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 しかけたのは美姫が先だった。
 跳ぶように距離を詰めて、銀色の刃を閃かせる。
 甲高い金属音を立てて二振りの剣がぶつかり合い、激しく火花が散る。
 たてつづけに二撃目、三撃目、四撃目とアレクシアは剣をふるい、ジークフリートもことごとくを防ぐ。
 聖職者か王宮の役人が目撃したら「家宝がぁぁぁあぁ!!」と絶叫したことだろう。
 だが当の使用者二人はまるで頓着しなかった。
 銀色の半月が無数に閃いては虚空に消え、また閃く。
 湾曲した刃をすばやく激しく操るアレクシアは独楽のようで、回るたび銀色の刃がジークフリートに襲いかかる。
 彼女の剣は『斬る』ことに特化した武器であり、持ち主もそれを熟知して、その特性を極限まで活かす方向に特訓を重ねてきた。
 対するジークフリートの剣は『突く』『振り下ろす』ことを目的としたもろ刃の長剣で、それも両手で持たなければならないほど重く大きい。
 その長大な剣を、ジークフリートはそこらで拾った棒きれのようにやすやすと操って、襲いかかる銀色の半月をすべて流す。
 アレクシアは「女だからといって手加減するな」とは言わなかった。
 手加減するなら、できないほど追いつめればいいだけの話である。
 半月の閃く速度があがる。
「おお」と王子の顔に喜びが浮かぶ。

「貴女は本当に強いな。ここまで手応えある相手と戦ったのは、久々だ。太刀筋も足の運びも呼吸一つにいたるまで、貴女が本当に真面目に鍛錬を重ねてきたのが、よくわかる」

 言って、ジークフリートは青白く光る刃を大きく振り下ろした。
 振りはアレクシアをとらえるには大ぶりすぎた。
 かわりに白い炎の玉が飛び出し、まっすぐにアレクシアを襲う。
 アレクシアは己の聖遺物に魔力を込め、その玉を斬った。
 それからしばらく魔術戦に入った。
 銀色の半月が閃き、青白い火の玉が無数に飛んで、鍛練場は戦争のような有様となる。
 いや、戦争だってここまで激しくはあるまい。
 恐ろしいのは鍛練場の被害だった。
 壊滅ではない。その逆だ。
 鍛練場はたしかに、はじめから拓けた造りになっている。
 しかし美姫や王子がどれだけ攻撃をくり出しても、隅に設置された彫像だのベンチだの回廊の柱だのに命中することはない。舞いあがる土埃が壁を汚しはするが、その程度だ。
 剣同士の戦いであれば、戦っている本人達以外に被害がひろがらないのは普通であろう。
 しかし、この二人の場合は聖遺物による魔術を用いて、この被害なのだ。
 ずば抜けた魔力の制御技術としか言いようがなかった。

(どうりでなあ。王子といえど、初めて会った男に、初めて来る場所に連れて来られたにしては、ずっと落ち着いているはずだ。そりゃ、これだけ強ければ余裕もあるはずだ)

 幼なじみの技量は見知っていたが、同じ水準の別の聖遺物使いに出会う日がくるとは正直、予想外だった。

「あー…………」

 石のベンチに座ったウィンフィールドは膝に肘をつき、力なく呻く。
 隣で「うにゃん」と猫が鳴いた。
 隣国の美姫が連れて来た、耳と鼻と四肢とかぎ尻尾以外が白い猫は、なにが楽しいのか、にこにこ飼い主の戦いを見あげている。

「お前も難儀だなぁ、あんな豪快な飼い主に飼われて」

「にゃっ?」

 アレクシア姫に『飼われたい』と思う男は星の数だろう。
 しかし目の前のこの光景を見て叛意しない男は、どれほどいるのか。ウィンフィールドには見当もつかなかった。
 少なくとも自分は辞退する。

「うにゃん?」

 猫は不思議そうな目で人間の若者を見あげる。
 その反応に、若者は訊ねてみた。

「お前、飼い主のあの姿を見て、どうとも思わないのか?」

 若者が指さしたアレクシアをしばらく見つめ、ねこさんは「うにゃあん」と、いっそう嬉しそうに鳴く。

「…………お前、あの飼い主が怖くないのか?」

「うにゃっ」

「飼い主が好きなのか?」

「うにゃんっ」

「…………飼い主のあの強さに、見惚れているのか?」

「うにゃあぁん」

「…………そうか」

 陶然と鳴いた猫の横顔に、人間の若者は「ならば、もうなにも言うまい」と決める。
 戦いは、まだつづいていた。
 この調子では、よもや日が暮れるまでつづくのではないか。
 恐ろしい想像が脳裏によぎったが、ほどなくして終わりが訪れる。

「ここまでにいたしましょう」

 意外にも、戦いをふっかけてきたアレクシア姫のほうから、そう申し出た。

「もういいのか?」

「はい。殿下はまだ余裕がおありのようですが、私は少し苦しくなってまいりました」

 アレクシア姫は武器を引っ込める。「苦しくなってきた」と言う割に、彼女の冷ややかな美貌に疲れは見出せない。白い額がかすかに汗ばんで見える、その程度だ。
 美姫の剣はふたたび輝いて形を変え、七本の弦も元通りに張られて竪琴に戻る。
 ジークフリートの刃からも青白い淡い光が失せて、鞘に納められた。

「俺の実力は測れただろうか。俺は貴女のお眼鏡に叶ったか?」

「いいえ」

 アレクシアは答えた。

「殿下の実力は、無念ですが、私の力量では見極めることは叶いませんでした。まだ余裕がおありと確信しただけです。だからこそ、御助力いただきたいのです。魔王を倒すために」

 アレクシアは竪琴の弦でたくしあげていたドレスの裾をもとに戻し、裾をつまんで優雅に丁重に頭をさげた。

「どうか、お力をお貸しください、ジークフリート殿下。私は魔王を倒したいのです。それが叶った暁には、殿下の求婚を父に報告して前向きに検討させていただきますこと、この場で誓言いたします(検討は誓ったけれど、受諾するとは誓ってませんよ)」

 王子は破顔した。少年のように屈託ない笑顔だ。

「貴女にそこまで見込まれるのは、光栄だ。心から嬉しい。頼まれなくとも、俺はいくらでも貴女に力を貸そう。魔王も俺が片付けるから、安心してくれ。あ、でも貴女は魔王への恨みを晴らしたいのだから、とどめは貴女に譲ったほうがいいか?」

 とんとん拍子にまとまる話に、寄ってきたウィンフィールドが呆れたように訊ねる。

「お前、それでいいのか…………」

「それで、とは?」

「誓約書とか誓いの証とか証人とか、なんの保証もなしに安請け合いして…………」

 彼の父、ライヒェ男爵はフリューリングフルスでも名高い大商人であり、実業家だ。その影響で、息子も約束事にはうるさい。
 なんの証拠も残さぬ口約束など愚の骨頂、というのがウィンフィールドの言い分だったが。

「かまわない。俺が力になりたいのだから、いくらでも安請け合いする。姫が助かるなら、それでいい。姫が倒したいというのだから、倒すまでだ」

 王子殿下は言いきった。
 ウィンフィールドはげっそりと力が抜けたし、アレクシアもその気持ちが重いような、だまして申し訳ないような複雑な気持ちに襲われて、己を叱咤する。

「お前…………あれだけのものを見せられて、なんとも思わないのか?」

「あれだけのもの、とは?」

「本人を前に、無礼を承知で言うが。ああも強力な女人でいいのか? 普通の男は逃げ出してるぞ?」

 言いつつ(でもコイツ、普通じゃないからなぁ)と思い直すウィンフィールドである。
 言われたアレクシアはけろりとしていた。幼い頃から不本意な求愛にさらされてきた彼女にしてみれば、逃げ出してくれるほうがありがたいのだ。
 そしてジークフリート自身の返答はといえば。

「恋した相手が実力ある聖遺物使いで剣士で、勇敢な戦士だった、というだけだ。どうして逃げる必要がある? 恋した相手のことを一つ知れたんだ、嬉しいだろう!」

 まぶしい笑顔だった。
 ウィンフィールドは脱力とともに納得する。

「お前…………強い女で良かったのか…………」

 むしろ、自分と戦える猛者を女人に求めていたのか。そりゃあ、フリューリングフルス中の美女をかき集めても、眼鏡に叶う相手が見つからないはずである。

「強いことのなにが悪い? 姫のあの強さは、己の長所とも弱点とも真摯に向き合い、丁寧な鍛錬を地道に積みあげてきた証だ。俺の恋した姫は、勤勉で真面目で根気があって辛抱強い人柄だった、ということだ。恋に落ちたのは初めてだが、その初回ですばらしい女人を見初めた、俺の目はすごいと思わないか!?」

「…………」

 友人は、もはやなにを言う気も起きないようだった。
 アレクシアもさすがに肩透かしをくらう(傍目には美しい無表情を崩さないが)。

(すごいわ、この男性ひと。なにを言っても、すべて前向きに解釈する…………)

 強さを見せつけて『すばらしい女人』と称賛されたのは、父をのぞいてはこの王子が初めてだ。(そういう考え方もあるのか)とアレクシアは感心してしまう。

(オリス殿下も『できることが多いのはいいことだ』と、おっしゃってくださったけれど…………殿下は、実際に私が戦うところを見たことはなかったから…………)

 胸に切ない痛みがよぎり、アレクシアはいそいで頭を切り替える。

(協力をとりつけることはできたのだから。今はそれで充分)

 ジークフリート王子の口にした『勤勉で真面目で根気があって辛抱強い人柄』という台詞が再度、脳内に響き、胸の痛みが少しやわらいだ。

「うにゃん」

 ほてほて、やってきたねこさんがアレクシアの足に頭をすりつけるので、竪琴を持ち直して愛猫を抱っこしてやる。

「うにゃ?」と、ねこさんは首をかしげた。
 大好きな飼い主が、知らない人間にはわからないだろうが、ちょっと喜んでいるように見えたのだ。





 一方、鍛練場を見おろせる大きな部屋の窓辺で。
 フリューリングフルス国王、王妃、上の王子二人に大臣達が、ある者は苦悩に身をよじり、ある者は無の表情で立ち尽くしている。
 第二王子がばんばん壁を叩いて、その場に居る者全員の気持ちを代弁した。

「そうだよなぁ! あのジークフリートが、ただ綺麗なだけの女に惚れるはずないよなぁ!! ジークフリートとタイマン張れる聖遺物使いかよ、ちくしょう!!」

『類は友を呼ぶ』
 その言葉の意味を、フリューリングフルス上層部はいっせいに噛みしめる。





 朝の鍛錬を終えると、アレクシアは国王一家の食事に同席を許された。宵っ張りになりがちな王侯貴族は朝食と昼食を一緒にとるので、これが正餐だ。
 メインディッシュは、昨夜ジークフリート王子が持ち帰ったニジマス十匹。
 アレクシアの分は本来なかったが、第一王子の妃が一歳の王女の分を「まだ魚は食べられませんので」と譲ってくれたおかげで、良質のバターをたっぷり用いて青々したタイムの添えられたムニエルをじっくり堪能できた。
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