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なち

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第一章

嘘と真実 4

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 旅立ちは、なんとも寂しいものだった。
 目的が目的だから大袈裟な見送りは望めないものの、夜も明け切らない薄闇の中、見送る人も無くクリフと二人だけでアレクセス城を発った時は、何だか逃げ去るような心持ちになってしまった。
 外套を羽織り、ジャスティンさんとゲオルグ殿下の用意してくれた書状を胸元に大切に仕舞い込み、鞍をつけただけの馬に乗って、ひっそりと城を抜け出す。
 しんと静まり返った中、二頭の馬の蹄の音が響いて、それが何となく物悲しい気がした。
 胸が窮屈なのは、下着の上に身に着けた鎖帷子のせいに違いない。
 物騒な国ではないものの盗賊や山賊の輩が出ないとも限らない、と念の為用意されたそれは着慣れもしなければ見慣れもしなくて、時々服の下でぎしぎしと軋んだ音がする度に不思議で仕方がなかった。
 腰に帯びた竹刀と西洋剣にも違和感。
 ついでに言えば、今自分を乗せてひた走っている馬にも違和感。
 どうせならネロを連れて行きたかったけれど、まだ城にも慣れて居ないネロを連れて行くには日程にも不安があるからと止められてしまって、宛がわれたのは長距離走駆向けの茶色い中型馬だった。
 少し前を走るクリフの馬は若干色味の薄い馬だ。
 訓練された俺の馬はクリフが手綱を繰るその馬に着いて行くだけなので、操作は簡単。俺はただ乗っているだけ、という様子。
 だからこそ景色を楽しむ余裕も色んな事に思考を投じる余裕もあるのだけれど、その諸々の事に慣れてしまうと馬上が一気に退屈なものになってしまった。
 一度川べりで昼食を取った後も走り通しで、夕方に小さな町で宿を取る頃には、俺は既に疲れ切っていた。これが後何日も続いて、帰りもそうなのだと思うと、うんざりしてしまう。
 安宿――と言っても、寝室が二つもある部屋でクリフと二人夕食を取った後、凝り固まった身体に悲鳴を上げる俺は幾度とため息をついていた。
 何より尻が痛い。柔らかさの欠片もない皮の鞍は、俺の尻をひどく痛めつけていた。巧く乗るコツを教えてもらっていたけれど、流石に何時間も通用するものでもない。
 まあそんなのは俺だけで、クリフはちっとも痛手と思っていないようだけど。
 椅子に座っている事が出来ず立ったまま食事を摂った俺とは違い、クリフは硬い木の椅子に悠然と座っていたものだ。
 食後にはベッドに仰向けに寝転がり、ブランケットの下で裸の尻に濡れタオルを当てて、気遣わしげなクリフに「大丈夫」と応えられる気力もなかった。
 早々に寝に入った俺とは違い、クリフはテーブルの上に地図を広げ、明日の道順を確認してから寝たようだ。
 翌朝宿の主人に見送られ、夜よりは大分楽になった身体を馬上で揺らしていた俺は、朧な記憶しか無く、気付いた頃には次の宿で夕食を摂っているような有様だったが、三日目には馬足を速める事も出来、少しだけ遅れていた予定を取り戻す事が出来た。
 三日目の宿では夕食は部屋では無く、宿の食堂で摂った。比較的大きな町で、バーのようになっているスペースと犇くテーブルのスペース以外に、中央に大きく開いた部分があった。そのスペースでは綺麗な女の人が音楽に合わせて歌を歌い、楽器の演奏が成されて、宿の客や町の男達だと思われる人間が酒を酌み交わしながら美しい歌声に聞きほれていた。言葉も通じるし、グランディアの文字を見ても勝手に日本語に変換されていたのに、その歌詞だけはちっとも意味が分からなかった。クリフに聞けばグランディアの公用語である、何時も聞いているそれだというのに。
 吟遊詩人が作ったさる国の姫と従者の恋歌だとクリフが歌詞をなぞった時には理解できたのにおかしなものだ。
 四日目の朝、馬を交換してまた走り出した。帰りも同じルートを使うから、帰りにまた馬をここで取り替える予定だ。
 順調な道程はそうやって特に大きな問題も無く、六日目の昼前にルークさんの住むジェルダイン領に入った。
 ジェルダイン領は王国の管理する領地で、一応は騎士が領主として守ってはいるものの、辺境らしい長閑さと侘しさがあった。王都から離れるにつれ街も次第に華々しさを失ってはいたが、ジェルダイン領はそのどこともかけ離れている。
 ほとんど野っ原なのだ。
 道も砂利交じり。轍の跡すら薄れたぼこぼこの、それ。
 鬱蒼と茂る木々の群れ。その間に幾つかの集落がある、本当に代わり映えしない風景。
 家も屋根は藁じゃ? と思う程だけれど、まさに田舎と呼ぶに相応しい外観の家屋は、嫌いじゃない。
 牧畜を生業にしている地方だといい、人より家より、放牧された馬や豚や羊を見る事の方が多いくらいだ。
 時々羊飼いらしい少年や、畑仕事をする人、それから笑いながら駆けている子供を見かける。
 一度馬を止めて道を確認した時には子供たちが物珍しそうに群がり、道を教えてくれた老人は訛った口調で外の人を見るのは珍しいというような事を話した。
 ルークさんの住む小さな村は背後に山を背負った、風景としては写真集にでもなりそうな綺麗な所だったけれど、昔は領主館だったというルークさんの屋敷や家々は、赤茶けた煉瓦が色褪せて、ひどく草臥れた印象だった。
 屋敷も二階建て、四部屋くらいのアパートを連想してしまう。何となくイメージが、バス・トイレ無し、築六十年っていう感じ。
 村との境の分からない、庭なのか何なのか定かでない、学校の校庭のようなものの奥にその領主館は建っていた。
 村からの多少のうねりのある一本道の先のそこを、馬から下りたクリフに手綱を引かれながら、ゆっくりと歩いていく。仕事の手を止めて訝しげに見つめてくる村の住人達の視線に晒されながら、俺は馬上で背を丸め、堂々と先導するクリフの背中ばかりを見ていた。
 誰かが知らせたのか、それとも村の幾分緊張した空気に目ざとく気付いたのか、あるいは蹄の音でも聞こえたのか、俺達が屋敷に辿りつく前に、屋敷の中から幾人かの人間が飛び出て来た。一人は多少身なりのいい老人で、二人はメイドの服を着ていた。その内の一人は少女、とも言えそうだ。
 庭との境だと思われる辺りに走って来た老紳士に、俺は馬から下りようとしたのだけれど、それはクリフに止められた。
「一体、如何用でございましょう」
 うろたえる老紳士に、クリフは凛と言い放つ。
「王都アレクサから参った。ルーク・クラウディに目通り願う」
 それから振り返ったクリフは何時もの穏やかな口調で、俺に「シゼル」と呼び掛けた。今までの道程で何度もあった、書状を出してくれという合図だった。
 俺は胸元を漁って、円筒ごとそれをクリフに手渡す。
 気付かれないように大きく息を吸い込んで、ブラッドとしての、作った微笑みを口元に浮かべた。これまでの、ジャスティンさんの遣いの小姓では無く、ここからは、ダ・ブラッドとして事に当たるのだ。
 そんな風に気を引き締めると同時、背筋を伸ばす。
 相変らず尻は痛かったけれど、そうも言っていられない。
 アレクサから、と呟いて老紳士は震える手で円筒を受け取った。鞣革の円筒はそれだけで高級感が溢れており、それだけを売っても半年を遊んで過ごせるくらいの金銭的価値があるという。つまり見る者が見れば、それはどういう立場の者からの書状かという事が一目瞭然ということで。
 緩慢な動作で書状を開いた老紳士は、皺に囲まれた青い瞳を見開いて、息を呑んだ。
「我が主は、お疲れでいらっしゃる。理解したなら、中に通してもらおう」
 老紳士の理解を確認するなり、クリフは俺を振り仰ぎながらそんな事を言って、老紳士を更に萎縮させた。可哀想に俺を見上げた老紳士は、今にも卒倒しそうなくらい青くなっている。
 少し離れた所でこちらの様子を窺っていたメイド二人は、どうしたらいいものか、とエプロンを握り締めてしきりに顔を見合わせていたが、老紳士が深く頭を垂れると自分たちも慌ててそれに従った。
「失礼致しました、シゼル。すぐに……っ!!」
 こちらへ、と屋敷の方向を示す老紳士に鷹揚に頷くクリフが、すごく偉大に見える。城の近衛兵だったり小姓の護衛だったりダ・ブラッドの従者だったり、という立場を、クリフは器用に使い分ける。話口調一つ、醸す空気一つ、態度一つ、今のクリフは気軽く話しかけやすい要素が無い。それが俺の身分というものを、知らず引き上げるような気がする。
「お客様のご用意をすぐに」
 老紳士の命じるまま走り去るメイド二人にも事の次第が伝わったのか、その背中にすら緊張感が漂っている。
「頼む」
 そんな様子を憐れにも申し訳なくも感じながら、俺は歩みをクリフの先導に任せ、馬上からそれだけ言った。
 時間をかけて屋敷の扉前で馬を下りると、その頃には屋敷のメイド達がずらっと並んで、頭を下げていた。農夫とも変らない男性が数人いるぐらいで、後は全員女性だ。とても貴族の家に仕えるような雰囲気は無く、素朴なこの村の住人、という感じ。多分感じた通りなのだろう。
 王都の洗練された空気を持つのは、老紳士と中年の女性が一人。あとは体格の良い、青年一人といった所だ。礼の仕方が様になっている。
 馬をその内の一人に任せて、俺とクリフは老紳士の促すまま一室へ通される。
 外観とは違って、内部は掃除が行き届いているのか、城に比べるべくはないが綺麗なものだった。通された部屋も城程では無いものの、調度品も品が良い。ソファの感触も悪くないし、出された紅茶も美味しかった。
 この世界に来て目も舌も肥えてしまった俺には何となく物足りなくもあったけれど、それでも落ち着く雰囲気だ。
 洗練されている、そんな感想が沸く。
 メイドすら部屋を去った事に安堵し深くソファに沈みこむ俺を、脇に立ったままのクリフが労ってくれる。
「お疲れ様でございました」
「クリフも」
 普段は撫で付けた髪の毛を自然に流しているクリフは、見慣れた甲冑姿でない事も相俟って、身近に感じられる。
 服というのは本当に、人の印象を変えるものだ。
 城で見る彼は兵士でしかないのに、今目の前にいる彼は近所のお兄さん、とでもいえそう。
「勿体無いお言葉です」
 それでも、中身はどこまでいっても生真面目なクリフなんだけど。
「いやいや。何から何までお世話になりっぱなしで」
「それが私の役目です。どうかお気遣い無いよう」
 気の緩んだ俺とは対照的に、今も外の気配を鋭敏にした感覚で窺っているのだろう。時々ちらりと扉の方に走る視線は、鋭い。
「でも、何事もなくて良かったよね」
「そうですね。後は目的が達せられる事を祈るばかりです」
「確かに。……でも、突然来ちゃったからこの家の人には悪かったな、色々」
 ルークさんはまあ置いておいて、あの執事さん風の老紳士とかメイド達の慌て振りは本当に可哀想だった。予定外の来訪者は王都アレクサからやって来て、しかも王族のゲオルグ殿下の書状すら携えて来たとあってか、特に老紳士は何か悪い事態でも想像したのか、目が合うたび不安そうだった。
 辺境に飛ばされた主に今度は一体何が、という所なのだろう。
 書状には詳しい事情は書かれておらず、俺の身分を証言するだけのものであったから、尚不安なのだろう。
 そんな風に思う俺とは違って、クリフは当然の事ですと一蹴した。
 でもさ、老紳士の緊張が伝播したのか給仕してくれるメイドも一様に青い顔をしていた様はやっぱ、とっても可哀想だよ。
 そんな事を呟いたら、クリフは「ツカサ様はお優しい方ですね」なんて感慨深げに頷いて、何時かのように歪なイメージを植えつけてしまったようだった。




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