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ラータニア2

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「婿の打診?」
「今、十四歳だそうだよ」

 ラータニア王はワイングラスを片手に、ゆるりと笑みながらそんな話を始めた。

 王の部屋からは離れた自分の部屋にいつの間にか訪れて、一人で瓶を開けていた王は、既に半分ほどワインを口にし終えていた。いつからいたのか、ほんのり顔が赤い。あまり酒が強くないくせに飲むのが好きで、子供っぽくグラスにワインを注げと急かした。

 王と年は離れているが、あまり年上には見られない。暇もないくせに街に良く訪れるので王の顔を知らない者は少ないが、知らなければ年齢から考えて一国の王とは思われない容姿をしていた。

 その王が酒に酔って人の部屋にあるソファーで踏ん反り返っている。どこの文官がくつろいでいるのかと目を疑いたくなったが、王が急に話し始めた内容がそれだった。

「グングナルドの王女。名前はフィルリーネだったかな。マリオンネでグングナルド王から直々に話を頂いた。前々よりそんなことは匂わせていたけれど、はっきりと言ってきたんだよ」
 王は嘲笑うかのように口端を上げた。機嫌が良いのかと思っていたが、かなり機嫌が悪いようだ。

 今回のマリオンネ訪問はムスタファ・ブレインからの招集だった。女王エルヴィアナが身体の不調を訴え、近く引退する可能性があることを示唆してきたのだ。女王が死去すれば精霊は不安定になり、場所によっては気候の乱れや大地の歪みが生じる。酷ければ魔獣が増えるだろう。その時を想定して早めの用意を始めよとの命令だった。

 女王の死を想定しなければならないほど女王の容体は悪いのか。集まった世界各国の王たちは驚きを隠さなかっただろう。この世界で女王の逝去は大きな問題に成りかねない。ラータニアのような精霊の多い土地にはあまり関わりはないが、精霊が元々少ない土地では死活問題に変わる可能性もある。ムスタファ・ブレインからの、念のための警告だった。

 小国のあまり豊かでない国は急いで国に戻ったが、それと同じく精霊が少ないと言われているグングナルドの王は、その時を待っていたかのように婚姻の打診をしてきたのだと言う。

「他国に嫁ぐなど、最近聞いたこともないけれど、グングナルド王はこの話を進めたいようだね」
 ラータニア王はワインを飲み干して音を立ててグラスを置くと、大きく仰いだ。足を広げて両手も広げ、干物のようにソファーにもたれ掛かった。

「理由は?」
「どこぞでおかしな話を吹き込まれたようだよ」
 ルヴィアーレはピクリと眉を動かした。

「マリオンネで情報が漏れていると?」
「おそらく、ムスタファ・ブレインのどれかが懇意にしているのだろう」

 他国へ情報が流れるのならば、ムスタファ・ブレインしか情報源はない。グングナルド王とムスタファ・ブレインの誰かが繋がっていると決めつけた。しかし、ラータニア王はそれがどこからか漏れたよりも、それでなぜ婿の打診になったのか考えを巡らした。

「グングナルドは精霊が少ない。それの補填のためなら浅はかなことだ。簡単明瞭な考え方だよ。精霊の相性によっては国を潰しかねないくらい想定できるだろうに」

 それは間違いなく浅はかな考え方だ。だが、グングナルドの王は精霊を蔑ろにするという情報がある。今更補填のために婿を取るならば、考えなしの愚鈍過ぎた。
 そこに疑問を持っただろう、ラータニア王は、けれど、と繋げた。

「望みはそんな軽いものではないだろう。会う度随分と嫌な目をする男だと思っていたけれど、お前を手に入れて安堵するような王ではないだろうね」
「では、浮島ですか?」
「そうだね」

 ラータニア王は浮島を見上げるように天井を仰いだ。城からも見える、ラータニア唯一の浮島だ。
 空に浮く島はマリオンネ以外にも他国に存在するが、ラータニアの浮島は他には見られぬものがある。常に花の咲きほこる不思議な島。精霊や生き物が多く生息し、静かな空の上でありながら精霊や生き物が現れれば途端に賑やかになる。

 ラータニアでも特別区域としており、許可なしに足を踏み入れることはできない。立ち入り禁止の、特別な浮島だ。
 それをグングナルドの王が手に入れたがっていると言うのだ。

「婚姻の後、攻めてくるつもりかもしれない。お前がグングナルドの王族となれば、お前はラータニアの精霊の協力を得られなくなる。精霊の抵抗は相当数抑えられるだろう。浮島だけを乗っ取るならば、グングナルドほどの大国であれば勝ち目があると踏んでいてもおかしくない」

 王族の配置換え。それによってラータニアの精霊が自分の命令に耳を傾けなくなる。グングナルドの王女と婚姻すればラータニアの精霊を動かせるのは王と夫人、第二夫人にユーリファラとなるが、自分が欠けたことによって戦力が大幅に下がると、グングナルド王は想定していると言うのだ。

 確かに自分の魔導は大きな影響力を持っている。自分が戦闘に関わるにあたり精霊の協力は大きな力になった。精霊自体の力と、精霊から得られる力が削がれれば、ラータニアの戦力は間違いなく減る。
 そこも計算しているならば、浮島に攻めてくる時は婚姻後だ。

「しかし、浮島を手に入れて、何かあるわけではありません」
「そうだね。欲しがる理由なんて僕たちからは分からない。けれど、あの島を手に入れて何を望むかと考えれば、何となくだけれど形が現れるようじゃない?」

 王はそう言うが、あの島を手に入れて望めるものなど何もない。眉を顰めていると、ラータニア王は、お前では難しいかもね。と軽く笑って言ってくれた。馬鹿にされたわけではないが、分からないことに対して笑われるのは良い気分ではない。
 その心が透けて見えたか、ラータニア王は声をあげて笑った。

「はは。お前には難しいかな。お前は、グングナルド王の弟を知っているかい?」
「強盗に殺されたと言う話は耳にしたことがあります」
 それも子供の頃だ。死んでから十年は経っているだろう。訃報が入った時、ラータニア王は葬式に参列したはずだ。

「王の弟は、とても能力のある男だったようだよ。亡くなった時にムスタファ・ブレインも嘆いていた。優秀な人を亡くしたと」
 王族で強盗に殺されるなど、大国にあるまじき事件だと思ったが、その話を聞いて納得した。

「殺された理由は、グングナルド王によるものですか」
「おそらくだけれどね。城の外とは言え王の弟は剣の腕も魔導の力も強かったと聞いている。精霊に好かれた王のような男だったと」

 弟は優秀だった。精霊に好かれ、まるで王のように魔導の高い男だった。しかし、グングナルド王は精霊を蔑ろにする男だ。精霊が弟へ傾倒して当然だとしても、弟は王にとって邪魔な存在だったのだろう。
 その話から察するに、グングナルド王は魔導が低い可能性がある。

「だからこその、浮島ですか」
「納得いかない顔だね」
「手に入れても、自分のものになるわけではありません」
「そうだとしても、手に入れたくなるほど魅力的なんだろう。お前を手に入れることも同じ理由だろうね」

 そう言われて、不愉快を感じるのは仕方ないだろう。グングナルド王は自分にないものを手に入れて、さも自分の力だと思い込みたいのだ。

「愚かな考えだ」
「力を得ていなければならない者が、手に入れられなかった。あるべきところに、あるべきものがなかった。しかし、身近にそれを持つ者がいる。自分の矜持を保てないのならば、全てを壊してでも手に入れなければならないと、そうなるのかもしれないよ」
「理解できません」

 自分の矜持を保つために他国へ蹂躙してどうすると言うのか。そのせいで精霊が国から逃げれば本末転倒だろうに。全く理解できない話にただ眉間を寄せていると、ラータニア王も頷いた。

「迷惑であるのは間違いないよ。僕たちはその男の我が儘に付き合わされることになる」
 一人の男のどうしようもない感情のために、自国が巻き込まれる。こちらの対応によっては戦いに転じるかもしれない。

 ラータニア王が珍しく管を巻いているわけだ。事は甚大な被害をもたらす可能性がある。グングナルドと不仲になり王の機嫌を損ねれば、こちらに非が無かろうと攻め入られることを考えなければならないのだ。

「グングナルドの王女が今十四であれば、婚約は二年後ですか?」
「断るよ。当然だろう」

 問いに答えず、ラータニア王は吐き捨てるように天井を仰いだままそう言った。だが、実際のところ、断るのは難しいだろう。グングナルドは大国だ。グングナルド王の噂は良いものではない。マリオンネより大国として小国をまとめる使命を帯びていながら、精霊を蔑ろにし独裁を貫いている王であると常々囁かれている。

 そして、同じく大国であるキグリアヌンも周囲の小国に威嚇を始めていた。輸出制限や関税の引き上げを行い、圧力を高めている。キグリアヌンは寒冷地でグングナルド同様精霊が少ない。そのせいか他国への威嚇が止まらなかった。

 グングナルドもキグリアヌンも国土は広いが精霊が少ない。土地を与えられたため精霊の割合が少ないのだ。マリオンネは大国小国と分けていながら、実の所力を対等にならしていると言う古い噂がある。そのためか、グングナルド、キグリアヌン共々、その代わりとして別の事に力を入れ、それらが精霊のために土地を豊かにしようとしている小国を脅かそうとしていた。

 グングナルドとキグリアヌンは危険だ。特にグングナルドは魔鉱石発掘に力を入れ、軍事力を高めていた。現グングナルド王に代わってから、その傾向が強くなっている。

 誰もが思う、精霊を蔑ろにするはずがない。精霊がいなくなれば誰も生きてその土地に住むことができない。だからこそ、力を蓄えても要求が増える程度で考えていた。
 しかし、グングナルド王の思考は、全く別のものだった。

 昔から大国同士牽制し合っていたのが、いつの間にか小国を脅かす存在になってきていた。それがまさか、他国を蹂躙するまでになるとは、誰も考えていなかったのだ。
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