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中編
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そうしていよいよ、ディアナ・ララ・ダルトン公爵令嬢は運命の時を迎えた。
正式に王宮に呼び出され、居並ぶ大臣と国王の前で、ジュリアン第二王子に宣言されたのだ。
「ディアナ・ララ・ダルトン公爵令嬢。私は貴女との婚約を破棄します」
と。
まるで市井の安っぽい大衆小説か、演劇の一場面のような台詞だ。
そう思いつつも、油断なく周囲に紫色の視線を走らせる。
出かける前、リラックスのために吸った香の匂いが、髪に少し移った気がする。
例の書類はどうなったろう。修道女クロエはちゃんと院長に渡しただろうか。
「慎んでお受けします、と言いたいところですが。二つ三つ、質問をよろしいでしょうか?」
訊いてみた。
重厚な国王の謁見の間に集まったのは、ディアナとジュリアン王子と国王と大臣一同。それにディアナの父であるダルトン公爵。それくらいだ。
あと一人、重要人物が欠けている。
その人物が駆けつけるまで、時間を稼ぐ必要があった。
幸い、質問を許される。
「この婚約破棄は、聖女セリナが関わっているのでしょうか? 殿下は、彼女から私についてなにかお聞きになられ、その情報をもとに、今回の結論にいたったのでしょうか?」
第二王子は首をふった。
「先ほど告げたとおりです。貴女の行状が王子妃にふさわしくないと判断し、国王陛下にその旨をお伝えして、今回の結論にいたりました」
「では、聖女はまったくの無関係なのですね?」
「無関係です」
(よし)と内心でうなずく。
国王や大臣一同の前で、王子に断言させた。これで、あの下劣な聖女が裏工作に関わっていると証明できれば、第二王子こそ偽りを述べたと、逆に責める理由ができる。
「それでは。わたくしとの婚約を解消したあと、殿下は聖女セリナとの婚約をお望みでしょうが、国王陛下のお許しはいただいているのですか?」
「くりかえしますが、聖女はこの件とは無関係です。新しい婚約についても、陛下の御心次第。私は陛下の判断に従います」
ジュリアン王子はよどみなく答える。
さらに質問をつづけたが、そのどれもが時間を引き延ばすことを目的とした些末な内容ばかりだったため、しびれを切らした国王が公爵令嬢の質問をさえぎった。
「もうよい! 質問はそこまでだ!」
(いけない、まだあの方が…………!)
背に緊張の汗が流れる。
「ディアナ・ララ・ダルトン公爵令嬢! 第二王子の申し出を受け容れ、そなたとジュリアン王子の婚約を解消する!! 理由はすでに第二王子が述べたとおり! また、そなたの今後の王宮への伺候のすべてを禁じる!! よいな!?」
「お待ちください!! どうか、どうか、もう少し時間を…………! 寄付の不正の証拠書類は、まだ届いては…………っ」
思わず、切り札の存在を口に出してしまう。
するとジュリアン王子が側近の持っていた紙の束をとりあげ、令嬢へと掲げて見せた。
「貴女が言うのは、この書類のことですか? これは、貴女が大神殿への寄付の不正流用に関わっていたことを証明するものと、先ほど説明しましたが?」
掲げられた紙に記された見覚えある書式や筆跡、紙やインクの色。
「まさか…………それは、どこから…………」
「スワン男爵の令嬢、修道女クロエからです。男爵を介して私に届けられました」
ディアナは雷に打たれた気がした。
(修道女クロエ…………裏切ったのね!! あれほど念入りに頼んだのに…………先にジュリアン殿下の手に渡ったせいで、中身を偽造されたんだわ!!)
膝がふるえ出す。これまでになく、あのリラックスできる香の匂いが恋しい。
「大神殿への寄付の不正流用。及び、聖女に対する無礼な行為の数々。第二王子の婚約破棄の申し出に反対する者はおるまい。ダルトン公爵もよいな?」
国王の問いとまなざしを受け、ディアナの父も青ざめた無表情で重々しくうなずく。
(お父様――――!!)
『リナ』はディアナの悲鳴を聞いた気がした。
(なんてかわいそうなの、ディアナ。婚約者のジュリアンだけでなく、実の父親にまで見捨てられて…………悪役に生まれたばっかりに…………ディアナがなにをしたっていうの!?)
「連れていけ」
国王の無情な声に応えて、謁見の間の隅にひかえていた侍従達がダルトン公爵令嬢へと寄って、左右から細い腕をつかむ。
「なにをするの、無礼者! 放しなさい!!」
高貴な令嬢として、深窓で大事に扱われてきた少女だ。侍従といえども、よく知らない男達に密着されたうえ、力づくで引きずっていかれそうになり、パニックを起こした。
「嫌! 放して!! 誰か助けて!!」
叫んだのは『リナ』か、ディアナか。
「誰か、オピウムを――――!」
ぐらり、視界がゆれる。
「そこまでだ!!」
謁見の間の空気を切り裂くように、若々しい声が飛んでくる。
「陛下! ダルトン嬢は無実だ! 有罪なのは、ジュリアン王子と聖女のほうだ!!」
背の高い人影が足音高く踏み込んできて、居合わせた全員の注目を集める。
(ああ…………)
絶望と混乱に陥っていた紫の瞳が一転、希望の光に輝く。
「王太子殿下!」
「ルシアン殿下!!」
大臣達もどよめく。
この国の王太子にして、ジュリアン第二王子の兄。第一王子、ルシアン。
待ち焦がれていた人物の登場だった。
ルシアン王太子は国王の前に進み出て、紙の束を堂々と掲げて見せる。
「陛下、ダルトン公爵令嬢は無実です。不正は冤罪です。大神殿は聖女と結託して多額の寄付金を流用し、裏にはジュリアン王子の存在も関わっています。これがその証拠です」
状況は一変した。
国王も大臣達も、王太子が提示した書類に愕然と瞠目し、ジュリアン王子は一気に窮地に立たされる。ディアナは解放され、逆に第二王子が兵士に捕らえられ、「聖女を捕えろ」と誰かが命じる声が聞こえた。
(助かった…………)
蒼ざめ、立つのがせいいっぱいのディアナのもとに、ルシアン王太子がやって来て優しくねぎらってくれる。
「怖かったろう、ディアナ嬢。安心してくれ、貴女を害する者はすべて排除した。修道女クロエも逮捕した、すぐに処刑だ」
こちらをのぞき込むルシアン王太子の瞳は深く優しく、笑顔は輝くようだ。
ルシアンはディアナの前に跪き、彼女の手をとった。
「結婚してくれ、ディアナ姫。いや、ディアナ。私はもう、ずっと以前から貴女に恋焦がれていた。美しく高貴な貴女を粗略に扱い、下品で卑劣な聖女に骨抜きにされたジュリアンが、どれほど情けなく、見苦しかったことか。これからは私が貴女を守る」
「ですが、ルシアン王太子殿下。わたくしはジュリアン殿下の…………」
「ジュリアンとの婚約は破棄された。私が貴女を娶るのに、なんの支障もない。貴女以上に私に、王太子妃にふさわしい姫はいない。貴女こそ私の妻だ、ディアナ・ララ・ダルトン嬢」
「殿下…………」
ディアナの目が歓喜の涙に潤む。
「愛している、ディアナ。貴女を不幸にする者は、すべて私が排除する」
ルシアンが立ちあがって手をふると、兵士に捕えられていたジュリアン王子が、国王が、いや謁見の間そのものがかき消される。
「貴女を捨てたジュリアンは馬鹿だ。貴方の無実や価値を理解できぬ国王も大臣達も、無能の集団だ。娘を見捨てた公爵など、この世に必要ない」
「ええ、殿下」
ディアナの瞳がきらきら輝き、唇の両端が持ちあがって三日月のような笑みを形作る。全身を、痺れるような歓喜と優越感が満たす。
「わたくしの尊さがわからぬぼんくらなど、存在する価値もありませんわ。わたくしこそが、誰より美しく高貴な、唯一絶対の一人なのですもの」
「さあ、ディアナ。結婚式です。貴女は王妃。誰もが貴女を愛し、称賛している――――」
洪水のごとき祝福の歓声が押し寄せ、ディアナを大きく包み込む。
香がいっそう強烈に香った。
「ふふ…………うふふ…………」
くすくすと笑みをこぼしながら、焦点の合わぬ目でダルトン公爵令嬢は呟きつづける。
「愛していますわ、ルシアン様…………わたくしは王妃…………わたくしが一番美しいのよ…………あんな聖女や男爵の娘じゃないわ…………わたくしの、ディアナの価値がわからない者は、みーんな死んでしまえ、わたしはリナ、ディアナじゃない…………」
最高級のシーツを敷いたベッドの上で、ディアナは虚ろに笑いつづける。
「末期に近い状態です」
国王お抱えの侍医が公爵令嬢を診察して、首をふった。
ダルトン公爵も沈痛に顔をゆがめる。娘の狂態に一気に十歳は老け込んだようだった。
王都の一等地に建つダルトン公爵家の館の執務室で、公爵は侍医の診断を聞く。
「入念な聞き取りの結果、令嬢は自己認識に齟齬をきたしておられると判断しました。本当のご自分は『リナ』という名の別世界の平民の娘で、『ディアナ・ダルトンに生まれ変わった』のだと。今の自分は『リナ』であって、ダルトン嬢ではない。そう思い込んでおられます。――――間違いなく、阿片の吸い過ぎによる中毒症状です」
国王の厚意によって王宮から派遣された名医は、公爵に断言した。
「もともとストレス解消やリラックス作用を求めて常用しておられたようですが、第二王子殿下から内々に婚約破棄を打診された日を境に、急激に吸引量が増えた、と侍女が証言しております。それにより、一気に想像と現実の区別がつかなくなってしまわれたのでしょう」
医師は一冊の本を公爵に差し出した。
安価な大衆本だった。表紙には『魔女令嬢となったエリナの高貴な運命の恋』という題名が印刷されている。
「令嬢が最近、お読みになられていたものです。人気作で、侍女達が回し読みしていたところを令嬢にとりあげられた、と侍女達は証言していましたが。令嬢の妄想は、この本の影響によるところが大きいと思われます」
本の内容はこうだ。
美しく賢いが、嫉妬深い性格から婚約者である第二王子に近づく娘達を片端から虐げ、周囲から『魔女』と恐れられていた名門公爵令嬢は、ある日、事故で頭を強打して『前世』の記憶がよみがえり、優しく穏やかな前世の人格と入れ替わる。
やがて公爵令嬢は娘達への行状を理由に、第二王子から婚約破棄を宣言されるが、鋭い眼力を持つ優秀な王太子は公爵令嬢の人格が入れ替わっていることを看破。温厚篤実な完璧な令嬢となった彼女に求婚し、逆に、公爵令嬢をないがしろにして女遊びにうつつを抜かしていた第二王子を糾弾する。
第二王子は失脚し、公爵令嬢は王太子と真実の愛を育んで結婚。賢く心優しい王太子妃として、幸せに暮らした――――そういう筋書きだった。
「この主人公である公爵令嬢の前世の人格の名が『エリナ』ですが、多くの場面で、愛称である『リナ』の名で描写されています。ダルトン嬢は、ご自分をこの『リナ』と思い込み、ご自身の未来をこの小説の筋書きと重ねられ――――それが現実と思い込まれておられます。聞き取り調査をくりかえしましたが、そのたびに『わたしはリナ』『ディアナじゃない』『ルシアン王太子殿下が、わたくしをジュリアン殿下から助けてくださる』『ルシアン殿下は以前からわたくしを愛しておられた』と。自分は完璧な令嬢で、だからこそ王妃にふさわしい。悪いのは聖女や男爵の娘に心変わりしたジュリアン殿下や、ご自分の価値や言い分を認めなかった周囲の人間達だ、それが令嬢の主張です」
淡々と語った医師の言葉に、執務机に肘をついたダルトン公爵は大きくため息をついた。
「…………治る見込みは?」
「中毒症状がもう少し軽ければ、時間をかけて薬を抜き、ゆっくりと精神の安定をとり戻して頭の中を整理し、妄想の世界から現実に戻ってくることも可能だったかもしれません。ですが、あそこまで進んでしまうと…………」
治療にも相当な時間がかかるし、治療したところで改善の保証はない。
むしろ薬を得られなくなったことによる禁断症状で、肉体が急激に衰弱するだろう。
そのような医師の言葉に、公爵は思わず机を叩いていた。
「だから阿片は与えるな、と…………! 侍女にも教師達にも、くりかえし命じておいたというのに…………! 未来の王太子妃として教育をうけていたダルトン家の娘が阿片中毒などと、一門の恥だ!!」
公爵の側近も報告を重ねる。
「はじまりは、モット卿やコート枢機卿からの誘いだったようです。『リラックスできる香』と説明されて、かるいお気持ちで試されたのが、あっという間に常用するようになり…………侍女頭から公爵閣下に話が伝わって、閣下に厳しく叱責されたあとも、やめることができずに、侍女達に金銭をにぎらせて、密かな入手をくりかえしておられたようです。お嬢様の持ち物を確認した結果、小さな装身具や絹のリボンやハンカチ等が、いくつも紛失しておりました」
いったん中毒になれば、たとえ身を売ってでも手に入れようとするのが、阿片だ。自身の持ち物を与えることなど、なんの躊躇もない。
すべての報告を聞き終えたダルトン公爵は立ちあがり、結論を下す。
「ディアナは病だ。陛下のご温情により『ダルトン嬢は不治の病に罹って婚約解消』。対外的には、そう発表することができた。甘えぬ手はない。ディアナはこのまま公爵領に移し、あちらの館で生涯、治療生活を送らせる」
そう言って、必要な支度を即刻整えるよう、側近に命じた。
側近は恭しく一礼して執務室を出て行き、王宮から派遣された医師も、報告のため王宮へと戻っていく。
その後、王宮では早々とジュリアン第二王子の新しい縁談が山のように持ちこまれ、大臣達はその選定に追われる羽目になった。
正式に王宮に呼び出され、居並ぶ大臣と国王の前で、ジュリアン第二王子に宣言されたのだ。
「ディアナ・ララ・ダルトン公爵令嬢。私は貴女との婚約を破棄します」
と。
まるで市井の安っぽい大衆小説か、演劇の一場面のような台詞だ。
そう思いつつも、油断なく周囲に紫色の視線を走らせる。
出かける前、リラックスのために吸った香の匂いが、髪に少し移った気がする。
例の書類はどうなったろう。修道女クロエはちゃんと院長に渡しただろうか。
「慎んでお受けします、と言いたいところですが。二つ三つ、質問をよろしいでしょうか?」
訊いてみた。
重厚な国王の謁見の間に集まったのは、ディアナとジュリアン王子と国王と大臣一同。それにディアナの父であるダルトン公爵。それくらいだ。
あと一人、重要人物が欠けている。
その人物が駆けつけるまで、時間を稼ぐ必要があった。
幸い、質問を許される。
「この婚約破棄は、聖女セリナが関わっているのでしょうか? 殿下は、彼女から私についてなにかお聞きになられ、その情報をもとに、今回の結論にいたったのでしょうか?」
第二王子は首をふった。
「先ほど告げたとおりです。貴女の行状が王子妃にふさわしくないと判断し、国王陛下にその旨をお伝えして、今回の結論にいたりました」
「では、聖女はまったくの無関係なのですね?」
「無関係です」
(よし)と内心でうなずく。
国王や大臣一同の前で、王子に断言させた。これで、あの下劣な聖女が裏工作に関わっていると証明できれば、第二王子こそ偽りを述べたと、逆に責める理由ができる。
「それでは。わたくしとの婚約を解消したあと、殿下は聖女セリナとの婚約をお望みでしょうが、国王陛下のお許しはいただいているのですか?」
「くりかえしますが、聖女はこの件とは無関係です。新しい婚約についても、陛下の御心次第。私は陛下の判断に従います」
ジュリアン王子はよどみなく答える。
さらに質問をつづけたが、そのどれもが時間を引き延ばすことを目的とした些末な内容ばかりだったため、しびれを切らした国王が公爵令嬢の質問をさえぎった。
「もうよい! 質問はそこまでだ!」
(いけない、まだあの方が…………!)
背に緊張の汗が流れる。
「ディアナ・ララ・ダルトン公爵令嬢! 第二王子の申し出を受け容れ、そなたとジュリアン王子の婚約を解消する!! 理由はすでに第二王子が述べたとおり! また、そなたの今後の王宮への伺候のすべてを禁じる!! よいな!?」
「お待ちください!! どうか、どうか、もう少し時間を…………! 寄付の不正の証拠書類は、まだ届いては…………っ」
思わず、切り札の存在を口に出してしまう。
するとジュリアン王子が側近の持っていた紙の束をとりあげ、令嬢へと掲げて見せた。
「貴女が言うのは、この書類のことですか? これは、貴女が大神殿への寄付の不正流用に関わっていたことを証明するものと、先ほど説明しましたが?」
掲げられた紙に記された見覚えある書式や筆跡、紙やインクの色。
「まさか…………それは、どこから…………」
「スワン男爵の令嬢、修道女クロエからです。男爵を介して私に届けられました」
ディアナは雷に打たれた気がした。
(修道女クロエ…………裏切ったのね!! あれほど念入りに頼んだのに…………先にジュリアン殿下の手に渡ったせいで、中身を偽造されたんだわ!!)
膝がふるえ出す。これまでになく、あのリラックスできる香の匂いが恋しい。
「大神殿への寄付の不正流用。及び、聖女に対する無礼な行為の数々。第二王子の婚約破棄の申し出に反対する者はおるまい。ダルトン公爵もよいな?」
国王の問いとまなざしを受け、ディアナの父も青ざめた無表情で重々しくうなずく。
(お父様――――!!)
『リナ』はディアナの悲鳴を聞いた気がした。
(なんてかわいそうなの、ディアナ。婚約者のジュリアンだけでなく、実の父親にまで見捨てられて…………悪役に生まれたばっかりに…………ディアナがなにをしたっていうの!?)
「連れていけ」
国王の無情な声に応えて、謁見の間の隅にひかえていた侍従達がダルトン公爵令嬢へと寄って、左右から細い腕をつかむ。
「なにをするの、無礼者! 放しなさい!!」
高貴な令嬢として、深窓で大事に扱われてきた少女だ。侍従といえども、よく知らない男達に密着されたうえ、力づくで引きずっていかれそうになり、パニックを起こした。
「嫌! 放して!! 誰か助けて!!」
叫んだのは『リナ』か、ディアナか。
「誰か、オピウムを――――!」
ぐらり、視界がゆれる。
「そこまでだ!!」
謁見の間の空気を切り裂くように、若々しい声が飛んでくる。
「陛下! ダルトン嬢は無実だ! 有罪なのは、ジュリアン王子と聖女のほうだ!!」
背の高い人影が足音高く踏み込んできて、居合わせた全員の注目を集める。
(ああ…………)
絶望と混乱に陥っていた紫の瞳が一転、希望の光に輝く。
「王太子殿下!」
「ルシアン殿下!!」
大臣達もどよめく。
この国の王太子にして、ジュリアン第二王子の兄。第一王子、ルシアン。
待ち焦がれていた人物の登場だった。
ルシアン王太子は国王の前に進み出て、紙の束を堂々と掲げて見せる。
「陛下、ダルトン公爵令嬢は無実です。不正は冤罪です。大神殿は聖女と結託して多額の寄付金を流用し、裏にはジュリアン王子の存在も関わっています。これがその証拠です」
状況は一変した。
国王も大臣達も、王太子が提示した書類に愕然と瞠目し、ジュリアン王子は一気に窮地に立たされる。ディアナは解放され、逆に第二王子が兵士に捕らえられ、「聖女を捕えろ」と誰かが命じる声が聞こえた。
(助かった…………)
蒼ざめ、立つのがせいいっぱいのディアナのもとに、ルシアン王太子がやって来て優しくねぎらってくれる。
「怖かったろう、ディアナ嬢。安心してくれ、貴女を害する者はすべて排除した。修道女クロエも逮捕した、すぐに処刑だ」
こちらをのぞき込むルシアン王太子の瞳は深く優しく、笑顔は輝くようだ。
ルシアンはディアナの前に跪き、彼女の手をとった。
「結婚してくれ、ディアナ姫。いや、ディアナ。私はもう、ずっと以前から貴女に恋焦がれていた。美しく高貴な貴女を粗略に扱い、下品で卑劣な聖女に骨抜きにされたジュリアンが、どれほど情けなく、見苦しかったことか。これからは私が貴女を守る」
「ですが、ルシアン王太子殿下。わたくしはジュリアン殿下の…………」
「ジュリアンとの婚約は破棄された。私が貴女を娶るのに、なんの支障もない。貴女以上に私に、王太子妃にふさわしい姫はいない。貴女こそ私の妻だ、ディアナ・ララ・ダルトン嬢」
「殿下…………」
ディアナの目が歓喜の涙に潤む。
「愛している、ディアナ。貴女を不幸にする者は、すべて私が排除する」
ルシアンが立ちあがって手をふると、兵士に捕えられていたジュリアン王子が、国王が、いや謁見の間そのものがかき消される。
「貴女を捨てたジュリアンは馬鹿だ。貴方の無実や価値を理解できぬ国王も大臣達も、無能の集団だ。娘を見捨てた公爵など、この世に必要ない」
「ええ、殿下」
ディアナの瞳がきらきら輝き、唇の両端が持ちあがって三日月のような笑みを形作る。全身を、痺れるような歓喜と優越感が満たす。
「わたくしの尊さがわからぬぼんくらなど、存在する価値もありませんわ。わたくしこそが、誰より美しく高貴な、唯一絶対の一人なのですもの」
「さあ、ディアナ。結婚式です。貴女は王妃。誰もが貴女を愛し、称賛している――――」
洪水のごとき祝福の歓声が押し寄せ、ディアナを大きく包み込む。
香がいっそう強烈に香った。
「ふふ…………うふふ…………」
くすくすと笑みをこぼしながら、焦点の合わぬ目でダルトン公爵令嬢は呟きつづける。
「愛していますわ、ルシアン様…………わたくしは王妃…………わたくしが一番美しいのよ…………あんな聖女や男爵の娘じゃないわ…………わたくしの、ディアナの価値がわからない者は、みーんな死んでしまえ、わたしはリナ、ディアナじゃない…………」
最高級のシーツを敷いたベッドの上で、ディアナは虚ろに笑いつづける。
「末期に近い状態です」
国王お抱えの侍医が公爵令嬢を診察して、首をふった。
ダルトン公爵も沈痛に顔をゆがめる。娘の狂態に一気に十歳は老け込んだようだった。
王都の一等地に建つダルトン公爵家の館の執務室で、公爵は侍医の診断を聞く。
「入念な聞き取りの結果、令嬢は自己認識に齟齬をきたしておられると判断しました。本当のご自分は『リナ』という名の別世界の平民の娘で、『ディアナ・ダルトンに生まれ変わった』のだと。今の自分は『リナ』であって、ダルトン嬢ではない。そう思い込んでおられます。――――間違いなく、阿片の吸い過ぎによる中毒症状です」
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「もともとストレス解消やリラックス作用を求めて常用しておられたようですが、第二王子殿下から内々に婚約破棄を打診された日を境に、急激に吸引量が増えた、と侍女が証言しております。それにより、一気に想像と現実の区別がつかなくなってしまわれたのでしょう」
医師は一冊の本を公爵に差し出した。
安価な大衆本だった。表紙には『魔女令嬢となったエリナの高貴な運命の恋』という題名が印刷されている。
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本の内容はこうだ。
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「この主人公である公爵令嬢の前世の人格の名が『エリナ』ですが、多くの場面で、愛称である『リナ』の名で描写されています。ダルトン嬢は、ご自分をこの『リナ』と思い込み、ご自身の未来をこの小説の筋書きと重ねられ――――それが現実と思い込まれておられます。聞き取り調査をくりかえしましたが、そのたびに『わたしはリナ』『ディアナじゃない』『ルシアン王太子殿下が、わたくしをジュリアン殿下から助けてくださる』『ルシアン殿下は以前からわたくしを愛しておられた』と。自分は完璧な令嬢で、だからこそ王妃にふさわしい。悪いのは聖女や男爵の娘に心変わりしたジュリアン殿下や、ご自分の価値や言い分を認めなかった周囲の人間達だ、それが令嬢の主張です」
淡々と語った医師の言葉に、執務机に肘をついたダルトン公爵は大きくため息をついた。
「…………治る見込みは?」
「中毒症状がもう少し軽ければ、時間をかけて薬を抜き、ゆっくりと精神の安定をとり戻して頭の中を整理し、妄想の世界から現実に戻ってくることも可能だったかもしれません。ですが、あそこまで進んでしまうと…………」
治療にも相当な時間がかかるし、治療したところで改善の保証はない。
むしろ薬を得られなくなったことによる禁断症状で、肉体が急激に衰弱するだろう。
そのような医師の言葉に、公爵は思わず机を叩いていた。
「だから阿片は与えるな、と…………! 侍女にも教師達にも、くりかえし命じておいたというのに…………! 未来の王太子妃として教育をうけていたダルトン家の娘が阿片中毒などと、一門の恥だ!!」
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いったん中毒になれば、たとえ身を売ってでも手に入れようとするのが、阿片だ。自身の持ち物を与えることなど、なんの躊躇もない。
すべての報告を聞き終えたダルトン公爵は立ちあがり、結論を下す。
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そう言って、必要な支度を即刻整えるよう、側近に命じた。
側近は恭しく一礼して執務室を出て行き、王宮から派遣された医師も、報告のため王宮へと戻っていく。
その後、王宮では早々とジュリアン第二王子の新しい縁談が山のように持ちこまれ、大臣達はその選定に追われる羽目になった。
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がんばれ。
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真理亜
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