上 下
51 / 316

鍛錬

しおりを挟む
「お話は伺っております。フィルリーネ様の頼みとか」

 王騎士団のアシュタルは、横目で遠目に見えるフィルリーネを睨め付けながら、サラディカに向き直った。

「鍛錬であればいつでも仰ってください。こちらは全く問題ありませんので」
 難色を示したのは、見学用の机と椅子を鍛錬所に持ち込んで、優雅に茶を飲んでいるフィルリーネに対してなのだろう。
 アシュタルは不満気に、ただあの場所でお茶はちょっと……。と呟く。

 入り口近くでも、弾いた剣が飛ぶ可能性もあるのだ。フィルリーネに何かあれば、罰を受けるのは必死。アシュタルは出来るだけフィルリーネに近寄らないように、他の団員たちに注意しながら鍛錬所の説明をしてくる。

「狩猟大会での腕は、聞き及んでおります。ゴリアルテを一撃で倒されたとか。こちらでは剣や弓など使用する鍛錬所と、魔導のための鍛錬所、対戦用の広さのある鍛錬所、それから、実践向けの獣を放つ鍛錬所などがございます」
 広さがあるので、方向を指差す程度の説明だが、フィルリーネが入り口近くで茶を飲んでいるため、移動できないのだろう。

 棟ごとに行える鍛錬が違うらしく、今ここにいる場所は、剣のみの鍛錬所となっている。他にもいくつかの部屋に分かれており、階高のある大きな広間が何部屋かあるそうだ。
 隣の空間は、弓で狙いを定めるための目標物や、相手がいない場合に使用する人型の藁が置いてあるようだ。
 イアーナが、惚けた顔で周囲を眺めた。レブロンも、故国との規模の違いに驚きを隠さない。

「魔導を使用できる鍛錬所は、別の建物になります。そこでは魔導防御壁もございますし、かなり広大な場所を擁しておりますから、周囲を気にせず鍛錬されることが可能です。……今日は、無理でしょうけれど」

 アシュタルは、非難めいた口調で、ぼやくように言う。
 どうやら、ルヴィアーレの、魔導を伴った剣技が見たいようだ。しかし、ここで行うわけにはいかないらしく、アシュタルは、この場所では剣のみでお願いしますと、残念そうに言った。

「ドミニアンを一撃で倒されたのですから、かなりの腕とお見受けします。フィルリーネ様とご一緒されるとは思いませんでしたが。誰か相手をさせましょうか? それとも、フィルリーネ様に、何かご希望があられたりは」

 何でも注文してくるフィルリーネならば、鍛錬の仕方まで口出しをしてくると思ったらしい。今の所、そんな口は出してきていないが、飽きてきたら余計なことを言う可能性はある。
 アシュタルはそう思っているようだ。フィルリーネの依頼は、何が起きるか分からない、と口籠もった。

「フィルリーネ様が何もおっしゃらないのならば、こちらはこちらの騎士と行うので、問題ありません」
「そうですか。そうですね。騎士の方々も、鍛錬されないと」

 アシュタルは残念そうにしたが、それも当然だと頷いた。フィルリーネがいる手前、自分の騎士を使うとは思わなかったようだが、よほど鍛錬したいと理解したらしい。実際はお互い手を抜けるからだが、言う必要はない。

「フィルリーネ様には感謝しています。私も鍛錬不足であったのは否めませんので」
「もっと早くお誘いすべきでした。申し訳ありません」

 メロニオルより、鍛錬所の使用については耳にしていた。アシュタルが、余裕があれば足を運ぶように言伝ていたことも知っている。ただ、こちらに来る機会がなかっただけだと言うと、アシュタルは安堵の顔を見せた。
 メロニオルを紹介してきたため、王の手ではないことは分かっているが、鍛錬所にどの程度の者が現れるのかがまだ分かっていなかった。調べさせていた間、ここに訪れることができなかっただけである。

「普段は王騎士団も警備騎士も、兵士も時間を気にせず使っておりますが、午前中は王騎士団が使用していることが多いです」
 アシュタルはフィルリーネがいることも気にせず、鍛錬所の説明をした。自分がいる時に説明をしたかったようだ。フィルリーネが機嫌を悪くしないかを見つつ、簡単に分かりやすく話す。

「アシュタル、ルヴィアーレ様と鍛錬されたら?」
 説明をしていると、フィルリーネが口を挟んだ。言われたアシュタルが気まずそうな顔をする。

「言ってるそばから、ですね。いかがされますか?」
「構いません」
「先に軽く流してから、ルヴィアーレ様と行います」

 すぐにそう答えるあたり、どうやら想定していたようだ。言ってくるの早えよ。とアシュタルが口だけで呟いたのが見えた。
 他の団員たちは、哀れむような顔をして見ている。よくアシュタルを呼んで命令するため、からかわれている話は本当のようだ。

 アシュタルは既に鍛錬していたので、汗もかいているのだろう。軽く剣を振って、こちらが用意できるのを待った。

「ルヴィアーレ様。こちらを」
 鍛錬用の剣は刃がなく、切っ先が丸まっており木でできていたが、しっかり重みのあるものだ。肩がけのマントを外してから、その木の剣を手にする。

 王騎士団団員たちは鎧を纏ったままだった。鍛錬とはいえ、何かあればすぐに動けるようにしているのだろう。こちらは、鍛錬用のなめし革で作られた簡易的な鎧を纏っている。重さでいえば、こちらの方が有利だった。

 さて、アシュタルの腕はいいと言うが、ここでそこまで戦う理由がない。
 相手も遠慮してくるだろうから、それに合わせておくか、それとも。

 フィルリーネは笑顔でこちらを見ている。これでは会話ができないので、また何か手を考えなければならない。
 面倒なことだ。馬鹿な王女には適当に相手をしていればいいと思っていたのが、そうもいかなくなってきた。

 化けの皮を被っていないことは、確認しなければならない。

 ガツンと木々がぶつかり、滲んだ音が響く。
 力は七割も出していないか。アシュタルの余裕の顔は様子見であることがありありとしている。何度か打ち付け合うと、アシュタルは速さを上げた。相手の腕を図り、速さを変えてきたのだ。

 ガツ、ガツ、と鈍い音が鳴る。
 腕があるとは聞いていたが、確かに悪くない。速さもある。良く見ているし、隙を与えない安定さがある。少し癖があるか、剣が受けづらい。
 無闇矢鱈穿つのではなく、間を取り、相手の足さばきも見極めて打ち付けてくる。それでも力を抜いているのだろう。口端に笑みを湛えた。

 長く打ち続けて間を取るために離れると、アシュタルも剣を構え直した。
 そうして、また打ち込もうとしたその時、パン、と柏手が打たれた。

 音の元はフィルリーネだ。

「つまらないですわ。ルヴィアーレ様であれば、アシュタルに簡単に勝てると思ってましたのに。わたくし、先に戻ります」

 フィルリーネは立ち上がると、さっさと部屋を出て行った。周囲にいた騎士たちがぽかんと口を開けて、フィルリーネの背を追う。
 飽きるのが早いのか、鍛錬が見たいと言うのは、ただの口実だったのか。全く分からない。

「あーのー」
 アシュタルは間延びした声を出すと、えーと、と口籠る。補う言葉が見付からないらしい。言葉が出ないと、えーと、を繰り返すと、かろうじて、

「剣のことを、全く知らない方ですから」
 と説明した。取り繕う周囲の人間の苦労を考えると、哀れに思う。フィルリーネに関わると、こんなことばかりなのだろう。

 アシュタルは、フィルリーネの被害に合った者に、ことさら優しいそうだ。それも成る程と納得した。被害に合った自分にも同情しているのだ。振り回される者の気持ちは、理解できるわけである。

「フィルリーネ様には、後ほどご機嫌を伺いに参ります。今行っても、お怒りを受けるだけでしょう」
「あー、そ、そうですね。えー、このまま、鍛錬を続けられますか?それとも、他の場所を見学されますか?」
「こちらは適当に鍛錬を行いますので、アシュタルは仕事に戻ってください」
「そうですか。お力になれず、申し訳ありません」

 アシュタルは肩を下ろすと、なんとも情けない顔をした。しかし、すぐにそれを消すと、鍛錬所にいつでも入れることを伝えられた。

「こちらに来てから、身体を動かすこともないでしょう。たまには、こちらにいらっしゃれるのならば、お時間があればですが。他国へ来て、気疲れもするでしょうし」
 誰とも言わず、フィルリーネが出て行った扉に目を向ける。もう姿のない彼女は、部屋に戻っていることだろう。

「アシュタルは、フィルリーネ様の警備騎士をしていたそうですが」
「二年ほど前ですが。私は数年、フィルリーネ様に付いておりました」
 少しは子供の頃を知っている。それならば、フィルリーネが絵を描くことを知っているのだろうか。

「フィルリーネ様の、絵心には感心しました。良い趣味をお持ちですね」
「え、ご、絵心ですか??」
 アシュタルは意外だと、素っ頓狂な声を上げる。とぼけた顔が間抜けだ。

「フィルリーネ様の絵を、見られる機会があったのですか??」
 知らないのか。余程予想外の話だったのか、狼狽した様子を見せて問うてくる。

「フィルリーネ様の警備はしておりましたが、フィルリーネ様の幼い頃は、今以上に奔放だったので、おとなしく絵を描く姿は見たことはありません。騎士たちを罠に掛けようとしたり、お茶会か、部屋に籠もるかだったので」
 騎士を罠に掛ける意味が分からないが、そこは無視しておく。

「その頃から、部屋に籠もっていたのですか?」
「それは、昔から変わりません。よく部屋に籠もっておいでで、何をされているかは、私たちにはまったく」
 アシュタルは首を振った。
 それでは、常に部屋で描いてきたのか?

 あの絵が描けるまで、それなりに学び、練習してきたはずだ。それなのに、護衛騎士が全く知らない。今なら隠していてもあり得るが、子供の頃から隠しているとなると、相当な曲者だ。

「ただ、絵心というのは、学院で描いた絵が、評価が高かったためで。あれも、別の者が描いたとか、あ、いえ。で、では、私はこれで」
 アシュタルははっと気付くようにすると、表情を繕い、そそくさとその場から離れて行った。 

 別の者? 部屋に入れさせて? 常に籠もっていて、誰かに描かせた?
 アシュタルは、フィルリーネが絵を描くことも知らない様子だった。

 疑問が疑問を呼んでくる。フィルリーネは自分が描いたと明言したが、そうではない可能性もあるのか。

 部屋の中の彼女は、まるで幻で、夢に過ぎなかったと思わずにはいられない。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

元侯爵令嬢は冷遇を満喫する

cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。 しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は 「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」 夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。 自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。 お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。 本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。 ※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

【完結160万pt】王太子妃に決定している公爵令嬢の婚約者はまだ決まっておりません。王位継承権放棄を狙う王子はついでに側近を叩き直したい

宇水涼麻
恋愛
 ピンク髪ピンク瞳の少女が王城の食堂で叫んだ。 「エーティル様っ! ラオルド様の自由にしてあげてくださいっ!」  呼び止められたエーティルは未来の王太子妃に決定している公爵令嬢である。  王太子と王太子妃となる令嬢の婚約は簡単に解消できるとは思えないが、エーティルはラオルドと婚姻しないことを軽く了承する。  その意味することとは?  慌てて現れたラオルド第一王子との関係は?  なぜこのような状況になったのだろうか?  ご指摘いただき一部変更いたしました。  みなさまのご指摘、誤字脱字修正で読みやすい小説になっていっております。 今後ともよろしくお願いします。 たくさんのお気に入り嬉しいです! 大変励みになります。 ありがとうございます。 おかげさまで160万pt達成! ↓これよりネタバレあらすじ 第一王子の婚約解消を高らかに願い出たピンクさんはムーガの部下であった。 親類から王太子になることを強要され辟易しているが非情になれないラオルドにエーティルとムーガが手を差し伸べて王太子権放棄をするために仕組んだのだ。 ただの作戦だと思っていたムーガであったがいつの間にかラオルドとピンクさんは心を通わせていた。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

私を選ばなかったくせに~推しの悪役令嬢になってしまったので、本物以上に悪役らしい振る舞いをして婚約破棄してやりますわ、ザマア~

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
乙女ゲーム《時の思い出(クロノス・メモリー)》の世界、しかも推しである悪役令嬢ルーシャに転生してしまったクレハ。 「貴方は一度だって私の話に耳を傾けたことがなかった。誤魔化して、逃げて、時より甘い言葉や、贈り物を贈れば満足だと思っていたのでしょう。――どんな時だって、私を選ばなかったくせに」と言って化物になる悪役令嬢ルーシャの未来を変えるため、いちルーシャファンとして、婚約者であり全ての元凶とである第五王子ベルンハルト(放蕩者)に婚約破棄を求めるのだが――?

婚約者に毒を飲まされた私から【毒を分解しました】と聞こえてきました。え?

こん
恋愛
成人パーティーに参加した私は言われのない罪で婚約者に問い詰められ、遂には毒殺をしようとしたと疑われる。 「あくまでシラを切るつもりだな。だが、これもお前がこれを飲めばわかる話だ。これを飲め!」 そう言って婚約者は毒の入ったグラスを渡す。渡された私は躊躇なくグラスを一気に煽る。味は普通だ。しかし、飲んでから30秒経ったあたりで苦しくなり初め、もう無理かも知れないと思った時だった。 【毒を検知しました】 「え?」 私から感情のない声がし、しまいには毒を分解してしまった。私が驚いている所に友達の魔法使いが駆けつける。 ※なろう様で掲載した作品を少し変えたものです

ねえ、今どんな気持ち?

かぜかおる
ファンタジー
アンナという1人の少女によって、私は第三王子の婚約者という地位も聖女の称号も奪われた 彼女はこの世界がゲームの世界と知っていて、裏ルートの攻略のために第三王子とその側近達を落としたみたい。 でも、あなたは真実を知らないみたいね ふんわり設定、口調迷子は許してください・・・

処理中です...