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第二章 ツル
11.慟哭する白い羽 1/2
しおりを挟む一生分叫んだ。
窓から庭を覗き、その窓を叩き、叫び、壁を蹴り、そしてまた大声で叫んだ。何度も庭に出る扉の取っ手を開けようと掴んだが、その取っ手はびくとも動かず。
いっそ窓を割って外に出てやろうと近くにあった木の椅子を掴んで窓に投げつけ、それでも、本来ただの硝子を使っているはずの窓は小さなひびすら入らず、外にいる者は誰一人こちらを気にしない。
殴り続けた手の皮は破れて血が流れてきたが、それすら気にせず窓を叩いて叫んだ。
一緒に寝入った筈のピィの気配が消えたことで、なんとなく目が覚めてしまったクレインは、隣を探り、既に冷たくなっているシーツを触りながら風呂場で倒れているんじゃないかと心配になった。
あいつ一体どこでふらふらしてんだ、と、まだ怠い身体を無理やり起こし家の中を探す。
もう少しだけ一緒に寝て、起きた後に腹ごしらえでもしながら国の外に移り住む話しをしようと思っていたのに。
考えてみれば、自分は手に職を持っている。どの国へ行ったとしても食うに困る事はないはずで、クレイン自身とピィの二人だけであれば特に問題なく暮らせるように思う。
あの信じられない程の世間知らずのピィに仕事ができるとも思えないので、畑仕事でも任せたら良いか、と考えて畑を耕す道具相手に悪戦苦闘する姿が浮かんでクレインは薄く笑った。
何だって良い。
ピィが居て、クレインが居て。それで毎日暮らして行けたら、場所にこだわる必要なんてないし、一生逃亡生活を送ったとしてもそれはそれで楽しいかもしれない。
家の中をピィの名を呼びながらだらだらと歩いて、庭に面する食堂兼台所まできて、窓の外に信じられない光景を見るまでは確かにそんな事を考えて楽しい気持ちでいたはずだったのに。
直後、強烈に、まるで暴力のように激しくクレインの視界に飛び込んで来たのは、幼い頃から心底で求めていたあの色だ。
どうして。
あれは。
どうしてここに。なぜ。
あの、模様だ。夢にまでみた、あの。
あの色だ。あれにまた会いたくて、何度も何度も自分で作った、あの色が。
目を奪われる、目が離せない、何度もまた見たいと心底から焦がれたあの羽が。
続いて、なぜかそれがピィである事に気づく。
なんだ、あれは。
誰だ。
ピィか。
ピィ……?
なぜピィの背中に、心底焦がれたあの色が。あの模様が。
混乱しているうちにピィの前に次々と降り立つ国立師団の制服に身を包む男達。
おかしいだろう、この状況。どう考えてもおかしい。状況に頭は追いつかないながらも、助けに行かないといけない、とすぐに思った。思い至ったクレインは慌てて庭に出ようとするが、扉は少しも動かない。
「っっおい!!!!」
窓を叩き、叫んだ。
こんなに大きな声で叫んでいるのに、窓の外はこちらのことなど何一つ無いかのようにことが進んでいく。
一際大きな男が降り立つ。
ピィに対して酷く馴れ馴れしい。
ピーファウルとは誰だ。あれは、俺のピィだ。俺だけのピィだ。俺だけのピィに馴れ馴れしくするな。
「ピィッッ!!!!! こっちを見ろ!!!」
いくら呼んでも、ピィはこちらを振り向かない。
続けて、ピィの話す声が聞こえる。
「……理由を聞いてどうするのですか。バルチャー……あなたの言う通り、逃げました。そして自覚を持って、逃げる事をやめ、こうして戻ることにしました。何か、問題でもありますか」
「おい!!! 戻るって何だ、勝手に決めんな!!!! ピィ!!!!」
これ以上出せないくらい大きな声を出しているのに、こちらの音や衝撃は全く届いていないようで、外ではクレインの声など完全に無視して話しが進む。
「問題……問題ですか、……そうですね、あるとすればどこぞの見知らぬ人間と交わったりはしていないか、という事でしょうか。……していたとしたら、問題です」
「あなたが幼い私に貞操帯をつけさせた。そうして、いついかなる時も勃たせてはいけない、精液を出してはいけないと教え込んだ。違いますか。……貞操帯は外さず、未だついています」
「っざっけんな!!! 俺と交わったろうが!!!」
「……戻ったら、まずは身体検査をさせてください、ピーファウル。あなたの身体が心配なんです」
「バルチャー、……あなたが心配しているのは私の身体ではなく別のことでしょう」
なんでだよ、どうして、ピィ、一体何が起こっているんだ。
クレインには何が何だかわからない。わからないけど、今ここで出ていかなかったら、きっと自分はもうピィに会えない。何もわからないのに、それだけはわかった。
「ピィッ!!!! ここを!!!!! あけろっっ!」
ありったけの声をあげる。
その頃には、興奮状態にあるクレインにも既にわかっていた。何らかの、いや、ピィのあの強力な魔力がピィの意思を持って働いている。それを崩さないと、きっと外には出られない。
魔術をきちんと修得しておくのだった。多少の魔力は自分も生まれ持っていたのに、布を作ることに夢中になりそちらを優先してしまった。魔術を学ぶよりも布を作っていたかったあの頃の自分を責めたい。修学していたとしても、ピィのかけた魔術を崩せるとは到底思えないけれど、全くとっかかりもつかめない今のこの状況に絶望感がこみ上げる。
「あなた以上に心配な事などありませんよ、私の美しいピーファウル」
「お前のピィじゃねえよっ!!!! クソがっ!!!!」
「……あなたの、ではありません」
「まだそんな事を……まぁ良いでしょう。羽馬と馬車を用意しています。乗ってください、今のあなたでは、自力で飛ぶ事もできなそうだ」
「おい待て、本当に待てよ、おいっっ!!!!! ピィッッ!!!! おかしいだろこんなの!!! 開けろ、開けろよ、ここをっ!!!! 開けろ、ピィッ!!!!!」
どれだけ窓を叩いても、どれだけ蹴って物をぶつけても、どれだけ大きな声で叫んでも、ピィは行ってしまう。
こちらを見ようともしない。こちらを、気にしようともしない。おかしい。これは、おかしいことだ。ただ一人の、たった一人の、自分だけの番を見つけたと思ってた。ピィもそう思ったはずだ。それなのに、どうして。
ばさり、と羽音すら耳元で聞こえそうなほどの勢いで一度だけ、ピィが羽を広げる。
それはきっと、ピィなりのさよならだ。
クレインが見ている事を知っていて、声に出せない別れを告げている。
クレインの目の前に、まるで孔雀の大群が広がったような幻覚が現れたかのようだ。
あの、まだ幼かったあの日。
クレインの心を掴んで一生離してはもらえない爪を心の奥深くに立てられたようなあの感覚。それが再び鮮烈にクレインの中に沸き起こる。
あれだけ求めたものがこんなに近くにあるのに、触れない。
駆け寄り抱きしめることもできない。
こんなに心底から焦がれ、全身でピィを求めているのに、少しも届かない。
青い、蒼い、精密な羽の集まりか鱗のようなキラキラ輝くものなのか、そんな光を纏った荘厳なものが、太陽の光を反射させ青く輝く光を周囲に撒き散らし、そして。
――消えた。
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