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婚姻の衣装

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「ルヴィアーレは政務を行なっているようだな」
「ええ、そのようですわね」

 王の執務室に呼ばれて、フィルリーネは促されずともソファーに座り、出された紅茶を口に含んだ。長い間王と対話することなど月に一度あるかないかだったのに、ルヴィアーレが来てから夕食を共にしたり、お茶に誘われたりと、一年分話している気分になる。

 娘の卒院にも誕生日が過ぎたことにも何の会話もない父親が、娘の婚約者については知りたいことが多いようである。監視がついているのでフィルリーネに聞く必要はないのだが、王はフィルリーネからルヴィアーレについて知りたがった。

「学院を卒院したのだ。お前も政務を進めなさい。婚約の儀式は延期になったが、婚約は発表されている。表向きルヴィアーレの仕事はお前の補佐だ」

 では、裏向きはどうなのか突っ込んでいいだろうか。

 政務を本気でルヴィアーレにやらせる気なのか。内情を他国の王族に知らせるようなものである。つまり信頼していると捉えていいのかどうか、迷うところだ。
 警戒しているルヴィアーレが王を信頼するとは思えない。信頼されていない王がルヴィアーレを信頼するなどあり得なかった。

 分からない。何が目的なのだろう。

「お仕事はわたくしがやらなくても、ルヴィアーレ様ができるのではありませんか?」
「お前も少しは関わりなさい」
 やれと言われても、やる気はない。そう含んで言ってみれば、王はフィルリーネを見ることなく、言い放った。
「はあい」

 反論しても無駄だと分かっているが、やはり覆らないか。
 王は何かの書類を見ながら話す。相変わらず人の顔を見ない男だ。時折自分は王の前にいないのではないかと錯覚する。

「ルヴィアーレ様の部屋は随分と遠い離れですわね。政務にわたくしの部屋に来るのは大変ではないのですか?」

 当初の通り、ルヴィアーレの部屋はあまり日の当たらない東の棟が選ばれた。
 高層の建物である城の割に東の棟は前に建物があるので見通しも悪く、隣に航空艇の臨時着陸所があるため日陰になりやすかった。ついでに言えば、警備用の小型艇も発着するので、少なからず機械音を感じるだろう。

 しかし、王はどうでもいいと鼻であしらった。
 政務をさせて内情を知られても良いのに、ルヴィアーレを優遇する気がない。娘の夫にする男に憂慮するわけではないのだ。
 何が望みなのか。婿にするならばルヴィアーレは王配になる予定だ。王配に見せかけて、政務をやらせるだけなのか。

 書類自体は選ばれて執務室に運ばれている。ルヴィアーレに見せても問題のない書類なのだろうが、その程度の仕事をやらせるためにわざわざ他国から嫌がる王弟を連れてくる意味がない。そんなもの、国の官務にやらせればいいのだから。

「お父様は、なぜあの方をわたくしの婿に決められましたの? わたくし、学友に聞いたのですよ。ルヴィアーレ様には想う方がいらっしゃるとか。他の方を想う殿方と婚姻だなんて」

 品を作り、哀しげに瞼を下ろすが、まあ王は見ていないだろう。しかし、周りの警備や宰相は見ているので、そこは演技を忘れない。

 王は一度持っていたペンを置いた。珍しくこちらを向いて、静かに言う。

「ルヴィアーレは優秀な男だ。お前にとって良い補佐となる。それ以外に何か理由が必要か?」
「ですが、わたくしはわたくしを想ってくださる方と添い遂げたいと存じます」
「王族である故、そのような我が儘は許されるものではない」

 王は一蹴してペンを持ち直した。話は終わりだと顎で扉を示す。
「……分かりましたわ。お父様がそうおっしゃるなら」

 王の言うことには口答えはしない。フィルリーネは力無く立ち上がると、瞼を下ろして頰をそっと拭った。
 後ろからレミアが静々と着いてくる。扉が閉まると、さすがのレミアもフィルリーネの顔色をうかがった。まさか泣くとは思わなかったようだ。

「フィルリーネ様……」
「仕方がないのだわ。お父様の言う通りにしましょう」

 面倒だがこれは決定だ。やはり覆らない。とりあえずは受け入れるふりをして、ルヴィアーレと話す機会を作るしかない。

 王が何を考えているのか、今の自分には分からなかった。ルヴィアーレは条件を呑んだのだろうから、向こうから崩すしかない。
 しかし、ルヴィアーレも中々の曲者だと感じている。問うて簡単に答えてくれるのか。億劫だ。

 部屋に籠もって一人で考えたい。そんな言葉にレミアは同情してくれたが、後ろにいたムイロエは明らかに蔑んだ目でこちらを見ていた。ルヴィアーレ親衛隊会員の視線は厳しい。
 どうやら本気でルヴィアーレ大好き隊ができているようである。ここ最近、お嬢様方や奥様方の噂話は、ルヴィアーレの話ばかりなんだとか。執務室に入るようになってルヴィアーレを見る機会が増えた王女の棟で、色めき立つ側仕えたちの声を耳にする。




「三割り増し肖像画のどこが気になるのか。解せん」
「あんたの美的感覚も解せないわよ。何、その肖像画って例え」

 部屋に入ると、いつもは姿を消しているエレディナが姿を現した。現しても透けているので、外でその姿を晒すことはない。

「エレディナはそう思わない? 肖像画見てると、いたずら書きしたくなるのよね」
「子供か」

 優雅に描かれた、真剣な眼差しをする肖像画を見てから本人を見た時、これは一体誰だろう? と思うのはよくある話ではないか。
 その顔にいたずら書きしても怒られないと思う。だって、全くの別人なのだから。

 それくらいルヴィアーレは顔が整っている。女性陣がやけにきゃいきゃい言っているのはそのせいだろうが、どうにも共感できない。
 そして、最近その女性陣の視線が痛かった。今までなかった敵意を感じるのは、ルヴィアーレのせいである。

「自分の行いを棚に上げてるんじゃないわよ」
「フィルリーネなんて馬鹿なんだから。って視線が、急に、フィルリーネ許さない。ってなってるのよ? そんな視線受けながら、ルヴィアーレに会いたくないじゃない?」

 できるだけルヴィアーレに会わず、情報を集めたい。そしてさっさと出て行ってもらいたい。自分は女王にならないし、なる予定もないのだから、ルヴィアーレが王女の婿になっても旨味などない。
 それなのに、王から情報は全く得られない。得られるところに行って、得る必要が出てきたのだ。

「会いたくないわあ。めんどくさい。このまま街に行ってようかなあ」
 子供たちに会って癒されたい。マットルに新しい玩具も与えたいし、そろそろ子供たちに分数も教えたい。だとしたら分数の玩具を作りたい。

「そうだ、分数の玩具を作ろう!」
「あんたは、また……」
「果物に見立てた物を作ろう。蓋を開けたら実が生ってるの。可愛くない?」
「またカサダリアで無駄な出費って言われるわよ。もっと単純なの作りなさいよ」
「単純だと、可愛くないんだよね」

 球体の立体パズルは量産が無理だと断られてしまった。果物の形で作れば、また同じことを言われてしまう。しかし、子供たちに興味を持ってもらうには、形が大事なのだ。単純なものを作るとなると、色などで味を出さなければ、ただの積み木である。

「単純だったら四角か。木片を入れる箱が必要になるなあ」
 そうと決まれば、木を切るところから始めなければならない。すぐに定規と木炭を取り出し、材料の木を箱の中から探し出す。木は何種類も木造屋から手に入れており、材木として購入してある。

「んふふ~」
「まさか、王女が部屋に籠もって、鋸握ってるとは誰も思わないでしょうね」

 鼻歌を歌いながら、フィルリーネは慣れた手つきで木片を作ると、分数の玩具を作り始めた。袖や裾の長いドレスを捲り上げ、人には見せられない、片足を材木に乗せた大工スタイルである。

「現実逃避しすぎじゃないの? あの男は邪魔なんでしょう? さっさとしないと婚約の儀式よ」
「うぐ」
 婚約の儀式が遠のいたとはいえ、儀式が中止になったわけではない。マリオンネの女王の体調が戻れば儀式はすぐに行われる。

 女王が亡くなることは望んでいないし、早く完治して体調を戻してもらいたいが、婚約の儀式は永久に来てほしくない。

「諦めて、あの男から情報得る努力しなさいよ。邪魔な奴がいたら、これからの計画に支障が出るんじゃないの?」
「うぐぐ」
「あの男の相手してられるの? 婚姻となったら、部屋や寝所が同じになるの、分かってるわけ?」

 寝所が同じになれば、夜になったら抜け出しているのが簡単にバレてしまう。部屋にも閉じ籠もることができなくなるかもしれない。部屋に閉じ籠もるふりをして外に出ているのに、それすらできなくなれば、もう自由はない。

「めんどくさい。めんどくさい」
 さめざめ泣いたふりをしても、エレディナは、浮きながらソファーに踏ん反り返って、呆れた顔を向けるだけだ。

「婚約者との接点なんて、あんた、何でも作れるんでしょ。さっさとやりなさいよ」

 厳しい声をもらい、フィルリーネは声を上げて天を仰いだ。
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