alexandrite

なち

文字の大きさ
上 下
15 / 64
第一章

アレクセス城の魔王 8

しおりを挟む


 その日、ティシアさんは外地で催される夜会の為に、ハンナさんを連れ立って午後にはアレクセス城を旅立った。夜会には王の代行として騎士のライドも行くらしい。ジャスティンさんも忙しいらしく、午後から翌日の夜まで、俺は完全にフリーだった。
 どこかの伯爵家だとか侯爵家から招待を受けていたが、一人では参加しない事に決めているから丁重にお断りして、さて何をしよう、と暇をもてあましている所だった。
 俺はいまだ諦めず帰る方法を探していたが、過去の記録にはヒントもなく、聖堂を覗かせてももらったのだがちっとも意味が無かった。召喚の儀式、というのをもう一度ティシアさんとジャスティンさんにしてもらったのだが、これも全く成果を得られなかった。
 儀式の時にジャスティンさんが唱えた神聖書といわれるものを見せてももらったが、特別な文字らしくてこれは俺には読めなかった。神聖会という組織に所属する神官が習う神の文字で、だからジャスティンさんの時間がある時に彼に読んでもらう事にしていた。
 今のところ、他に何を調べたらいいのか分からず、難航中。
 暇潰しに、とハンナさんが用意してくれた伝記本とか小説とかは、数分読んで閉じてしまう。漫画ならまだしも、活字だけのそれは中々頭に入ってこない。
 だから自室から庭園を眺めながら、ただぼうっとしていた。
 そんな俺の神の助け、とばかりに訪ねて来てくれたのは、ウィリアムさんだ。
 相変らず華やかな笑みを浮かべて、仰々しい程の礼をしてみせた。
「ご機嫌いかがですか、ツカサ様」
 今日も右耳には宝石が4連繋がったピアスをしている。
「退屈、です」
 逡巡した後、思ったまま口にすれば、朗らかな笑い声を立てる。親しみ易い人だ。
「では、この後の予定も特にございませんか?」
「えーと、特には……」
「それは良かった」
 首を捻る俺の眼前で、ウィリアムさんはもったいぶるように咳払いをした。ことさらゆっくりと唇を弓形に歪め、次いで瞳を細める。思わず息を止めて見入ってしまう。
「ツカサ様はまだ、宰相閣下にはお会いになっておりませんよね?」
告げられた通りだったので、頷く。
 こちらの素性を知っている者として一応存在だけは聞いてはいた。ただ国の政務を一手に引き受ける多忙な人で、中々会う時間が取れない、という事だった。俺は会う必要は無いと思っているんだけど、そういうわけにもいかないらしい。
「宰相閣下は現在、数十分手が空くようなのです。ディジメンドを離れるわけにはいきませんが、ツカサ様がご面倒でなければぜひそちらでお会いしたいと言付かって参りました」
 案内係を仰せつかりました、とウィリアムさんが続けた。俺はクレメンデとグランディア城には行った事があるが、ディジメンドには行った事が無い。その必要性が無いだけだけれど。
 面倒というよりは偉い人に会う、という状況があまり歓迎できないのだけれど、暇と言ってしまった手前断るわけにもいかなかった。
「……分かりました」
 緊張からか強張った顔で応じると、ウィリアムさんは畏まる相手ではありませんよ、と微笑んだ後、ただ、と声を潜めた。
「申し訳ありませんが、着替えて頂けますか」

 それから正装の一つである服に着替えた俺は、ウィリアムさんに先導されてディジメンドへと向かった。馬車で数分、ウィリアムさんと向かい合って歓談しながら、着慣れない窮屈な服に我知らずそわそわしてしまう。襟と合わせの部分が色合いは白一色なのだけれど華美な形をしていて、ごわごわしていて、それが視界に入るのが落ち着かないのだ。赤いベストと黒いジャケットは許容範囲だが、下は膝下丈のスボンの下に――タイツ、なのだろうか。これも慣れない肌触りで身体にフィットする感じがどうも嫌だ。下は野球のユニフォームみたいに見える。
 あとは前髪だけ垂らして、それ以外の髪を後ろに撫で付けて固めているのだが、その感触も何とも言えない。整髪料が無臭であるのが救いだろうか。
 部屋の全面鏡で見た時は気持ち悪い程似合っていないと思ったのだが、ウィリアムさんが笑顔で「素敵です」と言ってくれたので、良しとしておく。
 こういう格好は晩餐会とか貴族とのお茶会などで何度も着ているが、いっこうに慣れない。馬子にも衣装、じゃないけど、そういう感じで違和感がありまくりだ。
 ウィリアムさんの服装も、きっちりかっちり。ハイネックの上着は裾が左側から後ろにかけてが太腿にかかるくらいの長さ、右側だけ腰辺りで、右のサイドが合わせになっている。濃紺のそれの合わせと裾やら袖口は金色の刺繍が施されていた。右側が短くなっているのは、そちらに剣を帯びるからだという。あとは袖が肘のちょっと下までしかない。袖の終わりは一捲りした、みたいな状態。その下に黒いシャツを着込んでいる模様。ズボンも同じ紺地で、それをブーツインしている。
 ――あんまり服の仕様には詳しくないから、どう表現していいのかわからないけど、兎に角イメージは軍服って感じだ。
  どちらかというと今着ている俺の衣装より、ウィリアムさんのそれの方が格好良いし動き易そうに見える。
 馬車を降りた後は、そのまま部屋へ一直線。
 あれよあれよという間にノックをしたウィリアムさんに応えるようにして、外開きの扉が開いていた。
「お待たせ致しました、閣下。ツカサ様をお連れ致しました」
 流れるような動作で右手を胸に置き、腰を落として頭を下げるウィリアムさんに続き、室内に通される。
「ようこそ。ご足労頂いて申し訳ありません」
 扉を開けてくれたのだろう相手が、声の主だった。ウィリアムさんがしたように頭を下げていた男性が顔を上げる。
 俺はその人に驚いて、ぽかんとしてしまった。
 何時の間にか隣に並んだウィリアムさんと、男性の容姿はそっくりだった。ただ身長が少し高く、ウィリアムさんより年上である事は間違いなかった。
 すらりとした体躯をもった男性は、ウィリアムさんと同じ色の瞳を優しく細めた。中央分けして頬で切り揃えた前髪といい、華やかな笑顔といい、ウィリアムさんが年を重ねたらこうなるんだろうなと容易に想像がいく。ただ髪の長さはウィリアムさんよりは長いようで、ポニーテールした髪の毛が扉を閉めた彼の背中で踊っていた。
「どうぞ、中へ」
 俺が出来たのは、頭を少し前に下げる事だけ。
 不躾なまでに男性の顔をじろじろと見てしまったのに、彼は笑顔を崩さない。
「おかけ下さい」
 そうして椅子を引いてくれる男性にもう一度頭を下げようとしてから、目の前に座っている男の存在に気付いた。
 厳しい顔の男性は、睨むように俺を見ていた。
 その人の放つ空気に気圧されながらも、俺は慌てて礼をした。恐らくこの人が宰相閣下なのだろう、と思ったのだ。
 でも何て言ったらいいのか分からなかった。その人を見た瞬間散々教え込まれた礼儀作法なんて頭の中から抜け落ちて、真っ白になってしまったのだ。
 先程とは違った意味で固まってしまう。
 日本の総理大臣にはここまでの威圧感はないだろう。アメリカの大統領だってそうだし、リカルド二世陛下ともまた違う。
 青みを帯びた灰色の瞳は瞬き一つせず俺に向けられている。その目で、まるで俺の全てを暴こうとでもいうような。
 立ったままの俺を気にせず、ウィリアムさんとウィリアムさん2号も、丸テーブルの空いている席に座った。
 男は葉巻を口から外して、煙を吐き出す。
「かけよ」
「は、はい」
低い声に命じられて、俺はうろたえながら腰掛けた。
 道場に悪戯書きをした幼少時代に、怒った父親を前にした時の気分と似ていた。まるでこれから叱られますよ、という雰囲気に、身体を縮める。
 それなのにウィリアムさん達は何処吹く風で笑顔を浮かべたまま。
 空気が読めていないとしか思えないウィリアムさん2号が、ふ、と呼気を吐くようにして笑った。
「緊張なされなくて結構ですよ、ツカサ様」
 無理です、と言えなかったのは、言葉が喉元で凍っていたから。実際口が動いたとしても、言えそうにはなかったけれども。
 ウィリアムさん2号がいっても30歳中頃だとしたら、目の前の男性は50代ぐらいだろうか。白い色の混じり始めた暗い金髪をオールバックにしているせいで、顔つきが二割り増しくらい厳格に見える。
 本当だったらすぐにでも目を逸らしたいのだが、男性の鋭い視線がそうはさせてくれず、俺は萎縮しながらも男を見つめ続けていた。
 男はどういう心積もりなのか、葉巻を吸ったり吐いたり。
 本当だったらウィリアムさん2号の素性が気になって気になって仕方がない所なのだけれど、それ所じゃない俺は、ただただ身を縮めていた。
「ツカサ様、こちらはゲオルグ・アラクシス殿下でいらっしゃいます」
 ――ん? アラクシス?
「そして、私はシリウス・ハイネル・アンサと申します」
 ――アンサ?
 疑問が浮かんだおかげで、俺はやっとこさゲオルグ殿下から顔を背ける事に成功して、シリウスと名乗ったウィリアムさん2号を見る事が出来た。こちらの緊張を解いてくれるような、何とも優しい笑顔にほっとするけれど。
 俺がハンナさんから学んだ知識からすると、アラクシスというのは王族の氏で、アンサというのは――確かウィリアムさんがそうじゃなかっただろうか。
 僅かに視線を揺らすと、俺の心を読んだかのようにシリウスさんが頷いた。
「ゲオルグ殿下は、グランドの名を冠していらっしゃいます。そして国王陛下の叔父にあたる方です」
 国王陛下の第一親等に当たる家族を王家、すなわちグランディアと呼び、過去に王家、と数えられた人間はグランドと呼ぶ。だから今、グランディアを名乗るのは国王陛下とティシアさんだけ。リカルド二世の前はその父親が国王だったから、その兄弟にあたる人がこのゲオルグ殿下――という事だと理解した後。
「私は、ウィリアムの叔父で、ハイネル公爵家の当主でもありますが」
「叔父上が一応、宰相閣下です」
 場の雰囲気が許してくれるなら、頭を抱えたいくらいだった。
 思考が中々追いつかず、混乱してしまう。咀嚼するようにして、頭の中でシリウスさんの言葉を反芻する。
 その間にシリウスさんが、「一応とは何事ですか」とウィリアムさんを睨んでみせたり「見えないんだから仕方ありません」とかウィリアムさんが答えているのは、どうでもいい。
 つまり、なんだろう。国王陛下を凌駕するような凄みを持ったゲオルグ殿下は、宰相閣下では無くて、王族で。国王陛下とティシアさんの血の繋がった叔父さん。確かに有無を言わさぬ迫力は国王陛下と通じる所があるから納得も出来るのだけれど、顔形はあまり似ていない。あの兄妹は神懸かった美貌だけれど、ゲオルグ殿下は――平凡な方だし。というかティシアさんって養女だったりするんじゃないだろうか。
 容量オーバーすると思考が明後日の方向を向き出すのは、俺の悪い癖だ。
 えぇと、だから。
 宰相閣下はウィリアムさんの叔父のシリウスさんで、彼はちっとも偉ぶった所がなくて――ウィリアムさん同様華やかなパーティーとかで女性を侍らせているようなのが似合っている、というか。そんな感じだけれども、宰相っていう国のお偉いさんで。
 俺が会う予定だった宰相閣下がシリウスさんという事は、だ。
 今どうして、俺の素性を知らない筈のゲオルグ殿下がこの場にいるんだろう。
「貴公に興味があったのでな」
 ――この世界の人は、エスパーですか?
「ああ、すみません。つい、口を滑らせてしまいました」
ウィリアムさんと不毛な言い合いを続けていたシリウスさんが、ゲオルグ殿下の言葉に口を挟む。
 悪びれなく言われてしまうと、何も返せないから不思議だ。




しおりを挟む
home site
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

王命って何ですか?

まるまる⭐️
恋愛
その日、貴族裁判所前には多くの貴族達が傍聴券を求め、所狭しと行列を作っていた。 貴族達にとって注目すべき裁判が開かれるからだ。 現国王の妹王女の嫁ぎ先である建国以来の名門侯爵家が、新興貴族である伯爵家から訴えを起こされたこの裁判。 人々の関心を集めないはずがない。 裁判の冒頭、証言台に立った伯爵家長女は涙ながらに訴えた。 「私には婚約者がいました…。 彼を愛していました。でも、私とその方の婚約は破棄され、私は意に沿わぬ男性の元へと嫁ぎ、侯爵夫人となったのです。 そう…。誰も覆す事の出来ない王命と言う理不尽な制度によって…。 ですが、理不尽な制度には理不尽な扱いが待っていました…」 裁判開始早々、王命を理不尽だと公衆の面前で公言した彼女。裁判での証言でなければ不敬罪に問われても可笑しくはない発言だ。 だが、彼女はそんな事は全て承知の上であえてこの言葉を発した。   彼女はこれより少し前、嫁ぎ先の侯爵家から彼女の有責で離縁されている。原因は彼女の不貞行為だ。彼女はそれを否定し、この裁判に於いて自身の無実を証明しようとしているのだ。 次々に積み重ねられていく証言に次第追い込まれていく侯爵家。明らかになっていく真実に、傍聴席で見守る貴族達は息を飲む。 裁判の最後、彼女は傍聴席に向かって訴えかけた。 「王命って何ですか?」と。 ✳︎不定期更新、設定ゆるゆるです。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

明智さんちの旦那さんたちR

明智 颯茄
恋愛
 あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。  奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。  ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。  *BL描写あり  毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。

【完結】辺境伯令嬢は新聞で婚約破棄を知った

五色ひわ
恋愛
 辺境伯令嬢としてのんびり領地で暮らしてきたアメリアは、カフェで見せられた新聞で自身の婚約破棄を知った。真実を確かめるため、アメリアは3年ぶりに王都へと旅立った。 ※本編34話、番外編『皇太子殿下の苦悩』31+1話、おまけ4話

身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~

椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」 私を脅して、別れを決断させた彼の両親。 彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。 私とは住む世界が違った…… 別れを命じられ、私の恋が終わった。 叶わない身分差の恋だったはずが―― ※R-15くらいなので※マークはありません。 ※視点切り替えあり。 ※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。

裏切りの先にあるもの

マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。 結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。

処理中です...