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なち

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第一章

幕間 アレクセス城にて 3

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いーーーーーやーーーーーーー!!

 声にならない悲鳴を上げながら、ウィリアムはアレクセス城の長い廊下をひた走った。
 髪を振り乱しながら必死の形相で走る自分を出来る事なら誰にも見られたくないが、兵士や女官達は通り過ぎるウィリアムを何事かと見、その度にウィリアムは泣きたくなった。
 ライドやリカルド二世が言うような女好き、という言い方は否定するが、実際女性に対してはこの上なく極上の愛想を振り撒いてきた自分だ。女官とは身分の違いからけして結婚を意識した付き合いはしないものの、それなりに、密やかな恋愛を楽しんできた。けれどそれはあくまでも、貴公子然とした、華やかで洗練された己が対象だ。間違っても汗臭さや男らしさなどというものを感じさせる己ではない。
 ウィリアム・アンサが廊下を全力疾走していた、等と噂が立とうものなら、恋の一つや二つが消える。いや、三つも四つも絶対消える。
『私は何時も必死なのに、ウィリアム様は何時だって余裕でいらっしゃる。憎い方……でも、そんな所が好きなの』
そうはにかんで言う女のなんて多いことか。
『ウィリアム様の好きな所? 勿論あの華やかなお顔』
『年下ながらライディティル様の手綱を握っている所が素敵よね』
『誰にだってお優しいのに、誰にも振り回されない孤高のご様子が格好良いのよねぇ』
そう言ってはしゃぐ女たちの井戸端会議を盗み聞いた事もある。
 憎むべきは予想外の行動を取ったリカルド二世か。陛下を謀った宰相シリウスか。
 しかし憎んでみた所で、この二人には何も出来ない。
 ならば、リカルド二世に対してツカサの所在を尋ねた自分か。
 しかし己を憎んでみた所で不毛だ。
 きっと己に興味を抱かせたツカサが悪いに違いない。
 脳内で、面白い玩具に位置づけたツカサに罵詈雑言を浴びせながら、ウィリアムは厩舎へ急いだ。

 ウィリアムが慌しく馬房へ駆け込むと、そこにはもう、リカルド二世も、彼の愛馬スティクスの姿も無かった。
 ただ呆気に取られて目口を見開いたままの馬番が、ウィリアムの足音に振り向いただけ。
「陛下はっ!」
 息も切れ切れにウィリアムが尋ねると、馬番の老人は慌てて帽子を取り(恐らく陛下の時には忘れてしまっていたのだろう)、頭を下げた。
「今しがた……」
 とは言え、既に蹄の音も聞こえない。
 危急を悟ったのだろうもう一人の若い馬番は、ウィリアムの馬を引き連れてやってきた。
「近衛隊長様以下二名が、後を追いになりました」
 すぐに馬上の人となって駆け出したウィリアムの背に、男の声がかかる。
 それを聞いてウィリアムは、思いっきり舌打ちした。

 走れども走れども、前を行くリカルド二世や近衛兵の姿は見つからない。
 ただあるのは、呆然と立ちすくんだ門番や、まるで妖怪か何かを見たように固まる者共の姿だ。
 無二の美貌を持つ国王陛下のお姿を、王都アレクサで知らない者は無い。他の誰とも間違えようの無い、賢帝とも慕われ、氷の心とも恐れられる至上の王。
 その人が、自ら馬を駆る、という事はけして珍しいことではない。数年前に同盟国で起こった戦に、自ら先陣を切って加勢した事もある。
 しかし彼が先導する近衛兵よりも前を、一騎で走りいく等という事は類に見ない。
 遠駆け以外で城を出る際には先立って触れを出すものだし、そうでなければ馬車での移動が主だ。
 しかし何の前触れも無く、全力で白馬を駆って飛び出してくる、などと誰が思おうか。
 グランディアの国王の性格からして、有り得ない。
 では一体何事か。
 幸いなのは、向かう先が貴族の居住区であり、目と鼻の先に位置するオルド家である事だろうか。
 これが市井であれば一人二人踏み殺してもおかしくないが、貴族たちは大抵己の屋敷から出てこない。広い庭の先の道路を王が馬で疾走しようと、それをそれと認識出来るものは少ないだろう。
 それ故の暴挙なのかもしれないが。
 結局ウィリアムが彼らと出会えたのは、オルド家の邸内での事だった。
 小隊長含む近衛兵三名は、王の馬と共に門の中で往生していた。ウィリアムを見ると、ほっと吐息を漏らす。
「サー・ウィリアム」
 敬礼と共に口を開く小隊長を、ウィリアムは手で制す。
「良く追ってくれた。陛下は中か」
「はっ」
 すいっと庭を抜けた先の屋敷の方角へ視線を走らせれば、ある者は腰を抜かしており、ある者は柱に縋って震えていた。
 そのありえない脅えの原因は、勿論。
「あとは私が預かる。お前たちは戻って良い」
「――はっ」
 三人が再度敬礼するのを待って、ウィリアムは半開きの屋敷の扉へと足を向けた。
 扉を潜ると、待っていたとばかりに、オルド家の家令が恭しく頭を垂れていた。
「お待ちしておりました、ウィリアム様」
 かつて王族であった主の近衛兵を務めていた彼とは、顔見知りであった。
「久しいですね、スチュワートさん」
「本当に」
 昔を懐かしむように目を眇めたのは一瞬だ。
「陛下はこちらに」
 足音を立てないスチュワートの先導で、ウィリアムは廊下を進む。
 その間に、スチュワートは仔細を説明してくれる。
「陛下は開口一番、『ツカサは何処だ』と申されまして、私はそのような方はいらっしゃらない旨をお伝えしたのですが――それがお気に召されなかったようで、」
 申し訳ございません、と軽く頭を下げられて、ウィリアムは頭を抱えたくなった。
「いらっしゃらないんですか?」
「ツカサ様とはどなたでしょう」
「……あのー、ほら、ジャスティン様が最近後見人を申し出られた……」
 オルド家はジャスティンが賜った、新しい姓である。故にこの屋敷は、ジャスティンが己の為に建てた。建って七年、新築の匂いはもうしない。
 オルド家の屋敷はジャスティンの嗜好で前時代に流行ったルディック建築で、何処と無く懐古的な匂いのする造りだが、それでも流行の調度と巧く調和し、ジャスティンの持つ雰囲気のまま、何時だって訪れる者を優しく受け入れてくれる。
 肩肘張った心をまず最初に解してくれるのは、家令服の似合わない逞しい体つきをした、スチュワートの控え目な笑顔だ。
 今日もまたスチュワートの緩い笑顔は、ウィリアムを和ませてくれる。
「ブラッド様という御名だと伺っていましたが、違いましたか」
「えーと、」
「ツカサ様――なんとも、聞き慣れない響きですね」
「えー……」
「詮索はいたしませんよ」
 ウィリアムが困ったように視線を彷徨わせている間に件の部屋へ辿り着いたのか、スチュワートが足を止める。
 そうして扉の前でノックをしよう、としたスチュワートが、何故だか一瞬躊躇して、数歩後退した。

 その瞬間だった。

 外開きの扉が勢い良く開き、ウィリアムを強打した。




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