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第一章
嘘と真実 2
しおりを挟む気を落ち着かせるためだったのだろう。彼らは部屋に用意された水差しからコップに水を注ぐと、一気にそれを飲み干した。
それぞれがどっかりと、ソファやら椅子やらに腰を落ち着ける。何時も毅然としているハンナさんやジャスティンさんも脱力している所を見ると、何だか釈然としない気持ちが湧く。
「ツカサ様がティシア様とご結婚なされないとなったら、どうなりましょう……」
それでも一番に覚醒したのは、一番憔悴していたハンナさんだった。流石ティアの、信頼厚い侍女といった所だろうか。
何よりもまずティアを案じる姿は、まさしく従者の鑑だ。
「結婚、という事に関しては、ティシア王女に選ぶ権利はなくなるでしょうね。陛下が然るべき縁談をご用意される事でしょう」
逡巡してから、冷静に応えるのはジャスティンさんだ。
けれどそれは、ただの事実確認だ。
最初からそうなる事は分かっていた。一度ならず二度、人選に失敗したティアに、国王陛下は次の機会を与える事は無いだろう。
俺は結婚が女の幸せなんて考えには否定的だし、一生独身で居れば問題ないんじゃないの、と思ってしまうけれど、それが王女であるティアの義務なのだという認識は、誰もが持っている事のようなので言及はしない。
ティアには愛情を持っている国王陛下らしいから、ティアにとってそれ程問題になる相手が選ばれる事はないにしろ――。
「妥当な所ではハルモニアの第二王子辺りに嫁ぐか、侯爵の息子を婿にでも取る事になるだろうな。レオハルトの所にも頃合の男子が居たか?」
レオハルト・アラクシス――王家の血筋の人だったと記憶している。多分今挙がった人達は家柄も性格も申し分ない相手ではあるのだろう。
「感情に目を瞑れば、それなりの幸せは手に入るだろう」
「……それなりの、」
沈痛な表情でハンナさんはゲオルグ殿下の言葉を繰り返す。
それなり、というのがどの程度のものなのか俺には分からないけど、少なくとも家庭環境は悪くない筈だ。相手が愛人を作る、とか。毎日喧嘩する、とか。子供を虐待する、とか。泣き暮らす羽目になる、とか。俺が想像できる嫌な家庭になる相手を、きっと結婚相手に選ぶ事はないのだろうし。そんな事になったら国王陛下は相手を八つ裂きにしそう。
でも夢や希望の無さ過ぎる結婚生活――長い時間一緒に過ごすわけだし――考えただけでも気が滅入る。想像するだけの俺がそうなのだから、当の本人はどれだけのものか。
そういう覚悟を最初から持っていたとしても、出来るなら御免だろう。
「……だから、そういう事にしない為には、もうルークさんと結婚させるしか選択肢なくない?」
俺が結婚出来ないのだから、ルークさんを取るか陛下の采配に任すかの二つに一つだ。
堂々巡りを繰り返しそうな面々を見ながら訴えれば、四人はまたしても、可哀想なものを見る目で俺に視線を向けてきた。
「……何の為に、ツカサを召喚したんだろうなぁ」
しみじみと嘆息交じりに呟くライドに、それは俺の台詞だと心中で突っ込む。
ティアの結婚相手に喚び出したのにそれが無駄となってショックを受けるのは勝手だが、だからといって用無しだとばかりに言われてはたまったものではない。
いっとくけどそっちが勝手に喚んだんだから、俺に罪は無いぞ!!
「結婚そのものよりご自分の身の保証を第一とされた理由が、今なら分かります。そういう事情なら最初から仰って下さればよろしいのに。そうしたら無駄な時間を費やす事も、ティシア様が苦しむ必要もございませんでしたわね」
「それは仕方ないでしょう。あの場でその事実が分かっていたら、少なくとも陛下は、無かった事にされたでしょうし」
「無かったこと、っていうのは……?」
ハンナさんの皮肉をフォローするジャスティンさんの言葉に、俺は瞬間興味を惹かれて聞いた。聞いた後にすぐ、後悔する事になったけど。
「その場で切り捨てて、土の中か」
「翌日の豚の餌だな」
ライドとゲオルグ殿下の淀みない返答に、思わずそれを想像して、背筋に悪寒が走った。ぶひぶひ鳴くピンク色の丸っこい動物が、愛らしい目を輝かせながら自分の身体に殺到してくる想像は、ある意味では微笑ましい場面かもしれないけれど、野犬の群れに襲われるよりは現実味があって恐怖もひとしおだ。
そんな事態にならなくって、本当に良かった。
「今となっては、流石に友人がそんな目に合うのは寝覚めが悪いしなぁ」
ライドが友情を感じてくれているのは嬉しいが、けれど友人がそんな目に合っても寝覚めが悪い程度なのか……。
何ともいえない顔でライドと二人見つめ合っていると、ゲオルグ殿下が話を纏めるようにして口を開いた。
「まあティシアの結婚は当人同士の問題だ。お互いに気の済む方法を考えるんだな。
それより、ツカサの事はどうするのだ?」
「……俺の、事……?」
「ああ。ティシアの成人までは良いが、何時までもダ・ブラッドのまま王家の客人として置いておくわけにもいかぬだろう。第一エディアルドがツカサの存在を黙認するかどうか」
「それについては、既に一度話し合った事がございましたね。お約束しました通り我がオルド家はツカサ様の後見人として、今後もツカサ様の生活を保証致します」
「俺も前々から考えていた事が。ティア王女と結婚した折には恐らく政務には向かないだろうから、ツカサはゆくゆくは王女の近衛隊長にするって事で騎士見習いにしてはどうかと進言するつもりでした」
俺が唸りかけた所で、ジャスティンさんとライドが挙手をして言葉を紡いだ。ゲオルグ殿下へ向けての発言だったのか、ライドのそれは何時もよりいくらか丁寧だった。
後半のライドの話は寝耳に水の事だったので、俺はきょとんと瞬く。
俺の中でティアとの結婚はありえない事だったけれど、それを置いてもこの世界での俺の存在を確立する為には、役割が必要不可欠だっていう認識はあった。それこそ城の掃除でも雑用でも何でもござれ、出来る事なら何でもしますよ、という位に。
「ああ、それはよろしいですね。ツカサ様なら王女の御身をお守りするだけでなく、友人にもなりえましょうし、精神的な助けにもなる事でしょう」
「王女の身辺に侍る者としては、信頼が置けると私も思います」
ジャスティンさんとハンナさんが同意するように頷けば、ゲオルグ殿下も鷹揚に頷いてみせる。
けれど少しだけ、眉間の皺を深めた。
「それはいい案だとは思うが、女を騎士にするのは前例が無い。貴族院の反発は目に見えておるし、エディアルドをどう説得する?」
男尊女卑。そんな単語が頭に浮かんだ。大っぴらに女性が卑下される世界ではないにしろ、女性の立場は男性に比べれば低い。女は嫁いで子供を生み育てる事が第一で、その上で職業を持つ分にはまだ許せる、というぐらいのもの。それでも男性と並び立つような職種や地位にはまだまだ立てないのが現状である。
ことそういう思想でがちがちに凝り固まった貴族、特にその代表者たる政治の二大派閥の内の貴族院は慣例を覆す事を是としない。
「まして騎士のプライドもあろう」
また、騎士は古くから王国と王族を守ってきたという矜持もある。代々一族で受継いできたその職業兼称号を、どこの馬の骨とも知らぬ、それも女に与える事を受け入れるかどうか。
誰も彼もがライドのように頭が緩いわけでは無い。
「それでも主達がこぞって押し通せば承認はされようが――それは後に響くだろうな」
いい案、とは言ったものの、ゲオルグ殿下は明らかにその可能性を否定していた。
そして三者の曇った表情を見るに、俺が騎士になるというのは簡単ではないし、歓迎されない事態なのだという事も分かる。
少しだけ、期待したんだけどなあ。
どんな仕事を宛がわれても文句は言わないけれど、騎士なんてちょっと格好良さそうだし、ティアの近衛だったら気も楽だっただろう。
押し黙る四人には他の案は思いつかないのか、首を捻ったり視線を泳がせている。
ライドに至っては爆発した自身の頭をかき混ぜながら、さらに酷い状態にしている。あのまま混ぜていたらアフロ調になるんじゃないかと、密かに期待。
……そんな場合ではない、とまたしても明後日の方向に彷徨いだした思考を引っつかんで留めた。
結局は俺にも、ルークさんとティアをくっつけるという以外の部分は、全く何も考え付かないわけで。
――用無しになった俺の存在を、さて、どうしよう。
「異世界から召喚した方と結婚しない、という前例もこざいませんし……そんな方を蔑ろにして王女が別の方と結婚したなどと分かっては批難もありましょう。そうするとツカサ様を召喚した事はこのまま内密にしたい所ですね」
「何もないなら余が貰い受けようか? 都城の道すがら拾ったとでも言って、小姓にするのも面白い……ああ、女なら愛人という手も、」
「殿下、戯言は時と場合をお考え下さい」
「そのような理由で小姓にするなら、ティシア様につけとうございます」
――とか何とか、言い合っているのを聞きながら、俺の存在を邪険にしないでいてくれるのは嬉しいと思う。小姓ってつまり、殿下とかティアのアッシーみたいなものだろう? 全く全然事情を知らない人間を相手にするより、よっぽどいい展開だと感じる。
だからある意味では引く手数多の状態が嬉しい。
あ、勿論殿下の愛人っていうのは冗談でも御免だけど。
ぜひそうして下さい、と口を開こうとした時だった。
それまで黙りこくって髪の毛を混ぜくり返していたライドが、飛び跳ねる勢いで立ち上がって、皆の視線を集めた。
「考えてみりゃ、ツカサが女だってバラす必要ねぇじゃん!」
呆気に取られる俺達を見回して、ソファの上に立ったライドはまるで演説をするよう。両手を大きく広げて、言い募る。
「今までだって女だって誰も気付かなかったんだ。今後もそれでいいじゃねぇか! そうすりゃハンナの教育も無駄にならねぇし、ツカサを騎士に育てる事だって容易い。何てったってエスカ・ジャスティンが後見人だ、男なら問題ない。立派に騎士として通用するようになったら、女だって暴露してもいいわけだしなっ!!」
――考え過ぎて、脳みそ沸騰しちゃったのかな?
何でわざわざ嘘を貫いて、騎士にならなくてはいけないのだ。それなら小姓で充分満足だ。
自信満々に言い切ったライドを呆れ顔で見つめていたら、背後でゲオルグ殿下が大笑い。
「それで行こう!」
思わず振り返ればジャスティンさんやハンナさんまで晴れやかに頷いていて、俺は顎が外れるんじゃないかってくらい大口を開けて固まってしまった。
それこそ面倒事だと思うのは、どうやら俺だけのようだ。
それとも皆して頭おかしくなっちゃったんじゃないかと、困惑した頭で思えたのは辛うじてそれだけだった。
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