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「イルシオン王は幼い頃から次期国王として育てられ、国を追われるまでは、王宮での生活しか知らなかった。王妃も当時の筆頭貴族である公爵家の令嬢で、公爵家と王宮での生活しか知らなかったはずよ。おそらく二人共、なんの疑問もなく『伝統的な』王族の習慣に従っていたでしょうね。私よりはるかに当たり前に」

「そんなはずは…………!」

「根拠はあるわ。帳簿よ。ロヴィーサ王宮の全支出入を記録した、国庫の記録。その過去四十年分を、この二年の間に調べたの」

「そんなことが…………」

あなたアウラにできるはずがない、って? 見くびらないで。これでも計算はそこそこ得意なのよ。簿記一級を持っているし、税理士の勉強もしてたし。まあ、経理として正社員採用された会社は二年で潰れて、その後は派遣つづきで出番はなかったけど」

「は?」

「こちらの話。とにかく、記録と計算にはちょっと自信があるの。で、ロヴィーサの過去の支出を見直してわかった。イルシオン王と彼の王妃に関する支出とその内容は、それ以前のロヴィーサ王達と大差ない金額。二年前までのアウラとも同等か、それ以上だわ。つまりイルシオン夫妻も食べきれない量の豪華な料理を並べて、伝統的な作法にのっとった着替えをして、女官達に多額の給料を渡していたのよ」

「そんなはずはない! 陛下も王妃様も、贅沢を好まない人柄で…………!」

「記録上はとしか読みとれないの。質素だったのは、逃亡中だったからじゃない? むしろ夫妻の持ち物リストを確認すると、追放後にまとまった数の宝石や衣装や身の回りの品々が無くなっていたわ。信じられないなら、あなたの目で確認すればいい。女王わたしは捕えられたんだし、次のロヴィーサ国王になるあなた達兄妹は、王宮のすべての記録を見る権利と義務があるわ」

「…………っ」

 ソヴァールの白皙が青ざめ、ますます白く見える。

「もう一点、帳簿から読みとれることがあるの。この馬鹿げた『伝統』による支出は一時、途絶えている。十八年前から十三年前まで。これがなにを意味するか、わかる? そう、前ロヴィーサ国王とその王妃の時代」

 二十一歳の女王は人差し指を立てて告げた。

「つまり、あなた達の言う『簒奪者』レベリオ王の在位中。レベリオ王は即位すると、この非効率でお金ばかりかかる伝統を廃止し、この仕事に就いていた貴族も全員、解雇した。彼だけでなく、彼の王妃も王女だった頃のアウラに対してもね。さらに彼の時代には、式典の数も減らされている。そうやって支出を抑えていたのよ」

「!!」

「私も思い出したの。たしかに昔、レベリオ王が生きていた頃、私の着替えや身の周りの世話をするのは、数人の侍女だけだった。でも父上が亡くなられて、母上も亡くなられて…………いつの間にか今の形式になっていたのよ。あの、時間と手間とお金ばかりかかる着替え方にね」

 正確には桜子の記憶ではないし、レベリオ王夫妻は桜子の父や母ではない。が、それはここで説明する必要も理由も時間もない。

「伝統や式典は途切れていたのよ。でも、それらを復活させた者がいる。それは誰か? アウラではないわ。レベリオ王が亡くなった時、私《アウラ》は八歳。『伝統を復活させたい』という意思も発想もなかったし、そんな伝統があること自体、知らなかった。ならば、残る可能性は一つ。大臣達。特に、八歳で王位に就いた私の『摂政』としてロヴィーサ王宮を牛耳っていた、ロヴィーサ貴族筆頭にして宰相、ドゥーカ公爵ね」

 ソヴァールは青ざめ、立ち尽くす。

「ドゥーカ公爵が何故、そんなことをしたか。憶測だけど、貴族達のためでしょうね。たぶん十八年前も、貴族達は大事な『仕事』を奪われて憤慨したのよ。その貴族達に仕事を返してやることで、ドゥーカ公爵は彼らに恩を売り、貴族達も収入源の一つを確保することができた。国庫の赤字と引き換えにね。公爵は『あの伝統は王と貴族達の絆を強めるもの』と説明していたけど、本当に強くなったのは公爵と貴族達の絆だった、というわけ」

 桜子は開いていた手作りの名簿を閉じた。

「…………レベリオ王の遺した政策案にも目を通したわ。日記も。王族の血を引くといっても、レベリオ王は貴族としては上の下で、生活環境はイルシオン王とずいぶん違ったみたい。だからこそ、彼はロヴィーサ王族の伝統のおかしさに気づいた。何度か、イルシオン王に伝統の廃止や倹約案を勧めたみたい。でもレベリオ王の日記を信じるなら、イルシオン王はあの伝統を必要と信じて疑わなかったみたいね。レベリオ王はやがて、反乱という手段に出たのよ」

 美しい女王の整った横顔が憂いにくもる。

「無駄な伝統を廃止して様々な改革案を通すには、権力が必要だった。その権力を手に入れるには――――何年もかけて人脈と実績を作って大臣になるより、血脈を頼って最高権力者になったほうが早い。そう考えたのね。血が流れたことを考えれば、もう少し穏当な方法はなかったかと思うし、生まれたばかりの王女を抱えて、わずかな家臣と共に逃亡生活を送ることになった、あなたがた家族は同情に値すると思う。その点については、今頃レベリオ王自身があの世で清算を求められているでしょう。それに」

 桜子女王は断言した。

「レベリオ王が治世で失敗したのは事実よ。彼は国王に必要な教育を受けておらず、王位に就いても、すぐに結果を出すことはできなかった。彼が成功したのは、無駄な伝統といくつかの式典を廃止して、それによって浮いた予算を一部の借金の返済と下男下女の賃金の値上げに回したくらい。その他の政策は大半が失敗したわ。机上の空論だったから。でもね」

 琥珀色の瞳がイルシオン王の息子の瞳を見据える。

「レベリオ王は、そこであきらめる人ではなかった。逃げ出したり、責任を放棄するような人柄ではなかったの。彼は、自分に知識や能力が足りていないことを自覚すると、それを補う努力をはじめた。家族との時間を削り、寝る間も惜しんで、王としての勉強や情報収集にいそしんだのよ。彼はもともと大学で法律や税制を学んでいたから、自分で国庫の状態を調べるのと並行して、優秀な教授達を呼び寄せて、国庫回復のための税制改革案を作っていた最中だった。ただそれを実行する前に、彼は事故で急死した。レベリオ王に必要だったのは、なによりも時間だった…………」

 桜子は琥珀色の視線を落とす。

「レベリオ王が残した改革案は、どれも見事な内容だった。あれが実行されていれば、現在のロヴィーサ国庫の状態はかなり改善されていた可能性がある。歴史で『たられば』は無意味かもしれないけど、私も経理を勉強した身。あの改革案は今でも通用する。そう確信したから、あれを実行しようと大臣達と喧嘩している最中だったんだけど…………無駄になったわ」

 女王は肩をすくめた。兵達はみな言葉を失っている。
 ソヴァールが口を開いた。

「――――では、その改革案とやらは、どのような内容だったのです?」

「一言でいうと、『持ってる者から集める』方式よ。貴族に税金をかけて貴族年金も減らし、平民が払う税金は減らして、彼らの勤労意欲を引き出す。そういうやり方」

「貴族に税金をかける…………!?」

「たとえば奢侈しゃし税。簡単にいうと、ドレスや宝石、白磁や馬車といった高級品に、代金の一パーセントを上乗せして、それを税金として徴収するの。買い手は一パーセント余分に払わなければならないけど、貴族は『自分がどれほど高価な品を持っているか』ではりあう人種だから。ドレスや宝石の値段が上がっても『買わない』という選択はない。むしろ、多額の税金を払うことが自慢になるような風潮を作れたら、と思っていたわ。高額納税者ランキングを作って、上位者は表彰する、とかね。理想をいえば二割。駄目でも、一割までは税率を引き上げる予定だった。これですべての赤字が埋まるわけではないけど、助けにはなるし、高級品限定だから事実上、貴族や富裕層のみが払う税金よ。でも駄目だった。大臣達にさんざん反対されてね。タイミングも悪かったみたい。ちょうど平民にかける税率を少し下げたところだったの。貴族達にしてみれば『下々による不足の穴埋めを、なぜ高貴な自分達が』という気分だったみたいね」

「…………」

「本当に…………色々あったわ。大臣達とは、特に宰相とは毎日のように喧嘩して…………それでも二年かけていくつかの倹約案は通して、式典の数も減らして、庭園の公開やケーキの印税で細々と稼いで、倹約ばかりだと疲れるから祭りではお金を出して…………」

 日本のバラエティ番組を真似て、計算や詩の暗記、歴史などのクイズ大会を開催して、優勝者には賞品が出るようにした。これは早い段階で認められた数少ない提案だ。大会の賞品程度ならたいした出費にはならないし、なにより祭りは参加者が集まってなんぼだ。大臣達としても、大会の目玉になるようなイベントが増えるのは歓迎だったのである。
 初回の出場者はたいした人数ではなかったが、それでも観客はおおいに盛りあがり、次回からは一気に出場者が増えて、余波として勉強に励む子供や学生達も増えたのである。

「最近はあなたの異母妹のおかげで、ドゥーカ公爵もおとなしくなっていたのに…………」

「フェリシアの? どういう意味です?」

「少し話を戻すけど」と桜子は前置きした。

「ロヴィーサの国庫が傾いた原因は、私じゃない。私が分析した限り、一番の原因は戦費よ」

「戦費…………」

「イルシオン王の父のクラージュ王は、若い頃から大国ブリガンテ相手に戦争をくりかえしていた。せめて、勝って多額の戦利品や領土を手に入れていれば、補填のしようもあったんでしょうけど…………負けたほうが多かったみたい。ロヴィーサの国土の一部も失っていて…………それを埋めるために借金をくりかえして。ロヴィーサの現在の巨額の赤字は、この時代からはじまったもの。これに対して、イルシオン王が効果的な対処をした形跡はなし。逆に、レベリオ王は倹約できるところからはじめたけど…………結果は話したとおりね」

「でも」と女王はつづける。

「戦争による出費が原因とわかった以上、根本原因はとりのぞこうと思って。ロヴィーサとブリガンテの和平と同盟を提案したの。証として、ロヴィーサ女王がブリガンテの王子を婿に迎える、という条件もつけてね。意外にも大臣達はすんなり受け入れたわ」

 レベリオ王とアウラ女王の時代、ブリガンテとの戦争はなかった。
 が、いつ、また大規模な戦端が開かれるかわからない。
 ここで一気に和平と同盟までこぎつけてしまおう。
 ついでに、未婚の女王陛下にも婿もとってしまおう。
 そう、大臣達の意見も一致したのである。
 彼らは彼らで、いま戦争が起きれば今度こそ国庫はもたないことを、理解してはいたのだ。
 話はまたたく間にまとまり、ブリガンテへ使者が送られる。

「ブリガンテには三人の王子がいる。王太子で、すでに結婚している第一王子と、未婚の第二、第三王子。私は第三王子との結婚を提案したの。王太子は病弱と聞いているし、既婚だけど子供はいないから、急逝すれば第二王子が王位を継ぐでしょ? そうなったら、他国に婿に入るのは都合悪いし」

 実際、漫画のラストではブリガンテ第二王子、レスティは兄の早世によって王太子の地位を継ぎ、ロヴィーサ女王位に就いたヒロインを外から支える、と約束していたはずだ。
 だから桜子は、最初から第二王子を選択肢から除外していた。それでなくとも、ヒロインに一目惚れしてアウラとの婚約を破棄する男。あてになるはずがない。

「だから私は『第三王子と』って主張したのに、宰相が…………」

 ドゥーカ公爵は大臣達と結託して、第二王子との縁談を進めてしまった。
 宰相にしてみれば「ブリガンテに留学した長男が第二王子と懇意」という情報を得て、第二王子が女王の婿になったほうが、息子経由で女王の夫に影響力を及ぼすことができる、と計算したのだろうが。

「結果は、あなたも知る通り。レスティ王子はロヴィーサ女王との婚約を一方的に破棄して、ロヴィーサに軍を出した、というわけ。二国間の和平と同盟も白紙。ちなみに、理由を説明する手紙をいただいたわ。『本物の聖女と愛を見つけたから』だそうよ」

「それは…………」

 さすがにソヴァールの表情もくもる。自分の妹のために、別の女性が破談となったのだ。

「まあ、おかげで宰相の発言力は弱まったわ。あれだけ重大な政策で、あれだけ自信満々に、女王の私の意見すら無視して進めた政策が潰れたんだもの。そりゃ、手腕も人を見る目も疑われるってもんだわ。おかげで私はずいぶんやりやすくなって。倹約をつづけるおかげで、最近は財務大臣は私に味方するようになっていたし。とどめがファルコ将軍の件」

 聖女・ブリガンテ軍がロヴィーサとの国境に迫り、ロヴィーサからも迎撃の軍を出した。

「私は軍の指揮官に、ベテランの将軍を選んだの。でもドゥーカ公爵が『実力は保証するから』って、自分の遠縁であるファルコ将軍に入れ替えたのよ。そうしたら、そのファルコ将軍が…………」

 有り体にいえば寝返った。
 若くてそこそこ美形だったこの将軍は、ヒロインの祈りによる奇跡を目の当たりにして、

『信じられない…………これが聖女の御力…………なんということだ、この清らかさ、この神聖さ、この高潔な祈り。この娘は、いや、この方は間違いなく、新たなる聖女…………!!』

 と、心を打たれる。そして、

『聖女に向ける剣は持っておりません』

 と撤退するのだ。戦いもせず。
 で、ロヴィーサ王宮に帰還して、

『あの方は間違いなく、次代の聖女。天に選ばれし存在です』

 と報告するのだ。くもりなき眼で堂々と。

(アホか)

 としか言いようがない。
『聖女』の力を目の当たりにして、その看板や威光に怖気づくのはしかたない。もともと神や奇跡を重視する世界設定であることは、あらかじめ説明も描写もされている。そういう世界で実際に神に選ばれた存在と対峙すれば、ビビってしまうのは当然だ。
 だが正式に命令を受けた武官が『奇跡』や『本物の聖女』で片付けてしまっては困る。

(こっちはちゃんと給料を払ってんのよ!? 仮にも女王直々に命令をもらっていながら『できませんでした・ドヤ顔』って、仕事をなんだと思ってんのよ!! 百歩ゆずって聖女確定で神には逆らえないとしても、せめてもっと申し訳なさそうに、最低限『死んで詫びる』くらいの覚悟は決めて戻ってきなさいよ!!)

 将軍の報告を聞きながら、どれほど怒鳴ってやりたかったことか。

『残念じゃ、ファルコ将軍。妾も宰相も、そなたには期待しておったというに』

 すでにわかっていたこと、漫画で見て知っていた展開、と己に言いきかせても、あまりの腹立たしさに嫌味が口からすべり出ていたほどだ。
 だがファルコ将軍をゴリ押ししたドゥーカ公爵は、激怒どころではなかったはずだ。
 たんに『お前に目をかけてやった私の面子を潰しやがって!!』というだけではない。公爵にしてみれば、ここできっちり自称・聖女を捕えるか首級をあげるかして婚約の件の失態を挽回したかったろうに、逆に傷口を広げられたのだ。

「だからこそ聖女に、あなたの妹に賭けたんでしょうね。このまま私の下で宰相をつづけても、女王には嫌われ、とりまきの信用は失い、自分の発言力は削られたまま。それよりは聖女の恋人である長男と和解し、聖女側について新女王の即位に力を貸したほうが、大きな貸しを作ることができるし、長男を通じて新女王に影響を及ぼすこともできる。王朝が変わる時には国内はごたつくもの。そのごたつきを収めるために、筆頭貴族であり宰相でもある自分が尽力する、そういう風に売り込んだんじゃない?」

「…………」

「さて。私が知っているのは、このくらいかしら? 他になにか質問は?」

 椅子に座ったまま、女王はソヴァールを見あげた。
 問われたイルシオン王の息子は少し迷い、けれど頭をふって表情をひきしめた。

「質問はまた今度に。今は、おとなしく捕縛されてください」

「…………『今度』があるかは、知らないけど…………」

 女王陛下は優雅に立ちあがった。銀色の癖のない髪がさらりと音を立てた。



 ロヴィーサ暦二百五年。
 ロヴィーサ女王、アウラ・ローザ・トゥ・オルディネは、王宮に攻め込んだ聖女・ブリガンテ軍により、捕縛。




「…………よろしいのですか? ソヴァール様」

 アウラ女王を捕えたあと。ソヴァールは側近から問われた。彼はロヴィーサ人で、ソヴァールと共に王宮に侵入し、主人と女王との会話もその場で聞いていた。

「もし、陛下の話が真実ならば…………」

「…………我々には確かめようのない事柄だ」

 ソヴァールは言う。

「我々が知るのは、出会ったロヴィーサ貴族達は『女王は贅沢にうつつを抜かし、民を税金をしぼりとる道具としか思っていない』と語っていた事実だ」

「…………」

「もし、貴族達が偽りを述べたなら、その報いはいずれ貴族達自身に返ってくるだろう。なにより聖女は、一方的に他人を断罪するような方ではない。陛下にも申し開きの機会を与えるだろう。陛下が真にロヴィーサのために尽くしていたなら、間違いなく慈悲を与えるはずだ」

「そう…………そうですね」

 側近もソヴァールも自身に言い聞かせ、この話題は終わりとなった。




 一ヶ月後。王都の大広場で、ロヴィーサ王国オルディネ王朝二代目国王、アウラ・ローザ・トゥ・オルディネの処刑が執行される。
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