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第1話 始まり
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第1話 始まり
天蓋付きのひとりで寝るには広すぎるベッド。寝室には相応しくない豪華なシャンデリア。ふわふわの大きなソファと美しい装飾が施されたテーブル。
そんな広い部屋の壁にところ狭しと並ぶのは、人形人形人形人形人形人形人形……。
この部屋で寝るのにも慣れてきた。
最初はあの人形の瞳が怖かったけれど、慣れればどうってことない。人形は何も言わないし、人間のほうがよっぽど怖いもの。
コンコンっ
控えめなノックの音が部屋に響く。私は定位置の一人がけソファに腰掛けてドレスの裾を整える。膝には彼の一番お気に入りの人形アンジェリカを乗せた。
今日はアンジェリカとお揃いの薔薇の花びらのような真っ赤なドレス。頭にはドレスと同じ赤のリボンをカチューシャのように結んである。これも人形とそっくり同じ。
「どうぞ。」
声をかけるとすぐに扉が開く。初老の執事に続いて、この豪華な部屋の主が入ってきた。
長く伸ばした銀髪をひとつに束ね、細やかな装飾のついた高そうな服に身を包んだ細身で長身の男性。
氷のようなアイスブルーの瞳に銀縁の眼鏡がよく似合う。無表情なことを除けば、とても整った顔をしている。
「公爵様、お帰りなさいませ。」
彼は王城での公務が終わって帰宅すると、真っ先にこの部屋にやって来る。
「ただいま、アンジェリカ。いい子にしてたかい?」
ソファの前に跪き、私の膝に手を乗せるとさっきまでの冷たい表情はどこかに行ってしまう。
「公爵様なんて呼ぶのはやめてくれっていつも言ってるじゃないか。」
猫なで声…というか子どもが母親に甘えるような声を出す彼は私より十歳は年上のはずだ。彼のこんな顔はここでしか見られないらしい。
「おかえりクロード。お仕事お疲れ様。」
この部屋の中で、私は坂崎渚という人間からアンジェリカという人形になる。
彼の今日1日の愚痴を聞くのが私の夜の仕事だ。
よしよしと彼の頭を撫でながら、この奇妙な生活を初めてそろそろ1か月かと考えていた。
* * *
気づいたとき、私は真っ白な部屋にいた。真っ白すぎて目を凝らさないとどこからが壁なのかも分からない。
私自身も真っ白な服を着てポツンと立っている。
ここはどこなんだろう?必死にここに来る前までの出来事を思い出す。
坂崎渚。それが私の名前。いま18歳の高校生。大丈夫、自分のことは覚えてる。
学校からの帰り道、車の多い交差点で信号待ちをしていた。そのとき視界の端で何かが道路に飛び出した。
それが小さな男の子だと気づいた瞬間、体が勝手に動いていた。持っていたスクールバッグを放り出して駆け出し、思い切り手を伸ばす。小さな手を掴み、歩道に引き戻した。その反動で自分の体が車道に飛び出たとき、目の前には車が迫っていた。
・・・・覚えているのはそれだけ。
体には傷もないし、もちろん痛みもない。服が血で汚れているわけでもない。それでもひとつ確信があった。
「私、死んだの?」
その時部屋のあちこちから光が溢れ、目を開けていられないほどに眩しくなった。
「なに?なにこれっ?」
「坂崎渚さん、その通りです。貴女は死んでしまいました。」
やっと目が開けられるようになると、私の前には白くふわふわした玉が浮いていた。ちょうど私の手のひらに乗るくらいの大きさ。
「私の姿が見えますか?」
「はい……。この白いふわふわのことですか?」
目の前のふわふわは目も口も耳もない。でもたしかにそこから声がした。
「私は貴方たち人間が言うところの神様です。渚さんは本来死ぬ予定ではありませんでした。しかし、その優しさによって運命を変えてしまったのです。」
神様と名乗ったふわふわは私を褒め称え、その犠牲は素晴らしいと言った。善良な人間の鑑だって。
私はそれをとても冷めた気持ちで聞いていた。だって、私はずっと死にたいと思っていたから。ずっとずっと思っていたから、咄嗟に体が動いてしまっただけ。
「そこで渚さんには新しい世界で生き直していただきたいのです。」
ぼーっとしてる間に神様の話は私の予想していなかった方向に進んでいた。
「えっ?生き直す?これで終わりじゃないんですか?」
「渚さんはまだ死ぬ運命ではありません。もう元の世界には戻れませんが、他の世界で生きていってほしいのです。」
そんなことしてくれなくていいのに。これで終わりでいいのにな。
「どうかそんな悲しいこと仰らないでください。」
どうやら神様には心の声まで聞こえてしまうらしい。
「神様、私はそんな風に褒めてもらえる人間じゃありません。」
すると白いふわふわが私の右肩に乗る。左手でそっと触ってみると思っていた以上に柔らかかった。
「貴女は幸せになるべき人です。どうか自分を諦めないでください。」
神様にはなんでもお見通しなのかな。その優しさに少しだけ涙が出た。誰かに優しくしてもらうなんていつ以来だろう。
「必ず貴女を必要としてくれる人はいます。神様が言うんですから、信じてみませんか?」
「………分かりました。もう少しだけ頑張ってみます。」
ふわふわが一瞬笑ったように見えたのはきっと気のせいだろう。
次の瞬間、部屋は光に包まれた。
天蓋付きのひとりで寝るには広すぎるベッド。寝室には相応しくない豪華なシャンデリア。ふわふわの大きなソファと美しい装飾が施されたテーブル。
そんな広い部屋の壁にところ狭しと並ぶのは、人形人形人形人形人形人形人形……。
この部屋で寝るのにも慣れてきた。
最初はあの人形の瞳が怖かったけれど、慣れればどうってことない。人形は何も言わないし、人間のほうがよっぽど怖いもの。
コンコンっ
控えめなノックの音が部屋に響く。私は定位置の一人がけソファに腰掛けてドレスの裾を整える。膝には彼の一番お気に入りの人形アンジェリカを乗せた。
今日はアンジェリカとお揃いの薔薇の花びらのような真っ赤なドレス。頭にはドレスと同じ赤のリボンをカチューシャのように結んである。これも人形とそっくり同じ。
「どうぞ。」
声をかけるとすぐに扉が開く。初老の執事に続いて、この豪華な部屋の主が入ってきた。
長く伸ばした銀髪をひとつに束ね、細やかな装飾のついた高そうな服に身を包んだ細身で長身の男性。
氷のようなアイスブルーの瞳に銀縁の眼鏡がよく似合う。無表情なことを除けば、とても整った顔をしている。
「公爵様、お帰りなさいませ。」
彼は王城での公務が終わって帰宅すると、真っ先にこの部屋にやって来る。
「ただいま、アンジェリカ。いい子にしてたかい?」
ソファの前に跪き、私の膝に手を乗せるとさっきまでの冷たい表情はどこかに行ってしまう。
「公爵様なんて呼ぶのはやめてくれっていつも言ってるじゃないか。」
猫なで声…というか子どもが母親に甘えるような声を出す彼は私より十歳は年上のはずだ。彼のこんな顔はここでしか見られないらしい。
「おかえりクロード。お仕事お疲れ様。」
この部屋の中で、私は坂崎渚という人間からアンジェリカという人形になる。
彼の今日1日の愚痴を聞くのが私の夜の仕事だ。
よしよしと彼の頭を撫でながら、この奇妙な生活を初めてそろそろ1か月かと考えていた。
* * *
気づいたとき、私は真っ白な部屋にいた。真っ白すぎて目を凝らさないとどこからが壁なのかも分からない。
私自身も真っ白な服を着てポツンと立っている。
ここはどこなんだろう?必死にここに来る前までの出来事を思い出す。
坂崎渚。それが私の名前。いま18歳の高校生。大丈夫、自分のことは覚えてる。
学校からの帰り道、車の多い交差点で信号待ちをしていた。そのとき視界の端で何かが道路に飛び出した。
それが小さな男の子だと気づいた瞬間、体が勝手に動いていた。持っていたスクールバッグを放り出して駆け出し、思い切り手を伸ばす。小さな手を掴み、歩道に引き戻した。その反動で自分の体が車道に飛び出たとき、目の前には車が迫っていた。
・・・・覚えているのはそれだけ。
体には傷もないし、もちろん痛みもない。服が血で汚れているわけでもない。それでもひとつ確信があった。
「私、死んだの?」
その時部屋のあちこちから光が溢れ、目を開けていられないほどに眩しくなった。
「なに?なにこれっ?」
「坂崎渚さん、その通りです。貴女は死んでしまいました。」
やっと目が開けられるようになると、私の前には白くふわふわした玉が浮いていた。ちょうど私の手のひらに乗るくらいの大きさ。
「私の姿が見えますか?」
「はい……。この白いふわふわのことですか?」
目の前のふわふわは目も口も耳もない。でもたしかにそこから声がした。
「私は貴方たち人間が言うところの神様です。渚さんは本来死ぬ予定ではありませんでした。しかし、その優しさによって運命を変えてしまったのです。」
神様と名乗ったふわふわは私を褒め称え、その犠牲は素晴らしいと言った。善良な人間の鑑だって。
私はそれをとても冷めた気持ちで聞いていた。だって、私はずっと死にたいと思っていたから。ずっとずっと思っていたから、咄嗟に体が動いてしまっただけ。
「そこで渚さんには新しい世界で生き直していただきたいのです。」
ぼーっとしてる間に神様の話は私の予想していなかった方向に進んでいた。
「えっ?生き直す?これで終わりじゃないんですか?」
「渚さんはまだ死ぬ運命ではありません。もう元の世界には戻れませんが、他の世界で生きていってほしいのです。」
そんなことしてくれなくていいのに。これで終わりでいいのにな。
「どうかそんな悲しいこと仰らないでください。」
どうやら神様には心の声まで聞こえてしまうらしい。
「神様、私はそんな風に褒めてもらえる人間じゃありません。」
すると白いふわふわが私の右肩に乗る。左手でそっと触ってみると思っていた以上に柔らかかった。
「貴女は幸せになるべき人です。どうか自分を諦めないでください。」
神様にはなんでもお見通しなのかな。その優しさに少しだけ涙が出た。誰かに優しくしてもらうなんていつ以来だろう。
「必ず貴女を必要としてくれる人はいます。神様が言うんですから、信じてみませんか?」
「………分かりました。もう少しだけ頑張ってみます。」
ふわふわが一瞬笑ったように見えたのはきっと気のせいだろう。
次の瞬間、部屋は光に包まれた。
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