16 / 64
第一章
アレクセス城の魔王 9
しおりを挟む「それにしても、先程のツカサ様の表情は、何だか懐かしく感じませんでしたか。ねぇ、殿下」
シリウスさんがにこやかに微笑みながら、ゲオルグ殿下に話を振ると、ゲオルグ殿下は口元に僅かに笑みを乗せたようだった。
「ああ、この小僧が確か」
小僧、と呼ばれたのはウィリアムさんだ。
「やめてください、昔の話ではありませんか」
ウィリアムさんが子供のように憮然とした表情を見せると、二人は声を合わせて笑った。
――数分前の恐々しさはどこへいったのか、一転して和やかな雰囲気だ。
妙な緊張感を俺に抱かせたゲオルグ殿下は、そんな空気を払拭するように、今は長閑とも言える笑い声を上げている。落ち窪んだ眼窩や口周りには年相応の皺が刻まれているが、その皺が笑みにより深くなる。
「面白い話を聞かせてやろう」
にやり、人の悪い笑みをのぼせてこちらを向くゲオルグ殿下の顔には、先程までの無駄な威圧感は無い。まるでこちらにまで気を許してくれているかのよう。
殿下、と否を唱えるウィリアムさんをゲオルグ殿下は当然無視。
懐かしむように目を細めて、ウィリアムさんをというより遠くを見つめて、昔話を始める。
「まだエディアルドの父親、余の兄が存命であった頃にな、余はそれ、の宰相を務めていた。ウィリアムは、コレぐらいの背丈だったか」
そう言ってゲオルグ殿下が広げた手の位置は、テーブルの少し上。立ち上がった俺の腰ぐらいまでしかないそれは、恐らく十歳前後のウィリアムさんにしては小さすぎなんじゃないかと思ったら、「そんなに小さくなかったですよ」とウィリアムさん本人が抗議した。
「シリウスが余の補佐をしていた頃、ウィリアムがちょくちょく遊びに来ていた事は知っていたが、余は直接会った事は無かったのだ。シリウスそっくりの小僧が、ちょろちょろしていると聞き知っていたぐらいでな」
それはとても愛らしい子供だったのだろう、と思う。
「エディアルドの遊び相手には少し早かっただろう。なんにせよあの頃、エディアルドはライディティルの坊主と、剣術に夢中でな。ウィリアムが剣を持った日には、三秒で泣きを見る」
もういいです、と隣でウィリアムさんが唸ったが、三度無視。
俺も申し訳ないが、話に夢中になりかけていた。
「まだハンナは城に上がっていなかったからな。どちらかというとウィリアムはティシアの遊び相手だった。ただ女子供の好む遊びはどうにも性に合わなかったのだろうな。昔のエディアルドらがそうだったように、城の中の探検に夢中になっていた」
「私の部屋に泊まって、夜中に探検に出る、なんて事も」
シリウスさんが口を挟む。それは容易に想像が出来る姿だった。俺がそうだったように、小学生に上がった頃なんかは知らない場所に行くと何よりもまず探検しないと気が済まなかった。人数が居れば、かくれんぼや鬼ごっこは外せない。肝試し、という単語は知らなかったけれど、夜中の探検は強者の証とばかりに。
「その日は、余は深夜にまでかかって仕事をしていた。良くある事だがな。自室に戻る廊下に火を点すのも面倒で、ランプ片手に暗がりを進んでいた。そこに、調度夜間探索と忍び込んでいたこの小僧と行き会った」
ごくり、生唾を飲み込む。
「闇の中に浮かび上がった顔というのは、誰のものでも恐ろしくはあろうが。この小僧は、『魔王ー』と叫んで逃げおった」
先程の貴公のように、ゲオルグ殿下は言って、口の端を上げた。流石に俺は叫びはしなかったけれど、確かに凍りつくぐらいには凄絶な空気を放っていたから逃げられるなら天敵に会った野生動物のように逃げ去りたかった。
なんにせよ、それが暗闇の中突然浮かび上がったら、叫ぶかもしれない。多分。間違いなく。
「慣れてはおるがな」
「恐ろしかったんですよ、あの頃のオレには。分かって下さるでしょう、ツカサ様?」
ノーコメントで。
「何分暗かったのでな。その時の余はその子供が、シリウスの甥っ子だとは夢にも思わなかったわ。どこぞの小姓なら、悪いことをした程度ですぐに忘れ去った。それが後日、ウィリアムに会う機会があってな」
「殿下を見た瞬間、ウィルはまた叫んだんですよ。『魔王ー!!』と」
その場に居たのだろうシリウスさんが、その情景を思い出して笑い出した。
「それで余も合点がいったわ。ああ、あれはこの小僧っこだったか、とな」
俺は何とか噴出すのを堪えたものの、それはあまりうまく言ったとは思えなかった。隣からウィリアムさんが情けない声で俺の名を呼んできたから。
ああ、どうしよう。ゲオルグ殿下は確かに強面で、近寄りがたい空気を放っているけれど。俺はこの人が、嫌いじゃないかもしれない。むしろ好きだ。怖いけど。
「でも、この話、これで終わりじゃないんですよ」
シリウスさんは優雅な動作で、ゲオルグ殿下の空いたカップに紅茶を注いだ。――紅茶だと思ったけれど、色合いが俺の飲んでいるそれより大分濃い。コーヒーみたい……だけれど、漂う香りにアルコールが混ざっている気がする。
飲むか、とゲオルグ殿下が自分のカップを俺に寄せてくれたが、鼻先に漂った匂いに、辞退した。アルコール臭がぷんぷんして、俺にはまだ早い飲み物だと思った。
それに、今は話の続きが気になる。
俺の視線を受けて、シリウスさんが話を続ける。
「その日のうちにウィルは、ティシア王女に城で魔王を見た、と告げているんです。その頃のティシア王女も、多少お転婆なところがございましたから、乳母はこれ幸いと、アレクセス城の魔王という物語を作り上げました。『悪い事をすると、魔王に食べられてしまいますよ』という文句は、それなりに王女殿下を恐れさせたのでございましょうね。しばらくは大人しくしていらっしゃいました」
「子供はすぐ忘れる」
「そう、忘れたのでしょう。それ所か怖いもの見たさに、夜中に寝所を抜け出してしまわれて」
シリウスさんはもったいぶるように言葉を止めたが、その後は分かりきった事だ。ティシアさんもウィリアムさん同様、叫んだのだろう。「魔王」と。
「王女殿下が出逢ったのは、誰だと思います?」
「? ゲオルグ殿下ではいらっしゃらないのですか?」
いたずらっ子の瞳を瞬いたウィリアムさんに、俺も瞬きで返した。ノン、と三人が口を揃えた。
「夜更かしのエディアルド陛下です」
「あれも余と同じで、面倒だからという理由で、ランプ片手にうろつくでな。アレの父であれば、供を連れて廊下に火を点しては消すだろう」
――という事は、あれか。あのこの世の者とは思えない美貌の持ち主は、自らの妹王女に「魔王」と叫ばれたわけか。
うわー、可哀想。可哀想だけど、不思議な事に、ちっとも親近感が沸かない。それ所かそんなものに出会ってしまったティシアさんに同情する。きっと確実にトラウマになっただろう。
「今ほどでは無いが、エディアルドは当時から感情を表に出さない子供だった。ティシアの前で笑顔の出し惜しみはせんかったが、あの通りの無表情で、ショックなど見せもしなかった」
ああ、やっぱり可愛くない。冷血な魔王、姿通り。
「だがな、」
ゲオルグ殿下がくぐもった笑い声を立てると、シリウスさんとウィリアムさんも微かに肩を震わせた。
まだ話に続きがあるのか、と思った矢先。
「それ以来、夜間はずっと廊下に火が灯ったままだ」
「流石の陛下も、妹に魔王呼ばわりされて泣き叫ばれたのは堪えたようです」
ああ、泣き叫んじゃったんだ、ティシアさん。
天使のような愛らしい顔を涙に濡らして、魔王を恐れたのだろうな。可哀想に。俺の同情の向けどころはやっぱりティシアさん。
一応国王陛下には、合掌。
話に聞く限りでは誰の話からも国王陛下の人間らしさが窺えるけれど、俺がどうしてもあの人を許容出来ないのは、あの人がただ無表情だとか、毒を吐くとか、そういう事じゃないのだ。
もう、分かっている。
あの人の俺を見る目に、感情が乗らないから。人形のような無機質なそれと目が合う度、心と体が凍りつくのだ。
その視線そのものが、俺のトラウマなのだ。
「エディアルドも、悪い男ではない」
予想通り、行き着く先は国王陛下だった。この手の会話の流れには覚えがある。みんな何かしら別の話題から、国王陛下に繋げたがるのだ。
それは俺が国王陛下を遠ざけている事を知っているからなのだろう。それはもう、見るも明らかに。
きっと、素晴らしい国王なのだろう。親族からも側近からも、国民から見ても。誇らしい国王で、愛すべき人なのだろう。こんな風に、優しい目をして語られるくらいには。
この世界に来て、出逢った人は、皆優しい。それが異世界人に対して、当たり前になっているのかもしれない。異世界人は幸福と平安を与えてくれる存在と、信じきっているのだから。それが初対面の相手だろうが、表向きだけだとしても、心を開いてくれる。皆、皆、優しくて困ってしまう。
「アレも難しい性分だがな」
アレ、とぞんざいに国王陛下を扱いながらも、その表情は慈愛に満ちている。
羨ましい、と思った。
俺の親族は、こんな風に俺を語ってはくれないから。
「貴公も、難しいな。それ程に、澄んだ瞳をしているのに」
「あ、そうなんですよね。ツカサ様の目は、瞳孔も瞳も同じだけ真っ黒なのに、澄み切って、」
「意味が違いますよ、ウィル」
ゲオルグ殿下の賛辞にも似た言葉に、我が意を得たり、と俄然元気を取り戻しかけたウィリアムさんは、シリウスさんにあっさりと切って捨てられる。
三者三様、俺を見つめてくる瞳。それぞれ色合いが異なる、宝石のような目。黒目に慣れた俺には珍しい色彩。
ウィリアムさんは明るい草原の瞳。
シリウスさんはそれよりも深い緑。
ゲオルグ殿下は深い叡智を潜ませた、何をも見透かすような灰青色のそれ。
「貴公がティシアの婿になる日が、楽しみだな」
――なんて居心地が悪いのだろう。
俺の中身なんて知らないくせに、何でこうも簡単に、俺の存在を認めてくれてしまうのだろう。
俺は何とも情けない顔で、曖昧に笑うしか出来なかった。
帰り際、
「アレと目を合わせたらな、貴公から目を逸らさずにいろ。面白いものが見れるだろう」
最後にゲオルグ殿下は良く分からない助言をくれた。
意味は全く分からなかったが、それが一番難しいんですよ、と俺は残念ながら答えられなかった。
0
お気に入りに追加
61
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
王命って何ですか?
まるまる⭐️
恋愛
その日、貴族裁判所前には多くの貴族達が傍聴券を求め、所狭しと行列を作っていた。
貴族達にとって注目すべき裁判が開かれるからだ。
現国王の妹王女の嫁ぎ先である建国以来の名門侯爵家が、新興貴族である伯爵家から訴えを起こされたこの裁判。
人々の関心を集めないはずがない。
裁判の冒頭、証言台に立った伯爵家長女は涙ながらに訴えた。
「私には婚約者がいました…。
彼を愛していました。でも、私とその方の婚約は破棄され、私は意に沿わぬ男性の元へと嫁ぎ、侯爵夫人となったのです。
そう…。誰も覆す事の出来ない王命と言う理不尽な制度によって…。
ですが、理不尽な制度には理不尽な扱いが待っていました…」
裁判開始早々、王命を理不尽だと公衆の面前で公言した彼女。裁判での証言でなければ不敬罪に問われても可笑しくはない発言だ。
だが、彼女はそんな事は全て承知の上であえてこの言葉を発した。
彼女はこれより少し前、嫁ぎ先の侯爵家から彼女の有責で離縁されている。原因は彼女の不貞行為だ。彼女はそれを否定し、この裁判に於いて自身の無実を証明しようとしているのだ。
次々に積み重ねられていく証言に次第追い込まれていく侯爵家。明らかになっていく真実に、傍聴席で見守る貴族達は息を飲む。
裁判の最後、彼女は傍聴席に向かって訴えかけた。
「王命って何ですか?」と。
✳︎不定期更新、設定ゆるゆるです。
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
彼女にも愛する人がいた
まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。
「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」
そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。
餓死だと? この王宮で?
彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。
俺の背中を嫌な汗が流れた。
では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…?
そんな馬鹿な…。信じられなかった。
だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。
「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。
彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。
俺はその報告に愕然とした。
明智さんちの旦那さんたちR
明智 颯茄
恋愛
あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。
奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。
ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。
*BL描写あり
毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。
【完結】辺境伯令嬢は新聞で婚約破棄を知った
五色ひわ
恋愛
辺境伯令嬢としてのんびり領地で暮らしてきたアメリアは、カフェで見せられた新聞で自身の婚約破棄を知った。真実を確かめるため、アメリアは3年ぶりに王都へと旅立った。
※本編34話、番外編『皇太子殿下の苦悩』31+1話、おまけ4話
身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~
椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」
私を脅して、別れを決断させた彼の両親。
彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。
私とは住む世界が違った……
別れを命じられ、私の恋が終わった。
叶わない身分差の恋だったはずが――
※R-15くらいなので※マークはありません。
※視点切り替えあり。
※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる