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第一章
辺境からの手紙 3
しおりを挟む人様の部屋を勝手にうろつくものでは無い、と思ったものの。ティアはいっこうに戻って来ないし、放置されている状況に飽きてもいた。忙しいようならやはり部屋に帰ろうかと思い、俺は椅子から立ち上がってティアが消えた奥の方へと向かった。
隣室はドアも無く、壁に半円がくり貫かれた状態で続いているから、まずそちらに顔だけを突っ込んで辺りを探りながら、
「ティアー?」
と控え目に呼んでみた。窓際にピアノが鎮座している以外は、壁に棚が設置されているぐらい。特別死角になる場所も無く、ティアの姿は見当たらない。
今度はもう少し大きな声で呼んでみたけど、それにも返事は返らなかった。
その奥が寝室に続くプライベートルームだという事は記憶している。恐らくティアはそちらにいるのだろうが――乙女の、しかも王女の寝室を覗くのは如何なものだろう。
かと言って何も言わずに退出するのも無遠慮が過ぎる。
ティアの部屋は廊下との間にもう一つ小部屋があって、役割としては玄関に近い四畳程の空間になっている。そこには大抵傍仕えのメイドさんが居て、何かあれば声をかける仕組みになっていた。その扉の外には衛兵もいる。
ティアに暇を告げなくともメイドさんに言っておけばティアに伝わるだろうが、それもどうか。
しばらく逡巡してから、俺は更に奥に足を踏み入れた。
ティアの名前を呼びながら次の部屋の扉をノックしてみるが、やはり反応は無い。
だから俺は、「ティア? 開けるよ?」と声をかけつつ、ゆっくりと扉を開けた。
「ティア!?」
扉の隙間から中の様子を確かめて、最後は乱暴に開け切ってしまった。
小走りになって、ティアの元に向かう。
「ティア、どうした!?」
ティアは寝台の横の床にへたり込んで、放心していた。駆け寄った俺が彼女の上に影を落としても、瞬き一つせず虚空を見つめている。けれどその目に、何が映っているとも思えない。
「ティア?」
顔を覗き込んでみても、その顔の前で掌を振ってみても、肩を掴んで揺さぶる段になっても、ティアはまるで抜け殻のような態でそこにいるだけ。
強く揺さぶったせいで、膝の上に乗っていたティアの手が、滑り落ちた。
カサリ、乾いた音が響いて、俺は視線を落とす。
ティアの手から落ちたのだろうそれは、先程ティアに渡った手紙らしかった。封があけられた封筒の青い蝋が目に鮮やで、それがどこか不気味にも感じる。便箋は上を向いて、その文面が目に飛び込んでくる。
細い優美な字面で、俺の分からない書体だと認識しているのに、その言葉は不思議と頭の中で日本語に変換されるようだった。
悪い、と思う前に、内容が頭に入り込む。
最初は、良くある季節の挨拶とティアの調子を伺うようなものだった。
手を伸ばしてそれを掴み取り、ティアを窺いながらも、今度は意思を持って文章を読み進める。
そこにはっきりと、自分の名前が綴られている事に気付いたからだ。
『王女殿下のご婚約が決まられたとお聞きしました。異世界から召喚なされたそうですね。リカルド二世陛下におかれては、ツカサ様とのご結婚はかくも至上のものと確信なされているご様子、私もグランディアの国民として、とても喜ばしく感じております。王女殿下のご結婚がとても待ち遠しく――』
まだ公式には俺の存在も結婚も何も発表されていないにも関わらず、送り主はそれを当然と受け止めているようだった。どうやら国王陛下自身が送り主に対して文をしたためたようなのだ。
『遠き地から、王女殿下の永久の幸福を祈念して』
言葉を巧みに変えてティアの結婚を祝福して、最後はそんな風に締めた送り主の名が、最下に記されている。
「……ルーク・クラウディ」
その名前を言葉にした瞬間、ティアの身体が大きく震えるのが目の端に映った。
「ぁ……」
それから蚊の鳴くようなか細い声がティアの口をついて、顔を上げた俺と目が合った。
「ツ、カサ……」
たどたどしく俺の名を呼んで目を見開いた後、俺の手の内の便箋を見つめて、
「何、でもないの」
取り繕うように笑おうとして、失敗した。
顔面は血の気を失って真白で、言葉を紡いだ瞬間に、大きな瞳から雫が零れ落ちた。頬に軌跡を残して顎を滴り落ちたそれは、後から後から流れ出す。
「ティア」
「何でもないのよ」
小刻みに震えたままの両手を硬く握り締めて、その甲に爪を立てて何かをやり過ごそうとしている。けれど平静を装うには何もかもが失敗していた。
「ティア」
なるべく優しい声音を作って掌で涙に濡れる頬を拭ってやると、ティアは頭を振る。
違う、と呟いた後は言葉にならないようだった。
何が違うのか、きっと本人も分かっていないのだろう。ただ俺の二の句を遮ろうと必死。
止まらない涙を目を閉じる事で留めようとしても、黄金色の睫毛の間にそれは溜まり、流れ続ける。俯いてみせても、手の甲に跳ねるそれは俺の目にしっかりと映った。
ルーク・クラウディ。
それが誰かは、俺にも分かった。時々ティアの口をついて出てきた名前。無意識に紡いでからはっとして、誤魔化すように微笑むティアを何度も見てきた。
その度にそれが、ティアの愛する男性のものだと知る。
「すっごく、好きなんだね……?」
頭を撫でてそう呟けば、ティアは俯いたまま否定した。違う、と繰り返し、その都度しゃくり返すので信憑性が全く無い。
けれど俺が感じるのは怒りでも寂しさでもない。辛くもないし、傷つきもしない。
ただ痛々しく感じ、不思議に思うだけだ。
ティアとルークという相手の関係は、そう長いものではない筈だ。関係といっても、友情に毛が生えた程度のもので、二人きりで会う機会はほとんど無かったと聞いている。そもそも貴族とはいえ、王女殿下と目通りする機会はそう無い。王城で開催される夜会だとか貴族の屋敷でのそれであるとか、顔を合わせる事が出来たとしても言葉を交わす時間はそう許されない。それでもそういった時間の中で二人は惹かれ合い、比較的自由を持つティアが城を抜け出す度に逢瀬を重ねていったのだという。
ちなみにこれはハンナさん情報で、ティアは俺の前でルークさんの名前を口にしないよう気をつけていた。だからもしかしたらもっと、二人が愛を育む機会はあったのかもしれないけど。
一時は駆け落ちをしようとした程の情熱でも、不条理だったとはいえ破局から数ヶ月が経った今でも消えないというのは、俺には理解しがたい事だ。
俺が恋愛感情に疎いだけかもしれないけれど、俺の中での認識では、愛情は醒めやすいものだ。どんなに長く一緒に居ても、どんなに強く愛し合った過去があっても、終わりはひどく呆気ない。
手紙から推し量る分には、相手のルークさんには禍根も無さそうだし。
だからこそ手紙の内容にありえないくらい傷ついているティアが、不思議。
壊れたオルゴールのような歪な様子が、可哀想でたまらない。
俺には経験の無い事だから何と声をかけるべきか判断がつかず、俺はただ嗚咽を噛み殺すように涙するティアの頭を撫で続ける。
小さく漏れ出てくる泣き声が、やがて潜んだ時。
「……わたくしを、許して……」
ティアはそう請うた。
「わたくし、は……それでも……」
ルークを選べない。ツカサを選んだのだ、と。胸に移動したティアの小さな手が拳を作り、まるで自分自身に言い聞かせるように、呟く。
「あなたとの結婚で、わたくしは、幸福に至る――きっと、」
ゆっくりと顔を上げて不恰好な微笑みを浮かべる顔は、幸せなどには程遠く、世界の絶望全てを背負ったかのようなものだ。
「誰よりも、幸せに……」
――ならなくてはいけない。
ティアの決意が、俺にも伝わる。
けれどそれはきっと、こんな理由がつくのだ。俺をこちらに召喚してしまったから。幸福と栄華の代名詞である異世界人を召喚しておいて、不幸だなんて言えないから。
「……本当に?」
でもどんな言葉を並べられても、ティアの心は俺には無い。そして俺も、それを望んですらいない。
お互いに、この先に幸福が待っているなんて露とも思えない。
その証拠にティアの表情は笑顔にならないのだ。
「本当に後悔しない?」
「しないわ」
「ルークさんを好きなのに?」
「ええ」
淀みなくそう言えても、拳は震えたまま。涙は毀れたまま。悲痛な表情は消えない。
俺は沈黙を置いて、更に尋ねた。
「でもルークさんの傍なら、ティアはもっともっと幸せだよね?」
その瞬間の、くしゃりと崩れたティアの顔が、全ての答えだった。
謝罪ばかりを繰り返すティアを何とか宥め寝台に横にしてから、俺はティアの部屋を後にする。
「何も謝る必要ない」
とティアに伝えた言葉は、嘘偽りない本心だ。
だって最初から、俺とティアの間にはどうにもならない問題があるのだから。
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