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オスカー×ユージィン編

35.気流師の恐怖

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 人は、自身の理解が及ばない出来事に直面すると、どうなるのだろう。

 思考が停止する。
 流れに身を任せる。
 理解ができないとあらがう。
 逃げ出す。
 過去の経験から解決策を探る。

 正解はない。
 人によって違うだろうし、状況によってももちろん違うだろう。

 さて。
 ユージィンは。
 ユージィンは、散漫な思考の中で死を覚悟していた。
 自分は、ここまでだ。
 この先の人生を送る事はもはやできないだろう。

 そう、考えていた。
 いや、考えていたというよりは、本能がそう告げていた。

 意識が戻り目を開いた時に真っ先に感じたのは、身体が全くほんの少しも動かなくなったことだ。
 目を閉じるまでは、散漫な思考、ゆるりとしか動かない身体、いずれも持て余しながらもまだなんとか自分の思うようにできていた。
 でも、今は、無理だ。
 指先すら、自分の意思では動かせない。
 周囲の、もしくは自身の気流を視ようと試みても、目に、眉間に、わずかほども力を入れることができない。
 なんとなく自身の気の流れが視えるようにも思うが、それが本当に視えているのかどうかもわからない。
 そもそも、気流どころか、視力が正常に働いているようにも思えない。

 そして、目の前の、異様に大きな存在だ。

 は、わかる。
 気流がどう、とか、実際に見えるとか、そういう事ではなく圧倒的な気配を感じる。
 その、圧倒的なが、ユージィンを見ている。

 絶対に自分を見ている。わかる。
 目では見えないけれど、わかる。
 わからないけど、わかる。

 一体自分はどうなったのか。
 どうしてしまったのか。

 意識を奪われた。
 見知らぬ場所へ連れてこられた。
 徐々に自由が効かなくなる身体を持て余していた。
 頭の中ではティックワーロに対する自分なりの罵詈雑言を唱えながらも、何とか逃げ出す手立ては無いかと考えていた。

 ――でも、今は。
 もしも身体が以前のように思うがままに動いても。
 今までと同じように気流を視ることが出来たとしても。
 到底動ける気がしない。
 目の前の圧倒的な気配が、動かせてはくれない。

 指先の1つも動かそうものなら、そのほんの少し動いた気配で自分の生が目の前の何かに脅かされる、そう、感じさせられる、何か。
 肉食動物に追い詰められた小動物の方がまだ、死にものぐるいで逃げ出そうとするだろう。
 でもこれは無理だ。
 何であっても、この、目の前の何かの気配を感じたら逃げることすら放棄する。
 ……と。
 目の前の何かが、息を吐いたような気がした。

 それだけで、ひりひりと肌が泡立つような更なる恐怖を感じる。
 頭のどこかで、息を吐いたように思うという事は、やはり目の前の何かはか。
 そしてここは、水中ではないのか。
 そう、冷静に分析する自分もいるが、その一方で、だからなんだ、それがなんだと言うのだ。相手が何であっても怖いものは怖い。
 そう、冷静な自分へと突っ込む自分もいる。

 現実に死を感じると、人は全てを諦めるのか。
 幼少の頃、母から……。
 ……母から……?
 母から、なんだ。
 一体母から何をされた。
 怖かった。
 その後、正気を保つことができなくなる程に怖かったはずだ。
 怖くて逃げたいのに、何もできなかった。
 そう、逃げたかった。
 逃げられなかったけれど、怖くて悲しくて辛くて、どうして良いかわからなかったはずだ。
 ウィレナーズが、自分を護ってくれていたから、今があるのに。
 ウィレナーズが……。自分を。
 やはり、ここに来ても、何かを思い出すことができない。
 だけど構わない。
 思い出そうと出すまいと、状況はかわらないし、今も同じだ。
 心底怖い、動けない。
 自分自身ではとうてい己の身を護ることができない。

 ピンと張った空気の中、思う。
 いっそ壊れてしまえたら良かった。
 完全に壊れてしまえたら、こんな恐怖、味合わずに済んだものを。

 期待や理性が残っているから怖い。
 もしかしたら逃げ出せるかもしれない期待。
 なんとか状況を打破できないかという理性。
 どちらも、この恐怖の前では、要らないものだ。

 己を護れないなどと思ったが、唯一護る手段があるとするならば、きっと壊れてしまうことだ。

 もしくは。
 もしくは、目の前に居るであろう、何かの正体を理解することができればもしかしたら恐怖は消えるのかもしれない。
 人ではない、でも、何者か全くわからないが動けない自分の近くに居ることが恐怖なのだから。


「……多いな」


 グルルという唸り声のようなものと共に、ひび割れたような、音のような声が降ってきた。


「……多いから、正気を保てているのか……いや、ちがうな……」


 そこにいて息を吐くだけで周囲を恐怖に陥れ、上から声を降らせる存在。
 これは。
 まさか。
 龍か。
 伝説では、海深く潜り隠れたと言われているが。
 それでもまだ生きていると言われていた、永遠の命を持つ、銀色の龍か。

 と、その、龍かもしれないものがゆらりと動いた。


「……貴様……何か隠されているな」


 ゆらりと動いたと同時に、圧倒的な気配が近づいてくる。
 ように感じた。
 恐怖心はますます募る。
 身体の感覚が遠いので確たる事はわからないが、瞬きもできない。
 瞬きもできないばかりではなく、きっとこの身体は震えることも、汗を流すこともなく、ただただ動けずにいるのだろう。
 叫び出したい。
 いっそ、狂いたい。狂いたい狂いたい狂わせて。
 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い、本当に怖い、助けて。


「……く、……る、な……」


 恐怖心が理性を超えたか、どうしても動かないと思っていた口を開き、声が出せた。
 水の中にいるようだと思っていたのに、やはりここは水中ではなさそうだ。
 途端、龍であろう者が、がらがらと不快な音を立てて笑った。


「隠されているせいか……? まあいい……ここまで寄っても壊れないとは、……力は強いな、その力は好ましいが、隠されているのが気に入らんな」


 眼の前に、何か光が走ったと理解した瞬間、ユージィンの意識はその光に飲み込まれた。
 遠くで「貴様の中身が壊れてもは使ってやるから安心しろ、良い頃合いだ」との、声のような音を聞きながら。




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