32 / 64
第一章
幕間 アレクセス城にて 1
しおりを挟むエディアルド・アラクシス=グランディア・リカルド二世は、その日、見る者が見れば分かる程度に、不機嫌だった。
蝋で出来た彫刻のような顔形にその片鱗は見えねども、忙しく執務をこなす合間、彼はその不機嫌の原因を思い浮かべる。
原因はリカルド二世を苛立たせる事の数多くある、彼の言う所の暢気と阿呆の護衛コンビでもなければ、無駄に愛想を振り撒く宰相でもなく、初恋を引き摺る可愛い妹王女でもなかった。自分の顔色を窺ってばかりの臣下や、忘れたい過去を知る叔父でもない。
リカルド二世にとって義弟となる予定の、異世界から喚んだ貧弱な青年だった。
ナガセ・ツカサと耳慣れない名前を名乗った青年は、はっきり言ってリカルド二世にしてみればどうでも良い相手だ。
ただ妹であるティシアの婿になる、というだけの事である。
「言い過ぎだ」と護衛であるウィリアムに咎められる程度の毒を吐いた事もあるが、それはツカサという人物に特定しての話ではない。彼に対して特別な感慨を持った為では無く、それが妹の婿になるからというだけの話だ。
むしろ異世界から喚んだ相手であるから、それだけに留めた。
ティシアの幸福が約束された、揺ぎ無いものであるから――とは言え、リカルド二世自身は異世界人のもたらす恩恵など夢物語と信じてもいないのだが――【覚悟】を持たなかろうが、ツカサの存在を受け入れた。
ティシアの隣に存在する事を“許した”。
それだけの、歯牙にもかからない相手に自身が不機嫌にされるなどと、前日までのリカルド二世は露とも思ってはいなかった。
目の前で行われた召喚の儀式で現れた、間違いなく異世界人と分かる容姿をした青年。兎に角貧相だというのが第一印象だった。黒硝子のような瞳と独特の色味を持った肌は瑞々しく、容貌はまずまずといった感想を持った。ただし品性の欠片も無し。
文句を挙げようとすれば幾つでも数えられたが、それを数えた所で詮無い事だった。
ルーク・クラウディ以外であれば、誰でも良い。
それがリカルド二世の答えだった。
ティシアが好いた者、ティシアが選んだ者であれば、欠点があろうと、誰であれ結婚を認める――その考えは、リカルド二世の中で一貫して変わってはいない。ただそれは最初から、ルーク・クラウディを除いての話だった。まさかたった一人の例外をティシアが選ぶとは思ってもみなかったのだ。
これが同じクラウディ家でも、長男のガリオンや三男のバルツァーであれば承服できた。この二人に対してもティシアの選択肢にも入らないと考えてはいたが、仮に万が一その二人にティシアが好意を向けたとしても、許しただろう。彼らには王族という身分を与えた所で、何の害にもならない。
けれどルーク・クラウディは――彼だけは、異質なのだ。
リカルド二世が今まで対峙して来た人間は、大きく分けて三通りだ。
己を恐れ萎縮し、ただ脅え、惑うだけの能の無い者。自身に過剰な自信を抱く者は、己を侮り、掌握しようと野心を燃やす。上辺だけで諂い、巧く内心を隠せているつもりで何とも分かり易い者達だ。
そうして今一つが、己と志を共にする者。己と対等に立とうとする者。国王としてでは無いリカルド二世を、理解しようとする者だ。
けれどルーク・クラウディはそのどれとも違う。時に脅え、時に諂い、時に惑っても、そのどの行動・言動にも、中身が伴わない。そのどこにも真実が無い。思考が無いわけでも、感情が無いわけでもけしてない。
彼だけは、賢王と敬われ、稀代の才と賞賛される己を持ってしても、理解が及ばない相手だった。
そのような不安要素を、王国の懐に受け入れるわけにはいかない。
彼は何時かその異質さ故に、身を滅ぼす。その時はティシア諸共だ。
それならば、同じ不安要素でも、胡散臭い夢物語でしかない異世界人の方が遥かにましである。
後はただ信の置ける臣下達の手腕に任せ、この件はリカルド二世の手を離れた筈だった。
そうして概ね良好に、ナガセ・ツカサという異邦人はティシアの傍に馴染みつつあった。
――ティシアの選ぶ相手は、余の理解の範疇を超える。
書類の束を些か乱暴に捲りながら、リカルド二世は胸中で舌打ちを漏らした。
誰もがそうするように、初対面のナガセ・ツカサは己を見た瞬間に目を大きく見開き、息を呑んだ。そのまま呼吸が止まりそうな程に固まった。凍える視線とあだ名されるリカルド二世の視線を受け止めて、誰もがそうであるように戦慄し、目を逸らして縮こまる。後はただリカルド二世を恐れ、避けるだけ。
二度目に会い見えた早朝の鍛錬場では、今にも逃げたいと全身が告げていた。リカルド二世が吐いた鮮烈な脅しは効果抜群で、過剰に脅え、その後の一月ばかりはティシア至上主義のハンナまでもが心配を口にする程だったと聞く。
リカルド二世は満足した。
後悔など微塵も無かった。
己に萎縮する以上はけして馬鹿な真似はするまいと、反逆の意志すら見せず従順に、傀儡の如く、ティシアの幸福の為に傍らにあろうとするだろう、と。
しかし三度目の謁見では、けして拭えぬと思えた己への恐怖を、怒気で消し去って現れた。
リカルド二世を真正面から見据える者は、珍しい。それも憤怒を従えて、など。
一秒、二秒、数える間も無く、揺れる瞳は逸らされる。それが王としての冷厳さを備えたリカルド二世の常だった。
数多に漏れずそうであった相手が、ナガセ・ツカサが、射るような視線で己を睨む。
非難の篭った黒硝子の瞳に、その時確かに、リカルド二世の感情は波立った。
己の命の危険を顧みず、慮ったのがティシアの心であったからこそ。
私利私欲などあったものではない。ただ単純に腹を立てる様子に、激情のままの暴挙に、その根底にある意志を見た。
リカルド二世が抱く願いと同様、“ティシアの幸福”――それがあの時、ツカサを突き動かした衝動だった。
それを最優先に、国王たるリカルド二世を非難する。
ましてや張り倒そうとまでして、ティシアの涙を訴えた。
それが死に繋がる罪等と、恐らくは知らないのだろうと、リカルド二世は思った。
反逆と見て、その場で切り捨てられておかしくない不敬な行為だと、あの愚かな青年はけして知らない。
それでもツカサは、異世界人故にリカルド二世が望むのを諦めた“意志”を、“覚悟”を示してみせた。
否、あの時――リカルド二世は、異世界人故に、“意志”と“覚悟”を示したのだと――夢物語と否定してきた異世界人の恩恵を、一瞬信じた。
己の代わりに、ティシアを全身全霊をかけて守れる存在などと――思ってしまった自分が、何より愚か。
玉座についてからのリカルド二世の感情の揺り幅が、あの時程傾いだ事は無かっただろう。
リカルド二世の不機嫌の原因である、ナガセ・ツカサが吐き捨てた一言は、何度も何度も脳内に浮かび上がった。
『ただし、ティアとは結婚しません』
顔色一つ変えずツカサを見送ったリカルド二世の中で、ツカサが路傍の石から昇格したのか降格したのか、それは誰にも分からない。
リカルド二世がツカサに新たな烙印を押す前に、執務室をノックする音がリカルド二世の思考を遮った。
「陛下、失礼してよろしいですか?」
殊勝にそう言いながらも、返答の前に扉を開けるのは、国王の護衛であるウィリアム・アンサだ。常に国王の身を守るべく控えている筈の護衛が、その日数時間ぶりに姿を見せた。
護衛職を放棄するように、王城内ではリカルド二世に付き従っている事の方が少ないライディティル・ブラガットに対して、ウィリアムは概ね忠実である。
ではあるが――この日に限っては、「少し外出して来ます」と主の承諾も無いまま、近衛兵にその警護を一任して姿を消していた。
彼のその気ままさも、リカルド二世の不機嫌の一因でもある。
悪びれない様子で現れた護衛を、リカルド二世は冷ややかな視線で射た。
「お傍を離れまして、申し訳ありません」
肩を竦めて詫びてみせても、謝罪の意が篭って居ないのは一目瞭然だった。
リカルド二世の瞳の色が、凍りついた湖面のように更に温度を下げる。ぴくりとも動かぬ表情の代わりに、その瞳だけが何時も雄弁に物を語る。
けれどウィリアムには、リカルド二世の無言の非難など何処吹く風である。
「ところで、陛下」
そうして何時も通りの、リカルド二世には何ら効果の無い華やかな笑顔を浮かべて、地雷を踏んだ。
「ツカサ様は今、どちらにいらっしゃるのでしょう?」
0
お気に入りに追加
61
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
王命って何ですか?
まるまる⭐️
恋愛
その日、貴族裁判所前には多くの貴族達が傍聴券を求め、所狭しと行列を作っていた。
貴族達にとって注目すべき裁判が開かれるからだ。
現国王の妹王女の嫁ぎ先である建国以来の名門侯爵家が、新興貴族である伯爵家から訴えを起こされたこの裁判。
人々の関心を集めないはずがない。
裁判の冒頭、証言台に立った伯爵家長女は涙ながらに訴えた。
「私には婚約者がいました…。
彼を愛していました。でも、私とその方の婚約は破棄され、私は意に沿わぬ男性の元へと嫁ぎ、侯爵夫人となったのです。
そう…。誰も覆す事の出来ない王命と言う理不尽な制度によって…。
ですが、理不尽な制度には理不尽な扱いが待っていました…」
裁判開始早々、王命を理不尽だと公衆の面前で公言した彼女。裁判での証言でなければ不敬罪に問われても可笑しくはない発言だ。
だが、彼女はそんな事は全て承知の上であえてこの言葉を発した。
彼女はこれより少し前、嫁ぎ先の侯爵家から彼女の有責で離縁されている。原因は彼女の不貞行為だ。彼女はそれを否定し、この裁判に於いて自身の無実を証明しようとしているのだ。
次々に積み重ねられていく証言に次第追い込まれていく侯爵家。明らかになっていく真実に、傍聴席で見守る貴族達は息を飲む。
裁判の最後、彼女は傍聴席に向かって訴えかけた。
「王命って何ですか?」と。
✳︎不定期更新、設定ゆるゆるです。
あなたの弟子にしてください 〜サラリーマンと女子高生が出逢いました〜
紅夜チャンプル
恋愛
美少女の女子高生に「弟子にしてください」と言われ、一緒に住むことに‥‥
貴弘(たかひろ)は、小説の公募にも挑戦する普通のサラリーマン。ある日、母校の文芸部を訪れるとそこには大人びた美少女の女子高生の菜結(なゆ)がいた。そして彼女に「弟子にしてください」と言われ、さらに一緒に住むことになって‥‥
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
明智さんちの旦那さんたちR
明智 颯茄
恋愛
あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。
奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。
ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。
*BL描写あり
毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。
私のことはお気になさらず
みおな
恋愛
侯爵令嬢のティアは、婚約者である公爵家の嫡男ケレスが幼馴染である伯爵令嬢と今日も仲睦まじくしているのを見て決意した。
そんなに彼女が好きなのなら、お二人が婚約すればよろしいのよ。
私のことはお気になさらず。
身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~
椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」
私を脅して、別れを決断させた彼の両親。
彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。
私とは住む世界が違った……
別れを命じられ、私の恋が終わった。
叶わない身分差の恋だったはずが――
※R-15くらいなので※マークはありません。
※視点切り替えあり。
※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる