22 / 64
第一章
辺境からの手紙 6
しおりを挟む俺は今まで、基本的に『嫌い』と思う人間は居なかった。性格が合わない、とか、苦手という対象は居ても、だからと言って嫌悪するという事は無かった。
でも、今。
断言できる。
俺は陛下が『大嫌い』だ。
陛下が俺を、無価値の、ただ生きているだけの存在としか思っていなくても、だから何なのだろう。俺を認めてくれないからといって、俺が傷つく理由なんて無い。
だって別に、好きになって欲しいわけでも無い。むしろあっちが関わりたく無いように、こちらだってそうだ。
あちらが俺を石ころ程度に見ているなら、それでいい。
陛下は俺にとっては虫だ。いや、それ以下だ。
っていうか、機械。何気なくつけたテレビみたいなものだ。何もやる事がなくてつけたどうでもいいチャンネル。スピーカーから意味の無い音が流れ出てくるだけ。そして頭に入る事なく素通りしていくだけ。
それぐらい、陛下の言葉は無意味。
テレビが俺を、俺として認識するなんてありえない。むしろおかしい。
だから、陛下が俺を「ナガセ ツカサ」という一人の人間として扱う事自体が、天変地異もの。
それでいい。
今までの恐怖も脅えも、陛下に対してじゃない。トラウマ故だ。
陛下なんて何でも無い。
卑屈に感じる理由なんて、ひとっつも!!
無いんだからなっ!!!
「……俺の役割は、ティアに幸福を与えて、王国に安寧をもたらす事?」
それが異世界人のもたらす恩恵なのだろう、と、暗い笑いを浮かべながら、俺は聞いた。
対する陛下は、
「王国の安寧までは期待してない。貴様の力など必要ないし、貴様にそれを望むのは無駄だろう」
本当に一言多いんだよっ!!
でも、言質は取った。
「分かった。じゃあ俺は、ティアを幸せにする」
陛下の瞳が、僅かに見開かれた気がした。恐らく俺の目の錯覚だろうけど。
「そうしてくれ」
何とか舌打ちしたい気持ちを踏みとどまらせて、俺は踵を返した。
もう少しでも、この人と一緒にいたくなかった。
振り返れば、こちらを見つめている六つの目。ウィリアムさんは呆気に取られて、うろたえていた。シリウスさんは穏やかな微笑みを見せた後、書類の束を手にとる。ゲオルグ殿下に至っては「何だ、もうしまいか」と、やはり陛下と血が繋がっているんだなと思わせる、余計な一言を呟いた。
俺はそんな三人にただ頭を下げるだけに留めて、一直線にドアを目指す。
そしてノブに手をかけたと同時、
「ただし、ティアとは結婚しません」
言って、振り返った。もう一度国王陛下を睨みながら、
「結婚しなくても、ティアが幸せになれば文句はないだろう?」
挑発的に笑ったつもりだった。
答えを聞く前に部屋を出たので、その後の事は分からない。
ただ、答えなど必要ないのだ。
――そうして、賽は投げられた。
言いたい事を言ってすっきりした俺の足取りは軽かった。気を抜けば鼻歌を歌うかスキップでもしそうな態で、案内された道を帰る。
来る時は息苦しく感じられた場所なのに、今は清々しい。
ディジメンドの廊下を歩くラフな装いの俺に、皆一様に怪訝な視線を向けてきたが、それすら気にならない。
入る時に腹を立てた二人の番兵に対しても、無駄に笑顔を振りまいてしまう。それを彼らはひきつった表情で見送った。
残すは、もう一仕事。
一気に肩の荷が下りて、馬車に乗り込んだ時には腑抜けすぎていた。
だから中々馬車が走り出さず、代わりにドアがまた開いた時、向かい合わせの座席に足を投げ出している俺の姿は、完全に外から見られてしまったわけで。
「……殿下!?」
慌てて足を下ろしてみても、後の祭りだった。
ドアを自らで開けたらしいゲオルグ殿下は面白そうに肩を竦め、俺の姿勢を叱る事もせず、声を立てて笑い出した。
「余も乗せろ」
笑いながら、殿下は今しがた俺が足を乗せていた方の座席に座る。そうしてから小窓を叩くと、馬車は数秒の後走り出す。
突然現れたゲオルグ殿下に目を白黒させながらも、くつくつ笑う殿下をただ見つめていた。
ようやく、といった感じでゲオルグ殿下が笑いを納めたのは、随分後の事だ。
オールバックにした髪を撫で付けるようにして、口を開く。
「ツカサが、」
目元に優しい笑みを湛えたそれは、けして俺を責めるような所も無い。冷静になった頭で考えれば俺がした事は不敬罪として罰せられても仕方がないものだったが、ゲオルグ殿下はちっとも気にしていない風だった。
一番上まで止めていた服のボタンを寛げながら、続ける。
「ティシアの婿になるのも楽しみだったが、余はこの展開も歓迎するぞ?」
そうして先程俺がしていたように、俺の席の隣に足を投げ出すので驚いてしまう。そうくるとは思っていなかったので、ちょっと新鮮だ。
だからといって真似する気にはとてもなれなかったけど。
「エディアルドにあんな物言いをするとは、思ってもみなかった。確かツカサは、エディアルドを怖れてなかったか?」
「……昨日までは、確かに」
初めてゲオルグ殿下に会った時、それからこれまでの会話という会話で、ゲオルグ殿下は俺が陛下に持っていた感情を全て知っている。その上で、俺が陛下を身近に感じられるような過去を話して聞かせてくれたし、幾つかの助言をくれた。そういえば、陛下の目を見たら逸らさずにいろ、という助言は結局意味が分からないままだ。今日はずっと彼を睨んでいたけれど、殿下のいう所の面白いもの、というのは確認出来ていない。あの変化に乏しい瞳に、一体何があるというのか。
――などという疑問を口にする前に、再度ゲオルグ殿下の口が開いた。
「どういった心境の変化だ?」
俺は少し迷った上で、ルークさんからの手紙について語った。
「陛下は確かに恐ろしいし、温かみもないし、出来れば一生近づきたくもないし、目を合わせるのすら、同じ空間にいるのすら緊張する程の存在でした。でも、何かそういう風に思っている自分が馬鹿らしくなったんです」
「馬鹿らしい?」
「はい」
そう思った所で意味が無い。
「俺がどう思おうと、陛下の認識は変らないのに――勝手に陛下に振り回されて疲弊している自分は、意味ないって。
それにあの人に逆らう事が自分の身の危険だって思ってたんですけど。
……確かに、陛下にはそれだけの力があって、簡単にそれが出来てしまうんでしょうけど、」
それが、世界の常識だ。国王陛下は唯一無二。誰もが頭を垂れるだろう。誰もが敬うだろう。心の中で何を思っていても、例えば「あんた馬鹿?」なんて事を素直に言ってでもしようものなら、即座に首を刎ねられても仕方がない。
でも、俺は所詮異世界人だ。この世界の常識の範疇外だ。
「俺が、従う必要なんて、無いと思うんです」
郷に入れば郷に従え、という言葉がある通り、自分の領域を出て他人の領域に入れば、その領域の決まりを守るのは普通だ。それを守らなければ、何があっても仕方がない。でも従うか従わないかを選ぶ権利は、ある筈なのだ。
「異世界人の俺が幸福と安寧を呼ぶ過程で結婚という行為があるとしても、ようは俺は、その二つを満たす限り、何の制約も受ける必要が、無いんじゃないかって。グランディア王国の国民じゃないんだし、まして陛下の臣下でも無いし、つまり陛下を陛下として敬う必要自体も無いんじゃないかって。だから役割を果たす限り、我侭をいう権利も主張する権利もあると思うんです。
陛下は先程国の事はいいって言ったし、ティアが幸せである限り、俺が陛下に殺されるっていうのは――完全に陛下の私情になりませんか? それって良識ある一国の王がする事じゃありませんよね?」
ティアの性格上、彼女が「不幸です」なんて言う事があるなんて思えない。
そう考えたら自分は結構安全な立場にいるのではないか――なんて、楽観的過ぎると言われればそれまでだけど。
「陛下が国王として完璧であろうとするなら、俺のこの考えって通る筈なんですよね。それで通らなければ、運が悪かったと思って諦めます」
「命を?」
それまで黙って聞いていたゲオルグ殿下の言葉に、頷く。
「だって、運が悪ければ――誰だって何時だって死ぬでしょう? それは俺の世界でもそうです。そういう意味で言ったら、俺はこの世界に召喚された時点でもう、運が悪いんです」
言い切った俺は、満足そうに向かいを見つめたけれど、俯いたゲオルグ殿下の表情は分からない。
――というか、どうやら。馬車の稼動以外の揺れ方を見ると、笑っているようだった。小刻みに震える肩が、次第に大きくなっていく。
そうして最終的には――これはもう、爆笑と言っていいと思うんだ。大きな口を開けて整った歯列を剥き出して、まるで子供みたいに相好を崩す。
「はっは!! 確かに、その通りだな。どうやら余らは、貴公を見誤っていたようだ!」
そしてぐっと顔を寄せてきた殿下に、俺の方は思わず仰け反った。その所為で壁に頭を打ってしまったが、ゲオルグ殿下は気にもしてくれない。
「余は、貴公を気に入ったぞ、ツカサ!」
ただ楽しそうに笑うその様子に、俺は曖昧に微笑み返した。
0
お気に入りに追加
61
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
王命って何ですか?
まるまる⭐️
恋愛
その日、貴族裁判所前には多くの貴族達が傍聴券を求め、所狭しと行列を作っていた。
貴族達にとって注目すべき裁判が開かれるからだ。
現国王の妹王女の嫁ぎ先である建国以来の名門侯爵家が、新興貴族である伯爵家から訴えを起こされたこの裁判。
人々の関心を集めないはずがない。
裁判の冒頭、証言台に立った伯爵家長女は涙ながらに訴えた。
「私には婚約者がいました…。
彼を愛していました。でも、私とその方の婚約は破棄され、私は意に沿わぬ男性の元へと嫁ぎ、侯爵夫人となったのです。
そう…。誰も覆す事の出来ない王命と言う理不尽な制度によって…。
ですが、理不尽な制度には理不尽な扱いが待っていました…」
裁判開始早々、王命を理不尽だと公衆の面前で公言した彼女。裁判での証言でなければ不敬罪に問われても可笑しくはない発言だ。
だが、彼女はそんな事は全て承知の上であえてこの言葉を発した。
彼女はこれより少し前、嫁ぎ先の侯爵家から彼女の有責で離縁されている。原因は彼女の不貞行為だ。彼女はそれを否定し、この裁判に於いて自身の無実を証明しようとしているのだ。
次々に積み重ねられていく証言に次第追い込まれていく侯爵家。明らかになっていく真実に、傍聴席で見守る貴族達は息を飲む。
裁判の最後、彼女は傍聴席に向かって訴えかけた。
「王命って何ですか?」と。
✳︎不定期更新、設定ゆるゆるです。
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
彼女にも愛する人がいた
まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。
「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」
そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。
餓死だと? この王宮で?
彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。
俺の背中を嫌な汗が流れた。
では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…?
そんな馬鹿な…。信じられなかった。
だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。
「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。
彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。
俺はその報告に愕然とした。
明智さんちの旦那さんたちR
明智 颯茄
恋愛
あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。
奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。
ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。
*BL描写あり
毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。
【完結】辺境伯令嬢は新聞で婚約破棄を知った
五色ひわ
恋愛
辺境伯令嬢としてのんびり領地で暮らしてきたアメリアは、カフェで見せられた新聞で自身の婚約破棄を知った。真実を確かめるため、アメリアは3年ぶりに王都へと旅立った。
※本編34話、番外編『皇太子殿下の苦悩』31+1話、おまけ4話
身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~
椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」
私を脅して、別れを決断させた彼の両親。
彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。
私とは住む世界が違った……
別れを命じられ、私の恋が終わった。
叶わない身分差の恋だったはずが――
※R-15くらいなので※マークはありません。
※視点切り替えあり。
※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる