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第一章
アレクセス城の魔王 8
しおりを挟むその日、ティシアさんは外地で催される夜会の為に、ハンナさんを連れ立って午後にはアレクセス城を旅立った。夜会には王の代行として騎士のライドも行くらしい。ジャスティンさんも忙しいらしく、午後から翌日の夜まで、俺は完全にフリーだった。
どこかの伯爵家だとか侯爵家から招待を受けていたが、一人では参加しない事に決めているから丁重にお断りして、さて何をしよう、と暇をもてあましている所だった。
俺はいまだ諦めず帰る方法を探していたが、過去の記録にはヒントもなく、聖堂を覗かせてももらったのだがちっとも意味が無かった。召喚の儀式、というのをもう一度ティシアさんとジャスティンさんにしてもらったのだが、これも全く成果を得られなかった。
儀式の時にジャスティンさんが唱えた神聖書といわれるものを見せてももらったが、特別な文字らしくてこれは俺には読めなかった。神聖会という組織に所属する神官が習う神の文字で、だからジャスティンさんの時間がある時に彼に読んでもらう事にしていた。
今のところ、他に何を調べたらいいのか分からず、難航中。
暇潰しに、とハンナさんが用意してくれた伝記本とか小説とかは、数分読んで閉じてしまう。漫画ならまだしも、活字だけのそれは中々頭に入ってこない。
だから自室から庭園を眺めながら、ただぼうっとしていた。
そんな俺の神の助け、とばかりに訪ねて来てくれたのは、ウィリアムさんだ。
相変らず華やかな笑みを浮かべて、仰々しい程の礼をしてみせた。
「ご機嫌いかがですか、ツカサ様」
今日も右耳には宝石が4連繋がったピアスをしている。
「退屈、です」
逡巡した後、思ったまま口にすれば、朗らかな笑い声を立てる。親しみ易い人だ。
「では、この後の予定も特にございませんか?」
「えーと、特には……」
「それは良かった」
首を捻る俺の眼前で、ウィリアムさんはもったいぶるように咳払いをした。ことさらゆっくりと唇を弓形に歪め、次いで瞳を細める。思わず息を止めて見入ってしまう。
「ツカサ様はまだ、宰相閣下にはお会いになっておりませんよね?」
告げられた通りだったので、頷く。
こちらの素性を知っている者として一応存在だけは聞いてはいた。ただ国の政務を一手に引き受ける多忙な人で、中々会う時間が取れない、という事だった。俺は会う必要は無いと思っているんだけど、そういうわけにもいかないらしい。
「宰相閣下は現在、数十分手が空くようなのです。ディジメンドを離れるわけにはいきませんが、ツカサ様がご面倒でなければぜひそちらでお会いしたいと言付かって参りました」
案内係を仰せつかりました、とウィリアムさんが続けた。俺はクレメンデとグランディア城には行った事があるが、ディジメンドには行った事が無い。その必要性が無いだけだけれど。
面倒というよりは偉い人に会う、という状況があまり歓迎できないのだけれど、暇と言ってしまった手前断るわけにもいかなかった。
「……分かりました」
緊張からか強張った顔で応じると、ウィリアムさんは畏まる相手ではありませんよ、と微笑んだ後、ただ、と声を潜めた。
「申し訳ありませんが、着替えて頂けますか」
それから正装の一つである服に着替えた俺は、ウィリアムさんに先導されてディジメンドへと向かった。馬車で数分、ウィリアムさんと向かい合って歓談しながら、着慣れない窮屈な服に我知らずそわそわしてしまう。襟と合わせの部分が色合いは白一色なのだけれど華美な形をしていて、ごわごわしていて、それが視界に入るのが落ち着かないのだ。赤いベストと黒いジャケットは許容範囲だが、下は膝下丈のスボンの下に――タイツ、なのだろうか。これも慣れない肌触りで身体にフィットする感じがどうも嫌だ。下は野球のユニフォームみたいに見える。
あとは前髪だけ垂らして、それ以外の髪を後ろに撫で付けて固めているのだが、その感触も何とも言えない。整髪料が無臭であるのが救いだろうか。
部屋の全面鏡で見た時は気持ち悪い程似合っていないと思ったのだが、ウィリアムさんが笑顔で「素敵です」と言ってくれたので、良しとしておく。
こういう格好は晩餐会とか貴族とのお茶会などで何度も着ているが、いっこうに慣れない。馬子にも衣装、じゃないけど、そういう感じで違和感がありまくりだ。
ウィリアムさんの服装も、きっちりかっちり。ハイネックの上着は裾が左側から後ろにかけてが太腿にかかるくらいの長さ、右側だけ腰辺りで、右のサイドが合わせになっている。濃紺のそれの合わせと裾やら袖口は金色の刺繍が施されていた。右側が短くなっているのは、そちらに剣を帯びるからだという。あとは袖が肘のちょっと下までしかない。袖の終わりは一捲りした、みたいな状態。その下に黒いシャツを着込んでいる模様。ズボンも同じ紺地で、それをブーツインしている。
――あんまり服の仕様には詳しくないから、どう表現していいのかわからないけど、兎に角イメージは軍服って感じだ。
どちらかというと今着ている俺の衣装より、ウィリアムさんのそれの方が格好良いし動き易そうに見える。
馬車を降りた後は、そのまま部屋へ一直線。
あれよあれよという間にノックをしたウィリアムさんに応えるようにして、外開きの扉が開いていた。
「お待たせ致しました、閣下。ツカサ様をお連れ致しました」
流れるような動作で右手を胸に置き、腰を落として頭を下げるウィリアムさんに続き、室内に通される。
「ようこそ。ご足労頂いて申し訳ありません」
扉を開けてくれたのだろう相手が、声の主だった。ウィリアムさんがしたように頭を下げていた男性が顔を上げる。
俺はその人に驚いて、ぽかんとしてしまった。
何時の間にか隣に並んだウィリアムさんと、男性の容姿はそっくりだった。ただ身長が少し高く、ウィリアムさんより年上である事は間違いなかった。
すらりとした体躯をもった男性は、ウィリアムさんと同じ色の瞳を優しく細めた。中央分けして頬で切り揃えた前髪といい、華やかな笑顔といい、ウィリアムさんが年を重ねたらこうなるんだろうなと容易に想像がいく。ただ髪の長さはウィリアムさんよりは長いようで、ポニーテールした髪の毛が扉を閉めた彼の背中で踊っていた。
「どうぞ、中へ」
俺が出来たのは、頭を少し前に下げる事だけ。
不躾なまでに男性の顔をじろじろと見てしまったのに、彼は笑顔を崩さない。
「おかけ下さい」
そうして椅子を引いてくれる男性にもう一度頭を下げようとしてから、目の前に座っている男の存在に気付いた。
厳しい顔の男性は、睨むように俺を見ていた。
その人の放つ空気に気圧されながらも、俺は慌てて礼をした。恐らくこの人が宰相閣下なのだろう、と思ったのだ。
でも何て言ったらいいのか分からなかった。その人を見た瞬間散々教え込まれた礼儀作法なんて頭の中から抜け落ちて、真っ白になってしまったのだ。
先程とは違った意味で固まってしまう。
日本の総理大臣にはここまでの威圧感はないだろう。アメリカの大統領だってそうだし、リカルド二世陛下ともまた違う。
青みを帯びた灰色の瞳は瞬き一つせず俺に向けられている。その目で、まるで俺の全てを暴こうとでもいうような。
立ったままの俺を気にせず、ウィリアムさんとウィリアムさん2号も、丸テーブルの空いている席に座った。
男は葉巻を口から外して、煙を吐き出す。
「かけよ」
「は、はい」
低い声に命じられて、俺はうろたえながら腰掛けた。
道場に悪戯書きをした幼少時代に、怒った父親を前にした時の気分と似ていた。まるでこれから叱られますよ、という雰囲気に、身体を縮める。
それなのにウィリアムさん達は何処吹く風で笑顔を浮かべたまま。
空気が読めていないとしか思えないウィリアムさん2号が、ふ、と呼気を吐くようにして笑った。
「緊張なされなくて結構ですよ、ツカサ様」
無理です、と言えなかったのは、言葉が喉元で凍っていたから。実際口が動いたとしても、言えそうにはなかったけれども。
ウィリアムさん2号がいっても30歳中頃だとしたら、目の前の男性は50代ぐらいだろうか。白い色の混じり始めた暗い金髪をオールバックにしているせいで、顔つきが二割り増しくらい厳格に見える。
本当だったらすぐにでも目を逸らしたいのだが、男性の鋭い視線がそうはさせてくれず、俺は萎縮しながらも男を見つめ続けていた。
男はどういう心積もりなのか、葉巻を吸ったり吐いたり。
本当だったらウィリアムさん2号の素性が気になって気になって仕方がない所なのだけれど、それ所じゃない俺は、ただただ身を縮めていた。
「ツカサ様、こちらはゲオルグ・アラクシス殿下でいらっしゃいます」
――ん? アラクシス?
「そして、私はシリウス・ハイネル・アンサと申します」
――アンサ?
疑問が浮かんだおかげで、俺はやっとこさゲオルグ殿下から顔を背ける事に成功して、シリウスと名乗ったウィリアムさん2号を見る事が出来た。こちらの緊張を解いてくれるような、何とも優しい笑顔にほっとするけれど。
俺がハンナさんから学んだ知識からすると、アラクシスというのは王族の氏で、アンサというのは――確かウィリアムさんがそうじゃなかっただろうか。
僅かに視線を揺らすと、俺の心を読んだかのようにシリウスさんが頷いた。
「ゲオルグ殿下は、グランドの名を冠していらっしゃいます。そして国王陛下の叔父にあたる方です」
国王陛下の第一親等に当たる家族を王家、すなわちグランディアと呼び、過去に王家、と数えられた人間はグランドと呼ぶ。だから今、グランディアを名乗るのは国王陛下とティシアさんだけ。リカルド二世の前はその父親が国王だったから、その兄弟にあたる人がこのゲオルグ殿下――という事だと理解した後。
「私は、ウィリアムの叔父で、ハイネル公爵家の当主でもありますが」
「叔父上が一応、宰相閣下です」
場の雰囲気が許してくれるなら、頭を抱えたいくらいだった。
思考が中々追いつかず、混乱してしまう。咀嚼するようにして、頭の中でシリウスさんの言葉を反芻する。
その間にシリウスさんが、「一応とは何事ですか」とウィリアムさんを睨んでみせたり「見えないんだから仕方ありません」とかウィリアムさんが答えているのは、どうでもいい。
つまり、なんだろう。国王陛下を凌駕するような凄みを持ったゲオルグ殿下は、宰相閣下では無くて、王族で。国王陛下とティシアさんの血の繋がった叔父さん。確かに有無を言わさぬ迫力は国王陛下と通じる所があるから納得も出来るのだけれど、顔形はあまり似ていない。あの兄妹は神懸かった美貌だけれど、ゲオルグ殿下は――平凡な方だし。というかティシアさんって養女だったりするんじゃないだろうか。
容量オーバーすると思考が明後日の方向を向き出すのは、俺の悪い癖だ。
えぇと、だから。
宰相閣下はウィリアムさんの叔父のシリウスさんで、彼はちっとも偉ぶった所がなくて――ウィリアムさん同様華やかなパーティーとかで女性を侍らせているようなのが似合っている、というか。そんな感じだけれども、宰相っていう国のお偉いさんで。
俺が会う予定だった宰相閣下がシリウスさんという事は、だ。
今どうして、俺の素性を知らない筈のゲオルグ殿下がこの場にいるんだろう。
「貴公に興味があったのでな」
――この世界の人は、エスパーですか?
「ああ、すみません。つい、口を滑らせてしまいました」
ウィリアムさんと不毛な言い合いを続けていたシリウスさんが、ゲオルグ殿下の言葉に口を挟む。
悪びれなく言われてしまうと、何も返せないから不思議だ。
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