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「すぐに周囲を探したんだが、見つからなくて…………写真屋の店長が店内から目撃した話では、どうも、そのあたりで有名なスリの子供にぶつかられたらしい。たぶん、財布を盗まれたのに気づいて、追いかけたんじゃないかと」

 竹細工の店の前で紅霞と雲翔と合流した露月は肩を上下させ、息も絶え絶えに話を伝える。室内での仕事が増えて運動不足気味の二十四歳に、ここまでの全力疾走はきつかった。

「透子…………!」

 紅霞は真っ青になる。
 普通の女なら、迷子になっても《四気神》の守護があるので、自力で戻れなくても危険な目に遭うことはほぼない。
 だが透子は《無印》だ。
 男装して周囲をあざむいているが、正体がばれたら。
 まして透子を護るべき《朱雀》の力を有した自分紅霞は、ここにいる。

「くそ…………!!」

「おい、紅霞!!」

 呼び止める雲翔を無視して、紅霞は走り出す。

「ちゅんっ!!」

 すずさんが紅霞の目の前で羽ばたく。

「透子の場所がわかるのか!? 案内しろ、すずさん!!」

「ぢゅんっ!!」

 すずさんが力強く鳴く。
「任せておけ!」というよりも「人間風情が我に命令するな!!」という響きの「ぢゅんっ!!」だった。





「見失った…………」

 裏通りの汚れた古い壁に手をつき、透子は認めざるをえなかった。
 財布を盗んだ少年のあとを、最初の十秒はかろうじて追えていたと思う。
 しかし少年が裏通りに入ってしまうと、三十秒と経たずに見失ってしまった。
 猫かネズミのような素早さだった。二十歳に若返っているとはいえ、走り込みもなにもしていない脚力では追いつけようもない。

「はあ…………なんて失敗…………紅霞さんになんて言おう…………」

 透子は深呼吸をくりかえし、心の底からのため息をつく。

「すずさん。女神様の力で、あの子供の居場所がわかりませんか?」

 透子は一応、頭の上のスズメに頼んでみる。が、すずさんは素知らぬ顔だ。腹は立つが《仮枝》に関する事柄以外は、基本的にすずさんは自分から干渉しようとはしない。そういう仕組みとか掟なのかもしれない。

「しかたない、戻ろう…………」

 透子は周囲を見渡した。
 あらためて確認すると、建物が中華風というだけで、雰囲気は立派に裏通りだ。ゴミが散らばり糞尿の匂いがただよって、いかにも荒んでいるのがうかがえる。
 冷や汗が背中をつたい、緊張と不安に身がこわばった。
 普段の透子なら、絶対に自分から踏み入ったりしない場所だ。
 まして勝手のわからぬ異国であれば、なおのこと。
 掏られた額が大金でなければ、裏通りに入る前にあきらめていただろう。

(紅霞さんには申し訳ないけれど、夕蓮の出版社に戻れば、重版分の印税が保管されているはずだし。紅霞さんが持ち歩いている分のほうが多いし、そちらは無事なはずだから、この先はそれでやっていくしかない。それより、早く戻らないと――――)

「おい、アンタ。道がわからないのか?」

 太い声が背中からかけられた。
 ふりむくと、いかにも柄の悪そうな男が三人、すぐそばまで接近している。
 この状況には覚えがある。
 透子は答えず、とっさに走り出そうとした。
 が、二の腕をつかまれて引きとめられる。

「離してください!」

 男の一人が反対側にまわって退路を断つ。
 腕をつかんだ男は、抵抗して暴れる透子にかまわず彼女の袖をまくりあげ、手の甲に巻いていた包帯を引っぱるようにほどいた。
 口笛を吹く。

「見ろ、やっぱり《無印》だ! ガキを追いかけている時の声は女だったのに、男の格好をしているうえに財布まで盗まれているから、おかしいと思ったんだ!!」

 男達は瞳をぎらつかせる。
 この世界は、女性には全員《四気神》が守護につく。《四気神》は物理的な危険の大半から女性を護る。たとえそれがスリのような犯罪であっても「よく切れる刃物を持って近づき、わざと強くぶつかる」というような女性側が怪我を負う危険がある方法なら《四気神》は反応する。
 逆に言えば、あの少年が透子の財布を狙ったのは、本物の男と勘違いしたからだ。いかにも観光客っぽい、隙だらけの坊ちゃんと見たからカモにしたのであって(予想をはるかに上回る大金を得て、今頃仰天しているだろう)、女と知っていれば相手にしなかっただろう。《四気神》の反撃が恐ろしいからだ。
 透子は少年を追いかけていた際、何度か呼びかけた。「止まって」「財布を返すなら警察は呼ばない」と。
 焦って作り声を忘れた彼女の声は、間違いなく女性の声質。
 にもかかわらず男装し、スリに財布も盗まれる。
 見かけた男達は悪党特有の悪い意味での勘も働いて、察したのである。
《四気神》を持たない女、すなわち《無印》ではないか、と。
 予想は的中。女が激しく抵抗しているにも関わらず、《四気神》は気配一つない。

「よし、総の旦那の店に連れていくぞ。若くて見目もいい。高く売れるぞ。今夜は宴会だ!」

 透子を捕まえた男は太い指で彼女の顎をつかんで顔をあげさせ、手触りを確認するように頬をなでる。おぞましさと恐怖に透子の背中に悪寒が走る。
 以前にも経験した境遇と恐怖。
 だが今は、あの時にはなかった切り札がある。

(すずさん…………!)

 ばさばさと、激しい羽音が空へ飛び去る。

「なんだ!?」

「鳥だ。いちいち驚くな、行くぞ」

 一番大柄な男が透子の両手首をつかんで肩に担ぎあげた。

「…………っ」

 透子は硬直するが、あえて抵抗はしない。

(すずさん――――お願いします…………!)

 この世界を司る女神にとって、《仮枝》の自分透子は重要な存在。
 少なくとも《世界樹》が回復し終えるまでは、失うわけにはいかない存在だ。
 ならば今回も、最終的には助けにきてくれるはず。
 今はすずさん達が到着するまでおとなしく堪えて、相手の油断を誘うのだ。
 透子は全身を満たしていく恐怖をぐっとこらえた。
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