23 / 27
23
しおりを挟む
青い目をむき、牙をむき、巨大な爪が生えて、見あげていたはずのアルベルテュスより身長になり、肌は木の皮のようにひび割れて、死人のように青白い。
『スノーパールの白薔薇』と謳われたグレイシー・シープフィールド城伯令嬢は、その容貌を大きく変容させていた。
アルベルテュスが呆れたようにグレイシー嬢に言う。
「永遠に若く美しいままで生きたい、と言っていなかったか? 鏡を見てみろ、対極の姿をしているぞ」
彼のような飛び抜けた美貌の主にこんなことを、つまらなさそうに言われて、立ち直れる女はどれほどいるだろう。他人事ながらリリーベルは気の毒になったが、当のグレイシー嬢はアルベルテュスの言葉を理解していたかどうか。
鎌のような五爪をふりあげ、愛する男性に襲いかかってきた。
アルベルテュスは難なく、それを避ける。長い黒髪さえ、かすらない。
「ま、待って…………!」
リリーベルは立ちあがろうとして左腿の痛みが復活し、よろめく。
剣を抜き、杖代わりにして立った。
「大丈夫だ、すぐに消滅させる。貴女に心配していただくのは、心弾む状況だが」
その前半の台詞を証明するように、アルベルテュスはやすやすと変容したグレイシー嬢の両腕をつかんで、動きを封じる。
実際には、今のグレイシー嬢は大の男でもたやすく放り投げる程度の腕力を有しているのだが、アルベルテュスがあまりに容易に捕まえてしまったため、リリーベルにその事実は伝わっていない。
アルベルテュスは両手に力を込めた。左右に引っぱって、魔物化した少女を二つに引き裂くつもりだったのだが。
「それが本当に、切り札だと思うのか?」
カレルが意味ありげに笑う。
ほぼ同時だった。
暗がりから蹄の音が近づいてきて、馬のいななきが聞こえたかと思うと、新たな声が飛び込んでくる。
「グレイシー!!」
「スノーパール城伯…………!」
突然の登場にリリーベルは驚いたが、よく考えれば当然の展開だ。
馬に乗って現れたのはグレイシー・シープフィールドの父親、ロドニー・シープフィールド卿だった。松明を掲げた騎士が、同じく馬に乗って付き添っている。
「グレイシー!! どこだ!?」
スノーパール城伯は声をはりあげる。アルベルテュスが捕まえる魔物の姿は目に入っているはずだか、それがまさか最愛の娘とは、夢にも想像できないに違いない。
「アルベルテュス! グレイシーはどこにいる!!」
(えっ…………)
リリーベルは意表を突かれた。
(城伯は彼を知っているの?)
「名で呼ぶ許しを出した覚えはないぞ、位階で呼べ」
呼ばれたアルベルテュスは不愉快そうに告げる。
「これがお前の娘だ、ロドニー・シープフィールド。駄目だと忠告しておいたのに、俺以外の紅の一族の血を飲んで魔物化した」
「なんだと!?」
城伯は愕然と、アルベルテュスがつかむ異形の、人間だった存在を見つめる。
「どういうこと…………? 城伯はあの人と…………いったい、どういう関係で…………?」
困惑するリリーベルに、答えたのはカレルだった。
「スノーパール城伯とその娘は、あの第六位と懇意なんだよ。というより、この街を含めた、この辺り一帯が第六位の領域だ」
「え…………?」
カレルはつまらなさそうに面白くなさそうに説明していく。
「普段、紅の一族は各地に散っている。この近辺はあの男の領域下で、あの男はもう何年も前から、スノーパール城伯とずぶずぶの関係で、あの令嬢を餌にもらう約束もしていた。そうやって自分に都合よく、この街を動かしていたんだ」
「えっ…………」
言葉を失ったリリーベルの耳に、当のアルベルテュスからの反論が届く。
「領域なのは事実だが。『ずぶずぶ』と言えるほど親しくなった覚えはない。街に関しても、ロドニー・シープフィールドの支配権を認めている。人間の治世に口は出していない。面倒だからな。俺はただ、第二位に頼まれて、人間側の侵攻の情報を得ていただけだ。娘をもらう約束もしていない。本人が『紅の一族に入りたい』と言ってきたんだ」
ロドニー・シープフィールド卿が沈痛な表情を浮かべる。市民に、敵である魔物と内通していることがばれた治世者としての苦悩ではなく、娘の無謀を止められなかった父親としての悔恨だが、今のリリーベルにはそこまで読みとれない。
「城伯が…………紅の一族と、つながっていたのですか…………? なぜ…………」
「その方が手っとり早いからだ。俺は必要な情報が得られるし、引き換えに、人間の手に負えない魔物は、人間が気づく前に俺が倒してきた。おかげでロドニー・シープフィールドは魔物の脅威にさらされながらも、致命的な損害は避けてこられた」
「そんな…………そんなことが…………」
「しかたがない。これも政治だ。敵に完全に抵抗するよりも裏で融通し合ったほうが、お互いに損害が少なくて済む。そのおかげで、こちらは最悪の状況をまぬがれてきたのだ」
「だからといって…………魔物と組むなんて…………!」
「政治だ! この街を守るために、必要な手段だ!! 人間側にもっと強力な抵抗の手立てがあれば、こんな手は使わずに済んだ!! これは不足を補うための、必要悪だ!!」
スノーパール城伯の言葉はリリーベルの胸を深く貫いた。
つまり城伯は「リリーベルを含む白魔術師や白騎士達が、もっと強くて頼りになれば、魔物と裏で取引する必要はなかった。リリーベル達の力不足を、自分が魔物との取引という形で補った」と主張しているのである。
リリーベルが傷つかないはずはない。
白魔術師として白騎士として、研鑽を積み、経験を重ねてきた矜持が、自負が傷つけられた。
そして城伯の言葉は、リリーベル以外の白魔術師や白騎士達の必死の戦いをも侮辱するものだった。
(それは…………そうかもしれない、けれど…………っ)
言葉を失ったリリーベルに、慰めのつもりかアルベルテュスが声をかけてくる。
「気落ちする必要はないぞ。その男は、その男が思うほど俺を手の上で転がしてはいない。俺や紅の一族がこの街を襲わなかったのは、その必要がなかったからだ。この街に限らず、一族は街や都を滅ぼすことはない。一族にとって、人間は大事な糧だ。糧を無益に滅ぼすはずがない。俺がその男と組んだのは、あくまで情報のため。人間側の侵攻計画について、知っておくに越したことはなかったからだ」
「貴様…………! 私の娘を、グレイシーを得ていながら…………!!」
「もらった覚えはない。くりかえすが、体質が俺と合うとわかって、この娘から『紅の一族に入れてくれ』と言ってきたんだ。あまりにしつこいから、望みどおりにしてやっただけだ」
「紅の一族に…………吸血鬼になりたいと、グレイシー嬢自ら望んだ…………ということですか?」
「そうだ。そこの男のように、人間の姿と思考をたもったまま、永遠の若さと命を手に入れたいと言ってきた。それで少しずつ、俺の血を与えていたんだが…………」
リリーベルの脳裏に閃くものがあった。
「ひょっとして…………先日までのグレイシー嬢の体調不良は、絶食などではなく…………」
「変化が進んで、人間の食べ物をうけつけなくなっていただけだ。さらに血を与えていれば、二、三ヶ月で紅の一族入りするはずだった」
「そんな…………」
グレイシー嬢の病に、そんな事情が隠されていたなんて。
しかし。
「でも…………それならどうして、グレイシー嬢は急に回復を?」
「変化を止めた。細かい面倒な術が必要だったが、俺の血をすべて抜いて、人間に戻した。まだ初期だったので、成功したんだ」
当のグレイシー嬢の両腕を拘束したまま、アルベルテュスはすらすら答えていく。
「どうして急に、そんなことを…………」
「? 貴女は、この娘の体調を気遣っていなかったか? 俺はてっきり、貴女はこの娘の一族入りを望まないと思っていたんだが」
紅の一族第六位は首をかしげた。本気で不思議そうだった。
つまり彼は、リリーベルに気を遣ってグレイシー嬢を人間に戻した、そう言っているのだ。
「…………あなたはその理由を、グレイシー嬢に伝えたのですか?」
「伝えた。理由を訊かれたし、説明しないと納得しそうになかったからな」
「納得しなかった…………ということは、人間に戻ることを拒否したのですね?」
「ああ。しつこく」
リリーベルは合点がいった。
「私が叩かれた理由は、それですか…………」
グレイシー嬢の言っていた『邪魔』の意味がわかった。
リリーベルが余計なことを言ったために、アルベルテュスがグレイシー嬢の紅の一族入りを止めた、と解釈したのだ。実際には、アルベルテュスが勝手にしたことだったのだが。
「…………あなたは、勝手です」
リリーベルは呆れをとおりこして、疲労を感じた。
「グレイシー嬢とて、生半可な気持ちであなたの血を求めたわけではないでしょう。それなのにあなたは、いったん与えたものを独断で奪った。彼女がどれほど傷つき、失望したと思うのです」
魔物の青年は戸惑ったようだ。
「貴女は、この娘が紅の一族になったほうが良かったと言うのか?」
「そうではありません。ですが、彼女はあなたの都合にふり回されました。あなたは彼女の気持ちを軽んじた、と言っているのです。『勝手』とは、そういう意味です」
アルベルテュスは困ったように、あるいは、すねたように首をかしげる。
「俺は貴女が喜べば、それでいい」
「そこまでだ」
背後から腕が伸びてきて、剣を杖に立つリリーベルの首を絞めるように捕まえた。リリーベルの剣を奪って放る。
「これ以上は、お前がリリーベルと話すことは認めない。リリーベルは私のもの、お前はここで第十三位たる私に敗れ、第六位の位階を汚すがいい。お前の位階は私がもらってやる」
「カレルお兄さま…………!」
カレルは優しくリリーベルを見る。
「計画の実行だ、リリーベル。予定より早いが今夜、君を私のものにしよう。君はこれから、永遠に私のものになるんだよ――――」
「…………今度こそ私を殺して、血を吸うつもりですか? ただではすみませんよ…………!」
肉体同様、リリーベルの血も聖化が進んでいる。紅の一族第十三位のカレルといえど、飲めば無傷ではいられないはずだ。
どうせ殺されるなら、せめて一矢は報いる。
リリーベルは、そう決意する。
だがカレルは笑って彼女の言葉を否定した。
「殺しはしない。言ったろう? 私は君を生かしたまま、君の恐怖と絶望を味わいたいんだ」
カレルはリリーベルの首を捕えているのと反対の腕を伸ばす。
その手から強い魔力が飛ぶのを、リリーベルの白騎士としての感覚が察知する。
魔力はアルベルテュスとグレイシー嬢の横をすり抜け、彼らの背後に落ちた。
いまだ浄化が済んでいない、あの異形の魔物の屍。正確には、その下の地面へと。
地面はカレルの魔力を吸い込み――――鳴動した。
「!!」
「なんだ!?」
リリーベルが、スノーパール城伯が身をこわばらせる。
地面がゆれ、地を割って飛び出すように現れたのは、芋虫型の巨体だった。
表面に無数の人間の手足がうごめき、顔が埋まっている。
「四体目…………!!」
「さあ、結婚式のはじまりだ」
驚愕するリリーベルに、カレルは高らかに宣言し、悪魔そのものの笑みを浮かべる。
「あの魔物は君のために用意したんだよ、リリーベル。あの魔物の魔力と存在で君を汚し、君の肉体の聖化を無効化する。そうして私の血を与える。君は紅の一族になるんだよ、リリーベル。人間を守る側から、人間を糧とする側になるんだ。そして永遠に私のそばで、その絶望と恐怖を私に捧げつづけるんだよ――――」
『スノーパールの白薔薇』と謳われたグレイシー・シープフィールド城伯令嬢は、その容貌を大きく変容させていた。
アルベルテュスが呆れたようにグレイシー嬢に言う。
「永遠に若く美しいままで生きたい、と言っていなかったか? 鏡を見てみろ、対極の姿をしているぞ」
彼のような飛び抜けた美貌の主にこんなことを、つまらなさそうに言われて、立ち直れる女はどれほどいるだろう。他人事ながらリリーベルは気の毒になったが、当のグレイシー嬢はアルベルテュスの言葉を理解していたかどうか。
鎌のような五爪をふりあげ、愛する男性に襲いかかってきた。
アルベルテュスは難なく、それを避ける。長い黒髪さえ、かすらない。
「ま、待って…………!」
リリーベルは立ちあがろうとして左腿の痛みが復活し、よろめく。
剣を抜き、杖代わりにして立った。
「大丈夫だ、すぐに消滅させる。貴女に心配していただくのは、心弾む状況だが」
その前半の台詞を証明するように、アルベルテュスはやすやすと変容したグレイシー嬢の両腕をつかんで、動きを封じる。
実際には、今のグレイシー嬢は大の男でもたやすく放り投げる程度の腕力を有しているのだが、アルベルテュスがあまりに容易に捕まえてしまったため、リリーベルにその事実は伝わっていない。
アルベルテュスは両手に力を込めた。左右に引っぱって、魔物化した少女を二つに引き裂くつもりだったのだが。
「それが本当に、切り札だと思うのか?」
カレルが意味ありげに笑う。
ほぼ同時だった。
暗がりから蹄の音が近づいてきて、馬のいななきが聞こえたかと思うと、新たな声が飛び込んでくる。
「グレイシー!!」
「スノーパール城伯…………!」
突然の登場にリリーベルは驚いたが、よく考えれば当然の展開だ。
馬に乗って現れたのはグレイシー・シープフィールドの父親、ロドニー・シープフィールド卿だった。松明を掲げた騎士が、同じく馬に乗って付き添っている。
「グレイシー!! どこだ!?」
スノーパール城伯は声をはりあげる。アルベルテュスが捕まえる魔物の姿は目に入っているはずだか、それがまさか最愛の娘とは、夢にも想像できないに違いない。
「アルベルテュス! グレイシーはどこにいる!!」
(えっ…………)
リリーベルは意表を突かれた。
(城伯は彼を知っているの?)
「名で呼ぶ許しを出した覚えはないぞ、位階で呼べ」
呼ばれたアルベルテュスは不愉快そうに告げる。
「これがお前の娘だ、ロドニー・シープフィールド。駄目だと忠告しておいたのに、俺以外の紅の一族の血を飲んで魔物化した」
「なんだと!?」
城伯は愕然と、アルベルテュスがつかむ異形の、人間だった存在を見つめる。
「どういうこと…………? 城伯はあの人と…………いったい、どういう関係で…………?」
困惑するリリーベルに、答えたのはカレルだった。
「スノーパール城伯とその娘は、あの第六位と懇意なんだよ。というより、この街を含めた、この辺り一帯が第六位の領域だ」
「え…………?」
カレルはつまらなさそうに面白くなさそうに説明していく。
「普段、紅の一族は各地に散っている。この近辺はあの男の領域下で、あの男はもう何年も前から、スノーパール城伯とずぶずぶの関係で、あの令嬢を餌にもらう約束もしていた。そうやって自分に都合よく、この街を動かしていたんだ」
「えっ…………」
言葉を失ったリリーベルの耳に、当のアルベルテュスからの反論が届く。
「領域なのは事実だが。『ずぶずぶ』と言えるほど親しくなった覚えはない。街に関しても、ロドニー・シープフィールドの支配権を認めている。人間の治世に口は出していない。面倒だからな。俺はただ、第二位に頼まれて、人間側の侵攻の情報を得ていただけだ。娘をもらう約束もしていない。本人が『紅の一族に入りたい』と言ってきたんだ」
ロドニー・シープフィールド卿が沈痛な表情を浮かべる。市民に、敵である魔物と内通していることがばれた治世者としての苦悩ではなく、娘の無謀を止められなかった父親としての悔恨だが、今のリリーベルにはそこまで読みとれない。
「城伯が…………紅の一族と、つながっていたのですか…………? なぜ…………」
「その方が手っとり早いからだ。俺は必要な情報が得られるし、引き換えに、人間の手に負えない魔物は、人間が気づく前に俺が倒してきた。おかげでロドニー・シープフィールドは魔物の脅威にさらされながらも、致命的な損害は避けてこられた」
「そんな…………そんなことが…………」
「しかたがない。これも政治だ。敵に完全に抵抗するよりも裏で融通し合ったほうが、お互いに損害が少なくて済む。そのおかげで、こちらは最悪の状況をまぬがれてきたのだ」
「だからといって…………魔物と組むなんて…………!」
「政治だ! この街を守るために、必要な手段だ!! 人間側にもっと強力な抵抗の手立てがあれば、こんな手は使わずに済んだ!! これは不足を補うための、必要悪だ!!」
スノーパール城伯の言葉はリリーベルの胸を深く貫いた。
つまり城伯は「リリーベルを含む白魔術師や白騎士達が、もっと強くて頼りになれば、魔物と裏で取引する必要はなかった。リリーベル達の力不足を、自分が魔物との取引という形で補った」と主張しているのである。
リリーベルが傷つかないはずはない。
白魔術師として白騎士として、研鑽を積み、経験を重ねてきた矜持が、自負が傷つけられた。
そして城伯の言葉は、リリーベル以外の白魔術師や白騎士達の必死の戦いをも侮辱するものだった。
(それは…………そうかもしれない、けれど…………っ)
言葉を失ったリリーベルに、慰めのつもりかアルベルテュスが声をかけてくる。
「気落ちする必要はないぞ。その男は、その男が思うほど俺を手の上で転がしてはいない。俺や紅の一族がこの街を襲わなかったのは、その必要がなかったからだ。この街に限らず、一族は街や都を滅ぼすことはない。一族にとって、人間は大事な糧だ。糧を無益に滅ぼすはずがない。俺がその男と組んだのは、あくまで情報のため。人間側の侵攻計画について、知っておくに越したことはなかったからだ」
「貴様…………! 私の娘を、グレイシーを得ていながら…………!!」
「もらった覚えはない。くりかえすが、体質が俺と合うとわかって、この娘から『紅の一族に入れてくれ』と言ってきたんだ。あまりにしつこいから、望みどおりにしてやっただけだ」
「紅の一族に…………吸血鬼になりたいと、グレイシー嬢自ら望んだ…………ということですか?」
「そうだ。そこの男のように、人間の姿と思考をたもったまま、永遠の若さと命を手に入れたいと言ってきた。それで少しずつ、俺の血を与えていたんだが…………」
リリーベルの脳裏に閃くものがあった。
「ひょっとして…………先日までのグレイシー嬢の体調不良は、絶食などではなく…………」
「変化が進んで、人間の食べ物をうけつけなくなっていただけだ。さらに血を与えていれば、二、三ヶ月で紅の一族入りするはずだった」
「そんな…………」
グレイシー嬢の病に、そんな事情が隠されていたなんて。
しかし。
「でも…………それならどうして、グレイシー嬢は急に回復を?」
「変化を止めた。細かい面倒な術が必要だったが、俺の血をすべて抜いて、人間に戻した。まだ初期だったので、成功したんだ」
当のグレイシー嬢の両腕を拘束したまま、アルベルテュスはすらすら答えていく。
「どうして急に、そんなことを…………」
「? 貴女は、この娘の体調を気遣っていなかったか? 俺はてっきり、貴女はこの娘の一族入りを望まないと思っていたんだが」
紅の一族第六位は首をかしげた。本気で不思議そうだった。
つまり彼は、リリーベルに気を遣ってグレイシー嬢を人間に戻した、そう言っているのだ。
「…………あなたはその理由を、グレイシー嬢に伝えたのですか?」
「伝えた。理由を訊かれたし、説明しないと納得しそうになかったからな」
「納得しなかった…………ということは、人間に戻ることを拒否したのですね?」
「ああ。しつこく」
リリーベルは合点がいった。
「私が叩かれた理由は、それですか…………」
グレイシー嬢の言っていた『邪魔』の意味がわかった。
リリーベルが余計なことを言ったために、アルベルテュスがグレイシー嬢の紅の一族入りを止めた、と解釈したのだ。実際には、アルベルテュスが勝手にしたことだったのだが。
「…………あなたは、勝手です」
リリーベルは呆れをとおりこして、疲労を感じた。
「グレイシー嬢とて、生半可な気持ちであなたの血を求めたわけではないでしょう。それなのにあなたは、いったん与えたものを独断で奪った。彼女がどれほど傷つき、失望したと思うのです」
魔物の青年は戸惑ったようだ。
「貴女は、この娘が紅の一族になったほうが良かったと言うのか?」
「そうではありません。ですが、彼女はあなたの都合にふり回されました。あなたは彼女の気持ちを軽んじた、と言っているのです。『勝手』とは、そういう意味です」
アルベルテュスは困ったように、あるいは、すねたように首をかしげる。
「俺は貴女が喜べば、それでいい」
「そこまでだ」
背後から腕が伸びてきて、剣を杖に立つリリーベルの首を絞めるように捕まえた。リリーベルの剣を奪って放る。
「これ以上は、お前がリリーベルと話すことは認めない。リリーベルは私のもの、お前はここで第十三位たる私に敗れ、第六位の位階を汚すがいい。お前の位階は私がもらってやる」
「カレルお兄さま…………!」
カレルは優しくリリーベルを見る。
「計画の実行だ、リリーベル。予定より早いが今夜、君を私のものにしよう。君はこれから、永遠に私のものになるんだよ――――」
「…………今度こそ私を殺して、血を吸うつもりですか? ただではすみませんよ…………!」
肉体同様、リリーベルの血も聖化が進んでいる。紅の一族第十三位のカレルといえど、飲めば無傷ではいられないはずだ。
どうせ殺されるなら、せめて一矢は報いる。
リリーベルは、そう決意する。
だがカレルは笑って彼女の言葉を否定した。
「殺しはしない。言ったろう? 私は君を生かしたまま、君の恐怖と絶望を味わいたいんだ」
カレルはリリーベルの首を捕えているのと反対の腕を伸ばす。
その手から強い魔力が飛ぶのを、リリーベルの白騎士としての感覚が察知する。
魔力はアルベルテュスとグレイシー嬢の横をすり抜け、彼らの背後に落ちた。
いまだ浄化が済んでいない、あの異形の魔物の屍。正確には、その下の地面へと。
地面はカレルの魔力を吸い込み――――鳴動した。
「!!」
「なんだ!?」
リリーベルが、スノーパール城伯が身をこわばらせる。
地面がゆれ、地を割って飛び出すように現れたのは、芋虫型の巨体だった。
表面に無数の人間の手足がうごめき、顔が埋まっている。
「四体目…………!!」
「さあ、結婚式のはじまりだ」
驚愕するリリーベルに、カレルは高らかに宣言し、悪魔そのものの笑みを浮かべる。
「あの魔物は君のために用意したんだよ、リリーベル。あの魔物の魔力と存在で君を汚し、君の肉体の聖化を無効化する。そうして私の血を与える。君は紅の一族になるんだよ、リリーベル。人間を守る側から、人間を糧とする側になるんだ。そして永遠に私のそばで、その絶望と恐怖を私に捧げつづけるんだよ――――」
0
お気に入りに追加
56
あなたにおすすめの小説
利己的な聖人候補~とりあえず異世界でワガママさせてもらいます
やまなぎ
ファンタジー
9/11 コミカライズ再スタート!
神様は私を殉教者と認め〝聖人〟にならないかと誘ってきた。
だけど、私はどうしても生きたかった。小幡初子(おばた・はつこ)22歳。
渋々OKした神様の嫌がらせか、なかなかヒドイ目に遭いながらも転生。
でも、そこにいた〝ワタシ〟は6歳児。しかも孤児。そして、そこは魔法のある不思議な世界。
ここで、どうやって生活するの!?
とりあえず村の人は優しいし、祖父の雑貨店が遺されたので何とか居場所は確保できたし、
どうやら、私をリクルートした神様から2つの不思議な力と魔法力も貰ったようだ。
これがあれば生き抜けるかもしれない。
ならば〝やりたい放題でワガママに生きる〟を目標に、新生活始めます!!
ーーーーーー
ちょっとアブナイ従者や人使いの荒い後見人など、多くの出会いを重ねながら、つい人の世話を焼いてしまう〝オバちゃん度〟高めの美少女の物語。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
公爵令嬢ルナベルはもう一度人生をやり直す
金峯蓮華
恋愛
卒業パーティーで婚約破棄され、国外追放された公爵令嬢ルナベルは、国外に向かう途中に破落戸達に汚されそうになり、自害した。
今度生まれ変わったら、普通に恋をし、普通に結婚して幸せになりたい。
死の間際にそう臨んだが、気がついたら7歳の自分だった。
しかも、すでに王太子とは婚約済。
どうにかして王太子から逃げたい。王太子から逃げるために奮闘努力するルナベルの前に現れたのは……。
ルナベルはのぞみどおり普通に恋をし、普通に結婚して幸せになることができるのか?
作者の脳内妄想の世界が舞台のお話です。
転生したので好きに生きよう!
ゆっけ
ファンタジー
前世では妹によって全てを奪われ続けていた少女。そんな少女はある日、事故にあい亡くなってしまう。
不思議な場所で目覚める少女は女神と出会う。その女神は全く人の話を聞かないで少女を地上へと送る。
奪われ続けた少女が異世界で周囲から愛される話。…にしようと思います。
※見切り発車感が凄い。
※マイペースに更新する予定なのでいつ次話が更新するか作者も不明。
前回は断頭台で首を落とされましたが、今回はお父様と協力して貴方達を断頭台に招待します。
夢見 歩
ファンタジー
長年、義母と義弟に虐げられた末に無実の罪で断頭台に立たされたステラ。
陛下は父親に「同じ子を持つ親としての最後の温情だ」と断頭台の刃を落とす合図を出すように命令を下した。
「お父様!助けてください!
私は決してネヴィルの名に恥じるような事はしておりません!
お父様ッ!!!!!」
ステラが断頭台の上でいくら泣き叫び、手を必死で伸ばしながら助けを求めても父親がステラを見ることは無かった。
ステラは断頭台の窪みに首を押さえつけられ、ステラの父親の上げた手が勢いよく振り下ろされると同時に頭上から鋭い刃によって首がはねられた。
しかし死んだはずのステラが目を開けると十歳まで時間が巻き戻っていて…?
娘と父親による人生のやり直しという名の復讐劇が今ここに始まる。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
全力で執筆中です!お気に入り登録して頂けるとやる気に繋がりますのでぜひよろしくお願いします( * ॑꒳ ॑*)
聖女なので公爵子息と結婚しました。でも彼には好きな人がいるそうです。
MIRICO
恋愛
癒しの力を持つ聖女、エヴリーヌ。彼女は聖女の嫁ぎ制度により、公爵子息であるカリス・ヴォルテールに嫁ぐことになった。しかしカリスは、ブラシェーロ公爵子息に嫁ぐ聖女、アティを愛していたのだ。
カリスはエヴリーヌに二年後の離婚を願う。王の命令で結婚することになったが、愛する人がいるためエヴリーヌを幸せにできないからだ。
勝手に決められた結婚なのに、二年で離婚!?
アティを愛していても、他の公爵子息の妻となったアティと結婚するわけにもいかない。離婚した後は独身のまま、後継者も親戚の子に渡すことを辞さない。そんなカリスの切実な純情の前に、エヴリーヌは二年後の離婚を承諾した。
なんてやつ。そうは思ったけれど、カリスは心優しく、二年後の離婚が決まってもエヴリーヌを蔑ろにしない、誠実な男だった。
やめて、優しくしないで。私が好きになっちゃうから!!
ブックマーク・いいね・ご感想等、ありがとうございます。
義妹の嫌がらせで、子持ち男性と結婚する羽目になりました。義理の娘に嫌われることも覚悟していましたが、本当の家族を手に入れることができました。
石河 翠
ファンタジー
義母と義妹の嫌がらせにより、子持ち男性の元に嫁ぐことになった主人公。夫になる男性は、前妻が残した一人娘を可愛がっており、新しい子どもはいらないのだという。
実家を出ても、自分は家族を持つことなどできない。そう思っていた主人公だが、娘思いの男性と素直になれないわがままな義理の娘に好感を持ち、少しずつ距離を縮めていく。
そんなある日、死んだはずの前妻が屋敷に現れ、主人公を追い出そうとしてきた。前妻いわく、血の繋がった母親の方が、継母よりも価値があるのだという。主人公が言葉に詰まったその時……。
血の繋がらない母と娘が家族になるまでのお話。
この作品は、小説家になろうおよびエブリスタにも投稿しております。
扉絵は、管澤捻さまに描いていただきました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる