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「食料が、全く収穫されなかった地域があったそうだ」
バルノルジは、いつもの酒場で頼んだ肉を頬張りながら、そう言った。
丁度商会で会合があったらしく、各組合の長が直近の報告をしていたようだ。商人の売り上げなどの話でなく、外からどんなものが入ってきたかという話だったそうだ。その中で収穫の話になると、異常さを伝える商人の噂が届いた。
「フィリィが言ってただろう。精霊がいなくなる噂が現実となった時、収穫が全くなくなる可能性も起きるって」
フィリィは頷く。精霊が逃げれば土地が死ぬ。豊穣が認められなくなり、段々収穫量が悪くなると、ある日突然植物が育たなくなる可能性がある。
「ここ数年、畑がうまく育たない。それでもちゃんと採れていたし、気候のせいだろうって思っていたらしいが、今回、植物の一切が育たなかったそうだ」
「場所は?」
「ワルタニア地方。イニテュレと言う町だ。正確にはその周辺の農村」
フィリィは瞼を下ろした。イカラジャの故郷だ。
イカラジャは前々よりおかしいと思っていたのだろう。叔父ハルディオラから、精霊の喪失後の話を聞いていたのかもしれない。
紫の花、ヴィオーラが咲く木の前に、叔父の隠れ家はあり、そこに幾人もの貴族が集まっていた。美しき花が咲き誇る頃、マリオンネからの使いは、精霊の恩恵がいかに大事なものなのか、力強く語った。
マリオンネの使いが地上に訪れることはない。しかし、叔父ハルディオラにはマリオンネの知人が訪れることがあった。マリオンネの使いはこの国を憂いていた。精霊が不安になっている話をした。イカラジャはその話を聞いただろう。
叔父ハルディオラはその頃には人型の精霊を手に入れていた。精霊に愛されるべき王よりも、王族であるだけの叔父ハルディオラが、目に見える形で精霊を手に入れた。
マリオンネの使いは、その状況に不安を吐露した。
この国は、将来困窮することになるだろう。
「イニテュレの町長が地方庁に相談したらしい。しかし、一蹴された。精霊がいながらそんなことは起きるはずないと言われたそうだ。どうせ何かをしたのはお前たちだろうと。前から不安定な収穫をしていたし、育て方が悪かったのではないかと」
理由は他にもある。マリオンネの女王が高齢のため死期が近く、精霊が動きを悪くする。だから、そのせいでもあるのではないか。
それは間違いではないし、遠からずだが。
「マリオンネの女王を悪く言ったせいで、なおさら地方庁の怒りを買ったみたいだけどな」
「それは禁句でしょうね。女王の高齢は分かっていることですし、そのために国王は精霊に願い、安寧の祈りを捧げるんですから」
精霊に祈る儀式。その催しがあり、それは王族が行う。毎年ある儀式に王は出席しているが、問題は儀式云々の話ではなくなっている。
「精霊への儀式が悪かったんじゃないか、と言っていた。王は地方を顧みないと。それで何かと動いていた者たちもいたらしいんだが、結局その農村を捨てることにしたとか」
「そうですか……」
ワルタニア地方は王都から離れた場所にある。第二都市カサダリアは近いが、何があるでもない田舎だ。もし列車で行くとなったら、ワルタニア地方の一番大きな街に立ち寄って、そこから転移するのが妥当だろうか。
イカラジャは何とか故郷を守ろうとしていたけれど、実を結ばなかった。農村を捨てるほどの状況を作った王を恨むだろう。精霊が土地を離れる何かをしている王を。
「あと、ラータニアだが、この間商人が襲われたらしくてな」
「え?」
「ラータニアから来た商人が強盗に襲われたそうだ。王都に来る途中の道でらしいが。そういう情報も伝えた方がいいかと思って」
「……ありがとうございます」
バルノルジはなんてことはないと、また肉を頬張る。この場所で色々な情報を得ているバルノルジは、街の情報統括者だ。兵だった名残か、商人なのに街の外の警備の話まで知っている。情報源を教えてほしいものだ。
それにしても、強盗とは。最近人が増えて犯罪も増えたが、商人が襲われるなどあまり聞かない。魔獣が増えているので、魔獣に襲われるなどはたまに耳にするが。
「物騒なことは多いんですか? 警備騎士団の動きが悪いとか」
「ラータニアからの商人はやはり増えてきているからな。そのせいはあるのかもしれん。ラータニアは魔鉱石が多いだろう? 魔鉱石を売る商人が増えていることもあるからな」
魔鉱石は小型艇にも使うので、需要が高く高額だ。拳くらいの魔鉱石で、六人ほど乗れる小型艇が十数年動く。
「魔鉱石は、この国じゃ貴重になってきているからな。ラータニアの商人は狙いやすいのかもしれない」
「けど、それで商人が寄り付かなくなったら困りますね」
「だから、こちらでも警戒はしておく。街への道の見回りを増やすくらいは、こちらでもできるからな」
兵上がりの民間の警備は多い。街から少し離れた場所に森が続くが、そこはたまに魔獣が出るので、狩人も出るくらいだ。そういった人を使って見回りをするのだろう。
この街は騎士だけでなく、街の人間の努力でも守られている。
「また、何かあったら教えてください。私、しばらく来れないかもしれないんですけど」
「忙しいのか?」
「ちょっと、出掛けるので」
『マリオンネからの恵みが減りはじめているように思う』
誰かが口にした言葉を、叔父ハルディオラは首を振って否定した。
『マリオンネの女王は歴代の女王の中でも高齢だ。次期女王が亡くなったため、通常以上に長期の在位となられたのだ。滅多なことを言うものではない』
『ですが、だからこそ、あの男は、王という名を使い、天にねじ込もうとしているのだ』
幼い頃聞いた会話。誰が誰なのか正確には覚えていなかったが、あの中にイカラジャもいただろう。
言葉の意味は何となく分かっても、理解はしていなかった。
精霊を動かしてまで何かをし、王はマリオンネへの関与を望んでいる。幼すぎて何を語っていたのか理解が足らない。理解できた頃には、集まりはなくなっていた。
イカラジャは政務官の仕事を罷免されて、王族への反意のために地方へ飛ばされることになった。まだ場所は決まっていないが、落ち着くまで大人しくしている必要がある。
王の罠に掛かったならば、他の者たちも危険だ。自らで隠れるよう命じたが、どこまで可能かは分からない。
自分が関われるのは断片的だ。馬鹿な王女を続けている限り、これは変えられない。変えれば潰される。
まだ自分は、馬鹿な王女でいなければならなかった。
「飽きたわ、カノイ」
「え。ああ、飽き!? 飽きましたか!?」
書類をめくる音しか聞こえなかった政務室で響いた声に、カノイは顔を上げた。さらさらの黒髪が、その勢いで頰に当たる。
数字の羅列と長い説明文の書類を手にしていたフィルリーネは、それをするりと放る。飛ばされた書類はひらりと舞って、地面に落ちた。
カノイがアワアワしながらその書類を取りに行く。その様をルヴィアーレが机に向かったまま静かに見ていた。
「それもお前がやりなさい。わたくし、明日からカサダリアへ行くわ」
「え!? カサダリアですか!? え、っと、ルヴィアーレ様もでしょうか?」
書類を拾いながらちらりとルヴィアーレを見遣る。ルヴィアーレの表情は変わらなかった。何も聞いていないと首を振るわけでもない。反応のないルヴィアーレに、カノイは混乱の表情をフィルリーネに向けた。
「行かれるわけないでしょう。わたくしだけよ」
「そ、それは、その、つまり」
ルヴィアーレには仕事をさせて、一人出掛けるのか? という視線に、ルヴィアーレは小さく息を吐いた。
「承知しました。私はカノイと政務を行います」
「そうなさって」
むしろその方が楽だと思う。フィルリーネがおかしなことを言って仕事を中断させたりしないのだから。だからだろうか、ルヴィアーレの笑顔は本心に思えた。
「部屋に戻るわ。あとは好きになさって」
好きなさってって言われても困るだろうなあ。と他人事のように思って、フィルリーネは自分の政務室を出る。扉が閉まると途端ざわついた声が聞こえたが、カノイが収めるだろう。
ルヴィアーレのフォローはきっとカノイがしてくれるはずだ。信じている。
後ろからついてきたレミアがすぐに旅の用意をしてくれる。フィルリーネが気分で他の街に行くことは多々あるので慣れたものだ。それもどうかと思うが、今回はどうしても自由になる時間が必要だった。第二都市カサダリアであれば、ここにいるより長く時間がとれる。
バルノルジは、いつもの酒場で頼んだ肉を頬張りながら、そう言った。
丁度商会で会合があったらしく、各組合の長が直近の報告をしていたようだ。商人の売り上げなどの話でなく、外からどんなものが入ってきたかという話だったそうだ。その中で収穫の話になると、異常さを伝える商人の噂が届いた。
「フィリィが言ってただろう。精霊がいなくなる噂が現実となった時、収穫が全くなくなる可能性も起きるって」
フィリィは頷く。精霊が逃げれば土地が死ぬ。豊穣が認められなくなり、段々収穫量が悪くなると、ある日突然植物が育たなくなる可能性がある。
「ここ数年、畑がうまく育たない。それでもちゃんと採れていたし、気候のせいだろうって思っていたらしいが、今回、植物の一切が育たなかったそうだ」
「場所は?」
「ワルタニア地方。イニテュレと言う町だ。正確にはその周辺の農村」
フィリィは瞼を下ろした。イカラジャの故郷だ。
イカラジャは前々よりおかしいと思っていたのだろう。叔父ハルディオラから、精霊の喪失後の話を聞いていたのかもしれない。
紫の花、ヴィオーラが咲く木の前に、叔父の隠れ家はあり、そこに幾人もの貴族が集まっていた。美しき花が咲き誇る頃、マリオンネからの使いは、精霊の恩恵がいかに大事なものなのか、力強く語った。
マリオンネの使いが地上に訪れることはない。しかし、叔父ハルディオラにはマリオンネの知人が訪れることがあった。マリオンネの使いはこの国を憂いていた。精霊が不安になっている話をした。イカラジャはその話を聞いただろう。
叔父ハルディオラはその頃には人型の精霊を手に入れていた。精霊に愛されるべき王よりも、王族であるだけの叔父ハルディオラが、目に見える形で精霊を手に入れた。
マリオンネの使いは、その状況に不安を吐露した。
この国は、将来困窮することになるだろう。
「イニテュレの町長が地方庁に相談したらしい。しかし、一蹴された。精霊がいながらそんなことは起きるはずないと言われたそうだ。どうせ何かをしたのはお前たちだろうと。前から不安定な収穫をしていたし、育て方が悪かったのではないかと」
理由は他にもある。マリオンネの女王が高齢のため死期が近く、精霊が動きを悪くする。だから、そのせいでもあるのではないか。
それは間違いではないし、遠からずだが。
「マリオンネの女王を悪く言ったせいで、なおさら地方庁の怒りを買ったみたいだけどな」
「それは禁句でしょうね。女王の高齢は分かっていることですし、そのために国王は精霊に願い、安寧の祈りを捧げるんですから」
精霊に祈る儀式。その催しがあり、それは王族が行う。毎年ある儀式に王は出席しているが、問題は儀式云々の話ではなくなっている。
「精霊への儀式が悪かったんじゃないか、と言っていた。王は地方を顧みないと。それで何かと動いていた者たちもいたらしいんだが、結局その農村を捨てることにしたとか」
「そうですか……」
ワルタニア地方は王都から離れた場所にある。第二都市カサダリアは近いが、何があるでもない田舎だ。もし列車で行くとなったら、ワルタニア地方の一番大きな街に立ち寄って、そこから転移するのが妥当だろうか。
イカラジャは何とか故郷を守ろうとしていたけれど、実を結ばなかった。農村を捨てるほどの状況を作った王を恨むだろう。精霊が土地を離れる何かをしている王を。
「あと、ラータニアだが、この間商人が襲われたらしくてな」
「え?」
「ラータニアから来た商人が強盗に襲われたそうだ。王都に来る途中の道でらしいが。そういう情報も伝えた方がいいかと思って」
「……ありがとうございます」
バルノルジはなんてことはないと、また肉を頬張る。この場所で色々な情報を得ているバルノルジは、街の情報統括者だ。兵だった名残か、商人なのに街の外の警備の話まで知っている。情報源を教えてほしいものだ。
それにしても、強盗とは。最近人が増えて犯罪も増えたが、商人が襲われるなどあまり聞かない。魔獣が増えているので、魔獣に襲われるなどはたまに耳にするが。
「物騒なことは多いんですか? 警備騎士団の動きが悪いとか」
「ラータニアからの商人はやはり増えてきているからな。そのせいはあるのかもしれん。ラータニアは魔鉱石が多いだろう? 魔鉱石を売る商人が増えていることもあるからな」
魔鉱石は小型艇にも使うので、需要が高く高額だ。拳くらいの魔鉱石で、六人ほど乗れる小型艇が十数年動く。
「魔鉱石は、この国じゃ貴重になってきているからな。ラータニアの商人は狙いやすいのかもしれない」
「けど、それで商人が寄り付かなくなったら困りますね」
「だから、こちらでも警戒はしておく。街への道の見回りを増やすくらいは、こちらでもできるからな」
兵上がりの民間の警備は多い。街から少し離れた場所に森が続くが、そこはたまに魔獣が出るので、狩人も出るくらいだ。そういった人を使って見回りをするのだろう。
この街は騎士だけでなく、街の人間の努力でも守られている。
「また、何かあったら教えてください。私、しばらく来れないかもしれないんですけど」
「忙しいのか?」
「ちょっと、出掛けるので」
『マリオンネからの恵みが減りはじめているように思う』
誰かが口にした言葉を、叔父ハルディオラは首を振って否定した。
『マリオンネの女王は歴代の女王の中でも高齢だ。次期女王が亡くなったため、通常以上に長期の在位となられたのだ。滅多なことを言うものではない』
『ですが、だからこそ、あの男は、王という名を使い、天にねじ込もうとしているのだ』
幼い頃聞いた会話。誰が誰なのか正確には覚えていなかったが、あの中にイカラジャもいただろう。
言葉の意味は何となく分かっても、理解はしていなかった。
精霊を動かしてまで何かをし、王はマリオンネへの関与を望んでいる。幼すぎて何を語っていたのか理解が足らない。理解できた頃には、集まりはなくなっていた。
イカラジャは政務官の仕事を罷免されて、王族への反意のために地方へ飛ばされることになった。まだ場所は決まっていないが、落ち着くまで大人しくしている必要がある。
王の罠に掛かったならば、他の者たちも危険だ。自らで隠れるよう命じたが、どこまで可能かは分からない。
自分が関われるのは断片的だ。馬鹿な王女を続けている限り、これは変えられない。変えれば潰される。
まだ自分は、馬鹿な王女でいなければならなかった。
「飽きたわ、カノイ」
「え。ああ、飽き!? 飽きましたか!?」
書類をめくる音しか聞こえなかった政務室で響いた声に、カノイは顔を上げた。さらさらの黒髪が、その勢いで頰に当たる。
数字の羅列と長い説明文の書類を手にしていたフィルリーネは、それをするりと放る。飛ばされた書類はひらりと舞って、地面に落ちた。
カノイがアワアワしながらその書類を取りに行く。その様をルヴィアーレが机に向かったまま静かに見ていた。
「それもお前がやりなさい。わたくし、明日からカサダリアへ行くわ」
「え!? カサダリアですか!? え、っと、ルヴィアーレ様もでしょうか?」
書類を拾いながらちらりとルヴィアーレを見遣る。ルヴィアーレの表情は変わらなかった。何も聞いていないと首を振るわけでもない。反応のないルヴィアーレに、カノイは混乱の表情をフィルリーネに向けた。
「行かれるわけないでしょう。わたくしだけよ」
「そ、それは、その、つまり」
ルヴィアーレには仕事をさせて、一人出掛けるのか? という視線に、ルヴィアーレは小さく息を吐いた。
「承知しました。私はカノイと政務を行います」
「そうなさって」
むしろその方が楽だと思う。フィルリーネがおかしなことを言って仕事を中断させたりしないのだから。だからだろうか、ルヴィアーレの笑顔は本心に思えた。
「部屋に戻るわ。あとは好きになさって」
好きなさってって言われても困るだろうなあ。と他人事のように思って、フィルリーネは自分の政務室を出る。扉が閉まると途端ざわついた声が聞こえたが、カノイが収めるだろう。
ルヴィアーレのフォローはきっとカノイがしてくれるはずだ。信じている。
後ろからついてきたレミアがすぐに旅の用意をしてくれる。フィルリーネが気分で他の街に行くことは多々あるので慣れたものだ。それもどうかと思うが、今回はどうしても自由になる時間が必要だった。第二都市カサダリアであれば、ここにいるより長く時間がとれる。
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