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異国の婚約者

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「ルヴィアーレ様は、早くに亡くなられた王の跡を継がれた第一王子の補佐をなさっており、政務にも慣れ、第一王子と年が離れていなければ、ルヴィアーレ様が王になられてもおかしくなかったと言われるほどとか」

 長い絵巻物のように巻かれた紙に書かれた報告書を読み続ける側仕えの女は、飽きたように窓の外を見遣る女主人に気付きもせず言葉を続けた。

「学院では成績優秀。最優秀で卒業をなされ、剣や魔術にも長けており、文武両道。女性にも人気で、まるで神話にあるような美青年だとか。王が選ばれるだけあり、申し分のない方だと。フィルリーネ様のお相手に相応しい、素晴らしい方ですわね」

 最後まで読み終わると側仕えの女はやっと顔を上げ、その言葉を上の空で聞いている女主人に気付いた。ソファーに姿勢良く座りながらも、窓の外を眺めたままだ。
 小さく、うんざりするような溜め息を気付かれないように吐くと、側仕えの女は笑顔を見せる。

「フィルリーネ様にお似合いの、優秀で美しい方ですもの。ご心配される必要などございま……」
「わたくしと、八つも年が違くてよ」

 聞いていないふりをして、聞いていたらしい。フィルリーネはするりと立ち上がると、側仕えの女が持っていた巻物を破るほどの勢いで奪い取った。

「小国の田舎者という記述がないようね、レミア。隣国ラータニアは田舎の牧歌的風情が美しいとされるのでしょう? 王が頓死し、その跡を継いだ第一王子は力量がなく領主にもなめられ、国の魔導機化は随分と遅れているそうね。そのような国の男が、しかも第二王子が、わたくしに相応しいと思って?」

 ばさり、と巻物を側使えのレミアに投げつけると、フィルリーネは落ちた巻物を靴で踏みつけた。ぐしゃりと紙に穴が開く。それを鼻で笑うようにすると、長く絹のように美しく梳かれた金の髪を背中に流した。

「年も離れたそんな男に、わたくしは興味などないわ。お父様も、一体何を考えてそのような男を、わたくしの婚約者になど決めたのかしら」
 気分が悪い。フィルリーネはソファーに座り直す。あのような小国から婚約者などと。とぶつぶつ呟いて、行儀悪く足を組んだ。

 そもそも、婚約を知らされたのはここ一ヶ月のこと。相手の素性も知らされず、十六になる前に婚約者が国に来ると伝えられただけ。相手も分からぬまま日ばかりが過ぎ、気付けばもう城に来ているという。

「そんな話あって!?」

 フィルリーネの怒りはもっともだとレミアも思うが、それをレミアに言ってもだ。どれだけフィルリーネが反対しても、王が言えばそれは決定事項。覆されることはない。

 本人は分かっているのかいないのか、何度も足を組み替えては、レミアに文句を言ってくる。周りの側仕えたちも掛ける声がないと他所を向いた。フィルリーネが癇癪を起こしている時に口を出せば、更に続く。そうならないようにするには、何も言わず黙っているのが一番楽でいい。
 しかし、いつもならば飽きるまで待てば良しとしていたが、今日はそれができなかった。

 婚約者のルヴィアーレは既に城内に到着し、王と王女の謁見を待っている。ドレスを着せて髪を整え、化粧を施さねばならないのに、フィルリーネは機嫌を悪くしたまま、着替えようともしない。何とかなだめようと婚姻相手の素性を伝えたが、それも遅過ぎた。

 王は、何故黙ったままにしておいたのか。皆が不思議に思う話だ。無論、決まったら決まったらで癇癪を起こすのだから、それは短い時間である方がいいのだが、これでは何の用意もできない。

 まごまごしていると王からの使いがやってきて、現状に呆れた顔をして見せた。そんな顔をするならば、お前が王女をなだめればいいだろう。
 その視線に気付いたか、王の使いはうやうやしくフィルリーネに頭を下げた。

「フィルリーネ様、王がお待ちです。準備をなさり広間までお越しください。ルヴィアーレ様はフィルリーネ様にお会いするため、今か今かと落ち着かぬ様子。よほどフィルリーネ様との婚約を心待ちにしていたのでしょう」
「まあ、田舎者が。図々しくてよ」

「ラータニアは小国ですが、魔鉱石が多く採れる希少な土地。精霊も多く住む、天の司マリオンネより愛された土地です。王がフィルリーネ様のお相手に望むに相応しい、恵みをもたらす国でございます。フィルリーネ様のために稀に見る宝飾や美しき布なども献上のためお持ちでいらっしゃいました。検分し終えた後、こちらにお持ちいたしますので、しばらくの間、ご婚約相手の人となりをご確認されるのはいかがでしょうか。何、意にそぐわぬ者ならば、王に相応しくない相手であるとお伝えすれば良いだけでございます」

 相応しくないと言って、王がそれを受け入れるはずがないのだが。それは後の祭りだろう。  
 フィルリーネは贈り物には興味ができたか、仕方なさそうなふりをして渋々立ち上がった。お父様の命令ならば諦めるしかないそうだ。

 現金だと思っても、それは誰も口にしない。やっと着替える気になったのだから、その気のある内に支度を整えなければならない。あっという間に着替えさせ髪を整えて化粧をし、見た目ならば申し分のない、むしろ黙っていれば驚くほどの美貌を持つ王女となり、フィルリーネを部屋から出すことに成功したのだ。



 誰もが、なんと美しい人だと息を呑むだろう。金糸のような美しい金の髪を後頭部で細かく結い、残りを背中に流して見せると、顔の輪郭が若干はっきりする。それだけで、十五の娘の幼さが一時の大人の雰囲気に変わった。薄く施した化粧と淡い紅が、子供の表情を消す。長い睫毛に蜂蜜のような甘い瞳の色は、女も男も魅了した。

 性格を知らなければ。

 初めてフィルリーネを見る者は、その美しさに驚きを隠せないだろう。天の司マリオンネに住まう乙女たちは女神のように美しいと称されるが、それと同等に語って良いのではないかと思わせる。

 あくまで、性格を知らなければ、の話だが。

 レミアは溜め息を隠せない。美しさに皆がほうっと息を吐きながらフィルリーネを見つめていたが、あれは遠くにいれば惚けられるだけで、近くにいれば全くそんな余裕はなくなってしまう。

 これから婚約相手に謁見し、言葉を与えることになるが、突飛なことを言うのではないかと、気が気ではない。隣に王が座していても、急な発言は王でも止められない。それを考えると胃がシクシクしてくる気がする。
 そう思うのはレミアだけではないはずだ。他の側仕えたちも美しさに安堵しながら、これからルヴィアーレに会って何を言うのか、考えるだけで頭が痛くなってくるだろう。視線だけで互いに頷き、同じ心配をしていることに安堵する。心配をしているのは自分だけではない。

 広間には既に王騎士団や貴族たちが集まり、急遽発表されたフィルリーネの婚約を祝う者たちで溢れかえっていた。地方の領主や、第二都市カサダリアに滞在する副宰相まで訪れていた。前々から知らされていたわけではないのに、よくここまで集まったものだと感心してしまう。
 しかし、王が集まれと言ったのだから、集まらない理由がない。他のどんな大事な予定があったとしても、皆がこの日のこの時に遅れることなく集まるのだろう。

 壇上に王と王女が現れると、途端に騒がしかった広間がしんと静まり返る。奥の扉へと続く赤い絨毯を避けて、集まった人々がその扉を見つめた。

 ゆっくりと音を立てて開く扉の向こうに、銀髪の線の細い男が見えた。
 身長は高いけれどどこか優男のような印象を持ったのは、あまりにも顔が整い過ぎているからだろうか。

「まあ……」
「なんて……」

 赤い絨毯を踏みつけて静かに歩むルヴィアーレの横顔を眺める女性たちが、一斉に頬を染めた。遠目にしていた側仕えたちには分からなかったが、ルヴィアーレの整った容姿は、フィルリーネに劣らぬ噂に違わぬものだったのだ。

 レミアも近くで見ていれば頬を染めただろう。後で会った時にはフィルリーネが暴言を吐くのにおろおろして顔をまじまじと見ている余裕はなく、ルヴィアーレを目で追う女性たちのように、美しさに目を奪われる暇などなかった。これからフィルリーネの婚約者としてこの城に居続けなければならないことを考えると、いっそ哀れで同情心しか持てなかったので尚更だろう。

「かわいそうに。生贄にされた、哀れな方」
「あの方の相手では、あの美しい顔も曇ってしまうだろうね」

 本当にルヴィアーレに同情しているのか、それとも女性たちの視線を釘付けにした嫉妬心からか、男たちはぽそぽそと憐憫を口にする。どちらにしても王に目を付けられたのだ。この国からは逃れられない。

「ラータニア国、ルヴィアーレと申します。グングナルド国王ならびフィルリーネ王女に拝謁の機会をいただきましたこと、幸甚に存じます」

 壇上の前で跪いたルヴィアーレは、王とフィルリーネに口上を述べた。大国の王である者の前で、小国出身のルヴィアーレの方が身分は低い。だからこそ、ルヴィアーレは遜った言い方をしていたが、落ち着いた声には威厳があり、優男と思えた印象は一瞬で消えていた。

 女性たちが色めき立つ。

「素敵な方ね」
「フィルリーネ様が羨ましいわ」

 ほうっと息を吐く女性たちの姿は、壇上にいる王やフィルリーネからよく見えることだろう。
 王は表情を変えずルヴィアーレの口上に歓迎の言葉を与えていたが、隣に座っていたフィルリーネはその姿を蔑むように見ていた。

 ぞわりと寒気が走った。フィルリーネは基本的に我が儘で単純な性格をしているが、気に入らないことがあれば躊躇なく相手に口撃する。

「慈悲を以って迎えるだなんて、健気なことだと思いません?」

 ぎょっとしたのはレミアだけではなかったはずだ。
 広間に集まっていた者たち全てが、一体何を言い出すのかと、フィルリーネに顔を向けた。

「お父様も人が悪いですわ。魔鉱石や精霊があっても、自分一人では国をまとめることのできない王がいるのでしょう。その王の補佐をされている方を婿になどしては、お隣の国に申し訳が立ちません」

 扉の前で待機していたルヴィアーレの騎士たちが身を乗り出したのが目に入った。フィルリーネはその姿が全く目に入らないのだろう。うっすらと笑って、目元を綻ばせる。

「わたくしの婿となられる方は、東の館の離れに居住をおいていただくそうよ。日の光の当たりにくい、日陰の場所。小国ラータニアの方にお似合いのお部屋でしょうね」

 フィルリーネの毒に、ルヴィアーレが静かに微笑んだのを見て、そこにいた誰もが二人がこの婚約を望んでいないことを知った。
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