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市街地3

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「どこから越えてくるのか良く分からないらしいんだけれどね。旧市街の者たちで何とか倒したようだけれど、この間も出たと言って怪我人が少しね」
「それは、心配ですね…」
「壁も古いからね。どこか崩れているのかもしれない」

 後でその診断に行くと言って男は雑踏に紛れていった。その背を手を振りながら見ていたフィルリーネは何を思っているだろう。

 男の背はもう見えない。見えないのにその場に立ち尽くしている。そして振り向いた時、フィルリーネの瞳は鋭く、怒りが滲んでいるように見えた。
「見学会は後でね。旧市街に行くわ」

 そうであろう。フィルリーネはこちらに視線を合わすことなく、道を変えた。先程ののんびりした歩きではなく、早歩きで人の合間をぬって進んでいく。迷路のような道も頭に入っており、迷うことはない。
 カサダリアは第二都市でダリュンベリから距離がある。それでも良く来ているのだろう。エレディナがいればここまで移動できるのだろうが、それにしても詳しい。

 フィルリーネは人の家の敷地のような場所へ入っていく。壁もないので家の中が丸見えだが、気にせずその庭を通り庭にある階段を下る。人一人しか通れない階段だ。そこを過ぎると細い路地を通った。
 下へ行けば行くほど、街の様子が変わっていくのが分かる。壁色はくすみ屋根が欠けた。地面の石畳は崩れているところがあり、土で踏み均されている。歩く人の雰囲気も違った。側使えのような者を連れる者がいなくなり、服装が薄着になる。薄汚れた服で歩いている者もいた。

「貧富の差が激しいな」
 ぽつりと言った言葉に、フィルリーネが振り向いた。
「ダリュンベリも同じよ。自分が住む村から逃げてくる者も多い」
「逃げてくる?」
「精霊がいなくなり生きていける土地ではなくなるのよ」

 前に比べてずっと増えている。フィルリーネは押し殺すような声でそれを口にした。
 誰に向かう怒りか。想像しないでも分かる。彼女はこうやって王の所業を見つめているのだろう。

 幼少から偽る性格。それを馬鹿にする者は多い。その愚か者を演じ続けていながら、内では大きな闘志に燃えているだろう。人々を憂いて影でその助けをしていた。それでも力は小さい。それが分かっているからこそ、長い間偽りを続けている。余程の精神力がなければできない技だ。

 この娘と協力できるか。ラータニアを守るために。
 フィルリーネならば、ラータニアを蔑ろにはしない。

「フィリィじゃない」
 突然呼ばれた声に、フィルリーネは声の主に顔を向けた。両手に荷物を抱えた女性が笑顔でこちらを見ている。

「デリさん。お久し振り!」
「久し振りだよ。最近来ないんだもの。忙しかった?」
「やー、ちょっぴりだけ」

 デリとはフィルリーネが良く出す名前だ。玩具関係の者だろう。商人だろうか、身なりが悪いわけではない。赤毛の三つ編みが印象的で、衣装がなぜか男物だ。短い黄土色のチュニックに長いブーツを履いている。
 フィルリーネも気になったか、それを不思議そうに見遣った。

「何かあったんですか?」
「違うよ。これから子供たちと勉強会だから、動ける格好にしてるんだ。あとでみんなで外で食事もするしね。それより、その後ろの男、何! 誰? 良い男! もしかするの!?」
 デリの視線がこちらに向く。フィルリーネがその視線につられるようにこちらを見遣って、明らかに嫌そうな顔をした。面倒臭いと言う時の顔だ。

「ただの通りすがりの他人です」
「他人さーん。お名前は?」
 フィルリーネがにこやかに適当なことを言ってもデリは連れだと分かると、口元をにやけさせながら名を聞いてきた。

「名前聞くとクビ飛ぶんで」
「うっそ、まずいじゃん」
 フィルリーネが首を振りながら更に適当なことを言ったのに、デリはわざと驚くようにして見せた。聞くなと言う言葉を言わずとも納得したのか、それ以上は聞いてこず、荷物を重そうに持ち直す。

「通りすがりの他人さん、これ持って」
 フィルリーネは肩にかけていた荷物を半ば無理に渡してくると、デリが持っていた荷物を持つのを手伝った。いいのにー。と言う声は無視し、片方の荷物を取り上げて抱くように持ち上げる。

「木札じゃないですか。結構な量ですね」
「そうなの。みんなで絵を描くんだ。絵を見ながら描く練習」
「へー。じゃあ、先生はシャーレクさんだ」
「当たりー」

 勉強会とは絵を描く勉強会のようだ。フィルリーネはデリと並んで歩んだ。目的地がどこなのかフィルリーネは分かっている。二人は仲が良いのか玩具の話を楽しそうに話し始めた。どれが売れているだの、あれが良かっただの言いながら、きゃっきゃと笑った。何かおかしいことがあったらしく、フィルリーネは大口を開けて笑っている。

 貴族の友人たちと接するのとは違うと分かっているが、笑い方が街の人間だ。話し方を変えているのは分かっていても、仕草や笑い方も違う。馴染み過ぎて違和感がない。
 確かに自分が街を歩いていたら違和感があるだろう。ラータニアでは私的に街を歩くことはなく、必ず王や王騎士団と共にいた。街の者たちと直接話すことはない。王はそれを好んで行っていたが、普通は有り得ないことだ。王族が話し掛ければ街の者たちも萎縮してしまい、まともに話すのも難しい。

 王は人好きのする顔をしていて、街の者たちも王の気安さに慣れていた。しかし、王だけだ。自分や夫人などが外に出たら街の者たちの対応は変わる。それは貴族でも同じだろう。
 粗相があっては困る。そんな感情を持っているはずだ。気安く話すなどない。だからこそ、街の人間に合わせて会話しろと言うのは難しい話だった。

 しかしフィルリーネは馴染み過ぎて王女と言う雰囲気は全くない。ただ身なりがいいのでどこぞの豪商の娘には見られるだろう。それでも違和感がなかった。

「それで、さっき先生に会ったんですけど、最近魔獣が出るって本当ですか?」
 フィルリーネは気にしていない素振りで会話に出してきた。怖いですよねー。などと他人事のように聞いている。本当ならば真っ先に問いたいはずだろう。街の人間に状況を聞く際、変に思われないような会話を行なっているようだ。

「そうらしいね。私は見ていないけど、いつだったかな。子供たちが襲われたって言って大変だったらしいよ。旧市街の壁の方で、ほら、旧駅があるところ、分かる? あそこら辺に出たらしい」
「旧駅。ちゃんと行ったことないな…。でもあっちって立ち入り禁止じゃ?」
「金属を取りに子供が行くみたいなんだよ。それで、って話。子供だと入られるところがあるらしいよ」
「旧駅か…」

 フィルリーネは後で行く気だろう。魔獣が出るような場所を放っておくはずがない。こちらにどれだけの仲間がいるのかは分からないが、フィルリーネはエレディナと二人で気にせず向かう気がする。

 しばらく狭い道を歩き、何度か細い路地と短い階段を下りると、横に繋がった建物が見えてきた。どうやら店のようだが、窓から覗く部屋の中の印象が窓ごとに違う。木ばかりを置いた部屋だったり、布を置いてある部屋だったりする。建物は繋がっているが、扉ごとに区切られているらしく扱う物が違うようだ。中で数人何かの作業をしている部屋も見えた。

「職人街だよ。建物は繋がってるけど、お店が違うの」
 疑問に思っていたのが分かったのか、フィルリーネが後ろを向きながら説明をしてきた。
「場所がないから一つの建物を買って職人に使ってもらってるんだよ。工房が近い方がお互い足りない物を補いやすいから、結構みんな気に入って使ってるんだ」

 デリが捕捉した。開け放した扉の先で縫い物をしている女性たちがいる。中では狭いのか外に出て刺繍をしている者たちもいた。話をしながら楽しげに作っている者は少し年老いていて、のんびりとした空気がある。
 その建物は少しだけ広い道の両脇に建っており、黄ばんだ壁が長く続いていた。階段を下りればまたそんな建物が建っている。

 職人街と言われるわけである。五階建てほどの建物が坂道にいくつも造られていた。その建物も建て増しているのだろう。階ごとに若干色が違うことが多い。
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