われても可笑しくはない発言だ。
だが、彼女はそんな事は全て承知の上であえてこの言葉を発した。
彼女はこれより少し前、嫁ぎ先の侯爵家から彼女の有責で離縁されている。原因は彼女の不貞行為だ。彼女はそれを否定し、この裁判に於いて自身の無実を証明しようとしているのだ。
次々に積み重ねられていく証言に次第追い込まれていく侯爵家。明らかになっていく真実に、傍聴席で見守る貴族達は息を飲む。
裁判の最後、彼女は傍聴席に向かって訴えかけた。
「王命って何ですか?」と。
✳︎不定期更新、設定ゆるゆるです。
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
彼女にも愛する人がいた
まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。
「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」
そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。
餓死だと? この王宮で?
彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。
俺の背中を嫌な汗が流れた。
では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…?
そんな馬鹿な…。信じられなかった。
だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。
「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。
彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。
俺はその報告に愕然とした。
明智さんちの旦那さんたちR
明智 颯茄
恋愛
あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。
奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。
ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。
*BL描写あり
毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。
身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~
椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」
私を脅して、別れを決断させた彼の両親。
彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。
私とは住む世界が違った……
別れを命じられ、私の恋が終わった。
叶わない身分差の恋だったはずが――
※R-15くらいなので※マークはありません。
※視点切り替えあり。
※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。
裏切りの先にあるもの
マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。
結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる