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第一章
辺境からの手紙 5
しおりを挟む待たされた時間は20分程度の事だった。外が騒がしくなったな、とカーテンを引こうとした瞬間にドアがノックされ、御者がドアを開けてくれると、礼をした正装姿のウィリアムさんが立っていた。
そんな短時間で済むのなら、さっさと呼んでこいってんだ。
待たされていた間、抑圧されていた不満が次から次へと湧き出していた俺の心中はまさに嵐の様相で、臨戦態勢だった。
俺の仏頂面をどう取ったのか、何時もの艶やかな顔形を苦笑に歪め、ウィリアムさんが口を開く。
「大変お待たせ致しまして、申し訳ございません。まさか、シゼ・ブラッドがおいでになるとは……お呼び頂きましたら、こちらから伺いましたものを」
そこでウィリアムさんがブラッドと俺を呼ばなかったら、きっと脇目も振らず怒鳴り散らしてしまっていただろう。ウィリアムさんが悪いわけではないけれど、「ウィリアムさん、遅い」ぐらいは言わないと収まらない。
自分の立場を思い出してすんでで堪えられたのは僥倖だ。
「私用で参ったのです。わざわざお手を煩わす必要もないかと思ったのですが、浅慮でした。何というか、まさか門前払いを喰らうとは露とも思っていなかったので」
「とんでもございません」
並んで階段を上りながら、番兵が開いた大扉を潜る。
背後で重苦しく扉が閉まると、俺は辺りに誰も居ない事を確認してから、一応声を潜めて言う。
「……勝手に来て悪かったけど、すっごく面倒なんだね。陛下に面会するのって」
「ええ、まあ、そうなんですよ。グランディア城は国章のある馬車であれば出入りも自由ですし、ツカサ様に関しても国賓として遇するよう伝えてあるんですが。まさかディジメンドにいらっしゃる事があるとは思いもしませんでした」
何かを含んだ言い方だったけれど、俺には深層の部分は推察出来なかった。
「どうしても陛下に言いたい事があって」
「……陛下に、ですか」
「うん」
ウィリアムさんは物言いたげだったけれど、結局はそれ以上何も言わない。
ウィリアムさんの先導で、エントランスから半螺旋のような階段を昇り、西の廊下を渡っていく。人が十人並んで歩いても余裕のある横幅のある通路は、片側は幾つものドアがあり、片側は壁だ。等間隔に円筒の支柱があって、床は大理石。レッドカーペットが敷かれているだけでセレブなイメージがある。
グランディア城もフィデブラジスタも同じ様だが、唯一違うのはほとんど窓が無い事だ。フィデブラジスタは廊下の壁は部屋の無い方は大体上から下まで全面窓だし、グランディア城も採光の為の窓が多かった。けれどディジメンドには天井付近に小さな採光窓があるだけで、ひどく閉鎖的なのだ。侵入者対策らしいが息苦しく思う。
建造美はあるにしろ、無駄な装飾や癒し要素の花瓶などもない。仕事をする、という用途以外を全部省いてしまっているようで、それが更に理解出来ない。
こんな建物の中を一日中、窮屈にしか思えない正装姿で仕事に励む人たちは立派だ。あちらの世界でも隣家のおじさんが、毎日かっちりネクタイを締めてスーツ姿で出勤する姿は尊敬したけれど。
ディジメンドでは貴族や兵士の姿以外は無い。メイドの姿もなく、ほとんど厳しい顔のおじさん――会社でいえば堅苦しい重役みたいな――ばかりで、俺だったらこの建物に勤めるのは御免だ。
そんな事を思っていたら、何時か通された部屋の前に来ていた。シリウスさんとゲオルグ殿下にお会いした時の部屋だ。
ただ部屋の前に待機する兵士は衛兵の甲冑ではなく、騎士が着衣するそれで、マントの色は国王を表現する白。つまり、国王陛下の近衛兵なのだ。
それはそのまま、室内に国王陛下がいらっしゃる、という事。
陛下との面会を希望したわけだから、当たり前なのだけれど。
「陛下はただいま、宰相閣下とゲオルグ殿下とご一緒です」
ウィリアムさんの言葉に頷きながら、気を引き締める。気持ちを落ち着かせようと、二、三度深呼吸。
近衛兵がノックをすると、中からは
「入れ」
と声がする。柔らかい声質からしてシリウスさんの声だ。
促されて室内に入れば、ウィリアムさんの言葉通りの三人の姿。
国王陛下は窓辺に寄り、こちらに背を向けている。肩越しに宙にくゆる紫煙が見える。
何時かの丸テーブルにはゲオルグ殿下とシリウスさんの姿。机の上にチェス盤のようなものを乗せているが、シリウスさんの側には山積みされた書類もある。
「突然申し訳ありません」
手を挙げてこちらに目線をくれるゲオルグ殿下と立ち上がって頭を下げるシリウスさんに俺も礼を返した。
陛下は何も言わないし、振り返りもしない。
陛下への不満で一杯の俺は、そんな態度に奥歯を噛む。
あの野郎。
心中で陛下を罵りながら、にこり、微笑むシリウスさんを見て少しだけ和んだ。相変らずウィリアムさんそっくりの溌剌とした印象だが、彼の笑顔には癒し効果まで付随している気がする。
「またお会いできて光栄です」
と、嘘偽りを感じさせない表情に、「俺もです」と思わず笑顔になってしまう。
シリウスさんはとてつもなく忙しい人らしい。会う機会は二度目だ。
ゲオルグ殿下とはご飯を何度も一緒しているし、その他にも時間が合えば相手をしてくれるから、もう結構気安い仲だ。今は隠居の身だという殿下はティアの成人の為に自身の領地からやってきて、今はアレクサに滞在している状態なのだ。やる事がない、とぼやいては俺の部屋に遊びに来てくれる。
そんな二人とまた楽しく話でもしたい所だが、今日の目的は別にある。
俺は彼らに対しては心から、感じている想いを表情にする。
「これから、見苦しい姿をお見せする事、先に謝っておきます。でもどうか、止めないで下さい」
そしてこれは、自分の逃げ場を無くす言葉。
目を見開く三人の眼前を通り過ぎ、俺は陛下の下へ足早に向かい、彼を呼んだ。
「陛下」
ゆっくりと振り返る国王陛下に更に近づき、俺は右手を振り上げた。
「あ!」
と背後で叫んだのはウィリアムさんかシリウスさんか。
力を加減する気は毛頭ない。
嚥下しきれない感情そのものを掌に集約させて、力一杯のそれを、陛下の頬に放つ。
「……何の真似だ」
――俺が望んだ結果には、ならなかったわけだけど。
地を這うような低い声。俺を見下ろす薄氷の瞳。何の色も乗せない無表情。彼が俺の行動で揺らぐ姿は見られない。
陛下は俺の右手首を掴みながら、ただ事実の確認をしただけだった。
これで怒りでも驚きでもすればまだ可愛気があるものを。
機械仕掛けの人形のような陛下の顔を睨みながら、俺も負けじと低音を吐き出す。
怯んだら負けだ、と言い聞かす。
「一発、殴らせてくれませんか」
「……今言うか」
殴ろうとした後に言う事では無いのでは、という当然の疑問を、陛下が口にする。ただ、淡々と。
「言ったら殴らせてくれますか」
「ツカサ様、何を……」
陛下の返事の前に、これもまたウィリアムさんかシリウスさんかの言葉。
――傍観者は動揺しているのに、当事者は平然としている。まったくに忌々しい。
「黙ってろ」
ウィリアムさんかシリウスさんかを誡めるのはゲオルグ殿下だ。
とりあえず、彼らは無視してしまって大丈夫だろう。
部屋の中の僅かな緊張感を、俺は意識的に遮断する。
もう、命の危険なんて知った事か。そう覚悟してしまえば、何もかもがどうでもいい。
陛下の冷静さに、俺の嫌悪は増すばかりだ。この男が何を考えているのか、さっぱり分からない。だから腹立つ。
理解出来ない。
する事成す事、人の神経を逆撫でする。視線一つで人を震え上がらせ、その存在だけで人を脅かす。それなのにその本人は、こちらなど路傍の石ころ程にも感じていない。歯牙にもかけない。
それだけでも我慢ならないのに。
俺の人生を左右するだけじゃなくて、陛下やグランディア王国の為にと心を砕くティアを、傷つけて悲しませた。
堪忍袋というのが本当にあるのなら、今の俺はそれがブチ切れている。破れてボロボロで修繕がきかない。
それを発露させる事しか考えられない。
「さっき、ティアに手紙がきてた」
俺の手首を掴んだままの陛下のそれを乱暴に振り解きながら、陛下を睨み続ける。
「送り主はルーク・クラウディ」
陛下の表情は変らない。
「……あんた、あの人に何を言った」
「貴様も、アレを読んだのか」
何食わぬ顔で、形の良い唇が動いた。
「恋敵からの祝辞はどうだ? 嬉しいだろう?」
それは完全に、あの手紙の内容を知っての言葉だった。思わず目を見開けば、陛下は勘に触るとしか思えない物言いで説明してくる。
「アレからの手紙を、そのままティシアに渡すと思うか? また駆け落ちでもされたら目も当てられない」
そんな度胸があるとも思えないが、と続ける言葉。
言葉だけを見れば、嘲りが含まれている。なのに平坦に紡がれる所為で歪だ。それはさながら、授業中に教科書を棒読みしているぐらいの不具。
「……ティアは、泣いたよ」
「何故」
「まだルークさんが好きだからだろっ!!」
無理して、ルークさんを諦めたのだ。自分の感情を押し殺して、結婚を決めたのだ。けれどどんな決意も無意味な程、ルークさんに想いを残している。その結果だ。
「ティシアは貴様を選んだ筈だぞ」
「あんたの所為だろ!!」
「余の? あの愚か者にも劣る、貴様の所為では?」
「……何?」
「ティシアの気持ちがまだアレに残っているのだとしたら、それは貴様に魅力が無いからだろう」
――本当に、どうして。何から何まで。
「それでも、貴様は異世界人だというだけでまだ価値がある。その恩恵を、どうぞティシアに発揮してくれ」
ここぞとばかりに、陛下の顔が笑みを作った。言葉通り、『作った』。使われる機会が違えば、優しさに溢れ、天使のように美しく、心温まる、至上の笑み。一瞬で網膜に焼きつき、忘れえる事の出来ない笑み。
思わず息を詰めて見惚れてしまった自分を、引っ叩いてやりたい。
陛下は、確実に、俺にとどめを刺した。
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