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41.セレスティナ

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「まあ! ようこそいらしてくださいました、デラクルス公爵閣下、セレスティナ嬢」

「お招きいただき光栄ですわ、侯爵夫人」

「とんでもございません! こちらこそ、聖女様のおかげで息子が救われたのですもの、感謝しても、し足りませんわ!」

 とある侯爵家のパーティーで。わたくしと父が主催の夫人に挨拶すると、夫人は大仰なまでに相好を崩して、感謝を述べてきます。若い男女も夫人の隣に並んで、挨拶してきました。

「先日は、誠にありがとうございました。聖女様から癒しの恵みをいただいて以降、体はすっかり回復して、痛みもまったく感じません。本当に、すべて聖女様のおかげです」

「私からもお礼を述べさせてくださいませ、聖女様。本当にありがとうございました」

 先週の公開癒しで癒した子息と、その婚約者の令嬢でした。
 令嬢は家柄に合わぬ平凡な顔立ちですが、子息のほうはさすが名門侯爵家の跡取りだけあって、レオ様には劣るものの、端正な顔立ちと品良い立ち居振る舞いを身に着けています。
 わたくしは聖女アンブロシアとして優雅に、高貴で神聖な雰囲気を心がけて、鷹揚に応じました。

「どうぞ、お気になさらず。わたくしはただ、聖女として当然の使命を果たしただけですわ」

「まあ、なんて謙虚で高潔な」

 夫人や令嬢が目をみはり、わたくし達の様子を少し離れて見守っていた招待客達も、口々に噂し合います。

「これほど稀有な美姫は、ノベーラどころかイストリア皇国の歴史にも稀でしょう。こんな優れた姫君を公太子妃に迎えることができるなんて、ノベーラの栄光は約束されたも同然ですわ」

「聖魔力を発現されてから、いっそうお美しくなられて。白と紫のドレスも大変お似合いで」

「公太子殿下のご寵愛もますます深く、もう、寵姫の座を狙う令嬢もいないとか。みな、聖女様の美しさを目の当たりにして、太陽の前にかすむ星同然と思い知るのでしょう」

「次期公太子妃のうえ、聖女ですもの。ノベーラの娘は、誰もがデラクルス嬢に憧れております。宮殿は聖女様の噂で持ちきり、まさに理想の姫君、女神のような御方ですわ」

「もう、みなさまったら…………恥ずかしいですわ」

 わたくしが照れると、父がうむうむ、と満足げにうなずきます。
 わたくしが狩猟大会で、聖女の証である『星銀の聖魔力』を発現させてから数週間。
 わたくしは次代聖女アンブロシアとして、本格的に忙しい日々を送っていました。
 王立学院はすでに辞めています。もとから予定されていた退学で、この数年間で貴族の子女との人脈は築き終えたため、予定どおり学院は退学して、大公妃教育は宮殿で教師から一対一で教わる形に変更、本格的な社交が予定に加わったのです。
 宮殿で催されるダンスパーティーや夜会、音楽会はむろん、高位貴族が主催する晩餐会やお茶会にもできるだけ顔を出し、家にいても、次期聖女と誼を結びたがる貴族や豪商が次々と贈り物を携えやって来て、一息つく間もありません。その合間を縫って、パーティー用のドレスやお茶会用の訪問着を仕立て、リボンやレースや宝石類を選ぶのです。
 父のデラクルス公爵はわたくしを宣伝するため、わたくしを描いた肖像画や、わたくしが聖女として覚醒した経緯を語る小冊子パンフレットをばらまき、詩を詠わせて、わたくしの名をひろめようと様々に手を尽くしています。
 わたくしも前世を詳細に思い出せるようになったのを機に、父に提案して菓子店を一つ買いとってもらい、『聖なる姫君』という名に看板を変えて、まだこの世界にはなかった、前世の日本で作っていたお菓子を売り出してもらいました。
 店内には『セレナ』『スティナ』『デーラ』などなど、わたくしやデラクルス家に由来する名のついた菓子が並び(でも『ティナ』というお菓子だけはありません。「それは私だけのティナの呼び方だから」と、レオ様からお願いされたのです)、高貴な聖女が直々に考案した商品の噂は爆発的にひろまって、店は連日長蛇の列。売り上げは右肩上がりで、最近では貴族に会うたび、

「デラクルス嬢の考案されたお菓子は、どれもすばらしいのですけれど、毎日買いに行かせているのに、売り切れで何も買えない日も多くて」

 と、悔しがられます。
 さらには週一回の公開癒しと、わたくしは目まぐるしいながらも充実した日々を送っていました。
 世間の人々の大半は、すっかりわたくしを聖女と認めています。
 けれど、一部の者はそうではありません。
 公都の大神殿を頂点とする神殿一派。
 彼らの考えは見え透いています。
 ノベーラでは神殿と大公家は対立しがちのため、神殿側としては、未来の大公妃であるわたくしより、神殿に属する聖神官見習いアリシア・ソルを聖女に据えて、自分達の勢力を強化したいのでしょう。
 特にアリシア・ソルは、現大神殿長が後見人。いわば養子縁組にちかい関係ですから、神殿トップとしても自身の養女むすめを聖女の座に就けたいのは、想像に難くありません。
 彼らについては、グラシアン枢機卿をはじめとする、神殿一派に影響力を持つ貴族を通してじょじょに勢力を削いでいくしかありません。
 幸い、攻略対象の一人であるイサークは聖者ほどではありませんが、抜きんでた聖魔力の持ち主。将来、父親の跡を継いで枢機卿となることも確定路線ですから、もう何年かすれば大神殿内で確固たる立場を築いて、わたくしの力となるでしょう。
 なにより、わたくしは聖女の証である星銀の聖魔力を発現させ、大公陛下をはじめとする何十人もの患者を癒し、着々と実力を世間に認めさせて、公爵である父もレオ様も、あれこれと心を砕いてくださっています。
 わたくしはこの世界漫画悪役令嬢真の主人公
 わたくしがこの世界でもっとも高貴で神聖な地位に就いて、人々に末永く愛され崇められるのは、既定路線なのです。
 焦る必要はどこにもない。
 そう思っておりました。





「アリシア・ソルが貴族に? 本当ですか!?」

 公太子専用の茶話室で。わたくしはレオ様から、アリシア・ソルについて知らされました。

「事実だ。ノベーラ兵を癒しつづけた功績。例の国境線の記録を、神殿の地下から発見した功績。主にこの二点を考慮して、大公陛下が決定されたんだ」

 この世界漫画における、悪役令嬢セレスティナわたくしの絶対の敵。
 ゲームヒロインにして最悪の魔女アリシア・ソル。
 数か月前。セルバ地方に伸びる国境線をめぐってクエント侯国との戦端が開かれた時、わたくしは首をかしげてアベルに漏らしたものです。

「この戦争は、セレスティナが聖魔力を受け継いでから起きるはずよ。堕落したアリシア・ソルから聖魔力を継いだセレスティナが、その高潔さと慈悲深さから、自ら戦地に赴いて負傷兵を癒してまわり、地下から文書を見つけるのもセレスティナ。そうして戦争を終結に導き、聖女と認められる一因となる。そういう筋書きなのに…………」

 困惑するわたくしに、さらに驚愕する報告がもたらされました。
 アリシア・ソルが戦場に赴いたのです。
 大神殿は反対したそうですが、わたくしの聖魔力を横取りして聖女と崇められるあの魔女は、さらなる名声を求めて従軍し、漫画でのセレスティナわたくしの行動を真似て兵士や村人達を癒して周囲にいい顔をし、顔と名前を売っていったのです。
 まったく、魔女や悪女らしい狡猾な計算でした。やはり、あの女は転生して来た人間に違いありません。偽善者もここまでくれば、いっそ職人芸です。
 戦場で彼女を守るため、大神殿はわざわざ数少ない女騎士を彼女の護衛に就けた、とも聞きました。女の身で危険な戦場に行かされるその騎士こそ、いい迷惑でしょう。いったいあの女は、自分の野心のためだけに、どれほど周囲に迷惑をかけるつもりなのか。
 人の上に立つ高貴な人間ほど、危険時には安全な場所で守られなければならない。その真理が理解できないあたり、アリシア・ソルの性根はたしかに平民でした。
 けれど、好機と思ったのも事実です。

「このまま、アリシア・ソルが流れ矢にでもあたって、死んでくれれば――――…………」

 そうすれば魔女による災いを未然に防げたことになるし、わたくしも、わたくしの聖魔力を穏便に継ぐことができます。
 未来展開を知る魔女ゲームヒロインなど、災いの芽にしかなりません。アリシア・ソルが自然な形で世界から退場すること。それこそが誰にとってもいいことずくめの展開のはずですが、漫画ゆえの強制力でしょうか。
 わたくしの祈りとは裏腹にアリシア・ソルはしぶとく生き残り、挙句にもっと不愉快な報告がもたらされたのです。

「アリシア・ソルが貴族に…………っ。ですが、記録を発見したのは、デレオン将軍とクエント候子では?」

「アリシア・ソルもその場にいたので、彼女も発見者の一人。そう、デレオン将軍は主張しているし、クエント候子も認めているそうだ」

「そんな…………っ」

「これは、ニコラスからの手紙だが――――」

 レオ様は封筒から数枚の便せんを抜き出し、わたくしに差し出します。
 ニコラスからの手紙は読みやすく要点も押さえられているけれど、愛想も無駄もなく、手紙というよりは報告書です。
 そこには、セルバ地方でのアリシア・ソルの動向が詳細に記されていました。
 いわく、砦では負傷したノベーラ兵をことごとく回復させたこと。
 捕らえられていたクエント兵の捕虜も全員、癒したこと。
 野営地でもノベーラ兵、クエント兵の区別なく癒し、評判を聞いて近隣の村や町から訪れた大勢の怪我人や病人も片端から癒して、クエントの侯子から高価な真珠まで贈られたこと。
 今ではアリシア・ソルの名は、この地域で『分け隔てなく人々を癒す真の聖女』として語られていること――――

「そんな…………嘘ですわ、こんなこと…………っ」

 わたくしは衝撃のあまり、めまいを覚えました。

「クエントの侯子までアリシア・ソルを認めるなんて…………やはり、魔女の力は絶対なのでしょうか。もしやレオ様も、近い将来あの女に…………なんて恐ろしい…………っ」

「ティナ!」

 わたくしのふるえる声をさえぎって立ち上がり、レオ様はわたくしのかたわらにまで移動して跪かれます。そして大きな手で、わたくしの繊手を包まれました。

「ありえない。この私、レオポルドの心は未来永劫、君のものだ、ティナ。相手が魔女だろうが聖女だろうが、私は必ず君を守る。アリシア・ソルにも他の誰にも傷つけさせるものか」

「レオ様…………っ」

 わたくしはレオ様の手をにぎりかえし、宝石のような紫の双眸を見つめ返します。
「それに」とレオ様は立ち上がり、もう一通の手紙を差し出されました。

「こちらは、ロドルフォからの手紙だ」

『――――あの女は、ノベーラ人でありながら、憎きクエント兵を勝手に癒しました。私がいくら止めても聞かなかった。クエントから患者が来れば、そいつらも勝手に癒しました。ノベーラ人でありながらノベーラの敵を癒し、敵からの感謝に笑顔で応じていた! あの女は自分の名を売るため敵に媚び、クエント候子から高価な真珠を下賜されれば、飛びあがって喜んでいたのです! あんな売国奴は見たことがない! あの女は間違いなく魔女です!! 自分の名誉のため、たかが宝石のために、ノベーラ人の誇りを売った!! 気高く高潔なセレス嬢とは、天地の差です!!』

 ロドルフォの筆跡は後半に進むにつれ、どんどん乱暴になり、文章も吐き捨てるようで、文面そのものが怒りに燃えあがるかのようです。

『――――私はてっきり、アリシア・ソルが悔い改めたと思い、あの女を認めてやろうとしました。けれどあの女は、私の差し出した手を拒みました。なんということはない、アリシア・ソルは今も昔も悪女です。善行は形だけ、聖女のふりをして周りを欺いているだけです。真の聖女は、はじめからセレス嬢ただ一人…………!』

 レオ様はわたくしの手からロドルフォの手紙を抜きとり、重々しく言われます。

「このとおり、ロドルフォからの忠告もある。アリシア・ソルは、ひきつづき警戒しよう。大丈夫だ、ティナ。この私が、君にアリシア・ソルなど寄せ付けさせない。安心してくれ」

 レオ様はわたくしの頬にそっと触れ、優しくほほ笑まれました。

「レオ様…………っ」

 わたくしもほほ笑み返し、ふと気づきました。

「そういえば、イサークからの報告はないのですか?」

「ないわけではないが、アリシア・ソルがブルカンの街にいたのは数日間で、砦から運ばれてきた負傷兵を癒した以外は、特筆すべき事柄はない、とのことだった」

 レオ様は一応、イサークからの手紙も見せてくださいましたが、おっしゃるとおりの内容で、アリシア・ソルについての記述はほとんどありません。

「さあ、せっかくのティナのチョコレートタルトだ。堪能しなければね」

 レオ様はご自分の席に戻られ、アベルが冷めてしまった紅茶を淹れ直します。わたくし手製の、まだこの世界では高価なチョコレートをたっぷり使った、チョコレートタルトが切り分けられてレオ様の前に置かれると、レオ様はさっそく召し上がられて、凛々しいお顔をほころばせました。

「相変わらず、ティナの菓子は絶品だね。聞いているよ、『聖なる姫君』店は毎日、行列ができているんだろう? さすがティナだ、賢いと思っていたが、商才まであるなんて」

 レオ様はわたくしのチョコレートタルトを召し上がりながら何度も褒めてくださり、わたくしのほうがくすぐったくなるほどです。

「そういえば。ティナが計画中の図書館は、順調に書物が集まっているらしいね。稀覯本もかなり混じっていると聞いたが、本当かい?」

「ええ。寄付や寄贈という形で、いろんな方が公爵邸に送ってくださって。最近は少々、置き場所に困るほど。早く移動させてほしい、と執事に文句を言われているのですが、肝心の建物の準備が間に合わず…………申し訳ないですわ」

「興味深いな。私も一度、公爵邸に伺いたいくらいだ。ニコラスが聞けば、さぞ羨ましがることだろう」

「本当に。そろそろ、本格的な一覧表の作成が必要だと思っていたところですし、彼がセルバ地方から戻ってきたら、お願いしたいですわ」

「ティナの頼みだ、ニコラスも喜んで引き受けるだろうね。それにしても、何故また急に図書館なんだい? ティナ」

「――――平民の教育水準を底上げするべき、と思いまして。今、公都にある図書館は、どれも貴族や、貴族の紹介をうけた者しか入れません。見込みのある平民がいても、勉強の機会や方法が限られているのが実情ですから」

…………と、いうのは建前でして。
 本当は稀覯本の収集が目的でした。

「まだ、しばらくは魔王ビブロスとの取引が必要になるでしょう。本を用意しておけば、いつでも依頼が可能です」

 そう、アベルが助言してくれたのです。
 むろん、レオ様には明かせない真実ですが、幸い、わたくしのイメージ戦略の一環ということで父も賛成してくれましたし、レオ様も疑う様子はありません。
 わたくしが図書館の新設を発表すると、たちまちあちこちの貴族や富豪から大量の本が寄せられ、わたくしはアベルにも「必要なら、いくらでもビブロスに渡していいわ」と、許可を出したのでした。
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