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なち

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第一章

ツカサの憂鬱 5

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 ティシアさんの強い意志の篭った言葉に全員が神妙な顔つきを見せた。
 俺には理解しがたい事だったけれど、ティシアさんが早婚するのは義務であり、ティシアさん自身も周りもそれを受け止めて、早婚ムードで居るのだという事は分かった。
 自分も恋愛をすれば結婚したいという気分になるのだろうか。
 兎に角、ティシアさんの結婚に対する考えと意識はよく分かった。その難しい立場に同情するのも変だけど大変だなとは思えた。
 けれど、結局の所、
「それで何で異世界から俺を呼び出す羽目に?」
 しばらく次の言葉を待っていたけれど、いっこうに口を開く気配が無かったから、控え目にこちらから聞いてみた。
「成人と共にっていうのは目安で、少なくとも数年は猶予もあるんだろ? 仮に今好きな人が居なくたって、その期間の間に好きな人が出来たら結婚すればいい話じゃんか」
 俺にとっては俄かに信じがたい話だが、国王陛下が相手は誰でもいいと豪語するのだから、あとはティシアさんの気持ち一つという事ではないのだろうか。
「異世界人なんて誰が来るかも分からないし、どんなのかも分からないじゃん。俺なんかティア(さん)と人種も違うし、生活も趣味とかも全然合わないと思うんだよね。ティア(さん)の趣味じゃないようなのが召喚されても、文句言わず結婚するわけ? どうしてそんなリスクを負う必要があんの?」
 前日に国王陛下に「こんなのでいいのか」と言われたが、全くその通りだと思う。背格好は小柄なティシアさんの隣に似合うかもしれないが、それだけだ。自分は話し方一つ取っても庶民だし、教養とか無いし、顔なんてティシアさん達に比べたら平凡なものだし、これといって自慢できるものが無い。剣道の腕なんてあった所で、何という話だ。
「俺なんかより、ジャス(ティンさん)とか、ライド(さん)と結婚した方が絶対上手くいくし」
「そんな事はありませんわ」
黙って俺の話を聞いていたティシアさんが、そこで口を挟んだ。きっぱり、と言い切るそれは淀みも無く、
「この世界の誰よりも、ツカサが良いのです。この国の人間なんて、絶対に選びません」
 ただそこには頑ななまでの意思があった。
 益々不可思議な話に俺が他の三人に視線を向けると、ライディティルさんは肩を竦め、ハンナさんは目を伏せ、ジャスティンさんは曖昧に笑っただけ。
「ツカサ、あなたには嘘は付きたくありません」
 ですから隠す事無く言うのですけれど、そう前置いてティシアさんが俺を真っ直ぐに見た。どこか痛みと悲しみを潜ませた紺碧の瞳が翳る。
「わたくしはお慕いしている方がおります。お互いに愛し合っていて――」
「っじゃあその人と結婚すればいいじゃん!!」
「……出来ないのです」
 パリ、と隣で焼き菓子を咀嚼する音が、まるでティシアさんの陰りを演出するように聞こえた。
 ふぅと長い息を吐き出したティシアさんの顔が、窓の外、遠くを見る。
「お兄様のお許しが頂けないのです」
「……誰でも好きな人と結婚していいんじゃないの?」
「……彼以外なら、と……」
 ――何だか悲惨な話である。誰でも良いのに唯一、好きな相手は駄目って、どういう采配なのだろう。
「勿論お兄様にお許しいただく為に、わたくしも言葉を尽くしましたわ。彼と一緒にお願いにも上がりました。正攻法以外にも断食や泣き落とし、恨みの言葉を吐き散らしたりも致しましたし、駆け落ちも致しました。――三時間で見つかってしまいましたけれど」
 ちらり、とハンナさんに視線を移すティシアさん。
「私を巻こうなんて百年早うございます」
 ――成程。
 それにしても、見た目にそぐわぬ結構な無茶振りだと思う。一国の王女様、それも先程真摯に王女の義務や責任を説いていた人間と同じ人だとはとても思えない。
 何度も言うが、妹思いとかそんな人情のなさそうな国王陛下だが、聞く限りではティシアさんの結婚相手に対してはひどく寛容なようであるのに、その国王陛下の許諾が得られない相手というのは、一体どれだけ問題があるのだろう。
「その相手って、どんな人なの?」
 興味が勝って聞いてみれば、ティシアさんが恋バナに夢中になる女学生みたいに、ぱっと表情を綻ばせた。
「とても優しくて紳士な方ですのよ。人の気持ちに聡くて、思慮深くていらっしゃるの。時々見せるはにかんだ笑顔が何時もの大人な様子と違ってお可愛らしくて……声もお素敵でいらっしゃるの。詩を聞かせて下さるその姿は、壁画に描かれる天使様のようで――」
「伯爵家のご子息でいらっしゃいます。見目麗しくいらっしゃって、顔だけ見れば数多の独身貴族の中で五指には入りましょうが」
「若いのにギャンブルにはまって、賭博に入り浸ったり、酒や女に目がなくて、酒場や歓楽街によく出没したりな。泣かせた女の数は星の数とも言われる」
 何時までも続きそうだった乙女の話を、ハンナさんとライディティルさんの兄妹が無遠慮に遮る。
「まあだから、王女みたいなウブな女を落とす手練手管には長けて――」
ただライディティルさんの最後の一言は余計だったようで、ハンナさんに鋭い視線をくらい黙った。
「確かに、以前はそういう噂の絶えない方でしたわ」
「真実ですよ」
「黙って、ハンナ。あの方はわたくしを愛して下さいました。そして今までの行いを心から悔いて、改心されたのです」
「……まあ確かに、王女殿下とお会いになった頃から、大人しくはしてんだ」
 どっちの味方なのか、ライディティルさんはけなしたり擁護したり忙しく、その度にティシアさんが顔を曇らせたり明るくしたりしている。
「ただ、王女の資産を狙ってるという見方もあるがね」
 ティシアさんは実際に管理はしていないが、幾つかの土地や別荘等の資産を持っているらしい。結婚した場合、嫁いだ先にそのまま移行される財産だ。
「わたし個人としては、改心されたのだと思いたいですけれど」
 神官、という職業柄か、ジャスティンさんは慈悲深い意見を述べる。
「人間の本性は易々と変りません」
 俺としてはきっぱりと言い切るハンナさんの意見に賛成だった。
 大体、愛などという感情で生活の全てを変えられるなんて胡散臭くて仕方が無い。財産目当てだというのが一番しっくり来るし、相手が猫を被ってるんだろうとしか思えない。
 仮に改心したのだとして、所詮一時盛り上がっただけの感情だ。時間が経っても過去に戻るはずがない、と信じられる程、俺は甘ちゃんじゃない。
 実際に改心できるのは一握りの人、奇跡のような確率である。
 今の話を聞いただけの俺があり得ないと思うのだから、国王陛下が抱く懸念というのは計り知れないものがある。第一大事にしている妹の相手、というからには、色んな角度から調査していそうだし、その上で駄目だというのだから、やはり人間的にどこか欠陥がある人なんじゃないかと思う。
「お兄様は彼を辺境の地に左遷してしまわれて――それがわたくしの所為だと思うと心苦しいのですけれど、でもそうまでされるお兄様の気持ちが、変るとはとても思えないのです」
 打てる手は全て使い、心身共に自分も疲れてしまったのだと、泣きそうな顔でティシアさんが言う。思わずハンカチを差し出したくなるような、胸にくる表情だった。
 けれど俺も、その相手は諦めるべきだと思う。諦めて違う人に目を向けて、そうしている間に他の人に惹かれるだろう。愛とか恋なんて、永遠じゃあないのだから。
「でも同じ様に、私の心が他の方に向くとも思えません」
 なのにティシアさんは、まるで俺の心の声に答えるようにして、顔を上げて言い放った。
 思わず目を見開いた俺の横で、深い嘆息が聞こえる。
「あの方以上に愛する方なんて、絶対におりませんわ」
「……分からないじゃん」
「分かります!」
 なんて頑固な物言い。
「成人の年を前にして、ティシア様の元には求婚者が後を絶ちません。これからも増えましょうし、成人してしまえば今でこそ控えめなそれが煩わしくもありましょう。既にそういったものに、うんざりしてらっしゃるんです」
「それから、意地にもなってるな。エドに対する嚥下出来ない感情から、エドの一番困る相手を選ぼうとしてる。この国の人間を選んだ日には、あいつの思い通りになったみたいで嫌なんだろう」
「子供の癇癪みたいなものです」
 ずけずけと、ブラガット兄妹が言う。ライディティルさんの話を思い返せば、恐らくティシアさんも同様幼い頃からこの兄妹と知り合いなのだろうが、それ故かとても気安い。ハンナさんなんかは今まで始終ティシアさんを敬っていたのに、ここに来て一気に砕けたように感じる。
「二人とも、黙って」
 それを瞳だけは笑わない笑顔でティシアさんが留めれば、二人は口を噤む。
 その様子をジャスティンさんは、ただ穏やかに見つめているだけ。
 どうやらここにある関係は、主人と臣下というだけのものではないようだ。ブラガット兄妹と国王兄妹が幼馴染みたいな関係なのだろうと推測出来るが、ジャスティンさんはどんな位置づけなのだろう。神官というのは多分、王族の側近というのとはまた違うと思うし、幼友というには年が離れすぎている。ライディティルさんとジャスティンさんの間には友情もあり得るかもしれないが、今までの所この二人が気軽く会話をしている様子は無い。どちらかというとジャスティンさんとティシアさんが一番懇意である。
 三竦み状態のティシアさん達とジャスティンさんを一通り見回してから、また話が止まってしまったので、俺は先を促す事にした。
「……それで、何で俺が?」
 四人が顔を見合わせて、ジャスティンさんが「そうでしたね」と苦笑してから、ではと続けた。
「その件はわたしがご説明しましょう」
 もう、誰が説明してくれてもいいです。そう思いつつ「お願いします」と頭を下げておく。
「わたしが神官だと一度申し上げたかと思いますが、わたしは王城にあるエスカーダ大聖堂で仕えております。ツカサ様と最初にお目にかかった部屋はその一室ですが、あの部屋は普段は開かずの間になっていて、とある儀式の際にしか開かれないものなのです」
 聖なる創生神の息吹が篭る部屋、それが地下にあったらしいあの部屋。ステンドグラスぐらいしか目ぼしいもののなかったそこで行われる儀式とは、ずばり異世界人の召喚。創生神が異世界との扉を開き、俺のように異世界人を導くという。
 その扉が何でコンビニのトイレなんだ。
「グランディアではしばし、今回のように異世界人の召喚を致します。前回は300年程前、時の王フェルテン王の時代になりますか。異世界から参られた女性がフェルテン王の正妃となられて、その世は繁栄致しました」
 召喚自体は創生神の血を引くとも言われる王家アラクシスの血族と、創生神の言葉を代弁する神官の二人が必要だという事で、それがティシアさんとジャスティンさんだという。
「異世界人を召喚し伴侶とされた方は悉く幸福と栄華を得て参りました。異世界人の偉業を歴史は語り、それはまた人の記憶に残り、現代まで受継がれているのです。ですから我ら家臣にとっても、民にとっても、勿論国王にとっても、王女殿下の伴侶としてツカサ様を召喚出来た事は、祝福すべき事です」
「……」
 思わずぽかんと大口を開けてしまった俺の前で、うんうんと頷く彼らの表情には、からかいも疑いもない。簡単に言ってしまえば、異世界人と結婚すれば幸せになれるんですよ、という事だが、まるで質の悪い宗教団体の勧誘のようだ。それこそこのウン十万円する壷を買って家に置くだけで、幸せになれますと言われているのと同じ。
 でもそれが、このグランディアという国では別段おかしい事ではないのだ。
 それは例えば俺達日本人が、外国人から納豆は腐った豆で食べ物ではないぞと言われたって、だから何と思ってしまうのと同じなのかもしれない。
 でもだからってこれを納豆と一緒にしていいものか。
 未来なんて不確定なものをそんな迷信めいたもので信じきれるなんてどうかしてる。例えば相手が生理的に許容出来ないような人でも、必ず幸せになれるんなら許せるのだろうか。
 何よりあの国王陛下も、そんな迷信を信じて、異世界人と結婚する事が妹王女の幸せだと本当に思っているのだろうか。国王陛下の事なんてちっとも知らないけれど、あの人は究極の現実主義で自分の力以外は信じていない傲慢で血も涙もない冷血漢なんだ、という勝手な人物像が俺の頭の中に出来上がっている。第一印象のみで形成されたものだけれど、俺は俺の第六感的なものを信じきっている。
「……それで、俺が結婚相手でいいの?」
 もう何度目かしれない質問を、脱力しながら投げかける。既に温くなってしまったティーカップを、行儀は悪いだろうが音を立てて啜る。作法のなっていない俺に呆れてくれないかな、なんて事も思いながらの行動だ。
「他の誰よりも、幸福な未来を予感できますわ」
 けれど俺の無作法など全く気にせず、勿論、とティシアさんは悩むべくも無いと首肯してみせた。
 頑固さ、ここに極まれり。
 そして周りの人間は、もう何を言っても仕方がない、とでも思っていそうだ。ハンナさんの態度は特に、面倒事だと言わんばかりだから。
 それでも主君に忠実であるのは、臣下の鑑といえるだろう。
「色々と指南する点はございますが、一月もあれば立派な紳士に仕立ててみせます」
ハンナさんは俺に不満はあるものの、という感じで俺の頭から爪先を見回した後、明け透けな発言で俺を凍らせる。背中を冷たい汗が流れ落ちた気がした。
 誰か一人ぐらい問題視してくれないものかと思ったけれど、そんな願いは叶わなかった。
 本当に、俺には、選択肢がないらしい。


 ――だけど……俺には俺で、結婚出来ないわけがあるのだ。




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