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第一章

アレクセス城の魔王 9

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「それにしても、先程のツカサ様の表情は、何だか懐かしく感じませんでしたか。ねぇ、殿下」
 シリウスさんがにこやかに微笑みながら、ゲオルグ殿下に話を振ると、ゲオルグ殿下は口元に僅かに笑みを乗せたようだった。
「ああ、この小僧が確か」
 小僧、と呼ばれたのはウィリアムさんだ。
「やめてください、昔の話ではありませんか」
 ウィリアムさんが子供のように憮然とした表情を見せると、二人は声を合わせて笑った。
 ――数分前の恐々しさはどこへいったのか、一転して和やかな雰囲気だ。
 妙な緊張感を俺に抱かせたゲオルグ殿下は、そんな空気を払拭するように、今は長閑とも言える笑い声を上げている。落ち窪んだ眼窩や口周りには年相応の皺が刻まれているが、その皺が笑みにより深くなる。
「面白い話を聞かせてやろう」
 にやり、人の悪い笑みをのぼせてこちらを向くゲオルグ殿下の顔には、先程までの無駄な威圧感は無い。まるでこちらにまで気を許してくれているかのよう。
 殿下、と否を唱えるウィリアムさんをゲオルグ殿下は当然無視。
 懐かしむように目を細めて、ウィリアムさんをというより遠くを見つめて、昔話を始める。
「まだエディアルドの父親、余の兄が存命であった頃にな、余はそれ、の宰相を務めていた。ウィリアムは、コレぐらいの背丈だったか」
そう言ってゲオルグ殿下が広げた手の位置は、テーブルの少し上。立ち上がった俺の腰ぐらいまでしかないそれは、恐らく十歳前後のウィリアムさんにしては小さすぎなんじゃないかと思ったら、「そんなに小さくなかったですよ」とウィリアムさん本人が抗議した。
「シリウスが余の補佐をしていた頃、ウィリアムがちょくちょく遊びに来ていた事は知っていたが、余は直接会った事は無かったのだ。シリウスそっくりの小僧が、ちょろちょろしていると聞き知っていたぐらいでな」
 それはとても愛らしい子供だったのだろう、と思う。
「エディアルドの遊び相手には少し早かっただろう。なんにせよあの頃、エディアルドはライディティルの坊主と、剣術に夢中でな。ウィリアムが剣を持った日には、三秒で泣きを見る」
 もういいです、と隣でウィリアムさんが唸ったが、三度無視。
 俺も申し訳ないが、話に夢中になりかけていた。
「まだハンナは城に上がっていなかったからな。どちらかというとウィリアムはティシアの遊び相手だった。ただ女子供の好む遊びはどうにも性に合わなかったのだろうな。昔のエディアルドらがそうだったように、城の中の探検に夢中になっていた」
「私の部屋に泊まって、夜中に探検に出る、なんて事も」
 シリウスさんが口を挟む。それは容易に想像が出来る姿だった。俺がそうだったように、小学生に上がった頃なんかは知らない場所に行くと何よりもまず探検しないと気が済まなかった。人数が居れば、かくれんぼや鬼ごっこは外せない。肝試し、という単語は知らなかったけれど、夜中の探検は強者の証とばかりに。
「その日は、余は深夜にまでかかって仕事をしていた。良くある事だがな。自室に戻る廊下に火を点すのも面倒で、ランプ片手に暗がりを進んでいた。そこに、調度夜間探索と忍び込んでいたこの小僧と行き会った」
 ごくり、生唾を飲み込む。
「闇の中に浮かび上がった顔というのは、誰のものでも恐ろしくはあろうが。この小僧は、『魔王ー』と叫んで逃げおった」
先程の貴公のように、ゲオルグ殿下は言って、口の端を上げた。流石に俺は叫びはしなかったけれど、確かに凍りつくぐらいには凄絶な空気を放っていたから逃げられるなら天敵に会った野生動物のように逃げ去りたかった。
 なんにせよ、それが暗闇の中突然浮かび上がったら、叫ぶかもしれない。多分。間違いなく。
「慣れてはおるがな」
「恐ろしかったんですよ、あの頃のオレには。分かって下さるでしょう、ツカサ様?」
 ノーコメントで。
「何分暗かったのでな。その時の余はその子供が、シリウスの甥っ子だとは夢にも思わなかったわ。どこぞの小姓なら、悪いことをした程度ですぐに忘れ去った。それが後日、ウィリアムに会う機会があってな」
「殿下を見た瞬間、ウィルはまた叫んだんですよ。『魔王ー!!』と」
 その場に居たのだろうシリウスさんが、その情景を思い出して笑い出した。
「それで余も合点がいったわ。ああ、あれはこの小僧っこだったか、とな」
 俺は何とか噴出すのを堪えたものの、それはあまりうまく言ったとは思えなかった。隣からウィリアムさんが情けない声で俺の名を呼んできたから。
 ああ、どうしよう。ゲオルグ殿下は確かに強面で、近寄りがたい空気を放っているけれど。俺はこの人が、嫌いじゃないかもしれない。むしろ好きだ。怖いけど。
「でも、この話、これで終わりじゃないんですよ」
 シリウスさんは優雅な動作で、ゲオルグ殿下の空いたカップに紅茶を注いだ。――紅茶だと思ったけれど、色合いが俺の飲んでいるそれより大分濃い。コーヒーみたい……だけれど、漂う香りにアルコールが混ざっている気がする。
 飲むか、とゲオルグ殿下が自分のカップを俺に寄せてくれたが、鼻先に漂った匂いに、辞退した。アルコール臭がぷんぷんして、俺にはまだ早い飲み物だと思った。
 それに、今は話の続きが気になる。
 俺の視線を受けて、シリウスさんが話を続ける。
「その日のうちにウィルは、ティシア王女に城で魔王を見た、と告げているんです。その頃のティシア王女も、多少お転婆なところがございましたから、乳母はこれ幸いと、アレクセス城の魔王という物語を作り上げました。『悪い事をすると、魔王に食べられてしまいますよ』という文句は、それなりに王女殿下を恐れさせたのでございましょうね。しばらくは大人しくしていらっしゃいました」
「子供はすぐ忘れる」
「そう、忘れたのでしょう。それ所か怖いもの見たさに、夜中に寝所を抜け出してしまわれて」
 シリウスさんはもったいぶるように言葉を止めたが、その後は分かりきった事だ。ティシアさんもウィリアムさん同様、叫んだのだろう。「魔王」と。
「王女殿下が出逢ったのは、誰だと思います?」
「? ゲオルグ殿下ではいらっしゃらないのですか?」
 いたずらっ子の瞳を瞬いたウィリアムさんに、俺も瞬きで返した。ノン、と三人が口を揃えた。
「夜更かしのエディアルド陛下です」
「あれも余と同じで、面倒だからという理由で、ランプ片手にうろつくでな。アレの父であれば、供を連れて廊下に火を点しては消すだろう」
 ――という事は、あれか。あのこの世の者とは思えない美貌の持ち主は、自らの妹王女に「魔王」と叫ばれたわけか。
 うわー、可哀想。可哀想だけど、不思議な事に、ちっとも親近感が沸かない。それ所かそんなものに出会ってしまったティシアさんに同情する。きっと確実にトラウマになっただろう。
「今ほどでは無いが、エディアルドは当時から感情を表に出さない子供だった。ティシアの前で笑顔の出し惜しみはせんかったが、あの通りの無表情で、ショックなど見せもしなかった」
 ああ、やっぱり可愛くない。冷血な魔王、姿通り。
「だがな、」
 ゲオルグ殿下がくぐもった笑い声を立てると、シリウスさんとウィリアムさんも微かに肩を震わせた。
 まだ話に続きがあるのか、と思った矢先。
「それ以来、夜間はずっと廊下に火が灯ったままだ」
「流石の陛下も、妹に魔王呼ばわりされて泣き叫ばれたのは堪えたようです」
 ああ、泣き叫んじゃったんだ、ティシアさん。
 天使のような愛らしい顔を涙に濡らして、魔王を恐れたのだろうな。可哀想に。俺の同情の向けどころはやっぱりティシアさん。
 一応国王陛下には、合掌。
 話に聞く限りでは誰の話からも国王陛下の人間らしさが窺えるけれど、俺がどうしてもあの人を許容出来ないのは、あの人がただ無表情だとか、毒を吐くとか、そういう事じゃないのだ。
 もう、分かっている。
 あの人の俺を見る目に、感情が乗らないから。人形のような無機質なそれと目が合う度、心と体が凍りつくのだ。
 その視線そのものが、俺のトラウマなのだ。
「エディアルドも、悪い男ではない」
 予想通り、行き着く先は国王陛下だった。この手の会話の流れには覚えがある。みんな何かしら別の話題から、国王陛下に繋げたがるのだ。
 それは俺が国王陛下を遠ざけている事を知っているからなのだろう。それはもう、見るも明らかに。
 きっと、素晴らしい国王なのだろう。親族からも側近からも、国民から見ても。誇らしい国王で、愛すべき人なのだろう。こんな風に、優しい目をして語られるくらいには。
 この世界に来て、出逢った人は、皆優しい。それが異世界人に対して、当たり前になっているのかもしれない。異世界人は幸福と平安を与えてくれる存在と、信じきっているのだから。それが初対面の相手だろうが、表向きだけだとしても、心を開いてくれる。皆、皆、優しくて困ってしまう。
「アレも難しい性分だがな」
 アレ、とぞんざいに国王陛下を扱いながらも、その表情は慈愛に満ちている。
 羨ましい、と思った。
 俺の親族は、こんな風に俺を語ってはくれないから。
「貴公も、難しいな。それ程に、澄んだ瞳をしているのに」
「あ、そうなんですよね。ツカサ様の目は、瞳孔も瞳も同じだけ真っ黒なのに、澄み切って、」
「意味が違いますよ、ウィル」
 ゲオルグ殿下の賛辞にも似た言葉に、我が意を得たり、と俄然元気を取り戻しかけたウィリアムさんは、シリウスさんにあっさりと切って捨てられる。
 三者三様、俺を見つめてくる瞳。それぞれ色合いが異なる、宝石のような目。黒目に慣れた俺には珍しい色彩。
 ウィリアムさんは明るい草原の瞳。
 シリウスさんはそれよりも深い緑。
 ゲオルグ殿下は深い叡智を潜ませた、何をも見透かすような灰青色のそれ。
「貴公がティシアの婿になる日が、楽しみだな」
 ――なんて居心地が悪いのだろう。
 俺の中身なんて知らないくせに、何でこうも簡単に、俺の存在を認めてくれてしまうのだろう。
 俺は何とも情けない顔で、曖昧に笑うしか出来なかった。

 帰り際、
「アレと目を合わせたらな、貴公から目を逸らさずにいろ。面白いものが見れるだろう」
 最後にゲオルグ殿下は良く分からない助言をくれた。
 意味は全く分からなかったが、それが一番難しいんですよ、と俺は残念ながら答えられなかった。




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