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(そういえば、何度か聞いていた)

 夜空の中を進みながら、アレクシアは記憶をたどる。
 シュネーゼ公国の南端で国境を接する大国、フリューリングフルス王国。
 その第四王子といえば、容姿端麗、文武両道、才気煥発、魔術の才にも恵まれて嘘か真か、誕生時には天界の祝福さえうけたという、王国の英雄だ。

『最強最美の王国の剣』

 そんな二つ名も耳にしたことがある。噂を聞いた時には、大国の王子だし伝聞だし、確実に誇張されているだろう、と思ったが。

(たしかに『王国最強』を謳われても不思議でない強さだった)

 アレクシアは荒野で見た、彼と魔族の戦いを思い出す。
 圧巻だった。彼は終始、魔族と魔族に憑依した魔王を圧倒し、やすやすと勝ちをおさめた。
 それでいて消耗した様子はなく、今も平然と夜風にあたっている。
 アレクシアはこれまで、父こそ抜きん出た勇者と信じていた。
 しかしこの王子の実力は父を上回るかもしれない。

(こんなに強い…………いえ、規格外の人が、この世に存在するなんて)

 世界というのは本当に広いものだ。
 彫刻より整った横顔を見つめていると、不意に王子がアレクシアを見た。

「寒いか? 俺の外套を貸そうか?」

 すでに外套の襟に手をかける王子に「いえ、大丈夫です」とアレクシアは遠慮する。
 夏でも夜は冷えるが、フリューリングフルスの夜はシュネーゼの夜より過ごしやすい。真紅の花嫁衣装は厚地のベルベットで裾も袖も長いし、ヴェールをショールのように首に巻いて、眠ってしまったねこさんを抱っこしていれば、少々の肌寒さは問題にならなかった。
 むしろ気にかかるのは、匂いのほうだ。たえず夜風が吹きつけているのに、王子の友人がぶら下げる十匹のニジマスから生魚の匂いがただよってくる。

「お。見えたぞ」

 夜の闇に沈んだ街。その向こうに小高い丘の黒い影があり、その上に灯りをきらきらと宝石のようにともして背の高い城が建っている。
 フリューリングフルス王国の王都ゾンネナーハコメ。
 その王城、トゥルペ城だった。

(なんだか、おかしなことになった…………)

 夜空から異国の城を見おろしながら、あらためてアレクシアは思う。

(まあでも、私がこちらに来れば、魔王の関心もシュネーゼの両親やオリス公子から、こちらに移るだろうし)

 魔王の部下は倒したが、魔王自身があきらめたとは思えない。再来の可能性が高い。
 その時、この王子の力は大きな助けとなるはずだ。
 シュネーゼを出ていれば、実家や公子を巻き込む確率も低くなる。

(フリューリングフルスには申し訳ないけれど。責任の半分は自国の王子にあると、あきらめていただくほかない)

 アレクシアは冷徹にそんな計算をした。
 急降下し、王城が近づいてくる。





「なに? ジークフリートが女を連れて帰った!?」

 執務室で、王妃と共に深夜まで大臣達からの報告をうけていたフリューリングフルス国王ガリオン三世は従者に訊きかえした。「はい」と従者は重々しく肯定し、次に困惑の表情となる。

「その…………殿下いわく『花嫁だ』と…………」

 国王は俄然、色めき立ったし、同席していた王妃や十数名の重臣達もどよめく。
 フリューリングフルスの第四王子ジークフリートは王国の英雄と謳われる人物だが、色恋にはとんと無縁だ。噂すらろくに立たない。常に「どこそこの令嬢もしくは夫人が王子に恋しているけれど、まったく相手にされていない」という内容で終わる。
 王妃がいながら、寵姫にそそのかされて、国教を改宗してまで古の後宮制度を復活させた父王とは天地の差である。
 そのジークフリート王子が、花嫁と認める女人を連れ帰った。
 フリューリングフルス王国上層部に激震が走るのも無理からぬことだった。

「いったい、どのような素性の者なのだ」

「王子は朝食のあとから外出していた。その女人を迎えに行っていたのか?」

「帰りが夜ということは、遠方の出身か? どこぞの地方貴族や領主の娘か?」

「いや、ひょっとしたら市井の娘という可能性も…………町娘や村娘、旅芸人やもしれん」

 大臣達は顔を見合わせ、動揺を露わにする。

「うろたえるな!」

 国王は一喝した。執務机から立ちあがり、王妃や重臣達を見回して宣言する。

「どのような身元の娘であれ、ジークフリートが望むなら、結婚は許す!!」

「しかし、陛下。貴族の娘であれば、政略的は無視できません」

「かといって、仮にも王子の妻に一介の町娘や市民権も持たぬ旅芸人を迎えるのは、体面というものが…………」

「もしや、罪人ということも」

「まず、娘の身元を入念に確認してから――――」

「かまわぬ!!」

 大臣達の反論に国王は断言した。

「あのジークフリートが、結婚を考えているのだ! 反対すれば、どのような反発が待っているか、予想もつかん! 相手の身分がどうあれ、ジークフリートは望む相手と結婚させる! それであの問題児が少しでもおとなしくなるなら、安いものだ!!」

 国王の主張に、聞いていた者達もいっせいに「ああ…………」と納得の表情を見せた。
 そこへ王子の来訪が告げられ、国王の執務室の分厚い重厚な扉が開かれる。

「父上! ジークフリートが嫁を連れて来たというのは本当か!?」

「すでに夜番の侍女や従者達が騒いでおります。なんでも、花嫁はすでに婚礼の支度を整えているとか…………」

 二人の若者が入室してきた。二十一歳の第二王子バルドリックと、二十二歳の第一王子ライナートである。どちらも黒髪で長身だが、兄がほっそりとして品行方正な雰囲気をただよわせるのに対して弟はいかにも逞しく、見る者によって精悍にも粗野にも映る。

まことだ」

 国王である父親は重々しくうなずいた。

「ジークフリートは妻と望んだ女人を連れ帰ったそうだ。この件に関して、儂はジークフリートの好きにさせたいと思う」

「好きに…………? それほど有益な家の娘なのですか?」

「知らぬ。だが、あの問題じ…………色恋に興味を示さなかった息子が、はじめて妻に望んだ相手。祝福してやるのが親の役目というものだろう」

 途中「ゴホン」と咳払いをはさんだものの、長男の質問に父親は厳粛な表情で応じた。
 立派な『人の上に立つ者の威厳ある顔つき』だが、息子二人は父のその表情に、こちらもまた「ああ…………」と、なにかを察した表情となる。
 そこへ。

「第四王子殿下とご友人、それからお客人がいらっしゃいました!」

 従者の声と共に扉が開く。

「ただいま戻りました、父上。あ、義母上と兄上もですか、お疲れ様です。大臣達も」

「うむ。問題ない」

 なんとも気安く入室してきた第四王子の登場に、国王達の間には緊張が走る。問題の女人の姿は――――まだない。

「そなた、今日は朝から出ていたそうだが…………」

「はい。ちょっと隣国に行ってきました。あ、これ土産です。シュネーゼのニジマス」

 王子は無造作に、両手に五匹ずつぶら下げたニジマスを掲げる。
 平野と気候に恵まれたフリューリングフルスと異なり、シュネーゼは森と湖と川と雪が主な小国で、麦の収穫は少ない。かわりに、シュネーゼ人自慢の美しい『白の湖』で獲れるニジマスは公国の数少ない特産物であり、フリューリングフルス国王の好物の一つだった。
 それも輸入品は乾物だが、今夜持ち帰ったニジマスは獲られて半日の新鮮さである。
 国王はついよだれが出そうになったが、ぐっと我慢した。従者の一人がニジマスをうけとり、厨房へ運ぶ。
 なお、現在のフリューリングフルス王家は国王夫妻に五人の王子と一人の側妃、それからすでに結婚している第一王子に王女が一人いるので、十人家族だ。
 何気にちゃんと人数分のニジマスを持ち帰っているのが、この王子の地味に可愛いところだが、今はそれを指摘する場合ではない。

「そなた、シュネーゼに行っていたのか? いったいなんの用で…………」

「花嫁を見つけました!」

 慎重にさぐりを入れようとした父王の思惑をかるく飛び越え、四男は本題に入った。周囲がぐっ、と緊張の面持ちになる。そこが肝心要の部分である。

「花嫁…………とな。今まで縁談に興味のなかったそなたが、急に…………」

「今、連れて来ています。入ってくれ」

 国王の言葉を最後まで聞かず、第四王子は扉の外に声をかけた。
 父親は一瞬「待って、まだ心の準備が」という表情を見せたが、扉は開いて、新たな人物が入室してきてしまう。
 先に入ってきたのは、誰もが知る人物。
 ライヒェ男爵の令息ウィンフィールド・フォーゲル。
 褐色の髪に琥珀色の瞳の、第四王子の数少ない友人である。
 それから一回り小柄な、白いヴェールをかぶった人物。真紅のベルベットのドレスは明らかに婚礼用に仕立てた晴れ着だ。何故か左手に竪琴を抱え、右肩に耳と鼻と尻尾と四肢が灰色の、気持ちよさそうに眠る猫を置いていた。ちなみに尻尾は太いかぎ尻尾。

「え。マジで、もう婚礼の支度を…………」

 第二王子が思わず呟き、隣の第一王子に「静かに」と肘で突かれる。
 国王夫妻はもちろん、大臣や従者達の視線まで注がれる中、婚礼衣装の女人は国王の前に進み出て、第四王子の隣に立った。
 薄霧のようなヴェールがかすかにゆれる。ため息をついたのかもしれない。
 けれど次の瞬間には、空いている右手で潔くヴェールを引いた。
 白銀の滝が流れ落ちる。
 場の空気が一変した。
 雪の女神の顕現と思われた。あるいは紅薔薇の精霊か。
 まぶしいほどに白く若々しい胸もと、なめらかな首筋。完璧に整った顎の線、鼻筋、唇の形に、睫毛の長さや量にいたるまで文句のつけようもない。名工の手による彫刻でも、これほど完璧な造作は存在しないだろう。
 とどめはその双眸。
 薄い緑と濃い紫という、二色を同時に宿した稀有な瞳。
 白銀の髪を飾る蛍石をそのまま人間の瞳にはめ込んだかのような、神秘的な色彩だった。
 誰もが呼吸を忘れて目の前の美姫に見惚れる。
 規格外の王子は、規格外の美女を娶るものなのか。そう、納得する者もいた。
 室内の視線を独占する中、美姫は右手で裾をつまんでかるく膝を曲げ、優美に一礼する。

「お初にお目にかかります、フリューゲンフルス国王陛下。シュネーゼ公国、アイスヴェルク伯爵ヴァーリック・フォン・プファンクーヘン将軍が長女、アレクシア・フォン・プファンクーヘンと申します」
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